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スピーカー 1
みんなが爆弾なんか作らないで、きれいな花火ばっかり作っていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだ。
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。えっと、誰の言葉でしょうか?
スピーカー 1
これはね、画家山下清の言葉です。
スピーカー 2
へー、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそうそう。今回山下清をやるので、
まあ、この言葉がどういうところで使われるのかっていうのも、なんとなく話していく中でわかってくるかなっていうので、ちょっと冒頭で言いました。
この人、花火好きだったんだよね。見に行くの。
スピーカー 2
あ、そうなの?
スピーカー 1
そうそう。有名な作品もね、花火をね、作品にしたものってあるんだよね。
まあ、ということで今回は、画家山下清についてやります。
特にさ、この人って針絵で有名でさ、色紙をこう、ちぎって貼っていくような作品なんだけれども、
で、あとはさ、放浪の天才画家っていうふうに呼ばれてさ、全国各地を放浪してさ、その場所から見た作品を多く残してるんだよね。
まあ、そんなわけで、彼のね、ちょっと置いた地から話していきたいんだけれども、
1922年ですね、東京、現在のね、台東区で長男として生まれるんだよね。
で、お父さんはね、浅草の日本料理店の板前をしていて、
まあ、ただ、だいぶね、酒癖が悪かったっていうのがあったんだよね。
スピーカー 2
なんか、昔の親父ってそうだよね。
スピーカー 1
そうそう。まあ、そうなんだろうね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、2歳の時に関東大震災が起きて、一家はね、焼け出されて、お父さんのふるさとである新潟へ移り住むんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この時にね、災害復興の最中で、衛生環境が原因なのか、ちょっと定かではないんだけど、清は重い消化不良になるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そのためね、3ヶ月間寝たけりになって、高熱が続くっていうかなりの重病だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これが原因なのか、この頃からね、少しどもるような言語障害とか、発達障害っていうのが出始めるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、翌年ね、東京へ戻ってきて、お父さんが浅草のね、板前に復帰していくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、小学校に入ると、この障害を理由に、周囲の子供たちから、ちょっとバカにされたりとか、いじめられるようになっていって、一人で虫捕りとかをして、孤独な毎日を過ごすようになるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、10歳の時に、お父さんがね、亡くなっちゃって、一家っていうのは、その経済的にも苦しくなるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、昭和9年に、清のお母さんが再婚したんだけども、またね、このお父さんもね、手乱で、家族にも暴力を振るっていうような、かなりひどい状態だったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、妊娠中のね、体で、清と弟を連れて家出をして、母親はね、もう一家親中も考えたくらいなんだけども、杉並区の母子家庭向けの社会福祉施設に保護されるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、清氏が高学年になってくると、いじめがね、ますます激しくなっていって、そこでね、ある時刃物で対抗しようとして、相手をね、本当に怪我させてしまったってことも起こったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、こんな風にして困り果てたお母さんが、清氏がね、12歳の時に千葉県のね、養護施設である八幡学園に預けるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、ここの学園はね、障害を持った子供を受け入れる施設として、当時ね、珍しくて、全国で8番目に開園した施設なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その中でね、授業があって、ずっこうの授業で、ちぎり絵っていうのに出会うんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これ、あの色紙を切ったものを画用紙に貼っていくっていう授業で、この清氏っていうのはさ、風景画として結構有名な作品を残しているんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この頃はね、大好きだった虫とか花などを題材にした作品を多く残しているっていうのが特徴なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そんな時にね、早稲田大学の戸川幸男教授っていうのが八幡学園に訪れて、清氏をはじめね、子供たちの作品を見て驚かされるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、このことがきっかけで、早稲田大学で八幡学園の子供たちの展覧会が催されて、もう有名画家とか訪れた人たちから絶賛を浴びたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その中でもとりわけ清氏の作品っていうのは評価が高かったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それからね、1939年になると、17歳の時に東京の銀座で山下清氏初のね、古典を開くことになったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、当時さ、肖像画の天才って呼ばれてた安井総太郎なんかも、彼の絵を見て、その強烈な表現力はまさにゴッホの後継者だとか。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
油絵のさ、第一人者だった梅原隆三郎は、美の表現の激しさ、純粋さはゴッホやアンリル層の水準に達してるっていうような、もうすごい絶賛だったわけよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう、ある画家に関してはね、今まで何のために絵の修行してきたのかって言って、画家を辞めてしまうって人も現れたぐらいなんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この古典で絶賛を浴びて、新聞社などメディアも取り上げられて、彼って有名になっていくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
時代は、ただ第二次世界大戦と突入して、男子はさ、20歳になると当時国民の義務だった徴兵検査を受けなきゃいけなくて、その結果で軍隊派兵されるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
当時清はさ、18歳で、戦争へ行くってことに、すごい恐怖を感じてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、徴兵検査を逃れるためっていうのもあって、またね、八幡学園の生活にちょっと飽きていたっていうところで、突如ね、放浪の旅に出るんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
彼20歳が徴兵検査だから、21歳まで放浪を続けて帰ってくるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これでさ、軍隊行かなくていいって思ってたところに、母親がね、これを許さずに清を無理やり連れてって、徴兵検査を受けさせたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただ清はさ、不合格になるために、直前まで目が悪いふりとか、字が読めないふりとかもしたり、絶食までして兵役を逃れようとしたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
結局、このこういった関係なしに、徴兵検査の結果は発達障害っていうことで、不合格になるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、放浪のきっかけのこう一つだった、戦争に派兵される恐怖から逃れた彼なんだけども、その後もね、35歳までなんとね、たびたび放浪するようになっていくんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはね、長い時で3年ほどだったり、短い時ではね、数ヶ月とか、そういうスパンで放浪してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
このね、ちょっとね、ある特徴があって、暖かくなる春先になると旅に出ることが多くて、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
前日にね、必ずチェックすることがあるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これ何だと思う?
スピーカー 2
いやー、全然思いつかないけどな。
スピーカー 1
これはね、あの、星が出てるかっていうのをチェックするんだって。
スピーカー 2
星?
スピーカー 1
そうそう。星が出てればさ、明日の朝はきっと晴れだろうっていうのを確認してから行くんだって。
スピーカー 2
へー。
スピーカー 1
そうそう。もうなんか、自分と一緒だなと思って。
スピーカー 2
いや、嘘でしょ。
スピーカー 1
あとね、入っていく下駄とか靴の手入れも入念にしたりするんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
こんなことからさ、突然無意識に放浪するってより、ある程度自発的に行動してたんだなっていうのが分かるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
放浪先ではね、好きな景色をもうただただぼーっと見るってことを好んだの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
八幡学園ではさ、自分の好きな針絵を優先的にやらせてもらえてはいたんだけども、集団生活の中でさ、それでもやっぱ規則があってさ、行動すべてが自由じゃないんだよね。
うん。
だからさ、彼は誰にも束縛されない自由を好んで、こういう放浪っていう手段を選んだんじゃないかっていう風に言われてんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、とはいってもさ、放浪先ではお金も住むところもなくて、そのためね、物恋のように片っ端から人に声をかけてご飯を食べさせてもらったり、家に泊めてもらうってことをするんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これこんなにうまくいくって思うんだけど、戦時中さ、生活も苦しくてさ、食料も十分にない時じゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
彼はね、放浪していく中で、都市部より田舎の方が親切にしてくれるって人が多いことを感じるんだよね。
うん。
そうそう。だから頼むのは必ずその田舎中心に頼んで、その方がより食事にありつけたり、泊まらせてもらえたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これは戦時中はさ、都市部より田舎の方が食料もあったっていうような要因も関係してるんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、2つ目はね、同情を誘うような嘘をついたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、彼はね、お父さんもお母さんも病気で亡くなっちゃって、兄弟も頼れる親戚もいないっていうような嘘をついて、親切な人からの行為によって放浪を続けたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、警官にね、尋問されたことがあって、食べ物なんかもらえない場合はどうするんだっていうふうに言われたんだけど、彼はね、平然ともらえるまで家に行く、なのでもらえない時はないっていうような回答をしてるんだよね。
うん。
すごいよね、これ。
スピーカー 2
まあ、昔だからなんか笑い話で済むけど、今だったらやばいやつだよね。
スピーカー 1
ああ、そうだね。昔だから成立したっていうのもあるかもね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、だいたいね、3食きっちり食べることができてたらしいよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、寝るところがない場合はね、駅のベンチで寝てたっていうのはあったらしいんだけど、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、放浪中さ、最初は風呂敷を使ってたんだけど、リックサックに途中から書いてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この中身っていうのがね、あったんだけど、手ぬぐい、着替えとか、あとね、箸が一全入ってるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
じゃあ、もう食べる気満々だよね。
スピーカー 2
笑
もう箸は自分のを使いますみたいな。
スピーカー 1
で、その他にね、石が5つ入ってたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これ、何のためだと思う?
スピーカー 2
石?いや、全然開目検討がつきませんね。
スピーカー 1
これはね、犬が吠えてきて、襲ってきた場合に、石を投げて身を守るためだった。
スピーカー 2
笑
まあ、武器を持ってたわけね。
スピーカー 1
そうそうそう。狩りなりのね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、またあの、生活していくために、やっぱ放浪先でね、いくつかの職業をこう転々としてたりもして、
魚屋とか弁当屋とか、鍛冶屋とか、蕎麦屋とか、郵便局とか、いろんなところでね、意外とこう働いているんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
こうしてね、長い間放浪を続けて、自由に日本各地の好きな景色を見たりとかして、
で、それをね、脳裏にこう焼き付けて、放浪から帰ってきて、それを一気に吐き出すんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そうやって作品を作り上げていて、だからね、その場でスケッチってほとんど実はしてないんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。裸の大将とか見てた?
スピーカー 2
いや、見てはないけど、なんとなくわかるよ。
スピーカー 1
現地でさ、スケッチしてるってイメージがそれだとあるんだけど、
スピーカー 2
うん。なんかそういうイメージあった。
スピーカー 1
そう。晩年ちょっとしてたことあったんだけども、ほとんどしてないんだよね。
スピーカー 2
えー、なんかランニングシャツ着てスケッチしてるようなイメージはあるんだけどね。
スピーカー 1
それはね、結構メディアが作り上げてるの。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
そうそうそう。で、しかもその記憶して作成した作品が見事にね、その場所の構図や色まで再現してたりするの。
スピーカー 1
で、この新聞記事がきっかけとなって、その時ね、鹿児島に放浪してた山下清が発見されるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、再び脚光を浴びて、その後も全国各地で彼の展覧会が催されて、
どこのね、その展覧会もすごく大盛況で長蛇の列ができたって言われてんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
記録だとね、1956年の東京大丸百貨店で行われた、これね、約1ヶ月間の山下清展なんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
約ね、80万人訪れてんだよ。
スピーカー 2
すごいね。
スピーカー 1
すごいよね。
俺ね、ちょっと今回調べたんだけど、2023年に日本で4番目に入場者の多かった東京国立近代美術館が、1年間で約88万人だかんね。
スピーカー 2
ああ。
スピーカー 1
それを1ヶ月もないぐらいで、約80万人ってやばいね。
スピーカー 2
いや、すごいね。
スピーカー 1
もう社会現象なんだろうね、これね。ぐらいすごい有名だったんだろうね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、彼のちょっと針への特徴をいくつか紹介したいんだけど、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
1つ目はね、一般の絵画ではさ、人の目から3次元の空間を2次元の平面に表現する方法として、遠近法が使われてることが多いんだけれども、
彼はね、必ずしもこの遠近法に作品を当てはめるんじゃなくて、自分が見て感じた特徴を独自の感性で表現してるってところが特徴なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
2つ目はね、色紙を切るのにハサミは使ってないんだよね。
スピーカー 2
ああ。
スピーカー 1
数ミリのね、大きさに紙を切る場合でも指でちぎるの必ず。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはね、ハサミで切ると切り口がシャープになりすぎちゃって、貼り合わせた時に境目がね、目立ってしまうっていうことで、手でちぎることで切り口がこう柔らかくなって絶妙な色の階調が表現できるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
3つ目がね、小寄りっていう技法を使ってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これね、色紙をね、細い棒状にして輪郭部分などに使ってたりするんだけど、それでより立体感を出すっていうような作品になってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
4つ目がね、人物を表現するのに正面とか側面、背面のみから描かれていて、斜めからとか、そういったちょっと角度を変えた感じのものがないんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これがまたね、独特の味を出していて、なんかね、ほのぼどとする温かさを感じるって言われてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、彼の有名な作品に花火っていうのがあって、ちょっと冒頭でも花火のフレーズに触れたんだけれども、彼、花火大会見るのが本当に好きで、各地を訪れて作品を残してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
中でも名作って言われるのが、長岡の花火っていう、これが新潟で行われてる、今でも大きな花火大会なんだけども、1950年で28歳の時の作品なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これ見たことある?
スピーカー 2
いやー、見たことあるのかもしんないけど、今パッとは出てこないな。
スピーカー 1
あー、俺も実物ないんだけど、こんなこと言ってさ。
ネットとかで全然見えるんで、もしよかったら検索してもらえるといいんだけど、この花火をさ、針絵で表現っていうのがまずすごいじゃん。
スピーカー 2
あー、針絵ってそうだね。あんまりやったことないからな。
スピーカー 1
うん。すごい細かくて、一本一本の花火の細かい線とか、それをね、見てるたくさんの群衆をすごく緻密に表現してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そしてさ、色合いも絶妙で、真っ黒な夜空に鮮やかなこの色の配色があって、温かみがある作品になってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ちょっとね、この長岡の花火の歴史の背景に触れたいんだけども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
このさ、長岡花火ってさ、明治12年から花火祭りっていうのが行われていて、大正15年にね、ここでは直径3尺の大玉を打ち上げたことでも有名なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
戦時中はさ、もちろんどこの花火大会も中止になっていて、1945年の8月1日に長岡っていうのはB29による大規模な空襲を受けてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
市街地のさ、80%以上が消失して、死者はね、1488人って言われてるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、新潟県で大規模にこう被災した唯一の都市で、こういうことがあって、戦後1947年に復興の思いを込めて、この花火大会っていうのはまた再開するんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。まさにさ、なんか花火って復興の象徴だなって思ってさ、なんかみんながこう集まってさ、同じ方向を見てさ、打ち上がる花火をね、見るって戦時中じゃできなかったことじゃん。
スピーカー 2
うん。
そうそう。まあ、そういったさ、戦後復興の思いっていう背景を知ると、さらになんかこの山下清志の作品が楽しめるんじゃないでしょうか。
誰なんだよって。
その後もさ、数々の作品が評価されて、彼の人気がこう全国的に広がって、まあ、そんな有名になってもね、たびたび放浪は続けていたんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それがね、35歳でぴったりとやめてんの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
俺ね、これね、見てたんだよ。
スピーカー 2
ああ、そうなんだ。
スピーカー 1
まあ、小学校の時やってたんだろうね。
スピーカー 2
まあ、そのぐらいだよね。
スピーカー 1
そうそう。なんかよくおばあちゃんとおじいちゃんが見てたから一緒に見てたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これはさ、山下清をモデルとして放浪の旅の中で人々と交流していって、最後にその町の風景を描いて、で、まあその後さ、山下清が白だってわかって町からこっそり姿を消すみたいな、そういうストーリーが定番だったんだけども。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、その中でさ、山下清っていうイメージ像がさっきも言ったけど出来上がっていって、ただね、実際は違い部分もあるんだよっていうのをちょっと今日は紹介したくて。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
清氏自身もあれは僕じゃないっていうような言い方もしてたりするんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
裸の大将でさ、ランニングシャツに短パン姿ってさっき永丸も言ってたけど、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
あと顔とか着てるものは汚れてるっていうような、もうまさに放浪が似合うような姿になってんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、そういう格好も一時期暑い時はしてたっていうのもあったらしいんだけど、本当はね、オシャレで服装にも気を使う人なんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
襟付きのシャツだったり、ジャケット、スラックス、そしてベレー帽をかぶったりとかしていて、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
取材があるとね、取材人からランニングシャツと短パン姿になってくれないかって言われるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
彼は嫌な顔せずにこう応じるっていうのがあって、いやこれはちょっとダメでしょって思っちゃったけどね。
スピーカー 2
メディアのイメージがやっぱ強いのか。
スピーカー 1
そうそう。あとね、ナイブな一面もあって、マスコミにその特徴ある言葉遣いが注目されると、自分がこうどう扱われてるのかっていうのを気にしてたりするんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
裸の対象だとさ、その終始、どもるような話し方っていうのがされてるんだけど、本人はね、あそこまで自分はどもらないっていうようなことを家族に言ってたりしてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。こんな風にさ、自分の短所を誇張されるってことを気にしていたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
他にもね、いくつか彼の特徴があって、貴重面な性格っていうのがあるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
自分で決めた作業時間をこう忠実に守っていて、作品作りをする時は朝10時頃から作業に入って、12時に2時間の休憩を取って、それからね、作業して夕方5時にピタリと辞めるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ただその間の作業してる集中力っていうのは本当に凄まじいものだったって言われてる。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、あとね、いたずらが大好きっていう面があって、弟とも一緒に住んでるから、弟の妻が家に突入できた時に、翌日にね、弟の妻に分かるようにうんちのおもちゃをキッチンの床に置いたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、驚くのを見て喜んでたりっていうエピソードがあって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。ちょっとね、このおもちゃがどこのメーカーなのかっていうのは調べられなかったんだけども。
スピーカー 2
えー、調べてよ。おなたの好きでしょ、そういうの。
スピーカー 1
いやまあ、大人のおもちゃだったんだなって思って。
スピーカー 2
ああ、大人のおもちゃ。
スピーカー 1
で、あと、なんかね、座る場所にもね、ブーブークッション置いて驚かせたりとかしてて、たださ、こう何回もやってると、ブーブークッションあるなって弟の妻も分かってくるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
たださ、驚かないとすごく残念そうな顔をするから、わざと驚いてあげたりっていうような、まあなんかそういう温かな家族のエピソードがあったんだけど。
うん。
それから、43歳の時に東海道53次を題材にして、描こうと彼は挑戦するんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
もともとさ、江戸時代から浮世絵なんかでこの東海道53次題材にしてるのって有名なんだけど、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
その当時の現代版として挑戦をして、東京からね、京都までの東海道にあった53の宿場町から見た景色を、正確にはちょっと場所が違ったところも彼描いてるんだけど、
5年間かけて巡ってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それから自宅に帰り、もう梁の下へとなる素描画の制作に入ったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、東京から名古屋まで42点の素描画を終えたところで、高血圧による眼底出血を起こして、ドクターストップになるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
以後はね、自宅で食事療法と通院を繰り返して、数年後のね、1971年に脳一血のため49歳で亡くなってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
若いよね。
スピーカー 2
まあ、そうだね。
スピーカー 1
で、葬儀を終えて数日経ったある日にね、家族がお父さんの部屋を整理してると、残りのね、京都までの13点の素描画が教えらから出てきたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、実はね、彼は療養中ながら、家族にもわからないところで描き上げてたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。まあ、そんぐらいどうしても描き上げたいっていう熱意があったのかなと思うんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
残念ながらさ、これがこの後、針絵になるってことはなかったんだけども、そのね、死体となるね、素描画っていうのも、彼の集大成っていうほど素晴らしい作品なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、亡くなる前のね、家族との最後のその夕刊の時の会話があって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 2
そう、だからまあこれを機にちょっとね、作品とかあったら見てみようなっていうのはちょっと思った。
スピーカー 1
ああ、確かにね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
この人あれ作品がさ、でも生きてるうちに有名になれたじゃん。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ね、よくさゴッホとかと比べられたりするんだけどさ、ゴッホって死んでから有名になったじゃん、あれって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ね、そういった意味でさ、戦後さ、一時期こう忘れられた時にさ、アメリカのこの雑誌の記者がもし注目しなかったらとか思うとさ、なんかまあ生きてるうちにこういう評価されたっていうのは良かったなっていうの思うんだけど。
スピーカー 2
うん、まあ評価っていうのもさ、なんだろう、神ひとえなところがあってさ。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
そう、たまたま取り上げられたっていう人も結構やっぱいるじゃん、中には。
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
別にこの山下清史があってるわけじゃないけど、俺はすごい運命のいたずらじゃないけどさ、やっぱりすごいそういう運っていうものはものすごく大事だなと思うよ。
スピーカー 1
ああ、確かに。
スピーカー 2
そう、どんなに才能があってもさ、やっぱり埋もれてっちゃってる人の方が圧倒的に多いわけじゃん。
スピーカー 1
確かにそうだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
いや俺だから、素晴らしい絵ってなんだろうって俺考えさせられた回なんだけど。
スピーカー 2
まあだから多くの人を魅了してるっていう事実はあるわけじゃん。
スピーカー 1
ある、そうだね。
スピーカー 2
うん、でもほら尾形郎も絵上手いじゃん。
スピーカー 1
やめろ、それはやばいだろ。
それは俺はいいんだけどさ、山下清史って、まあ遅かれ早かれ誰かが評価すると思うんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんかさ、彼って美術教育とかさ、あの受けてないんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だから感性のみで描かれてっていうのがさ、それをまあ最初芸術家じゃないっていうような批判するような人もいたんだけども、
結果的にやっぱそういうのって感性のみで描いたものって、なんかこう訴えかけるものがあるような気がして。
スピーカー 2
まあその人の感情を動かすことが大事だからね、こういうのって。
スピーカー 1
そうなんだ、俺最近そこにちょっと注目しちゃってんだよね。
あなたは誰ですか?
いやだってポッドキャストもそうじゃないって思っちゃって。
結局決められた台本をこうずっと読んでって、もうその俺みたいなのよりもやっぱ長丸みたいに感性でこう自分の意見を言ったほうが、やっぱすごいじゃん反響が。
スピーカー 2
いやいやいいよ、その嘘じゃん。
嘘じゃん。
反響が小片郎のほうがいいじゃん。
スピーカー 1
俺はもう。
違うんだよ。
いやだからちょっと自分も改めなきゃいけないなっていうのもちょっと考えさせられた回でした。
ということで今回は山下清史についてでした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
そうですね、最後にちょっとYouTubeね、なんと皆さんのおかげで1000人チャンネル登録者数達成したんだよね。
スピーカー 2
そうおめでとうございます。
スピーカー 1
いやいやおめでとうじゃない、本当にありがとうございます。
なんか最後呼びかけた時にめっちゃみんな登録してくれたみたいで一気に上がって本当に嬉しかったです。
スピーカー 2
本当小片郎の回っていうところもあってすごい一気に跳ね上がったからね最後。
スピーカー 1
いやいや、まあということでこれからもよろしくお願いします。
スピーカー 2
はい是非ともよろしくお願いします。
スピーカー 1
それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。