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2025-02-07 1:01:43

『ローラ・ディーンに振り回される』回へのお便りについて

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『ローラ・ディーンに振り回されてる』はこちらから!

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サマリー

『ローラ・ディーンに振り回される』では、アメリカ・西海岸の高校生たちのセクシャリティに関する多様性が描かれています。リスナーからの具体的な体験談や感想が紹介され、お便りの中では、子供たちの周囲にあるクイアフレンドリーな環境や、性自認を巡る学校の状況についても言及されています。このエピソードでは、クイアに対する教育や社会的認識の欠如について語られ、特に日本の学校教育が多様性にどう反応しているかについて議論されています。また、ローラ・ディーンという作品を通じて、クイアの存在の重要性やメディアの影響についても触れられています。『ローラ・ディーンに振り回される』では、ジェンダーや社会的構造に関する複雑な問題が扱われ、性の多様性についての認識が重視されています。特に、社会の中での弱者の状況や、自己認識の自由について深く掘り下げられています。『ローラ・ディーンに振り回される』は、思春期のセクシャリティやクエスチョーニングをテーマにしており、キャラクター同士の関係性を探求しています。

ローラ・ディーンの紹介
スピーカー 1
こんにちは、のらじおのmuroです。
スピーカー 2
こんにちは、かえです。
スピーカー 1
はい、今日は何の話ですかね。
スピーカー 2
今日は、以前のラジオで、
ローラ・ディーンに振り回されているっていう本を取り上げましたが、
それに、その時に、ローラ・ディーンは、アメリカの西海岸の高校生の話。
で、とってもセクシャリティに寛容っていうか、
いろんなセクシャリティの人が、自然に生活したりしている様子が描かれていて、
それが、実際もこうなのかなっていうのを、その中でお話してたんですよね。
現実、本当にアメリカの西海岸って、こういう雰囲気なのかなっていう疑問があって、
それに対して、なんとアメリカからお便りをいただきまして、
そのお便りを、今から読みたいと思うんですけど、
じゃあ読みますね。
ムロさん、かえさん、こんにちは。
ちょっと前に、滝並ゆかりさん経由でどうせ死ぬ3人を知り、どうせ死ぬ3人経由でラジオを聞きました。
お二人の会話のテンポが心地よく、物事の感じ方も面白く、毎回楽しく聞いています。
ありがとうございます。
で、第1回から追いかけて聞いていたのですが、ローラリーに振り回されているについての回を聞きまして、読んでみました。
ムロさんがアメリカの西海岸の航行事情に詳しい人には、実際はどんな感じか教えてほしいとおっしゃっていたので、お便りしました。
私はアメリカ西海岸といっても、本の舞台であるバークレーからはかなり異端にある町に住んでいます。
州の中では一番大きな町で、高校生文化はバークレーとそこまで変わらないのかなと思います。
図書館で借りてきた本を後で読もうと思っておいたら、上の子供に見つかり先に読まれてしまいました。
上の子供は10年生、日本の高校1年生にあたります。
7年生の頃にプロナウン、プロナウンというのは、政治人のことですね。
プロナウンを、しーでスラッシュ、ぜいにしてほしいと言い出し、9年生の頃に、ぜい、ぜむにしてほしい。
そして自分は、ノンバイナリー、ノンバイナリーというのは、どれにも当てはまらないということです。
ノンバイナリーであると発表しました。
ありがたいことに、学校で仲の良い友人グループにめぐられまして、毎日楽しく学校に通っています。
友人グループのメンバーは多くがクイア、クイアというのは性的マイノリティのことです。
スピーカー 1
白人とアジア人のミックスということもあり、フレディと似た属性を持っているのかなと思います。
スピーカー 2
せっかく子供も読んだので、感想を聞いていました。
ざっくりどんな感想を持ったか聞いてみると、
まあ面白いんじゃないと熱量の少ない返事が返ってきました。
この話が今の高校生から見て現実的か聞いてみると、
まあそんなこともあるんじゃないくらいの反応でした。
ローラディーのような人が通っている高校にいるか聞いてみると、
少し考えてから、まあいるねといろいろ話してくれたのですが、
よくよく聞けばいるの意味は、交際相手に対して態度がひどい人がいるという意味のいるであって、
スピーカー 1
ローラがバイセクシャルのポリアモリーであるということに全く重きを置いていないことが面白いなと思いました。
スピーカー 2
私の子供の周囲はそんな感じで、なかなかにクイアフレンドリー。
このラジオでおっしゃっていたように、ある意味未来なのかもしれません。
上野子の5年生の時の谷野先生はノンバイナリであることをオープンにしていたし、
私の知るだけで、上野子には少なくとも3人の同年代のトランスジェンダーの友人もいます。
下野子は小学3年生ですが、クラスメイトにノンバイナリの子が2人います。
そのうち1人は彼の親友です。
クイアが通うカフェや店舗なども多くの街で見られますが、
スピーカー 1
客がすべてクイアというわけでもなく、クイアーライであれば誰でもウェルカムといった感じかなと思います。
スピーカー 2
入り口にレインボーフラグがあったりします。ただみんながみんなそうなのかといえばそうでもなくて、
数年前には別の近所の高校、私立のカトリック系の高校で、
同性愛者の教員2人が同性愛者であるという理由で解雇されたということがありました。
図書館で修学前の子供のためのドラッグクイーンによる読み聞かせ会などもあるのですが、
ちょっと過激なキリスト教原理主義者の団体が図書館に抗議活動に来て、子供たちを怯えさせるなんてこともありました。
私の子供が通う高校でも、トランスジェンダーなのだけれど、
平均なカトリックの家族の理解を得ることができず鬱状態にある子もいます。いるようです。
だから人によるのだと思います。みんながみんなオープンで思うままに自分らしく生きているのかといえば、そうでもない。
私の子供も学校では受け入れてくれる先生、友達がいて、その小さな世界の中では自分らしくいられるものの、
学校全体がそういうわけではないようです。心ない言葉を聞くこともあるらしいです。
でも、友人グループがあることによって、そういう言葉をそこまで気にしないで住んでいるようです。
同じ学校内でも、周囲にどんな人がいるかによって、世界はまるで違うのだと思います。
というお便りでした。
リスナーの体験談
スピーカー 1
なるほどね。
ちょっと僕、本が大分にあって読み返してないからあれなんだけど、
ローラ・ディーンの中でも、セクシャルマイノリティの人たちに対する差別的な人たちがいるっていう文章はあるんだよね。
スピーカー 2
うん、あるある。あった。
スピーカー 1
だから、その部分も含めてすごくリアルな話だったんだね、あれね。
そうですね。
スピーカー 2
全体的に。
すごい、あの、本で描けることは限られてるから、
現実世界を見ていらっしゃるお便りくださった、レイさんということがお便りくださったんですけど、
レイさんのほうが、そうではない部分をたくさん見てきていらっしゃると思うけど、
でも、政治人を決めるっていう行為があること自体が、あれですよね、すごく、
セクシャルマイノリティの存在を感じながら生きてるっていうか、
選択肢があるんだっていう感覚が、やっぱりちょっと違いますよね。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
選べるんだっていう。
で、それを変えたりすることにも、変えることもできるし、
変わることにあんまし抵抗がなさそうって思ったんですけど、これを読んで私は。
変わっていくものだし、変えてもいいものみたいな。
それすごくいいなって思いました。
スピーカー 1
そうだね。
選べるというより、自分が何者であるかということを社会に対して表現することが可能だっていうことかなと思うんですよね。
自分が何かっていうことを考えることが普通であって、
それに基づいて外的に規定されるわけではなくて、内的なものから社会に対して私はこのようであるということがOKっていうことかなと思うので、
日本も含めた多くの社会ではそういうことができないっていうことだと思うから、
その意味で選択肢がないっていうことだよね。
自分がどのような人間であるかっていうことは、
メインストリームと同じでない限り表現することができない、表現する言葉を持たないみたいなことだと思うから、
持たないというより、持たせないような色々な社会的な工夫が行われているっていう話かなと思うので、
そうなんだって思いましたね。
スピーカー 2
やっぱ、そうなんだって。
この方が送ってくださったローラディーン達と同じくらいの年の高校生、中高生のお話を送ってくださったんですけど、
やっぱり、日本で考えたときに、私は自分としか比べられなくて、自分の高校生のとき。
スピーカー 1
でも、もうそれって20年以上前のことだから、
スピーカー 2
ちょっと、最近の、同じように中高生くらいの日本での現実みたいなのがピンとこなくて、
私、オムロコシさんも友達なんだけど、共通の友達で、地方都市で、自身もクイアーで、
クイアーの支援活動、コミュニティの形成とかのボランティアをしてる友達がいるので、
その人にちょっと教えてもらおうと思って、ローラディーンは振り回されてるの本を送って、
あと、この質問者さんの文も読んでもらって、3つ質問したんですね。
それが、3つの質問が、
1つは、日本の、日本のって言うと広いので、友人の住んでいる、友人が支援している地方都市の中高生に、
どのぐらい成人の多様性を許容するスタンスがあるか。
で、あなたが中高生のときと比べてどうか。が1つ目。
で、2つ目が、当事者が今困っているとか悩んでいると思うことはどういうことか。
と、3つ目が、ローラディーンたちの学校のような多様性を日本において阻むものは何だと思うか。
お手紙の中では、カトリック、キリスト教原理主義者の団体っていうのがあったので、
日本に具体的にそういうものがあるのかっていうのを聞いてみたんですね。
そしたら、すごい丁寧にお返事してくれて、
こちらもちょっと、読んでみますね。
いいかな。
また、丁寧にお返事くださったの読みますね。
1個目の質問に対しては、中高生にどれくらい性自認の多様性を求めるスタンスがあるか。
5年くらい前までは、LGBTQプラスの中高生と交流する機会があったのですが、
友達がですね、今は現場とやや遠い状況です。
だから、彼女が今から語る内容っていうのは、5年くらい前のことっていうことですね。
5年前も今も、トランスジェンダーの児童生徒で、学校側に環境を整えてもらっている子はいます。
予備なとか、制服、トイレ、他の児童生徒および教員の研修など、
どこの中高にもいるということではないですが、
5年前は、性同一性障害の診断書がないと対応できないとか、ナンセンスなことを言う学校長もちらほらいましたが、
徐々に減ってきていると思います。ゼロではありません。
2020年から、彼女のマッチの制服がブレザーになり、スラックスとスカートを選べるようになりました。
つい先日、中学校を訪れたところ、
女子に見える生徒さんに、複数人スラックスの方がいました。
性のあり方が理由ではなく、寒さ対策でという場合も多いかもしれませんが、
性指向の面の話によっています。
今は、私が中高生の時と比べて、
この人は、私とか、むろこさんと同世代なので、
だいたい20年前ぐらいの話かと思いますね。
私が中高生の時と比べて、かなり中高生で交際経験があるクイアが多いと実感します。
私が中高生の時は、自分以外のクイアは身近には全くいないように見えていて、
自分以外とコンタクトを取るには、インターネットしかなかったです。
私が中学生の時に、やっとガラケが使われ始めたくらいでしたっけ?
まあ、そうですね。
余談ですが、その前の時代は、雑誌の文通募集などだったと、
センダーツレズビアのお姉さまから伺ったことがあります。
必要に迫られたから、私たちセクマイはネットを使いこなせる人が多いとも。
フレディタッチのように、学校内で出会って交際するというカップルは、
私が中高生の頃にはいないではなかったですが、かなりレアでした。
近年はそういうケースもよく聞くので、かなり増えていると思います。
一方で、インターネットの利用がカジュアルになったので、
SNSで出会って交際しているというクイアカップルも多いですが、
セクシャリティの現状
スピーカー 2
これは近年のユースにおいては、ノンケのカップルも、
SNSで出会って交際するパターンも同様に多いと思うので、あまり差はないのかもしれません。
高校教員をしているクイアの友人に聞いてみたところ、
昔と違ってセクマイの話をしても、第三者的な立場だったらいいんじゃないとかいうような反応。
プラスの中にあるカミングアウトみたいな子も割といたりするということでした。
2つ目の質問が、当事者が今困っている、悩んでいることは例えば何かという質問に対しての答え。
今から言いますね。
5年前にクイアのユースからよく聞いたのは、
周りに隠さなきゃいけない、イコール本当の自分を出せずに隠し事をし続けなきゃいけない。
身近にロールモデルがいない、イコール将来に希望が持てない。
恋バナができない。
スピーカー 1
ミスジェンダリング、ミスジェンダリングというのは、政治人と違う性別として取り扱われるの苦痛あたりが多かったように思います。
スピーカー 2
体感として多かったのがこのあたりで、他にも本当にいろいろな悩みがあります。
それとあまり当事者の自覚がないこともありますが、
周囲のアンコンショスバイアス、無意識の偏見や、
クイア教育の重要性
スピーカー 2
クイアの存在を想定されていない態度によって日々小さな傷つきを重ね続けることで、
無力感が強く自尊心が低くなることがあります。
スピーカー 1
クイアのユースは自殺のハイリスク層と分かってきています。
スピーカー 2
ということでした。
3つ目、ローダー・ディーンたちの学校のような多様性を日本において阻むものは何かという質問に対しては、
学校教育の内容の影響はあると思います。
国際セクシャリティ教育ガイダンスという書籍を読むのですが、
日本では全く取り入れられていないと感じます。
リプロダクティブヘルスライツや人権のことを教わる機会が不足していると思います。
最近ある中学校の用語教育と話していて、この点で共感しあった上で、
今の学校教育では道徳や人権の授業はあるけど、
子どもの権利や私たちにも人権があることに言及されていないということに気がつきました。
私は性の多様性とは別の文脈で、中学校や高校での授業内容を作ることがあるのですが、
性教育のいわゆる歯止め規定の壁の硬さを感じることも多いです。
歯止め規定というのは、学習指導要領に示されている学習内容の範囲や程度を制限する規定。
性教育の分野では性行や皮肉について一律に教えないという規定がある。
そのことですね、歯止め規定。
スピーカー 2
もう一点の思いつきですが、メディアの影響もあるんじゃないかなと思います。
アメリカのテレビドラマや映画ではずいぶん前からポリコレの意識が感じられるような、
性の在り方や人種、信念が多様なキャラクターに登場していて、
特定のマイノリティ性に偏ったイメージを持たせないような表現に配慮されているように感じます。
こういうメディアを日常的に見る生活なら、もしかしてクイアが身近にいるような感覚を醸成できるのかもと思ったりします。
一方で日本ではこの点はまだまだですよね。
クイアの役柄をノンケの俳優が演じたりしているし、
メディアでよく目にするジェンダーは偏っているし、
カッコ、トランス男性が妙にテレビに出ないなぁと感じます。
クイアが何だかやたら可哀想で悲劇的な描かれ方をしがちだし、
これはなかなか普通に身近にすでにいる存在とは認識されないよねと思います。
最後にローラ・ディーンの感想です。
率直な感想はSFっぽいというか、近い未来だけど未だ現実にはない世界の話のような感覚になりました。
一方でストーリーの本筋は、かつて私も10代の頃に読んだような
ティーン向けの小説の王道のように感じて懐かしい気持ちになりました。
クイアは本当にいろんなパターン、いろんな性のあり方があるので、
フレディとは違う性のあり方のあやらゆるパターンで、
ティーンがまるで自分みたいだと感じられるようなキャラクターで、
こんな作品がたくさん世に出てくれたらいいなぁと思いました。
でした。
ちょっと一気に読んだので、長かったですけど。
私知らないことばっかりだなって思いました。
そうだね。
スピーカー 1
ポイントが多いな。
たぶんさっきのレイさんの話がまずあって、
ローラーティーンのような世界っていうのは、
西海岸の一部でおそらく実際に存在する世界である。
ただそこがユートピアというのではなく、
カトリック系だったりとか、ギリスト教原理主義の人たちが強いような地域とか、
そういう人たちが身近におり、セクシャルマイノリティに対して、
差別的な行動をしているっていう現実がありますよっていう話がまずあり、
ただその中でも、そういう環境で育った子どもたちっていうのは、
もうすでにそれをある種の標準として育っているっていう問題があると。
ひるがえって日本においては、
雑誌からガラケーからスマホっていう感じで、
SNSっていう感じで、メディアは変わってきているんだけれども、
現実生活であまりクイアの人たちのネットワークっていうのを作るのは難しいんだけれども、
そのメディアを通してクイアの人たち同士でつながるっていうことが伝統的に起きていましたよっていう話があり、
ただクイアの人たちの恋愛とか生活みたいなのを取り扱ったエンターテイメント作品が少ないの上に、
それを隠さなければいけないっていうような通念があるから、
それが若い世代のクイアの人たちを自殺に借り立てるほどの阻害感とか課題感として存在しており、
なぜそうなるかというと、性教育も含めた子どもへのセクシャリティの教育も行き届いていないし、
リプロダクティブフェルツっていうのは、生殖に関する自分の権利とか、
実際にどういうふうな健康上の問題があるのかっていうことに対する認識だったりとかってするのが、
日本の教育ではほとんど扱われませんよねっていう話。
で、時代は変わっているのかもしれないけれども、いまだに課題感が非常にたくさんありますよっていう話だったと受け止めていて、
なるほどなっていう感じですね。
スピーカー 2
なんか、そうですね、例えばスラックスとスカートを選べるとか、
あとはドラマにとか、エンタメに登場する人、クイアが何か特別な存在として描かれるっていうか、劇的な描かれ方をするとか、
透明化はされてないけど、でも特別な、これが標準で、例外みたいな扱い方をやっぱりまだまだしてるんだなって思いました。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
いろいろな人がいるっていうところまでまだ行ってなくて、こういう大勢の人と例外の人みたいな扱われ方をまだまだしてるんだなって思った。
スピーカー 1
そうだね。
スピーカー 2
だから、レイさんの手紙の中でも、ある意味未来なのかもしれないというふうに書いてあったけど、
ローラディンの世界が未来だとしたら、レイさんたちの現実っていうのは、そこまで行ってなくてもかなり近いという状態で、
私の友人に教えてもらったこの日本の現実っていうのは、まだまだまだ全然追いついてないっていう感じがしたかな。
そうだね。
スピーカー 1
学校教育の中に組み込まれてないっていうのが非常に重要な指摘だよね。
そうだろうなって思う。
スピーカー 2
なんかね、やっぱりね、ゼンダーだけじゃなくて、日本の学校、私の子供は今小学校に通ってて、今から中学校に通うっていう感じですけど、
日本の学校ってやっぱりすごく、均一性を求めてるなってすごい感じるから、
均一性を求めているっていうことと、多様性を認めるっていうところが全然かみ合ってないなっていう感じがする。
そうだね。
そこに向き合ってないっていう感じがする。
まだまだ均一性のほうを重要視していて、多様性に対峙してないなっていう感じがする。
制服、選べますじゃなくて、やめたらって思うもんね。
ローラ・ディーンの世界
スピーカー 2
やめたら一発で解決じゃんって。
制服があるから、どっちを選ぶみたいになるんであって、やめりゃいいのにってすごい思うんですよね。
スピーカー 1
一応、経済格差への配慮としてあるっていうのはあるよね。
スピーカー 2
でも制服高いから。
スピーカー 1
確かにね。制服高いよね。
スピーカー 2
制服高いんですよ。
この間、制服買ったんですよ。
小学校は制服なくて、次、子供中学校だから、制服買ったんだけど、制服高い上に、一番成長期だから、3年後の大きさ読めないじゃないですか。
体の大きさ。
ぶっかぶかの制服を、これぐらいですね、だいたいこれぐらいの子は、これぐらいの大きさ、オーバーサイズで買いますね、みたいな、ぶっかぶかなんですよ。
なんでこんな高いお金出して、こんな体に合わない服買わなきゃいけないんだよって、こういうのもあるし。
スピーカー 1
みんなユニクロのパーカーにすればいい。
スピーカー 2
そうそうそうそう、みんな着たい、自分の体にも、人にも、環境にも合うものを選んできたら、全部解決するのに、なんで制服あるんだよって、すごい思ったんですよね。
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
制服が安いんだったらわかるんですけど。
スピーカー 1
そうね。制服が、せめてユニクロ標準の値段だったらね。
スピーカー 2
そうそうそう、それだったらわかるんだけど。
スピーカー 1
ユニクロ標準の値段で経済的格差に配慮するたびに制服がありますって言われたら。
あ、そっかーと思う。
制服が高いもんね。僕も膝で廊下を滑って制服のズボンに穴を開けてめちゃくちゃ怒られましたね。
いくらすると思ってるんだって。
スピーカー 2
そうなんですよね。
スピーカー 1
そうだよね。
まあ、そうだね。あんまり、だから人間が何かを考えてそれに基づいて何かを変更するみたいなことをあんまり信じてないんだろうね。
人間の考えみたいなものが移ろうから。
それにあんまりフックしてもしょうがないよねっていう感じで。
だから、本質的にクリティカルな思考をするというより、現状をうまいことやりくりするみたいな思考になるからこういうことになるんだと思いますけどね。
そうね。子供に性行為を教えないみたいなのは分からんでもないけど、
例えば義務教育が15歳、義務教育を18歳まで引き分けるべきみたいなのも議論としてあると思うんだよね。
成人として認められるのが18歳じゃん。
そうすると義務教育を終えてから成人として認められるまでの3年間に児童のケアが漏れちゃうわけだよね。
だから、義務教育を引き上げないと良くないんじゃないっていう議論があるみたいで。
スピーカー 2
それは確かにそう。
スピーカー 1
それは確かにそうなんだよね。
だから、今義務教育が15歳までだとすると、本当は15歳の時にリプロダルクト・ヘルツライツの話とか、性教育の話とかをちゃんとしとかなきゃいけないじゃん。
特に今パパ発の話とか、コラボが支援しているような女の子の話とかがあるってことは、それがどういうリスクになり、自分の人生にどう関係するのかみたいな判断能力のない人のまんま、教育も受けられないし、成人としての法的能力もない状態で世の中に出すっていうことになっているから。
それは結構子どもに対する人権侵害というか、子どもの権利条約っていうのがあって、それに日本は批准してるはずなんだけど、それをカバーするためのあまり努力が政府として行われていないことの小差だと思うんだよね。
だから僕らの友達の指摘っていうのは相当クリティカルっていうか、現場から見てもそうなんだなみたいなのはちょっと思いましたね。
政治人の問題も非常に大事で、自殺のリスクが非常に高いみたいなのもすごい問題だし、一番の問題はそれをやり続けることに根拠がないというか、制服のこともそうだし、
男女で別れ、男女しかいないとすることに特に意味がないというか、それをすることで作り出す社会みたいなものがあまり想定されてないよね、とは思いますね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
今日、僕もめちゃくちゃでっかい会社から研修を作ってくれって言われてるんだけど、その研修を通してどういう人材を育てたいのかみたいなことが全然オーダーがなくて、
スピーカー 2
その研修のモデルケースみたいなのをいくつか作って持って行ったら、これをすることで研修受けた人はどうなるんですかみたいなこと聞かれて、こうなると思いますみたいな。
スピーカー 1
それが我々にどんな関係がありますかみたいなこと言われて、だったらやみたいな、こういう人材にしてほしいんですみたいな話をさ、
鼻からしたらよかやんと思って。だから、そこの想定がないから、何をやってもグズグズというか、それは思うようにならないよねって。
思ってないから思うようにならないよねって思って。まさにそう。それが教育において起きてて。
でさ、教育において起きる、起こることによって、結局そのツケを払ってるのがマイノリティだっていう話だなと思いましたね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
これなんか、すげーやべー話。この間ね、僕ツイッターでさ、見かけてさ、驚いたんだけど、
その人はね、きのきた銭湯では、女湯と男湯で、女湯の時計っていうのを少しだけ進めておくんだと。
そうすると女性っていうのは身近に自分たちが思ってるほど時間かかるから、待ち合わせにちょうどいい時間に男性と女性がロビーに出てこれるっていうことを書いていて、
それなんかすごい、書いた人もグッドアイディアだと思って投稿してるし、それを見た人もグッドアイディアですねみたいなこと言ってるんだけど、すごくて、
これ、つまり待ち合わせ時間にロビーに現れないことで、不利益をっていうか、問題は2人の問題じゃないですか。カップル2人の問題なんだけれども、
社会的構造と女性
スピーカー 1
その構造的に女性側の時間を進めるっていう、その構造的不利益を女性の側に押し付けることによって問題を起きなかった、あたかも起きなかったかのようにすると、
そのコストは常に女性の側が払い続けるんだけれども、その時計がずらされているということを確かめることがユーザーには基本的にできないので、
その付けっていうのは常に女性側が払い続けなければいけないってことになる。つまり、社会的弱者っていうのにコストが支払わされ続けるんだけれども、
その社会の中でそれに気づく人が全くいないっていう状態になるっていう話だなと思っていて、めちゃくちゃヤバい話ですけど。
スピーカー 2
めちゃくちゃヤバい話ですよ、これ。もう、は?は?
スピーカー 1
うんだなって思って。
スピーカー 2
それで何かをコントロールした気になってるってことでしょ?
スピーカー 1
そうそうそうそう。めっちゃ、頭おかしいのかなって思ったんだけど。
スピーカー 2
頭おかしいですよね。
スピーカー 1
だけど、同じ話というか、子どもの権利の教育とか、性教育を施さないことによって、付けは子どもが支払っているんだけれども、ないしはセクシャルマイノリティの人が支払っているんだけれども、
それを誰も気づかない。その社会的な構造的な弱者にされてしまっている人たちっていうのは、自殺したりとか、自分たちが悪いと思っていて、標準ではない自分たちが悪いということにされて、黙っているからっていう。
だからそうではない人たちっていうのは、ただそこで自分たちがその人たちを踏みつけにしているってことすら気づかずに、社会構造が是正されないまんま、このような状態になるっていうことだなと思っていて。
スピーカー 2
うん。まあ、なんていうかな。分かってもいいよねっていうことは思いますけどね。21世紀なんだから。そろそろいいじゃないですかって思いますね。
分かってきていることっていうのが、今まで隠されてきたことが少しずつ分かってきたことみたいなのがあるわけじゃないですか。それで、多分というか、細かくとてもたくさんあると思うんですよね、ジェンダーっていうものが。
LGBTQっていうだけでも5個?だけど、たぶん全然もっと数えきれないぐらいグラデーションで、めちゃくちゃあると思うし、自分は政治人と体の性が一致していて、異性愛者だって思っている人の中でもすごくあると思うんですよ、本当は。
じゃあ、もうマイノリティじゃないじゃないですか。だってみんな違うんだからっていう。
スピーカー 1
本当はね、バラバラだからね。
スピーカー 2
バラバラで、っていうことに、もう見て見ぬふりしててもしょうがないじゃない?だって現実なんだから、みたいな感じがしますね。
スピーカー 1
だから、そうね、例えば、どういうのがいいかな、出生時の性というか、バイオロジカルな性というか、たぶんいくつかの表現の仕方があると思うんだけれども、
と、自分の政治人と、自分がどういう服を着たいかっていうのと、自分の性対象っていうのを、例えばそれがたった2つ、男性と女性っていうのがあるとして、すでに2×2×2×2の8パターンあるはずっていうことで、
実際には、それぞれの組み合わせがより複雑。男性でも女性でもないような人が好きだったりとか、いろいろな人が、もっとこういう組み合わせの人が好きだみたいなのもあるはずだから。
スピーカー 2
だし、アロマンティックとか、アセクシャルとか、性的な欲望がないとか、恋愛感情を持たないみたいな人もいるし。
スピーカー 1
そうですね。だから、むちゃくちゃ複雑であり、この組み合わせを考えてみると、それがいわゆる、我々がストレートだと呼んでるような人たちっていうのが、本当にマジョリティかっていうと、わからんよね。
スピーカー 2
わからん。
スピーカー 1
という話だとは思うんだけど、これがやっぱ、存在論と認識論の話というか、僕もこの辺の議論、あまりまだ勉強してなくて、これからキャッチアップしていかなきゃいけない分野なんだけど、
文化人類学では、多元世界みたいなことを最近言い始めてる人がいて、もともと僕たちっていうのは、一つの自然があり、そこにたくさんの文化があると考えてきたと。
つまり客観的世界っていうのは一つだと。そこに対していろいろな文化があると。
で、なんていうかな、例えば幽霊の正体見たり、かぎお花っていうことわざあると思うんだけど、幽霊がいると思ったら枯れた植物でしたっていう、あれなんだけれども、例えばこの西洋近代の人たちっていうのは、世界は枯れお花であると思ってたわけで、
そうじゃない、非西洋人っていうのが、いやこれは幽霊だよって言ったときに、彼らは愚かだから幽霊だと思っていると、初め思っており、その次にこういうものを幽霊だと思う人たちが世界にいるんだということに認識が進んだんだけれども、それでも我々は世界が本当は枯れお花であることを知っているんだけれども、
異なる文化の人たちは、これを幽霊だと思う人たちがいる。で、これを女の幽霊だと思う人もいれば、熊の幽霊だと思う人もいるし、蛇の幽霊だと思う人たちもいるみたいな感じで、その世界は本質的には枯れお花なんだと。
この一つの自然というものがあり、それを幽霊だと見立てる人たちもいれば、枯れお花だとか葉っぱする人たちもいて、熊だと思う人たちもいると、そういう認識を持つ人たちがいると。認識的に違いが出ているだけなんだっていう、認識論の問題だっていう話を考えていたんだけれども、最近の傾向としては、いやそうじゃないんだと。
これを幽霊だと思うのは、存在論的にそうなんだっていう言い方をするんだけれども、実際に幽霊なんだと。我々の世界では。だから、たくさんの自然があるんだっていう考え方をする。たくさんの世界があるんだっていう考え方をするんだけれども。
だから、実際にはいろいろな組み合わせの人たちがいて、多様性があって、世界はそのようであるっていう言い方を僕らはしてしまうんだけれども、そのように存在論的にその人たちがいるって思ってないんだと思うんだよね。それに反対する人たちって。
スピーカー 2
それは認識論の問題であると。あなたが誤った認識を持っていると。世界っていうのは、男性と女性と2つの性しかない、そういうもんなんだと。これが枯葉花であると。で、それをわかってない人たちは認識的誤りを持っているだけで、っていうことを考えているんだと思うんですよね。
スピーカー 1
でも、僕としてはとてもそれに賛同できない。とてもそうは思えない。世界の中に男性と女性という2つのセックスしかないっていうのは、様々な学術的見地から否定されているのにもかかわらず、それに固執するっていうのは、やはりそういった特定のイデオロギーを持っている。
スピーカー 2
としか考えにくいので、そのようなイデオロギーを持っているって、自分の認識論を問え、という話だなあと思うなあって感じ。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
受けないからなあ、すごく。
スピーカー 1
そういう究極の話をしてしまうと、もし本当に客観的世界に男性と女性しかないからといって、その人が私の組み合わせはこうですって思うことに関して、他人が干渉する権利がないからね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
思ったらいいじゃんっていう。
で、その人たちにも我々と同等の人権があるよねって考えると、その人たちが同等の権利を得られるような社会制度の調整が行われるべきだっていうのは、そりゃそうじゃないっていう話だなあと思っていて。
スピーカー 2
うん。
スピーカー 1
それが近代社会の理念だから、近代社会に生きている以上、もうしょうがないじゃんって思うんですけどね。
何文句言ってるんですかっていうことだなあとは思うけどね。
スピーカー 2
そうですよね。
自分の子供たちがどうなのかは、もちろん私はわからないし、私も知らないですけど、
ローラディーンたちみたいな世界で生きてほしいなって思うから、もし彼らの自己認識だったり、表現が何であっても幸せであれそうなのはローラディーンたちの世界だから、
スピーカー 1
ああであったほうがいいなあって思うので、日本もああなってほしいなって思うかな。
スピーカー 2
なんでみんな反対する人たちはそう思わないのかなって思う。可能性を考えないのかな。
自分は政治人と彼らの性が一致して異性愛者だって、そうかもしれないし、あなたは困ってないかもしれないけど、
自分が幸せになってほしい人がそうだった場合、今マイノリティだと言われる性だった場合、苦しむよりは楽なほうになってほしいと思ったら世界がそうなってほしいと思わないのかなって思う。
レイさんの手紙の中にあったキリスト教原理主義の人が反対するのは、それ以上に主義の方を信じていて、その世界の中にいるからっていうことなんだと思うんですけど。
スピーカー 1
これが自由に難しい問題だなと思うんだけれども、近代社会においては基本的に人間は自由だから、キリスト教を信じるない人はキリスト教ではない他の宗教を信じるっていうのは別に自由だから信じたらいいと思うんだけれども、
ただその人たちに他人の選択を妨害する権利はないんだよね。だからその意味でそういった人たちはの行動っていうのは是正されざるを得ない。
で、そういう人たちの行動が是正されたときに彼らは多様性を否定するのかみたいな言い方をするんだけれども、これはなんか非常に卑怯かつ下品な振る舞いだなと思っておいて、分かってるじゃないですか。そんなことをおためごかしだということは本人たちがよく、自分たちは多様性を信じていないんだから。
相手が多様性というのだから、我々も認められるべきだと言って、そのようにして言葉を使うことで言葉の持つ力みたいなのをそごうとしてって言っているわけだから、非常に狡猾で下品な振る舞いだとは思うんだけれども、そういうことじゃないじゃんっていう、あなた方はできませんと。
スピーカー 2
なぜかというと、近代社会のルールを破壊しているからです。それだけですよね。あなた方が何を信じているかってことは大した問題ではないのだけれども、他人の自由を制限するっていうのは、あなた方の権利の外にある行為ですっていう話になるから。
多様性と認識論
スピーカー 1
そうだよねって思うんだけど。難しいですね。ドナルド・トランプも再戦したし。再戦して一番初めにやるのがね、人間の生物っていうのは男と女しかないっていう大統領令に署名するわけだから、すごいよね。
そのうち、地球が回ってるのではなく天が回ってるんだっていう大統領令に署名するんじゃないかと思うんだけど。言い出しそうですね。
でも人間の方は自然の方を超えられないからね。好きに署名したらいいと思うけど、そんなことしても意味ないからな。いるからね。そういう政治人の人、実際に世界に。
スピーカー 2
そうそう。どんなに署名しまくっても、いるからみたいな。署名したか知らんけどもっていうことですね。
スピーカー 1
そうなんよね。そのように世界をかきかえる魔法の神じゃないからね。
みんな魔術的なものを追い求めてるんだよな、やっぱり。そういうのは権力なり力なり、何かのもの。
例えば最近だと教養とかリベラルアーツみたいなものが、何か魔法の力のように感じていて、それを手に入れさえすれば全ての問題が解決すると思っているっていうか、解決させることができる。
その力をもってして解決できないのであれば、相手がおかしいと考える。みたいなことが本当に横行してるなと思って。
スピーカー 2
すごい話ですね。魔術的。
スピーカー 1
それプリキュアの杖を買ってきてさ、そのプリキュアの杖でやーいってやったら、爆発しないで怒ってるみたいなもんだから、リベラルアーツをやったはずのほうに、みたいなこと言われても。
スピーカー 2
いやーって。
スピーカー 1
そうはならないなーって思ったって感じですね。
スピーカー 2
でも、やっぱりこう、ああいう漫画とかでモデルがあるっていうのはいいですよね。
スピーカー 1
そうね、ロールモデルはね。
スピーカー 2
何もない、もやもやとしたものの中から理想を見つけるより、何か一つモデル的なものがあるとわかりやすいというか、具体的に考えやすくていいですね。
私はロラディの中で、あーなるほどってすごい思ったのは、前の時にも言ったけど、やっぱり言葉を尽くすっていうことが印象的だったから、
自分の状態とか、自分の思考とかを、とても言語でコミュニケーションしているなっていう印象がすごいロラディに振り回されている漫画の中であったけど、
コミュニケーションの重要性
スピーカー 2
でも確かにそうするしかない。
だって見た目でもわからないし、見ただけではわからないのが普通の世界だったら、言語を使ってコミュニケーションするしかないし、そこにかけていくんだなっていうのがすごい印象的。
スピーカー 1
で、その分言葉にとても慎重にならなくちゃいけないんだなって思ったので、
スピーカー 2
モデルがあるっていいなって思いました。
そうだね。
スピーカー 1
やっぱりいい漫画だったよな。
いい漫画だったし。
なんか、やっぱロラディの話に戻るけど、
だって今日僕らが話したような話って、いろいろあるけど、やっぱあの絵が漫画で描かれたことの一番の希望というか、いいなって思ったのは、
あの世界でも人間はどうせ似たような問題で苦しむというか。
スピーカー 2
そうそう、それがよかったですね。
友達も感想の中で描いてたけど、まるで自分みたいだと感じられるキャラクターって、それいいですよね。
そうね。
スピーカー 1
あれ、なんか僕たちの収録の中で言ったっけ?それとも、誰が言ってたんだろう?誰かとロラディの話をしていてすごく面白いなって思ったんだけど、
ロラディンだって17、8の子供であるっていう話をしていて、
なんかあの漫画をさらって読むとロラディンみたいな人を振り回すタイプの変な人がいて、その人に恋をしちゃって大変な主人公フレディってなるんだけど、
まあそれはそれとして、ロラディンの方だって17、8なんだと。
自分を制御するのが難しかったりとか、
自分のセクシャリティだってまだクエスチョーニングの途中かもしれないっていう。
スピーカー 2
それはね、レイさんが推進で、今日読んでない補足のお便りくださって、
その中でLGBTQのQっていうのがクイアーの頭文字だとされるけど、
それはクエスチョーニングの頭文字とされることがあって、
で、10代の子にとってその子のクエスチョーニングがとても大事なんだろうなと思いますって書いてくださって、
で、ロラディンこそこれに当てはまるんじゃないかなって。
スピーカー 1
そうね。
スピーカー 2
フレディはロラに振り回されましたが、ロラ自身も瞑想中なのだと思います。
社会とセクシャルマイノリティ
スピーカー 2
でも10代なんてセクシャリティ関係なく瞑想する時期です。
思春期の子たちをもう存分瞑想させてあげられるような環境を作ってあげられたらと思いますって。
本当にそう思うって。
おっしゃる通りですよね。
本当にそう思うって思いました。
スピーカー 1
その通りだなって思いましたね。
やっぱそこがよかったですね。
ああいうことって人生で起きるから。
スピーカー 2
うんうん。
ね、ジェンダーに関係なく。
スピーカー 1
関係なく。どのような社会になっても。
結局。
そうそう。
だなって思いました。
でもなんかやっぱ現行のやり方っていうのは、その世に誰にでも起き得る些細な苦しみとか喜びみたいなものを、
あらかじめ社会の特定の集団から奪うということになっているから。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
やっぱそれはどうかしてるというか、それを良しとしてしまうと、今の僕たちの生活の多くを支えている近代社会というものが崩壊していくから、
そこが本当は僕たちが問われていることなんだっていうことだと思うんですよね。
スピーカー 2
この近代社会を維持するか、それとも中世の時代に戻っていくかっていう。
スピーカー 1
暴力と権力が支配する世界に戻りたいのかどうかっていうことが問われているから。
スピーカー 2
その意味で誰にでも関係するし、小さな問題ではないというか。
スピーカー 1
そういうセクシャルマイノリティーの人に限らず、
社会の特定の集団みたいなものを構造的差別の下に置いておくっていうことをすること自体は近代の精神に反しているから、
それを放っておけば我々の社会は霧のようになくなってしまう。
その儚い信念に基づいて作ってる社会だから、なーっていうのは思いますね。
結論とお礼
スピーカー 2
という感じですかね。
スピーカー 1
という感じですかね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
はい。レイさんも、僕たちの友達の方もありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。
スピーカー 1
はい、それではまたお会いしましょう。ごきげんよう。
スピーカー 2
ごきげんよう。
01:01:43

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