問題の提示
Catalyst、思考のハンマー投げラジオ。
毎朝5分のアウトプット週刊。
思考のハンマー投げラジオ。
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再生数を気にせず、思考を言語化するポッドキャストです。
おはようございます。たてみアキヒコです。
今日は、言わされるありがとうというタイトルでお話をします。
これはね、矛盾してるんですよね。
ありがとうという言葉は、自分の内面から自然と出てくるものなんですけども、
言わされる時点で、それはありがとうじゃない。
そんなことはね、わざわざ私が言わなくても分かってることかもしれませんが、
結構ね、勘違いしてる人ってのは多いと思います。
で、ご多分にもれず、私の家族の中でもそういったことがよくよくしょっちゅう起きるんですよね。
それは子供の教育の場面。
子供が何かをしてもらった時に、ありがとうって言うんだよねとかね。
こういう時は何て言うんだっけとかね。
それはそれでね、言わなきゃ分かんないんですけどね。
何回も何回も言って、ありがとうって言わなきゃ次に会ってやんないぞとかって、
それはもう脅しじゃないですか。
それは違うんだよなーって。
してあげたら、もうそれで子供が喜んでるんだったら、それはそれでいいじゃないですか。
そうじゃなくて、ありがとうって言わせたいっていう気持ちって何なんだろうって思うんですよね。
その子供のためをもって、子供の将来、礼儀とかそういうお礼が言えないような、
そういう大人になってしまうと、その子供が困ってしまう。
子供自体が苦労すると。
それは苦労したらその時に学べばいいんじゃないかなと思うんだけどね。
それを先回りして、何かをしてもらった時はありがとう。
何かを買ってもらった時はありがとうって言うんだよって。
それはまあ教えればいいんですけども、その知識として知識とか、
そういう風にするもんだっていう風に教えるっていうのはいいんですけども、
それを無理やりやらせるっていうのはまあちょっと違うんですよね。
そうやって言わされるっていうのはすごく嫌な経験になるんですよね。
子供にとってはもう無理やりやらせられるっていうのが本当に嫌なトラウマになると思うんですね。
私、子供じゃないですけども、大人だとしても無理やり強制させられるってすごく嫌じゃないですか。
だから子供はなおさらそうだと思うんですよね。
自分の自由っていうのは、自由っていう言葉が言語化されてないにしても、
自分の生きたいように生きるっていうことがすごく大事な年頃なんじゃないかなと思うんですよね。
それをね、子供のためを思ってっていう、それってね、ちょっと違うんじゃないのかなって思いますよ。
それって結局自分が感謝されたいからとか、自分の気が済まないからっていう、
そういうものが本当は内側にあるんじゃないのかなって思っちゃうんですよね。
いやそれは私の考えすぎかなって思うんだけど。
だからね、子供に何かを教える時っていうのは、無理やりあらせるんじゃなくて、
親がその姿勢を見せるとかね。
何かしてもらった時は、ありがとうございますって心のこもった声でね、言うわけですよ。
ありがとうって言いなさい、ありがとうとかって。
そんなんじゃダメじゃないですか。
それでいいと思っちゃうんですよね、逆に。
言わせてそれで満足してダメなんですよ。
だからといって、心がこもってないとかって言うとまたそれはね、悪循環になってくると思うんで、
それはもう代わりに大人がね、その姿勢を見せる、それしかないと思うんですよね。
これと同じようにやってみろって言っちゃダメ。
っていうのは、この話っていうのはちょっと前から思ってはいたんですけども、
親の背中を見せる
ちょうど昨日ポッドキャストのママが自分を取り戻すラジオでパスアイテムの杉部さんが子供の日のエピソードとして、
子供の好奇心とかそういうのは親が押し付けるものじゃなくて、
親が本当に楽しそうに何かをしている姿を、
ただ、恩恵がましくとか、押し付けがましくじゃなくて、
ただ見せるっていうだけ。それでいいんじゃないのかなっていうような話をね、してたと思うんですよ。
で、それって、ありがとうって言わせるか言わせないか。
で、それをどういう風に教えていくか。
教えるってこと自体がね、ちょっとおこがましいのかもしれないけど、
そういうことがあるんじゃないのかなって思って、
ちょっと今日ね、話をしてみました。
今日はありがとうってね、言わされるものではないという風に思っていたんだけども、
じゃあどうやって教えればいいのかっていうと、それはね、
親が背中を見せる、ただそれだけじゃないかなって思ったっていう話です。
ではまた。