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2022-10-28 27:41

【696GMV】ものを書くすべての人へ

書き上げ塾第7期のお知らせ

00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今ですね、10月27日、木曜日、20時42分ですね。
あのー、あれなんですよ。つい先ほどまで日本シリーズを見ておりまして、
つい、たった今ですね、ブリックスが逆転したところなんですね。
だから、すごく続きが気になるんですけど、
私はブリックスファンでもヤクルトファンでもたまたまないので、
ヤクルトファンなので、すごい面白いんだけど、
そこまでべったり張り付いてみなくてもいいかなと。
またちょっと8回あたりにきっと山が来そうなので、
その辺でまた見ようと、それまでこれを撮ろうという感じで、
2回に上がってきたわけですね。
追いつきましたね、ヤクルトはね。
これやっぱり山、多分終盤にも1回来るんじゃないかなっていう感じの展開ですよね。
はい、それはまあいいとしてですね。
これを流した頃はすでに結果出てるんですもんね。
でも今私が喋ってるときにはまだ6回の表なんですよね。
はい。で、今日はですね、今までのテーマはとりあえず一旦置いといて、
倉園圭三さんとずっと続けていて、
気がつくと第7期を迎えようとしている書き上げ塾というものについてですね、
お話ししたいと思っております。
で、あれはですね、書き上げ塾という名の通り、
文章を書き上げられるようになるための塾でして、
オンラインでもリアル参加でも参加できまして、
1月、毎月1回ですね、割と長い、
がっちりした講義がですね、3時間から4時間ありまして、
私もその中で1時間ほど、6回にわたって喋るんですけれども、
6回ということはつまり半年ということになります。
半年で1冊の本なり、1つのこう、何だ、記事なりを、
記事じゃない、1冊の本ですね、1冊の本を書き上げるというのが趣旨です。
論文というケースもあるし、
これはフラゾノさんが見てくださるからできることなんですが、
小説ということもあります。
で、いろいろあるんですが、
私がですね、やっぱりこの書き上げ塾で一番変わったというか、
自分自身にもためになったし、こういうふうにするんだ、
というのでお伝えしたいのがですね、文章を書くということについての
自分なりの確信が得られるっていうのが一番大きいと思うんですね。
なんていうのかな、なんとなく書いちゃうっていうのも、
いうのが普通の文章のある意味で、
03:01
プロだとそうじゃないと思われるかもしれませんけれども、
プロってもう全然僕は違ってないと思うんですよね。
なんとなく感覚的に書かれているように思うんですよ、文章というものは。
大体において最初からそうだったじゃないですか、
大体においては、
大体においては、
多分私たちが文章を最初に書くのは幼稚園の頃だと思うんですけれども、
幼稚園の時からそうだと思うんですよね。
書き方を習わないですよね。
なぜ習わないかというと、実は教えることができる人がいないからなんですよね。
ほとんどいないんだろうと私は思います。
いろいろそれには理由があるんでしょうけど、
とにかく習わずにきて、
じゃあ、もの書きになるときに編集さんなりがこのように書きましょうねというのを教えてくれるのかというと、
私はタイトルとして50タイトル以上出してきて、
一度もそれについて習ったという記憶はないんですよ。
ある種のアドバイスはいただきますよ。
でもそれだって滅多に実は出てくるものではないし、
それはどこでも教えてくれると思うんですよ。
国語の教科書にでも載っているようなというのは語弊がある意味あるんだけど、
でもそういうものなんですよね。
とにかくふわっと書いてしまう。
ふわっと書いてしまうということは、
何て言いますかね、
とにかくふわっと書いてしまう。
ふわっと書いてしまうということは、
内容については確信を持っているんですよ。
例えばタスクシュートについて私が本を書くということになれば、
何をどう書くかについて、
ふわっとなんてしていないんですよ。
ある意味、行き過ぎているくらい確信を持って書いているわけです。
ある種の感情からすればね、
例えばタスクシュートについて、
私が本を書くということになれば、
何をどう書くかについて、
ある種の感情からすればね、
例えばタスク管理はタスクシュートじゃなきゃいけないのかとか、
時間管理はタスクシュートだけがうまくいくのかとか、
ありとあらゆる疑問を差し挟まれてきたんだけど、
タスクシュートじゃなければいけませんよって、
私は結局言ってるんですよ。
しかもこれは、それを創始した大橋哲夫さんよりも、
僕の方がこういう言い方を強く言ってしまうんですね。
それはふわっとしてないんですよ、全然。
ふわっとしてないんです。
タスクシュートだけがいいわけじゃなくて、
これもいいしあれもいいですよねって言った方が、
角は立たないっていうのは分かってるんですけれども、
角を立ててでもそう言ってしまうっていうのが、
私の実は性格の中にあって、
それについてはですね、
数年グッドバイブスで、
06:00
例えば時間をオビジョンに考えないとか、
時間をオビジョンに捉えないとか、
あるいは、
次に起きることは分からないということを
踏まえても、なおですね、
時間管理をやるっていうんだったら、
依然としてタスクシュート以外の方法は、
私は基本的にはほぼ有効には作用しないはずだし、
タスクシュートは唯一有効に作用すると
平気で言うんですよ。
それにどれほど反論を加えられても、
十分、
自分の方での論を貫けるという自信は
実はあるんですよ。
そこまで言うのはさすがに気が引けるというのもあるし、
そこまで言う意味が別に商業史ではないから、
本ではそこまで言わないけど、
そういう気持ちで書いてるんですよ。
これについてはですね、
何となく100%相談みたいなのがあって、
もちろん時間をオビジョンで考えるっていうのは
無理なんですよ。
それはですね、私が思うに量子力学かな、
あれで考える上でも無理だなっていうのは
もう大体わかるんですね。
相対性理論だけで言っても無理ですよね。
時間って伸縮するんで。
ただそれは私たちの日常生活では、
その伸縮っていうのは実感のしようがないことなので、
無視できる誤差なんだけど、
とにかく実態としてね、
変動しない。
これはニュートンの絶対静止形っていうものを
仮定しないと成り立たない考え方で、
絶対静止形って無いので、
今では存在しないってことがもうおおむねコンセンサス
取れてしまっていて、明らかになっているというのは
ちょっと無理なんだけど、無理なんですよね。
絶対静止するものっていうのがこの世界のどこにもないので、
絶対静止形がない以上、時間の速度が一定だとか
安定しているとか、時間の実態というものが
時計で測れるようなものでないのは間違いないんですよ。
だから究極的に言えば
倉園さんのおっしゃる通りなんですよね。
そしてタスクシュートでどれほど
タスクシュートなんかじゃ全然無理で、
世界についてのAIがデータを膨大に集めても
次に起きることが予測できないというのは
今のところその事情に変化はないんですよね。
だから先に起こることを先に書いておくっていうのは
ある意味ナンセンスで、
そんな漁師の話とか漁師のもつれとか
そういうものを持ち出すまでもなく
タスクシュートでやっていることには
安定ですかね、
最高にうまくいっても近似値しか取れない
というのは確かなことなんですよ。
ただ我々はそういうニュートン力学みたいな
時間の流れの中で一応生活をしていて、
要するにバーチャルなんですけどね、
09:00
このバーチャルを扱う上では
このバーチャルと自分の行動というものを
データベースのように扱う上では
タスクシュートっていうのは
私はとびきりだという感じを持っているんですよ。
近いことができるのがマニアナの法則ってやつなんだけど
あれでもマイナーなんですよね。
あれをあえてやるっていうほど
日本ではマニアナの法則はメジャーじゃないので
GDDに比べて知っている人は非常に少ないですよね。
それを無理にやると
無理やり導入するんだったら
タスクシュートでいいんじゃないかという風に
私は思うんですよ。
タスクシュートとマニアナを比較すると
私はやっぱりニュートン的な時間論から言うと
タスクシュートの方が勝っているだろうと思っております。
今みたいなややこしいことを考えてもいて
四方八方から来る話は
全部なんとかなるという風に思っているんですよ。
そういう問題じゃないよね。
っていう感じではいるんですよね。
要するに。
ただですね、それはまあ、それとして
つまりですね、こういう確信をタスクシュートについて
抱いているというのとは何の関係もなく
私は文章についてはそんなに確信を持って
書いていたわけじゃないんですよね。
というかできないんですよね。そういうことが私には。
で、倉田さんの書き上げ塾というのは
この確信を人に持たせてくれるっていうのが
大きいところなんですよ。
私がそれを持つに至るようになったのは
結局、倉田さんの書き上げ塾を
一緒にやっている中でのことなんですね。
人にそれをまた持ってもらうというのは
私にはできないんだけど
なぜこういう文章をどういうつもりで
書かなければいけないのかといったことがですね
わかるようになったんですよ。
わかるからできるとは限らないんだけど
できるときとは運命の差があるんですよ。
例えば
僕もそういう意識は持っていたんですけど
美講師に関する説は極力避ける
何とかだから何とかしたとか
何とかなので何とかしたとかは極力避けていたんですよ。
だけど自分はなぜそれを避けていたのかが
もう一つよくつかめていなかったんですね。
あと大変の目ね。大変の目は私は
気分が悪いから避けていたんですよ。
気分が悪いからっていう
タスクシュートじゃなきゃいけませんって言ってるときは
そういうのでは全然ないんですよ。
タスクシュートは気持ちがいいからタスクシュートだとかは
私はかけらほども思ってなくて
あれ多分気持ちあまり良くないだろうなっていうのはわかるんですよ。
わかるけれども
ここはタスクシュート以外の方法でこれを扱おうとしても
無理だからっていうもっといい方法が別にあって
12:00
しかも気持ちが良ければそっちでいいんだけど
という感じではないってことなんですよね。
私は気分が良いからとか
気分が悪いから体現の目は避けるという感じでしかなかったんですよ。
全部感覚でやってたんですね。
他に方法ないだろうと正直言って思ってたんです。
文章を書く上で
例えば三段論法がどうしたとか
気象点決がどうしたとか
あるいはだいぶそれでも違うのが
日本語で言うと
日本語の作文技術
これは誰が
ベトナム戦争のことで
ルポで有名になった人ですよね。
あの文章本は私は
唯一に近いぐらい有効に使えたんですけれども
それでも
あれを読んだだけでできることには限りがあるんですよね。
本だけじゃ難しいんですよね。
本当に文章というのは。
マリア・サインチさんの
日本語の作文技術かな
どっちがどっちだったかタイトルちょっとわからなくなったんですけど
あれも大変僕としては助かったんだけど
助かったにとどまっちゃうんですよね。やっぱりね。
まあまあそうだよねっていう話はわかるんだけれども
どうしてこう書くのかっていう点での
確信がいまいちはっきりしなかったんですよね。
これをはっきりさせられるんです。
この書き上げ塾に4ヶ月いると多分。
万が一
ちゃんとやれば
電子書籍分1冊は書き上げられるはずなんだけど
万が一書き上げられなかったとしてもですね
どう書けば文章っていうのは
自分としては納得がいくようになるのかは
間違いなく6ヶ月で身につくと。
しかもそれを
赤入れで身につけられるっていうところが
すごいんですよ。
実際に赤入れをされていたっていうのが
大きいと思うんですよね。しかも雑誌の編集ですからね。
あの時代の。あの時代のといっても
つまり1990年から2000年ぐらいの
なんだけども
わからないかなっていう感じもします。
つまりその時の雑誌社に勤めていたという方が
いまどきそんなにいらっしゃらないですよね。
だから僕が年を取ったということなんだけど
昔こういう話を社会の先生とかがよくしてて
自分がそういう話をするようになっちゃいましたね。
つまり自分が30代20代だった時に
当たり前にあったものが世の中からどんどん
消えていくっていうのはこういうことなんだなと。
いま全然違う脱線話になってますけど。
つまり
かき上げ塾というところで
昔から得たいと思っていたものが
不意に得られるっていうことがわかったんですよ。
15:00
そういうことを狙ってやったつもりは私はなかったんですよね。
正しいことなんじゃないかって思ってたので
誰かがそれについて答えてくれるってことも
ついになかったんですよね。
だから存在しないのかもしれないぐらいに思ってたんですよ。
文章の上手い人はいますよね世の中に。
私は文章自分が上手いと思うことはなかったんだけど
上手い人っているなとは思ってたんだけど
上手い人と話をする機会があったとしても
やっぱり私とある意味同じなんですよね。
それはセンスがいいから上手いみたいな感じがするんですよ。
何で上手いのかが
当人は気をつけているから上手いのかもしれないんだけども
何にどう気をつければいいのかが
人に言語化できているレベルとは言い難いという感じを
僕はずっといろんな人のお話をかかってて
聞いてて感じたんですよ。
例えば仕事述語を近づけるみたいな
極めて具体的なテクニックを聞いても
その人の文章を読んでみると
全部仕事述語だと思うんですよ。
仕事述語が近いところにあるかというと
別にそんなことはなかったりするわけですよ。
つまりそれはケースバイケースになっちゃうわけですよね。
そうするとどんなケースではどうするべきなのかって
今度は別に言うんだけど
それはやっぱり完成でできちゃう人と
完成ではできない人とに分かれてしまうと。
英語は違うんですよ。もっといろいろあるんですよね。
私は英語の方が上手くはもちろん書けませんよ。
英語は。ただ確信を持って書けてたんですよ。
英語は。なぜなら習ったから。
アメリカの留学行くと
APAスタイルって言って
アメリカンサイクロジカルアソシエーションかな。
つまりなぜかアメリカ心理学協会がまとめた
レポートの書き方っていうのが
わりと論文一般の書き方のマニュアルみたいになって
あれ僕不思議だなと思ったんですよ。
なんで心理学なのっていう。
アメリカ文学協会とかが作ればいいじゃんねと思ったんだけど
全科目のスタンダードみたいになってて
ラッキーだったんですよね。
私は心理学科にいたから。
もちろんこの単語の選び方とか
運びとかはアメリカ人にかなうわけはないんだけど
なぜこう書かなきゃいけないのかとか
どうして段落の先頭はこう書くべきなのかとかは
全部マニュアル化されているんで
その通りにやろうと思えばできるんですよ。
一通り習えばね。
日本語にしても確信を持たずに
やるってことはなかったんだけど
日本語になると途端に確信がなくなっちゃうんですよね。
そういうことがなくなりました。
これを今ブログをもし書いたり
文章を特にライター教とかを
なさるという方でですね
うまくなりたいというより
確信を持って書きたくならないかなっていうことを
18:00
僕はちょっと思うんですよ。
ちょっとふわっと書いているとですね
ある種の心配というか
ある種の不安というものを文章を書くたびに
ある意味抱えていかなきゃならないじゃないですか。
なんかこう抱えにくいボールを持って走らされる
なんとか競争みたいな感じで
あれ僕はあんまり精神衛生的に良くないなと
職業でやっているのに
なんとなくやるみたいな
あれなんですよね。
結局釣れる人はいるじゃないですか。
なんか知らないけどこの人はちゃんと釣れていると。
それはわかんない。確信とかがあるのかもしれないけど
やっぱりなんとなくそこに座って釣っていると釣れるんだけど
一向に釣れない人もいるわけですよね。
それもセンスみたいなもので決まってしまう
と思うんだけれども
いやこれは釣りの話じゃないですよ。
つまりこれが文章の場合はね。
文章の場合はそうなっちゃっているよなと
よく思うんですよ。
だからぜひ一度
どうしてここに行ってあそこのポイントに投げると
釣れるのかという知識とともに
そうすると確かに釣れるなという
実感というものを抱いていただくために
かき上げ塾っていうのは
私はいいんじゃないかと思っているんですね。
非常に。
かき上げ塾をやるようになってからなんですよ。
かき上げ塾をやるようになってから
タスクシュートについて
もっと遥かに言語化したいっていう
欲というのか
野望というのか
そういったものがですね。もともとやたらそういうのが強くあったように見えたかもしれないですけど
どこかある程度諦めているところもあったんですよね。
だから使えばわかりますみたいな
言い方に最終的にはなっていたんだけど
ここまでできるなら
タスクシュートならやれるだろうみたいなのがあるわけです。今は。
だからそれはかき上げ塾の
副産物なんですよね。私にとっては。
タスクシュートというのは
何でこういう作用が起こして
こういうふうに僕らが
タスクを管理できるようになるのかと
それは僕の今の感じでは
いわゆる割り込み
とは言わないんだけど
いわゆる割り込みの扱いが
他のツールとは全く違うからだというのが
一つの仮説としてあるんですけれども
そういったことなんですよ。
とにかく私はタスクシュートに関しては
確信を持って使えるということなんですね。
批判されている内容も
的のいているものから外れているものまで
全て一応検討しているつもりなんですよ。
21:00
それについて
どうしてそう考えられて
どのようにすればその問題が一応解消できるのかも
完全には伝えられないんだけど
自分では説明ができるんですね。
自分では説明ができるんですよ。
ふわっとしてはいないということなんですね。
ただそれだけなんですよ。
別にこれがすごいことだとか
そういう話をしたいんじゃなくて
説明というのは本来
自分以外の人間に使ってほしい場合は
必要なものだけど、自分がやるんだったら
センスと感覚だけでうまくいくことは
うまくいかせていればいいじゃないですか。
それがさっき言った釣りなんですよね。
釣りというのはまさに自分で釣れればいいわけですよ。
なぜここにいると釣れるのかとか
なぜそのポイントに落とすべきなのかとか
そんなことは人に向かって説明する話であって
ある意味では。
私は見かけによらずだと思うんですけど
スキーってかなり好きで
かなりのめり込んだんですよね。
ライセンスも取ろうかなぐらいまで行ったんですけど
僕は実はスキーって
滑り方は人に一切説明できないんですよね。
そういうことに興味がないんですよ。
そんなことするんだったら自分が滑っていたいから。
だから全部体感覚だけでやって
円泳って僕できて
今はもう体力ないから無理だけど
小学校時代8キロくらい泳ごうと思えば泳げてたんですよ。
あれも、なんでお前8キロ走れもしないのに泳げるのかというと説明できないんですよ。
泳ぎはですね、しごかれたんですよね。
しごかれたおかげでわかったのが体感覚なんですよ。
これは戦前の日本が水泳が強かった理由なんですよね。
水泳以外は大して強くなかったのに
オリンピックで確か最初に金メダル取ったのは水泳なんですよね。
なぜかというと根性論が効くかららしいんですよ。
水泳ってのは長く水に浸かっていたものの方が強いらしいんですよね。
戦前の日本ってむちゃくちゃ精神主義だったじゃないですか。
あれがちょうど水泳にはぴったり合ってたらしいんですよね。
それはよくわかるんです。
むちゃくちゃだったんですよ。本当に。
スイーミングスクールの名前を晒したいぐらいむちゃくちゃだったんですよね。
私は人にあれほどむちゃくちゃな扱いを受けたのは
中学受験の時の塾がちょっとひどかったというのを除けばですね、
水泳ですね、間違いなく。
でも水泳ってのはそういうむちゃくちゃが割と効を発揮しちゃうという、
今はもっと絶対まともで科学的だと思うんだけど、
当時は本当に科学的もいいところで、
あれなんですよね、遅いやつには蹴りを入れるっていうね。
ただそれだけだったんですよ。
24:00
上がろうとすると蹴られてノボンって落ちるっていう。
これを繰り返しているうちに何キロでも泳げるっていうのをね、
体感覚で掴んだんですよ。
全然嬉しい感情は残ってないですけど、
ただ水に入ればどうすればいいか、
もう体に聞いてくださいみたいな感じなんですよ。
一切人に泳ぎをどうするかっていうのを
言語的に説明はできないんですよね、私は。
ただ自分は極端に言うとですね、
胸のあたりに聞いてくれれば泳ぎ方は分かるっていう、
そういう感じなんですよ。
いつまででも泳いでいられる。
水温が低いときはこんな感じ。
水温が高ければあんな感じみたいな。
それが全部ボディに刻み込まれてるんですね。
嬉しくないですよ、はっきり言って。
気持ち悪さがあるんですよ。
履いてる子いっぱいいたしね。
本当にシャレにならないんですよ、プルサイドで履くってのはね。
履くまで泳がせるみたいな。
なんか無茶苦茶じゃないですか。
昭和の後期ってそういうところあったんですよね。
これを僕は文章でも多文にやってるところがありまして、
書けば上手くなるみたいなね。
何の文章なのにロジックがないんですよね。
タスクシュートはそうじゃないんですよ。
かなりロジックもあるんだけれども、
でもやっぱりタスクシュートも体感覚で知ってることのほうが、
それは文章でも泳ぎでも何でもそうなんですけど、
体感覚で知ってることのほうが大いに決まってんだけど、
倉人さんはそれをかなりの部分を言葉で教えてくれて、
しかも伝わるんですよね。
一生懸命聞いてれば。
私びっくりしたんですよ。
自転車の乗り方とか竹馬の乗り方って、
言葉で説明するの虚しいじゃないですか。
それを言葉で説明されてもねって感じがしますよね。
私、文章もそうだと思ってたんだけど、
そうじゃないんだなというのを知ったって感じなんですね。
だから、ふわっとしていない文章術っていうのを、
ここの回で、この第7期というものを6ヶ月かけると、
きっと体感でつかむことができると。
6ヶ月後にはですね、もし入っていただければ、
ブログを書くときにどう書こうっていうのが、
ふわっとは絶対していないというのは、
私は参加をしてちゃんとアクセスさせていただいて、
参加をしてちゃんと赤入れとかを読んでいただければってことですけどね、
確証が確信もてると思うんで、
そういう意味でお勧めしたいかなというふうに思ってます。
私のプールみたいにはならない、私の水泳みたいにならないということです。
書きまくって正しくないとプラゾンさんが殴るとかやると、
それに近いんですよ、私の水泳の学び方っていうのは。
全然学び方に何にもなってないんですよ、あれはね。
27:01
ただ水泳はそれが一番うまくいきやすいという、
ある意味残念なスポーツだったんで、
それで学んで台読しちゃったんですけどね。
そういう昭和の話と、今は令和なんで、
もっと言語的にいくと、
言語ですしね、文章ね、言語的にいくということができるので、
ぜひぜひ第7期を、今回はたまたま30分丸々CMだけで終わっちゃったんですけれども、
よろしければぜひというところで、今日はおしまいにしたいと思います。
27:41

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