2024-02-08 50:28

謙虚になりすぎる病【GMV932】

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私の去勢不安の思い出。
00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
2月の8日、木曜日、朝の7時32分です。
やはりこれを毎日のように、特にお知らせはありませんみたいなことをさらっと言っちゃってましたが、
2月の10日にですね、タスクシュートジャーニーというのを、
これはいつも通りJ.Masazakiさんとやるオンラインセミナーなんですけど、
ゲストに井上新八さんという、今回の先送りゼロの表紙を書いてくださった、
表紙のデザイナーさんですね。
著者さんでもあって、今非常によく売れている本が続ける志向だったかな。
井上新八というので検索していただければ多分出ると思うんですけどね、Amazonで。
今Googleでも出ますよね、普通に。
3人でやりますので、ぜひこちら、よろしければ。
多分これは、いわゆるアーカイブ配信もいたしますので、
当日間に合わなくてもですね、お申込みいただいておけば、
アーカイブ配信も出ると思いますので、
合わせてご利用いただければと思います。
なぜこれを告知するのを飛んでたかというと、
一つにはここのところの構成作業で慌ただしすぎて、
そこから解放されて、何かこの先にはしばらくはないぐらいに思ってたというのがあるなと、
多分もう一つはですね、Jさんのイベントは基本的にはJさんが告知をしていただければ、
あっという間に集まるだろうぐらいに、かなりその辺は依存的に考えていたというのが大きいと思いますね。
僕がここで言うのがどのくらい効果あるんだろうぐらいに、
ちょっと思っちゃっているところがありますよね。
意外とそんなに、そんなでもないなというのが最近、
もう少し自信を持つというか、もう少し考えてもいいかなって思うようになってきたんですけど、
反省、僕のインプレッションというのは、
インプレッションとかって言いますが、
ただ最近もインプレッションというのはあれだなって思うようにもなったんですよね。
よく考えてみると、僕の例えばXフォロワーさんは1万近いわけですよ。
1万に乗ったことは1回もないんですけど、乗るぞって感じになったときあるんですけど、
そこから急降下していったんですよね。
9千何百なんですけど、ずっと。
03:01
とはいえ9千ってすごい数字、考えてみると数字こそ大きいじゃないですか。
でもだからといって、ここで告知をすると場合によってはもうゼロとかね、
そういうこともそれは多分タイトルとかがいけないんだと思うんですけど、
あるわけで9千人がご覧になっていると考えるのは大きな間違いだなというか、
それは大きな間違いに決まっているんですけど、やっぱり人間、他の数字はですね、
数字をちゃんとしっかりありとあらゆる数字を追う人は別なんでしょうけど、
僕のようにフォロワーさんの数字以外は特に目に入っていない人間には、
もうこれはやむなしというところがありますよね、数字の大きさというのが。
もともと1万といってもね、10万とか100万とかあるわけですから、
そういう言い方をすれば、もともとのインプレッションがそもそもでかくないといえばそうなんですけれども、
とにかくこのインプレッションというのは新しい概念で、
実は僕は新しい概念は単純に面白いというふうに思うので、
面白いとずっと思っているんだけど、
僕自身にはこれがすごい何か私の仕事に直結して有効でありましたっていうケースは、
どのくらいなんだろうっていうのが全然実は分かってないんだなっていうのが分かってきました。
長くやってて分かんないなっていう。
ないなっていうのとは違うんだけど、あったような気もするんだけど、
でもあるんだっていう確信を得られるような出来事っていうのもまたよく分からなくて、
要は分かんないなっていうのを一番、
ツイッター見てきましたみたいなことを言っていただくことがあるっていうのはそうなんですよ。
あるんですよ。
でもじゃあその人はツイッターがなければ来なかったんだろうか、
真剣に考えだすとよく分からなくなってくるんですね。
この話はつい先日ですね、
ザッカーバーグ会長とか、
SNSの人たちがアメリカの校長会か何かに呼ばれて議員にめちゃくちゃ怒られてたわけですが、
というのを見て、だけどなんかこう直接関係があるような気も確かにするし、
それは確かにFacebookがなければ、
こんなひどい目に遭わずに済んだんですって目の前で詰められると、
言われるほどの感覚を彼らが持つだろうかっていうのをやっぱりちょっと考えますよね。
昔そういうような話があったじゃないですか。
どこだったかどこだったか忘れましたけども、車の会社にね、
あんたの車がなければ交通事故に遭わなかったんだみたいな、
そういうふうにはなかなか一般的には考えないじゃないですか。
ちょっとそれとは確かにSNSは違うと思うんだけど、
06:04
でもFacebookがなければないで何かがあったでしょうしね、
ネットをずっとやってる人にしてみると当然そうなると思うんだけど、
Facebookがなければ何かがあったでしょうしね、
ネットをずっとやってる人にしてみると当然そうなると思うんだけど、
ネットをずっとやってる人にしてみると当然そうなるだろうなって思うじゃないですか。
だからこの車の話とちょっと似てるなと。
それがトヨタ車なのか日産なのかベンツなのかって言っても、
あんまり意味がないんではないだろうかという、
もちろんリコール車みたいな話もあるにはありますけど、
単純に自動車事故ってそういう話でもないですしね。
だからこのインフルエンスっていうのは考えると分かんなくなってくるなっていう、
上手に使われてる人っていうのはいらっしゃると思うんですけど、
僕はその意外に上手に使っているという方は、
こういうことを知的に全部網羅してるというよりも、
愛入れない感じがするんですけど、空気みたいなものを掴むみたいな、
そんな感じなんじゃないかなっていうふうに思う時があります。
なんかこうデジタルだからそれもそれで変なんだけど、
なんかそういう空気みたいなものがその人には分かるみたいなね、
そういうのがあるんじゃないかなという気はちょっとしますね。
全然僕の得意でない分野についてしゃべるからこういう話になっちゃうんですけど、
とりあえずあさってですね、タスクシュートジャーニーよろしくお願いします。
井上さんとはどんな話になるか、私はすごい楽しみでして、
もう一切読まないようにしているんですね。
もう目にもいえない。こうしておかないと。
多分この一種の発想を取るようになったのは、
今日お話ししますけど、完全に僕は分析依頼だなって思うようになりました。
ウッドワイブス依頼と言ってもまあいいんですけれども、
この件に関しては精神分析の方が直接僕に影響を与えてる気がします。
とにかく知らずに行くっていうことが大事だっていう。
これはもう失礼だとかいろんな意見があると思うし、
それはもう全部感受しようと思うんですけど、
でも絶対予習はしないっていうふうに決めてるんで、
これにおけるいかなるっていうのが変で大したことではないと思ってるんだけど、
それでもこれにおけるデメリットがどれほどあろうと、
メリットを超えてくることは絶対できないなっていうのを最近つくづく思うんですよね。
人に関する先入観はゼロにはなりませんが、
ゼロに近づけられるというのを常に意識しておかないといけない。
いけなくはない、全然いけなくはないんだけど、
もうとにかくゼロにしようと。
09:00
なろうことなら会う人にも毎回初めて会うっていうのは、
やっぱり一期一会って正しいなって思うんですけどね。
もうずいぶん古い言葉なんですけどね、あれもね。
とにかくそういうふうにしていかないと、
本当に先入観ってすごいんで、
この先入観っていうのも今日のテーマになるかなって思うんですけど、
先入手って言ったりしますけどね、なぜか哲学ではね。
いずれにせよですよ。
事前に持っちゃうんですけどね、
そのイメージが本当よろしくないというか邪魔だと思うんで、
ゼロにしよう、ゼロにしようと。
特に私は奥さんとかとの相対するときは、
本当これが邪魔だなっていう。
身内もそうなんですよね。
絶対先入手の塊じゃないですか。
前に言っては先入観だけを相手にしちゃうんですよ、僕らは。
平気でそれをやるんでね。
信じられない出来事だって思うんですよ。
先入観を相手にするっていうのはもう完璧にナルシシズムですからね。
一歩も自分の外に出ませんっていう宣言をしているようなもんなんで。
何もあえて初対面の人にね、
せっかく事前に知識を仕入れることはないよなと。
相手の人にしてみれば、
本読んできてくださる方が嬉しいっていうのは分かるんですよ。
僕も物書きなんで。
私に興味を持ってくださった人は極力僕にはですね、
事前にノート読むとか書いといてあれなんですけどね。
本読むとかせずに会っていただけると。
これ僕昔から思ってたんですよね。
その嬉しい反面、なんか不思議な気持ちになるのは
これは何なんだろうって思ってたんですよ。
スタッフさんの方はくまなく読んできましたみたいな。
すごい大変ありがたいことをおっしゃってくださる人がいて、
なんというか、どのように返答すれば十分報えることになるだろうって。
悩んでしまうような。
だって本全部読むっていうのは大変なことなんでね。
いや全部読まなくてもいいんじゃないでしょうかみたいな。
よくわかんないことを言うはめになり、
本を読むっていうのは大変なことなんでね。
いや全部読まなくてもいいんじゃないでしょうかみたいな。
よくわかんないことを言うはめになりかねないので。
でも読まれればありがたいとは思うんだけど、
なんかこう落ち着かない気分にさせられるんですよね。
これ一体何なんだろうなっていつも思ってたんで。
こういうことなんだなと。
でも当然しょうがないですけどね。
それはね、たとえ本を読まずと潜入感などというのが
持つに決まっているし、
持つなというのがそもそもおかしな話ですからね。
その人の視点を通すわけですからね。
絶対にそれは持つんで、
持たないということを僕も目指してるわけではないんだけど、
減らすという、少なくとも増やさないというのはもう
絶対やろうって決めてるんで。
少々勇気いるんですよね。
事前に本一冊読んでおこうがはるかに気が楽な。
12:00
この気楽さがいけないんだっていう風に思うように。
そういうことになったんですよ。
もう間違いなくやっちゃいますからね。
本当に人に会うときは気をつけているっていう。
気をつけようがない面はありますが、それでも頑張るっていう。
理想を言えば相手の名前も思い出せないぐらいなのが
いいんですよね、本当はね。
ただ、これは社交上の儀礼に反するという。
ここをなんとかうまくやっていかなければっていうのが
ずっと思うところではあります。
事前の知識があるとやりやすいのは確かなんでね。
それはどういう話をしているかというとですね。
タスクシュートジャーニーで井上さんとは
事前に僕は予備知識を入れずに行くぞっていう話ですね。
Jさんがいてくれるんでっていうのもなくはないんですけれども。
でもまあないんだよな。
2社で会うにしても結局事前に予備知識は僕は入れずに
行くと思うので、こういうふうにして以来
タスクというものが減るっていうのは当然起こりますよね。
現象として。
事前の予備知識を極力廃するんでね。
僕よく思うんですよ。
子育てとかもね、事前の知識が今膨大なんでね。
入れないっていうわけにはもうこうなってくると
いかないのはありますよね。
それでも絶対に人によって量が統一されてはいないじゃないですか。
人によって違うじゃないですか。
少ない側で痛いなっていうのは本当にあります。
本当にね、ある程度仕入れないっていうことが
許されないとなってきているんで。
そこはもう頑張る。
なんつーんだろうな。
攻めに合いですよね。
ただし増やそうという意識は一切持たないっていうのはありますね。
だって子供の身にしてみればですよ。
私だったらそう思うんだけどね。
事前に親が知識を仕入れてそれに沿って子育てをしてくるなんて。
もう考えただけで気色悪いというか。
私だったら絶対嫌だなって思うんで。
だからうちの子だったら多分絶対嫌だろうぐらいには思うんで。
まあでもこういう時代なんで、うちの子もデジタルネイティブですから。
まあしょうがないよねぐらいには思ってくれるという許容量で
我慢しようっていう感じはしますよね。
親っていうのは本当にこう自分の子供となってくると
グッドバイブスも精神分析もすっとくんで。
本当にすっとくんで。
そうなんですよ。
子供のためなら何でもしますみたいな人間になっちゃうんです。
そういう子育て好きな人間だとですね。
もうあっという間にそうなるんですよね。
私みたいな人間は。
だから気をつけてるという感じですね。
何を気をつけてるのかというと、
分析的な話にやっぱりなるんだけど。
そもそも分析って、
なんでこうまで理解されないんだろうと考えていくとですね。
15:01
その問題というのは、
やっぱりこう馬鹿にはできないなっていうのがまずあります。
昨日ですね。
昨日これ落としましたけど、
なぜ落としたかというと、
実家に帰ったからなんですが、
あんまり調子が良くなくて体調がね、
1日で戻ったんですけど、
実家遠くてね、ずっと電車に乗ってるから
やっぱりちょっと調子崩すんですよね。
あのいわゆる普通列車にあれほど長くは普通乗らないですからね。
やっぱりね。
時間丸々ぐらいな勢いなんで、
調子崩すんだけど、
まあそれでね、
実家に帰っている途中、
調子が悪くなると僕は、
もう最近は藤山直樹さんなんですよ。
これはもうコロナの前からずっとなんですよね。
グッドバイブスと並行して、
調子が悪くなったら藤山直樹さんと。
グッドバイブスか藤山直樹さんというのが、
もう僕はこれ、
僕の考え、やってることは精神分析じゃないんじゃないのかと。
藤山直樹なんとかなのじゃないかという風に
最近思い始めているんですよね。
なんか知識は全部藤山さんからではないんだけど、
調子が悪い時は藤山さんになってんだみたいな。
昨日も何度読んだか分からない本を頭から読んでいて、
なるほどなーってこれが不思議なんですよね。
なるほどなーと毎度思うってのは何なんだっていうこれも、
なるほどーっていう風に思うわけですね。
で、なんでこれ最初全然意味分かんなかったのかっていうと、
いやこれ最初は絶対意味分かんないよなーと。
で、こういうことが起こるんだろうというのを今、
つらつら考えておるところなわけですね。
どうしてこれが最初は分からないのかと。
これほど分かる話が、
まあもっと分かると思うんですよ。
精神分析受ければ。
さらに言うと精神分析家になればさらに分かると思うんだけど、
とりあえずでもある線はあるんですよね。
全く分からなかったっていうそこのギャップはあるんですよ。
分かり始めたっていうところが、
グラデーション感じゃないですよね。
断絶を感じるんですよ。
全く理解できないっていうのから、
あ、分かってきたっていう。
それはあれですよね。
下手でもスーパーマリオのゲームをやってる人っていう感じがする人っているじゃないですか。
あ、この人はマリオをやってるねっていう。
でも一番最初に全く人間な動きをする、
つまりこの人はマリオでまだ遊び方を全く理解してない方が
いいですよねっていう。
例えば飛び方知らないとかね。
ジャンプをすると思ってないとか。
あるじゃないですか。
お約束みたいなものが世の中にありますよね。
ここは届かないっていうところをただ飛んでてもダメじゃないですか。
ハテナのボックスを出すっていうのがお約束として、
3Dマリオになっても依然としてやっぱありますもんね。
そうだよなって思ったんですよ。
やっぱりあれが出たとき。
あ、そうだよねって。
やっぱこれがマリオをやってるってことだよなっていう感じ。
ただ闇雲にジャンプしまくるとかじゃダメじゃないですか。
ただ闇雲に帽子投げてるだけとかでも。
つまりそれがわかるようになると、
18:03
途端にその行動に集約されていくみたいな感じのがあると思うんですよ。
これを藤山さんは寿司屋に行くっていうのに例えるんです。
これはうまいしずるいなという感じもする。
確かに寿司屋。
寿司屋と精神分析は僕は全然関係ないと思うんで、
言ってるのは要するにお作法の分かってるぞみたいな話だという感じがするんですよね。
やっぱりどうやっても別に構わないわけだけれども、
寿司を銀座とかに行って出てきて、
上に乗ってるネタとご飯を分解して、
ご飯をバラバラにして、
片方に砂糖かけ出すとかは基本ダメじゃないですか。
ダメじゃないんだけど、
それを外国人の人とかがやると思うでしょう。
日本人だったら多分ね。
という、分かってるっていう話ってそういうことだと思う話なんですよね。
これはある程度までは。
精神分析って何とことも分かりにくくできている部分があるわけですよ。
だから僕はフロイトが性にこだわりすぎとか、
わけわかんない気持ち悪い情報が出すぎるとかいうのは、
全然実は関係なくて、
それはもうなんて言うんだろうな。
お寿司屋さんに行って、生魚生臭くてっていうぐらい、
その通りなんだけど、
実際は何の関係もない話がそこで始まっちゃっているっていうのが、
精神分析における、
なんだかよくわからないけど、
ひどい誤解がはびこるようになっているよねっていう。
でもこれは多分精神分析側にもそもそも理由の、
原因の一端は絶対あると思うんですよね。
何かこう、分かりにくくしませんでしたかみたいなのが感じられる。
分かりやすくしたところで、
分かるような感じはあんまりしないんですけど、
それが分かりやすくすらなっていないみたいな、
そんな感じを受けるんですよ、この世界って。
読めば読むほど、
ある種、少なくともまだゲームやったことがない人間が
ゲーム語ってますレベルでも、
それでもね、マリオの動画ずっと見てた人と、
初めてマリオを見る人は違うと思うんですよね。
僕は多分ずっとマリオの動画をやっている人なんですよ。
まだプレイしたことはない。
それはプレイヤーよりは下手だと思うんですけど、
全く何にも分からないっていうこととも違うと思うんですよ。
どうもうまく話せる気はしませんが、
時間を切るっていうのも、なるほどなぁと思ったんですよ。
最初に読んだときの印象とは全く違うんですよね。
時間は確かにそうだ、絶対切るべきだわっていう。
でもなんでって言われると困るんですよね。
21:00
説明できる気がしないんですよ。
一応、ゲキっていうのは上手い比喩だとは思います。
でもあくまでも比喩なんですよね。
でもゲキっていうのは上手い比喩だなと思うんですよ。
あそこに行って、分析家と2人で衝撃をしますっていう状態。
誰も見てないんだけどね。
でも2人でゲキをします。
これは時間で切る理由がはっきりはあるじゃないですか。
とにかく50分のゲキをすると、
ここでやることなんです。
でもキャンセルされても、キャンセルをして、
しかもどうしようもない理由でキャンセルをしても、
絶対大事な商談があってこの日はキャンセルですって言っても、
その分のお金を払うと。
次回分に回すとかそういうことをしないっていうのは、
普通に考えるとちょっとよくわからないじゃないですか。
でもこれは、その日ゲキをしなかったよっていうゲキをします。
みたいな説明になってくる。
つまりゲキは精神分析でそこが不思議なんですけれども、
ゲキはそこら中でしているんだけれども、
そのゲキをするのはその精神分析の場においてだけみたいな。
そういう、たぶんあれはものなんだという、
そういう説明が一番なんていうのかな。
そういう問題を長くて思うと、
ゲキをするのは精神分析の場においてだけみたいな。
そういう説明が一番なんていうのかな。
そういう問題を長くて思うと、
しっくりき始めるんですよね。
僕はやっぱり比喩で、比喩でしかなくてこれは全てね。
僕の知っている世界でこれがやっぱり一番近いなと思うのは、
一つは私の実家のお寺なんですよね。
お寺ってそういうことなんですよ。
時間は切らないし、料金も取らないですけどね。
でも入るでしょ。
お寺に入ってなんかすると。
そこはなんていうんだろう。
普通はそういうことはしないじゃないですか。
なんかね、でっかい霊々しい仏壇に向かって、
なんだかよくわかんないお経みたいな、
お経ですね、お経を唱えると。
お経を唱えて、なんかよくわかんないうちの親父に、
線香とか持ってこられて、なんかやると。
しないですよ。絶対ああいうことは。
普通は。そこら中では。
見たことないでしょ。
街でそういうことやってるとか。
まず普通は見ない。
とにかくそこに入るとするんですよ。
で、出ると、やめるってことになるけど、
残るじゃないですか、なんかね。
だから、行かないというのでも、寺にね。
行かないというのも、毎日毎日毎日朝5時半に
行ってる人が行かないとなると、
なんかそこで起こるわけですよ。
心の中にですよ。
オカルトじゃないんでね。
心の中になんか起こるわけですよ。
こういうことを精神分析っていうのは、
やってるんだろうなっていう感じなんですよね。
で、もう一つタスクシュートなんですよね。
僕がやっぱり。
あれも毎日毎日毎日。
別に私は毎日はやってませんとか、
毎時間やりませんっていう人もいらっしゃって、
全然いいと思うんだけど、
今は僕もそれでいいと思うようになったんだけど。
えーと、まあ僕はやるわけですね。
24:00
ずーっとつけてる。
ある時突然空白が空いたら、
なんか起こるわけですよ。
その時、心の中にですよ。
これも。意識の中にでもいいんだけど。
なんか起こる。
あるいは長い時間。
例えば移動時間。
5時間とか。
うちの妻の実家に行く時とかね。
移動ってなるわけですよ。
5時間ドーン。
なんか起こるんですよ。
こういう効果があるというのは、
つまり、やらないということが、
やることの中に含まれてくるって感じなんですよね。
だから、
私はあれは疑似家族っていう表現を取るしか、
とりあえずできないから、
疑似家族って言うんですけど、
疑似のお母さんに会いに行くと。
何なら分析家は、
本当は男の人でも母親なんだけど、
とりあえず女の人だとしましょう。
分析家に毎日毎日毎日会いに行く。
これ、恋愛感情的なものが始まりますよね。
特に、
その人に対して情緒が動くなら。
感情が動くなら。
好きとは限りませんよ。
嫌いでも、恋愛中ずっと喧嘩している恋愛カップルって、
いるじゃないですか。
明らかにいますよね。
お前らは、
別れたほうがいいんじゃないかと。
ほとんど、夜と騒ぐと喧嘩してるよねっていうような
カップルっているじゃないですか。
つまり、恋愛ってのは、
好きに一遍とってことはまずないじゃないですか。
体験してる人は知ってると思うんだけど、
恋愛で好きに一遍とって考えられないと思うんですよ。
だから、
感情的になればなるほどですね。
毎日ですからね。
今、精神分析で日本で毎日やってる人って、
どのくらいいるのか知りませんけど、
恋愛っていうのは、
感情的になればなるほどですね。
毎日ですからね。
定義上毎日なんですよ。
週に5回会うと。
たとえ1時間だとしても、
週に5回1時間ずつデートするってことも
ほぼ変わらないですよね、これはね。
性的関係はないかもしれないけど、
ほぼ変わらないですよね。
しかもそこでですね、
これは僕は実際に受けたことはないし、
ただ書いてあるだけなんだけど、
書いてあるのを読むと、
特に外国の症例なんかを読むと、
あなたは私を抱きつきたいと思ってますね、
みたいな解釈をする。
解釈なんだけど、
あなたは私を抱きつきたいと思ってますよ。
こういうところに多分、
いいおっぱいとか、
男婚期とかいうのが絡んでるんだろうな、
と思うんですよ。
これを断片的に見ると、
何やってるんだかわけわかんないし、
頭のおかしい、
気持ちの悪い世界だという感じになるのかもしれないけど、
よーくですね、
よーく考えてみると、
私たちっていうのは、
生まれた時に間違いなく
これに近いことをやってたはずなんですよね、
一つには。
よーく考えてみると、
それが気持ち悪いって思う理由が、
何だろうな、
思うようになったの、
どうしてなんだろうっていう。
だって、
例えばお母さんと赤ちゃんがベタベタして、
うわ、気持ち悪いって思う人がいるとするとですね、
よくその人は、
ある種の問題を抱えてる気が、
僕はしますね。
まずそういう反応には普通はならない。
27:00
だからここは面白いところなんですよ。
もし赤ちゃんがお母さんのおっぱいに
すいついてベタベタしてる、
気持ち悪いって思う人がいるとすると、
その人は精神分析になってる気が、
僕はするんです。
これを多少精神分析的っていう風に
僕は感じるわけですよ。
どうして気持ち悪い、
気持ち悪いっていうのは
誰に頼まれたわけじゃないじゃないですか。
そしてみんながそう反応するわけでは
決してないですよね。
可愛いっていう人の方が多そうなんです。
100人中、1000人中にしておこう。
9999人が可愛いないしは、
それほど何も感じないっていうところに
1000人に1人。
気色が悪い、
なんか吐き気がするってなったら
その人は、僕はですけど
心の中に何かがあって
突き動かされてる感じがしますね。
これを精神力動って言うんだと
ややこしい言葉になっちゃってます。
というか固いんですよね、この言葉は。
固いけど、
でもほぼ力がかかってると思うんですよ、
その人。
だって誰に頼まれてもいないし、
気持ち悪いっていうのをその場で言ってしまうと
多分社会的には
どちらかというと立場を悪くしちゃう。
立場を悪くしますよね。
それをですね、
こう考えてみてほしいんですよ。
政治家のおじいさんが
いや気持ち悪いわって言ったら
多分その人は
かなり立場を悪くしますよ。
でもその人の情緒の中で
そういう気持ち悪さが
起こってくるのだとしたら
それはどうしようもないじゃないですか。
観念が先にあったかどうかわからないじゃないですか。
そこに何とか差別があるかどうかは
見ただけじゃ
その現象だけでは
気持ち悪いですよね。
ただ気持ち悪いと思わせるだけの
力が働く。
そうすると
では何歳以上の男の子と
お母さんがそうしていたら
気持ち悪いとみんなが感じるんでしょう
みたいなのに
一定の線はないはずだけど
でも僕らは多分一定の線を感じますよ。
それが
ほぼ成人した男の人だったら
みんながえっと思いますよね。
多分
これはなぜなんですかね。
これは僕は分析的だって思うんですよね。
これは決して
心理学的だって感じはしないんですよ。
精神分析的だなって感じしかしないんですよ。
どうしてそういうふうに
みんなが思うようになったのか
についての説明が
きちんとなされているのは
精神分析の世界だけだなと。
どうしてお父さんと
娘さんではダメなのかとか
そういうことって
ダメだからですってなってますよね。
間違いなく。
それは非常に良くないことなんですね。
なぜですかっていう問いを
立てちゃう人がいるじゃないですか。
世の中に。
こういう話になってくると
生々しく感じるんだけど
そもそもこういうことが
気持ち悪く感じなければいけないんだ
くらいに思われている。
でもそういうことをしてはいけないんです
ということと
そういうことをするのは
気持ち悪いと感じなければいけないんです
30:00
というのははっきり違います。
例えば説当はダメです。
これはもう普通にダメですって
言われると
多分大半の人はそうではないと思うんですよ。
だから
生理的嫌悪感を犯罪に持たねばならない
という決まりは別にないわけですよ。
だってあらゆる犯罪が
生理的嫌悪感と
セットになっているわけでは
全然ないですよね。
覗きとか生理的嫌悪感を
催すかもしれませんけども
ビットコインの捜査とかで
悪質な捜査をしたとかは
別に生理的に嫌悪感は持たない人が
多いと思うんですよ。
とは思うでしょうけれども
だからこの生理的嫌悪感を持つということは
生理的嫌悪感を持つだけの
理由を
作り出されたはずだと思うんですよ。
生まれつき持ってないと思うんですよ。
そういうもの。
赤ちゃんは多分そういう指摘をしない。
乳幼児もしないんじゃないかなと思うんですよね。
どこかの年齢で
学習するんですよ。
でも僕の記憶している限り
あれは気持ち悪いと思いなさいね
とは言われてないんですよね。
だからある種の気持ち悪さ
例えば親の性行とかね
どうして気持ち悪いのか
っていうのを説明する
えっと
なんていうのかな
概念なり解釈なりが
あっていいはずだって
私は思うようになったというか
私自身は何でなのか
っていうのに対する説明ができるようになったんですよ
自分では
自分の親については
なぜ気持ち悪く感じていたのかと
そしたら気持ち悪くなくなったんですよ。
そしたら
一気に世界が広がった気がしたんですよ。
自分が昔
何かにつけて
例えばそうだな
先日
お話ししたところがあるんですけどね
私はある日
床屋さんに行った時に
ある日っていうのは
6歳ぐらいか7歳ぐらいか
もしかすると7歳ぐらいかな
地元のね
四季の床屋さんに行ってたんですよ。
突然ね
髪を切る人がね
女の人にやってもらう
そこは夫婦でやってるところだったんだけど
要するに
奥さんの方にやってもらうはずだったんだけど
忙しくなったら
急遽
要するに
ご主人にやってもらうことになった時に
僕が
すごい覚えてるんですけれども
拒否感
拒否感度が出たんですよ。
嫌だって言ったんですよ。
私は大体
引き分けのいい
過剰にね
引き分けのいい方の子で
そういう時にそういう振る舞いをしないんですよ。
まず。
だからすごい驚いたんですよ。
自分で。
なんでこんなにダダこねちゃってるんだろう自分って
泣き叫んでたんですよ。
この時に僕は
エディプスってものを
かなり把握したんだと思うんですよね。
33:00
感覚的にですよね。
もちろん。
ただあの体験は
多分私のこの
虚勢恐怖っていうものを
最初に知ったタイミングだったの。
最初に自覚した。
多分最初に知ったのはもっとずっと前だと思うんですよ。
遅すぎると思うんですよね。
7歳で。
でも多分あの時に
明瞭にあったんですよね。
虚勢恐怖というもの。
あれは学習したものなんですよ。
ついでに言うとそこは床屋ですよね。
ハサミを使うんですよね。
これが偶然だとか
頭のおかしい解釈だとは思えないんですよ。
やっぱり。
自分の感覚の中で。
もちろん女の人の方が
優しそうでいいっていう男の子はいるでしょう。
でも私の反応は過剰だったんですね。
で、私は
そんな風には思わなかったんですよ。
よくよく考えてみると。
いや、おじさんが来てもおばさんが来ても
そんなの同じでしょうっていう子供だったんですよ。
なのに
いきなり火がついたように。
で、私は人前で火がついたように
めっちゃ内心軽蔑してるような子供だったんで
まず泣かなかったんですよ。
臆病なくせにですね。
4歳ぐらいの時から注射されて泣くことは
一切なかったんですよね。
ああいう振る舞いをする子供っていうのが
非常に嫌いだったんですよね。
非常にそういうところのある子だったんで。
で、7歳ぐらいですから
もう小学生上がった後だったと思うんで
いきなりそんなことで泣く自分っていうのが
非常にもやもやしたんだけど
止まらなかったんですよね。
こういうことに対して
説明ができるようになってから
というものですね。
やっぱり
なんで自分が冗長的に
っていう言い方しかできないんですけど
気持ちの上で
って言ってもいいかな。
気持ちの上で
ある種の出来事に対しては
こうも動揺しやすく
で、ある種の出来事に対しては
こうも気乗りがしないっていうのが
自然にこうね
返応感が上がってくるように
自然に上がってきてしまう。
で、ある種の人と
こうミーティングしたりするのは
すごく前向きになれるみたいなのが
スーッと入っていく。
こういうのは
決して仕事の準備とか
そういうものとは関係ないんだな
っていうのを
思い知っているんですよね。
ずっと分解するとか
全然関係ないんですよ。
本当に関係ない。
見通しとか分解とかに
僕がなかなかこうね
そういうものを求められるんで
それについて
考えていかなきゃなんなくって
考えていくんだけれども
実際になかなか見通しで
なんとかなることは
確かにあるんだけど
それはどうしても
補助的な役割に
収まりがちで
そこをなんとかは
できないんだと思うんですよ。
見通しだけとかでは。
例えば僕は本書きたくて
しょうがない人間だったんで
自費で本出したぐらい
書くときは
36:01
もう飛び荒らんばかりだったわけですね。
ライフハックスって本だけど
だからあれを書くときに
しょうだてとかは
めっちゃ用意したけれども
別に全然いらないわけですよ。
そんなことは内心よく
わかってたわけですよ。
めっちゃ用意するわけですよ。
もう編集さんが
じゃあしょうだてをって言ったら
2秒でしょうだて用意するような
世界の人間だったわけですね。
だからしょうだてとか
自費で本書きたかったの
みたいなところがあったんで
あっという間に書くし
アウトライナーとか当時
全く使う気なかったですしね。
ネタ画とかも一切ないわけですよ。
もうつかれるとかも
全然ないわけですね。
つまりそういうことですよ。
これは。
で、なんでそんなに
本書きたかったのって言われると
僕の断固期なんですよ。
これを断固期と言わないと
困るんですよね。
そういう言葉でもいいですけれども
やっぱり4歳ぐらいの
男の子とされますかね。
これだから発達論と
結びつけちゃいけないんですよ。
僕が最初に本書いたのは
34後の頃だったと思うんで
34後に4歳児の断固期とかって
おかしいじゃないですか。
それは固着なのとかって
つまり発達が停滞してるのって
そういう面もありますよ。
そういう面もあるんだけども
やっぱり違うんですよね。
虚勢恐怖を持たない時代の
虚勢恐怖というものに
つまりハサミのおじさんが
怖いというのとは
無関係のポジションで
自分が何て言えばいいんですかね。
こう生物としての生産性を発揮できる
喜びみたいなものに
直結できた時の
前のめり感と言いますか
見通しの明るさと言いますか
見通しを立てるとかは
いらないんですよ。
なんか目の前から朝日が
昇ってきてる感じが
ぴったり不合してしまうんで
ここでモチベーションを
出すために
タスクを分解しましょう
っていう言葉ほど
この場に間違いなものは
ないわけですね。
朝日が昇ってきてるんだよ
みたいな感じなんですよ。
朝日が昇ってきてるのに
これから朝日を拝むのを
分解しないとやる気が出ない
とか言うんだったら
やんない方がいいだろう
っていう感じしかしないんですよね。
そういうわけなんですよ。
私、仏教が朝日を拝むのは
どうしてもちょっと
おかしいんじゃないかと思うんだけど
父を始めとしてですね
朝の5時台ですよね。
一斉に東の方を向いて
一斉にっていう言葉が
まさにぴったりなんですよ。
100人ぐらい一度に返してますから
朝の5時台ですからね。
まだ通勤前ですよね。
一斉にこう見て
朝日の方に向かって
手を合わせて
あの光景ね
39:01
ああいう感じがあるわけ。
僕はこれは全然
仏教的だとは思いませんけどね。
人間のある種の欲望が
ほとばしってる感じが
むしろある意味しちゃいますけど
欲望とはちょっと違うんだけれども
なんて言うんだろうな。
でもあんまり仏教的な感じが
弱滅しそうっていう雰囲気が
全くしないあの光景はね。
なんか生き生きとしすぎているというか
あれですよね。
だからもし
わかんないですけど
アフリカの方とかで
こうそういうのあるじゃないですか。
あのハンチューノかな。
そういう宗教ありますよね。
朝日に向かって
神を立て祀るみたいな。
あれはユングが
書いてたんじゃなかったかと思う。
あれと同じだと思う。
原則的に心理的には
かなり近いものがあると思う。
僕の場合も今回の時は
まさにそういう感じで
僕は思うんですよね。
生物的にこう
まああれですよ。
ヨンセイジが僕は男の子だぞ
とか言っている。
だからこれを発達の話にすると
そういうなんかですね。
幼くてちょっとこう
おほえましい世界になっちゃうんですけど
そうではなくて
人は結局
発達というよりは
やっぱりこれは場所だと思うんですよね。
何を望んで
それをしようとしているのかと。
僕はやっぱり生産って
こうだったと思うんですよ。
あの時は。
生み出すというですね。
生み出すためには自分は
これしかないんでね。
基本的にはそういうところから
生み出すんですよね。
他の生み出す能力ってものは
私は原始的って意味ですよ。
原始的には欠如しているので
存在してないのでね。
自分の体からは出てこないんで。
まあ体から出てくるとも
なんとなく気持ち悪いじゃないですか。
それはなぜなのかってことなんですよね。
僕はこれは虚勢恐怖だって思ってるんですよ。
この気持ち悪さを。
要するにハサミを取り出されて
めっちゃ嫌じゃないですか。
めっちゃ嫌ですよね。
だから気持ち悪いことに
でもしてあるんじゃないかって思うんですよ。
気持ち悪いから近寄らないから。
生産しないですから。
これをやっちゃうんじゃないかなって思うんですよ。
怖いお兄さんというのかな。
怖いおじさんというのか。
王様みたいな。
それこそ閻魔大王みたいなのが出てくる。
それは罪深いことなんだぞとか
わけわかんないこと言われる。
全然罪深くないのにタブーじゃないですか。
ここ大事だと思うんですよね。
セックスは罪深いのかっていう。
でもセックスは罪だぐらいなことを
聖なる本に書いてあったり
平気でするじゃないですか。
人間たちはなぜこれをやるのかというと
つまりそれは誰かがやるんですよ。
やっぱりね。
勤力か何かのある方の人だと思うんですよね。
だからそういう話をするのって
はばかられるじゃないですかって言われると
42:01
誰がはばかったんだって言いたくなるわけですよ。
で、生産っていうものについて
別に男婚っていう風に考える必要は
全然ないんですけれども。
ファルスとかでも全然いいと思うんですけれどもね。
男女の別は別にここにないんで
本格女性はいっぱいいますからね。
昔からですよしかも。
でも
でもというか
ここで生産ということを言わなくてもいいんだけれども
問題なのはね
虚勢の方だと思うんですよ。
虚勢不安。
つまりやる気が失われるんですよ。
少なくとも。
やる気なんてもんじゃないんですけどね。
だって本格女って言ってる時に
最初はそんなに朝日が昇ってくるところに向かって
よし自分は生み出すぞみたいになっていて
何もいらないわけですよ。
自分がいればここで生み出せるぐらいな
勢いがあった。
勢いなんですよ。
勢いが取り去られるわけじゃないですか。
お前にそんなことを許した覚えはないぞみたいな。
ここに円馬帳があって
お前はこういうダメなところが
先項目に登ってるから
お前の生まれる能力は
取り去ることにするみたいな。
めっちゃ
めっちゃ嫌いじゃないですか。
このめちゃくちゃ嫌な状態に対して
我々はあまりにも恐ろしいと思ったのでですね。
そういうことは
まだ無理なんですということにして
いやいや気持ち悪いから
近寄らないことにするよと。
お父さんとかお母さんになろうなんて
思い上がった考えは捨てますと。
思い上がった考えってのはね
4歳児がお母さんを独占しようって言うんだと
やっぱりちょっと思い上がってるっていうような
言い方もできるって話なんですよね。
これはね。
だから現実はそう簡単じゃないよね
っていう話が
エディフスコンプレックスの
人たちが
エディフスコンプレックスには
つきまとうわ
そういうのは僕らは
もう取り入れてしまうんでね。
取り入れてしまいますよね。
どうしたってね。
これはPSDポジションでの説明でも
いいと思うんですけれども
いやもう
何でもできるからと言って
おっぱいをかじってしまって
つまり先日話した通りですよ。
売りを割るの
女性の人みたいに
私の半分以下じゃないかと
私が全部賄ってるんだろうって言ったら
その人いなくなってしまったみたいな
これ完全にだから
思い上がってるっていうのは
そういうような話なんですよね。
思い上がることがいけないわけじゃないんですよ。
そうじゃなくて
現実っていうものは
そういう風にできてないよね
っていう話なんですよね。
そういう風にできてるなら
つまりまことさんは
不要だって話になるじゃないですか。
でも実際に不要だということになったことに
現実が現れて
空っぽになったのを見ると
その人は落ち込むわけですよね。
つまり不要じゃないわけですよ。
年収以外なのに。
そんなことは僕らは
分かり切ってるつもりでいるんだけれども
45:01
どうしてもやっぱりですね
なんつーんだろうな
単純にナルシズムが
だらくんだと思うんですよね。
私の世界というものが
万能で絶対だって思いたいですよね。
我々としては。
やっぱりそりゃ
本というものもそうで
最初は朝日とともに
書く気満々かもしれないけど
一旦出れば出たで
やっぱり2万部3万部売れて
このお金で
ここが面白いところですよね。
例えば30万部売れて
このお金で
二度と本を書かずに
生きられるようになったら
万能だなって感じを
なんでか知らないけど
入ってくるんですよね。
そういう観念も。
という感じが始まるんですよ。
だからこのエディプスコンプレックス
っていうのは
その言葉が妥当かとか
そういうので説明されても
わかんないんですけど
っていうのは最も妥当なんですよ。
僕もエディプス王とか
ギリシャ神話の話しているんで
だけど結局現実には
何か原則というか
法則があって
あなたは生まれてきたのが
そもそもそっちからでしたから
っていうそこを
考えるのは
原理的におかしいですから
っていうそういう話を
考え始めると
だんだんこう
謙虚になっちゃうわけで
謙虚になると
勢いがなくなるわけですよ。
この辺に現実原則の
難しさというものが
あると思うんですよね。
謙虚になってしまって
わかりました。
私の本そんな売れませんけれども
出させてください
というわけで
7章立てにして
7節に分けると
49項目あって
1項目4ページずつ
粛々と書いていけば
書き上がりますから
みたいな非常に
おとなしい感覚になっていく
わけですよね。
これが僕は不安というものに
彩られていて
だからやる気が出ません
って話は
最初から僕は間違ってるというか
ボタンの掛け違いがあるように
思うんですよね。
この辺の話を
残念なことにと
僕は思うんだけどね。
行動科学とかだと
思いっきりそれを
何て言うんだろうな
こう、間に受けたか
ところから進んでしまう。
いや、本を書いたりして
いろいろと嫌な目にあったから
わっしーですよね。
あるいは本を書いたけど
何にも得られなかった。
取り去られる罰を受けているので
本を書かない習慣が
身につきましたと。
これを何とかするために
これから本を書く習慣を
身につけるために
例えば1日1回ですね
48:01
書いたら
ゲームしていくことにしましょう
とかそういうことによって
書く習慣を身につける
っていうような考え方に
切り替わっていくんですよね。
でもこれは最初に僕の
精神分析的にはですよ
書いた後の話をそもそもしてるじゃ
っていう感じがするんですよ。
虚勢不安というものが
そもそもなければ
その、なんていうのかな
処罰による学習操作自体が
いらなくなるじゃないですか
というか
あるいは違う意味を
持ってくるじゃないですかと。
だから僕はどっちかというとですね
ここをどんなに頑張っても
最初からシュンとしてる部分
欲打つ的な気分で
スタートしてるっていう
自己家綱自体を
何とかしたほうが
幸せにものを書ける
ですよ確実に。
だから
あんまりそっちの方向で
もう話を進めたくはないわけですよね。
何で見通しが立つと
やる気が出るのか、
というとですね
僕はやっぱりそれは
不安というものが
前面に立っている状態とは
全く違うからだろう
そのために、なんとかしたいわけですよ。この分かりにくい文脈を。
何か分かり…なんていうのかな?分かりはしなくても、
やっぱりマリオの動画をまずいっぱい見るというやり方になっちゃうとしてもですね、
見ていたほうがいいような気がするんですよね。
なんかこう、今のままだと闇雲にジャンプをする技術を磨くみたいな感じが私の中ではするわけです。
だから男性も女性もないんですよ、これは。
女性不満というのは僕は男性も女性も全くないと思う。特に今のような時代はそうだと思うんですよね。
男女揃ってディフスコンプレックスというものを抱え込んでいるという感じがするんですよ。
そして思い上がらないように思い上がらないようになっていくというところにばかり意識が回ってしまっていて、
そろそろなんていうんですかね、そろそろもうそれに対して他のビックリ近づく必要って本当にないんじゃないのかっていう感じがするんですよね。
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