2020-06-21 39:29

#11/20/6/21 分からないことを知って

第2テサロニケ2:3-7 からの礼拝説教。2020年6月21日録音。聖書のことばにも分からないことがありますが、どうすれば良いのでしょう。
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第2テサノニケ2章3説 どんな手段によっても、誰にも騙されてはいけません。
まず、廃墟が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。
不法の者は、すべて神と呼ばれる者、礼拝される者に対抗して、自分を高く挙げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。
私がまだ、あなた方のところにいた時、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。
不法の者が、その定められた時に現れるようにと、今はその者を引き留めている者があることを、あなた方は知っています。
不法の秘密は、すでに働いています。ただし、秘密であるのは、今、引き留めている者が取り除かれる時までのことです。
以上です。今日はここのところから、「わからないことを知って」と題して、見事場を取り継ぎます。
おはようございます。
久しぶりに来会された方もいると思いますが、すでに、いつもと違って、感染症対策でですね、レジュメを席に配っております、今日の日付のところで目印になるかと思いますが、
それを参考にしたり、こちらを見ながら、私の話を聞きながらですね、見事場に学んでいきましょう。
長らくですね、コロナの影響で様々自粛されていましたが、先日の金曜日19日には、県をまたいでの移動が解除されましたね。
テレビでも、これを機会に沖縄のおばあちゃんに、初孫を見せに行くみたいな、そんなことを言っている女の方もいましたし、
また、プロ野球がこの金曜日に開幕しました。無観客試合で、いろんな音が響き渡って、なかなか神聖なものだと思いましたね。
これね、ちょっとボケてますけど、これは何かというと、今シーズンの各球団の開幕投手が、このようにいろいろ出ています。
石川というヤクルトの投手は、年齢が高いけれど頑張っていますけど、いろんな巨人の菅野とか、いろんな選手がおりますけれども、
いよいよ自粛解除、日常の生活に戻るのではないかと言われていますが、でもいわゆるですね、英語で言いますが、
アフターコロナとか、ウィズコロナといって、感染症の予防を考えながらの新しい日常、そういうことを模索しなければいけないわけですよね。
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どうしてやはり、先の不安が拭えません。これからどういうふうに私たちは生活するべきなのだろうかという、先の不安が多少あるかと思います。
さっきの不安といえば、今日学んでいるこのテサロニ家の教会に大きな不安がありました。
その手紙を受け取った彼らの現在の不安、そして将来の不安がありました。
それを、その問題不安と問題を解決するためにパウロがこの手紙を書いたんですね。
どんな問題か、先週以来ずっと話していますが、それは、主の日が既に来たという偽物の、いわゆる主末の、主は終わるという時に、末は末ですね。
世の終わりの偽の、そういうメッセージを聞かされて、惑わされていたこの教会の人々がいた。
その人たちが心を騒がせていた、それをなだめるためにパウロがこれらの手紙を書いたわけです。
先週の説教のレジュメも皆さんの席にあるかと思いますし、ネットでも音声を聞くことができますけれども、大原則はですね、
いつ終末が来るという日時を予言したり、今がもう世の終わりだというものがあれば、それはもう今の時代でも偽物だと判断することができますから、
そういうメッセージに恐れることはないということ、それが基本です。
詳細は先ほども言いましたが、先週の礼拝の説教とか、その前の礼拝の説教やレジュメを参考にしてください。
そしてそれでもまだくすぶっている問題をパウロは別の観点からなだめようとして、今日の続きのところを書いています。
ちなみに主の日、ここで言われている主の日とは、イエス様がクリスマスで最初にこの地上に訪れましたが、
十字架にかかって復活して、今天に登って帰っているという状態ですが、そのイエス様がもう一回帰ってくる、そういう再臨というんですね。
それが主の日であって、その時にイエス様を信じている人はイエス様のもとに引き上げられて、そして簡単に言うと、分かりやすく言うと、
神の国に入るという、そういう将来の救いの希望というのが主の日の希望と言うんですけれども、
当時の偽予言者とか偽教師は、もうその日が来ちゃったと、だから今ここの地上にいるあなた方は取り残されているんだよ、そういう不安をあおっていたわけです。
だからそのような偽のメッセージで、今の自分の彼らの中には苦しみが増していたんですね。
迫害がどんどん厳しくなっていましたから、迫害が厳しくなる中で、本当に世の終わりが来てしまって、自分は取り残されてしまった。
簡単に言うと天国にも行けない、そんな不安に彼らの中の多くの人は苛まれていたわけです。
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そしてそのような心を騒がせていたという彼らの問題がありましたが、
実は今私たちは、今のコロナの中での不安、将来の不安の他に、この聖書そのものに対する課題というか問題にも直面しているわけです。
それはどんな問題かというと、あえて問題と言いますが、
実は今日の2章のところ、実は2章の1節から12節のところ、これはですね、聖書の中でも最も解釈が難しい箇所です。
主の比のことについてパウルは書いているんですが、簡単に言うと一流の学者たちがここの解釈は難しいと言っている箇所、そういう問題があります。
その理由はですね、こういう理由です。
パウルはもう、この手紙を書いているテサラニキの人たちに、既に彼らの元にかつて訪れていて、直接面と向かって主の比について教えていたんです。
そのことをパウルは教えたし、テサラニキの教会の人も主の比についても既に知っていたわけです。
これから説明する詳しいことを既に知っていたわけです。
それを知っているという前提で、パウルはこの手紙の部分を書いています。
例えばですね、2章の5節、6節のところを見ると、
2章の5節にここにありますね。
私がまだあなた方のところにいた時、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか?
6節の最後には、あなた方は知っていますと言っています。
だから彼らが知っているという前提でパウルは話しています。
そしてさらに難しくしているのは、実はパウルが教えた内容、主の比について教えた内容、主の前触れについて彼らが知っている内容を、私たちは知ることができないという問題なんです。
そういう難しい問題。
だから今日の説教タイトルも、「わからないことを知って!」ということですけれども、
そういう問題や課題がありますが、私たちはこの限界がある中で、
じゃあそのような難しい聖書の問題にどう取り組んだらいいのか、
そしてそこからどうやって私たちは今を生きる糧を得たらいいのかということを一緒に学びましょう。
今日は3つのことを話します。
第一は、難しいと言われているこの箇所でパウルが何を話しているかという。
まず難しい中でも、彼が話していることの内容を最初に説明します。
2番目は、じゃあわからない、知り得ないという限界をどう捉えたらいいのかということを2番目に話します。
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そして最後には、そのわからないという中で、今の私たちはそれをどう当てはめて生きるか、神に応えて生きるかということを学んでいきます。
では最初の点です。
最初の点はこっちにも書いてありますが、まず皆さんの頭に入れてほしいことをこれから説明します。
例えば主の日というのは、さっきも言いましたがイエス様が再臨され、信者がイエス様のもとに集められる日を主の日と言います。
覚えておいてください。
ちょっと難しいことも話しますが、私たちが知るべきことを知っておくと自分たちが守られるわけですよね。
ずっと話題にしています。新型コロナウイルスに関して、例えばこんなこと皆さん知ってますか。ウイルスと細菌の違いがあるわけでしょ。
あるいはこれ出しましたけど、コロナウイルスとCOVID-19の違い。
コロナウイルスというのは、このコロナウイルス自体は風邪から死に至る肺炎まで様々な重症度の呼吸器疾患を引き起こす一群のウイルスをコロナウイルスと言います。
そして昨年の末中国の武漢で初めて特定されて、今世界に拡散しているものを新型コロナウイルスと言いますよね。
そしてその新型コロナウイルスを原因として起こってくる熱とか肺炎、その感染症のことをCOVID-19と言うんですね。
だからちょっとまず前振りとしてはこんなこと書いておきましたけど、ちゃんとしたことを知っておくと私たちはいろんな予防ができる。
自分は守れる。例えばマスクも裏表がありますよね。それも今日も新しいマスクしてきましたけど裏表ちゃんと確認してするとか。
正しいことを知っておくと私たちは身を守ることができますし、聖書についても正しいことを知っておくと偽物の終末論から自分を守ることができるわけです。
じゃあもう少し本題に入っていきます。まずこの中のですね3説ですね。
騙されていけませんなということで、まず廃墟が起こり出てきます。廃墟ここです。廃墟とは何かというと
キリスト教徒に限ったことではなくて、一般的な神様への反逆と暴徳を廃墟と言います。
なぜこういうかというとクリスチャンが
クリスチャンが背くことだけに限定する人もいるんですけど、ここでいう廃墟というのはとにかく
世間一般の人が神様というものを意識的に反逆してですね暴徳するもので、後でも言いますけどそれがあからさまになってくるということが起こるわけです。
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そして主の日の予兆としてファールが言っているのは 不法のものがその後に訪れるんですね。この不法のものという
この言葉それはですねもともとは 法律を破るもののことを指します。
でもそれから派生して 神様の規定を破るものを不法のものと言います。
そしてこれは最後には自分を神とするもの この不法のものが訪れたらイエス様が帰ってくるってそういう前提になっています。
でこの不法のものはいわゆる自分を深刻化するわけですね。
でその深刻化するということが 2章の4節に書いてあります。
不法の者がすることはすべて神と呼ばれるもの 礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ
ついには自分こそ神であると宣言して 神の庭に座ることになります。
まあ1節によるとローマの皇帝ネロとかですね 自分を神にしたっていうからそういうことがイメージされているんではないかとも
言われています。でも
パウロやこのテサニー家の人が知っているようにそれ以上にもっと何かひどい 神への冒涜神を自分を神とするそういう存在を不法のものと言います。
そしてその不法のものが現れます。 そしてその不法のもの
の次にですね このような不法のものとさっき言った廃墟というものが共鳴しあって
まさに世の末になっていくような状況を考えられるわけです。 そしてそのような
廃墟と神を冒涜して自分を神格化するものの ひどさが共鳴しあって誰の目にも明らかな悪が増していくのかもしれません。
その不法のものを滅ぼすためにイエス様が再び帰ってくるということなんですね。
私たちは怖がってはいけないのはですねその不法のもの 神自分を神とする不法のものはですね
やがて滅ぼされるというそういう運命にあるわけなんですね。 三章の最後にですね不法のものすなわち滅びの子って書いてありますけれども
どんなにその力が強大に思えてもそれは必ず滅びる そして後でも見ますけども
イエス様が来臨されたときにその不法のものはまあ 殺されるとまで後々書いてあるわけです
ですからそのようなものを私たちは恐れる必要がないわけです そしてさらにですね
不法のものに関して 関連して6節でこう書いてありますね
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不法のものが その定められた時に現れるようにと今はそのものを引き止めているものがある
そのことをあなた方は知っています この7節にも今不法のものを引き止めているものが
あるっていうことが書いてありますねで 次に覚えておきたいいただきたいのはこの
不法のものを引き止める存在があるということなんです でその
どういうことかというと その引き止めるものの行動によって
そのいわゆる 悪の極みである不法のものがまだ現れていない
そういうふうにパールは言っているんですで実はその内容がわからないんですけれども さっきも言いましたが
2章の5節で 私があなた方のとこ行った時にこれらのことをよく話していたことを覚えていませんか
と言っていますし6節でも不法のものがその定められた時に現れるようにと今はその 引き止めているものがあることをあなた方は知っていますってパールは言っているんです
さっきも言いましたがその内容が具体的に何を指すかは私たちにはわかりません でも皆さんに理解しておいてほしいのはそういう最後の
まあ非常に安っぽい方すると最後の悪のボスキャラですか 悪のボスキャラとでもいう不法のものが現れる前にそれを引き止める存在がいるという
そういうふうにここでは言われているわけですね でもパールはそこで言っているのは繰り返しますが
テサノニケそれはもう 引き止めるものが何故かあってその最後の不法のものがまだ現れていないから
テサノニケ教会の人々がいる時代には主の日は来ないんですよって断言してるんです これらの2つの兆候が重なってないから
終わりの日は来てないから心配したり心を騒がせてはいけませんとパウロは言っています でやがてですね
もう一つちょっと気になる言葉があるので解説しますが7節ですね その
不法の秘密はすでに働いています ただし秘密にあるのは今引き止めているものが取り除かれる時までのことですって言って
るんですけども その不法の秘密があると
そしてそれが取り除けられる時が来るって言ってるんですね ここでもう一つ皆さんに知ってほしいのはですね
この不法の秘密という言葉 秘密と言うとですね私の世代だと秘密のあっこちゃんとか
しています ファグマスクしてマスクしてもう喋っしゃべっちゃいけないの今
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ね喋れねえ秘密のあっこちゃんですよでも燃えてしまいましたけど 秘密というとですねこれ英語でミステリーってことです
で実はこの秘密の 不法の秘密とかミステリーって言葉を使って人を怖がらせるカルトがあります
はっきりとそして私たちはその秘密を知っているから私たちの信じる宗教を信じれば この世の終わりから救われますというそういうカルトがあります
だからそういうもの騙されないでくださいでその不法の秘密の秘密っていうのは別に 怖いものではないんです
ギリシャ語でミステリオンと言ってあのミステリーの言語になっていますでその本来の 意味は
今明らかにされていないことが後々明らかにされる そこそれがですねこの秘密
ミステリオンという言葉に関連している思想です だから単なる今わかんないけど後に明らかになることを秘密とか
ミステリーミステリーと聖書言っているわけですから 怖がる必要ありませんなぜならつまり
やがて不法のものが誰かは時が来ればわかりますとパウロは言ってるに過ぎないから なんです
でこのミステリーという言葉をよく表しているのがいわゆる私たちが知っている ミステリー小説とかミステリー映画ですね
それはどういう性質かというと 例えば
この間も私ですね横溝生死の映画見たんですけどもまず殺人事件が起こりますよね 例えばよくあるのは
コナンなんかでもありますけど未出殺人が起こります でもそれは必ずですね時間とともに探偵や刑事が犯人とか
その不思議な未出のトリックの手口を解くわけですよね そして犯人も未出殺人というカラクリもやがて明らかになります
そういうのがいわゆるここで言う 秘密ミステリー後に明らかになる秘密だという具合です
ですから何度も言いますけれどもこの終末の秘密とか終わりの秘密という言葉に 惑わされないように私たちは気をつける必要があるわけです
そしてこれらのパウロの言葉や理論をまとめるとこういう理論になるんです つまりまず
サイリンの前に現れるべく不法のものを引き止める存在があります そしてそれが
取り除かれて 引き止めるものが取り除かれて
不法のものの存在が 明らかになります
すなわちその秘密は解かれるわけです それと同時に廃墟があって不法のものが自己身格が自らを神とする
21:09
すべての宗教や神々を否定して自分が唯一の神だと主張すると そしてようやく主の日が訪れる
それを私が教えた通りあなた方は知っているでしょうと そして今はこのような善長が起こっていない
だから これらの善長が起こっていないから主の日はまだ来ないので落ち着きを失ったり
心を騒がせてはならないというのがパウロの理論です 実はですねこの難しい箇所をキリスト教の歴史の中でも解き明かそうとした人が
いました 実は失敗したんですあの有名なマルチンルターでさえ
失敗しました失敗て変です間違えました彼は当時腐敗していた カトリックを指して当時のローマ教皇をいわゆる不法のものだとしたわけ
不法のものを引き止めるものだとしたわけです これは間違いでした
そして例えば第二次世界大戦の前後こういうことがありました 北米のキリスト教徒たちはあのヒトラ
あれこそまさに不法のものが現れる 最後の引き止めるものだと言ったりあるいはそのちょっと前にいわゆる
共産主義ですよね対等してスターリンなんかが大虐殺を行いました 宗教化をいっぱい殺しました
ですからのスターリンをはじめとする共産主義の独裁者たちこそ引き止めるものだと 北米の人たちが考えたようです
ご存知のようにこれらは歴史が証明して知っていますが間違いだという間違いだった ということが言えるわけです
そのそして当然死の日は訪れていません ですから私たちが取るべき態度それは不法のものが誰であるかを
安易に名指ししてはいけないそれを名指しする 不法のものを引き止めるものを
名指しするのは間違っています 不法のものや不法のものを引き止めるものが誰であるかを
名指しすることは間違っているわけです そして再三再四私たちがパウルから学んでいるように正しい態度はキリスト教の正しい
伝統と聖書の健全な解釈 そういうものの理解をもとにそしてこのルザーのことなどあげましたけど過去の過ちを
参考にして偽りの終末論から自らを守ってください 先週から言っていますが
コロナウイルスの今世が終わると言っている宗教があればそれは嘘です それから先週も言いましたがコロナウイルスは例の問題ですと言って私たちの宗教を信じれば
ウイルスに感染しないしそれも癒し治りますと言っている宗教も偽りです そういうものを信じる必要もないし怖がる必要はありません
24:00
さあ2番目のポイントいきましょうじゃあ私たちはこの わからないということから何を
受け入れたり学ぶべきでしょうか さっきも知らせましたが
この手狭抜きの人々とパウルが知っていた教えの内容を私たちは知りません パウルは手狭抜きの教会の人に言った中にはですね
もしかしたら彼らは彼らなりにですね その聞き止める者が誰であるかを知っていたのかもしれません
あるいは特定していたのかもしれませんでも書いてないから私たちは知り得ないわけです そして
イエス様自身もですね先週見たようにこう言いましたね 自分のサイリンについてイエス様は弟子たちに教えたその時にこう言ったんですね
それがいつであるかは天の父以外は知らない 天の見つかりも人の子である私たち私私さえ知らないってイエス様は言ったわけです
ですから 多くの学者がですね今日のこの聖書の箇所についてこのように述べています
これらの聖書箇所を主の日の来臨を予告したりその日を知るために用いるべきではない なぜならこの聖書箇所で
パウロが願っていたことは 増し加わる迫害という困難の中にある
テサヌケ教会の人々の動揺を鎮め 慰め励ますためである
そしてそれは死の日がいつ来るかいつであるかを判断するための情報を提供することを パウロはいつしていないからだって言うんですね
ましてや私たちはテサヌケ教会の人々がパウロから直接学んでいた この死の日に関わる内容を永遠に知ることができない
そのことをわきまえるべきであると言っているんですね あの聖書を理解する一つの原則はそれが書かれた意図をちゃんと理解するということです
パウロが書いたこの意図は 死の日をいつだと断定させる
日時を知るための治療を提供したのではなくて パウロの教えを思い起こさせて苦しんでいる兄弟姉妹を慰め励ますということに意図があったわけです
だからここから事細かに情報を自分たちが分析して今の誰が二世キリストだとか いつ世の終わりが来るということを特定してはいけないというそれが
公平な考えです 私たちの教会で今休んでいますがやっているがん哲学外来というのがありますね
日野浮世先生といって日本でも世界でもすごく有名な 腫瘍学がんの研究者の第一人者の一人ですが日野先生がよくこういうんですね
がん患者さんが心配した時に再発の心配がんの原因の心配などした時にこういうわけです 曖昧なものは曖昧なままにが科学的である
27:11
曖昧なものは曖昧のままにが科学的であるこれ食べたらがんが治るとかそういうことじゃなくて これが自分のがんの原因だとか再発はいつ起こるんだっていうそういう曖昧なことを探ろうとし
曖昧なままにしておくのが科学的だよって言うんですね これも慶長に値する言葉です
そして実はこれは神の前の私たち人間のあり方を問うている問題でもあるわけです つまり
私たちは全智全能の神様の前では すべてを知ることができない
神の前で自分は神を知り尽くせないという限界があるということを認める そういうことにつながるわけです
ここの前にも引用しましたが 聖書にもこのように書いてあります
教約聖書の神言を書いてありますね ことを隠すのは神のほまれ
ことを探るのは王のほまれ まあこれ書いたのはソロモンというイスラエルの方ですが彼は
世界中の知恵にあふれていたと言いました 彼が知り得ることは自分のほまれでもあるけれどもそれでも知り得ないことが神にある
それを隠すのも神のほまれだと言っているわけです そしてこのテサヌケビトの手紙を書いた同じパウロがロマンにやってた手紙でも
こう言っているんですね
神の知恵と知識との富は何とそこ知れず深いことでしょう その裁きは何と知り尽くし難くその道は
なんと計り知りがたいことでしょう まあ簡単ですね感動の感に嘆く簡単な言葉をパウロは
神に選ばれるということについて述べた後に 簡単な言葉をこういうふうに述べているわけです
それは 諦めじゃなくてですね神様を賛美している神の偉大さを賛美し自分の小ささを認めて
いるんですね まさに神様の知恵知識その富はそこ知れず
深いんだ 私たちはそれを知り得ることができない
そのような偉大な神を私たちは信じているんだという驚きと喜び そういうものが混じった告白がここにあるわけです
今回のコロナウイルスの関連についてもです出来事についても私たちは 知らないことが多いですよね
わからないこと曖昧なこと多いですでもそこをやっぱり受け入れる そしてあるいは私たちはかつてはですね飛行機で世界中飛び回って
何でもできた何でもできると思っていましたでも 私たちにできないことがたくさんある
近くにいる家族さえも訪れることができないそんなこともあったわけです まあコロナ騒動として私たちの限界というものを見せつけられましたけれども
30:05
これらの聖書の言葉を通しても私たちは神の前での自分の知識の限界ということを 受け入れることが必要ですねそしてこれはさっき言った
不法のもの自分を神とした不法のものと正反対の態度であります 何やともあれ
この神の前での謙遜 それはパウロが
抱いていた信仰の基本でありまたイエス様の教えの基本です 限界を認めながら私たちは知り得るところをもって神に使えていく
それが 聖書の言う信仰の基本ですじゃあ最後のポイントですね
では私たちはこの分かる範囲で何をするべきなのか ここで注目するべきことがあるんですね
この主の日に関わる内容を パウロから直接学び知っていた
テソンリキの教会の人々に パウロはこんなことを手紙の中で言っています
動揺しないで落ち着いて今なすべきことをしっかり行いなさい そうパウロはこの手紙の中で進めているわけです
実はこの2章の後3章などにパウロがこれらの教えを伝えています ここに引用しましたが3章の
失礼しました13節とあたりですけれども 私たちが命じることをあなた方が現に実行しておりこれからも実行してくれることを
私たちは主にあって確信しています そしてこれですねあなた方は頼むことなく善を行いなさい
兄弟姉妹たちよ このようにパウロはテソンリキの兄弟姉妹を励ましているわけです
大事なことはこの教えの背景 テソンリキ教会のもう一つの問題があったということも重要なんです
実はこの教会の中にはこういう人たちがいました もう主の日が来てしまったとかこれからもうすぐ来る
主の日がもうすぐ来てしまったのであれば もう働いても意味がないと言って働かない人がいました
主の日がもうすぐに来るんだから働いても意味がないと言って諦めてしまう人たちがいた わけですね
でそういう人たちにパウロは命じているんです 2章の
失礼しました 今日ちょっとねこの
調子悪くなっちゃってすみません レジュメにも書いてありますし皆さんの成長にもありますが
33:11
3章の12節でパウロはこう言っています そのような人たちに主イエスキリストによって命じ進めます
落ち着いて仕事をし自分で得たパンを食べなさいって言ってるんですね もう主の日が来てしまうから
働いてもしょうがないで実はこのギリシャ人の人たちが多かったようですけどもそこの中 にはですね
まあいわゆる
働かないで人々の施しを頼りにしていた人がいてしかも教会というのはパウロが言う ように困った人に施しをしなさいというそういう理念で動いてますから悪く言うと
そういう人たちにたかっていた働かないでたかっていた人たちがいたのでしっかり 自分で仕事をしなさいとパウロはこう言っていたわけです
主の日はまだ来ないしその日の前触れもあなた方は知ってるんですから今は仕事に 勤しみなさいとパウロは進めているわけです
それは当然今の私たちにも当てはまる 言葉ですね
主の日はもちろんまだ来ないまして私たちは パウロやこの手探り家の兄弟姉妹のようにその主の日の前触れについて
はっきりと知ることができないわけです であれば落ち着いて地に足をつけて今なすべきことを行う
それがパウロのまた御言葉の教えに習う生き方なのではないでしょうか またこれはですねいわゆるアフターコロナがどうなるかわからない
そして そういうこれからどうなるかわからない不安の中で
悩んでいる私たちへの励ましとなると言えます 例えば
そのようなアフターコロナに対する不安や心配があるけれども今なすべきことをしっかりする 仕事をしているのであれば仕事をちゃんとする
学業にお勤しんでいる人であればきちんと学業に取り組む また仕事や学業を離れてもですね神様と人にできる中で使えていく
そのような生き方を パウロも聖書も進めています
その中でも特に人に使い弱い立場の人々を顧みて 必要に応じてできる範囲で手を差し伸べていくそれがキリストの教えです
ただですねパウロもこの手紙の他の部分で言っていますけれども そういう
さっき言ったた狩りのような人たちがですねあなた方の行為を悪用するから そういう人たちにはまず社会的な福祉とか家族が面倒見るように施し
そのような手筈を整えてあなた方はそういう人たちに利用されないように気をつけなさいとも あれ上手に距離を置くようにとパウロは手差抜ける人々にも教えているわけです
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それ私たちも聞くに立たせる言葉です 何はともあれ私たちも将来の希望を見据えて今与えられた使命をやっぱり誇りを持って
神様にあって正しく生きていくことそのように励まされているわけですね 実はイエス様も同じく弟子たちをそして私たちを励ましています
先週見ましたがイエス様は自分が来る日を知らないと言った その御言葉の後でこのようなことも言ってるんですね
主の日がいつかわからないですからあなた方は目を覚ましていて良いことをし続けなさいと そして
弟子たちに私たちにこう言ってるんです あなたたちには神様からあり余るほどの賜物や才能を与えられているわけです
ですからそのあり余るほどの才能や賜物を用いて あなたなりに人々に使いなさい
特に立場の弱い人たちに帰り見なさいと その一連の聖書の教えの中でイエス様は言っているわけですね
その上でイエス様は弟子たちをある人になぞらえて教えています どんな人かそれは主人の
帰りを待つ主人に仕事を言い付けられた下辺そのような主人の帰りを待っている下辺に 弟子たちをなぞらえてイエス様はこのように教えているんですね
それがここです 決定しました
マルコ13章の35-36 だから目を覚ましていなさい
家の主人がいつ帰ってくるかおそらくはイエス様です イエス様家の主人がいつ帰ってくるか
夕方か夜中か鶏の鳴く頃か 明け方かわからないからです
主人が不意に帰ってきた時眠っているのを見られないようにしなさい そのように私たちは
終わりの日を不必要に恐れずですね イエス様がやがて帰ってきてくださることに希望を受けながら今与えられている日々を
神様にあって神と人に仕えていくそのような意味をできればと願っています 願っていきましょうお祈りしましょう
天の神様皆を賛美いたします 今日はパウロの手紙から学びました
私たちが知り得ないことがたくさんありました どうぞ今
コロナ禍の中でいろんな不安が叫ばれますけれどもどうぞ
私たちが偽物の教えに騙されることがないように 不必要な情報に振り回されることがないように
私たちを聖書の言葉を通してイエス様にある確信を持って守ってください その上でどうぞ私たちが置かれた場所において
39:05
神様を覚えながら神様と人々に仕えていくことができるよう あなたの御意を表すことができますようどうか
弱い私たちを帰りに用いてください この願いと感謝を私たちの救い主シューイエス様のお名前によって祈ります
アーメン
39:29

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