1. お茶漬けナイト
  2. 【2-4】怖がらずに自分の考え..
2023-11-01 18:08

【2-4】怖がらずに自分の考えを伝えることの意義

自分が考えていることを伝えてもそれが受け入れられないのではないか - そう考えて伝えることを躊躇することがあります。でもそれを目の前に伝えることで少しずつでも変わることがあるのではないか。例えば Yu が姉妹の子どもたちに伝えていることは素晴らしいし伝えるべき内容。どこかでそれが花開くときがあるだろうと感じながら話をしています。

【出演&SNS】

Eri Ochiai @eri.yournextchapterjapan (Instagram)

Yu Lucy @yu.lucyyy (Instagram)

Masataka Shintoku @masataka_shin (X (旧Twitter))

お茶漬けナイト - Ochazuke Night @ochazukenight

Music generated by Mubert https://mubert.com/render

サマリー

「怖がらずに自分の考えを伝えることの意義」というエピソードでは、話者は家族の中で自分の意見を述べづらい状況や子供たちへの性教育について話しています。また、子供の発言が大人の構造を変えるという意義についても語り、親と子供の関係性の重要性についても考察しています。

家族の意見の述べづらさ
お茶漬けナイトです。この番組は、何かしらの海外と関わる経験を持つことで、日本を客観的に見る、または見たことのある3人が、様々なトピックについて議論して、社会的または個人的な幸せを語ることができたらと思って始まった番組です。
えり、ゆう、まさの3人でお届けします。
それさ、なんていうの、なかなか、例えば否定されまくっちゃうからとか、なかなか自分の意見が言えないという状況から脱するのって、どういうきっかけがあり得るんだろうか?
脱してないねんな。
そうなんだ。
脱せるか?と思ってて、この問題に気づいてるのは、私の立場だから私しかなくって。
で、幸せを話すとさ、私以外の4人って、同じ歳に結婚して、同じ年代くらいの子供たちがいるんだよね。
だから、人生の波みたいなのを、ライフイベントによる波みたいなのの重なりが多いから、人生で通ってきた共通事項みたいなのが多くって、
それって私には、もう想像にも及ばないというか、やっぱり簡単に想像してはいけないなって思うというか、その人たちの経験を思う自分もおって、
で、もうプラスかな、この家族の中のケアラルキーの中で、私が声を上げたとしても、ノリに腕を押すって感じ?
だから、どんだけうちがNPOの活動をしていた経験があったとしても、どれだけ私が学業で頑張ってきたとしても、私は家の中で最下位やね、やっぱり。
そうなんや。
だから、難しい、その話はね、みたいな感じで。
なんかどうしよう、なんかめっちゃ悩んだんが、性教育とジェンダーダイバーシティって私の中ですごく重要なトピックというか、子供たちに学校教育では得られない良い知識を伝えたいと思うけど、
私が伝えるほどの物理的距離もないし、じゃあ誰が言語化して伝えられるかってなったら、やっぱりうちの兄弟なんよね。
だから、この性教育の本よかったって言って渡すとか、女の子は何でもできるみたいな本があるけど、別にわざわざそんなこと言わんでもええやんって思うかもしれへんけど、
うちの一人の、おいめいのこと総合的にニブリングスって呼んでね。
ニブリングスみたいな感じで、ニブリングスに伝えたいって、なんかいろいろ伝えたいと思うんやけど、やっぱりそのモチベーションはうちの兄弟にはなくって、
そういう要素はちょっとわかってるかもしれへんけど、それをうまく伝えられるカルチャーがないっていうものだったから、
なんかそういう絵本買って、家に置いとくみたいな感じやったけど、
その時、うちのニブリングスの一人が、女の子は何でもできひんって言って、
え、じゃあ男の子は何でもできるって思ってんの?って聞いたら、うんって言うから、なんで?って言ったら、わからん、みたいな。
これがカルチャーやで、みたいな。
これむちゃくちゃ興味深いけど、それ何歳の子なんすか?
男の子はね、当時聞いた時はね、6歳か7歳、小学1年生やった気がするな。
これすごくない?6歳とか7歳の時点でそう思っているという、この国なのかこの世界なのかわからんけど、文化、文化や。
やっぱなんか、親との関係と、その家族、親戚とかのスコープと、社会、学校とか、その身近な社会のスコープと、
あと自分が身近でないものの社会、例えばYouTubeとかの人とかセブリティとか、
子供への性教育
自分の手に確実に届かない人の社会、
それを国が法律として示しているスコープ、
そのスコープの大きさって全部違うと思うんだけど、
やっぱり総合的に、いろいろ見たり聞いたり、
その時に言葉にならない何かを、やっぱりすごく繊細に感じ取っていて、
でもどれが正しいかとかっていう、自分のモラルとか価値観のプリンシパルっていうのものを、
気づくにはやっぱり抽象度の高い言語を理解できない年齢だからまだ、
じゃあなんでって聞いた時にわからないとか、
あとなんかね、女の子が使うであろうと思われてるおもちゃを、
男の子に見えるニブリングスが使うわけよ。
それを他の男の子に見えるニブリングスが、
なんでそんなん使ったん?みたいな感じで。
おかしいで、みたいな言ってんねんか。
私はそこで、え?なんで?みたいな。
好きなおもちゃを好きに遊べないことの方が悲しくない?って言って、
あ、ほんまやなってなって終わってんよ。
でもそんな簡単な一言で解決するマインドセットやのに、
こういう言葉ってうちの家族の中で、
貸されてないよなんて、
はっきり言って思うことが多くて。
なんかちょっと話出してみたけど、
そういう私の家族のざっくりとした見え方みたいなのが、
うちから見えてる見え方があって、
だからそのヒエラリティと、
自分がそこに持ってこれるインパクトの薄さをひたすら感じて、
出すっていう。
そうだね。それは辛いよね。
だってさ、特に社会で解決したい問題、課題がこれだけはっきり見るにはあって、
これだけ自分のエネルギーを使って活動してるのに、
一番身近な人にそれがうまく届かないって。
なんかでも本当にさ、家族ってさ、
なんかそうなること多いよね。
全く別の個体だからね。
なんか経験が違うやん。
ジェネレーションも違うやん。
その集合体やからさ、
なんでも起きるよね。
なんでも起きる。
外部からの刺激と成長
なんでも起きる、マジで。
本当に。
私がそこで兄弟の一人だったら、
しかもさ、リュウがこういう本があってねとかさ、
めっちゃ喜ぶもんね。
もう一回メモるからその本教えてみたいな。
全然違うと思う反応が。
だってさ、すごい貴重じゃん。
今さ、親になって思うんだけど、
子どもの成長って本当に早くて追いつかないの。
自分の情報を収集するエネルギー。
いろいろ頑張ろうと思っても、追いつかないんだよね。
やっぱり外からの情報が入ってこないと、
こういうものがあったんだとか、
そういう視点があったんだってやっぱり、
私も結構思うことがあって。
たとえば、今お姉妹保育園通ってるんだけど、
保育園選ぶときもすごいいろいろ調べたり、
選ぶのにも時間かけたというか、
いろいろ話し合ったことも、
今通ってるとこすごい本当にありがたいの。
すごいところで、
何がやっぱいいか。
たとえばさっきおもちゃの話だけど、
もう今卒園していない子なんだけど、
ちょっと年が離れてる子が、
ちっちゃい縁だから、
年が違う子が一緒に遊んだりしてるんだけど、
ちょっと年上の男の子が、
多分だけどお孫子として遊んでたんだろうね。
たまに保育園の一日の雰囲気が、
写真で送られてくるわけ、携帯に。
お子さんこうしてますよ、みたいな。
メインは娘なんだけど、
背景にその子が写ってるの。
見た目男の子でエプロンして、
手にもおままごと的な包丁か何か持って、
楽しそうに遊んでる笑顔が背景に写ってて、
それ見た瞬間に、
ここで良かったなって、
誰も説明しないんだけど、
笑顔と、
自分でつけたのか分かんないけど、
エプロンしてて、
他の子と遊んでて、
こういうのって、
自分がいくら頑張って調べて、
本とか読んでも、
他の社会っていう、
他に関わってる人もいるわけだし、
娘の人生に。
そこでそういう知識持ってる人とか、
やっぱり外からの刺激など、
私自身も成長しないし、
だから直にそういう人がいる。
しかもこれだけ、
問題を解決したいって思ってる人がいるって、
ほんと贅沢なこと。
贅沢っていうのは何て言うんだろう。
私だったら本当に、
毎日のように聞くと思う。
これあったんだけどどう思う。
そうだよね。
そのおもちゃで遊んでるのが幸せなのに、
何がわかんのって言える一言って、
実は結構抽象度高いと思ってて、俺。
っていうのも多分なんだけど、
日頃接してる中で、
男の子はこれ、女の子はこれっていう、
構造を多分言われてると思うんだよね。
その構造の上で、
子供の影響力
一個一個積み上げていって、
6歳か7歳ぐらいの時に、
女の子は全てできないみたいな、
発言が出てくるわけじゃんか。
ただ構造だから、
一個一個積み上げていく中で、
ある理解をしていくんだと思うんだけど、
その一言は、その構造を、
そもそも変えるっていうか、
仕切りを取っ払ってるじゃん。
抽象度高いよね、その一言が言えば。
結構だから、その一言重要だし、
もしそれをするんだったら、
また別の構造というか、
その一回こっきりじゃなくて、
それが教育必須なんじゃないかなって思った。
分かんないけどね、自分には変えられないんだけど。
それで言うと、今ふと思い出したんだけど、
妹がね、前、
教育学の文献を引っ張り出して、
送ってくれたんだけど、
子どもって、特に幼児って、
親以外の大人、
一番よく関わる、
最初に関わる大人との関係によって、
社会に出た時に、もっと大きくなった時に、
他の大人とどう関わるかっていうのが、
大体決まるんだって、パターンがいくつかあるんだけど、
だからやっぱり、今の話、優の話、振り返って思ったのは、
優が優からすごい大事なんだなって思った。
親と子供の関係性
だから嫌が優としても、
同じ効果がないのかもって。
なるほどね。
ってめっちゃ思わせてもらえた。
親に代わる存在ってないからさ、
プレッシャーを与えるわけではない。
本当に皆さん、
親という立ち位置にある皆様、
いつもありがとうございますって感じですけど、
私が物を言える立場ではございませんっていうのは、
まず最初に第一やねんけど、
どんだけ苦労してるかって思ったら、
本当に想像に及ばないから。
まずそれが一つみたいな。
親との関係って、
私がどうにか、
なんとかニブリングしと、
うちの兄弟に両方に幸せになってもらいたいがために、
やってることでも、
例えばもしかしたら、
私の兄弟の立場からしたら、
親として足りてないって思われてるみたいな、
ネガティブに囚われる可能性もあるし、
子供からしたら、
親が言ってることと、
ゆーちゃんが言ってることと違う、
混乱を招くとか、
いろいろあると思うんだけど、
その人が親に代わる関係性って、
本当に気づくのって大変だなって思うし、
うちが子供たちの近くにもいないし、
だからどこまで、
自分の言葉が子供にとって、
バリューたちがあるか、
みたいなのの関係性もそう。
だから、
彼らが欲しい経験を、
与えたかったとしても、
例えばクリスマスで、
おもちゃが欲しいって思ってるかもしれへんけど、
うちが本あげたら、
読まんかもしれへん。
欲しいものと違うから。
そのくらいと同じレベルで、
私が言ってることが欲しいかどうか、
救われるかどうか、
考えるきっかけになるかどうかって、
私の意図に関係なく、
親に勝る関係性はないなって。
難しい。
優の一言でね、
バタクラエフェクトじゃないけどさ、
こういうことあるんじゃないかなと思うけどな。
優のね、
姉妹のココさんがっていうのじゃないかもしれないけど、
こうやって発信していくことを通じて、
また別の子供に伝わっていくこともあると思うし、
なんか俺思うよ、
いろいろ心おかしくない?あれおかしくない?
みたいなのがあるじゃん、日々。
いきなり変わらなくてさ、
自分が生きてる世代の中で変わるかどうかすら、
最近わかんないなと思うけど、
積み上げていかないといつまでたっても変わらないものだから、
たぶんね、こうやって日々活動することが重要なんだと思う。
そうだね。
チリツモじゃないけど、
本当に無茶苦茶ね、
この発信はちっぴなものかもしれないけど。
そうだね。
でもなんかそうだと思う。
問題が見えると、
多くの人に解決というか、
違う手があるよとか伝えたいなって、
インパクトの大きいことを求めるけど、
やっぱり目の前にいる人を
どうやったらサポートできるかなとか、
やっぱり本当はもっと、
本当に一人一人とか、
マクロじゃなくてマイクロレベル、
私はすごくスマートフォンの方が
スマートフォンの方が
マイクロレベル、
すごくそこを大事にしてる。
大きいことを見始めちゃうと、
本当に見えなくなっちゃう気がするんだよね。
何やってるか。
しかも動かせなくなるよね。
動けなくなるよね。
二人が分からなくなっちゃってさ。
そうだね。
朝からそれ聞けてよかった、今日は。
自分の活力を。
そう。
小さくて。
キリッツもやっていきましょう。
はい。
はい、じゃあ今日はこんなもんかな。
じゃあ録画終わりにします。
はい。
今週はここまでです。
また次回をお楽しみに。
18:08

コメント

スクロール