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新約聖書マルコの福音書1章21節から28節、新開約2017年版でお読みします。
それから一行はカペナウムに入った。イエスは早速、安息日にカイドウに入って教えられた。
人々はその教えに驚いた。 イエスが立法学者たちのようではなく、
権威ある者として教えられたからである。 ちょうどその時、穢れた霊に疲れた人が、そのカイドウにいて、こう叫んだ。
「なざれの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか? 私たちを滅ぼしに来たのですか?
私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」 イエスは彼を叱って、
「黙れ、この人から出て行け。」と言われる。 すると、穢れた霊はその人を引きつけさせ、大声を上げて、その人から出て行った。
人々はみんな驚いて互いに論じ合った。 これは何だ?
権威ある新しい教えだ。 この方が穢れた霊にお命じになると、彼らは従うのだ。
こうしてイエスの評判はすぐにガリラや周辺の全域至るところに広まった。 以上です。
今日はこのところから、新たな力ある教えと題して二言葉を取り継ぎます。 みなさんおはようございます。
先週はですね、水曜日からですね、暑い日が埼玉県でも続きました。
真夏日ですね。最高気温が25度を超える日も珍しくない、あの何ですか、あってですね、本当に珍しい6月頃の気温だとも言う、そういう暑い日が続きましたけれども、昨日から少し弱いですね。
今日、穏やかな朝を迎えることができて本当に感謝しております。 今日ですね、いつも通りマルコの福音書から学んでいます。
なかなか出さなかったんですが、 今の舞台はですね、ガリダヤ地方です。ガリダヤ湖で先週
見ましたが、ペテロをはじめ4人の弟子達、漁師達を弟子として招いたイエス様。 そのイエス様はこのガリダヤ地方のガリダヤ湖の北にあった
カペナウモという町に今日入られたわけです。 ちょっと3種類の地図を用意しましたけれども
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ごめんなさいね、失礼しました。 ちょっとすみません。
これですね、あ、ごめんなさい。
なんか調子悪いな、今日。 ごめんなさい。
この世界地図ですね。大体ここが世界地図であって、イスラエルはこの辺ですね。 これがイスラエル。
そしてそのイスラエルの中のこの小さい湖がガリダヤ湖です。 これですね。
ここの北のカペナウムという町が今日の舞台です。 このガリダヤ地方というのはこのイエス様の3年間の伝道の中心地でした。
しかもこのカペナウムというのは拠点の非常に大事な町だったそうです。 このカペナウマはですね、今廃墟になっています。
それで遺跡だけ出てきたんですけれども、そこの中で最も有名な遺跡は実はこのユダヤ人のカイドウで、 このイエス様が教えたカイドウではないこと言われています。
だからおそらくイエス様がここで教えたってことは実際にあったそうです。 このカイドウというのはですね、ユダヤ人がこの教会と似ているようにですね、毎週安息日の土曜日に集まって
礼拝をしたところがカイドウでした。 今日の出来事はその中に悪霊に疲れた人が出てきて、それを癒したという出来事です。
このような奇跡をですね、私たちが今どう捉えたらいいのか、 そういうことがあるので最初にその点を取り上げます。
そしてその後ですね、もう一つの中心、今日の中心のイエス様の教えということを2つ見て、 3つのことから学んでいきたいと思います。
まず最初、 このような奇跡物語は聖書の意図するところを捉えることが大事だということなんですね。
このカイドウで起こった癒しが今起こるのか、と読んでいる人は考えたくなるわけですよね。
でもそれ以上に大事なこと、それはこのマルコの福音書が伝えようとしていることは何か、 その意図を汲み取ってこの出来事を理解することなんですね。
今まで学んできましたように、一生の一説、神の子イエスキリストの福音の始め、 よく物語で始まり始まりなんてあるじゃないですか、神娘、姉妹など。
そういう響きがあって、この福音書全体のタイトルが冒頭にありました。 そして先週ですか、見た15節。
時が満ち、神の国が近づいた、悔い改めて福音を信じなさいというイエス様の最初のご発声というかね、見事が。
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これは、これもまたこの福音書全体のテーマを表す言葉だということだったんですね。
で、このように、今日福音を読む時も大事なことがあります。
最近、取扱説明書のことなんていうか知ってます? 取説って言うじゃないですか。取説、それをですね、例えば読んで、
これ文学的じゃないじゃないか、批判する、それは意味がないことですよね。 いわゆる取説は商品の取扱説明書ですから、
それを私たちは読んで、正しく製品を扱って、私たちの生活、日常生活が豊かになることを意図されている。
余談になりますけど、この教会の電気工事をしてくれた電気屋さんがですね、
団地の方にあったんですけども、そこの本当に長年地元に根差してやってきた店主の方がね、よく言うんです。
取説は必ず全部読みなさいと。で、いつ何を読んだかを記入しとくと覚えておくから。
そうすると、こんな機能があったってことで上手に使えますよという、プロの電気屋さんが言っておりました。
そういう取説は、それを読んで製品を通して、私たちの生活が便利になって豊かになるために書かれています。
もちろん福音書はですね、取説ではありません。
でも大事なことはですね、福音書を読むときに、そこに出てくる出来事を通して、
この場合は丸子、著者が私たちに何を伝えようとしているのかという、その意図を正しく読み取ることが大事だということです。
つまりここで言いましたけれども、神の子イエスキリストの福音、それを信じるということがこのテーマですから、
この文脈の中で、神の子イエスキリストの福音として、この出来事を通して何を伝えようとしているのかなということをしっかり読み取ること、それが必要だ。
そうすると、この出来事と私たちの関わりが分かって、そして私たちといわゆるイエス様の福音との繋がりが見えてくる。
そういうところに、この奇跡の物語の意味があるわけです。それでは、今日のこの奇跡の出来事の意図は一体何かということを2つ見ていきたいと思います。
ある意味1つなんですけれども、それを2つに分けます。それは最初は、新しい教えという点にあります。
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ここちょっと長いんですが、私読んでみましょうか。1章21節、22節。
それから一行はカペナウムに入った。イエスは早速、安息二次にカイドウに入って教えられた。
ちょっとここから読んでみましょう。頑張って。3、人々はその教えに驚いた。
イエスが立法学者たちのようにではなく、変やる者として教えられたからである。
このですね、先ほども言いましたが、4人の弟子達、両子を招いたイエス様は、すぐにカペナウムのカイドウに入って教えられ始めたんですね。
先ほども言いましたけれども、この大事なガリアデンドの本拠地での活動を開始したんです。
そしてこういうカイドウに入って教えました。 そして今日見ている箇所ではですね、
教えるという言葉が、これ印付けました。前のパーポに出てきますけど、教えるという言葉が動詞形と名詞形を含めて4回出てきます。
21節、カイドウに入って教えられた。 22節、人々はその教えに驚いた。
変やる者として教えられたからである。 今日の一番大事なことでも言われている27節は、
人々はみんな驚いて互いに論じ合った、これは何だ? 変やる新しい教えだ。
この短い箇所に4回も出てきているということは、一番大事な言葉だということがわかります。
そしてもう一つ大事なこと、この27節の奇跡を見て人々が発した言葉がちょっと興味深いんです。
なぜなら、これは何だ? 変やる新しい教えだって言ってるんです。
見たのは奇跡ですよね。 奇跡だって言わないで、教えだって言ってるんです。
そこからもこの強調点からも、この箇所ではイエスの教えが大事だということがわかるわけです。
じゃあその教えとは一体何ですかって言ったときに、実は新しい教え、27節の黄色い線が引いてありますが、
新しい教えという、そういう意味がまず大事だということを見ていきましょう。
新しい教え、どんなことかなということでちょっと考えてみたんですが、 この絵わかりますよね。
ノーベル賞というのがありますね。 その中でも3つの
自然科学の3賞というのがですね、 最も権威があると言われてるんですね。
物理医学賞、科学賞、生理学医学賞というこの3つの自然科学の3賞、それを受けたらですね、 その人は世界的な権威者になれると言うんです。
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写真にあるように、2012年に生理学医学賞の山中信也さんが、 IPS細胞の開発で有名になりましたね。
一番なんか今でもノーベル賞受賞者でよく知られているかと思ってあげたんですけども、
この先行基準がですね、一流の学者が集まってここを見るそうです。 この研究者が本当にそれを最初に
手がけた人なのかということです。 2つ目は
同じ成果を上げた研究者が他にいないかという点なんです。 もっと解説して、特にこの3つの賞では
新しさを大事にしているって言うんです。新しさ。 その基準を確かめるために、たくさんのお金をかけて時間をかけて
吟味しているそうです。 だから、研究成果が出てから10年以上経ってとかって人が多いそうです。
何回も言いますが、莫大な費用をかけて新しさを探すぐらい。
ひゅうがえって、このイエス様の教え、その特徴はですね、 先ほども言いましたが
これは何だ? 権威ある新しい教えだ。
人々は驚いているわけです。そのどのように新しいかというと、 22節の
立法学者たちのようではなく、 権威あるものとして教えられた点に新しさがあるということなんですね。
ちょっとその辺を言うとですね、いわゆる後から出てくる立法学者というのは、 街道で教える専門家です。
彼らもですね、いわゆる教科書みたいなのがあったんです。 その教科書は大体いろんな説がありますが、少なくとも
この時代から500年遡った頃に始まったと言われています。
その500年遡る伝統がある中、いろんな教えが与えられている中でさえもですね、 イエス様が突然やってきたその教えが新しくて、人々が驚いた。
そこにイエス様の教えの素晴らしさがあるということをまず覚えておいてください。 最後の点3番目。
その教えは、権威があったということなんです。 権威ある教え。
先ほども言いましたが、大事な言葉。 人々はみんな驚いて互い論じ合った。
これは何だ?権威ある新しい教えだ。 この方が穢れた例にお命じになると、彼らは従うのだ。
と言っているんですね。 先ほども言いましたが、ノーベル賞には最初に発見した、まさに新しさの故に権威が生じましたね。
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誰もやったことがないから。 一方のイエス様の教え、それが新しい理由は、その教え自体に権威があったということだったんです。
実は、権威という言葉も、この22節と27節に2回使われているので、
ここでは権威という言葉も、大事な言葉として挙げられるわけです。 じゃあ、このイエス様の権威とは一体何かということなんですね。
今、絵が出てしまいましたけれども、 去年上映された、ハウというワンちゃんの映画、ご存知ですか?
三浦慶さんですか? 主演で、ワンちゃんが主役の映画です。 どんな映画かというと、物語かというと、
青森県から横浜まで飼い主に会いに、この犬が一人で旅をしたという物語だそうなんです。
この映画の中で、ワンちゃんが移動するときに、トラックとか電車に一人で乗り込むシーンがあるそうです。
それをどうやって撮影したかと言いますと、 ドッグトレーナーが車や電車の中に入って、名前を呼んで、その中にこの犬が入ってくるということだったんですね。
もう一個というか、この中で一番難しいことは何か。 実はワンちゃんが走る訓練をするよりも、
ゆっくり歩く訓練をすることが難しいんだそうです。 じゃあどうやってゆっくり歩く訓練を身につけるか、ゆっくり歩くことを身につけさせるかというと、
名前を呼んで待て、名前を呼んで待てというのを繰り返すそうなんです。
ハウおいで待て、ハウおいで待て、それを繰り返して、やっとゆっくり歩くことが身につくんですけれども、それが身につくまで2年かかるんです。
このドッグトレーナーの方はですね、ある名前が 78歳のベテランだそうです。
そこからわかることはですね、このワンちゃんは 2歳ぐらいって言ってましたね、当時。
ワンちゃんはそのトレーナーさんの権威とか、言葉にある権威ということがわかって、 トレーナーさんの言うことを聞くわけですよね。
多分僕が言ってハウって言っても噛まれるかもしれません。 そういうものです。
ここに、 その人や言葉に伴う権威ということの中には、その言葉によって何かが従うとか、誰かが従う、何かが起こる、
そこに力があるということに、この教えや言葉の権威ということが伴うということを覚えておいてください。
それで、そのことを元に考えた時に、
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イエス様のその権威の根拠、それは言ったことが実現するということなんです。
ここにありますが、人々はこの方が汚れた例にオメージになると、彼らは従うのだと驚いた。
黙れって黙らせて、この人から出て行けって言ったら出て行く。
つまり、この軌跡が私たちに伝えたいことは、イエス様の教えには権威があって力がある。
そこを出来事を通して、マルコは私たちに教えたかった。それを汲み取るべきだということなんです。
そこでは、先ほども言いましたが、立法学者のようにではなく、新しい教えだということの背景には、
立法学者は、約少なくとも500年の教えの伝統や知識に根拠を置いていました。
つまりどういうことかというと、自分ではなくて、教えられてきた教えそのものの権威によって、
彼らは教えていたんです。 だけどもイエス様は、自分以外の何者にも権威の根拠を持たない。
イエス様自身が権威の拠り所であり、権威の根拠だったということを、それをこの話を表しているんです。
別の言い方をすると、立法学者の権威というのは、外側から、人間だからしょうがないんです。私たちもそうです。
外側から与えられていました。でもイエス様は、イエス様自身に権威の根拠があって、そしてその新しい言葉を発したらですね、
その通り力強い技が起こった。 そこにイエス様の教えの新しさと、そして権威、力強さがある。
その証拠が、この穢れた霊を追い出す奇跡にあったということなんですね。 ぜひそのように今日の教えの大事なポイント、イエスの教えである、それは新しく、そして力に満ちている、
権威がある、 言った通りにことが起こるということをまず覚えておいてください。
繰り返しますが、 そこの街道にいた人々はこの出来事を見て、
奇跡に驚いたのではなくて、イエス様の教えに驚いたということをまた覚えておきましょう。
そして実はイエス様自身に驚いた。それはつまりですね、 神の子イエスキリストの福音とは何ですか?
言った時にいろんな言い方ができますが、その一つは、 イエス様の教えに福音がある。
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そのように私たちは捉えることができるわけです。 その上で、今日の箇所でもう一つ興味深いことがあるんです。
この21節でですね、イエスはカペナウムに入った。 そして元のギリシャ語を読むと、
入って教えられたってあるんですけども、 街道に入るという言葉と、その前のカペナウムに入るという言葉がですね、
現在形なんです。日本語では入った。過去形で訳されています。 これ現在形であるというのはですね、あたかも読んでいたり聞いている私たちがそのイエス様が入っていく様子を見ている。
そういう書き方をしているんです。それはつまりですね、 あたかも私たちが見ている前でイエス様がこの教会に入ってきてくださっている。
そう捉えることもできる。 あるいはイエス様は今目には見えませんが復活して、私たちの生活に入ってきてくださる。
私たちの心の中に入ってきてくださる。 入っておられる。そういう捉え方ができるわけです。
よくある福音の一つに、イエスはいつもともにいる。 私たちの生活に入ってきてくださっているということもあるわけですね。
そしていつもともにおられるイエス様はどうでしょうか。 私たちに新しくて力ある御言葉を授けてくださるお方です。
その私たちとどこに行ってもともにおられる、入ってきてくださっているイエス様。 そのイエス様のことをですね、信じて
その新しく力に満ちた御言葉を拠り所に日々歩んでいくお互いであり、またその御言葉を聞く教会でありたいと思います。
聖書にはイエス様神様の言葉の素晴らしさがいっぱい書かれていますが、特に今日は一つだけ取り上げましょう。
最後に、詩編の119編の50節を読んで終わりにします。 ちょっと頑張って読んでみましょうか。
これこそ悩みの時の私の慰め、 誠にあなたの御言葉は私を生かします。
誠にあなたの御言葉は、これこそ悩みの時の私の慰め、 その御言葉は私を生かします。お祈りしましょう。
天の神様、皆を賛美いたします。 この
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カペナーブの街道で起こった奇跡から、 イエス様の教え、その新しさ、
力強さについて学びました。 そのイエス様は今、私たちの教会に、また私たちの生活に入ってくださり、
その新しい教え、力ある御言葉を持って私たちを導いてくださること、 救ってくださることを信じて感謝いたします。
どうぞこの新しい一週間、また新しく始まったこの年度、 共におられるイエス様、その御言葉に支えられながら、
生かされながら歩んでいく教会であり、お互いでありますように、 この願いと感謝を私たちの救い主、
主イエス様のお名前によって祈ります。 アーメン。
それでは1分ほど御言葉に応えて、祈る時間、 黙祷する時間を持ちましょう。