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こんにちは、のらじおのむろです。
こんにちは、かえです。
今日は、私が何年前かな、3、4年ぐらい前に読んで、
いろんな人に、これを読んで、私とこの話をしてくれって、
頼んでも誰も読んでくれなかったのを、むろっこしさんにも今まで何回も言ってきたけど、
やっと読んでもらってて、ほとんど読ませて、
やっと誰かとこの本の話をできるっていうやつなんですけど、
何の本かというと、
小松なるみさんの、M 愛すべき人がいて、です。
これ小松なるみさんが書いてるけど、浜崎あゆみさんのデビュー前後の、
一応小説ってなってる、一応フィクション、一応これはフィクションですってなってるけど、
事実を元にした小説。
電気的小説なんですね。
そうですね。
頼むから、私とこの話をしてくれって。
いろんな人に頼んで誰も読んでくれないけど、むろっこしさんだけでもいいから読んでくれって言って、
やっとこの話ができる。
1年半ぐらい話しかしたけど、ようやく読み終わりました。
これ、仕事を失わないと読めなかったみたいなところありますよね。
仕事を失わないと、それぐらいの余裕がないと、みたいな感じですか。
それぐらいの余裕がないと読めなかったし、これ小松先生の、
筆者である小松なるみ先生の落ち度ではないと思うんですけど、
僕が読んできた本の中で、最も読みにくい本だ。
たぶんね、そんなこと、一般的にはそんなことないですけどね。
難しい言葉がいっぱい使われてるわけじゃないですけどね。
そうね、僕は一応ね、日本の多くの人が難しいと言われる、
マルクスの資本論。
いわなみの文庫版で8巻出てて、大盤版で3巻出てるんだけど、
3巻僕一応読んだんですよ。
それよりも。
資本論よりも読みにくい。
薄いですけどね、この本。
何ページか。
200ページぐらい。
版出の組み方がすごくスカスカだから、1ページあたりの文字数もすごい少ないんですよね。
これ200ページあるけど、たぶん8万字ぐらいか9万字ぐらい?
10万字ないぐらいだと思うんですよ、これ。
わかんない、こういう文体の本が世の中にはいっぱいあるのかもしんないけど、
僕が読み慣れてないからすごく読みにくい。
僕、似たような経験を昔2回したことがあって、
1回目はライトノベルを読み始めた時。
反疑問文っていうのわかります?
反疑問文って何ですか?
疑問文って、相手の返答みたいなものを求める文章じゃないですか。疑問を言う文章じゃないですか。
で、最後にクエッションマークがついてたりするじゃないですか。
最近の現代の日本語表現では。
反疑問文っていうのは疑問形ではなくて、断定形なんだけど最後にハテナがついてる。
アニメとかであるじゃないですか。
なんとかだよ、みたいな。なんとかだよっていうのは別に疑問じゃないんで、断定してるんだけど語尾が上がってるみたいなのとかがあって、
僕が13歳か14歳くらいだと思うんですけど、反疑問文がいっぱいあるみたいなのにすごいイライラするんですよ。
シャンと喋ってほしいなみたいな感じ?
思ってて。で、2回目は小説家になろうっていうウェブサイトがあって、
みんなが自分で、自分の小説作品を投稿できるっていうサイトがあるんですよ。
ここで投稿されてる小説って、ナロウ系小説と言われていて、
最近たくさん漫画になってる。最近そのナロウ系小説の一番メジャーな分野って、
異世界転生物みたいな。異世界に転生してなんかしますみたいな感じのやつの小説がいっぱい載ってるんだけど、そのナロウ系小説の中に。
説明がほとんどないんですよ。
目が覚めるとヨーロッパ風の街にいたとか、スキルがあってとか、
魔法があってみたいなの説明が全然なくて、
分かるよねっていう感じです。
皆さんナロウ系お読みでしょうから、こんなことは分かりますよねみたいな。
だいたい頭の中でそういうの想像してくださいみたいな、そのAIに対するプロンプトみたいな感じで出てくる。
共通の文化がある前提で、
しゃべりだすみたいな感じ。
RPGっぽい世界観なんで、当然エルフ出てきますし、説明はもういいですよね、ヤロウですから、みたいな感じで進んでいくわけ。
だからそのリアリティレベルとかがわかんないんですよ。
何が起きて、どの状態になったら人間が死ぬのかですよね。
これライトノベルを読み始めた時も思ったんだけど、
岩に潰されたりとかするんですよ。
巨大な岩に潰されたみたいに書いてるんだけど、
漫画のギャグシーンとかで岩に潰されても全然生きてるじゃないですか。
みたいなのが小説に書かれるから、
これが実際に死ぬ行為なのか、
ギャグ表現として書かれているのかが全くわからないみたいな。
みたいなのと一緒のことが起きてたんですね。
この文化の中では、おそらく普通に起きている、普通に伝わるような書き方なんだろうなって思うんだけど、
わかるわかる。
え?みたいな感じ?
え?今の何?みたいな。
そうそうそうそう。
え?今の何?みたいな。
なんかみんな通り過ぎてるけど、いいの?今のやつ通り過ぎてるみたいな。
わかる。めっちゃわかる。
どこまでが描写で、どこまでが回想で、
おばあちゃんとかが突然出てきたりとかするんですよね。
うん、するする。
おばあちゃんを、その局面で浜崎あゆみさんがおばあちゃんのことをふっと思い出したっていう描写なんだけど、
突然おばあちゃん出てくるから、おばあちゃん?みたいな。
いつ?みたいな。
あ、思い出したのか?みたいな。
確かにそれはありますね。
ちょっと一応ざっくりと、この文庫本の裏にあるあらすじみたいなやつを読みますね。
なんかこの本自体は浜崎あゆみさんから、横松さんがインタビューというか、ずっと。
浜崎あゆみさんとマックス政子と松浦…なんだったっけ?
まさ…
まさと?
まさとさん、2人から話を聞いて描いたみたいでした。
2人から話を聞いたんだ。
うん、そうそう。
浜崎あゆみとマックスマッサの出会い
あ、そうなんだ。
そう。
同時にか何か分からないけど。
で、読みますけど。
八方から上京した寂しがり屋の少女、あゆを変えたのは、あるプロデューサーとの出会いだった。
彼への溢れる思いを歌詞でしか伝える手段がなかったあゆ。
やがて気持ちを確認し合い、愛し合うようになった2人は、浜崎あゆみを瞬く間にスターダムの仕上げる。
しかし、それは別れの始まりでもあった。
歌姫誕生に秘められた出会いと別れの物語。
まあ、そうですね。どうでしたか?早速。
そういう話ではなかったよね。
そうそう、そうなんですよね。そうなんですよ。
これ、私がこれをみんなに読んでほしかったのは、これがそういう話じゃないからなんですよ。
でも、これがすごい面白いのが、書いてる人も、しゃべってる本人たちも、たぶんそのつもりなんですよ。
このあらすじのつもりで書いてるってことですよね?
そうそう、そのつもりで書いてるし、しゃべってる時はどうだったかわかんない。
そういう本だと思って売ってるし、そういう本だと思って買ってる人が大多数で、そのように受け止めて純愛物語だと思って気に入ってる人がいっぱいいると思うんですけど、
これはそういう本じゃないんですよね。
だから、これ今からやるのは、超読解Mなんですよ。
この本をそのように気に入ってる人が、もしリスナーさんでいたら、聞かない方がいいかもしれないです。
浜崎あゆみさんのファンは聞かない方がいいかもしれないですね。
聞かない方がいいかもしれないですね。
っていうのを、これは今日は超読解Mをやります。
はい、お聞きします。
じゃあ一言で、これがどういう小説かと言うと、
今までのラジオで何冊か本を取り上げてきましたけど、これは星野子によく似てると思うんですよ。
本人が見てる世界のあり方みたいなのがあるんだけれども、
この文章で表現されていることは明らかにそれ以上のことを含んでいるっていう感じが、星野子にそっくりっていうか、
村田沙耶香さんの小説、違った、星野子って今村夏子さん?
今村夏子さんですね。
今村夏子さんの小説全般にそっくりってことですよね。
そうですね。
あれは星野子がわかりやすく不穏だったのは、扱ってるのが信仰宗教だったからと思うんですよ。
信仰宗教って出てきただけで読んでる人がちょっとドキッとするっていうか、大丈夫かなっていう気持ちで見るんだけど、
これも私から見るとほぼそうなんですけど、
登場人物たちはこれを愛し合うようになった2人の物語だと思っているところがすごいなと思うんですよ。
あらすじではざっと、ざっくりと、これは恋愛小説ですよっていうことが言われていると思うんですけど、
浜崎あゆみさんがまだデビュー前、全然歌姫になる前に、
クラブ、ディスコかな?
多分クラブですね。
クラブで、もうすでに名プロデューサーであったマックスマッサ、VIP室にいるマックスマッサにたまたま、ほとんどたまたまで会って、
なんか気に入られて、そこから冗談みたいにして、冗談みたいな感じで、じゃあデビューする?みたいな話がどんどんどんどん具体化して、
デビューして、
私たちの世代ではよく分かっていることですけども、もう大スターになるっていうまで、それを期間に実は、
そのプロデューサーの松浦さんとあゆは恋愛関係にあったんですよっていう、
反暴露本みたいな、よく知ってる人には知られてた話みたいだけど、この世に私たちは出会って、2人でこのスターの道を頑張って歩んで成功しました。
浜崎あゆみのデビューと成功
でも成功した後に、別れとかもあり、悲しい時期もありましたけど、今は、それも良い思い出です。みたいな感じ。
なんですけど、どう、客観的に見て、
そのデビューした時まだ17歳ぐらい、このデビューの話があった時まだ高校生の浜崎あゆみさん。
でもこの子はまだデビュー前からも、なんか別の事務所に所属してて、
芸能活動をしてた。
全然売れてなかったけど。
福岡で、もともと母子家庭だったから、家計を助けるためになんかジュニアアイドルみたいなことしてたんだよね。
それでやっぱ東京の方がビジネスチャンスがあるからって東京に出てきて、
そのシングル曲出したりとかするんだけど、泣かず飛ばずのタレントだった。
16、17歳の浜崎あゆみが高校を辞めて、高校を辞めたことによってさらに何かチャンスを得たいと思って、
で、夜な夜なクラブに出入りしてるみたいな。
未成年なんだけど、16歳なんだけど、クラブに身分、年齢とかを偽って出入りしてた。
っていう話ですよね。
そうそう。もう、ちょっと待ってってことがもういっぱいなんですよ。
まあだいぶ、90年代の話なので、今よりかなり未成年のそういう出入りも緩かったかもしれないけど、
そういうところにいる高校生を許容しているっていう時点でも、それもちょっと大丈夫かなっていう感じだし、
その、この、何から言ったらいいのかな。
まずこの、
憧れと恋愛感情
あゆはもうその、名プロデューサー、みんなが知ってる、
年上の成功者として松浦さんを見てるから、憧れがある。
その憧れの中に恋愛感情を生み出すみたいなのは、よくあることだと思うんですよね。
10代の子は。
この本の書き方の基本的なプロットっていうか物語構造が、レディコミと一緒なんだよね。
何か生活の中でうまくいってないトラブルを持っている主人公の女性が、非常にパワフルな男性。
お金も権力も持っている男性っていうのに、
一目惚れされて、その一目惚れによる純愛の結果、何らかの成功を得ている。
そのような物語形成。
その成功を得た後っていうのは、いろいろなパターンに分岐していくんだけど、
この和形の中では、その成功と引き換えに2人の関係っていうのは、
うまくいかなくなっていくっていう和形が取られていて、
なので、マックス松浦さんは、このMという小説の中では、
非常にパワフルでパーフェクトな男性王子様として現れるんですよね。
その王子様は、クラブのビップルームの一番奥の席に座っているんだ。
その王子様が、だからシンデレラみたいなことですよね。
そうですね。シンデレラストーリーですね。
舞踏会に、当時17歳のアユみたいな女の子がいっぱいいるわけですよね。
ビップルームのダンスフロアに。
その中から、マックス松浦は、次のスターを探そうとしているわけですよね。
で、浜崎あゆみを見染める。
これがシンデレラストーリーだよねっていう話なんだけど、
ちょっと待ってっていう話ですよね。
ちょっと待ってっていう感じなんですよ。
ずっとアユ目線で話が進んでいくから、
私が選ばれたなぜかわからないけど、みたいな感じでいくんだけど、
アユが好きな人とかには怒られるかもしれないし、
これは私のこのフィクションと言われている小説の中の世界からだけの感想として、
それはアユに後がないからだと思うんですよね。
アユが選ばれたのは。
物語構造と成功の結果
なんていうか、それがマックスマサの神秘感だと思うんですよ。
もちろんアイドルにするんだから、ある程度の容姿とある程度の歌唱力っていうのはもちろん大前提だけど、
そんな子が山ほどいる中で、もう高校も辞めた。
母子課税で自分が働くしかなくて、
高校を辞めたのも自分の仕事、芸能の仕事に専念するために高校を辞めてる。
もうこんなにやるしかない子、あんまりいないと思うんですよね。
僕はそれに関してはちょっと違う意見。
あ、そうなんだ。
最近僕は小山優さんのアズミっていう漫画を読み直して、アズミって読んだことあります?
女忍者みたいなやつ?
女資格の話なんですけど、その資格が一番初めに子供が10人いるんですよね。
その10人の子供を赤ちゃんから育ててて、全員14,5歳になったあたりで実践に出していくんだけど、
その段階でもう外の嫌悪と同じくらい強いんですよね、その10人の子供たちが全員。
一番初めにその10人の子供たちを2人ずつのペアにして、相手を殺せって命じるんですよ。
生き残った5人を連れて下界に降りていき、
その5人が任務の中でどの1人死に、2人死に、みたいになっていって、
最後にアズミっていう最強の女資格だけが残るっていう話ですね。
それだと思う。
ああ、そうなんだ。
私が思ったのは、
この時点で思わなかったけど、これを全部読んで思ったのは、
今じゃなくてこの時代のアイドルの作り方っていうのは、
ギャンブルだなって思ったんですよ。
どれくらいビビらずに1人にお金をかけて、
それもお金かければいいだけじゃなくて運もあるんだけど、
資金を投入して押し出すことにどれだけビビらないかだなって思って、
その時に、でも商品が人間だから予想だにしないリスクが山ほどあるじゃないですか。
意思があるから、商品に意思があるから。
突然やる気なくなっちゃうとかね。
そうそう、突然やる気なくなるとか、恋愛スキャンダルを起こすとか、
もう精神的にダメになっちゃうとかいろいろあるんだけど、
いろいろな条件で、あゆが最もリスクが低いんだと思ったんですよね。
なるほどね。この話の中で他の女の子は出てこないから、
そうだよね、かえちゃんの読み方の方が正しそう。
やめても暮らせるとか、もっと楽しい選択肢がいっぱいあるとか、
彼氏がいて恋愛に夢中とかだったら、めちゃめちゃリスキーだと思うんですよ。
この大金を投入するのに、そのリスクヘッジの積み重ねの話なんじゃないかなって思った。
この本読むとわかるんだけど、あゆがデビューするっていうのは、
デビュー前からABEXの社運をかけた超巨大プロジェクトとして動いてるわけですよね。
だから、あゆがニューヨークに一応、浜崎愛美さんがニューヨークに訓練出されるんだけど、
その訓練期間から、すごい莫大な時間と労力とお金をかけて、
これがデビューしさえすれば、金のなる気になるっていうようなゲームを作っていくんですよ。
あらかじめ。
だからかえちゃんが言ってるのは、デビュー直前になって、やっぱり彼氏が大事なんでやめますとか、
妊娠するとか、
大学行きたいと思いますみたいになったら、
このかけたお金が全部無駄になるから、それが最も高いリスクなんだけど、
アイドルを芸能界で当てるためには、スターにするためには、それだけのお金をかけるしかないので、
浜崎あゆみとマックス松浦の関係性
誰にこのリソースをベッドするかみたいなのは、プロデューサーとしての最確に委ねられてるってことですよね。
そう、そう思った。
それを強く感じたのが、文庫版だと143ページなんですけど、
でもね、スタッフでもね、周りの人たちは、恋愛関係がバレた時に、みんな反対だったんですよ。
商品に手をつけるのかって、あゆはABEXのシャンをかけたプロジェクトなのに、
そういうの、アイドルと恋愛関係になる、プロデューサーが恋愛関係になるなんて、商品に手をつけるのかみたいなことを言われた時に、
マックス、マサが、そのABEXのスタッフに向かって、
単価を切って、
お前たちのボーナス、全部浜崎が稼ぎ出す。そんな日がすぐに来るんだよ。だから文句は言わせない。仕事に恋愛を持ち込むなんてありえない。って言うんですよ。
で、その続きがすごくて、
そのあゆめせんの主観で書かれてるんですけど、恋愛に勝るパワーはない。マサのそんなつぶやきを一、二度聞いたことがあって、私は勇気凛々だった。
そして世界を敵に回しても味方になってくれる人の思いに報える方法を箇条書きにしてノートに書いたって、すごい喜んでるんですよ。
これが恐ろしかったですね。
これ、これこそ本当になんていうか、これでその、あゆのリスク、ヘッジみたいなものをめっちゃ感じて、だから売れるんだから黙ってろみたいなことじゃないですか。
なんか、だから、私がこれを読んで思ったのは、
よそで恋愛されてめちゃくちゃになるより、
自分が囲い込むのが一番安全だと思っているんじゃないかと思ったんですよね。スタッフがそこまで、
マックス、マサと、
あの、
考えを共有できてなくて、すごい薄っぺらいことを言っていると判断されて、
そのうち儲かるんだから黙ってみてろって言われてるんだと思ったんだけど、あゆはこれを私が特別であると言われているような、
私と私たち2人の絆が特別であるというような捉え方をしていて、
すごいなんか、
もうダメだみたいな気持ちになったっていう感じで。
そうね。この付き合い始めるところとかもすごい不自然で、
これ浜崎あゆみさんの一人称視点で描かれているから、
マックス松浦さんに一目惚れしたっていう感じで進んでるんですよね。で、
マックス松浦さんがだんだん浜崎あゆみにアプローチかけていくんですよ。アプローチの描き方の頻度が上がるんですよね。
僕の見方では。
だから、
途中からはかえちゃんの仮説が正しいと思うけど、
おそらく何人もの候補がいたと思うんですよ。
このクラブベルファイアの時、ベルサーっていうクラブがあるんだけど、
このクラブで見つけた女の子は浜崎あゆみ一人ではなくて、何人もいたと思うんですよ。
多分ニューヨークに送り込んだ女の子も浜崎あゆみ一人じゃないんじゃないかなと思ってるんですよね。
そうか、それは思わなかったけど、そうかもしれないですね。
確かにそれがさっきの忍者のやつか。
そうそうそう。だってニューヨークの担当の人は、手慣れた様子なわけじゃないですか。浜崎あゆみがついた時に。
で、あなたはこの後こうなる、こうなる、こうなるって言ってくるわけですよ。ニューヨークのスタッフは。
ほんとだ。
で、その中でものになりそうなのが最終的に浜崎あゆみだなってなったと思うんですよ。
なるほど。
ニューヨークから浜崎あゆみが帰ってきて、ものになりそうだなってなった段階で浜崎あゆみがマックスマサにやったのは、
あなたのことを愛してるので恋人にしてくださいってファックスを送るんですよね。
で、それにマックスマサは感発入れずに、イエスなんですよね。
しかも浜崎あゆみにイエスとは言わずに、浜崎あゆみを連れて浜崎あゆみのお母さんにまず会うんですよね。
お母さんに会って、付き合ってますってお母さんに。その人を自分の実家に連れて行って、自分の恋人ですって言うと。
この辺すごいですよね、この辺りの。
この辺りすごいですよ、この辺り。浜崎あゆみたぶん18区ですよ、その時。
30後半ぐらいの男性が18区の女性を連れて、自分の実家に連れて行って、自分の恋人ですって言うと。
でもね、この辺の展開マジでレジコミっぽいんですよ。
コミュニケーションがないじゃないですか。
コミュニケーションがないのに、女性側の思った通りになるじゃないですか。
どうなるんだろうっていうドキドキをさせながら、思った通りになっていくじゃないですか。
これね、マジでマインドハックだと思うんですよね。
マインドハックとしてその方法を取ってるし、小説としては、
小説としてはこの小説を読む読者層っていうのが、そのような物語パターンに、だからその
ヨーロッパ風の、中世ヨーロッパ風の街並みだって言ったら、RPGの場面がわかるみたいなロケ読者が。
そういうことか。私それがないから。
なるほど。この流れはもう、なんか定型な。
定型、無言の男が次々に問題を解決していくみたいな。
だって、普通よ。人権を持って、主体的人格のある人間に対してこのような態度取らんでしょ。
だから私がこの、そこすごかったですけど、その一連の流れを見たときに、
それはそうだと思ったんですよ。ここで、もし断ったら一気にやる気をなくすし、
そしたらニューヨークも全部パーじゃないですか。
パーですね。
逆にここから彼女のやる気を奮い立たせるしかない時期。
それは付き合えばいいんだからね。
浜崎あゆみとマックス松浦の関係
そうそう。リスクヘッジと浜崎あゆみのやる気への稼いみたいな感じで、
彼女の望むことを全部やってあげて、ということをしたんだと思ったんですよね。
本当に信頼関係を持つ関係を今から築いていきましょうっていう行動じゃないですから。
じゃない。
室越さん言った通り。これ何が起こってるの、今みたいな流れの。
これ仕事やってるなって思ったんですよ、私これ見読んで。
これね、仕事でやってるとは僕は思わなかったんだけど、
なぜ思わなかったかというと、性的な欲望を持つやり手の男性ってこういうことやるよねって思ってる。
相手の望んでいることを全部叶える。
将棋とかチェスみたいなもんで、相手の差し筋を持っていくだけだから。
なんていうのかな、おそらく難しい差し筋を持っている人ってそんなにいないんですよね。
だから定石みたいなのがあって、定石を打っていくみたいなことを。
持っていく、いったらいい。
でそれにもう慣れてるんだ、何回もしょっちゅうやってることを。
なるほど、確かに。
どっちにしても、だから素敵な恋愛小説じゃなくないって感じですよね。
素敵な恋愛小説。
だと思うそう思う。
そういうような語り口で書かれるっていうやつなんですよ。
それがRPGの世界という文化共通みたいな。
そうそう、ナロウ系小説みたいなやつなんですよ。
それがわからないんだ、私には。
ああそうか、なるほど。
なるほどだな、それは全然わからなかったけど、そうかもしれない、確かに。
だからそのイソップ物語には教訓があるみたいな話と一緒だと思うんですよね。
こう来たらこう、こう来たらこう、みたいなのが決まってるんですよね。
知らないからびっくりするんだ、私とかが読むと。
パワフルな男性がトラブルを抱えている女性の問題を無言で全部解決したら、それは純愛でしょっていうやつだと思うんですよ。
その辺とかマジで星の子読んでる時と同じ気持ちだった。
大丈夫?本当に大丈夫?みたいな。
今止めた方がいいんじゃないの?みたいな。
僕これがベースドオントゥルーストーリーであることがやっぱりちょっとすげえ嫌だったって感じ。
これが100フィクションだったら、
まあこういうのあるよねって話になるんだけど、
人間の魂とかについてどう思ってるの?って思った。
いやーそう、そうですよね。
この小説の中のマックス松浦さんって、
王子様みたいな感じじゃないですか。
誰?ブラッドピットとかでしょ?
ジョー・ブラックによろしくの時のブラッドピットとかの感じでしょ?これずっと。
ちょっとパッと俳優の名前が出てこないからあれだけど、ずっと王子様みたいなんだけど、
彼が時々youtube出てたり切り抜き見たりするんだけど、
マウンティングのすごい性格の悪いおっさんって感じなんですよ。
ゴラムみたいな感じなんですよ。
性格の悪いマウンティングの強い金持ち自慢のゴラムみたいなおじさんを、
このように描くのかっていう感じだったんですよね。
どんなにでも、
愛譲視点のこの小説の中で、愛譲から見て素敵に描かれてるのはわかるけど、
でも言動のヤバさ、
ファックスでラブレター送ったらいきなり連れ回されて、
思うので恋人宣言をされるみたいな、
暴力的だと思うんですよね。
コミュニケーションがないし、
未成年で力関係も明らかにあるわけじゃないですか。
プロデューサーとそこに所属している、まだデビューもしてない少女。
自分にお金がいっぱいかけられてることもわかっているし、
こんなに権力とか力の差があるもの同士で、
こんなにコミュニケーションがなくて、
人間関係が成り立つわけないでしょって。
早く目を覚まして!みたいな感じですよ、ずっと。
だけどあゆが素敵に描写するから、
違う!違う!って。
だからそれが面白いんですよね。
ちゃんと素敵な目線で描かれているのに、
溢れ出してしまう不均衡さみたいなのが、
出てきちゃってるのが星野子っぽいんですよ。
そうね、その通りだと思う。
それが面白いし、すごいナラティブっぽいなって。
だから、岩村夏子さんがインタビューも結構ふわふわしてるから、
どのように計画して、自分の中で、
星野子を描いたかわからない。
インタビューでは結構、物語を見ているのをなぞって描いているような答え方をしてたから、
多分そうなんだけど、でも岩村夏子さんの星野子の中には、
お姉ちゃんとか、時々あの世界観に言語できない人の存在も入ってくるから、
安心できる部分じゃないか、そこは。
やっぱりここ不穏だよね、やっぱり不安定だよね。
よかった、こういう人もいたみたいなのを発見できるんだけど、
Mの中からあんまり発見できないんですよ。
主観の世界観がもう出来上がりすぎてて、
入る隙がない感じが。
より語りとして、
純度が高いような、一応小説なんですけど、感じがして、
90年代アイドル創生のエスノグラフィーとして、
今後の未来に残す意味があるなって。
確かにね、この時の取材メモも残ってたらね、
研究の対象になるでしょうね。
なるだろうなって思うんですよね。
ハムサケ・アユミがデビューした瞬間関係がダメになるんですよね。
で、マサがいっぱい家持ってるんですよね。
一番初めに、
ハムサケ・アユミを実家から出して住ませるための部屋っていうのをエビスにあって、
その次にハムサケ・アユミとマサが一緒に住むための部屋っていうのがまたあって、
さらにその関係が破局した後に、マサが一人で住んでるマンションっていうのがあって、
でもそこに連れ込み放題なんですよね、マサが。
だからその、アズミシステムだっていうのは僕はそれなんですよ。
だって、アユで終わりじゃないですからね。
アユで終わりでもないし、アユが最初でもないじゃないですか。
クラブに行った時に、奥さんと離婚した後に、その次の恋人といるんですよね、一番初めにクラブに。
マサが。
で、2回目にアユと会った時に、恋人がいるじゃないですかって言われて、いや別れたって言うんですよね。
だから、もうアズミシステムですよ。
アズミシステムですね、それは間違いなく。
アユ視点の物語の中から、でも結構それが読み取れ、ちょっと考えたらわかるよね、みたいな状況が盛りだくさんじゃないですか、そういうアズミシステムも。
アズミシステムについて書かれてるわけじゃないけど、でも状況から見てきっとそうだよねっていう感じが出てるのが、すごいなって思うんですよね。
僕驚いたのが、マックス・マサカワにもインタビューしてるんだと思って驚いた。
なんかで見て、一応これはアユのデビュー何周年みたいな企画で、
アユは独立してるわけじゃないかな?わかんないけど、エイビックスの企画としてやってる部分があるから、これを出して、何周年で曲も出して、アルバム出して、みたいな。
で、今一押しのエイビックスの新人がいて、これをドラマ化して、その新人をアユ役で出すみたいな、もうこれ自体もそういう一大プロジェクト。
シュラですね。
すごいですよね。それも含めてすごいと思うんですよね。
シュラ堂に落ちてるじゃないですか。
だから、バックロボンではないんですよ、全然。もちろん本人も公認だし、これを広告にしてもう一回アユを売ろうっていう企画だから、
なんかで私もそれがソースとして正しいかどうかちょっと自信ないけど、
2人から話を聞いたっていうのを見たし、聞いてないとしても、これはエイビックスの企画である以上、松浦さんに無断でやってることはない、絶対にっていう。
もっとできたんじゃないって感じなんだよね。もっと脚色してもっといい話にできたんじゃないって思った。
おばあちゃんの話とかもっと厚く書けばよかったじゃないですか。
とか、松浦さんとアユのコミュニケーションが成立してるみたいな風に書いたってよかったじゃないですか。
別にね、小説なんだから言ってないことも、こんなようなコミュニケーションがあったことにすればいいですからね、小説だから。
すごい純愛っぽいシークエンスがあってもいいですよね。2人の心の交流があったみたいな感じになればいいじゃないですか。
ずっと振り回されてるからね。
小説の評価と文化的影響
ハムサキアユミさんがずっと手紙書いたりとか、このハムサキアユミさんの楽曲の歌詞も全部MAX松浦に当てたラブレターなんだっていうことになってるんですよね、この本の中では。
でそれに対して、マサ側から返事がないんですよね、全く。
次はあれをやれっていう指令が来るんですよね。チャーリーズエンジェルかよみたいな。チャーリーズエンジェルのチャーリーだって、もっとエンジェルみたいなネギライのことを書けますからね。任務が終わった後に。
だから、この小説の内容を含む、この周辺の文化全部が、なんか異世界なんですよね。私にとってというか、これがいいという。
でもこれを、歌姫誕生に秘められた出会いと別れの物語として美しく出したつもりなのであれば、そういう本気で?みたいなのが、全部面白かったんですよ、私にとっては。
こういう感性でできた本は。
だからこれを資料として未来に残した方がいいと思うんですよ。
この本の多分すごくポイントとしては、僕らみたいな読者を想定してないと思う。
そうそうそうそうそう、そうなんですよね。
浜崎あゆみさんのファンが買うっていう想定の本だから、そうなんだと思うんですよね。
こういう感じなんだろうなって思って。
あと、やっぱりあれですよね。ジャニーズ事務所の問題ですよね。
そう、同じですよね。
それを読むなに、もうなんていうのかな。おそらく日本の芸能界ってスクラップ&ビルドした方がいいぐらいの状態なんだろうなって感じですね。
そうそうそう、思いますね。なんかこういうので、こういうのに触れると、より固まってくるっていうか、その闇が明かされてくる感じがあるし、
これをいいと思って出してるっていう状況がやばいっていう感じ。
そうね。問題の根深さもあるというか、だから僕たちが第三者として、これはある種の性的虐待であるとか言ったりとか、
制作者であるとか、自動作者であるとかっていうことは簡単なんだけれども、ご本人の認知がそうじゃないっていう問題があるんですよね。
そうそうそうそう、それが一番問題の根幹っていうか、もう、なんかどうしようもなさなんですよね。
まだ嫌々やってたら良かないけど、望みがあるけど、これ美しい物語にしてしまってるのが、もう絶望感が半端ないっていう感じで。
ジャニーさんの聖火害の問題だって、全然こういうふうに描けるでしょうからね。
うんうん。
被害者の方の認知さえこのようであれば。
登場人物の認知の歪み
だから、もっとこういうのが出た時に、大々的にこれはダメですっていう人が出てきてほしいし、そのようにレビューする評論、書評みたいなのがいっぱいあるべきだと思うんですよね。
そうね。
全然ない。結構探したけど、そういう人に興味持たれてないんだけど、愛のファンばっかり読んでるから。
だけど、誰か拾って、こういうのがダメなんですよって、やってほしいんですよね。
笑い事じゃないよね。
この話をするためにいろんな人にこれを読んでくれって。
頼んで、誰も読んでくれないから。やっとうろこしさん読んでくれたけど。
これほんと甘く見てたらダメですよ、こういう。
なんていうのかな、これすげー難しい問題だな。
星の子を読みにくいとはちっとも思わなかったんだよね。事実に基づいたフィクションだからかな。
やっぱこの認知がずれてることに疑いがないからと思うんですよ。
やっぱ今村夏子さんどんなに物語を見るようになぞるように書いてたとしても、やっぱりお姉ちゃんが登場したりとかするのは、彼女は小説家だし、
この不穏な空気を表現していると思うんですよね。しようと思って、不穏な空気を書き出そうとしてると思うんですよ。
けど、これはそのように書こうとしてなくて、出てるから難しい。
Kindleの無料の本とか探すと、おそらく統合視聴書の人が書いたんだろうな、みたいな本があるんですよ。
そういった本と同じ種類のきつさがあるというか、
世界がということにされているっていうのに付き合うのがしんどい。
だって違うから。
でも言えないじゃないですか。
なんかやっぱりあまりにもしんどいと思うんですよね。あまりにもひどいと思うんですよ。
あなたの認知は完全に歪んでいて、あなたのされたことはやばいことです、みたいなことを、
やっぱり面と向かって言えるかといったら、多分言えないと思うんですし、
これは小説だから、現実に行われたことがどのようなことであったかっていうのは、本当にまじでわかんない。なんとも言えないんだけど、
これが小説の作品としてこのようにあることに関して言うのであれば、その種のしんどみがありますよね。
うん、ありますね。
この完全に歪んでいる認知にずっと付き合わなきゃいけないみたいな。
で、それが独特の読みにくい文体でずっと綴られているみたいな。
で、起きていることのグロテスクさと、この認知の中でのキラキラ度合いみたいなもののギャップでずっと船酔いしてるみたいな感じになる。
本でしたね。
私もこれ読んだのは、何かそういうものを読み取ろうと思って読んだわけじゃなくて、
本当にたまたまっていうか、友達と旅行に出て、川のある町を旅行していって、
で、その友達が川沿いにあゆ塩焼きっていう旗を見るために、マリアーって言ってたんですよ。
それがおかしくてずっとやってて、それで浜崎あゆみがなんかちょっと頭の片隅にあったときにこの小説が出て、
あ、マリアじゃんと思って読んだから、全然何の準備も何の期待もなく、最近話題に上がったから、
これもなんかテレビでもやってたし、読むかみたいなぐらいで読み始めてこれだったからびっくりしてっていう感じで、
私の中で一人でもう渦巻いてたやつを今日やっと出せてすっごい嬉しいです。
あ、よかった。ごめんね、なかなか読めなくて。
いや、満足です。やっと晴れました、気持ちが。
読み始めてからもかなり時間かかったもんね。1ヶ月ぐらいかかったもんね、読み終わるのに。しんどすぎて。
いや、私は面白くて、その異世界感がおかしくて、1日で読みました。
なんか一気に読んだ。やべえこれ大丈夫か?みたいなのずっと読んでた。
タイミング的にやっぱずっとジャニーズのことはちらついてたし、
あと、スポーツも含めたエンタメ産業っていうか、
消費者として人間の魂をどのように扱うべきかみたいなことの倫理っていうのは、やっぱ問われるべきだろうなって思った。
豚の板教室じゃないけど、確かに食肉をやめろっていうわけにはいかないかもしれないんだが、
じゃあその肉はどこから来ているのかっていうことは、やはり我々は消費するものとして知っておくべきだよねっていうか、
これはもうエンタメ産業全体にも言えることだよねっていう。
アメリカではワインシュタインの事件もあったけど、
その何ていうかな、犠牲になった人がスターになりたいとか夢になりたいとか、
ビッグになりたいとか思っていたからといって、その人たちだけの責任にすべき問題なのかっていう話がやっぱあるなと思ってて、
その全体の構造には、やっぱりそのエンタメに出てくる人たちの人格とか魂みたいなものを、
我々が消費しているっていう事実があるよねっていう。
この事実とやはり向き合うべきだよねって、このMを読んで思いましたね。
いいのかな、こんなことでっていう。
これ結構僕学生の時から思ってて、僕の同級生がローカルアイドルのプロデュースをしてたの。
その人に僕よくこの話をしてたんだよね。
この件みたいなものを僕が一番初めに考えるようになったのは、AKB48のドキュメンタリー映画を見てから。
このラジオ聴かれている方で、もし興味がある方がいたら是非見て欲しいんですけど、AKB48のドキュメンタリーが、
今いくつ出てるのかわかんないんですけど、1個目と2個目の監督と、3個目と4個目の監督が確か違うんですよ。
1,2,3,4見て欲しいんですよね。
そうすると、1,2の時のAKBの撮り方と、3,4のAKBの撮り方が全く違うんですよ。
1,2っていうのは、アイドルのイメージビデオっていうか、AKBのきらびやかなイメージっていうか、
これから成長していくアイドルたちを美しく描くみたいな描き方をしてるんだけど、
3,4はね、本当、あずみみたいな話なんですよ。
選挙とか。
選挙とかもそうだし、コンサートの裏側でAKB48のメンバーたちが、
次の段取りなんですか?次の段取りなんですか?みたいに言って、周りの大人が誰も答えないみたいな感じ。
前田あっちゃんが下呼吸で倒れたりとかするんですよね。
そのボサッとしている大人たちの周りで、メンバーが集まってきて、あっちゃんの介護を始めたりとかして、
普通になんていうか、戦場に取り残された少年編みたいな感じになってるんですよ。
すごいですね、そんなんなんだ。
で、一人一人のインタビューとかが出るんだけど、
いや、やらなければ、私が今やらなければ、みたいな感じのことを言ってるから、みんなが。
アイドルであるっていうのはどういうことか。
チームのメンバーが全員分からなければいけないんですよね、みたいなことを言ったりとかするんですよ。
すごいですね。
すげーなーってなるわけですよね。
これ、何のために?ってなってる。
だから、本当、
水城しげるの漫画みたいになってるわけですよ。
総員玉砕せよとか、ラヴァウル戦記とか、
白旗とか水城しげるの戦記物って、彼の実体験を元にした戦記物っていくつかあると思うんですけど、
エンタメ産業の倫理
あれみたいな感じになってるんですよね。
でも、
一応ね、
ラヴァウルで全滅した守備隊には、
祖国を防衛するためっていう、それもね、でっかく見れば、
おいおいっていう話なんだけど、一応あるじゃないですか、大義が。
けど、この子たち、
何のために?って感じなんですよね。
夢のために?って言ってるわけですよ。
けど、
夢ってさ、
共同幻想っていうか、貨幣みたいなもんでさ、
紙切れとか金属片に過ぎないわけじゃないですか。
それに価値があると思い込んでいる我々の想像の中に、
それが価値があるわけであって、
すげえなって思ったんですよね、そのAKBのドキュメンタリーは。
なんていうのかな。
難しいですよね。
これがテレビみたいな巨大な産業構造に巻き込まれなくても、
YouTubeとかでものすごい縮小再生産みたいな感じで似たようなことが起きてるから、
人気のYouTuberとか、ニコニコ時代だったら歌い手の人とかが未成年に手を出して逮捕されるとかっていうのは、
全く同じことだと思うんですよ、これとMと。
人間の魂とエンタメ消費
それがその核が、核がっていうかそのパワーが小さいから、立憲されて逮捕されるだけで。
エンターテイメントを消費するっていうのはどういうことかみたいなのは、
やっぱ問われるべきだよねっていうことは思いましたね。
人間に夢を与えたりとか、人間を喜ばせることっていうのは、そんなに大事なことかいっていう感じなんですよね。
競争があるからですよね。中に。
あゆだったら、あゆ自体は他のデビューしたい子たちとの競争があるし、
松浦さんには他の事務所とか、自分がプロデュースして、他の人がプロデュースしたアイドルとの競争があるし、
会社もCDの枚数、その当時はオリコンがすごい大事だったと思うんですけど、
CDの媒体がほとんどCD販売だったから、CDの売り上げの競争があるし。
その競争を極限にしていったら、やっぱり末端から追い込まれていくのかな。
そうね。それもあると思うし。
あとやっぱ、規範を内面化してるからだと思うんですよね。だからこれすげえ難しい問題は、
じゃあ例えば宮崎駿が、その徹夜でアニメを描いたりとかするときに、宮崎駿の人権を守るために彼をネセるべきか問題みたいなのがあるんですかね。
描きたいって言ってるんだからさ、みたいな話でもあるわけでしょ。
でもむしろ彼にアニメを描かせるために周りの人めっちゃ頑張ってるわけじゃん。
みたいな話を考えたときに、人間の魂とか主体性とか、自己決定みたいなものを、
どのように考え、何をどのように尊重すべきかみたいなことは、やっぱ考えますよね。
むしろマックス・マース・トゥーラと出会えなかったら、愛はこのようにはならなかったはずだし、
経済的成功という意味では、たぶん同世代の次々を許さないぐらいの大成功だったと思うんですよね。
社会に与えたインパクトって、90年代に浜崎亜佑美が社会に与えたインパクトって、おそらくやばいものがありますもんね。
だから軽々しく評価はできないんだが、その生み出されたインパクトというものを評価できないが故に、
その犠牲が払われるべきだったのかという問題とか、
それを一般的な倫理的判断で、
さばいたり抑止したりすべきなのかという問題もあって、むずいよねと思いました。
そうですね。
まさにあれなんですよね。ピラミッドがある世界とない世界のどちらを選ぶかねっていう話で、
それは非常に強大な集約労働がなければピラミッドなんか建てられないわけで、
そこにある種の社会的不正義っていうのはあるわけですよね。
戦争という巨大な犠牲を払わなければ美しい飛行機は作れなかったみたいな。
全く同じ問題で、それをどう考えるべきかというのが問われるよねと思うんですよ。
だから堀越二郎は地獄に落ちましたよね。
ワックス・マツールの評価
ワックス・マツールは果たして落ちるのでしょうか?みたいな感じはするなと思いますけどね。
彼が建設したのはピラミッドですからね。
確かに犠牲はあったし、それが一般的な倫理で許されるべきかっていうのは、
一つの議論の対象にはなると思うが、
じゃあそのできたピラミッドに対して僕たちが果たして何らかの判断を下せるかどうかみたいな、
力量を超えたところに、同時大臣が考えられるような問題ではないよねっていう話もありますよね。
500年後くらいに何らかの一定の評価が出るんじゃないですか?みたいなことかもしれないしね。
そうなんです。だから今まだ未成熟だと思うしね、こういう件に関して。
ジャニーズ見てても思うけど、
世が判断がついてないはっきりみたいな状況で裁こうとしてるなっていう感じがあるから、
この本が未来で再評価っていうか、未来の人たちにこれを裁いてほしいなみたいな感じで、
本が残ったっていうことに希望を託したいんですよね、この本が。
出版されたことの意義は大きいよね。
そうそうそうそう。
国立国会とかに入ってるからね。
そう、公式にこれが。
でもこの時代の空気感はすごい出てると思うんですよ。思い返してみても。
90年代のギラついた感じがよく出てるから、このようにして世に残されたことに意味はあるのではないかとは思う。
しかもね、あの時トップスターだったから、礼事として資料もたくさんあるだろうし、
この本を書いたことによってこの本のための資料もあるだろうし、記録されたなっていう感じだった。
あー満足です。
よかったです。
という感じですかね。
はい。
それではまたお会いしましょう。ごきげんよう、むろでした。
ごきげんよう。