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ハイサーイ、グースヨ、チュウガナビラ。始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
突っ込んでいいかなぁ。
どうした、どうした。
何語?
何語だと思う、これ。
あれでも、ハイサーイっつってたっけ、今。
そう、でも、俺、たぶん、ちゃんとうまく言えてるかすらもわかんない。
ほんとかよ。
そうそう、琉球の縞言葉だよね。
すげー片言感はしたよ。
たぶんね、沖縄の人も、なんだこれって思っちゃう。
たぶん、英語の片言でしゃべる日本人と同じだよ。
いや、これ、緊張した。
ちなみに、どういう意味なの?
あのね、なんかね、今日の出会いを大切にしましょう、みたいな。
よろしくお願いします的な感じで使われたりするらしいんだけど。
あ、そうなんだ。
そうそう、なんでまあ、今ね、これ、たまたまね、ラジオを聞いた人とかね、この出会い大切にしましょう、みたいな。
フォローしてねーって。
そうそう。
まあ、そういうことでね、今回はですね、琉球に関わることを話したいなと思うんですよ。
お、琉球いいね。
そう、で、テーマはね、琉球処分について。
ちょっとね、あんまり言葉ではないかもしれないですけど、
琉球国っていうのが、どのようにして日本国の沖縄としてなっていったかっていうのを、ちょっとまあ話せたらいいな、みたいな。
ちょっと壮大だけど。
いいテーマだよ。
まあね、自分ね、その前ね、沖縄結構好きでよく行ってるのよ。
まあね、沖縄の沖可愛いもんね。
いや、だからそっちじゃないから。
そっちじゃない。海が綺麗だしね。
普通にね、自然とか、家族とかでも結構行くし、本島にも行くし、宮古も石垣も、果てる間とか入表とか、結構いろんなとこ行ってるね。
そうそう、なんかあの自然が好きだし、こう、日本じゃないみたい。
そう、日本じゃないんだよね。
まあ、なんか違うよね。
そう、独特な雰囲気あるしさ。
そうそう、それでさ、でもね、その琉球とか沖縄の歴史についてあんまりね、全然知らなかったの。
そう、というのも、日清戦争でこの前長丸が話してた時に、なんか台湾が植民地になった時に、沖縄はちょっと微妙だけど、みたいな、なんかね、そういうニュアンスをね、言ったのをね、聞いて、
あれ、どういうことなんだろう?沖縄ってそもそもそれどうなってんだろう?っていうので、ちょっと調べようと思った。
っていうのがあって、まあまあ雑俗なんでちょっと、今回はね、1879年に起こったその、琉球が廃止されて沖縄県になったっていう、そこの過程らへんを中心に話せたらいいかな、みたいなのを思ってます。
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沖縄って言ってもすごい長いんでね。
ただ、琉球国がね、できた経緯からちょっと端折って話していこうかなと思ってます。
はいはい。
まず、1429年ですね、に昭和氏っていう王がですね、沖縄本土を統一したんです。
首里城を拠点にして、ここで琉球王国っていうのが初めて誕生するんですよね。
これがね、わずか64年で滅んじゃうんだけども、これが第一少子時代っていう。
第一っていうのがあってあるぐらいだから、次に第二少子時代っていうのが入るんですよ。
これはね、第一少子時代がなんで滅んだかっていうと、身内とか側近同士の争いで権力闘争が起こって、よくあるね、歴史のあるあるだよね。
1469年に、これね、王族の昭和氏の血筋を引いてる人ではなくて、元貿易大臣だった金丸っていう人がね、権力闘争に勝って王になるんですよ。
そもそも昭っていう名前でもなかったし、血筋も一緒じゃないんだけども、同じように昭って付けて、昭遠って自分を名乗ったんですよ、そこからね。
で、これが第二少子時代っていうのが、410年間くらい続くんですよ、ずっと。
長いね。
長い。これはね、1879年、さっき言った沖縄県節地までずっと続くんですよ。
で、三代目の昭進王って時に、琉球っていうのは、いち早く中央集権国家っていうのを取り入れるんですよ。
これね、本土だと明治が始まってから日本は中央集権国家になってたけど、琉球ではもう本土よりも345年早く、実は中央集権国家だったんですよね。
そうそうそうそう。
でね、だから手裏城を中心として琉球王国が全体を管理するんですよね。だから年貢も治めに行くんですよね、琉球王国に。
で、この武器とかも国家が管理するってことにしてたんですよ、琉球って。
全く持ってないかっていうわけではないんだけど、必要最低限の、言うと軽武装国家みたいな、そんな感じだった。
ただね、争いを全くしてないってわけではなくて、この時にも宮古とか八重山諸島っていうのを、琉球が武力で支配をしに行ってるんだよね。
ここでね、宮古とか八重山も加わるんですよ。
で、この琉球王国っていうのは主に貿易で繁栄するんですよ。
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海産物とか異様とかも取れて、あと黒砂糖とかね、特産品を東南アジアとかインド洋とか結構広大なね、範囲を貿易して栄えるんですよ。
で、主にね、貿易の中でも中継貿易っていうのがやっていて、これあの、だから今で言う転売だよね。
だから別のところで仕入れたのを、仕入れた値段よりも高く別の国に売るみたいな。
これで日本とも貿易もしていたし、あと特徴の一つとして、中国当時は民なんだけれども、民とね、長交貿易っていうのをして、これも栄えてた。
これはあの、長交貿易っていうのは、琉球が民に対して三着物を渡すんですよ。
三着物っていうのは馬とか異様とかね、結構喜ばれたらしいんだけども、それを受け取った民は、その数倍から数十倍の品を琉球に対して渡すんです。
これね、一見琉球だけが得しているように見えるんだけども、民にもメリットがあって、まずは民がそれほど余裕があって格上の存在っていう位置づけをできるわけです。
それに従属しているという構造を作ることができるのと、単純にその琉球だけじゃなくて周辺の国にもね、結構そういうことをしていた。長交貿易って。
敵対関係を作ると、高くなさ、防衛するために軍事費がかかったりもするから、こうやって良好な関係を築く方が逆に安上がりというか、
経済的に優れた安全保障システムなんて言われ方もするんだけど、そういう風で長交貿易っていうのもしていた。長交貿易すると、民から札幌市っていうのが琉球に来るの。
札幌市が来る時は琉球の王位が変わる時、その時に民だったら、民から派遣された人たちが来て、王として認める儀式があるんですよ。
これによって、まさに民に従っている国みたいな、そんな印象付けもすることができるし、また琉球って民と同じ年号を使うという決まりもあったんです。
そんな感じで、民の支配をちょっと強めている感はあるんだけども。
防疫が、琉球は前世紀なわけですよ、この時。これからだいぶ飛ばすんだけども、時は1609年ぐらい、100年か200年ぐらい飛びます。
ここから琉球処分に具体的に関わってくるので、聞いてる人、イヤホンつけてください。
聞いてないんだって、今までね。中には再生ボタンを押すことで楽しんでる人もいるからさ。
それは聞いてないっていう話ね。
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1609年に薩摩藩が琉球に対して3000名の兵を率いて進行してくる。
これでね、あっという間に五日で首里城っていうのは占領されちゃうんでね。
ここがもう、日本というか薩摩の関わりが強く出てくるんだけども。
少年王って琉球の王だった当時ね、少年王が薩摩藩に連行される。
江戸に連行されて3年間ぐらいに軟禁させられる。
琉球国自体も氾濫を防ぐために武器とかは没収というか、携帯は許されない状態になって、実質薩摩の支配下に置かれるわけですよ。
ただ、さっき言ってたミントの貿易っていうのは引き続き継続してた。
これは実は薩摩も推奨してた。
なぜかというと、日本というか本土の方はミント貿易がその当時できてなかった。
豊臣秀吉の朝鮮出兵とかいろいろ揉めたりとかあったから、貿易が途絶えてたのよ。
琉球が公益をしてくれることで利益が生まれるから、それを薩摩が吸い上げるみたいなね。
安易に薩摩は琉球とミントの貿易を認めてたんです。
1644年になって、ミンが負けてシンになるわけよ。
だけど引き続き琉球はね、ミンからシンになっても超高貿易っていうのは継続ができてるんですよ。
さっき言った札幌帝王が変わる時に札幌使っていうのが、ここで言うとシンの国から来るわけですよ。
その時にさ、薩摩が支配してるっていうのをバレないように、ミンの時もやってたんだけど、
薩摩の武士っていうのはいるんだけど手裏城の南天とかに隠れるんだって。
結局はバレてたらしいんだけど。
ただ別にさ、シンからしても貿易してくれてるし、それでシンもある意味メリットもあるわけだから、
別にそこまで咎めることはなかったらしいんだけど、結局バレてたっていうのは矢口マリみたいな感じだよね。
え?どういうこと?
だから矢口マリって不倫相手がクローゼットに隠れてたじゃん。
いや、それあれじゃん。バレてたんじゃなくて、もうバレたんじゃん。
バレてたんじゃないでしょ。だからクローゼットにいるのを見つかっちゃったわけでしょ。
クローゼット不倫みたいなの言われてたじゃん。
マジ、もうアッパー不倫とかと一緒じゃん。
ごめん、これカットだな。
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ここはね、固くなっちゃうからね、歴史の話って。ちょっと続けましょう。
そんな感じで、日本とシンの両方に属してるっていう関係が続いたわけですよ。引き続きね。
琉球って結構、どっちにもぶら下がってる状態だったんですよ。
これからまさに近代史に入ってくるので、そろそろイヤホンつけてください。
つけてるわ。
1840年からアヘン戦争っていうのがイギリスとシンで戦いが起こるわけですよ。
シンは知ってる通り大敗するわけですよ。
ここからがちょっとシンの力がどんどん衰退していって、逆に日本がちょっと強くなってくるっていう時期でもあるんだけども、
シンが破れたことによって、欧米がね、日本の本土もそうだけども、いろんな船がさ、外国船が開港要求してくるわけになったんですよ。
琉球にもそれは来てて。
琉球も日本の本土と一緒のように、最初ね、あしらってたんだけども、
もうアヘン戦争でシンがコテンパにやられたのを聞いて、
ただこうあしらってたら、うちらも支配されちゃうっていうのがあったから、
穏便にことを済ませようと、浸水給与令って燃料とか水を渡して、
でもちょっと貿易は開港はできませんよっていうような、やんわりと断り続けたんですよ。
でも結局日本の本土もそうだけど、1853年にペリーが来た。
これね、日本の本土にも来たんだけど、実は日本の本土に来る前に、
琉球に先にペリーって来てるんですよ。
ペリーがそこで開港要求をして、また1回帰って、
翌年に日本の本土と一緒の年ですね、就航条約っていうのを結んで開港するんですよね、ナハが。
そうそう、これはアメリカ、オランダ、イギリスとも、琉球は就航条約結ぶんだけども、
これで、どんどん外国も関わりがどんどん来てて、
明治に入って、各国が国境を明確に定めていくっていう時期でもあったのよ。
日本の本土の方も、この琉球をどうしようかっていうのを考えてたわけ。
日中両族のままだったらダメだよねって。
これをさ、日本として組み入れたいっていう思いがあったの。
そうそう、だからなんだろう、どっちにもぶら下がってる状態から、
彼女が結婚したいのに、曖昧な関係を続けてちゃダメだよね、みたいな。
どうした、今日は。
まあまあ、いいや。
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まあね、そうだよねって感じだよ。
1871年に、これは有名な廃藩地権っていうのが下るわけですよ。
でも、琉球っていうのはもともと藩でもなかったし、
そこはちょっと微妙なところで、薩摩にの続国みたいな感じでしょ。
なんで薩摩藩が廃藩地権によって消滅するのよ。
で、鹿児島県になる。
なので、琉球は一時的に鹿児島県の管轄に変わる流れがある。
まあでも、それはあんまり琉球にとっては今まで通りというか。
廃藩地権についてちょっと簡単に。
廃藩地権っていうのは、今まで300ぐらいの藩があって、
そこにそれぞれ各大名が君臨していたって構図だよね。
各藩で法律というか、それぞれの決まりがあって、
で、年貢もそこの各藩に集めてるっていう状態。
結構独立国に近い。
それを江戸幕府がそこの上にいたっていう感じだよね。
うん、そうだね。
そうそう。で、その藩を廃止して県にした。
で、県は日本っていう国が一括して管理するっていうことになっていくんだよね。
廃藩地権によって。
これが中央集権の始まりだよね。
そうそう。こんなことがあったっていう経緯があって、
時代は1871年の11月頃なんだけども、
宮古島の島民が遭難するっていう事件があった。
これは、当時琉球は首里城に年貢を治めに行くんだけども、
宮古島も首里に年貢を治めに行って、
帰ってくる時に宮古川の一石が台風で遭難した。
で、69人が台湾の海岸に流れ着いたわけ。
で、54名が台湾の原住民に殺害されたっていう事件なんですよ。
っていうのがあって、これに伴って台湾出兵っていうのがあるんだけども、
その前に、この翌年に1872年に、琉球っていうのは鹿児島県の管轄だったんだけど、
それを外務省の管轄に1回ちょっと置き換わるんですよ。
なんで、今まで鹿児島県っていうか、
薩摩から鹿児島の一部が琉球を従ってたっていう構図から、
日本っていう国が管轄をするっていう意味合いにちょっと変わるわけですよ。
で、この時に琉球王国だったんだけども、琉球藩っていう風にみなすわけです。
で、琉球藩を設置するの。
ここがちょっとよくクエスチョンマークなんだけども、
廃藩地権で藩はなくなってんのに、琉球だけは琉球藩っていうのを設置した。
で、これまででも多分前段階としてあえて置いたんだと思うんですよ。
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で、これで琉球王国の国王はもう藩主みたいな感じになったわけ。日本の。
で、これでさっきあった宮古島島民の遭難事件に対して、
1874年に台湾出兵って言って、
3600名ぐらい率いてね、日本政府が取り仕切って、初の海外出兵をするんですよ。
で、これ台湾に行って2週間ぐらいで台湾、現場の周辺を制圧するんですよ。
で、これで秦にとっては、秦の言い分は台湾は当地藩以外の人々が殺害を行ったっていうことで、
自分らには直接関係ないとか責任の所在はないっていうふうに言い張ったんですよ。
ここで結構揉めている中にイギリスが仲介に入るわけです。
で、そこで取り交わされたのが、日本は台湾から引き上げますよって。
その代わり、秦国は賠償金は支払わないんだけども、
未賠金という形で支払ってくださいよっていうような、そういう締結がなされる。
賠償金にするとちょっと秦国が負けたみたいな感じになっちゃうから、
あえて未賠金というちょっと濁した形にしたらしいんだけども、
これによって秦が琉球王国を日本の領土として認める形になったわけですよ。
今まで秦は琉球というのは個別に貿易してたっていう関係だったのを、
都の島民が殺害されたに対して日本の本土から兵が行って、それを未賠金を支払ったわけじゃん。
ここがちょっと一つね、じわじわ日本が琉球に歩み寄っていく感じなんですよね。
その次に台湾出兵の2ヶ月後かな、1874年7月ぐらいに外務省管轄から内務省の管轄に変わるんですよ。
内務省にすることによって、日本の内部での問題に切り替えたわけです。
ここで結構強くどんどん出てくるわけ。
秦国との、今まで超高貿易とかしてたし、あと秦国から殺法を受けてた。
これをやめて断絶しましょうっていうのを琉球に言ったんです。
今まで中国の、その時は秦か、秦の年号を使ってたのを明治の年号にしてくださいと。
琉球藩の王は、自ら東京に来て上京してきてくださいっていうふうに伝えたわけです。
だけど、やっぱり琉球はね、さすがにちょっとこれは従うことができずに、
日本と秦、両方の関係を今まで通り続けたいっていうふうに願ったわけです。
で、ここで日本はもう豪を担して、1879年に琉球の処分官と言われてる松田道行が主導でね、
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警察官とか兵合わせて600人ぐらいで、もう武力で威圧して琉球に攻め入ったわけです。
で、この時にも強引に琉球藩っていうのを廃止して、沖縄県っていうのを設置した。
この流れが琉球処分と言われてるんですよ。ちょっと長かったけど。
で、その時の琉球藩の王は正太っていう人で、王から一気に家族っていう貴族階級に変えられた。
で、しかももう琉球に住むことが許されずに東京に移住を命じられた。
これによってもう500年ぐらい長きに渡る琉球王国っていうのは崩壊しちゃったんだよね。
だけど琉球の首都層とか上にいる人たちは納得しない人も多かったのよ。
なんで新国に日報して救援を願ったわけですよ。助けてほしい。
それで新国も日本に対して抗議したわけですよ。この一方的なやり方に対して。
で、ここで外交交渉っていうのが行われて、新国に提案したのが文刀増約案っていうのがあって、
いろんな呼ばれ方するんだけども、琉球を2分にして宮古と八重山諸島の方は真に与える代わりに、
沖縄本島はもう日本領としますよっていう案を出したんですよ。
これね、調印の段階まで来てたんですよ、実は。
そうなんだ。
そうそう。だけど最終段階で新が調印を拒否したの。
これはなんだろう、新の中でも今、北からロシアが国境の問題とか、
あとはやっぱり本島を日本の領土にするっていうのはちょっと新国自体にあんま不利な条件だなっていうので調印を拒否したとも言われてるんですよ。
そんな困難の中に1894年に日清戦争が始まっちゃうわけですよ。
これによって日本が勝利して台湾などが植民地化になったわけじゃん。
この流れで日本が勝利したことによって日清講和会議で台湾が植民地化になったんだけども、
この時に話し合いの中で沖縄はどうするかっていうのは一切話されなかったんですよ。
これはね、あえて日本が話さなかったの。
もうそもそも沖縄は日本に帰属している問題だから、別に植民地とかにするとかいうそういう話でもないから一切取り上げなかった。
で、新もそこからは負けた側だから何も言えない状態だし、当然のように沖縄が日本っていうふうにもう完全になってったわけなんですよ。
そんな経緯でした。
沖縄ってさ、これからもさ、どんどん歴史の中で長野も知っている通り第二次世界大戦とかで沖縄って本土戦もあったりとかさ、
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アメリカの支配下に置かれたりとかさ、いろいろあるわけじゃん。
本当にすごい歴史だよねと思って。
沖縄の地理だよね本当に。いい場所にあるんだよねやっぱ沖縄って。
確かにね。
狙われやすいというか。
本当そういう地理上の問題もあって狙われちゃってるっていうのはあるよね。
アメリカもそうだもんね。
あの位置がすごい良くて沖縄はさ、日本に返さなかったわけじゃんすぐに。
今だって基地残ってんじゃん。
そうだよね。
あれは沖縄に残したんじゃなくて沖縄じゃないと意味ないからっていう理由だからさ。
そうだね。
日本本土に基地あったってそんなに意味ないからさ。
結局アメリカが向けてるのは沖縄とかさ、あの辺のラインから中国とかそういう共産権を閉じ込めたかったっていうのもやっぱあるしね。
なるほどね。
そうだよね。
いやいやなんかさ本当にこの沖縄の琉球の歴史見てると
力が強いものが弱いものを完全に支配するっていう構図。
日本もアメリカっていう超大国に支配されて
日本も琉球を支配して
琉球もさ、さらに言えばさ、宮古諸島とか八重山諸島を支配してる。
大きいものが小さいものをっていうようなその構図ってなんかこう結構鮮明に出てるなと思って。
まあそれはね、なんだろう、国の話じゃなくても結構あるじゃんやっぱ。
あるよね。
大きい会社が小さい会社をみたいなさ。
うん。
よくあるよそういうのは。
いやもうなんかね、これ考えるとさ、もう正義とは何なのかって思っちゃうね。
正義は勝ったものを語るものが正義なんだよ。
そうそうそう。
いやもうさ、根本的なこと言うとさ、この地球の土地は一体誰のものなのかみたいなことに行き着いちゃうんだけどさ。
まあまあだからそもそも国なんていう概念がちゃんちゃらおかしくなってくるしさ、そうすると。
そうそうそうそう。
国境何それみたいな。
でもさ、今でもやっぱり沖縄の人って、なんか日本政府に対してもやっぱすごい抗議は、他の本土に比べてものすごい団結力というか強いじゃん。
この歴史を見てもやっぱそうなるよねっていうのが感じたね。
まあ日本政府に対してはね、不満はあるんじゃない、やっぱり。
でさ、沖縄ってさ、2019年に手裏城も火災になってるじゃん。
ね、燃えちゃったんだよね。
そうそうそう。でさ、これちょっと調べてたらびっくりしたのが寄附金がさ、52億円も集まったんですよ、今現在で。
だからなんだろう、すごい思いがね、これ沖縄の人たちも相当出したんだと思うんだけど、
手裏城ってさ、前にね台風でダメになっちゃった時も、沖縄の本土の人とか結構ね出したらしいですよ、寄附金。
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そうだからもうなんだろう、特別なものなんだろうね。
まあ手裏城ね、結構さ、なんつーの、やっぱ独特じゃん、あれ。
うん。
俺は沖縄好きだから結構行くけどさ、沖縄のさ、城ってさ、いろいろあるじゃん。
なんか、その世界遺産的なやつもさ、手裏城じゃなくても。
やっぱさ、ちゃんと残ってるっていうか、ちゃんとさ、お城っていう感じで残ってるのってさ、手裏城だけじゃん、結局。
まあ確かにね、本土なんてだって全部戦争でさ、壊れちゃったしさ。
そうそう。
まあまあ、そんな感じで、最後に沖縄のしまくつば、ナンクルナイサーって言葉あるじゃん。
沖縄ってなんかこの言葉がね、すごくいいなと思って、ナンクルナイサーってさ、何とでもなるわみたいな、そんな意味合いなのかなって思ったんだけど、
ちゃんと調べるとね、これって結構深い意味があって、負けずに正しい道を歩むべく努力すれば、いつかいい日が来るっていう意味らしいですよ。
すげえ長い意味だな。
そうそう。だからナンクルナイサーって単品で使わずに、本当はね、その前に、まくつそうけナンクルナイサーっていうらしいですよ。
まあそのさっきの意味なんだけど、そんな感じで今日はちょっと終わりにしたいと思います。
いい話でした。
ね、いいね。これからもやっぱりね、いい日が来てほしいね。
ね、今ちょっとコロナ禍でさ、なかなかこう旅行とかって感じにならない。
そう、沖縄もかなり大打撃受けてると思うよ。
ね、でもやっぱね、それには本当負けないでさ、頑張ってほしいね。
うん、そうそう。まあということで、今回は琉球処分についてのお話でした。
いっぺーにぺーでーびたん。
え?
くしまんっていう言葉で、本当にありがとうございますっていう意味だ。
今のが?
そうそうそうそう。いや、あの、通じてるかわかんない。
あ、発音とかの問題。
そうそうそうそう。
いや、わかんねえわ。
はい、ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。