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2021-11-13 06:15

#25【家】父方の祖父から戦争体験を聞いた記憶を思い出しました。

祖父は当時の年齢では徴兵されないはずだったのですが、自分で志願して繰り上げで軍に入ったと聞きました。どうせ行くなら早い方が良いと思ったそうです。ところが、すぐに終戦になり、北朝鮮あたりにいたようで、ソ連の捕虜になりシベリア抑留となってしまいました。細かいこと来週に話そうと思いますが、祖父はいつでも笑って教えてくれました。常に前向きだったんだなと思います。一緒に暮らしていた時は、外交的ではなく気難しい印象が強い祖父でしたが、私が小学生のころは漢字の書き方を教えてくれたり、幼児期に壊したオモチャを直してくれたりして、優しい面もありました。ただ、私の母は相当苦労していた記憶があります。今でも、私の妻も私の両親に気を遣っていますが、私の母は時代的に男尊女卑の雰囲気が祖父にはあったと思うので、より大変だったと思います。色々振り返ると今私が生きているのは家族の存在無くしてあり得ないんだなと思います。

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おはようございます、アキヒコです。今日は2021年11月13日土曜日ですね。
昨日まで仕事終わりの方お疲れ様でした。
私も今日は休みです。
昨日ですね、出勤前に車の中で話したときに
ちょっとエアポーツつけ忘れてしゃべって、もうもうしてしまって
ちょっと失敗したなと思ってます。今ちゃんとエアポーツつけてます。
土曜日は何の話をするかというと
家のことということで、家というと物理的な家のこともありますし
あとは家族、人間のことですね。家族のことっていうのもあるんですけども
今日は家族のことを話してみたいと思います。
家族のことを忘れちゃったら本当に悲しいので
先に家族のことですね。私の記憶の中にしかありませんから
その話をしようと思います。私は今34歳で妻がいて
長女5歳、長男3歳、次女1歳の3人の子供がいます。
今両親と一緒に暮らしております。
父と母ですね。今7人家族ですね。
私の実家で奥さんも一緒に暮らしているということですね。
私には兄弟がいて、2つ上の姉、5つ上の兄、7つ上の姉がいます。
ですので私は4人兄弟の末っ子ですね。
末っ子ですけれども、兄弟はみんな姉たちは結婚して家を出て
兄は仕事の都合で別な県にいるので
私が結局地元近くの市役所に勤めるようにしたので
私も家に戻りたいなという気持ちもなんとなく出てきたので
戻ったというところですね。
父と母にはそれぞれ祖父号がいるわけで
父と父方、母方のですね。
今日はそっちの方の話をしていきたいなと思うんですけども
まず母方の祖父号はもうなくなっています。
そうですね。母方の祖母は優しい方でしたね。
あんまり怒ってるのはほとんど見たことなかったですね。
逆にその夫である母方の祖父は結構おこりん坊というか
大きい声でてますね。
私も結構大きな声で怒っちゃって
妻とか母とかから声デカいって
そんなに大きな声出さなくていいんじゃないのって言われるんですけども
これ遺伝のせいにするのはよくないんですけど
もしその辺は似てるのかなーなんて思うんですけど
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そこはですね、ちゃんと自覚して
怒鳴りすぎない
ストレスを発散するために怒鳴ってる可能性があるので
子供を屈服させようとして
話をしても綱が伝わらないからということで
自分への敗北なんですね、怒鳴るっていうのは。
それちょっとやめたいなとは思うんですけども
ちょっと話が逸れました。
あとは父方の祖父号ですね。
この二人は存命なんですけども
祖父と祖母はグループホームに入っていたんですが
数年前から
9月の末ぐらいですかね
祖父がベッドから落ちて
太ももを骨折してしまって
入院したんですね。
入院している間にご縁してしまって
肺炎になって
結構危ないんじゃないかということになったんですけど
今ところまだ大丈夫なようです。
入院中ですね。
祖母については今グループホームに入っているということですね。
この祖父号は結構苦労をしてきた
ということを昔から聞かされてきました。
では祖父の方ですね。
祖父は戦争の終結する直前に
年齢的には
戦争に行かなくてもよかったんですけど
どうせ行くなら早く行った方がいいということで
自分で志願して
戦争の軍に入ったんですね。
すごいなと思うんですけど
その当時の雰囲気とかがいろいろあったんでしょうね。
祖父自身の考え方とか
どうせ行くなら早く行った方がいいと。
そうしたらすぐ終結して
終戦になって
祖父は北朝鮮の方にいたのかな。
たぶんその時。
シビリア浴流を体験したというか
旅行されてしまったんですね。
たぶんアフガニスタンとか
中東の方に行ってたみたいで
そこでいろんな工事とかさせられたということで
いう話を聞いてますね。
その時の話が結構小学校の時にですね
学校の授業で戦争体験を
お家の人に聞いていきましょうということがあったので
その時にいろいろ祖父に話を聞かせてもらって
学校でレポートじゃないですけど
そういうのにまとめてた記憶があります。
その時の話が結構
祖父は楽しくしゃべるんですね。
ニコニコとしながら。
だから時間が経つと
そう笑えるのか
それともその当時から
そういう前向きな気持ちで暮らしていたのか
もしかしたらそうなのかなと思うんですけど
06:01
ちょっと今日もだいたい時間になったので
この祖父の戦争体験で聞いた話について
また来週の土曜日に話をしたいと思います。
今日も聞いていただきありがとうございました。
ではまた。
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