じゃあ、どうしようってすごい考えたときに、人との関わりのことであったりとか、
勉強することによって次の道が見えることとか、達成感であったりとかっていうのがどんどん浮かんできて、
今は答えられることがいくつか増えてきたよっていう段階でございました。
はい、こんな短時間で成長したくらさんですが、
みなさんは勉強するのは何なの?って言われたら、なんて答えますでしょうか。
いやー、なんかでもすごいですね。小学校4年生で勉強する意味がわからないって思ってるってすごいね。
私、逆に何も考えないんできちゃった。
今、自分も考えたことあるっていうふうに答えたじゃないですか。
勉強する意味を考えたことあるって言ったと思うんですけど、
一番最初にそれを問うたのはいつだろうっていうふうに聞きながら思ってて、
でも、なんか思い返しても、たぶん小中高ぐらいまで全然考えてなかったと思うんですよね、そんなに。
おー、そういうもんっていうか。
なんでしょうね、その意味の問い直しをしたことは、高校ぐらいまではなかったなっていうのが思ってて、
大学か卒業して、たとえばワークショップとかをね、やってたことがあるんですけど、
サイエンスワークショップって言って、小学校ぐらいの子どもたちに理科とか教えてたことがあるんですけど、
そのぐらいのころに改めて言語化しようかなって思ったことはあるかもしれないけど、
それまで考えたことなかったなって思うと、この小4の子っていうのはすごいなって思ってて。
すごいよね。
そうそうそう。やってることに対する意味を、しかもちゃんと大人に聞いてるわけじゃない。
ただただこう放り投げるとかではなくて、なんなんですか、勉強する意味ってなんなんですかみたいな感じで、
一応そこに何か意味があるかもしれないみたいな可能性をちゃんと残しつつコミュニケーションとってるから、
いいなーって思ったっていうのが一番最初の感想で申し訳ないんだけど。
いやいや、素晴らしいよね。
で、楽しくなってきたのいつかなっていうのも考えてたんですよ。
なんかさっき言ってたみたいなの。点数取る系のゲームみたいな感じでやってた時期も私はもちろんあって、
たぶん中学ぐらいまではもう点取りゲームですよね。私にとっての勉強って。
で、それが学びに変換されたのって私の中でたぶん高校2年生ぐらいなんですよ。
点取りゲームから本当に学問として興味を持って、知りたくて学ぶっていう風になったのが私の場合高2なんですけど。
高2年生だったらもうまさに受験だから、それこそ点取りゲーム純正でもいい気がしちゃいますけどね。
すごいな。
そう、その当時私数学0点取って、もう何が分かんないか分かんない状態になって、
でもそれでも、なんかその時に物理を先生が楽しそうに授業する先生がいて、
なんでこんな楽しそうなんだろうと思って、それが知りたくって、0からやり直したんです、数学と物理を。
そしたら、なんか学校のスピードと遅れるじゃないですか。点取れないんですよ。
だから点取りゲームをするっていう目的では学び直せてできなくて、
だからその時の動機って本当にただただ、なんであの先生はあんなに楽しそうなんだろうっていうのを知りたくて、
やったんですけど、なんか多分その時が初めて学びの楽しさが分かった時だなっていう風に思って、
でもそれ以降大人になればなるほど、学ぶとか勉強するっていうのはどんどん楽しくなってきたなっていうのを思うと、
勉強する意味って何だろうっていうのを改めて今考えると、
どうだろうなあ、私は将来の選択肢が増えるとかっていうのはあるんだけど、
私もうちょっと今でももっと根源的かもしれない。なんかこの世界のことが知りたい欲求がすごくどんどん出てくるんですよね。
なんかでもそれを楽しめるようになるための基礎力っていうのは、やっぱり最初の小中高ぐらいの頃にやってた勉強がすごい礎になってるなっていう気はして、
本当の勉強の楽しさが分かるための準備体操みたいな、あのプール入って泳いで楽しむ前の本当に体を慣らしていく準備体操みたいな時期っていうのは確かにあるなっていう気はして、この小学校ぐらいの頃って。
なので、もしかするともうちょっと先に分かるよっていう瞬間も来るかなっていう気もするし、でももしかしたらだいちゃんだったらもっとこの段階での小学校、中学校とかの頃の学びも意味って何ですかって言われたときの答えるバリエーションがあるのかなと思ったんだけど、
なんか私はそんな感じだな。全然答えにまとまってないね。
いや全然いいんちゃう?
ちょ、ごめんなさい。後半にもうちょっとまとまるかもしれない。
じゃあ、だいちゃんに聞いちゃう前に僕から、僕も実はね、先生に聞いたことあるんですよ。
えー。
何の意味があるのって。それがですね、中学のときの歴史の授業だったよね。
歴史の授業って、やっぱり年号とか名前覚えたいとか、どんな戦争があったとか、結構知識が多いじゃないですか。
で、テストは知識を問われるから、そういうなんか、たしなみ的な、この知っておかないといけない知識みたいな、大人になったときの会話で出てくるための知識っていう、中学生のときのつぼけんはそういうイメージだったんです。
で、先生にそのまんま言ったことがあって、歴史ってそういうもんですよねって話をしたことがあったんだね。
そしたらね、先生はね、違うこと言ってて、なんていうふうに言ったのかは、具体的には覚えてないんだけど、なんかね、同じこと繰り返さないためみたいなことが言ってたんだね。
うん。
とか、意外と数学って、数字は使ってないけれども、課題解決の手法として使ってるって、あるなーって、なんかその動画を通して思ったりして、これってさ、数学を学ぶ目的として、課題解決のために役立つんだよって、よくためが使われませんか、こういうのって。
で、あとじゃあ理科でいきましょうか。理科でいくと、なんか昔やりませんでした、小学校で。なんかあったかい空気は上に行くみたいな実験やりませんでした。
あれって意外なとこに活かされている。僕サウナなので、今。
あ、サウナね。
サウナは、まあもちろん好き嫌いあるんだけど、僕上に行きます。階段が上の方にあるとこに僕は行くんです。これ何でかっていうと、上の方があったかいじゃないですか、空気は。
うん。
ってことは、上に行った方が汗かけると。
うん。
で、これ元になってる学びって、理科の時のあったかい空気が上に浮くんだっていうのがさ、あるわけでしょ。
うん。
って考えたら、あれもそういう時のためにとか、なんかこう生かすためにとかね。
うん。
いろんなためってあるでしょ。
うん。
あとはほら、じゃあ礼儀的なもので言えばさ、社会に出た時のためとかも言ったりする先生もいるし、なんかそういう意味ではためっていうジャンルがあるわけじゃないですか。
こうやってなんか、ちょっと勉強的な要素ももちろん入ってるわけだし、まあハーフトゥーみたいなね、要素も入ってます。
じゃあその次の対って言葉、これって多分目的ないんですよね、僕の中ではもはや。
うーん。
例えば、僕が今サウナめっちゃ好きで、サウナの本読んでる時なんか目的なんかなくて、もう好き、もうこれが好きみたいな。
サウナハマってます、気づいたら本買ってて、もう本読んでるのは勉強ではなく、もうただただ好きだから読んでますっていう、読みたいから読んでるみたいな。
うん。
これなんか自己目的的とか呼ぶんですよ、学術的に言うと。
自己の目的的にやってるだけであって、別にそれが将来につながるとか、何かに活かすとか考えてないわけよ。
もう楽しくてやってますみたいなね、とか。
さっきメイムさんのさ、途中出てきた紹介の学びも多分そうじゃない?
なんかもう今はもう、それをやりたくてやってますみたいなのない?
そう、そう、だから本当にただ知りたいの。
そうだよね。
そう、それを何に使えるかって言うと知らねえって思う。
そうそうそうそう。
メイムそれを。
これってさ、学校の中で、なんか2つ僕存在していいと思ってんの。
タメとタイ。
やっぱりタイだけではさ、どうしてもね、子供にとってももしかしたら不自分になりうるというか、
あとなんか2つあるほうが学習よく湧くみたいな研究あるみたいよ。
ちゃんと、
ああ、じゃあ合ってんだ。
そうそうそう。ハーフトゥ的な学びもあることで逆に制限があって、
学習よく湧くみたいなのを研究してる青人さんって方がいるんですけども、