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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
なんとテイク2です。
なんとっていうのはですね、まさか別に何も難しい話をしていなかったのに、
なんかこう、混乱してきたんですよね。
んーと、喋っててですね、たぶん暑いせいなんじゃないかと思い始めました。
暑いせいとかイリュージョンには違いないんですけれども、やっぱり今日は暑いですよね。
しかも、湿度が。
あとですね、この暑くなってきた時の、後でちょっと対策考えようと思ってるんですけど、
グッドモーニングボイスの大きな問題点として、結構これ締め切らないと外からの音が入ってくるんですよ。
で、まあいいかなとも思うんですけれども、やっぱり締め切ってやっちゃうんですよね。
これが外にガンガン漏れるっていうのもちょっとやっぱり気になるんで。
イリュージョンですけどね、完全に。不安と恐れかなんでもいいんですが、そうなんで、締め切るとこう、
わりと一歩間違うと虫風呂化していって、それでこうだんだん頭が混乱してくるんだなと、
今さっき思いました。ちょっと水飲んできたんですよ。
で、別に難しい話はしてなかったんですけど、先日の、昨日もお話しましたね。
週刊課講座でですね、YouTubeのチャットであげていただいた感想やら、疑問点やら、
納得いかないところとかを全部読ませていただいて、大変ありがとうございますって感じたんですよね。
非常にいい感じで、やりながら読んどけばよかったかなと思ったんですけど、
そこはですね、わりとマインドフルとバッティングするし、ちょっと僕はやっぱりまだ難しいなというのが、
まずあの、僕2画面見てるとちょっとめまいがしちゃう人間なんですよね。
だから世の中で流行ってる3画面とか、あれで仕事できる人ほんといいなと思って、
私も昔、3画面はないにしても2画面やってて吐き気がするんで、ダメなんですよ。
チャットをiPhoneだけで見るというのをやっても見たんですけれども、やっぱり無理で、
なんか目が回っちゃうんで、しょうがないのでね、自分の画面だけを見ていつもやっているんですが、
あの時もそうだったんですけど、後で見て、いいなと思いました。
やっぱり一部ですね、その話をしてくれるなっていうのがちょっとあったんで、
つまりそういう風なのが伝わってきたので、ある意味申し訳ないなと思う。
多分ですね、受け止められている方が非常に恐れられていることと、
僕が喋っていることは全然こう、何て言うんかな、次元的にずれていて、
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私が喋っていることによってですね、そんな恐ろしいことは何にも起こらないんですね。
あれって結局好きになったら利用されるっていう恐怖感があるじゃないですか。
突き詰めて言ってみると、身近で絡んできた人のことは原則好きになって対応しましょうみたいな話で、
いやいやいや、本当にそれこそ、何ですかね、
鬼滅の刃の悪い鬼みたいなのが出てくるんですよって話をされるっていうか、そういう想像が来るんだと思うんですよね。
でも、そんな人が出てきた場合の話の対処法は、あの日一切関係なくて、
私が考えたのはですね、普通にそこら辺にいる人なんですよ。
それだって鬼滅の刃の悪い鬼みたいな人かもしれないじゃないかって言われるということになるんですけど、
むしろその方がですね、極端なケースについての極端な仮定だと思うんですね。
そこを考える必要は全くないんですよ。
完全に間違ったサイコパスみたいな人が登場して、
私の行為を言うことに、昔の表現ですけど、
ケツの毛まで抜かれるみたいな、そういうことを想定されるということが起こっちゃうみたいなんですけど、
そういうことは想定する必要はないわけですよ。
極論に言ってしまえば、あの週刊課の講座だけの文脈で言えばですね、
嫌ならやらなければいいだけなんですよ。
そもそも私がズームで喋るということにはいかなる強制力もないんですね。
だから恐るるに足りないわけですよ。
雑木が何か言ってるよって思っとけばいいじゃないですか。
多分それがですね、深刻に捉えられてしまうんですよね。
もしかするとこの佐々木の戯言がですね、世の中を圧倒して、
すでにこの段階でそういうことがあり得ることもないわけじゃないんじゃないかっていう理屈だけは成り立つかもしれませんけど、
実際には絶対そういうことはあり得ませんからね。
佐々木の戯言がですね、1億人を動かして、
何かこう依頼されたら絶対にやらないと、
強制収容所に入れられるような世の中が出現して、
だから私はそういう恐ろしいものにならないようにしてほしいんだということなのか、
1人でもこういうことを言う人間が増えないでほしいということなのかもしれませんけど、
どうってことも本当ないですよ。
私の影響力でそこまで行くってことはさらさら考えられないので、
スルーされれば大丈夫。
つまりこの絶対大丈夫だという感じをむしろ持っていただいた方が、
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この話はある意味ではすんなり行くんですよ。
さっき言った単位もないことを喋ってたのにテイク2って言ったのがこれで、
自己肯定観ってキーワードがどっか出たんですね。
僕はこの言葉に正直真剣に興味を持ったことはないんですよ。
これは精神分析用語にはない言葉だし、
自己肯定する誰がって話も残っちゃいますしね。
プラス心理学用語としても微妙なんですよね。
自己効力観とかも僕は大変微妙だと思っていて、
自己に効力を感じる誰がって感じが非常にするんですよね。
この種の話ってなんだかすごくある効果がありそうなんですけど、
例えばネズミがレバーを倒すと地図が出ます。
ネズミは何度もレバーを倒すようになりますに比べると
非常に明快性がないと思うんですね。
これはもう写真に撮る、動画を撮ることもできる、
回数を数えることもできますよね、ネズミのレバー倒しは。
自己効力観、高い低いってどうやって測定しているんだ。
何とか用詞ってあるんですけどね、心理学にはいちいち。
それが高いスコアを取れば高いとか言うらしいんですが、
非常にうーんって感じがしますよね。
科学的とかエビデンスとか言いたがりますけれども、
正直実に嘘くさいと思うんですよ。
だから自己肯定観って気にしなければいいと思うんですが、
なぜあの話の中から僕が一言も言わなかった
自己肯定観とかいう言葉が出てきちゃうかというとですね、
例えば睡眠ということがありますよね。
タスクシュートでは睡眠もタスクの一つとして扱うんですけど、
この睡眠一つとってもタスクと対峙しないって大事だと思うんですよね。
タスクと一対一で向き合うとかではないんですよね。
タスクに入る感じ。
睡眠と戦わないじゃないですか。
睡眠には入りますよね。
タスクシュートでは食事とか睡眠とか入浴とかトイレとか全部入れるのは
すごい僕は実は大事なことだと思っていて、
極端に言うとそっちだけでいいから入れろって感じなんですよ。
それらのタスクと対峙したり
それらのタスクをこなすってことはあり得ない。
それらのタスク、睡眠には入る。
睡眠に入るって言うんですよね。
タスクに入るものであって
一つ一つのタスクになっちゃうぐらいな感じなんですよ。
だから依頼に対してこなすとか
まして拒否するとかっていう選択肢っていうのは
非常によほどの緊急事態ありますよ。
世の中にはそういう事態が。
例えば用事を頼まれたんだが家が火事になったとか
それは用事やってる場合じゃないですよね。
そういうことです。
だけれどもこれと言った理由もないのに
いや今漫画読んでるから
これはいいんですよ別に。そうしたって。
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ただ漫画を読むのをやめて依頼に答えているということによって
ケツの毛まで抜かれるっていうのはおかしいと思うんですよ。
で、睡眠ですね。
なんで睡眠に自己肯定感かっていうと
例えば私は目覚まし時計をかけないわけです。
寝尽くすと言っていいと思うんですよ。
一旦寝たらもう永遠に寝るぐらいのつもりで寝る。
これが自己肯定感ですよ。
つまり肯定されているのはそのところでは事故だけじゃないんですね。
世の中の仕組みというか
世の中の仕組みじゃないですね。
世界の仕組みみたいな感じなんですけど
朝が来る。
その頃には気分がさっぱりしていて
寝不足感がなくなって
頭がすっきり自然と目覚める感じがある。
だから別に目覚ましいらないし
どこまでも寝るということによって
それによって自分の時間が足りなくなるとかいう困ったことは
決して起こらない。
起こることが想定もできない。
っていう状態で
あらゆる行動をとっていこうねっていう
突き詰めるとこういうことになる。
それはしかもそんなに難しいことじゃない。
この睡眠だけに話を限定しますと
いやいやそのままずっと寝て
会社に遅刻したらどうするんだ
っていう話になっちゃうんですよ。
だから自己肯定感っていう話にもなるわけですよね。
佐々木さんならそれでいいかもしれないが
ここには
私の状況では決してそうはいかない。
要するにあんたは恵まれているって話
これも自己肯定感の一種ですよね。
恵まれてるのはあんたはダメな人間だけど
環境が優しくしてくれてるから
うまくやれてるんだよっていう感じなので
もう他者否定感なんですけど
どっちかっていうと
不信感がそこにあると思うんですよ。
で、別に目覚ましかけるのも
想定しておいて7時間で起きる
ということにしておくのも何ら問題はないんですよ。
ただその時にはその人は
思考が絶対今ここにはないはずだ。
そしてそれを態度に表してしまっていますよね。
そういう現実を出現させます。
出現させてるじゃないですか。
目覚ましがかかりますから。
私の現実には目覚ましがかかんない。
こういう現実のずれんがで
違いが出てくるわけですね。
この現実の違いってものは
自分が生み出したものだと思うんですよ。
というか自分が生み出したものですよね。
こういう風にしていって
私たちは未来を想定し
現在というものを少し袖にするっていうのかな。
少し現在というものを
自分の未来の想定よりも
低いものと見なすということを
態度に出して生き続けることによって
自分の現在をどんどん難しいものにしていきます。
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その時に改めて
私は自己肯定感が低くて
っていう話をなさるとするとですね
私からするとそれは
現実を非常に難しくした結果
現実が難しくなったから
自己が肯定される気がしないんですよ。
だからこれは自己肯定感が低いというよりは
現在を否定したところから
全てが始まっているから
そっちをやめればいいと思うんですね。
現在の否定というのは
例えば寝る時間になっても
いやいやまだ寝るわけにはいかない。
だから覚醒するためにカフェインを取るっていうのが
現実の否定ですよね。
これと誰かが依頼しても
いやいやそんな依頼に対応している場合ではない。
今はこれをしなければいけない。
これが現実の否定なんです。
タスクシュートというのは
私は現実を忠実に記録をするっていうのが
ここを裏切ったら何もならないんですよ。
だって記録が現実を反映していないんだったら
それはもう記録ではないわけだから
現実を忠実に記録しましょうっていう方法論だから
だから現実をまず受け入れる必要が先にあるんですよね。
現実を否定するんだったら
それはもう記録じゃないですよね。
自分の願望をただ書いているだけなので
タスクシュートじゃない方法論になると思うんです。
現実を否定するためにカフェインを取るわけじゃないですか。
寝ましょうと体が言うんだけども
そういう依頼に応えている場合ではない。
それでは自分の未来は良くならないから
ここはカフェインを取って
この睡眠という罠にはめられないようにする。
これが要するに現実の否定ですよね。
ところがこれを繰り返しているうちに
どうも自分の頭がすっきりしない
自己肯定感が下がってきたっていうのは
やっぱりこう
寝ましょうというしかないじゃないですか。
そういうお悩みに対してはですね。
これがちょうど私が昨日
週刊の講座で言ったことだし
タスクシュートでも言うことだし
おそらくグッドバイブスで
倉園さんが言われていることも
そう遠くはないと思うんです。
そしてこれが難しい話だとは思えない。
ただカフェインを取り続けたいという人に対して
カフェインやめなさいとまでは
あんまり言わないから
しかもおそらくそれが
その状況にある人には
非常にこう響きが悪く難しく聞こえるんですよ。
これは比喩で言ってるから
難しく聞こえるっていうのが分かりにくいんですけど
おそらくですね
この17時間
できれば20時間起きていたい。
4時間だけ寝れば十分だと。
20時間は生産に当てたい。
こういう人いっぱいいますよね。
で、そういう人に対して
私が言うことは多分
カフェインやめて寝れば
世の中の仕組みが
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ちゃんとあなたをいいところに
持っててくれるから
ここは気にせず
自分を過剰に防衛せず
黙って寝ましょうって話をすると
佐々木はどうも
嘘をついているらしいと
いう話になっちゃうんですよね。
不信感がそこにあるから。
こいつは8時間寝ているとか言って
人を油断させておいて
密かに3時間で
寝たところで起きて物を書き出して
そうやって人に差をつけているから
物書きになれたみたいな
そういう話を聞いたわけじゃないですよ。
ただこういう解釈も
一つあるわけだ。
こういう解釈をすることによって
その人にしてみれば
だから私も寝るわけにはいかない
ってことになるんですよ。
そして短時間睡眠法みたいな
方法論を学びながら
やっぱりこっちだなと。
グッドファイブス読んでる場合じゃないなって
思うんだけど、でも眠いと。
眠いですよね。
カフェインをいっぱい取っていて
飲む気持ちも悪いと。
世の中にはカフェイン中毒みたいなのもあるらしい。
ちなみにコーヒーですね
7杯以上になると
体外抜きとはなりますね。
これはですね、すっごいなんかね
気持ちが悪い感じになるんですよね。
独特の感じです。
なんてことはないですよ。
治療まではまだ遠いですからね。
飲んで治療に行くことは
まず不可能だと思います。
それこそJ松崎株式会社で
ファジリやってくださった
エフタさんがですね
カフェインのカプセルを飲んでたみたいな
お話をなさってたんですよ。
いやーだからやっぱりみんな
これすごいなと。
寝てる場合じゃないよねっていうのは
本当に
強烈な価値観としてあって
農産的でなければ
生産的でなければ
明らかに置いていかれて
最後はもう
路頭に迷うくらいな
人がやってるんだと思うんですよ。
だから
それは世の中の仕組みは全く
信用ならんってことですよね。
これが私は
自己肯定感の低さと全く
同じだと思うんです。
エリック・エリクソンって人がいたんですよ。
モラトリアムという言葉を世界中に
流行らせた人ですね。
あの人も言ってみれば
フロイトの精神分析の
一つの派というよりも
彼自身のエリクソン流ぐらいな
人ですけれども、そのエリクソンが
言ったことです。冒頭に
一番最初に世界に対する
不信任感を築けるかどうかが
最初の段階の
人間が一番最初に直面する
課題だと、そういう言い方をしたんですね。
親子関係とか
家族関係とか
世界とはそもそもどういう感じなのか
生まれてきてすぐですね。
生まれてきてすぐってのは世界というものに
一番ある意味、最初に直面する
ここにトラウマがあるっていう
人がいるんですけれども、いずれにしても
そういう何か起こるわけですよね。
お母さんが抱っこしている赤ちゃんを落としただけでも
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大問題ですよね。赤ちゃんにとっては
ですよ。どころか
そもそもミルクというものが
くれない日があったら
大問題ですよね。
自分では取りにいけないわけですからね。
信頼するしかないんですよ。
信頼しないということは
死ぬってことですから。
死ぬんじゃないかと思わないでしょうけれども
そういう不信感を抱くことも
あり得たと思うんですよね。
どんな人でもある意味、私でも
ミルク来ないんじゃないか
みたいなね。
でもこれ呼ぶこともできなきゃ
取ってくることは
もろんできないわけですからね。
自分ではゲップもできないですからね。
ここを乗り越えてきている
わけですよね、私たちは。どんなに優秀
に思える人でも
100%に近い依存状態
っていうのはもう既に通ってきている
はずなんですね。
ここに自分に対する
信頼感と世界に対する信頼感が
同じになるベースが
ありますよね。
俺だけは大丈夫だっていうのが
自己愛のベースだってお好みさんが
言いましたけど、それと
世界を信頼していて大丈夫だ
同じことですよね。
そこに絶対的根拠とか
そこを聞き始める段階で
既に不信感ってのがあるわけじゃないですか。
これがなければ
つまり自分であろうと
信頼しておくことができる。
安心して寝ていられると。
寝過ごすことなんて
ありえない。
だからここに想定しない
ってことが出てくるわけですよ。想定しない
以上依頼を拒絶する理由って
本当はないわけですよね。結局
こういう話になった時に
自己肯定感というキーワードは実は
飛び出してこないはずなんです。