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よいしょー、さてと、スタエフバトン311回目、これからスタートいたします。
さて、念願のスタエフバトンを受け取ったんですけれども、皆さん声は届いておりますでしょうか?
どこだ? 今iPadからしてるんですけれども
一人でではつらつらとお話をさせていただければなぁと思っております。
さてと、BGM、あれ?BGMちゃんとさっき決めたはずなんや。
いや、ちゃうな。これか? ちゃうな。
えーと、これこっちだよ。こっちこっち。 こっちでお願いしますね。
で、サウンドの設定は14ぐらいにしとこうかな。
えーとですね、では早速、あ、えいこさんこんばんはー。
えいこさーん、この度はスタエフバトンありがとうございます。
ちょっと音は大きいな。 これぐらいかな。
よし、よし、じゃあちょっと自分史早速始めさせていただきますねー。
えーと、そうだなぁ。
まずですね、生まれは博多育ちでございます。
そうですね、31歳まで私、博多にずっと親元におりました。
一人暮らしもしたんですけれども、まあ 親元に結局はまあいろいろね、あって戻っていたんですけれども、
小さい時はですね、ずっと本が大好きな子で、
というかネクラでしたね。いじめられっ子で、あの人ととても話せるタイプではありませんでした。
もう本当に私の友達というのは本だったので、
基本ずっと本が友達というような子で、私の生き甲斐はラジオを聞く子でしたね。
ラジオが私の生き甲斐で、ラジオの葉書職人を小学校の時からやっているような
子でした。先日初めて博多に行きました。お邪魔しました。
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博多はめちゃくちゃいいところなんですよ。美味しくて、安くて、みんな優しくて、
すっごくいいところなんですよね。居心地が良すぎて、私31歳まで博多にいたんですが、
結婚するね、お年頃に大きくなってなったわけですよ。
ほんとね、いじめられっ子も大きくなっていって、高校が地元から離れると友達関係も変わって、
私兄弟だったので、お宅の友達とかも多い高校に行って仲間もできて、すごく幸せに暮らしていたんですね。
ずっと本は好きなのは変わらず、兄弟好きで大きく育って、
何と言いますかね、
二度ほどね、結婚しそうになるんですよね。
結婚しそうになって逃げて、結婚しそうになってまた逃げてというものを繰り返して、
私はどうやら博多では結婚できないなと、
何か違うんじゃないかなとですね、思い始めた、30手前の頃がございまして、
結婚するって、織りに入れられるような感じがして、
結局は親の織りからこの男の織りの中に入るだけかと思ったらですね、
嫌だと思って、1回目逃げて、また数年経って、
付き合いして、そしてまた結婚の話になって、
織りに入るなと思ったら嫌だなと思って、また逃げちゃったんですよね。
おぺんさんこんばんは。出遅れたおぺんさん、すが。
あ、ともこさんこんばんは。初めまして。
スタイフ・バトンの関係者様ですね、ともこ様。
こんばんは、初めまして。おぺんさんこんばんは。
それで、私の史上はきっと博多にはいないな、男性と思ったわけですよ。
で、婚活のためにですね、私、上京を博多から東京にしたんですね。
で、親には何も言わず、家で上京しまして、
私、ぽんと急にいなくなって、シェアハウスにおりました。
東京の秋葉原のね、シェアハウスにおりました。
ともこさんハート、おぺんさんヘー、おぺんさんドキドキと、
だから人脈もなく、あの、ちょうどね、いい感じで、
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あ、ひろくん。ひろくんこんばんは。さっきDGM教えてたね。
ひろくん教え方うまいからね。
で、博多でから出て、東京に史上があることは知ってたんですよ。博多女子はモテると。
で、まあ博多女子はモテることは、本当合コンめちゃくちゃいって、
めちゃくちゃモテたんですよ。博多女子というだけで、
あの和牛扱い、松坂牛扱い並みに、
ちやほやされて、第2の青春を私は謳歌してたんですね。31歳で。
牛ですよ。ひろくん和牛ですね。
で、まあそんなことをしていて楽しかったんですけど、
まあ目的は婚活のために来てて、私こんなことしてたらあっという間に年を重ねるなとふと、
半年ぐらい経って気づいたんですよね。
あ、えいこさんバイタリティーがすごい。
イエス。行動力と瞬発力がずっとある。とっちらかっているやつでございます。
泣き笑い。イエス。
で、私そういえば婚活のために来てたっていうことで、
本当にちゃんと探そうと思ったんですよ。
合コンは遊んで、わー楽しんで終わってたんで。
で、ふとですね、私はお年を重ねている昭和の人なので、
ふとミクシーを見たんですよ。
ふとミクシーを見て、10年前に私東京によく行ってたんで、
10年前の友達、オタク友達が明原で飲んでいるっていうのを通知が、
ミクシーを数年ぶりに開けたら出てきてたから、
あ、なんかピンときて、久しぶり覚えてる?私今明原住んでるよ。一緒に飲もうって言って飲んだんですよね。
で、そこの飲みのきっかけで、
あ、ラビアン・ローズさんこんばんは。ヒロ君、オタ友。
ラビアン・ローズ、スタイフーバトンの夢が叶っておめでとうございます。
それはラビアン・ローズさんのおかげです。こちらこそありがとうございます。
で、夢、えっと、そこで、
ミクシーの友達にちょうど久しぶり会って、
で、覚えてるのが、NHKかどっかの取材が来てたんですよ。
秋葉原の女装カフェで。
私の友達は男の人だけど性別が男だけど男が好き。
見た目は女装だけど女が好き。
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見た目女装で中身女に実際性転換したとか、
そういったお友達がとても多いので、そこで久しぶり会って、
で、秋葉原のAKB48の総選挙があってたんですよね、画面で。
取材で顔が映っちゃいけない人は顔を隠してくださいとか言われたのを覚えてるんですよね。
ラビアン・ローズさんお風呂入ります。挨拶ありがとう。ヒロ君複雑だ。複雑ですよね。
元からね、私とっちらかってるんで。
で、そこで夫の大学の先輩にあたる人と知り合ったんですよ。
で、そこぐらいその人たちとよく一緒にコスプレをしたり遊んだりしている
延長戦で夫と知り合ったんですよね。
あの大学のOB会があって。
で、そういうふうにみんなで遊んでるうちに夫と仲良くなって結婚したんですけど、
こういうね、とりあえずまあ結婚まで、状況から結婚まで言うと、ざっと今10分で話したんですけど、
まあとにかく、
思ったら即行動っていうのがずっと自分の中の理念としてあるので、
めちゃくちゃ動いていました。
で、夫を見た時も、もう夫の頭の上にこの人が旦那様ですって書いてあったんですよ。
私には空気中にそういったものが見えたんですよね。
なのでもう猛アタックして半年で付き合って半年で結婚してっていうね。
結婚まではもうほんと、ちょっと妻を死んできたんですけど、
まあ年をね重ねていたので、子供が私、
高齢出産にあたるのかな?産む時代で。31歳ぐらいだったんで。
で、えっと、
まあ妊活を、結婚して妊活をして、無事子供には恵まれるんですが、
NICUにですね、うちの子が入ったんですね。
で、ちびだったんで、1200ですよ、1200。
なんだ、ペットボトル以下の大きさで、32週で産んだので、NICUに行ったんですね。
そう、1200。ペットボトルよりもちっちゃいの。
私はね、これに対して最初は深刻に思っていたんですけど、
一人目、二人目、NICUで産むと、
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あの、まあ考え方も変わってくるわけで、
あ、自分が寝てる間、ちゃんと看護師さんとかお医者さんが24時間体制で、
子供のことを面倒を見てくれて、高額療費という制度もあるから、
お金もそんなにかからずに見てくれる、ラッキーっていう考えに変わったんですよね。
実際にはでも、医療費負担っていうのが3、400万が3、40万ぐらいに収まる負担だから、
まあそれなりに負担はあるんですけど、
でもね、ほんとNICUに子供が行ったことで、たぶん私の人生って大きく変わったので、
ここは自分の人生、自分史としてめちゃめちゃ話す重要ポイントなのかなぁと思いました。
エコさん、なるほど、イエスそうです。
で、子供が病院に行きがち、入院しがち、退院したと思ったら入院するっていう日々を暮らしていると働けないわけですよ。
働けない、パートに行きたいけど行けない、じゃあどうしようかと思った時に、
まず、じゃあもうこれ起業するしかないよねと思って、最初はカメラマンで起業して、
で、そこからちょうどコロナ禍になったんですよね。
で、コロナ禍になったからカメラマンの仕事とかないわけじゃないですか。
で、なんか自分の中でカメラマンをやって、芸能人の方のホールの撮影とかもしたんですけど、
撮影してて気づいたんですよ、私。
私、人の子を撮るのは好きじゃないなって思ったんですよね。
子供は好きだけど、写真撮りたいのは我が子だと気づいたから、
私カメラマン向きじゃないってわかって、そこでKindleのプロデュースの方にしたんですよね。
ちょうど時代的にもコロナでカメラマンもないし、Kindleのプロデュースって全部オンラインで済むので、
そういった講座に行って、最初のセールス、クロージング、マーケティングとか、メルマガとか、そういったものを一同に習って、
全部実践して、Kindleのプロデュース、そこで習ったことをすべてやって、
そしたら私の場合は本当に、多分リサーチが得意なので、
リサーチして、どんな人、どういうふうにやったらいいかっていうのが、
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運よく当たったっていう感じで、トントントンとずっと紹介が続いて、7組ほどKindleのプロデュースをしていました。
おじいさん、こんばんは。おじいさん、あざす。
で、そこでKindleのプロデュースをして、私の場合はちょうどKindleが流行った最初。
いわばクラブハウスが流行る手前ぐらいだったですね。それぐらいだったから、Kindleの市場もランキングも読みやすかったので、
運よく自分がプロデュースした人がAmazonランキング1位、113巻取れたし、全員合わせてベストセラー11巻って取れたんですよね。
ただ、ちょうどクラブハウスが流行った時に、みんなKindleの出版をして、ランキングがゴタゴタになるような感じになったんですよね。
エコーさん、パチパチ。で、そこでKindleは飽和したなと思って、ちょうどクラブハウスが流行った時に私は撤退したんですよね。
次は何だろうなと思った時に動画に行ったんですよ。
動画やっていて、その様を見ていてくださった企業さんがいて、お声掛けがあって、それから行政の在宅のテレワーク講座の先生をしたり、
職業訓練校の動画の講座の先生っていうふうに、今の現状にこうやってつながるんですけど、
オンラインでいかに子供が小さいながらに、実際に稼いでいけるかなっていうのを考えた時に、
同時にココナラも始めてて、ココナラでビジネス01のコンサルのサポートしたり、
ココナラ講座したり、動画講座したり、占いやったりっていうのをやってました。
自分の中でオンラインでいかに稼げるかっていうのをずっと模索していて、
で、まあ、何だろうな、研究体質なので100件は絶対行くぞって決めて、コンサルつけてやったら、まあ100件は行ったんですよね。
なのでなんか、私はいかに小さい子供がいる中でどう稼ぐかっていうのを、
まあ模索をずっとし続けた感じなんですよね。効率化、効率化、効率化、無駄がないようにっていう動きをずっとしてきたんですよね。
ペンさん、パンパン、パンパン。
ペンさん、今の私それよ、わかるよ。でね、そうなって気づいたのよ。
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虚しいって。ペンさん、幼子抱えて効率よく。
ねえ、虚しさがね、広がったのよ、自分の心の中で。
なんか今まで、本当は先生楽しくて、やりがいを持って転職だと思ってやってたんだけど、
それがなんかね、業務になってくると楽しさがなくなってきてて、
で、私何のために生きてんだろうっていうふうに思って。
おペンさん、無駄が人生の豊かだよね。そうなの。
そう思ってる時に、ちょうどひじりくんのね、上野の美術館でひじりくんの作品が飾られてて、
それを私見に行って、
うわ、すごい!ってなったんだよね。
ひじりくんの作品と他の人の作品を見て、
ひじりくんが尊敬してる松岡さんっていう方のアーティストのその作品を見て、
で、松岡さんと私も話して、
クリエイティブだっていうのがもう全身に痺れが走って、
で、私にとってのクリエイティブは何だろうと思って、漫画だったんだよね。
それで漫画を描き始めたんだけど、
正直、人生で言うと、効率家とは全く違う動きを今やってて、
クリエイティブは結構非効率なことが多いし、
漫画もやっぱ構成考えたり、オチ考えたりしないといけないから、
結構時間がかかったりして、
そういうことをやってると、
自分の中でね、ちょっと非効率だけどでもやりたいことっていうのを、
今、動きとしてやってる。
でもやりたいし、やりがいを感じてて、
本当に、何だろうなぁ、
昔から、小さい時からやりたかった夢っていうのが、
画家だったから、画家と漫画家だったから、
ああ、これなんだなって、本当のやりがい、
やりたいことっていうのを、
この無駄?
無駄こそ本当の豊かさで、やりがいなのかなっていうのをね、
感じているのが今で、
で、また最近ね、ひじりくんが、
ちょうど家の近くのレイクタウンで、
クリエイティブ文化祭っていうのをね、企画して、
たくさんのね、有名な画家さん、
あのミジョリのカエルさんもね、絵をね、出されてて、
ああ、ひろくんありがとう、すごい夢叶えててすごい、
ね、ほんとね、周りのおかげだよね。
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いや、私たちもよく頑張ったと思う。
で、ひじりくんのクリエイティブ文化祭に行って、
またいろんな人の作品を見て、
私も描きたいってなって、
で、ひじりくんに即声かけて、
私もこういうのに出展したいって言って、
で、今度1月私出すんだけど、
で、その流れで今中小学校描いてて、
ほんとね、多分他の人から見たら、
なんて落ち着きのない大人なんだっていう状態なんだよね。
で、何を夢を見ているんだと、
普通の人は思う状態です。
でも私にとっては、なんか自分が生きてきた様、
この落ち着きのない、
ちらっと散らかってるこの様を漫画に描くことで、
絶対に救われる人はいるって私は思うんだよね。
だって婚活の人だってさ、
めっちゃ辛いよ、婚活やってる時って。
なんかもう自己否定しまくりだったしさ。
だからそれをね、一個一個自分の動いてきた過程を、
ちゃんとこれの漫画の結論はここって決めて、
伝えたいことはここって決めて、
それをね。
でしょ、ベンさん。
婚活しんどかったよね。
私もしんどかった。
数年やったもん。
辛かった。
で、本当にね。
で、私はこの、
今ね、今日も抽象画描いてて、
描きながらね、めちゃくちゃ涙が出るのよ。
で、私は今怒りとか悲しみに向き合う、
怒りと悲しみをテーマにした抽象画を描いてるから、
自分の内観に入って、
描くと涙が出て、
で、やっぱり私がしたいことってクリエイティブなんだなって、
生み出すことなんだなって、
今日も改めて思ったんだよね。
おべんさん。
暗いトンネルをロウソク形に彷徨ってる感じ。
そう、ほんとそう、おべんさん。
出口どこ?
出口あるのってそう。
私はね、高い壁があるような感じだった。
えっ、私、何、そんなに求められてない?みたいな。
チーンってなってた。
で、私はこういうふうな今の状況でいるんだけど、
だから何だろう、求められて、
その個人の今ビジネスサポート、
コンサルをやったり、動画講座を行ってしたり、
っていう、何、自分ができることっていうのをお仕事にしながら、
漫画を描いてほしいって、
あの、自分が所属しているサロンの人に言われて今描いてて、
あとアイコン描きもちょっとお願いされてるのもあるから、
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そうやって一個一個自分で営業してって、
今お仕事をとっているっていう感じで。
あー、カフェかー、涙うーん。
ね、あるよね。
でね、やっぱり最後にね、
ちょっとこの30分終わる前に一番最後に伝えたいのは、
ウクレレのね、私、出会ったのが今年の3月で、
やっぱり無駄なんだよね。
漫画も、画家も、ウクレレも、
一見見たら何の効率にも良くないし、
練習時間も必要だけど、
でもね、得るものがすごく大きいんだよね。
人との繋がりとか、
あの、私は人のために動くとか、
めんどくさがり屋でそんなことしない人なんだけど、
おぺんさん芸術とはそういうものよね。
いや、ほんとそう。
でもね、この無駄、
一見無駄に見えることが私にとっては、
生き甲斐に今なってて、
やっぱりウクレレ2月、3月、
弾き語り、ステージの上に立つっていう夢がもう叶ってるんだよね、来年。
おぺんさん、でも、芸術は心を豊かにする。
いや、ほんとそうだよ、ひろくん。
ひろくんの人生のテーマは夢なので、
いつまで夢を見ているんだという言葉に負けないで、
生きていきたい。大丈夫。
夢はね、ずっと湧き出るから、大丈夫。
ひろくん、ハート、えこさん。
世の中の無駄ほど、彩りを作れるものはないと思います。
そう、で、このね、背景は、えこさんが描いたインクアートなんだけど、
ほんとこのインクアートそのものだと思うんだよ、人の人生って、人の自分史って。
この彩りってさ、わかんないんだよね。
で、この人生の一人一人違う彩りを作ってるこのスタイフバトンって、
私はとてもキラキラ輝いてて、鮮やかで、すごく好きなんだよね。
ちょうど夫を待ってる間、ことさとさんのスタイフバトンを前に聞いて、
その時に、ああ、出演したいなって思って。
で、今夢叶ったんだけど。
でね、今話しながらさ、そのように受け取ってくださり嬉しい。
いや、ほんとに。
で、あと4分でまとめるとね、
そういえば私ね、そういえば東京に来た時に、
働きながら、ああ、カメラやりたいなって思ったのよ。
今思い出した。今思い出した。
で、いつも通り家の近くのちょっと銭湯に行って、
銭湯帰りに直感的に右に曲がれって言われて、
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脳裏に青い矢印が出てきて、次は左だっていう声が脳裏に出てきて、
もうその通りに直感で動くから、
あいあいさあ、みたいな感じで動いたら、
そこにね、フィルムカメラを持った3人の男の人がいたの。
ともこさんパチパチ。
で、私はカメラをやりたいと思った時に、
フィルムカメラの持ってる3人の男の人がいたから声をかけて、
それ何ですかって言って追いかけて、
で、私フィルムカメラしたいですって言って、
で、その人たちと私実際2回ね、
息袋でフィルムカメラの展示会やってんだよね。
だから私は東京に出て夢をすごく叶えられてるの。
おべんさん、カメラカメラカメラカシャーカシャーカシャー。
ぺんさん、3人の賢者だ。
えいこさんすごいね、ほんとね。
だからね、私はこの配信の最後に伝えたいのが、
環境を変えろ。
環境を変えるんだ。
そして動け。
もうそれしかない。
私は親がすごくできあいしてくれて、
愛されて、愛されまくって家保護で動けない状態だったから、
実家を出るしかなかったけど、
えいこさん全く同意。
ね、もうこれしかないと思う。
頭で考えずにどうか動いてほしい。
私何も持ってなかったから、スキルもなかったよ、
人脈もなかったよ、お金もなかったよ、
なんもなかったけど、
なんもなかったけど動いたよ。
そしたらちゃんとなんか直感的に動いて、
導かれて、自分で交渉して。
やっぱ嬉しかったもん、自分の作品が池袋に2回フィルム展で展示されて、
夢の東京で自分の写真がこんなに展示されるんだって、
すごく嬉しかった。
だからなんか夢は叶わないと思ってる人は、
叶わないと思ってる思いが叶ってるから、
私はスピリチュアルも好きだけど、
マーケティングもライティングも、
現実的なものっていうのはしっかりそれはやるし、
計画もめちゃめちゃしっかりやるようなタイプで、
かつ直感に従ってやるから、
あんまり夢見る話はしないけど、
全部行動するしかないと私は思っているんだよね。
ちょうど30分になったから、
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最後に、えいこさん。
停滞感を感じている全員に聞いてほしい話。
いや本当に。
停滞してるなら動け。
水も動かないと腐る。
本当にって婚活でね、
私売れ行きが悪いって言うんなら、
場所変えてみな。
じいちゃんばっかりのとこにおったら、
売れるはずがないやろって。
おべんさん特に最近ともりーさんの発想エネルギーはすごい。
ありがとうおべんさん。
おべんさんもすごいんやで。
うちの息子おべんさんの作品メタマルシェで見て、
キラキラして素敵って言ってたで。
ともこさん、動くの大事ですね。
本当に。
本当にね。
クリエイティブなことをしてる人に本当に最後に伝えたいのが、
クリエイティブって最初に儲からないと思ってるけど、
そんなことないから。
AIアートはAIとの良さがあるけど、
クリエイティブは人それぞれの良さがあるから。
私が今からそれを体現するから、
クリエイティブで稼げる。
ちゃんとマーケティングを勉強して、クロージングを勉強してる。
そんな私が今から、今少しずつアイコンとか漫画とか、
それを一点一点やってるから、
その様を見せて、
クリエイティブでも稼げるっていうのをこれから見せていきます。
おべんさん、わー嬉しいよ。
エコーさんパチパチってね。
うちの子どもたちと、
今メタマルシェ、家族のファミリー展示をメタバースでやることを計画して、
今日3人のアバターを作りました、子どもたちと。
今作品を作っています。
来年はメタバース空間で家族展示をします。
そして子どもたちと一緒に、それぞれのラインスタンプを作ります。
実際のリアルの販売とかも出ます。
同人誌みたいに子どもの絵本と、
私の漫画をくっつけて、
しもあも出版で出版してします。
だからどうぞ私の動きを見ていてください。
動くから私。
っていうのはね、ちょっと伝えたかったんで。
最後に私、今メタバースでメタマルシェというのに参加しています。
クリスマスフェアというものをこれからしますので、
またその会場というものを、今おぺんさんと一緒に作っております。
また会場ができて、新商品などを並べられましたら、
ご案内させていただきますので、
ぜひ皆さん、ハッシュタグメタマルシェで要チェックでございます。
では最後に、この次の312回のスタイフバトンですね。
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おぺんさん。
おぺんさん、皆さん、ご来場お待ちしております。
次のスタイフバトン312回目は、
おぺんさん、よろしくお願いします。
おぺんさん、はい、受け取りました。
はい、それでは次、明日、
おぺんさんがバトンを受け取ってくださいました。
ともこさん、ぱちぱち、えこさん、おぺんさん、よろしくお願いします。
ではですね、概要などは私、送らせていただきますので、
おぺんさんに後で、インスタでのメッセージ、DMで送らせていただきます。
それでは皆さん、聞いていただいてありがとうございました。
ともこさん、ぱちぱち、えこさん、おぺんさん、よろしくお願いします。
ともこさん、ハート、プレゼント、わー、えこさん、ハート。
ともこさん、ありがとう、えこさん、
ぺんさん、えこさん、確かに、
おぺんさん、ぱちぱちぱちぱち。
それでは私、これから夫を迎えに行ってまいります。
皆さんも素敵な夜をお過ごしください。
じゃあねー、おやすみなさーい。
ひろくん、いい話聞けた。
おぺんさん、いってらー。
えこさん、お気をつけてー。
ともこさん、ばいばーい。
これにて終了いたします。