00:04
スピーカー 1
私たちは、大海の中の一滴の水に過ぎないのです。
始まりました。大人の近代史、よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。しかし、おが太郎は、その大海の水を動かせる人物であります。
スピーカー 1
なんだそれは。あ、これ大海って、一応言っとくけど、大きな海っていう意味で。
スピーカー 2
わかってる。だから俺、水ってちゃんと言ったじゃん。
スピーカー 1
いや、よくわかったなと。俺、これいきなり言われたら、えって、何これって思っちゃうけど。
スピーカー 2
いや、ちょっとね、頭を働かして、俺、うまい開始言おうかなって、ちょっと今日は構えてたんだけど。
まあ、いいでしょ。これぐらいだったら。
スピーカー 1
すごいよ。今もう、みんなびっくりしてると思う。
スピーカー 2
いや、でもほら、大人は編集で、たぶんここすごい、わかんないけど、5分ぐらい空いてから俺が喋ったって、言ってるかもしれないじゃん。
スピーカー 1
今日はね、これね、今日のテーマである、津田梅子さんが言った言葉なんですよ。
スピーカー 2
あー、リクエスト聞いたよね、津田梅子って。
スピーカー 1
そうそう、今日リクエスト回でもあるんで、ちょっと最初にまず、じゃあちょっと読み上げたいと思います。
はい。
これはね、ドリスさんからいただきました。
はい。
大人の近代史一周完了。面白かった。もし拾ってくれたらリクエスト。
新紙幣の5000円札に乗る津田梅子さんと、日本の外国語教育の歴史をお願いしたい。っていただきました。
スピーカー 2
ありがとうございます。一周していただいたんですね。
スピーカー 1
いやー、すごいよね。ありがたいですね。
スピーカー 2
なんだかんだはね、もう150、まあ番外編とかやれたらもっと160とかあるからね。
スピーカー 1
そうそうそうそう。で、これさ、津田梅子さんと日本の外国語教育の歴史って言ってるんだけど、
うん。
ちょっと多分これね、一緒にしちゃうと、もうとてもじゃないけど、一回で終わんないんで、今回はその、津田梅子さんをもう中心に話しますんで。
スピーカー 2
なるほど。で、次回がその外国語教育を絡めて、なんと3回ぐらいやるっていうね。
スピーカー 1
いやいや、壮大すぎだろ。
スピーカー 2
三連チャンオガタロウって、三連チャンオガタロウとかもうね、盛り上がるでしょ。大人は。
スピーカー 1
いやいや、いらないって言われる、もう。
あ、でこれさ、新紙幣になるんだよね、津田梅子さんって。
スピーカー 2
そうだよね、うん。
スピーカー 1
そう、2024年のこれ7月からなんだって。
スピーカー 2
うん、もうすぐだよね。
スピーカー 1
そう、発行がね。
うん。
で、ちょっとね、あの言っとくんだけど、今回ね、私自身はその、お札にはね、先行の段階でちょっと選ばれなかったんですよ。
スピーカー 2
あー、でも惜しかったよね。
スピーカー 1
そうそう、なんかちょっとね、まだ歴史がないって言われちゃって。
スピーカー 2
だめじゃん、それ。
え、でもさ、生きてる人って乗るのかね、そもそも。俺ちょっとそこは全然詳しくないけどさ。
スピーカー 1
いや、乗らないんじゃない、今。
スピーカー 2
なんか別に俺大谷翔平とか乗せてもいいと思ってんだけどさ。
スピーカー 1
あー、確かにね。
スピーカー 2
そういうまあ、スポーツの分野っていう意味でね。
スピーカー 1
うん、でもなんかまあ、いろいろなさ、その例えばメジャーとのさ、絡みとかがあるから、難しいんじゃない、そういうの。
スピーカー 2
まあね、まあちょっと現実的じゃないんだろうけどね。ちょっと脱線しちゃったけど、はい。
03:02
スピーカー 1
はい、まあということで、ちょっと津田梅子の、まずは大分地から徐々に遡っていきたいなと思います。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
この人はね、1864年に江戸で生まれるんだよね。
うん。
この時はさ、幕末の時代で、幕府による第一次長州征伐が行われた年でもあるんだよね。
うん。
その後さ、幕府は劣勢となっていって、母親戦争で大敗して、新政府が誕生するっていう、すごい変革の時代に生まれた人なんだよね。
うん。
で、この津田梅子の津田家っていうのは、12人のね、子供を設けて、上から2番目の次女に当たるのが津田梅子なんでね。
うん。
そうそう、めっちゃ多いよね、やっぱり、この時ってね。
スピーカー 2
ね、今なんて1人、2人ぐらいだしね、あの10何人ってすごい世界だと思うけど。
スピーカー 1
うん。で、父親のね、千っていう人は梅子がね、生まれる時に、1番上が女の子で長女だったから、次こそは男が生まれてほしいっていうのを願ってたんだけど、また女の子だったんだよね。
うん。
で、それに落胆して、1週間過ぎてもね、名前をつけようとしなかったらしいんだよね。
うん。
で、そこで母の初子が、あの枕元にあった盆栽の梅を見て、梅っていう風に名付けた。
うん。
これが由来なんだけど、その後ね、ちょっとだいぶ経ってから1902年に津田梅子自身でね、梅子っていう風に改名してるんだよね。
子をつけたんだ。
そうそうそう。なんで、ちょっと今知られてるのは津田梅子だと思うんで、ここからもう梅子で統一しちゃうんで。
うん。
まずちょっとね、お父さんの津田仙について話したいんだけど、このお父さんっていうのはさ、海外について当時ではね、結構珍しくて見識が高かった人なんだよね。
うん。
武士の家系に生まれた彼は、あの若くして卵学とか英語を積極的に学んで、幕府の外交の通訳を務めてたりしてたんだよね。
うん。
またね、福沢諭吉らとともに幕府の通訳としてアメリカへ渡ったっていう経験もある。
うん。
で、明治市によって幕府が崩壊すると、築地の外国人居留地にできたホテルに就職をしてるんだよね。
うん。
そこでね、客の好みに応えるべく西洋野菜の栽培を試みたりとか、自宅に農園を作るっていうことをしてたんだよね。
うん。
で、あとね、ウインバンパクに随行したりとか、そこでね、西洋の農業技術を学んだりっていうような、当時で言えばかなり海外に精通してる人だった。
うん。
まあ、ちょっとこういうお父さんのもと生まれたっていうのがあって、その後ね、北海道開拓士の実力者であった薩摩藩出身の黒田清高っていう人がいるんだけど、
うん。
この黒田がね、アメリカを視察したときに、アメリカ女性は教養があって社会的地位が高いことに驚いたんだよね。
06:02
スピーカー 1
うん。
で、それがね、教育によるものだっていうふうに彼は考えて、特に修学前の児童にとっての母親の家庭における影響が重要だっていうふうに考えたんだよね。
うん。
そこで女子教育の必要性を明治政府に訴えて、1871年に明治政府がこの案を承認して女子留学生の募集が行われることになったっていう経緯がある。
で、この女子留学生なんだけど、留学先がねアメリカになって、
うん。
費用はね、政府が旅費とか学費とか生活費のすべての費用を負担をするものだったんだよね。
うん。
で、それプラス年間800ドルっていう奨学金として支給するっていう結構な交代金だった。
うん。
そう、現在の価値だとね、約400万円とかそんぐらいあるんじゃないかって言われてて。
スピーカー 2
まあ働いて得られるぐらいだね。
スピーカー 1
うん。
すごい良い条件だと思うんだけど。
スピーカー 2
そうだよね。学んでて働いてるのと同等のお金がもらえてるようなもんだからね。
スピーカー 1
そうそう。だって生活費とか別で全て支給だからね。
スピーカー 2
ああ、じゃあなおさら良いじゃんね。
スピーカー 1
なおさら良いよこれ。
うん。
そう。で、しかもね、これ留学期間はなんと10年なの。
うん。
10年ってすごくないこれ。
スピーカー 2
まあ10年やれば確かにな、みっちり語学覚えて帰ってきそうだけどね。
スピーカー 1
そうそう。これさ、あの男子留学生とはさ、結構異なっててさ、
うん。
なんでこれ女子の留学は10年かっていうと、
単にアメリカの学校教育を受けさせるっていうだけじゃなくて、
10年間でアメリカの家庭生活をもう大得しようっていうようなことが狙いだったらしいんだよね。
うん。
これでね、募集を開始したんだけども、実際ね、全然集まらなかったんだよね。
えー、そうなんだ。
そうそう。なんか今だったらね、こんな美味しい話ないと思うけどね。
スピーカー 2
ねえ、踏みつくでしょ。
スピーカー 1
そう。で、そのためね、政府は関係者とか知り合いなどに打診して、
なんとか5名の少女の留学生が決まったんだよね。
うん。
これさ、なんで集まらなかったかって、まあその時代っていうのがあってさ、
うん。
幕末まで日本は鎖国をしてたわけで、海外っていうのはまだまだ未知の世界だったんだよね。
うん。
しかもさ、幼い少女を1人で10年間アメリカに行かせるってことは、もう親にとっては不安でしかなかったわけよ。
うん。
このね、様子がね、ちょっとね、より分かるエピソードがあるんだけど、
このね、5人の少女の中に選ばれた山川捨松っていう11歳の少女がいるの。
うん。
彼女はね、藍津藩佳郎の山川家に生まれて、当時のね、葉名はね、佐紀子っていう名前だったの。
うん。
それをね、都兵前に捨松っていうふうに改名してるんだよね。
うん。
これはね、母親がね、この娘を捨てたつもりで待つっていう思いでつけてるんだって。
ああ。
いや、このね、もうそういう感覚なんだよね。
09:02
スピーカー 1
うん。
で、送り出した家庭っていうのは、ちょっと共通点があって、
家族に欧米の渡航経験があるか、もしくは海外についてかなり見識があった家なんだよね。
うん。
あとはね、旧爆心の出身で、明治維新によってさ、社会的地位が失われて、その地位を回復したいっていう思いもあったんじゃないかって言われてる。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、そんなね、アメリカ留学をすることになった5人の少女の中で、最年少だったのが津田梅子で満6歳だったんだよね。
うん。
で、彼女に留学を勧めた父も、さっき津田線の説明したと思うんだけど、
欧米の渡航経験もあるし、アメリカでの教育のこのメリットっていうのを理解した上での娘を留学に勧めたんだよね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、初めね、父親はね、2歳年上の長女に留学を勧めたんだけど、なんか嫌がられたんで、これね、結局次女の梅子が行くことになったんだって。
スピーカー 2
へー、そうなんだ。
スピーカー 1
そうそうそう。
それから、この5人の留学生っていうのは、欧米に視察予定の岩倉施設団に便乗してアメリカへ向かうことになる。
うん。
そう、これはね、もう大人の金田氏の最初の回の岩倉施設団の回を詳しくは聞いていただければありがたいかなと思います。
スピーカー 2
小片郎のね、もう普及の名作回だもんね。
スピーカー 1
名作ではないわ。
スピーカー 2
名作でしょ。
スピーカー 1
懐かしいけど。
うん。
で、1871年に日本を岩倉施設団は旅立つんだよね。
うん。
で、サンクラシスコに到着して、シカゴを経由してワシントンへ行く。
うん。
その中の道中でも、伊藤博文なんか少女たちの面倒をよく見てくれたみたいで。
うん。
アメリカに着いたホテルでも少女たちの部屋に来ては、なんか幽霊の話で時には怖がらせたりとか、その後ね、おとき話をして眠らせてくれたっていうふうに記録が残ってたけど。
うん。
一応ね、手を出したっていう記録はなかった。
スピーカー 2
なるほど。都合の悪いところは消されたと。
スピーカー 1
いや、やめろ。たぶんこれは本当にないと思う。津田有明は後年までそんな日記にも書いてないから。
スピーカー 2
いや、書けないんじゃないの?分かんないけど。仮にあったとしても。まあね、ないって言ってるんだからないでいいけど。
スピーカー 1
そうそうそうそう。で、この後ね、5人の少女っていうのは、一軒の家を借り受けて、そこでね、家庭教師を雇って共同生活をしたんだよね。
うん。
で、そこでね、5人中ね、2人の少女が健康を害したために1年経たないうちに帰国しちゃってるんだよね。
うん。
そうそう。帰国したのはね、5人の中でも年長組だった16歳と14歳の2人なんだよ。
うん。
で、残ったのがね、それより幼い捨松、茂子、梅子っていう3名なんでね。
うん。
こう思うとさ、ある程度日本で育った期間が長いとさ、やっぱアメリカで順応するっていうのは難しいのかなって思っちゃったんだけど。
12:04
スピーカー 2
まあね、なんかそれは気持ちは分かるけどね。
スピーカー 1
うん。なんかそんな気がするよね。
うん。
まあ単純に病気っていうのもあったんだけどね。
うん。
彼女らはその後、それぞれ別々のアメリカ人の家庭に預けられてアメリカ生活に順応して成長していったんだよね。
うん。
で、梅子の場合はジョージタウンに住むランマン夫妻の家に預けられたんだよね。
うん。
で、夫のね、チャールズランマンっていう人が日本公使館で初期をしていた関係で梅子を引き取っていて。
うん。
で、チャールズの妻のアデラインっていう人がね、梅子のことを残した記録が結構ね、数多く残ってて。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
梅子がね、アメリカに着いて間もない頃にこんなことを言ってるんだよね。
うん。
私がいい娘になったらアメリカ人の人はこぞって、この娘はいい父と母を持っていると言うでしょう。
もし私が悪いことをすればアメリカ人はこの娘の両親もやはり悪人だと思うでしょう。
だから私は最良の人になりたいのです。
ってな感じで言ってるのよ。
うん。
これね、7、8歳ぐらいの時だと思うんだけど、この年齢でなんかもうすごい覚悟みたいなのを感じるよね。
スピーカー 2
なんか時代劇で言ってそうだよね、子役が。
スピーカー 1
そうそうそうそう。
スピーカー 2
セリフみたいな感じ。
スピーカー 1
すごいよね。
で、このランマン家ってさ、子供がいなくてさ、本当にその梅子を我が子のように大切に育ててるんでね。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
で、留学前にね、これ言われてたんだけど、宗教の改修っていうのは禁じられていたんだよ。
うん。
だけどね、梅子は8歳にしてね、自ら進んでキリスト教の洗礼を受けてるんでね。
うん。
これはランマン家っていうのがキリスト教のプロテスタントの家っていうのも影響してるんだと思うんだけど、
ランマン家自体は進めたっていうわけではなくて、彼女が自ら決めたっていう風に言ってるんでね。
うん。
これ結局ね、他の2人の留学生もね、キリスト教に入信して、その後生活してるんでね。
うん。
で、梅子はね、その後小学校、その上の女学校を卒業して、
もうラテン語とかね、フランス語、数学、物理学、天文学など、こう本当に様々な授業を習って、成績もね優秀だったらしいんでね。
うん。
で、この留学期間はね、学校の卒業の関係で1年延長したこともあって、トータルね、11年間アメリカにいたんでね。
うん。
で、そして日本へ帰国して、その時津田梅子っていうのは17歳だった。
うん。
で、帰ってきた彼女は、もう英語はネイティブ並みで、当時欧米に留学してた日本人の中でももうズバ抜けてたって言われてんだよね。
うん。
ただ反面、日本語をほとんど忘れていたらしくて、まあこれはさ、6歳からもうずっとアメリカにいるからね。
スピーカー 2
まあ逆にもうアメリカ、まあだから英語がね、あのメインにやっててさ、日本語って6歳だから日本語もまだそんなすごいさ、ペラペラなわけじゃないからね、きっと。
スピーカー 1
そうそう。だからね、相当苦労したらしいよ。
15:02
スピーカー 1
うん。
日本の風習にも苦労したらしくて、
うん。
家に入る時に、そう靴を脱ぐ習慣だったりとか、
うん。
シャワーの中のご飯を一粒も残しちゃダメとか厳しく言われることに結構苦労してたっていうのが残ってたけど。
うん。
梅子自身も言ってたけど、日本に帰ってきたっていうより、日本に訪問中っていうような気分だったらしい、最初。
スピーカー 2
うん、なるほどね。
スピーカー 1
で、帰国後のね、梅子で最も衝撃だった一つに、女性の地位の低さっていうのがあったんだよね。
うん。
例えば日本でさ、女性は自分の名義で財産を持つことができなかったりとか、
うん。
離婚する時なんかはさ、子供を手放さなければならないっていうのが普通だったんだよね。
うん。
で、教育で言えば人情小学校を卒業した後っていうのは、基本男女別の学校で教育が行われて、男性はさ、高等教育を受けて最終的に大学へ進むっていう道もあったんだけど、女性はそうではなかったんだよね。
うん。
この根底にはさ、女性には高等な学問は不要であるっていう考えが根強くあった。
うん。
でね、東京帝国大学総長だった山川健次郎っていう人が、女子高等教育不要論を主張してた人なんだけど、
うん。
この人ね、女子留学生で一緒だった山川ステマスのお兄さんなの。
うん。
この人がね、高等教育は女子に精神的・身体的な圧迫を与え、死亡率を高めたり受胎能力を低下させる。根気を逃し、民族の繁栄を妨げるっていう風に言ってるんだよ。
スピーカー 2
まあ、否定はできないけどね、確かに。当時の時代を考えたらそれが正論だったんだろうね、きっと。
スピーカー 1
まあね、死亡率を高めたりってすごいよね。
スピーカー 2
まあ、ストレスがかかってとかそういうのはあるんじゃない?
スピーカー 1
あー。
スピーカー 2
まあ、そこは正直、今の世の中で考えたらちょっとえ?って思うけどさ。
スピーカー 1
うんうん。で、こういう考えってさ、明治になって始まったものじゃなくてさ、江戸時代でもさ、江戸幕府の基本的な統治思想って、
儒教で、この儒教の中でさ、女性は男性に従うものっていう考えがあったんだよね。
娘はさ、父親に従って、妻となっては夫に従い、老いては子に従うっていうような考えがあって、こういったさ、考えが、明治の時代っていうのはまだまだ根強くあった。
で、帰国した女子留学生たちっていうのは、日本に帰ってくるとさ、何の仕事もこれ与えられなかったんだって。
スピーカー 2
あー。
スピーカー 1
そう、男子の留学生の場合はさ、その後さ、政府の重要なポジションに就いたり、医者とかさ、技術者なんかになってさ、相応の地位が与えられていったんだけど、彼女らには何もなかったわけよ。
うん。
で、この事実に苦悩して、そこで冒頭に言った梅子の言葉があって、私たちは大海の中の一滴の水に過ぎないのですっていうことを言ってるんでね。
あー。
そう、もうちょっと俺、これが言いたかっただけ。
18:01
スピーカー 2
なんだよ。
スピーカー 1
で、一緒にさ、留学した捨松と茂子っていう二人はさ、早々に結婚しちゃうんだよ。
山川捨松ってさ、大山岩尾と結婚するんだよね。
うん。
そう、大山岩尾って言ったらさ、もう歴史上にも出てくるような有名な人物でさ、日露戦争では総司令官を務めて活躍したり、その後、梅子の政府交換で活躍した人だけど、この人さ、一人目の妻が亡くなって、結婚相手を探してたんだよね。
うん。
そこで、山川捨松っていう人に一目惚れして結婚したんだけど、これ年のさ、18歳だよ。
スピーカー 2
18歳。じゃあ尾形郎の家と同じか。
スピーカー 1
いやいや、同じじゃねえよ。
スピーカー 2
あ、違った。
スピーカー 1
そんな今度で、うちらがだってさ、今だと言うと20歳くらいの子とさ、結婚する感じだよ。
スピーカー 2
でも尾形郎は、ほら、それあり得るじゃん。
いや、あり得ない。どういう開始なんだよ。
スピーカー 1
いやもう、俺ちょっとね、これもう岩尾。
スピーカー 2
いやいや、岩尾はいいでしょ、別に。
スピーカー 1
ステバツがね、アメリカで一緒に生活したアリス・ベーコンっていう人がいるんだけど、
この人にあてた手紙に書いていて、いろいろ考えた末、結婚することにします。
私がつける仕事はなさそうだし、それならば彼と結婚して、その立場から女性のために何かできるのではと思うのですが、っていうようなことを言ってんだよね。
彼女ってさ、アメリカの大学を優秀な成績で卒業して、学士号を取った人なのよ。
そんな人でさえも、当時仕事がすぐに見つからないっていうね。
この結婚に、津田梅子はイラ立ちを見せるような場面もあるんだよ。
一緒にアメリカで学んでて、日本の未来のためにこれからやっていこうって語り合ってたんだよ、よく。
でも、そんなステバツが結婚しちゃったんだよね、早々に。
この2人って対照的な人生を歩むんだけど、梅子は独身をその後も貫いていって、女性が活躍できるために自ら積極的に活動するんだよね。
一方、ステ松っていうのは、結婚して家庭に入るっていう道を選ぶ。
ただ、ステ松って当時日本の実力者である大山いわうの妻だから、その立場でこの後梅子をサポートしていくっていうこともするんだよね。
その後、梅子は六名館で開かれたパーティーに参加して、そこで伊藤博文に偶然再会するんだよね。
そこで彼から下田宇多子っていう人が開設した東洋女塾で英語を知る仕事を紹介される。
さらに、伊藤博文の妻と娘にも英語のレッスンを教えてほしいって言われて、津田梅子ってその後、伊藤博文の家で一緒にしばらく暮らすんだよね。
21:04
スピーカー 2
なるほど。で、手を出された。
スピーカー 1
いやいや、それは記録にないんだよ。
スピーカー 2
小片郎の好きな展開かなと思って。
スピーカー 1
でもね、本当に旅行に一緒に家族で行ったり、婦人や娘の買い物にも同行して、洋装のドレスとかストッキング、ガーターなんかを梅子が選んだって言ってるんだよね。
このガーターについてはどう思う?
スピーカー 2
ガーターって何なの?具体的にちゃんとわかってないんだけど。
スピーカー 1
ガーターってあれだよ、ストッキングを下にずれ落ちないように、ガーターベルトみたいな、腰に空いてストッキングを留めてんの。
スピーカー 2
小片郎が好きな女王様みたいなやつか。
スピーカー 1
SMとかコスプレの人しか見ないような。
スピーカー 2
小片郎それ好きじゃん。
スピーカー 1
やめろよ、俺好きじゃねえから別に。
でも、小片郎が解説して俺はやっとピンときたもん。
スピーカー 2
小片郎がそういえばそんなこと言ってたなみたいな。
スピーカー 1
梅子って日本女性として初の洋装下着着用者でもあるらしいんだよね。
本当かよ。
それ日本洋装下着の歴史っていう本に書いてあるんだけど、初ってもしかしたらね、なんかいそうな気はするけどね。
スピーカー 2
絶対制作中、それを輸入したのか制作したのかわかんないけどさ、家庭で全然名もない人が着てるでしょ、どうせ。
スピーカー 1
だから世に知られてる人でってことなんだろうね。
スピーカー 2
その解釈でいいと思う。
スピーカー 1
1885年に家族女学校というのが設立するの。
これね主に皇族に次ぐ貴族的身分階級の娘たちが通う学校なんだけども、
そこにね伊藤博文らの紹介もあって、津田梅子って教授補として採用されてるんだよね。
でその後はこの学校で教えて、その後で教授となって英語のクラスを担当してるんだよね。
だから梅子はね結構ね伊藤博文に世話になったってことをその後年まで感謝してるんだよね。
スピーカー 2
なるほど。でその世話になったからやっぱり書けない。
スピーカー 1
だけどなんかどうしても許せなかった点っていうのも書いてあって、それはね伊藤の不志だらなところっていうのは実際に本当に書いてた。
スピーカー 2
私にもその不志だらなことをみたいな?
スピーカー 1
いや梅子にはしてないんだよそれは。なんかすごく女遊びをしてるとかあと遅く帰ってくるとかなんかそんなような感じだったと思う。
なるほど。
でそれからその学校で英語の教師として3年が経った頃ぐらいに今ある英語の知識をこう与えてるだけだと自分が満足できなくなったんだよね。
で梅子はね大学長にも相談してより良い教育法を学ぶために再びアメリカへ留学したいって言うんだよ。
でこれが許可されて家族女学校在籍したままの形でアメリカに再度留学することになったんだよね。
でこれねいろんな人脈を伝って紹介で留学先はねアメリカの私立の女子大学ブリンマー大学に決まったんだよね。
24:08
スピーカー 1
ここで当初その2年間の留学予定で授業料とか寮の生活費とか食費っていうのが免除になる特別生としての扱いだったんだよね。
で1889年に24歳の時にフィラデルヒアにあるそのブリンマー大学へ渡ってここでね当時アメリカの女子大としては珍しく自然科学に力を入れてた大学なんだよね。
この頃のアメリカでもさ女性は家庭で良き妻になることが望まれてたりとか高等教育を受ける人ってまだまだ少なかった時代なんだよね。
で特にさ科学っていう道へ進む女性は少なくてそんな中さこのブリンマー大学っていうのは自然科学に力を入れていて
化成学のようなさ家庭にかかることを一切排除した学校なんだよ。
で男性と同等に最高水準の学問を教えることを目指してたんだよね。
でね例えば当時では珍しいことで寮での生活の中で学生にはねやらせなかったことがあるんだよね。
これなんだと思う?
スピーカー 2
学生にやらせないでしょ。この今の流れで言うとさ料理。
スピーカー 1
あそう料理もそうなんだよ。もう一つ言ってたんでね。
スピーカー 2
もう一つ?選択?
スピーカー 1
あーまあ似たような感じだけど中室がよく得意としてたかもしれない。
スピーカー 2
俺得意?
スピーカー 1
うん。
スピーカー 2
掃除?
スピーカー 1
あー惜しい。ベッドメイキングなんだよね。
スピーカー 2
ベッドメイキングかーそれあれかー小片郎から俺伝授されてさ色々あのね教わったもんね。
スピーカー 1
なんで伝授すんだよ。
スピーカー 2
ベッドメイカーのプロ。とこ上手ベッドメイカーの小片郎。
スピーカー 1
いやなんなんだよそれ。
スピーカー 2
だって売ってくるからさ答えないとじゃん俺。
スピーカー 1
違う違う。これでも事実だから。この学校はさそんぐらいさ女性だからと言ってとかその学生にそういうことはさせなかったんだよね。
スピーカー 2
なるほどね。
スピーカー 1
でこの大学はさ優秀な人材を集めるために入学水準をねハーバード大学並みに厳しくして学生を厳選したんだって。
で教師も優秀な人材を集めて後にねノーベル賞を受賞するトマス・モーガンっていう人もいたんだよ。
で梅子はねその大学で最初はね英語や歴史を成功し歴史を専攻してたんだけど。
スピーカー 2
それ絶対ベッドメイクに釣られたでしょ。
スピーカー 1
なにどういうこと?
成功っつったじゃん。
違う。そんなこと。
いやもうさすがだよ。狙って言えるんだもん。
スピーカー 2
この番組やばくなっちゃうじゃん。ちょっと待って。で専攻して。
スピーカー 1
ちょっとダメ。なんだこれ。
スピーカー 2
専攻だよ。専攻。専攻。
スピーカー 1
生物学を専攻したんだよ。
スピーカー 2
で生物学は自然科学の一分野なんだけどなんかこの決断がすごいなって思って。
27:06
スピーカー 1
あくまでさあの留学の建前はさ英語の教師としての教育法をアメリカで学ぶっていうことだったわけよ。
で日本に帰ってもさこの時代女性がさ科学者としてさ生きるってことが不可能と分かってた時代にまああえてこの生物学っていうのを学んだっていうのが
彼女なりの時代の挑戦だったんじゃないかなっていうふうに思うんだよね。
彼女がさこれ何研究したかって知ってる?
スピーカー 2
いや知らない。
スピーカー 1
これね特にねカエルの卵について熱心に研究したんだよ。
スピーカー 2
カエルね。
スピーカー 1
そうそうこれねちょっと内容難しくてねあの具体的に調べようと思ったんだけどちょっと難しすぎて
カエルのね卵の定常位置についての研究をしてて
スピーカー 2
何位置?
スピーカー 1
定常位置。
スピーカー 2
定常位置ってどういうこと?
スピーカー 1
それ言われと困るんだよ。
スピーカー 2
そういうレベルね。
スピーカー 1
卵の位置っていうのは卵の中のことを言ってるんだよね。
その卵自体の場所とかじゃなくて。
スピーカー 2
卵の中身の部分ね。
スピーカー 1
そう中身のあのカエルの卵って最初からさ第一分裂とかさあの分裂していくんだよね。
そうそうで最終的にここいっぱいこうブツブツができて分裂してってそのオタマジャクシが生まれるみたいな。
ちょっとごめん何も言えないんだけどこれ。
ただねこれがねかなり評価が高いっていうことは確かで
その後さ別の分野だけどノーベル賞を受賞することになるそのモーガンと一緒に協調論文っていうのを出してるんだよ。
でイギリスのねこれ雑誌にも載っててカエルの卵の定位っていうタイトルなのよ。
そうそうこれねあの実際にちょっと自分もネットで調べると出てきてもちろんちょっと英語なんだけどね。
載ってたけどまぁこれもマジで何言ってるのかわかんなくて。
ただなんかこの論文ですごいところはオタマジャクシの体の左と右が卵のね第一分割の時に既に決定されてるっていう事実を明らかにしたことが
評価が高いらしいんだよね。
そうそうごめんちょっとね自分オタマジャクシについてあんま詳しくないから申し訳ないです。
スピーカー 2
オタマジャクシに似たものにはなんかね結構詳しいけどね。
スピーカー 1
やめろマジでそういう番組じゃねえんだって。
スピーカー 2
だってもう確実にそれ振ってほしい感じじゃん。
スピーカー 1
違うよおかしいんだよ反応が。
スピーカー 2
あそうなの?
スピーカー 1
そうだよ。
で自然科学のさ研究論文がこうやって外国の学術史に載ったっていうのが日本人女性として梅子が初らしいんだよね。
そうそうでえっと梅子はねこの留学時代に日本の女性がねアメリカ留学ができる機会を与えるためにアメリカでね講演とかして寄付をね集めてるんだよね。
30:01
スピーカー 1
当時ね8000ドル集まればその利子で数年に一人日本から女子学生を招くことができるっていうのを知ってこういう行動したんだよね。
そこでね目標金額を達成して彼女はねその寄付金で留学できる仕組みを作ったんだよね。
その後実際に数十名の生徒をアメリカへ送り出すっていうことをしてるの。
こんな活動もしてるしでこのブリンマー大学でね梅子は1年間留学を延長して研究をさらに続けて。
最後の1年はね学生女子として採用されて実験の授業とかで他の学生たちの指導もしてたりしたんだよね。
でまぁこんな風に優秀な生徒だったからその学長からも大学に残って研究を続けるようにって強く勧められたんだけど梅子はこれを辞退するんだよね。
で学長はね信じられずに憤慨したっていうのが何か記録に残ってたけど。
まぁこのまま残ってさ研究続けてたらその科学界でも活躍したんじゃないかっていうそれぐらいだったんだと思うんだよね。
実際にねこの学校の生徒だったりそのモーガンの教え子とかその後活躍してるからね。
だけどね梅子はその留学期間が終わって帰国を決意して日本のためにその教育者としてっていう義務感があったみたいなんでね。
で28歳の時に日本に帰って家族女学校に復職する。
ここでねまぁなんか復職してからそのアメリカでその生物学を学んだってことはね公の場でほとんど語ってないんだよね。
日本ではね女性がやっぱり科学者として生きる道っていうのは閉ざされてたから。
でもねその後も自分なりに研究を続けてそのカエルの卵を保存してその発生の観察を続けてたりとかそういうことはやってたんだよね。
家族女学校で働く梅子はだんだんねその自分の理想に合わないというかちょっと不満を抱いてくるんだよね。
これはね家族女学校での古い慣習に縛られた考えっていうのがなんかその自分の理想と合わなかったらしいんだよね。
でここの生徒ってさそもそも上流階級の女性たちなんだよね生徒が。
で梅子はねこんなことを言ってるの。
上流階級の女性たちは隔絶された古い日本家庭の奥深いところで召使いたちに囲まれ新しい教育の主張する者から最も遠いところにいる。
男女の差は下に行くほど小さく一番貧しい階級ではまだ平等に近いっていう風に言ってる。
そこで彼女はその身分関係なく希望すれば学ぶことができるっていうような女性のための学校を作ることを決意するんだよね。
でそこで1900年に女子英学塾っていうのを開校しつつる。
で工事町にねこれ6畳の教室が2つの小さな塾でスタートして生徒もね10人ほどだったんだよね。
33:01
スピーカー 1
この梅子ってさその前の家族女学校で教授でその当時の女性でさかなり高い給料ももらってたわけよ。
それを捨ててこの女子英学塾では最初数年間はね無収入で働いてたらしいよ。
アメリカからの協力者のアリス・ベーコンって人もいるんだけどこの人も梅子の気持ちに賛同して無報酬で働いてる。
その後ねこの塾の教育の評判が高くなって徐々に生徒が集まり出したんだよ。
規模を拡大していってちょっとずつ大きくなったんだけどこの塾はね創設からね多くの寄付によって支えられているの。
それはね梅子の人望があってブリンマー大学時代に知り合ったアメリカの人たちだったりとか日本でもさ大山岩夫と結婚したステマスとかニトベイナーゾーとかもね次々とその信じられない額の寄付が集まって塾っていうのは継続することができていったんでね。
で梅子のさ授業での様子がいくつか残されてるんだけど彼女ってその厳格でかつね情熱的な授業をするっていうので有名で
出来の悪い学生とか反抗的な学生にはもう容赦なく叱りつけるっていうのは結構恐れられてたんだよね。
生徒がね満足のいく発音ができるまでもう荒々しく叫んでもう一回言わせるっていう。
あと曖昧で抽象的なことが嫌いで例えばね英作文で生徒がちょうどでその頃日露戦争中で毎日の節約が大切で食事もあまり贅沢をしてはならないっていう風に書いたんだけど
そこで先生のツッコミが入って日本人は栄養の取り方が少ないのに節約するというだけではダメ。肉をやめてその代わりに安くて栄養のある豆腐を食べるっていうように具体的な例を挙げなさいっていう風に言ってんだよね。
こんな風にただ英語を教えるっていうだけじゃなくてその生徒に深く考えさせるっていうことを教えてるんだよね。その後津田梅子って塾が軌道に乗った矢先に糖尿病とか喘息の発作などが悪化して教師から引退してるんだよね。
自宅でしばらく過ごしてその後何度かの脳一血に見舞われたと1929年に64歳で亡くなって。この女子英学塾はさ規模が拡大して場所とかその名称がいくつか変わっていって1948年に今の津田塾大学になってるんだよね。
こう見ると津田梅子って今のような津田塾大学っていうような規模の大きい大学っていうのは自分がいる時には見てないわけよ。あくまでもその原型となる塾を立ち上げてこれからって時に亡くなっちゃってるんだよね。
最後にまとめると彼女は女性の地位が低くて、女性はこうあるべきだっていう古い慣習に疑問を感じてその時代の縛りの中でも必死にもがいて挑戦し続けた人だなっていうふうに感じたんだよね。
36:08
スピーカー 1
そんな彼女の思いのこもった卵が後世の日本に孵化して優秀な人材を育てることにつながったんじゃないかなって思ってます。
スピーカー 2
なるほど。うまいことを言ったつもりかもしれないけど、小片郎が卵とかそういう言葉使うとやっぱりちょっとね、俺はどうしてもちょっとそっち系思い浮かんじゃうんだよね。
スピーカー 1
やめろ、もうぶち壊しじゃん。
スピーカー 2
え?そうじゃないの?
スピーカー 1
こういう回にしたくなかったんだよ。
スピーカー 2
いやもうなんか俺津田梅子っつった時点であーもうなんかこれはそういう回になるなってちょっと予感したもん。
スピーカー 1
いやいや申し訳ないよ、津田梅子。
スピーカー 2
いや、小片郎がやっぱ女性を扱うとやっぱそういうね、どうしてもそっちに行っちゃうじゃん。
スピーカー 1
いや最悪だよこれ。
スピーカー 2
まあ楽しんでいただけたらいいんじゃない?
スピーカー 1
女性リスナーまた減っちゃうよ。
スピーカー 2
大丈夫、小片郎は女性リスナー多いからさ、ファンが。
スピーカー 1
いないわ誰も。
で、まあいかがでしたでしょうか。
スピーカー 2
やっぱそうだね、津田梅子がどういう人かとかもちろん知ってたけどさ、あんまりさ、じゃあどういう留学でどうだったとかさ、なんだろう、
で、どういう経緯でじゃあ津田塾につながるところまで来るかっていうそういう細かい部分やっぱりちょっと知らなかったし、
あーなるほどねっていうところが今日は知れてよかったなってところなんだけど、
やっぱりさ、なんだろ全体的なところで言うと津田梅子ってさ、その本当に女性の地位がさ全然、
まあ今の世の中と全然違うわけじゃん、全然さその地位がなくてさむしろもう男尊女卑っていうのがもう本当にさ完全にまかり通ってた時にやっぱり女性として、
女性でもやればできるんだっていうのを証明した人でもあると思うんだよね。
やっぱりさ、こういう人がいたからこそ今の世の中に通じて、まあ今全然ね、あの男尊女卑なんていう言葉はもうほぼほぼなくなってきてるわけじゃん。
まあとはいえ一部あったりするけど、逆もあるしねっていうか。
まあでもやっぱりさ、完全に男尊女卑だった時代で女性でもできるんだっていうのをこうさ、自らやったっていうところがやっぱり一番の偉業なんじゃないかなって。
まああのやっぱり津田塾を作ったことがとかっていうよりは、やってみせたっていうところの方がやっぱすごいのかなとは思うよね。
そのやった功績っていうよりもやったこと自体がすごいって言えばいいのかな。
スピーカー 1
そうだよね。誰もがさ、だからその時代さ、この宇都田梅子もさ、結構求婚されてた男性から、でも全部断ってさ、結婚したらさ、多分その時代としては楽だと思うんだよ。
だけどあえてそのなんだ、自分は厳しい立場にっていうのかな、なるけども、その後世のためにというかね、女性の活躍できればを作っていこうっていう、なんか行動がすごいなと思って。
スピーカー 2
なんか捨松の話もしてたじゃん。捨松は結婚してさ、津田梅子は結婚しなくてっていうところでさ、まあ要はさ、捨松はその当時の女性の当然の幸せっていう価値観のもとを行動したんだよね、きっと。
39:03
スピーカー 1
あーそうだね。
スピーカー 2
そう。で、津田梅子はそれをしなかったっていうところで、別にどっちがさ、いいとか悪いとかっていう話じゃないけどさ、やっぱりさ、俺も多分そうだんだけど、結局さ、今の価値観においてじゃあ何が幸せなのかで多分行動しちゃうと思うんだよね。
だからそれを抗えるっていう、まあバイタリティというか、まあなんていうんだろうね、津田梅子はなんかやっぱすげえなっていうのはすごい感じました。
スピーカー 1
ね。なんか舞姫に通じるよね、ちょっとね。
スピーカー 2
舞姫に通じる?どの辺が?
スピーカー 1
舞姫ってあれでしょ、結局その時代にさ、は逆らえないよねっていう。
あーそういうことね。
でもこの人はその抵抗して生きたっていうような感じを受けたんだよね。
スピーカー 2
若干鴎外ディスリーになってるけど大丈夫かな。
スピーカー 1
はい、そっか。まあ、そう。
もしよかったら大人の方もね、今後その五銭札の津田梅子を見て、こういう人もいたんだなっていうのを思ってくれたら嬉しいですね。
スピーカー 2
はい、そうですね、ぜひとも。
スピーカー 1
はい、ということで今回は津田梅子でした。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
この番組概要欄というかね、詳細情報だったりとか、クリックして下スクロールしたりとかすると概要欄が出てくるので、そこにね、ちょっといろいろうちらがやってるSNSとかサイトがあったりするので、よかったら見てください。
スピーカー 2
はい、ちょっと見るだけで全然結構なので、ぜひともよろしくお願いします。
スピーカー 1
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。