2021-06-06 23:51

#58 21/6/6 信頼から生まれる

ピレモン21-22節からの礼拝説教。2021年6月6日録音。聖書は私たちが神様を信頼できるように、そしてその信頼から神様のみ言葉に生きるように私たちの心を動かします。このような健全な信仰は日常生活の中で、生きる喜びと力を生み出す源になるのです。このことを3つの点から学びましょう。

00:09
フィレモンへの手紙、21・22節お読みします。
私は、あなたの従順を確信しています。 私が言う以上のことまで、あなたはしてくださると分かっています。
同時に、私の宿も用意しておいてください。 あなた方の祈りによって、私はあなた方のもとに行くことが許されると期待しているからです。
以上です。今日はこのところから、信頼から生まれる、信頼から生まれると題して見事をまとめていきます。
みなさんおはようございます。 6月に入りまして、梅雨入り間近、そういうはっきりしない天気です。
緊急事態宣言も、首都圏だと東京ですが、 延長されていますが、なんかあんまりしっくりこないですね。
聞き目が疑問されている理由の一つ、それは、その宣言の効果ですね、それからと宣言を出している主体に対する信頼が損なわれているからだという説もあります。
今日の見事場のテーマは2つで、前にも掲示した通り、信頼と従順ということで、つまり信頼して神様の御心に生きる、それについて共に学びます。
聖書の言葉はいろんな取り合い方ができるのですが、その一つに、2つの働きかけが聖書によってなされて、私たちの心を動かしている、そういうことがあるのです。
一つは、聖書は私たちが神様を信頼できるように働きかけているというのですね。
その上で、聖書は私たちはその神様への信頼を、実際の従順や行動として神様の御言葉に生けるように、その生き方を指南している。
神への信頼と従順のためにですね、聖書は私たちの心に働きかけるというのです。
実は、その実例がピレモンの手紙から学ぶことができます。
ピレモンとパウロの関係をはじめとして、そのことを3つの視点から今日学びます。
まず、ピレモンとパウロの関係からです。
先ほど申し上げましたように、実はパウロはこの手紙を通してピレモンに私を信頼しなさいと、そういう信頼の基礎を築いています。
そのことが今日の21節に色濃く出ています。
読める方、読んでみましょう。小さい声でもいいですので。
私はあなたの従順を確信して書いています。
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私が言う以上のことまであなたはしてくださるとわかっています。
この言葉が示しているように、パウロがピレモンに信頼している、期待していると告げることによって、
ピレモンのパウロへの信頼を呼び覚ましているわけですね。
実はそのようなパウロのピレモンへの信頼や愛、
そういうことがこの手紙の中に所々に告げられています。
前に書きましたけれども、4節5節。
私は祈る時、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。
あなたがシュウエスに対して抱いていて、すべての生徒たちにも向けている愛と信頼について聞いているからです。
パウロの信頼や愛をピレモンに伝えて、ピレモンもパウロを信頼できるようにしているわけですね。
7節、ちょっと読んでみましょうか。
私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。
それは兄弟よ、あなたによって生徒たちが安心を得たからです。
ピレモンの存在や彼がしていることによって、パウロが喜びや慰めを得た。
ここにも温かい言葉があって、ピレモンもパウロを信頼できるように、そういう信頼関係が構築されているわけですね。
実はこれらはあたかも聖書に、私たちへの神様への愛や期待が散りばめられていることに似ているんです。
だんだんこのことがわかっていきますから、とりあえずこういうものだと思って聞いていてください。
このようにまず信頼関係をパウロは短い手紙の中でピレモンと築いて、
そしてピレモンがパウロを信頼した上で、その信頼をパウロの言うことに従う、
そういう従順という形で表せるようにパウロは具体的なことを進めたり命令しているんですね。
信頼を表現するための言葉をパウロは紡いでいます。
例えば、ピレモンの手紙8節から10節、17節の罰詞ですけども、こう言ってますね。
「ですからあなたがなすべきことを、私はキリストにあって全く遠慮せずに命じることもできるのですが、むしろ愛のゆえに懇願します。」
ちょっとこれだけ読んでみましょう。3、はい。
「極中で生んだ我が子オネシモのことをあなたにお願いしたいのです。」
もう一回ここも読みましょうか。3、はい。
「ですからあなたが私を仲間のものだと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。」
はっきりですね、命令というか具体的なお願いコードを書いてあるわけです。
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ここのパウロの視点というのは、後でピレモンの手紙をゆっくり読むとわかるんですけども、
命令できますけども、命令ではなくて愛と信頼のゆえにお願いしてるんですよ。
私のようにオネシモを歓迎してください。
この彼を尊重して自発性に委ねているんですね。
これはあたかもですね、神様と私たちの関係のように神様を強制するのではなくて、私たちの自発性を促している。
私たちの尊厳を認めてくださっているんですね。
ちなみに、前後しますが、今日読んだ22節の方ではですね、
私のために宿も用意してくださいって言ってですね、泊まる場所もお願いしちゃってるわけです。
で、実はですね、この
パウロが従順を確信しているという従順という言葉、
これはですね、前にも書きましたけど、ギリシャ語では聞くという言葉から生まれた言葉で、
ヒュパクエイ、ヒュパコエイという言葉なんです。
で、これはですね、ヒュポという窃盗語、協調とかの言葉の後にアコエイという、聞くということの名詞ですね。
それが合わさった言葉で、背景にはですね、旧約聖書の今しめの冒頭、
聞けイスラエル、シェマーと言うんですけど、イスラエルを聞きなさいと言って、神様の今しめが続いていく形式があるんですけども、
それを反映してパウロがよく使った言葉だそうです。
だからこの聞くということと従順という言葉が合わさっているので、この言葉の背景にはですね、
言葉を忠実に聞いて行動する、そういう意味があるわけです。
だから従順というのは信頼とともに、言葉を誠実に聞いて行動する、
そういうことが信頼、従順、誠実ということが混ぜ合わさった、そういう二話があるんですね。
つまり相手を信頼して従うということが大切だということがここからわかるわけです。
実はこれは2番目のところ、神様とアブラハムの関係からもよくわかるんです。
皆さんアブラハムの生涯、わかっている方も多いと思いますけれども、
彼は神様から素晴らしい約束を得ていました。
サラから生まれる子供が結局遺作なんですけれども、そこからたくさんの子孫が出る。
そしてその結果アブラハムは多くの国民の父となるという、多くの国民の祖先になるという、
そういう約束をアブラハムは受けたんですね。
でも100歳になっても二人とも子供を授からなかったわけです。
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だから当時の習慣から、悪いことじゃなかったんですよ。
端溜めに子供を設けさせて自分の子孫を生むということもしたんですけれども、
しかしそんなダメだと思われる中でもアブラハムは神様の約束を信頼し続けて、
ついにサラもアブラハムも死んだようになってから、聖者はそう言っていますけれども、
約束の遺作をサラを通して授かったというんですね。
この彼の信仰をパウロはローマ人の手紙4章17節でこう表現しています。
ちょっと読んでみましょうか。
彼は死者を生かし、ないものをあるものとして召される神を信じ、その御前で父となったのです。
復活の神様、無から有を生む創造主なる神様を信頼して、約束を手にして、多くの人の父となったというパウロは言っているわけです。
実はこのアブラハムの生涯や生き様は私たちとこう関係しています。
難しい状況、困難な状況の中でもなお神様に信頼し続ける、なお神様の道を歩み、神に従い続けるということを彼の生涯は教えているんです。
さっきの1番目のポイントに戻りますが、それは実はピレモンを受け入れる、失礼しました。
逃亡奴隷のヌスットのおねしもを許して受け入れるピレモンも同じような困難なチャレンジをパウロから得たわけですよね。
それこそまさに困難を受け入れることでした。
そして前後しますが、この困難の中でのアブラハムの信仰についてパウロはこうも述べています。
4章18から21節。ちょっと読みにくいかもしれません。バスツリーなので読んでみましょうか。
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、不信仰になって神を疑うようなことはなく、かえって信仰が強められて、神に栄光を期し、神には約束したことを実行する力があると確信していました。
特にこの最後ですね。神には約束したことを実行する力があると信じていた、確信していたということです。
このコロナ禍において私たちはよく言われている当たり前が当たり前でない日常を本当に感謝することの大切さを学びましたね。
同じように私たちは子供のように幼い頃のように日常生活のたわいないことでも神様に感謝する。
そういう祈りがいいと思うんですよ。歩きながら運転しながら。神様ありがとうございました。本当にそういうたわいない感謝の祈りというのは僕は大事だと自分はそう思っています。
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そういうことができると喜びが増します。日常生活の中で。
そしてそれはですね実はピンチの時に神を信頼する備えにもなるんですね。
私たちも生活のいろんな出来事がうまくいかない時に私たち自身の進化や信仰が試されるということがあるわけですよね。
よくその人の本性を見るのにはその人がピンチの時にどう対応しているかを見なさいと言われることもありますけれども。
その中でですね私たちもこのアブラハムの信仰生活や日常生活の中で神様に信頼した姿。
それ模範にしたいんですけれどもそのようなアブラハムの生き様と私たちの日常生活の信頼、神への信頼ということを関連づけてある学者はこういうふうに
述べているんですね。ちょっと難しいかもしれません。読んでいますね。この信仰つまりこの信頼は
入信時に一回で終わるものではない。つまりイエス様は救い主として信じますって一回信じて終わるんじゃないんですね。それは
人生全体に関わる継続的な関係性である信仰、神への信頼とは日々命があふれる力が流れ出る港である。
結婚生活も結婚式したら終わりじゃなくてそこから困難も乗り越えながら生活が始まります。
先週入学式に話しましたが、入学式もそれで入学しましたで終わりではなくて、そこから継続的な関係学生生活が始まると同じですね。
まさに日々命があふれ出る力が流れている港のようなものだ信仰は。
最後に私たちと神様やイエス様との関係を見ていきましょう。
アブラハムやパウロやピレモンの例に倣って今の神の民である私たち、
日本人であって日本人であった私たち、神の民とされた私たちもこの先人の足跡に従うわけですね。
つまり日常生活の中でも神様に信頼して神様に従って神様を知り続けるその幸いを得ているわけです。
この信頼と従順についてある学者はこうも述べているんですね。
ちょっと難しいかもしれませんが読んでみましょうか。
神様が創造者としての責任を誠実に果たし続けることを信じる。
神様はですね世界を創造して終わりじゃないんですね。
その創造の身業を今も継続して行っておられる。
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難しい言葉で節理って言うんですけども。
それはそのことをですね
私たちが聖書を通しても今も復活して私たちと共におられるイエス様についての確信を増します、育てます。
私たちを救い続けてくださる神様のことをですね、この聖書の中からその関係を築きます。
そのために日ごとに聖書を読むんですけども、それと共に日常生活の周りで起こっていることを通して
神の創造の技を理解して、神が今も生きて働いているなということを知ることができるわけです。
聖書を通して日常の出来事を通して神を知るということを、
聖書にその実例が両方出ているんですね。
予布期の28章の25節から38節の伐推。
苦難に遭った予布に対して最後に神様が語った言葉です。
予布の苦難についていろんな評価があります。予布についてもいろんな評価がありますが、やはり最後はですね
自分の分をわきまえず、神を冒涜しなかったけども
神に対して自分の無知を悟って、神を恐れるように神様から言葉をいただくわけですが、
そのところで神様が直接予布に語ったということがこのことです。
誰が人のいない地、人間のいない荒野に雨を降らせ、荒れ果てた荒廃の地を道たらせ、それに若草を肺させるのか。
テレビなんかでも皆さんね、砂漠に雨が降ると一斉に芽吹いて花が咲く場面を見ると思いますけど、そのことを神様は言っているんです。
それを誰がするんだ。私ではないのか。それからこれですね。
あなたはオリオン座の綱を解くことができるのか。あなたは十二宮をその時にかなって引き出すことができるのか。
十二の星座ですね。季節ごとにできるのか。
例えば大牛座をそのこの星とともに導くことができるのか。
ちょっと読んでみましょう、最後さん。
あなたは天の起きてを知っているか。地にその法則を立てることができるのか。
この間、怪奇月食がありましたね。そういう太陽や太陽の周りを月が回り、地球の周りを月が回るという、そういう天体の営みをあなたは知っているのか。
そうやってですね、ご自分の創造主になることを強調しつつですね、世界の天体の動きを見ても私たちは神の創造の宮坂が今も起こっていることがわかるわけです。
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また前、この間もしばらく前もお話ししましたけれども、私たちの体を見てもわかります。
体の中でですね、今1秒間に何百万、こっちに書きましたね。1秒間に何百万という細胞が分裂しているんですよ、今皆さんの中で。
そのすべて細胞一個一個に2メートルのDNAがくしゃくしゃくしゃって入っていますね。
それがコピーされ続けていくんです。新しく生まれているんです。
そうすると1秒間に2千キロメートル以上の新しく複製されたDNAが乱されることになっているんです。
そしてこれは自動的になされています。だから皆さん1秒間に皆さんの体の中でDNAが2千キロメートル新しく生まれているんです。
2千キロメートルってどれくらいの距離かといったら、しれとこ半島から種ヶ島までの直線距離が2千キロなんです。
だからこれくらいの長さのDNAが皆さんの体の中で毎秒生まれているんです。実感的でしょ。本当なんです。
実はこのことをイギリスの名門校で勉強した女子学生が、神様っているって信じてバブティスに分けたと科学的キリスト教の方に書いてありました。
だから自分そして臓器が複製されて新しくなっているわけですね。
だからそういうことも私たちの体の中で起こっているというのは、神の創造の働きが私たちの中で起こっている。
である学者は、そういう創造主なる神を認めないことが罪だって言うんですね。
私たち幸いそのことを知っていますから、自分の体を見つめることによっても、自然の営みを見つめることによっても、創造主なる神様が今も働いているということを実感することができるわけなんです。
これがですね、神様が創造者としての責任を今も果たしているということであるわけですね。
そのように自然界を見て自分の体の中で起こっていることを思いを馳せて、神の働きを実感しましょう。
私たちはですね、この神様、復活のイエス様が私たちの日常生活の中で働いておられる。
そうやって信頼できるから神様の道を生きる、神様に従うことができるということなんですね。
そしてこの聖書を読む幸いとは何ですか?話に戻りますけれども、それはこの神様の言葉を聞いて神様が信頼できる方である。
それを聖書から私たちは知り、神への確信が聖書として私たち養われるわけです。
私はですね、30年以上クリスチャンやってきて、20年近く牧師やってきて思うのは、本当にですね、毎日ご飯を食べるように、ちょっとでもいいから毎日聖書を読むこと、呼吸するように毎日祈ること、それがクリスチャン生活の基本中の基本。
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そうすれば、食べていれば子供が育つように私たちは信仰育つんですね。
地味すぎてですね、つまずく人もいるかもしれませんが、それが確実なと信じています。
そして聖書というのはもう一個、神を信頼した私たちがこう生きるんだ、そういう道筋が示されている。
しかも喜んでその道に生きるように私たちの心を動かす、それが聖書です。
そして毎日の命が、命が溢れ出てくる港のような信仰が、そこがですね、御言葉、日々の生活として養われていくわけですね。
パウロとピレボの関係を通して、私たちと神の御言葉、神への従順、神への信頼ということを学びましたが、最後に詩編の御言葉を歌った御言葉を共に読んで終わりにしましょう。
119編、31、32です。読めるかと読んでみましょう。
私はあなたの里市に固くすがります。主よ、どうか私に味を見させないでください。
私はあなたの大瀬の道を走ります。あなたが私の心を広くしてくださるからです。
お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。パウロが御言葉を持ってピレモンへの信頼を生み出し、そしてあなたへの道を示したように、私たちはあなたの御言葉を通してあなたを信頼し、また喜んであなたに従う道が示されること、具体的にあなたにあえてどう生きればよいか、その道筋が与えられることを感謝いたします。
どうぞ私たちの心の目を開き、御言葉を通して、日々の出来事や自分自身の内側を通して働いておられる神様、創造の神様を知り、実感し、従うことができるようにどうか導いてください。
この願いと感謝を、私たちの救い主、主イエス様のお名前によってお祈りします。
それではしばらく、神様にお答えする祈りをお捧げください。
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