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2024-10-08 35:33

#180 鉄道に生涯を捧げた「原信太郎」本物を追求した原鉄道模型

鉄道模型の制作、収集家として世界的にも有名な人物「原信太郎」

鉄道に生涯を捧げた彼の話をしています。

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サマリー

原信太郎は、鉄道模型の制作や収集において世界的に著名な人物です。彼は、性能やデザインに対するこだわりから6,000両を超える模型を所蔵しています。特に、彼の洗練された走行音と本物の鉄道に近い動きは、鉄道模型愛好家たちに高く評価されています。原信太郎は鉄道模型製作を通じて本物を追求し、それをライフワークとしています。彼の裕福な家庭や幼少期の経験は、鉄道への情熱を育む要因となっています。原信太郎は一生を鉄道に捧げ、情熱を込めて鉄道模型を製作しています。彼の作品は高く評価されており、横浜にオープンした原鉄道模型博物館では、彼の理想を反映した作品が展示されています。原信太郎は鉄道模型に情熱を注ぎ続け、本物を追求した人生を描いています。

原信太郎の紹介
スピーカー 1
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
あれ?この番組、いつから雑音流すようになったの?
スピーカー 1
何の音だった?これ。
スピーカー 2
え?俺には雑音にしか聞こえなかったね。
なんか、わからない。機械音だよね、とりあえず。
スピーカー 1
そうだね。これ、俺が撮った音なんだけど、
鉄道模型の動いてる音。
スピーカー 2
言われてみると、なんとなくそんな気はするな、確かに。
スピーカー 1
これね、ちょっとね、携帯から今マイク越しにやったから、
しかも、俺が撮ったやつだから、そんな綺麗な音じゃないんだけど、
実際に聞くとね、本物そっくりなの、マジでここ。
スピーカー 2
あ、何?模型なんだけれども、本物の列車みたいな感じってこと?
あ、汽車みたいな感じってこと?
スピーカー 1
そうそう。というのが今回のテーマです。
スピーカー 2
どういうこと?
スピーカー 1
今回のテーマは、原信太郎です。
スピーカー 2
うーん、全然わかんないな。
スピーカー 1
知らないか。
この人って、鉄道模型の制作とか収集家として、世界的にも有名な人なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。自分でね、作った電車とか機関車なんかが1000両以上あって、
さらに収集したものと合わせると、所蔵する模型の数って6000両ほどあるって言われてるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、撮影したその列車の写真の数も約10万枚ほどって言われる、もう膨大な数を所蔵してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
鉄道模型の特性
スピーカー 1
で、彼はさ、1番ゲージとかOゲージって言われる鉄道模型の中では、大型をメインに扱うんだけれども、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、主にね、これレール幅で決まってて、小さい順からZゲージとかNゲージ、TT、HO、Oゲージ、1番ゲージっていう、もう本当にその大きな模型を扱ってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
長丸模型って知ってた?これ。
いや、知らない。ほら、なんかさ、俺のイメージさ、そういう鉄道模型、まあなんだい、ほら、プラレールとかあるじゃん。
うん。
スピーカー 2
ああいうのってさ、お金持ちの子供が買ってもらえるもんだと思ってたからさ、俺は全然、あの、そっち系には子供の頃からね、そういうものとは完全に無縁の世界だったわけよ。
スピーカー 1
俺も子供の時、なんかそういうので遊んだ思い出はないわ。
スピーカー 2
小片郎はね、なんかほら、農村だから。
確かに。
スピーカー 1
はい。それは失礼か。
確かに。
これ、日本ではね、Nゲージっていうのが、まあ、模型の中で主流なんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この原信太郎っていうのは本物の鉄道の動きを再現するのにこだわって、中身の小さな部品までこだわるから、ある程度のこの大きさが必要で、まあ、ちょっと大きいOゲージとか1番ゲージを主に扱ってるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、鉄道好きな人って今ではさ、結構いるじゃん。
スピーカー 2
まあ、てっちゃんはすごいよね。
スピーカー 1
その中でもさ、のり鉄とか、鳥鉄、収集鉄とか、模型鉄とかいろいろいるんだけど、もうね、彼はね、すべてに精通してるっていうぐらい鉄道に生涯を捧げた人なんでね。
スピーカー 2
へえ。
スピーカー 1
まあ、そんな人を今日はやりたいなって思ってます。
スピーカー 2
あれ、ちなみに小片郎、てっちゃん?
スピーカー 1
いや、俺全然なんだよ。だから、本当にね、このてっちゃんがもし聞いてたら、ちょっと申し訳ないけど、
ただ、これはね、僕も頑張って調べたんで、ちょっと物足りないところはあるかもしれないんですけども、聞いていただけたら嬉しいです。
スピーカー 2
いや、もう小片郎からね、語られるすべての事象はみんなね、あれ感銘を受けるから大丈夫だよ。
スピーカー 1
だからね、なんだろう、模型とかこう集中して話すっていうよりは、まあ歴史もちょっと絡めたりするんで、そういうのに興味ないって人も聞いてほしいなと思って。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、これね、ちょっと僕が知ったきっかけっていうのは、今まあしばらく横浜に住んでるんだけど、
息子がさ、3年くらい前にね、あの横浜駅から近くにある原鉄道模型博物館っていうところに行ったのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そこでね、その模型に出会って、なんだこれはって、本当に大人が見てもびっくりするぐらいな感性だと、それがね、実際に走ってんのよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、すごい数だし、すごいクオリティだし、これがね、なんか個人の人が収集して、しかも制作したものもあるっていう、なんなんだこの人って思っちゃって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、若い時から晩年に至るまでの写真もあるんだけど、原信太郎さんの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なんかね、もう目がめちゃめちゃ無邪気で、こう生き生きとしてて、ずっとね、変わってないのよ、その目が。
スピーカー 2
ああ、小片郎みたいな感じね。
スピーカー 1
いやいや、俺ね、これね、本当に見たときに、高校の部活のさ、顧問に呼び出されてさ、お前の目、最近死んでるって言われて、めっちゃ怒られたんだよ、俺。
あの時さ、意味わかんない。なんで目、何もしてないんだよ。目が死んでるってだけで怒られて、呼び出されて。
なんだよ、これって思ったんだけど、この人の目を見たときに、ああ、そういうことかってちょっと思っちゃったかもしれない。
スピーカー 2
いや、小片郎の目は生き生きしてるじゃん、常に。
スピーカー 1
いやいや、いや本当にね、ちょっとそれは見てほしいなと思うんだけど、で、息子がね、なんかね、気に入っちゃってね、それから3年経ってるんだけど、もう何十回も通ってるんだよ。
スピーカー 2
えー、すごいね。
スピーカー 1
そうそうそう。なんか他のところにも行くんだけど、やっぱここの模型がいいって言うんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そこはね、なんかやっぱり音が違うって言うんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これね、ちょっとね、原鉄道模型の特徴というか魅力があるんだけど、鉄道模型の車輪とかレールにはさ、プラスチック製とかさ、真鍮製が使われることが多いんだけど、このね、原鉄道模型は鉄を使用してるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
もう本物と一緒というか。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、鉄ってさ、模型にするとさ、錆びやすくて、こまめにメンテナンスが必要で大変なんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
だけどその代わり、本物のような走行音が出たりとか、通過した後の鉄の匂いまで感じ取ることができたり、走行した部分がね、銀色にこう光ってくるっていうのもあるんだよね。
模型の技術的探求
スピーカー 2
まあだからちょっとこう、本当の鉄道みたいな感じにさ、うまく、まあなんだろう、線路も劣化していくみたいな、そんな感じかな。
スピーカー 1
そうそうそう。で、それだけじゃなくて、彼はね、模型に何を一番求めるかっていう質問に対しては、それは動きですって答えてんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
このね、本物の本当に列車のような動きを再現したっていうので、すごく有名なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
一つにね、打力走行っていうのがある。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
本物の鉄道ってさ、車体の重さとさ、摩擦抵抗の少ないさ、レールの上をこう走ることで、かなりの距離を打力で走ることができるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう、要はさ、鉄道ってさ、最小時速80キロとか、例えば一気に出力上げて、そこからさ、動力源をこう切っても、打力で走ってる期間っていうのが結構長いんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
すごいエコな走り方をするんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ブレーキをかける際もさ、すぐには止まらずに、徐々にこうスピード落として止まるっていう、その動きが特徴なんだけれども。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
ちょっと例えて言うと、好きだった人にこう振られるとさ、その思いの大きさが大きければ大きいほどさ、すぐには切り替えられないじゃん。
うん。
で、後にこう引きずるっていう打力期間があるっていうような、まあそんな感じになるかもしれない。
スピーカー 2
小片郎はそういうのあんまないもんね。
スピーカー 1
やめろよ、俺はいいんだよ。
で、これをね、模型で実現するというのはすごく難しいことなんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
単純にさ、模型はまず軽いからさ、摩擦に負けてさ、打力走行しづらいんだよね。
スピーカー 2
あー、そうなんだ。なんかイメージだと俺軽い方がいくのかなってちょっと思っちゃったんだけど、そういうわけでもないんだね。
スピーカー 1
あー、ちなみにプラレールとかってほんといじったことない?
スピーカー 2
だから俺貧乏育ちだからさ、マジでそんなん買ってもらったこともないしさ、今トイザらスとか行ってさ、ほら展示してあるやつを眺める程度だよ。
スピーカー 1
もうプラレールとかもわかりやすくて、スイッチ切ったら絶対に打力なんてしないし、すぐ止まるし。
スピーカー 2
えー、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
一般的な模型も打力走行しないのが当時は特に多かったし、今はちょっとどうなのかあれなんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これってね、あの中のねウォームギアっていうのが主流で使われてて、モーターが止まるとギアも一緒に止まるっていう仕組みなんだよ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあその方が扱いやすいっていうのがあったんだよね。
スピーカー 2
まあそうだよね。自分の思い通りに動かせるわけだもんね。
スピーカー 1
そうそう。でね、彼はね、歯車をねスパーギアって呼ばれるものに変えることで実現をしてるんだけど、小さな歯車と大きな歯車が同じ向きで噛み合ってるようなもんなんだけど。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。他にもちょっといろいろ工夫があるんだけど、そんな風にして打力走行っていうのを実現させたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でね、もう一つにね、揺れ枕っていうのがあって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
鉄道ってさ、重たい車体でかなりの速度があって、そのままカーブに行くとさ、ショックを吸収する必要があるから、外側が高く傾くような設計になってたりするんだよね。
うん。
で、それはね、車体の下の台車に揺れ枕っていうのが当時は使われてたの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これね、今ないものが多いみたいなんだけど、これを彼は模型で実に緻密に再現したんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
細かなね、板バネを何枚も重ねて再現をして、これがね、きちんと動作するのに10年かかったって言ってんだよね。
スピーカー 2
すげえな。
スピーカー 1
やばい。だってもうほんとさ、模型の見えない部分だよ、ぶっちゃけ。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
揺れ枕って知ってた?ちなみに。
スピーカー 2
いや、知らない。俺はなんか枕って聞くと小片郎だから、ちょっとそっちかなって思っちゃうぐらいだよ。
スピーカー 1
それ長丸の抱き枕じゃん。
スピーカー 2
いや、俺抱き枕はないよ。
スピーカー 1
で、あと特徴といったらね、電気の取り方なんだけども、これね本物の電車ってさ、車体上部にあるパンタグラフって言われるさ、あのものがさ、河川に触れて電気がこう供給されてくるんだけど、
うん。
ただね、これをね、模型で再現するには高度な知識と技術が必要で、基本はね、下のレールから電気を流すっていう仕組みが一般的なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、それをね、この原鉄道模型っていうのは、パンタグラフをちゃんと作って動作するようにして、実際にその上から電気を取って、河川の高さに応じても伸縮するような動きもあるのが特徴なんだよね。
スピーカー 2
うんうん。
原信太郎の幼少期
スピーカー 1
そうそう。他にもね、いろんな技術が盛り込まれてるんだけど、こういったね、鉄道模型を見たJRの研究員がね、実物を超えてるって言ったほど、もうすごい評価を得てるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
まあ、そんな彼のね、ちょっと今日は幼少期から話していきたいなって思ってます。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
彼はね、1919年、大正8年に生まれたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、生まれる時はね、難産で、医師がね、もうこれ死産だと思って母体を助けるために、切断手術のね、準備に取り掛かっていた時に、腎痛がこう始まって、無事こう生まれてきたっていう。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
なぜこれ難産だったかっていうと、4775グラムっていうね、大きな赤ちゃんだったらしいんだよね。
スピーカー 2
でかいね。
スピーカー 1
でかいよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、この原信太郎のね、一家ってすごく裕福な家庭なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
祖父がね、銅などの非金属を扱う商店で大きな財を成して、あの、裕福な家庭で育つんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、鉄道にはまるきっかけっていうのは、3歳の頃、家の近くに品川の電車区っていう、あの電車が集まっている場所があって、そこにね、行ってよく見ていたことからなんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、4歳になるとね、電車のおもちゃにも興味を持ってきて、祖母がね、おもちゃ屋にこう話をつけてくれて、欲しいおもちゃはね、つけで好きなだけ買えるようにしてくれたんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、小学校はね、慶応義塾幼稚舎っていうところに通うんだけど、これ、金持ちの子供が当時も多くて、今でもさ、入学するのが結構難しいって言われるほど名門なんだけども、
うん。
あの、松岡修造とか、桜井翔とかもここ出身らしいよ。
スピーカー 2
あ、えぇ、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそう。なんかわかる気はするけどね。
スピーカー 2
ははは、うん、そうだね。
スピーカー 1
うん。で、ある日ね、上野の松坂屋でね、アメリカのね、ライオネル社が作ってる鉄道模型を見てね、欲しくなったんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、ただその価格っていうのは、当時の価格で495円で、当時ね、首相の浜口御幸の月給がね、450円の時代だったから、
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
相当な高価なものだったんだけど、これをね、祖母がしばらくして買ってきてくれたっていうエピソードもあったり。
スピーカー 2
首相の月給をポンって買いちゃうわけか。
スピーカー 1
そうそう。いや、すごいよね。
スピーカー 2
うん、なんか小型老家だったらもうね、まぁ、いけるのかもしれないけど。
スピーカー 1
俺は農家だから。
スピーカー 2
ははは。
スピーカー 1
で、13歳頃からね、自分で鉄道模型を作ることにこう目覚めて、針金をこう曲げて、きちんと動くパンタフラフまで作れるようになったんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、その後ね、彼の興味ってどんどん膨れてって、世界中のね、鉄道に興味を持って、鉄道のね、文献とかカタログ、模型を発注するために、独学で英語とかドイツ語、フランス語、スペイン語、ロシア語なんかを覚えて理解できるまでになっていったんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
すごいなと思って、俺なんかね、語学ってさ、やっぱ目的のためっていうのが一番いいのかなと思っちゃったけどね。
スピーカー 2
でもなんか、尾形郎もさ、語学ちょっと頑張ってた時期なかったっけ?英語。
スピーカー 1
いや、だってそれがね、全然ダメなんだよね。
スピーカー 2
ははは。
いや、全然ダメっていうか、それは多分ちょっと横島な考えがあったからじゃない?
スピーカー 1
やっぱりさ、明確な目的とかなんか、俺この前友達にさ、英語喋る友達いてさ、なんで喋れるようになるかって聞いたらさ、やっぱ自分ごとにすることだって言われたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
自分がこう、今喋った日本語を英語で言ったらどうなるかっていうのを考えることから始めた方がいいって言われた。
スピーカー 2
まあそうだよね。結局、自分で使わないと覚えないんだよね。まして、もう歳とってきてるからさ、なおさらそうなんだよね。
スピーカー 1
そうそう。まあ、ここカットなんだけどさ。
スピーカー 2
いや、これは使おう。
戦時体制と家族の歴史
スピーカー 1
で、そんな中さ、やっぱ時代っていうのは1931年から満州事変が始まったりとかして、徐々に日本が戦時体制と向かっていくんだよね。
彼はね、そのことを模型の資材不足になってきたことで感じるんだよね。
そのためね、この時期の模型っていうのは空き缶とかはぎり板で作ったものがあるんだよね。
19歳の時にね、お父さんが突然亡くなっちゃって、それからね、慶応技術大学に通ってたんだけども、
彼の意思でね、東京工業大学の機械科に入学し直したんだよね。
これはね、鉄道模型を作るのに機械とか電気技術を学びたいっていう、もうそのために入ったんだよね。
1941年になってくると、いよいよ太平洋戦争へ日本は突入していって、
彼は外国語とか工業技術を勉強していたから海外の情報に精通していて、日本がアメリカと戦えば必ず負けるっていうふうに確信していたんだよね。
日本が負けたら、第一次世界大戦のドイツのように士兵なんかは紙くずになるし、
だからそのためにね、祖父を説得して、家にあるお金の大部分をドルに変えたんだよね。
ドルに変えるっていうのもさ、当時やっぱ日本で難しいことで、背後にヤクザがいるようなとこで、しかもかなり不利なレートで交換をして、
結果それがね、正解というか資産を確保することができたんだよね。
東京は危険だって言ってね、さらに1941年に静岡県の袋井ってところに一家は引っ越しをしてる。
彼はその後、東高大にいたんだけども、繰上げ卒業になっちゃって、徴兵検査を受けることになったんだよね。
検査の結果はオッツ州合格で、軍隊に配属されることになって、千葉県の市川にある野戦重砲連隊ってところに配属になった。
そこでもね、彼って結構優秀だったみたいで、大砲の座格を受けた後の試験でも図を添えて詳細に大砲の説明を書いて、中隊長から驚かれたりとか、
語学が堪能だったからさ、中野学校へ誘いが実際にあったんだって。
中野学校って言ったらさ、小野田裕男さんもさ、中野学校の出身でさ、スパイの養成学校として結構エリートな学校で有名なんだよね。
そんなある日ね、突然その重砲を倉庫に入れようと運んでたら、運んでる車輪に左足が挟まれて足先をね、念座して入院になっちゃったんだよね。
そんな時に所属してた野戦重砲連隊っていうのは、フィリピンと台湾間の海峡を移動中に沈没しちゃうっていうことが起こった。
ここで全員一緒にいた部隊っていうのは亡くなってるんだよね。この原さんだけが助かったっていう。
それから彼は足が良くなってきたんだけども、診察を受けるたびにね、軍隊に行きたくないから骨折を装ったんだよね。
このようにさ、当時けびょうを装う人たちって他にも多かったらしくて、徹底的な検診が始まったんだって。
原さんも診察室でレントゲンを取られて骨折してないことが分かっちゃって、軍医にけびょうのことを叱られたっていうのがあって。
その時に彼は腹をくくって正直に話して、僕はこの戦争に勝ち目はないと信じています。
高台で技術を学び、アメリカと日本の技術力の違いを知っている。
軍隊の政府は嘘に嘘を塗り重ねて日本国民の命をもてあそんでいます。
このまま軍隊に入って死ぬなら、ここで腹を切って死ぬっていうことを言って隠し持ってた担当を出して、その場で死のうとしたんだよね。
軍医からね、でもこれは止められて、さっき高台って言ってたけど、どこの出身っていうのを聞かれて東京高台の機械科っていうのを答えると、
偶然その軍医の弟と同級生だったんだよね。
そんなことからね、助けてやるからしばらくじっとしておれって言われて、病名をその後肺結核にしてくれたっていうエピソードがあったんだけど。
それから翌年、小病状態として、戦争はいかなくてよくなったんだよね、彼は。
国用への入社と業績
スピーカー 1
こんなことがあって、これを機械に全国の鉄道に乗って撮影をしたっていう、そんな戦事化を過ごすんだよね。
1945年終戦になると、その頃ね、よくね、慶応大学時代の同級生だった黒田君っていう人がいて、その家にね、大阪だったんだけどしばしば遊びに行ってたんだよね。
とんでもなく変わった男がいるっていうような紹介を家族黒田家にはされて、
その子のね、父がなんとね、黒田善太郎って国用のね、創業社長だった。
文房具の会社で有名だけど、そのね、父とも一緒に麻雀したりするようになったりとか、そういう交流があったりしたんだよね。
その縁で、黒田社長の娘三子さんとね、その後結婚することになったんだよね。
この原さんはそのまま社長に誘われて国用へ入社をして、そこでね、製造技術の自動化を研究開発したりとか、
海外のね、最新への印刷機械を導入する仕事を依頼されて、頻繁に海外こう出かけるようになる。
その中でもさ、やっぱ大好きな鉄道写真とか映像をたくさん撮って、今日記録がいっぱい残ってるんでね。
仕事とね、プライベート合わせると、もう延べね、これホームページに書いてた数字で約380カ国訪れてるって書いてあったんだけど、
この数はあれかな、同じ国に複数回行ってるのも多分入れてんのかな。
延べだからそうだね。
スピーカー 2
そうそうそう。
スピーカー 1
で、彼のね、肝心のその仕事の実績っていうのもすごくて、会社にね、和服が好きだったから着流しでこう出勤してたらしいんだけど、
入社してからね、出勤簿をつけたことがないんだって。
どういうこと?
出勤しただけでお金をもらうっていうことが、彼は気に入らなかったみたいで。
あのもうギブアンドテイクが彼の心情で、会社にはギブをしてその分の報酬をもらうっていうような、そんな考えだったんだよね。
で、どんなギブをしたのかっていうと、副車房の印刷製造機の自動化の開発を行ったりしてるんでね。
副車房ってカーボン紙を挟んで使う帳表なんだけど、これをね、ドイツとかイギリスの印刷機を参考にして一貫生産できるように約3年間試行錯誤して完成させてるんだよね。
その後さ、国有って結構副車房独占することができて、そういった中には彼の活躍もあったんだよね。
あとはね、1950年代頃に世界初のね、全自動倉庫っていうのを発明してるの。
当時はね、コンピューターもまだまだ発達してない頃で、鉄道好きを活かしてね、アメリカのペンシルベニア鉄道の自動管理システムっていうのからヒントを得て作ったのがこれなんだよね。
そう、倉庫の棚にアドレスを付けていって、そのアドレスへ物を出し入れするように管理をして、このことでね、リアルタイムで在庫状況がわかるっていう画期的な発明だった。
これね、その当時特許申請を忘れちゃったことで、世界中にね、普及したっていうのもあったんだよね。
鉄道への情熱
スピーカー 1
ある意味、物流の革命を起こしたっていうことなんだけど、そんな活躍もあって、彼っていうのは技術部長から常務取締役にもなって、69歳まで国有に勤めたんだよね。
仕事をこんな風にやりながらも、やっぱり一番に情熱を注いだのは鉄道で、彼の作ってる鉄道模型にはシャングリラ鉄道っていう名前を付けてるんだよね。
これはね、イギリス人作家の小説の失われた地平線の世界に登場する理想郷の名前なんだけど、架空の話で。
彼はこの理想の鉄道の世界を作るために、いつも自分の自宅で深夜まで作業していたんだよね。
一番切符を集めることにも情熱を注いでるんだけど、これ一番切符って、新しく開業した路線で売り出す切符の投資番号が0001で始まるもので、これを手に入れるために早くから並ぶ必要があるんだよね。
例えば東海道新幹線の一番切符を東京発と大阪発それぞれ両方手に入れてるんだよね。
大阪駅でここの構えから並んで手に入れてるんだって。
スピーカー 2
それ並べてるのかな?
スピーカー 1
やばいよね。ライバルも結構いるんだって。
でも一番じゃなきゃいけないから。その間にしかも会社を休んでるっていう。基本は鉄道優先に生きてたんだよね。
スピーカー 2
なんか素朴な疑問になっちゃうけど、トイレとか飯とかどうしてたの?
スピーカー 1
すぐ油断したら取られちゃうとか言ってたから。
スピーカー 2
動けないわけでしょ?基本的には。
スピーカー 1
それかあれなのかな?誰かいたのかな?
スピーカー 2
代わり番号としか思えないよね。それ多分誰か協力者がいたんじゃないかな?
スピーカー 1
でも誰もいなかったような気がするね。
スピーカー 2
9日間トイレはいけないから垂れ流しで、食べ物持ち込んだとしてもなかなかじゃない?
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
考えるとすごいけどね。
スピーカー 1
しかも原信太郎さんだけじゃなくて、北陸トンネルの開通時に彼ってヨーロッパへ仕事で行ってたから一番切符が取れなかったんだよ。
でも家に帰ってきたら机の上に一番切符が置いてあったんだって。
これは妻が自ら夫のために思って3日間も並んで手に入れてくれたっていうエピソードがあって。
スピーカー 2
すごいね。
スピーカー 1
これは嬉しかったって言ってた回想があったんだけど。
彼は生涯で一番切符で20数枚ほど集めてるんだよね。
こうした家族の理解とか支えがあって、彼の鉄道に優先的に情熱を注ぐことができたんだよね。
家族の理解と支え
スピーカー 1
一方家族ってこれどんなふうに思ってたかっていうと、娘さんの言葉だとね、パパという呼び名の一緒の家に住んでいる親しいおじさんっていうイメージなんだって。
常に鉄道優先の生活だから一緒に家族と他のことで遊んだりとか過ごすってことが本当にほぼないんだって。
子供も触りたいじゃん模型見ると。
でも一切大切な模型には触らせないっていう厳しい態度で。
でも子供たちがこんな模型があるから僕たちのことを考えてくれないんだって言って金槌を持って壊しに行こうとしたんだって。
ただそこでお母さんに説得されて渋々諦めたっていうようなエピソードがあるんだよね。
こんなふうに家族断乱で最後晩年話してるって映像があって、そっからちょっと今回参考にしたんだけど、
その時は辛かったこともあったんだろうけど楽しそうに回想してるのよ。
みんなその家族が原信太郎っていう人をある意味も尊敬してるっていうのが本当に見て取れて、
こういう家族の在り方ってあるんだなって思っちゃった。
彼は晩年2012年に横浜に冒頭で行った原鉄道模型博物館っていうのをオープンさせてるんだよね。
これ息子さんがお父さんを説得して、彼が生涯捧げて作った作品の中から約1000点を厳選して展示してあった。
それから95歳で亡くなってるんだよね。
模型文化と評価
スピーカー 1
この原鉄道模型博物館で有名な一番鉄模パークっていうジオラマがあるんだけど、
室内の一番ゲージが走るジオラマとして世界最大級の大きさを誇ってるんだよね。
スピーカー 2
これ本当に初めて見たときはびっくりしたね。
スピーカー 1
ヨーロッパの街並みを主に作り上げてるんだけど、
朝とか時間も変わってって夜になったりとか、すごい明かりも綺麗だったりとかこだわってて、
もちろん模型もすごいこだわって作ってるんだけど、
こんな原鉄道模型って世界的にも評価が高くて、
例えば台湾では鉄道模型展を開催して大盛況だったりとか、
香港では鉄道カフェっていう食堂列車があるんだよね、実際に。
これは原さんが作った模型の箱根登山鉄道を本物のサイズにした列車があって、
その中で飲食ができるっていうスペースがあるんだよ。
ここは本物を参照せずに、この模型から作成してるっていうのが特徴なんだよね。
最後に紹介したのは、ある列車って名付けられた鉄道模型があるんだけど、
これは1906年に九州鉄道がアメリカのブリル車に発注した豪華列車なんだよ。
ただ列車が納品された時って九州鉄道は国鉄に買収されていて、
一度も運転せずに九州車両に改造されちゃうんだよね。
1906年に日本は鉄道国有法が交付されて、国が鉄道一元で管理した方がいいっていう考えから、
17あった私鉄を買収したんだよね。
走ることなく消えた幻の豪華列車なんだけど、それをたまたま原さんが少年時代に偶然見ていて、
それをスケッチしてたんだよね。
それをもとに、またさらに彼の理想のイメージも加えて、10年間かけて模型化したっていうのがある列車なんだよね。
外装には辛草模様があしらわれてたりとか、金色の車体にステンドグラスまで付けたりとか、
車内には白いグランドピアノがあったり、とにかく細部までこだわった模型なんだよ。
これってさ、模型制作で彼って無駄を排除して、建設費が安くて効率の良い鉄道を好んでたんだよ。
ただ、このある列車に限っては、一見鉄道には無駄と思われるような豪華な外装で、
そこに彼の中にもう一つの理想の世界があったんじゃないかなっていうのを考えさせられるんだよね。
そのある列車を見た九州鉄道が、実際にその模型を走る列車として2015年に再現したんだよね。
これは今でも博多と岐阜印鑑を走ってる列車なんだけど、多分九州の人だったら知ってんのかな。
これ大人ね、最低3万5千円から売ってるんで、ぜひ長丸も。
スピーカー 2
3万5千円?
スピーカー 1
そう、食事付きなんだけどね。
スピーカー 2
いや、高すぎだよ。
あれだよね、ブルジョワじゃないと買えないね。
ちょっと3万円かかるのはきついな。
スピーカー 1
やっぱり貧乏なんで。
それぐらいすごい列車だよ。
スピーカー 2
まあ、ちょっとお金がある方向けだね。
スピーカー 1
ちなみにね、去年のクリスマスに子供にある列車の金ホルダーだけあげたんだよね。
金ホルダーも実際に乗らないと買えないやつなんだよ。
スピーカー 2
乗ったの?
スピーカー 1
メルカリで買えるんだよ。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
最後にまとめるとさ、この人ってやっぱり生涯好きな鉄道に情熱を注いで、それを貫いた人生なんでね。
彼の言葉でさ、私の一生は鉄道に始まり、鉄道に終わろうとしていますっていうのを言ってて、
こういうことってさ、そうはできないなと思って。
ずっとさ、子供の頃からさ、しかも晩年に至るまで同じ無垢な目をしてるんだよ、本当に。
あの目見た時に、これはただもんじゃないと思っちゃって。
そうそう。
それを見て思ったのがさ、残りのその人生の時間を何に使おうかっていうのを考えさせられたね。
っていう回でした。いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
ちなみに、小片郎は何に使おうと思ってんの?
スピーカー 1
いや、それがさ、もう何に使おうかって考えてる時点でさ、多分もう俺は何もないんだろうなと思っちゃったね。
スピーカー 2
小片郎はあれだよね、選択肢が多すぎるから困っちゃうタイプだもんね。
スピーカー 1
いやいや、なんかね、これもう本当にさ、恥ずかしい話でさ、うちの親にさ、聞いたことあったんだよ。
子供の時とか何が俺好きだったんとか聞いたらさ、
なんか俺に関してはもう何にもほぼ興味がない子だったって言ってた。
スピーカー 2
いいね。ネタとしては最高だよ。
スピーカー 1
ずっとなんかぼーっと一点を見つめてるような子だったって言ってた。
やべぇ子じゃん、ちょっと。何なんだよ、それって。
そうそう、いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
俺は今の小片郎の最後のオチで良かったんじゃないかと思ってるけど。
原鉄道模型博物館はちょっと行ってみたいなって思ったね、この話聞いて率直に。
スピーカー 1
そうだね、横浜って言ったらさ、赤レンガとかさ、港未来、中華街とか行きがちなんだけど、
この原鉄道模型博物館に行くっていう通な楽しみ方もしてもいいかもね。
スピーカー 2
横浜ってあたりがもう俺そもそも通だなって思っちゃうんだけどさ、俺からすると。
スピーカー 1
あ、そう?
スピーカー 2
神奈川に住んでる人からしたら横浜は行きやすいのかもしれないけど、俺そうじゃないからさ。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
一日がないじゃん、しかも俺東京またいで行くからさ、
大体東京で用が済むじゃん、横浜じゃないとないものっていうのは、
観光って意味じゃあるけどもちろん、何だろう、わざわざ行かないよね。
スピーカー 1
確かに。で、ちょっとさ、これ実は裏のテーマがあってさ、裏というか、
ここ最近の僕、山下清、スニオン、で、この原信太郎なんだけど、
うん。
なんか共通点あるの分かる?
スピーカー 2
共通点?
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
え、何、テーマの共通点ってこと?人の共通点ってこと?
スピーカー 1
テーマではない。
スピーカー 2
人も共通点。
スピーカー 1
人だね。
スピーカー 2
男。
男。
スピーカー 1
まあなんかさ、ほぼ同世代なんだよ、この3人って。
うん。
そうそう、同じような時代に来て、
やっぱりこう、二十歳になったと徴兵検査が戦時中にあった人たちで、
で、それぞれのさ、戦争に行った人、行かなかった人、行ったけど途中で怪我で離脱した人とか、
それぞれのさ、なんか人生があるなと思って。
スピーカー 2
まあでも確かにそうだね。
いろんな、だからその当時生きた人もいろんな人がいてさ、
やっぱり一触ではさ、染まらなかったというかさ、
そういういろんな生き様、生き方があったっていうのは、なんかこういうところからも分かるよね。
スピーカー 1
そうだね。
まあちょっと、この3人はある意味特筆しちゃってるけどね。
だいぶ一般的な生き方ではないかもしれないけど。
うん。
いやでもお金持ってたらさ、何だろう、何にもしなくてもぶっちゃけいいっていう暮らしもできるっていう選択もあるわけじゃん。
うん。
こう、虎の毛皮の渋滞にさ、二匹ヘビこう首に巻いてたりとか、
そういったさ、なんか生活でもいいわけじゃん。
スピーカー 2
二匹ヘビは巻かないだろ。
原信太郎の情熱
スピーカー 1
いやでもなんかそれもさ、やっぱすごいなと思って、
なんか彼自身の何なんだろうね、この原動力って一体何なんだろうって本当に思っちゃった。
スピーカー 2
まあお金があるから、その好きなことに前振りできるっていうところだよね。
スピーカー 1
まあそれはあるだろうね、正直。
うん。
スピーカー 2
お金がなかったら、まずお金を稼ぐところから始めるから、好きなことやってる場合じゃなくなるからさ。
そうだね。
まあでも、
だから前提としてやっぱお金があるっていうのがすごい大事なことだよね。
うん。
スピーカー 1
前提としてやっぱお金があるっていうのがすごい大事なことだと思うよ。
うん。
スピーカー 2
でもグッドルッキンガールとかをこうはぶらしたりとかしてないわけよ。
それは小片郎の、
スピーカー 1
それは小片郎のさ、金持ちのイメージでしょ、完全に。
いやいや、なんか旗から見たら過酷な深夜まで作業してっていうのを思っちゃったけど、
なんかそれだけ好きなんだなって本当に思っちゃった。
うん。
そんなわけで、今回は原信太郎でした。
番組の締め
はい。
スピーカー 1
もしよかったらこの番組をぜひフォローしていただいて、また次も聞いてくれたら嬉しいですし、
この回聞いた後も他の回もね、打力で聞き流してくれたら嬉しいです。
スピーカー 2
ここで打力出たか。
スピーカー 1
ということで最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
35:33

コメント

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