1. INTERVIEW │ インタビュー
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2023-06-27 28:21

#86:特攻隊からの生還 │ 中村優さん(100歳)【中編】

■90分のフルバージョンはこちら(『戦争の記憶』) https://youtu.be/r6QN6BWTzoo

▼今回のインタビュー 戦時中に特攻隊員として出撃の命令がくだるも 期せずして命をつなぎ止めた中村優さん。 大正11年11月23日生まれの100歳。 逝ってしまった仲間たちを想い続ける人生とは──(2023年4月取材)

▼「戦争の記憶」とは 戦争体験者の声を肉声で残すプロジェクト。 2013年より早川洋平が全国各地でお話をうかがい、映像や音声で配信。 http://memories-of-war.com/

■証言者ご応募ページはこちら http://memories-of-war.com/witness-and-volunteer/

▼【聞き手・早川洋平プロフィール】 はやかわ・ようへい/新聞記者等を経て2008年キクタス株式会社設立。羽生結弦、髙田賢三ら各界のトップランナーから市井の人々まで広くインタビュー。近年は欧州を中心に海外取材を本格化するいっぽうで、戦争体験者の肉声を発信するプロジェクト『戦争の記憶』にも取り組む。公共機関・企業・作家などのメディアプロデュースも手がけ、キクタス配信全番組のダウンロード数は毎月約200万回。累計は3億回を数える。『石田衣良「大人の放課後ラジオ」』『横浜美術館「ラジオ美術館」』などプロデュース多数。 近年はユニクロやP&GなどのCMのインタビュアーとしても活動している。 https://linktr.ee/yoh.haya

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サマリー

「特攻隊からの生還 │ 中村優さん(100歳)【中編】」は、日本の特攻隊員としての体験を語る中村優さんの物語です。中村さんは特攻には参加していなかったが、松根油を使って飛行機を飛ばす任務に成功しました。彼が不時着して爆弾を残して生還したことは伝説的です。また、ゼロ戦の訓練中に落下したことで、命を拾った経験もあります。4月3日の特攻隊の命令が下った日、中村さんは最後の食事として味噌汁とご飯を食べ、手紙を書いて死を覚悟しました。

特攻隊の出撃命令
──出撃命令が来ました。そうすると怖いというよりも、もう国のためにやってやるぞっていう気持ちだと思うんですけど、──そうです。
──さっきのパイロット偵察通信のその3人一組で出撃する前日にぶっ倒れてっておっしゃってましたけど、その出撃の命令があるじゃないですか。──はい。
──命令からその出撃の前日までっていうのは何日間あったんですか? ──いや、一晩だけでしょ。
──もう一日だけ、明日行けっていう感じ? ──いや、出撃命令は12時5分にあったわけです。
──日にちも覚えてます? ──いや、書いてある。 ──4月の、もし覚えてたら。
──10日経ってから、また100人の部隊に帰ったんですよ。 ──はいはいはいはい。
──ここにどっか書いてある。20年…これが時間。 ──4月3日。
──4月3日の12時5分っていうのは、お昼の12時5分ですね。 ──夜です。
──夜中の12時5分に指令が下るんですか? ──そうです。昼間だったら、向こうの敵にやられるわけじゃない。
──その12時5分、夜中に指令が下って、もうすぐ行けってことですか? ──そうです。
──じゃあ前日とかに、お前たち明日行けとかそういうことじゃなくて。
──だからその時間を与えて、みんな書くのを書くわけです。 ──そうですよね。
──で、私が加藤圭一というのは、マフラーを持たないと言うから、じゃあ俺のマフラー、女の人からもらったのがあったから。
──中村さんが。 ──それを持って行けって。
──あげたのを覚えたとね。 ──あ、それは出撃する…
出撃の前の準備と手紙
──いや、一緒に出て行ったけど、ここに。 ──あ、その3人のね、他の一緒の。
──12時5分に出撃命令が下って、書くものを書くというのは手紙を書く。 ──その前に書いてる。
──12時05分には出撃しろっていう時間なんですね。 ──そうです。
──じゃあその前に、出撃しなさいっていう命令もあるわけじゃないですか。
──4月3日の12時05分に出撃しなさいっていうのを何日か前に言われてるわけですか。
──いやいや。 ──いつ言われてるんですか。 ──いや、その時ですよ。
──その1時間前とかに当然言われてるとか、2時間前に言われてるとか。 ──あ、明日。
──あ、よかった。それが知りたかった。じゃあ前日に言われてるわけですね。 ──そうですよ。
──4月2日に言われてるってことですね。 ──そうですね。12時5分にはもう出発だから。
──それは本当に細かい話ですけど、その12時5分の12時間ぐらい前に言われてたのか、もう3時間ぐらい前に言われてるのか。
──いや、その前。だから心の準備はできない。駆け抜けをしておるわけです。
──じゃあそれはもう12時5分の1時間ぐらい前に知らされたんですか。どのくらい前ですか。
──明日ということで言われて、その明日の命令が12時5分だったということです。当時の命令は。
だから私たちは前の日に燃料を積んで、それから鹿児島まで飛んで行って、燃料をまた積んで、ということです。
──前の日に行ったってことは、何日か前にそこに行くように集合がかかってるってことですか。 ──そうです。
──ということはその集合がかかった何日か前の時は、そこで初めて集合がかかったって知ったわけですよね、中村さんは。
──出撃するということですね。 ──という命令が下ったわけですよね。
──命令というよりも、時刻じゃないんです。だからどこのところに集合せろということで、集合時刻。
──その時に、さっきの手紙、書き置きという、それは中村さんは誰に対して書いたんですか。
──これ。 ──さっきのマフラーの彼女。
──彼女。 ──それは奥様ではないんですね。 ──奥様はいなかった。
──その後その方が奥様になったというわけではない、また別なんですね。 ──違う、全然。
──その時に、例えば差し支えない範囲でいいんですけど、どういうことをお手紙に書かれたんですか。
──例えば、無事に帰ってきたらみたいな話をしているのか。 ──みんなそうですよ。
──だけども、全部が全部、そこまでは書かない。
──もうどうせ飛行機であれ飛行機で行っても、途中で落とされるかもわからないし。 ──劇通り。
──もし戦死した場合は、と書くだけ。
──中村さんは何て書いたんですか。
──私?私は死ぬのは当たり前だと思っていたから。
──別れの挨拶だけ書いたんですか。
──その前は言ってあるから。言ってあった。
──彼女には弱かったけど、飛行学生の時の下宿が今でもそうだけど、もうみんないなくなった。
──一番上のお姉さんが、私よりも3ヶ月、9月生まれだったから。
──それが両方、面倒見てくれたわけ。その次が二つ下。その次が三つ下だけど、これは彼氏が売った。
──それからその次は売ったけど、これはもっと年が離れた。
──だけど一番両方してくれたのは、姉の方。
──あ、そうなんですね。その方に対して手紙を書いた。
──そう。おふくろだね。向こうのおふくろ。私のおふくろでらしい。
──そうなんですね。お世話になってたんですね。
──それはじゃあ、込み入った話ですけど、中村さんの中ではもう生きて帰ることはないだろうって思って書いてる。
──みんなはそう思ってる。
──その時に彼女だったり彼女のお母さんだったりってあると思うんですけど、当然実のご両親も中村さんいるわけですよね。その時もお元気だったんですよね。
──そうそう。俺はまだ若いから。
──ご両親に書こうとかは思わなかったんですか?書くまでも別に書く必要はないかなみたいな感じだったんですか?
──いや、そこまで書く余裕がなかった。
──実際その手紙に書いたのは彼女と彼女のお母さん前だったと思うんですけど、どうしても僕らというか僕は体験したわけじゃないので、復興隊っていうと最後その手紙を書く時も、
──本当は死にたくない、戦争にそもそも行きたくなかった、だけどお国のためにって言ってるけど怖いとか、いろんなこういう手紙とか残ってる本もあるじゃないですか。
──そう。
──多分人それぞれなのかなと思うんですけど。
──そりゃそうですよ。だけどもその時は精神教育ということで、お国のためにということが基本精神だった。自分勝手なことはなかなか表現できなかった。
──それは心の中でも抑え込んでるというよりも、もう麻痺していった感じなんじゃないですか。
──そうです。
──本当にこんな戦争とか、例えばなんか上層部のせいでなんで俺たちが特攻隊行かなきゃいけないんだとかそういうことも。
──余裕がない。
──ほんのちょっとはなんか、ほんのちょっとは実はちょっと疑問に思ってたとか、その当時はないんですかもう。
──もう徹底的に教育されてた。
──中村さんの感覚ではおそらく周りもみんな同じだった感じ。
──私よりももっと強かったんじゃないかなと。
──その気持ちが。
──そう思います。
──じゃあさっき話した加藤圭一に、私が別の人からもらったマフラー、加藤に渡してやったことも。
──いや、今の人とはそこが違うんですよ。
──徹底的に精神的教育を受けてやる。
──そうすると、精神的な教育もあると思うんですけど、とはいえ、いざ特攻隊に行くという風になったら、
──さらにもう一個別の、明らかに死の階段が近づくって思っちゃうんですけど、あんまり変わんなかった。
──変わらんですね。おそらく陸軍も海軍もみんな一緒だったと思いますよ。
──その時に、やっぱり上層部とかが隊員の恐怖心を和らげるために、覚醒剤、ヒロポンとかそういうのを結構隊員が使ってたんじゃないかっていう風に、
──いろんなところで見るんですけど、実際そういうのは特になかったんですか。
──私はそんな感じなかったです。
──周りも使ってない。なんかそれが支給されたみたいな話もあったりもしますけど、少なくとも中村さんの隊にはそういうのはなかった。
特攻隊の心構えと最後の食事
──出撃する直前の最後の食事、最後の晩餐、結果的に生存されたのであれですけど、最後の食事って何だったか覚えてます?
──何かわからんけど、もう味噌汁ですよね。ご飯と。
──なんか出撃される隊員には特別なそういう振る舞いがあったみたいなものも本とかだと書いてあるんですけど、実際そんな変わらなかったですか?普段と。
──場所によってはそういうのもあったと思いますよ。
──中村さんの場所は?
──そんなの余裕がなかった。
──ひょっとしたらちょっと特別なもの出たかもしれないけど、その記憶もあんまりない?
──ないですね。私たちが成立した学校、もう臨時に飛行機が、離陸着陸ができるだけのことだった。もう飛び上がったらおしまいだと意識した。
──そうですよね。さっきの、もともと教えるほうの教官とかの人たちだから、最後の最後ってところですね。
──その3人一組の中で、中村さんはそうするとパイロット偵察通信?それのパイロットですか?やっぱりパイロットですよね。
──ずっとパイロット。
──それまでは実戦経験っていうのはそういう意味ではなかったわけですか?
──ない。
──不安とかはないってことですね。麻痺してたわけですね。
──不安というか、それはアメリカの飛行機が飛行場に来た時に、自分のほうから機関銃を撃ったからね。射撃をしたから。
──それはいつですか?それは特攻隊の前ですよね。
──そうそう。もうその頃は私が出撃する頃には、あっちの飛行場こっちの飛行場ってもう敵機が来たからね。東京に爆弾を落とした。当たらなかったんだろうなぁと思ってるだけで。
──そういう意味ではそれ実戦ですよね。
──そうなの。向こうも来るしね、こっちもそれに向かって撃つんだよ。
──4月の3日か、12時05分に集合と。その集合しなさいって言われた場所は鹿児島?
──鹿児島の、今は飛行場が高いところに鹿児島あるけども、あれの飛弾弾の小学校。
特攻直前の失神
──そこに行く前に、行ってないんですよね。結果的に倒れちゃった。そこまで行ってから倒れたんですか?その鹿児島に集合する前はこっちの土浦の方にいたんですか?
──その小学校。
──もうそこまで行ったんですよね。
──行ったんです。
──行って、じゃあいざっていう時にぶっ倒れちゃった。本当にもうその飛ぶ直前に倒れたんですか?
──そうなの。飛び上がるね。
──倒れたっていうのは、本当に失神しちゃったのか、意識はあるけどフラフラと倒れちゃったのかどういう感じでした?
──意識がなくなった。
──そうなんですか。やっぱり極度の緊張とかだったんですかね。原因はわかったんですか?
──わからない。
──今もわからない?
──生き残ったんだから、不思議だなということじゃないですか。失神。
──本当に直前?
──整列してるとき。
──そうですよね。整列はこれからっていうところで失神したと。
──出撃しようというときにぶっ倒れちゃった。本当不思議なの。
──失神なかったら文字通り出撃してますよね。
──他の二人もどうなったかわからない。他の飛行機でまた行ったかわからない。
──そして目が覚めたら翌日?
──2、3日経ったと思うけどね。
──その後は元気は元気だったんですか?
──それがね、1週間経ってから、一吉から、昔は婦人会というのがあって異聞に来た。
──夜中に送って出された横田に行くときに、その者が異聞に来たのに、
──一吉出身ですよと言うわけにはいかないでしょ。嫌だから隠れと。そういうこともある。
──その失神して目を覚ましたとき、最初に何を思いました?
──そもそも事態が理解できたのか?ひょっとしたら自分は特攻隊で出撃して、これは死んじゃった後なのかって思ったのか?
──いやいや俺は倒れてみたいな、すぐわかったんですか?事態を理解できました?
──病気だったからね。
──病気。
──だからそれは素直に、次のチャンスにまた行けと。
──もうその時に言われたから。
飛行機の完成と終戦
──次の機会に行きなさいと。
──一応部隊に100人まで帰って、それからまた次の機会に行くんだよ。確かに次の飛行機も準備した。
──そうなんですね。結果的に行かなかったから、もちろん今ここに中村さんいらっしゃると思うんですけど、
──そうそう。
──次の機会が訪れなかったってのは訪れる前に戦争が終わったってことですか?
──あったよ、まだ。
──機会があった?
──横須賀。横須賀の部隊に転勤した。
──何月のことですか?
──1ヶ月ぐらい。
──5月とかぐらい。
──そうそう。
──横須賀行って、また出撃を待つ感じですか?
──そう。それは今の新しい飛行機、7249のキッカという飛行機。
──キッカ。
──この飛行機のために待ってた。
──はい。
──だけども、今度は飛行機ができなかった。
──完成しなかった?
──なかなか。
──それはもう終戦直前で疲弊して作れなかったってことですね。
──分からんなぁ。
──部隊の方だけは焦っておったけども、現場の方はなかなか。
──テスト側はうまくいかなかった。
──7249の部隊というのは怪しげな部隊です。
見せていただいてもいいですか?
──どうぞ。
──これが結局このキッカが出来上がらず、横須賀で待機したまま、そのまま終戦ですか?
──いや、そのまま日立が立つから。
──立ちますよね。
──で、原体に帰ると。
──あっ。
──原体というのが、この7249航空隊が三沢の一角にある。
──三沢。
──飛行場。
──で、こっちでしばらく待っておった。
──うん。
──そしたら終戦だった。
──なるほど。三沢?
──うん。
──で、待ってる時は、いわゆる具体的なこの横須賀の時みたいに、このキッカを作ってて、いつか飛び立つ準備みたいな具体的なものは見えてなかったってことですか?
──できたらということで、その部隊の陣容は確保はできるんですけども、
──実際は完成はしなかった。
──飛行機は、救急式環状爆撃機を使って訓練はやっております。
──訓練っていうのは、これ特攻機ですよね。特攻隊で実際使うための飛行機の、キッカ自体は完成してないんですけど、訓練機はあったってことですね。
──もう救急環状爆撃機、それを使って、磁力、それから効果の訓練。
──それは一人乗りだったんですか?それも三人乗りなんですか?
──一人、パイロットは一人。それから後ろは偵察員。
──そういう意味では、また三人乗れるやつなんですね。
──そうです。
──それが基本なんですね。
──そうです。だからそれで、訓練をやってます。
──最初の特攻の直前で失神されて、その後また待機する。いつ飛ぶかわかんない。
──僕らからすると、極度な緊張状態にずっといると思うんですよ。数ヶ月、どう考えても。普通じゃないですよね。今から考えたら。
──やっぱり当時の中村さんからすると、さっきの話に戻りますけど、もう叩き込まれてるから。
──緊張はしてたのかもしれないけど、自分が恐れて緊張してる、普通じゃないっていう感覚はもうないわけですね。
──そうですよ。みんなそうですよ。今でも、あの時はこうだったかなーっていうのは、反対をする人がおったとしたら、えー、そりゃあおかしいよ。
──うん。
松根油を使った任務
──いうことになるとね。昔の人は、僕のためだから。
──ひょっとしたらね、中には本当はちょっと反対もちろんしてたり、気が済まなかったり、いたかもしれないけど、
──そうそう。
──でも当然、すごい少数派だし、少なくとも中村さんはそういう気持ちもなかったってことですか。
──うん。そこはなかったし。
──あー。
──もう、そのように徹底して、飛行機の操作も攻撃精神もちゃんと指導しておったから。
──なんかそんな中で、戦争中ですけど、日々のその楽しみとか、なんかちょっと関心事とかってなんかありました?
──例えば、サンドの食事だけが楽しみだったとか、なんかもう楽しみっていう概念すらなかったのか、意外とこの時間はちょっと好きだったとか。
──息抜きでも楽しみでもなんでもいいんですけど。
──何もないなー。その当時は、いかに向こうの飛行機は機関に追って飛行機が飛んできたならば、そんなことで死んだらいけないということ。
──はい。
──だから影に隠れるとか。
──はい。
──だから大きな木の影に隠れるとか。
──うん。
──そういうのはやったけども。
──うん。
──まあ今考えても、そんな余裕なかった。
──うーん。
──まあそういう意味では迷ったり、悩むとかってことはあまりなかったってことですかね、ある意味。
──ないですねー。みんなが死ぬんだったら、自分だってちゃんとお国のために。私たちの入隊した当時からの精神教育で言ったら、そんな余裕がなかった、考えが。今の人は不思議ではならんかも。わからんけど。
──いや理屈としてはね、わかるんですけども、本当にそういうふうに。
──そうですね。
──今のスポーツ選手と一緒ですよ。
──ああ、そうですよね。アスリート。
──ええー。不思議でならんだな。
──じゃあそういう意味ではなんて言うんでしょう、そのヨカレンに入って、
──まあ終戦までだいたい4年ぐらいあったと思うんですけど、どうです?そういう意味ではあっという間って感じでした?
──無心であんまりもう長かったなとか、早く終わらないかなとか、怖いとかっていう感じじゃなくて、あっという間に過ぎ去った4年って感じ?
──そうそう。そんなわくべも振らず、もう自分の一生懸命やるだけでやったから、ということですよ。
──お越しは。
──みんな一緒じゃないかと思うんだけどな、当時の人は。
──今日お話を伺う前にご紹介くださった方から、3回命を落としかけた。つまり命拾いした。
──1回はさっきの特攻直前に失神して、1回ってのあると思うんですけど、3回あるって聞いたんですけど、あと2回命拾いした機会があったんですか?
──ありましたね。
──差し支えなければ後の2回はどういうことで命助かったんですか?
──1回はね、これは戦後書かれてないけども、松根油。松の根っこを削って、松屋根を出して、それを生鮮して、飛行機の燃料に。
──油ですね、松根油。
──そうです。
──飛行機の油って飛ぶんですか?
──だから、それを使って私が海の上を、敵の潜水艦が10月の20日だった。
──それは昭和19年とかですか、前年とかかな、終戦の前の年ですかね、もっと前。
──もうギリギリ、その時に使い方としては、燃料タンクが4つあって、通常は離陸、着陸の時はそれを使ってはいけないよということで、離陸の時には普通のガソリンを使って、上がって、
50回入り、30回入り、また逆に50回入りを飛んで帰ってくる。そして着陸前の旋回をして着陸するんだよ、というやり方。
そのつもりで着陸前の燃料切り替えをしなくて、燃料切り替えをしようとしたら変わらない。壊れている。
いやー困ったなーというわけで、周りはこれをやりながら時間を潰したけど、もうだんだん燃料がなくなって、どんどんどんどん降りていくわけ。
時が10月ということは、みんな田んぼが入れ替わりで、でもみんな田んぼに出ているわけです。危ないしね、救急艦爆は核が丈夫だ。
何してる、この爆弾を積んだまま。
不時着するかみたいな。
特攻隊からの生還
そうなの。だから土手に引っ掛けて降りる以外ないやないということで、不時着して爆弾がそのままだってよかった。
その時の偵察員が乗っていたのが後ろの交差駅で、コラーッと殴って、そして起こして。
気を失っていたということですか。
そうなの。田んぼの人たちがみんな集まってくるしね、その人たちを危ないから、ということで爆弾の関係。
それでシールドを置いて、今みたいに電話出ちゃうと部隊に電話するわけにいかないので、あれで苦労したんです。
けがはなかったんですか。
私はけがはせんかったけど、ちょっとだけけがしても、もう爆弾が乗っているんだから。
で、部隊からトラックで、なんで来てくれたかな。
それもよくわからないけど、ということで生き残った。
それでその後、その証婚優というのを捕まった。
そうですよね。
それが一つ大きな記録になった。
それが証婚優を使わなくなった軍が。
そう。
中村さんのその経験が。
ある意味死者は出してないわけですよね。
そうなの。
これはすごいですね。
だから今もあの記録は残ったまま。
それをもうちゃんとしてもらった方がいいな。
そうですね。その場所はどこですか。
百里。百里の田んぼだからね。
何県になりますか、それは。
茨城県。
茨城か。
あの時は農家の人たちも大変だった。
そうですよね。
その時はさすがにちょっと怖かったですよね。
怖いよ。
疑問ですけどさすがに。
爆弾がいつバーンといくかわからない。
その時はもう覚悟っていうか。
そう。だからね、私は左足、幅跳びとか高跳びでも左足だったから。
私はもう左足を踏ん張ってね、俺の記録を。
で、客はこれだから。救急看板。
ということで、あれで生き延びた。
でもその時もなんかやっぱり中村さん、諦めなかった感じがしますよね。
いや、諦められんよ。
場所によっては記事が残ってるんじゃないかと思うんだけど、なかなか出なかった。
だから自衛隊になってからでも、私がその話したら初めて聞いたっていうのはあったけど。
伝説ですよね、それは。
ゼロ戦の訓練での命拾い
じゃあそれが2つ目。もう1個あるってことですね、命拾いしたのが。
もう1個は逆流派なのに、終戦前になったら敵がよく入ってくるから。
ゼロ戦を3機よこしたわけ。
これで訓練やって、ちゃんと公共の防衛も間に合うように訓練をやる。
その訓練をやるときに、2機は連れていかないわけ。
1機を連れて行って、編隊の訓練。平らにやって、その次は斜めに動いて。
宙返りをやりながら。宙返りといったら、上がるときにパワーをガーッとつけないといけない。
それをやったところで、デッキの方が教えたのが、教えたとおりやらないから。
ここを引いて、もうパワーがなくなってしまって。
上がるときにパワーがなくなって。
落ちちゃった。
それで、私がここまで来ているのに、ここで落ちてきたから、命を拾う。
ガーッと返って、主翼と尾翼の間、向こうがよく、主翼が。
だから下で双眼鏡で見ていたのが、みんな、やったーって。
ぶつかると、みんな思いますよね。
そうなの。だから、簡単に、俺についてこうやって言うわけにいかないわけや。
ここで、パワーを入れるんだよって教えたのに、ここで早めに入れてくるもんだから、
もうここでは、このまま落ちてくるわけ。そういうこと。
それはその、訓練でゼロ戦を乗ってるんですか、実際。
そうそう。
中村さんが装置して。
一番機で。
ゼロ戦を。
そういう、一番機で行って、後をついてこいって。
で、私はもう、こっちまで行っているのに、向こうまで、ここでパワーを入れないといけないのにね、
早めに入れてくるもんだから、ここはもうないわけよ。
そういうこともあったな、と。
ゼロ戦ってね、終戦時はもうその米軍の方の、B-29とかでしたっけ、に比べたら劣るっていう風に僕も聞いたんですけど、
その出てきた、本当に最初のときはゼロ戦ってすごい、世界一みたいに並んでたわけじゃないですか。
実際どうでした、装置して。
いいよ、よかったよ。
明らかに違うんですか、やっぱり。他の飛行機よりも。
それは初めてできたからね。だから1型、2型、3型があるんで、タイプは同じだよね。
そういう命びれはあった、ということです。
28:21

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