1. 「大人の近代史」今だからわかる日本の歴史
  2. #147「南極観測隊タロとジロ」..
2024-01-30 38:27

#147「南極観測隊タロとジロ」人と動物の命の価値とは?

★お便りはこちら☞ https://bit.ly/2YkUaRB 日本の第1次南極観測隊が調査のため初めて南極大陸を渡った

その後、気象の悪化に伴い同行していた犬15頭が、

南極に取り残されることに・・・

約1年後に南極へ訪れると2匹のタロとジロの生存が確認された
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00:04
スピーカー 1
アメリカ大統領、エイブラハム・リンカンは言った。
犬や猫を大事に扱わない人、私は信用しない。
始まりました、「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
あー、なんか、動物が好きなのかな?
スピーカー 1
で、リンカンってそうなんだと思って。
スピーカー 2
うん、なんかあんまりそういう印象もないんだけど。
スピーカー 1
あー、俺もね、あの、実家、いつも犬と猫飼ってたから。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう、近くにさ、あの大きな公園があったからさ、
うちの母親がいつも捨てられている犬とか猫がいると、拾ってきちゃうタイプだったのよ。
スピーカー 2
あー、そうなんだ。
スピーカー 1
なんか見捨てられないって言って。
だから、常にいたよね。
もう、大きい俺がいる時だけでも6匹、今までで一緒に過ごしたよ。
スピーカー 2
マジか。すげえな。
スピーカー 1
今、合計だけどね、8匹目だよね。
スピーカー 2
8匹。
すげえな。
スピーカー 1
そうそう。
スピーカー 2
あ、なるほど。だからオガタロウは、こう、ちょっとね、捨てられた女の子がいたら拾ってきちゃうわけか。
スピーカー 1
全然違うよ。意味がわかんないじゃん。
スピーカー 2
あ、違う?そういうことじゃなくて?
スピーカー 1
捨てられた女の子ってどういうひどい子なんだよ。
スピーカー 2
いや、なんかほら、オガタロウの家行くといっぱい女の子いたりするじゃん。
スピーカー 1
いねえって。
一人いねえ。
スピーカー 2
あ、今じゃないよ。今じゃないよ。
スピーカー 1
いやいや、ね、共通のさ、まあ友人、友人っていうか知り合いにしとこうか。
ショウゴっていたけどさ、ね、猫に対してすごい、なんかすると見るとさ、追いかけたり威嚇するじゃん。
スピーカー 2
ああ。
スピーカー 1
いやもう、あれ見て信じらんねえなって思って。
スピーカー 2
あれほら、自分より弱いやつにはさ、ものすごいS型を発揮するじゃん。
あれ普段超ドMじゃん。あの、俺、対俺とかさ、オガタロウもそうだけどさ。
まあ一応俺ちょっと、あの、ショウゴの補足をしとくと、あいつは、まああれだよ、俺らがその、もう社会人になってからぐらいかな。
家で犬を飼い始めたんだよ。
スピーカー 1
あ、そうなんだ。
スピーカー 2
そこからね、たぶんね、ちょっと変わったよ。
スピーカー 1
あ、変わったんだ。
スピーカー 2
そう、彼が大人になったのかもしれないし、そう、ただそういう、なんだ、動物のなんだろう、なんだ、愛おしさじゃないけど、学んだのかもしれないし、それはわからない。
スピーカー 1
ああ、そうなんだ。へえ。
スピーカー 2
一応そこはね、俺はちょっと、このままだとショウゴかわいそうだから、ちょっと補足というか。
スピーカー 1
いったい誰なんだよ彼はって思うかもしれないけど。
スピーカー 2
まあまあそうだね。
スピーカー 1
まあ、ということで今回はね、ちょっと動物にも関係した話で。
はいはい。
テーマはね、第一次南極観測隊の太郎と二郎についてやりたいと思います。
スピーカー 2
あー、なるほどね。
スピーカー 1
そうそうそう。
まあ多くの人は知ってると思うんだけども、概要を話すと、日本の第一次南極観測隊がね、調査のために、まあ初めて南極大陸を渡ったんですね。
で、これに同行していた犬15頭が気象の悪化に伴い南極に取り残されたんだよね。
03:05
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、約1年後に再び南極に訪れたら、その2匹の太郎と二郎が生存してたんだよね、っていう話なんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。まあこのテーマって結構いろいろ考えさせられるなーって調べてたと思ったんだけど。
うん。
まずさ、あの、これ南極観測隊って言うんだけど、北極じゃないんだって思う人もいるかもしれないんで、ちょっと補足をすると。
スピーカー 2
ちょっと待って、ごめん。何言ってるかよくわかんないんだけど。
え?
何?北極じゃないとかどういうこと?
スピーカー 1
いやいや、あの、北極って南極ほど観測隊って言ってないわけよ。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
そうそうそう。あ、それ何でだろうなーと思ってて単純に。
うん。
っていう話で、あの北極と南極。
スピーカー 2
あー、そういうことね。
スピーカー 1
北極とさ、南極ってそもそも、これはまあ長丸はもちろん多分地理に詳しいから知ってると思うんだけど。
スピーカー 2
なんかもうだいたいわかったわ。
スピーカー 1
そうそうそう。北極は海なんだよね。
うん。
南極は大陸っていうこのね、ちょっと基礎知識がね、僕は危うかったんで。
そうそうそう。
あ、そうだよ。
で、北極っていうのはさ、海の上に氷が寒い時期って浮かんでるんだよね。
うん。
で、南極っていうのは陸だから、で、陸の上にその氷がこう何層も厚く積み重なってるって感じなんだよね。
うん。
そう、だから氷の厚さも北極は数メートルほどに対して南極はもう数千メートルって圧倒的にまあ多いんだよね。
うん。
そうそう。しかもまあ寒さもちょっと違って、北極は平均だとマイナス20度ほどだったりするんだけど、
南極はね、マイナス50度とかまあ地球上で最も寒い場所の一つなんだよね。
うん。
そう、まあこれはさ、標高が高いっていうのもあるんだよ。平均約2000メートル以上とか言われるぐらい高いんだよね。
うん。
まあそのためさ、北極はイヌイットとかその人類が暮らしてきたっていう過去があるんだけど、
うん。
南極にはさ、人が暮らしたっていう記録はなくて、まあむしろ暮らすことができなかったんだよね。
うん。
そう、で、それはさ、寒さもあるし、あと北極と違う点で他の大陸から離れて孤立してる点なんだよね。
うん。
しかもその南極に行く時のその難位40度とか70度にかけて強い偏西風が吹いてて、この海域ってあの世界で最も荒れるって言われてるんだよね。
スピーカー 2
ああ、あの南アメリカのところだよね。
スピーカー 1
ああ、そうそうそうそう。今でこそさ、丈夫で大きな船でたどり着くことできるけど、昔は通って無理だったんだよね。
うん。
だからこそあのこの南極っていうのは人類にとっても未知の大陸で、今の感覚で言うと当時は宇宙に近い存在かもしれない。
スピーカー 2
ああ、まあだろうね。だって行けないわけだから実際。
06:00
スピーカー 1
そうそうそう。まあそんなね、その南極に日本の隊員が、まあ初めてっていうのはちょっと語弊があるんだけど、観測隊としては初めて行ったんだよね。
うん。
で、南極で冬を越す隊員のことを越冬隊員って言うんだけど、彼らに対してね、最初日本の保険会社で生命保険をかけようとしたら、引き受けてもらえなかったらしいんだよね。
ああ。
そうそう。それぐらいね、生きて帰れるかもわからないっていうような過酷な旅なんだよね。
うん。
で、ちょっと南極に関連する時代背景から話すんだけども、
うん。
南極っていうのはさ、1800年代に南極大陸が発見されて、徐々に南極へ挑戦する冒険家なんかも現れてくるんだよね。
うん。
1911年のノルウェーのアムン全体っていうのが人類で初めて南極天に到着してる。
うん。
その後もね、各国が南極に興味を示して調査が行われるようになったんだよね。
うん。
1956年のブリュッセルで開かれた南極会議にて、日本がね、南極観測の参加を申し入れて、これが正式に認められたんだよね。
うん。
当時日本ってさ、戦後10年ほどしか経ってなくて、当時南極観測を行う国っていうのは、アメリカ、イギリス、ソ連なんかの第二次世界大戦の戦勝国側が中心だったんだよね。
うん。
そこにその敗戦国である日本の参加っていうのは、当初ね、各国からの反対の声もあったんだよね。
うん。
そう、ただまあ懸命な交渉の末、ようやくこれが認められて、あの日本が南極観測に行くことができるようになった。
うん。
ただね、その当時の日本ってまだまだ貧しくて、戦後の復興に力を注いでた時期なんだよね。
うん。
そう、だから南極観測を行うことに対して、国民から税金の無駄遣いとか、反対する声も実際多かったんだよね。
うん。
で、一方ね、南極っていうこの未知の世界への挑戦が注目を浴びて、応援する人たちも多くいて、
これね、国費だけで賄えないから募金を募集したところね、全国からね、約1億5000万円ほど集まったんだよね。
うん。
そう、当時のお金だから相当な額だと思うんだけど、
うん。
で、またね、朝日新聞をはじめ、1000以上の多くの企業がね、サポートしたんだよね。
うん。
で、こうしてね、出発をする準備を整えることができたんだけども、
うん。
まずさ、南極大陸周辺の海域ってさ、氷で覆われてるから、氷を砕く裁氷船が日本は必要だったんだよね。
うん。
でもさ、日本には新しい裁氷船を買う余力も時間もなかったから、
そこでね、18年前に作られて、輸送船として使われてた、ソーヤっていう船を回収して裁氷船にしてるんだよね。
うん。
09:00
スピーカー 1
で、この集められたその隊員のメンバー達っていうのも、これ優秀で、隊長がね、永田隊長って言うんだけど、
この人ね、30代の若さで東大教授となって、地球物理学の中で世界的にもこう流し知られた天才学者って言われてたんだよね。
うん。
そう、で、他にもね、学会等から推薦された研究者で、相当なね、エリートの人たちが多かったんだよね。
うん。
でね、選考基準にね、死ぬかもしれない場面にあいながらも、死ななかったものっていうのがあったんだよね。
うん。
それでね、まず選ばれたのが、元海軍特攻隊員の人で、この人はね、終戦が2,3日遅れてたら命がなかったっていうような人なんだよね。
うん。
で、戦後は太平洋をイカダとかタグボートに乗って輸送する仕事をしてた人で、こんな人も選ばれてる。
うん。
ここでね、ちょっと紹介したいのが、南極へどうしても行きたい25歳の青年がいたんですよ。
うん。
彼は京都大学院で地球物理学を学んで、大学の三学部にも在籍してたっていう経歴を持ってたんだけども、
うん。
ただ、自分にはそんな南極隊に選ばれるっていう特殊な経歴もないから、っていう風にちょっと悩んでたんだよね。
うん。
だから、この兄弟ってだけでも十分すごい経歴だけどって思ったんだけど、
うん。
多分それほど難しかったんだろうね。
ああ、そうだろうね。
ね、行きたい人もいるし、数が限られてるから。
うん。
で、南極へね、希望する人たちの多くは当時、自動車免許を取りに行ったんだって。
おお。
これは南極でさ、雪上車って、雪の上をキャタピラで動くやつ。
うん。
自分が要求されるから、取っておこうっていう人たちが多かったらしい。
おお。
そう、でも彼はね、ふとね、中学生の先生が教えてくれた言葉を思い出したんだって。
うん。
それはね、「諸君はパイオニア的人生を送りたまえ。」って言われたんだって。
うん。
ここで、この人はね、南極隊に選ばれるために、他の人とはちょっと違った行動をしたんです。
それは何でしょうか。
スピーカー 2
いや、仕様わかんない。
スピーカー 1
で、むずいよね。これね、犬ぞりを習いに北海道の輪っか内まで行ったんでね。
おお。
いや、俺この発想すごいなって思って。
スピーカー 2
まあ、そうだよね。
スピーカー 1
そうそうそう。いや、この大胆だしさ、なんかその、エビぞり好きとしてはどう思う?
スピーカー 2
え?ああ、小片郎ってなんか、そり系はもう全部極めてるじゃん。
スピーカー 1
なんかやめたほうがいいそう。
スピーカー 2
え?
スピーカー 1
そんなんじゃないんだよ。
スピーカー 2
あ、そうなの?
スピーカー 1
そう。彼はさ、この犬ぞりを習得したことによって、南極隊の中でも冬を越して1年間過ごす、その越冬隊員に選ばれてるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そうそう。これ11人しか選ばれないんだけど、そのうちの数少ない1人なんだよね。
12:02
スピーカー 1
おお。
なんか当時ね、その南極隊って雪上車だけじゃなくて、犬ぞりも活用したんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
雪上車は今ほど発達してなくて、故障して動かなくなることも多かったから、犬ぞりも使ったらしいんだけどね。
ああ。
そう。だから現在ではね、犬ぞり使ってなくて雪上車とかヘリコプターを活用してるんだよね。
うん。
で、ちょっとこの犬ぞりについてなんだけど、引っ張る犬っていうのは、カラフト犬っていうのが選ばれてるの。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
これ名前の通りカラフト出身の犬で、戦時中まではさ、カラフトの南半分は日本の領土だったんだけども、ここ出身の犬なんだよね。
うん。
で、この犬はさ、コグマみたいにゴツくて毛がフサフサな犬なんだよ。
うん。
で、このカラフト犬が選ばれた理由っていうのが、まず1つに寒さに強いってことなんだよね。
うん。
マイナス20℃とか30℃でも素足で平気で外にいられるんだって。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
でね、2つ目はね、忍耐力があるっていうことで、
うん。
あの、重い荷物でも長い距離をこう走ることができるんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
そう。で、3つ目がね、食べ物なんだけど、カラフトもさ、南極もそうだけど、冬は野菜がほとんど摂れないんだよね。
うん。
でも犬はさ、肉食で、例えば南極で言ったら、冬でもさ、アザラシの肉なんかを食べることができるんだよね。
うん。
で、あの、グリーンランドとかアラスカとかの寒い土地でも同様に犬が人や荷物を運んでるんだよね。
うん。
そうそう。だから草食である馬や牛じゃないんだよね、ここではね。
あー、そうだね。
そうそう。で、そんなさ、カラフト犬っていうのは北海道にもいて、
例えばさ、湾下内では魚を運んでたりしてたから、その関係でね、魚市場でカラフト犬が売買されてたりしてたんだよね。
うん。
で、南極隊は北海道内で犬ぞりに使えそうなカラフト犬を飼い主と交渉して集めて、これをね、第1次の南極隊に連れて行ったんだよね。
うん。
で、1956年11月にいよいよね、第1次南極観測隊が東京から出発をした。
うん。
で、メンバーはね、観測隊員が53名で、カラフト犬はね、22と連れて行ったんだよね。
うん。
特にあの、まだ子犬だったタロとジロっていうのもいた。
うん。
でね、あとね、ミケネコ1匹とカナリア2羽を連れて行ったんだって。
うん。
俺これ、普通に書いてあったんだけど、え、なに、なんで連れて行ったって思っちゃって。
これね、ちょっと調べたらね、カナリアを連れて行ったのは、南極でね、建てる予定の建物が、
当時の家屋に比べると、隙間をできるだけなくした機密性に優れた作りだったんだよね。
うん。
だからあの、室内で一酸化炭素なんかの有毒ガスによる事故を防ぐために、カナリアを使ったんだって。
15:06
スピーカー 2
どゆこと?
スピーカー 1
あの、カナリアってさ、常にこう、普段泣いてるんだけど、有毒ガスがあると、泣くのをやめるっていう習性があるんだって。
あー。
そうそう。これあの、炭鉱とかでもよくカナリア使われてたんだって。
へー。
そうそう。で、ここでさ、なんで猫を連れてったのでしょうか?
スピーカー 2
猫?だって一匹だけだもんね。
スピーカー 1
一匹だけ。
スピーカー 2
え?食用?
スピーカー 1
やばいね、それ。わざわざ。
スピーカー 2
たった一匹だけ?
スピーカー 1
これヒントはね、オスのみけ猫なんだよね。
スピーカー 2
オスじゃないとダメなの?
スピーカー 1
うーん、オスの方が良かったんだと思う。
スピーカー 2
いや、全然わかんないな。
スピーカー 1
わかんないよね。これはね、幸運を招くから。
スピーカー 2
あ、なんか、みけ猫だからだっけ?みけ猫ってなんかそうなんだよね。
スピーカー 1
あ、そうそうそう。みけ猫ってメスが多くて、オスがほんと貴重らしいんだよね。
スピーカー 2
うん、なんか、それは聞いたことがあったな。だからな。
スピーカー 1
そうそう、昔からなんか縁起がいいって風にされてたから、なんかそれでも連れてったってすごいなって思って。
スピーカー 2
いやもう黒猫は連れてけないじゃん。
スピーカー 1
連れてけないし、しかもサム狩りだったって言ってたからね。
スピーカー 2
ね、猫はそうでしょ。
スピーカー 1
名前もね、たけしって名前にしたらしいかもね。
スピーカー 2
なんかなんとも言えない。
スピーカー 1
これ永田隊長の永田たけしから取ってるんだって。
スピーカー 2
あー、隊長と同じ名前にしたのか。
スピーカー 1
そうそう。まあ、そんな風にしてちょっと南極帯出発したんだけども、
これでインド洋を通って南アフリカ経由で、約2ヶ月くらいかけて南極帯域へ到着してるんだよね。
でね、ここで南極帯の最初の目的っていうのは、日本の基地をまず建てることなんだよね。
で、基地の設営に良さそうなところを探して、南極帯域近くのね、オングル島に建てることにしたんだよね。
これね、正確にはね、日本の基地って今でもそうだけど、南極帯域にはないんだよね。
実際はそのすぐ近くのオングル島ってとこで、海が凍っててつながってるらしいんだけど、そういう位置にあるんだよね。
で、船から降りて約18キロほどの距離を雪上車だったり犬ぞりを使って何度も荷物を往復して運んだんだよね。
ところどころにさ、パドルって言われる水たまりがあるんだって。
で、そこに落ちちゃうと、底なし沼のようだったりするから、そういった落ちないように注意を払いながら運ぶため、結構時間もかかって、ようやく2週間かけて運び終えたんだよね。
で、その後ね、観測隊の中から11人の越冬隊員が選ばれて、冬を越して1年間過ごすことになったんだよね。
で、カラフトイヌもね、2頭は帰って19頭が残って、その後一緒に過ごしているんだけども、引き続きこの越冬隊員が基地の建設を急いだんだよね。
18:12
スピーカー 1
で、それはね、南極では3月頃から寒さが厳しくなって、4月には本格的な冬が来るっていう、ちょっと日本とは季節感が違うんだよね。
で、彼らはさ、なんとか基地を作って冬を過ごすことができたんだよね。
カラフトイヌにも犬小屋を作ったんだけど、中に入ろうとせずに、彼らって外でいることを好んだんだよね。
なんかね、吹雪の日でも外にじっとしてて、そうすることで犬の周りに雪が積もるんだって。
で、それを鎌倉みたいな感覚で、雪を壁にして過ごせるらしいんだよね。
そうそう。このさ、犬たちなんだけど、普段から鎖で繋いどくか、放し飼いにするかっていうのを最初悩んだらしくて、
放し飼いに実際してみると、所蔵してある食料が荒らされたっていうこともあったんだよね。
で、それとね、普段から鎖に繋いでないと、ソリに繋がれた時に嫌がる犬も出てくるんじゃないかってことで、結果ね、犬はね、鎖で繋ぐことにしたの。
で、犬たちが引っ張る犬反りなんだけども、これね、一歩まっすぐなロープをソリから引いて、そのロープの先頭に一番リーダーシップのある犬を置くんだよね。
でね、そのまっすぐなロープの左右に短いロープを互い違いに繋いで、そこに犬たちを繋いで、合計15頭ぐらいで引っ張るんだって。
で、なんか基本ね、仲のいい犬を近くにさせて、それとね、オスだけの編成にしたんだって。
メスもね、板にはいたんだけど、入れると他のオスが気になって集中できないらしいんだよね。
そうそう、これ長丸もさ、足早いけどさ、あの女の子いると違うとこ走っちゃうっていうのがあったじゃん。
スピーカー 2
あっ、ウッケるな、それ。いいね。さすがだよ。俺このオスメスの下りの時にさ、もうなんか降ってくるだろうなってちょっと思ってたからね。
スピーカー 1
あ、そう?なんでそこ振れたんだって?
スピーカー 2
そう、事実はほらでも逆じゃん。小片郎だよね、それは。
スピーカー 1
いや、俺まっすぐしか走れないもん。
スピーカー 2
いやいや、違う違う。ま、女の子に対してはまっすぐ走るからさ。
スピーカー 1
やめろって。
で、南極ってさ、5月末から7月中旬にかけて太陽が出なくなるんだって。
スピーカー 2
あー、そうだね。
スピーカー 1
そう、これ極夜って言い方するんだけど、逆にさ、大義語で白夜っていうのはずっと太陽が出てるんだけど、
この太陽が出ない極夜っていうのはずっと真っ暗な世界ではなくて、なんか朝になるとほんのりね、こう明るくなって朝焼けとか夕焼けが続くような感じなんだって。
21:04
スピーカー 1
で、このね、太陽がなくなるお別れを記念してね、各日本の隊に関わらずパーティーをするんだって。
そこでね、日本の隊もいつもより豪華なディナーをみんなで食べるっていう催しをしてたりしたんだよね。
で、このね、南極隊はね、大きな目標があって、基地からね、約200キロ南にポツンヌーテンっていう岩山があったんだよね。
そこをね、登頂して測量や地質調査を行うことだったんだよね。
なんか私自身もね、ポツンとした人生だったんだけども、このポツンヌーテンっていうのは、
スピーカー 2
そこ突っ込んだ方がいいか。
ちょっと自然にね。
ポツンとしてないよね、尾形郎は。
スピーカー 1
いや、ポツンとしかしてなかったんだよ。
スピーカー 2
いやいや、尾形郎つったらもうさ、常にさ、人気者だったわけじゃん。
スピーカー 1
徳賀でいつもポツンと教室に座ってたじゃん。
スピーカー 2
そういうネタはいいからさ。
スピーカー 1
このポツンヌーテンって、ノルウェー隊の航空写真によって発見されていたらしくて、
ただね、いまだ誰もその人が登ってない山だった。
標高はね、約1500メートルぐらいで、周辺高度がね、1000メートルぐらいだから、
ま、実質登るのは500メートルほどで、決して高い山ではないんだよね。
ただ往復400、500キロもあるから、しかも南極だしね、っていうこの結構過酷な旅なんだよね。
しかも雪上車の調子がその時悪くて、犬ぞりで行くことを決意したんだよね。
そこでカラフト犬たちが懸命に引っ張って、約10日ぐらいかけてポツンヌーテンに到着してるんだよね。
で、南極隊が登頂に成功して観測などを行ってる。
で、それからまた往復で帰って、結果27日間の長い旅になったんだよね。
犬たちの体重はね、1頭あたり平均約5キロぐらい減ってたっていうから、それくらいね、結構過酷な旅ではあったんだよね。
ただこの当初の大きな目標っていうのは達成することができたんだよね。
で、ちょっとここでね、犬たちのその後にかかる大きな出来事があるんだけど、
ある調査の帰りにね、基地まであと10キロのところで15頭全員をロープから解放したんだよね。
これはね、自分のペースで基地に戻っておいでっていうような思いだったんだけども、
そしたらね、3頭がその日に戻ってこなかったんだよね。
で、翌朝ね、1頭がやっと戻ってきて、その後もね、隊員があたりを探しに行って、もう1頭を見つかったんだけども、
最後までね、結局1頭だけ戻らなくなっちゃったんだよね。
こういうこともあって、あとね、第一次南極帯の調査期間の終盤あたりに犬が1頭鎖が外れて、その辺を走り回っちゃったっていうことがあった。
24:07
スピーカー 1
そのためね、彼らの首輪の皮の穴をさ、一つずつ詰めて繋いだっていうことをしたんだよね。
そうそう。これらのさ、出来事が後々ちょっと大きく関わってくるんだけど、
こうしてさ、ちょっと約1年間、第一次南極観測帯の調査が終わって、犬たちも1年間でトータルね、1600キロほどの、もうほんと長い距離を走ったんだって。
で、隊員たちとはさ、絆も深まって、家族のような存在になってたんだよね。
で、その後ね、犬たちは引き続き南極へ残るんだけども、人は第二次観測帯と交代する予定だったんだよね。
だけどね、12月末から吹雪が吹き続けていて、南極周辺のね、海が凍っちゃって、船がね、基地に近づけなくなっちゃったんだよね。
そこでね、近くにいたアメリカのね、バートンアイランド号っていう船に助けを借りたんだよね。
この船ってね、日本の裁標船よりも3倍ぐらいの馬力があったから、扇動してこう氷を割って進んでもらったんだよね。
だけどね、氷の状態がさらに悪化しちゃって、基地から約100キロぐらい離れたところで先に進めなくなっちゃったんだよね。
そこで日本の船から基地まで飛行機を飛ばして、隊員や荷物を運ぶことにしたんだよね。
1回に乗せられるのはさ、350キロぐらいまでで、飛行機で片道50キロの距離を6回往復して、なんとか荷物を運んだっていうのがあった。
でもね、犬たちは基地に置いていかなきゃいけないっていうような命令が出たんだよね。
これはね、次の観測隊が氷の状態が良くなったら、まだ来る可能性があるから、残していくようにっていうことだったんだよね。
この命令に対して隊員たちは従うしかなかったっていう現状があって、
せめて鎖だけは外せないかって隊員たちでも話し合いがあったんだけど、
今までの事例があったように、鎖を外すと戻ってこないっていう可能性があるから、犬たちは鎖を繋がれたままになったんだよね。
この隊員たちが別れる前に、せめて犬たちの元に飲み水と南極で獲ったアザラシの肉を置いて別れていったんだよね。
飛行機が最後飛び立つ時に犬たちが一斉に立ち上がって、隊員たちに吠えてたのが心苦しかったっていう証言があって。
この第1次南極隊っていうのは飛行機で船に到着して、入れ替わるように第2次観測隊3人が昭和基地へ飛び立ったんだよね。
ただその後さらに気象条件が悪化して、アメリカの船から早くここから出ないと流氷に閉じ込められるって言われて、
27:03
スピーカー 1
その基地にいた3人を早く戻して脱出しなきゃいけないって言われたんだよね。
この時に第1次南極隊からせめて子犬と母犬だけでも連れて帰ってほしいっていう要望をして、
ただ天候が悪くて1回しか飛行機が飛ばせないような状況で、そのギリギリの中で隊員とその子犬と母犬と残りの荷物を乗せて、
さらにちょっと重量制限がギリギリだったから飛行機の燃料を捨ててギリギリで帰還しているんだよね。
こうして15頭の犬たちは鎖に繋がれたまま残されるってことになったんだよね。
この取り残された犬たちのことをそのいち早く日本にいる人々に伝えられたんだよね。
まだ帰ってないその船の中で電報がどんどん飛び込んできて、
一刻も早く全部の犬を早夜に運べとか、犬の音を忘れたのか、もし犬を残すなら11人は帰るなとかそういう結構厳しい非難の声がたくさん届いたんだって。
彼らはその後も再び基地へ行けないかって探っていたんだけども、天候は結局回復せずに断念して日本へ帰国をしている。
日本に帰ってきた第一次この南極越冬帯の11人っていうのは昭和基地を建設したし、
価値ある南極のデータを持ち帰ったってことで称賛されたんだよね。
その一方で犬たちを置き去りにしたっていうことで非難する人たちも多くて、
実際に他院個人の家に嫌がらせの手紙なんかを送りつけるって人もいたんだって。
しばらく時が流れて1回目の南極越冬帯の成果が評価されて、また次の南極越冬帯が再開されることが決まったんだよね。
この中に犬係だった1人の隊員が次の観測帯にも行くことを決意したんだよね。
これは調査する目的もあったけど、やっぱりその残した犬たちの供養をせめてやりたいっていう気持ちがあったらしいんだよね。
1959年、第3次南極観測帯が約1年後に南極にやってきたんだよね。
前の年の経験もとに船に大型ヘリコプターを詰めるように改造したりして、よりたくさんの重量を運べる体制で行った。
ヘリコプターが昭和基地っていう名前なんだけど、その基地に近づくと操縦士が黒い犬2頭が動いてるのを確認したんだよね。
現地に降り立って、前回も言ってる犬係の隊員が犬に近づいて、でも犬たちは警戒して後ずさりをしてたんだよね。
野生化もしてたし、小熊ほど大きくなった犬を見て、どの犬かその隊員はわからなかったんだって最初。
30:07
スピーカー 1
何度か色々な名前を呼んでるうちにタロとジロっていう名前を呼んだら、しっぽが反応して、そこで隊員が犬たちを抱き寄せて再会を果たしたっていうエピソードがあって。
一方で7頭は鎖につながれたまま遺体で見つかってるんでね。
残りの6頭は首輪から外れていて、ただ姿はなくて行方不明になってるんだよね。
なんでこのタロとジロ、この2匹だけが生き延びられたのかっていうのは、これは結局誰も見てないから憶測にはなっちゃうんだけど。
まずさ、首輪が外せたことだよね。
犬は1週間くらい食べてないと痩せてきて、そのために運良く首輪が抜けたんじゃないかって言われてるんだよね。
ただ7頭に関しては首輪が抜けなくて、だから犬係の隊員は前に言ったさ、別れ前にさ、首輪の皮の穴を一つずつ詰めちゃったことを悔やんでたんだよね。
2つ目はさ、タロとジロって15頭の中で一番若くて、当時2歳だったんだよね。
他の犬より生き延びる体力があったんじゃないかって言われてる。
3つ目はね、小さい頃から南極にいて育ったから、昭和基地が家のような存在だったんだよね。
だから基地の周辺から離れなかったんだよね。
他の首輪を抜けれた犬たちっていうのは、おそらく基地から離れて彷徨ったことで、氷の裂け目なんかに落ちて亡くなっちゃったんじゃないかって言われてるんだよね。
こうしてタロとジロだけが助かったんじゃないかって言われるんだけど、
じゃあさ、この犬たちって何を食べて生き延びたのかっていうのも疑問で、
基地にあった食料にはさ、食べた形跡はなかったんだって。
だからね、おそらくペンギンを襲って食べたんじゃないかとも言われてる。
これね、第一次越冬体がいる頃から時々犬たちはペンギンを食べてたんだって。
あとね、南極にはアザラシもいるんだけど、2頭だけだと大きくて倒すのは難しいからね、
おそらくアザラシの糞を食べたんじゃないかって言われてる。
このアザラシの糞にもさ、栄養がたくさんあるらしいんだよね。
で、その後ね、隊員たちが7頭の遺体を丁寧に包んで、ソリで海まで運んで、1頭ずつ沈めて手を合わせたんだよね。
こんな話だったんだけど、この第一次南極観測隊でちょっと自分が思うのはさ、
個人的には鎖だけは外してほしかったなっていうのは後から言えることなんだけど、
でもさ、彼らの行為を非難するつもりもなくてさ、むしろあの状況の中で賢明な対応だったなっていうふうには思うんだよね。
33:00
スピーカー 1
彼らが語ってる本も実際読んだんだけど、すごく犬たちに愛情を持って接してるんだよね。
で、あの過酷な状況でさ、隊員たちだけでも生き残ったっていうのは結構奇跡だと思うんだよね。
これね、ちょっと後日だあるんだけど、第三次第四次南極観測隊でもタロとジロって引き続き南極で過ごしてるんだよね。
で、第四次の時にさ、強烈なブリザードが吹き荒れた時があって、そんな中ね、犬たちに餌を与えたいって思った2人の隊員が建物から出て餌を与えに行ったんだよね。
で、なんとか餌を届けて、その後ね、ついでにソリの点検をしに行ったら、1人の隊員が行方不明になっちゃって、その後ね、遺体で発見されたんだよね。
建物からさ、たった数十メートルしか離れてなかったところなんだけど、それでも戻ることもできないくらい過酷な状況下だったんだよね。
そんな中でもさ、犬にこう餌をあげたいっていう行動がさ、また犬たちに対して愛情を感じた出来事でもあったなと思って。
で、その後ね、ジロって第四次のその越冬中に亡くなっちゃうんだけど、タロはね、その後日本に帰って北海道で飼われて14歳まで生きてる。
今でもね、北海道大学にある博物館に博士生として残ってるらしいんだよね。
そう。で、ジロに関してはね、上野の科学博物館で博士生になってるんだって。
で、ちょっと最後にこの話で思うのは、人と動物の命の価値って何だろうって思ったんだよね。
思い浮かんだのがさ、ちょうどなんか今年の1月2日に羽田空港で発生した日本航空機と海保機との衝突事故があったじゃん。
これさ、日本航空機の乗客全員が脱出に成功した一方で、貨物室に預けられてたペット2匹が亡くなっちゃったじゃん。
全く一緒じゃないんだけど、人の都合によって優先順位が決められて、亡くなってるっていう点では、なんか似たものを感じたんだよね。
人間中心の社会でさ、人が動物を飼うってことはさ、どうしても人の優先順位が高くなっちゃう時があってさ。
もちろん個人レベルではさ、家族同様に愛情を注いでいるんだけども、南極のような国家プロジェクトとか、大勢の人の命に関わる有事の際とかには、動物に対する優先順位が下がってしまうっていうことがあるなと思って。
そうそう。これはさ、過去の歴史も見ても結構そういう事例あるじゃん。
で、なんか大事なのはさ、こういった事例から次の悲劇を生まないようにすることだなと思って。
南極帯で言えばさ、その次さ、より輸送力のある船やヘリコプターにして、多くの命を救えるようにしたし、今ではさ、動物をそもそも南極へ連れて行くってことはしてないんだよね。
36:02
スピーカー 1
まあなんか、色々ちょっと考えさせられるテーマだったなと思って、いかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
そうだね。まあ南極のこのタロとジロの話は有名だからさ、多分このオトラの方も結構知ってる人多いんじゃないかなと思うけど。
まあね、やっぱり人間のエゴでそもそも行きたくて行ってるわけじゃないからね、犬は。
スピーカー 1
まあそうだね。
スピーカー 2
人間の都合でほぼほぼ全滅したわけじゃん、置いてかれちゃった犬は。まあ2匹残ったけど。
スピーカー 1
ああ、そうだね。
スピーカー 2
まあそういう意味でね、人間ってそういう生き物なんだなっていうのはこう自覚して、その、じゃあ実際どうすればいいのかっていうところに関してはさ、じゃあ犬を助ければよかったのかって話にはなるかもしれないけど、現実問題それは不可能だったわけじゃん。
だからそういう犠牲の上に人間はいい暮らしをしてるんだなっていうのはまあね、常々と思うべきなんじゃないかなと思うよね。あの飛行機の件もそうだけど。
スピーカー 1
ああ確かにそうだね。
ちょっと一応南極体がじゃあこれ一体何したんだっていうのちょっとあんまり触れてなかったんで補足すると、このさ第一回の南極体の成果があったことで今でも第65次だっけな、南極観測体まで続いてるんでね。
これでさ、過去の何十万年の気象変動の解明だったりとか、隕石の発見もさ、日本の南極体で世界で最も発見してるんだって。
そうそう、あとオゾンホールってよく前聞いたけどさ、オゾンの量が急激に減ってるっていうのも南極で発見したりとか、結構その人類にとって大きな成果を出してるっていう一面はあるっていうことだけちょっと補足しとこうかなと思って。
その一方でさっき言ったみたいにね、この太郎と二郎っていう出来事は悲しい出来事だけどね。
まあそうだよね。
そんな今回は第一次南極観測体太郎と二郎についてでした。
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スピーカー 1
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
38:27

コメント

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