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2023-07-21 16:36

発声(3) なんで呼び捨てなんだっけ?

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相手によって「さん」をつけてみたり「くん」をつけてみたりしていますが、誰をどう呼ぶかってむつかしいですね〜。という発声。



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サマリー

このエピソードでは、小学生や会社の同僚など、様々な人に対してどのように呼ぶかについて話されています。また、有名人が呼び捨てにされることが多いという社会の習慣にも言及されています。上司の前では丁寧な振りをすると態度変えることはダサいと思われるが、SNSの登場により双方向の関係が生まれ、呼び捨てにする方針にも問題があるかもしれません。 このエピソードでは、小学生や会社の同僚など、様々な方々に対してどのようにお呼びするかについて話されています。また、有名人がお呼び捨てにされることが多いという社会の習慣についても言及されています。上司の前では丁寧な振る舞いをすると態度を変えることはダサいと思われますが、SNSの登場により双方向の関係が生まれ、お呼び捨てする方針にも問題があるかもしれません。

呼び方の迷いと小学生との関係
はい、オオワダ発声練習です。
ここ1,2回かな、金曜日に収録して、そのまま金曜日に公開するというリズムになっていて、今週も金曜日に収録します。
一人でね、僕喋ると結構ね、こう、ドン寄りした感じになるなーっていうのは思っていて、例えば友達と話すときはね、もうちょっと明るいんだけど、一人でそのテンションになるにはね、レンドが足りてないっぽいんだけど、今回は意識的にちょっと明るいトーンでやってみたいなと思っています。
前回前々回はね、夜に一人喋りしてて、結構夜のテンションだなという感じもしたので、今日は明るい時間にとって見ています。なるべく聞いてて、ドン寄りしない配信の方がいいかなと思ったりしています。
今回は、呼び捨てというものについて、さっき思ったことを話します。
人をどう呼ぶかって結構むずいですよね。
最近僕は小学校の現場に立っていてね、たくさんの小学生と毎週ね、数十人の小学生と接点があって、その中では僕の名前を呼ばれたり、僕は準先生と呼ばれてるんだけれども、
すごいね、先生、自分が先生って呼ばれる日が来るとはって感じですけどね、教員免許もないのに。僕のことは準先生って呼んでもらっていて、首から大きく準って書いて穴札下げてるんで、だいたいみんなそれを見て準先生って呼んでくれています。
僕がこの小学生のね、児童の皆さんを何て呼ぶかは結構ね、まだ手探りで、くんをつけてみたり、下の、だいたい下の名前で、その教室の中では呼び合っているので、僕はその流れに乗っかった上で、下の名前にくんをつけてみたり、さんをつけてみたり、いろいろやってみています。
無礼のないようにっていうのは、人対人なんで、無礼のないように、失礼のないようにするっていうのは、当然それは前提としてあるんで、そこは守りつつ、小学生が相手の場合はね、結構こう、距離を縮めるコミュニケーションが、メリット大きかったりするんですよね、接してて感じるのは。
なんで、あんまりこう他人行儀、他人行儀で行き過ぎるよりも、何々くん、元気?とか、そういう、それでフランクに行った方が、なんか距離が縮まるというか、向こうもいろんなことをね、話してくれるようになったりするんで、まあどういう呼び方、どういう、どれぐらいフォーマル、カジュアル、フランクに話しかけるのかっていうね、呼び方から、こうコミュニケーションの取り方を含めて、手探りでいろいろ試してみているところです。
それから、例えば会社にね、こう勤めていて、で、4月にね、4月の頭に、いわゆる新卒採用の枠で入ってくる人たちがいるような、新卒採用をやっているような会社だと、新卒入社で入ってきた男性社員は、結構くん付けになりがちだったりするなぁという印象があります。
まあ、僕が見てきた会社だと、そういう傾向があったかな。うーん、何々くんって。で、僕が、その自分の後輩社員として入ってきた人に、何々くんって呼んだこともあるし、そのまま今も、あの元同僚のね、後輩にあたる人をいまだに何々くんって呼び続けているケースもありますね。それで定着して。
一方、なんか中等入社で入ってきた人って、さん付けに収束しがちだなぁというのもね、思いますよね。だから結構関係性によって、こう、苗字だったり名前だったりにくんを付けたりさんを付けたり、ね、なんか偶然最初に呼んでそのままになったりもしますしね。でも難しいですよね。
僕の同い年の友人で、誰が相手でもさんを付けて呼んで、敬語って接するって決めて、その通り運用してる人がいて、そのスタンスはね、クールだなぁと思ってるし、まあ僕はその友人のこと好きだからっていうのもあるんだけど、なんか見習うところあるよなって思いますね。
会社での呼び方と関係性
新卒で入ってきた、もうまあ年齢で言ったら10以上下だったりもするんだけど、そんなことは関係なく、年上だからどうとかってこともなく、さん付けで呼んで敬語で接するってスタンスを貫いてる人がいて、これはなんか望ましいなと思うんですね。
かといって、すごく付け離すようなことはしないので、ちゃんといい環境を築きながら、ちゃんと敬意も絶対欠かさないっていうスタンスがあっていいなと思います。
続いての話題で、有名人の方ってね、呼び捨てにされること多いなぁと思ってるんですよ、日本の社会においてね。
例えば、有名人の最たる例で言うと、内閣総理大臣岸田加藤とかさ、結構言われてますよね。
僕はね、いつからかわかんないんだけど、基本はさん付けなんですよね、有名人の人を言及するとき。
例えば、こないだのね、このポッドキャストで、「だが情熱はある」っていうドラマについて話したんだけども、この中でね、役者さんの名前出すときに、
ふじたかしさんとか、薬師丸ひろこさんとかって言ってて、基本は特別な理由がなければさん付け。
たまにあだなっぽいものがある人だと、あだなで呼んだりもする。
例えば、南海キャンディーズの山ちゃん、しずちゃんみたいになるときはありますね。
そういうときは、ちゃんがすでにあるから、くどいかなと思ってちゃんが省略した形になることはあります。
有名人を呼び捨てにするのって、そういう習慣がこの社会にはあるなという感じるんだけれども、
これ何ですかね、なんかお茶の間文化という印象はありますね。
あるいは別の見方をすると、スポーツの試合の観客席文化。
だから、客席から選手に向かって、ヤジを飛ばすときって結構苗字の呼び捨てになりがちだなと思っていて、
大谷とかね、なんかそういうこと。ヤジ文化って感じするんだよね。
有名人の呼び方と社会の習慣
お茶の間でテレビを見ているときに、バラエティ番組とか見てて、
ほんとバカだな、こいつ、みたいな、わははみたいな家庭の中で、
お父さんとかお母さんがテレビを見て、ほんと家のエゴはポンコツだな、みたいなそういう感じ。
それを聞いて育った子供が、それをコピーして、そのまま有名人を呼び捨てする人間になる、みたいな。
なんかそんな印象がありますね。だからお茶の間、今はどうですかね。
僕は割とテレビを見て育った世代だから、お茶の間という空間を感じたけど、今はどうですかね。
最近の小学生とかと、あんまり家族みんなでご飯を食べながらテレビ番組を見るっていうのは、
僕の頃とは変わってきたんだけど、どうなんですかね。
ほんでね、僕はその呼び捨てそのものが悪いと思っているわけではないんですよね、スタンスとして。
それを感じるのは、ふわちゃん。ユーチューバー?芸能人?ふわちゃん。
ふわちゃんは、これあだ名のパターンでちゃんついてるから、ふわちゃんさんとはあんまり呼んでないんだけども、ややこしいね。
ふわちゃんは、広見さんっているじゃないですか。松本洋さんの配偶者である広見さんね。
広見さんのことを広見って呼ぶわけですよ、ふわちゃんはね、呼び捨てで。
で、ふわちゃんのYouTubeチャンネルとか見てると、星野源さんのことを星野源って呼んでいたり、
オードリーのかすがさんをかすがって呼んでたりね、リノさんのことをさしはらって呼んでたりしてて、
ふわちゃんって結構周りの人のことを呼び捨てで呼んで接していると。
で、それ見ててけしかなんとか全然思わないですよね。
むしろ気持ちいいし、いい関係を築いているように仲良くしてるんだなって見えるから、
呼び捨てが悪いとかそういうことは思ってないんだと思うんですよ、自分は。
で、ふわちゃんを見ていて、一個これは要素だなと思うのは、本人を目の前にしても呼び捨てにするんだったら、
それは、この人は名前を呼び捨てにして呼ぶことでその関係を構築するタイプなんだなって見えるから、
そこはそういうスタンスなんだなって思うだけ。
自分はそうじゃないけど、ふわちゃんはそうなんだなって思うだけ。
一方で本人を目の前にしたらさんづけになるのに、
本人がいないとこで、影では呼び捨てになったら、
それはなんか場合によってはダサいことになるよなーっていうのが気になってる。
名前の呼び方のポリシー
それはだから、上司の前では、「はい、わかりました。ありがとうございます。」
「ありがとうございます。」とか言ってる会社の中の何かの立場の人がいるとして、
上司の前ではヘコヘコしてるのに、
後輩の前では、「なんであいつ細けぇなぁ、うるせぇなぁ。」とか言って使い分けてたら、
それはイキリじゃないですか。
イキリはダサいよね。
ダサくないイキリっていうのもあるのかもしれないけど、
本人の前でだけ、なんかこう、
丁寧な振りをするとか、態度変えるのは、やっぱダサいと思っちゃうんだよね。
だから呼び捨てにする方針は、それ自体はいいとして、
本人を目の前にして呼び捨てにしないんだったら、
本人いたらさんつけんだったら、
さんつけといた方が素直じゃないって、
自分はそう思ってそうってことに最近気がつきましたね。
お茶の間文化って、僕が便宜状況を言っている、
お茶の間文化ってものがあるとして、
テレビとかね、マスメディアの方に、
ある種単方向的な発信者と受信者っていう関係が固定的で、
テレビを見ながら食卓囲んで、
やんややんややじを言うような時代の文化が、
SNSというものが登場して、それが漏れ出してね。
これまでは自宅のリビングから外に出ることがなかったものが、
SNSというものを通じて情報空間に漏れ出して、
実はもう既に双方向的になっているじゃないですか。
発信者と受信者っていう固定的な関係ではなくて、
誰もが発信者になり得るし、
だから僕らのような、僕が発信者になって、
有名な方が僕が発信した情報を受信するってこともある。
そういうどっちの立場も取り得る状況になっているんだけれども、
呼び捨てについての考察
なんかお茶の間文化はそのまま双方向になっちゃって、
本人を目の前にして言ってるつもりではないけれど、
本人は結構エゴサーチとかしてたら、
実は結構見てるよねっていう、
そこの呼び捨てにしてる側とされてる側のつもりが、
実はあってないんじゃないか。
それは結構トラブルの元になっているんじゃないかなと思っています。
だからまあ岸田さんだったら岸田さん、
大谷翔平さんだったら大谷翔平さん、
愛明さんとかね。
算付けが、仮にその算付けがデフォルトになっている社会を想像してみると、
これは僕の主観的な想像だけれども、
なんか誹謗中傷も実はちょっと減ったりするんじゃないかなと。
誹謗中傷する、だから誹謗中傷的な攻撃的な内容と、
算付けってテンションがあってないと思うから、
算付けだと罵りにくいっていう作用があったりしないかなと思いますね。
有名人だから呼び捨てにしていいとか、
雑に言っていいっていうのは、
それは容易に意思を投げていいという緩みにつながると思うんで、
呼び方のデフォルトが丁寧な社会、
誹謗中傷を減らせる希望があるんじゃないかなということを最近思いました。
僕はもしね、理由は分からないけど、
岸田首相と会って何か話をする機会がもしあったら、
岸田さんって呼ぶ、あ、岸田さんって呼ぶだろうし、
あと何だろうね、荒木裕彦さんと会う機会があったら、
ああ、荒木裕彦さんすごいファンで、いつも作品ありがとうございますってね、
言うだろうしね、だから本人目の前にしたら自分はほとんどの場合算付けするだろうからね、
どんな立場の人であっても目の前にしたらね。
なんで算付けをこのまま続けていくというのが、
一つ収まりがいいのかなと思ってこれを続けていってみようと思います。
皆さんはどうですか?人を呼ぶときにこういう方針でやってるよとか、
自分はこれが一番いいと思ってるよとかあったらぜひ教えてほしいですね。
僕も今後考えアップデートしていきたいと思っているので、
何かそれいいですねというのがあれば取り入れたいと思っているので、
皆さんが他人ではあるが一方的に知っている有名人みたいな人を呼ぶときに、
どうしてるとかね、こんなふうに思っているとあればぜひ教えてください。
はい、今回の発声練習はこんなところでした。また来週あたりなんか出すかなと。
近々ね、誰かとまたおしゃべりしている回、僕一人じゃない回をそのうち近口に出す見込みもあります。
また次回も聞いてもらえたら嬉しいです。
大和田発声練習でした。またね。バイバイ。
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