2021-09-10 37:32

【GMV 456】気がついたら想定をやめる

想定すること自体が苦しみを生み出すことがある
00:04
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
テイク3になりました。
1回目はですね、昨日の夜。
人によると思いますけれども、これは昨日の夜着たものを朝着るじゃないですか。
で、そうするとですね、昨日の夜の気温と朝の気温が大幅に違うとダメなんですよね。
で、今朝がまさにそういう感じで、私の住んでるところですけど天気がとても良くなりました。やっと。
で、この格好でグッドモーニングボイスを3,40分撮ると、たぶん熱中症っぽくなるなと。
何回かそのパターンにハマったんで、今日は大丈夫かもしれませんけどね。
とりあえず着替えました。
で、それが1回目。
2回目はですね、さっきなんですけど、日付が。
次回のグッドワイブス勉強会の告知を早々にしようと思ったんだけど、日付がよく分からなくなってしまったので、取り直しました。
10月最初、2日かなと思ったんですけど、9日ですね、次回は。
10月9日土曜日にグッドワイブス勉強会の第9回だったと思いますが、やります。
ので、よろしければチェックしておいてください。
あともう一つ告知があって、技術評論者さんの方でね、
私のつい顔色を伺ってしまう私を辞める方法みたいな、
これのタイトルも部分的に間違っている可能性がありますが、
こういう趣旨で、こういうタイトルです。
で、この本ですね、表紙を永田カビさんというイラストレーターさんに、
漫画家さんに書いていただいたんですよ。
っていうのは、本の中で一箇所だけ漫画の引用があって、
私あの漫画のここは、まさにこの内容とピッタリだと思ったんで、
実は永田さんの寂しくてレズ風俗に行きました、だったかな、
というレポっていうエッセイコミックですね。
あの内容がかなり僕は近いと思っていて、
最近こういう話を書きたいんですよね。
私がやりたいことってそうなんですよ。
こういう方々向けじゃないんですけど、
自分の中にあるああいう部分について書いていきたいと思っています。
で、それを菊穂さんがやってくださったという、
私にとっては大変ありがたいことで、
大概私にいただくのはやっぱりそういう方じゃなくて、
佐々木さんやっぱりせめて心理に関係するにしても、
ライフハックで行こうよというのが今のところまだいただく依頼で、
これも当然なのでそっちも書いていきますが、
私が本当に書きたいのはこのちょっと、
精神病部分までは行かないんですけどね、
時々やっぱり神経症的に顔を出す自分の中で、
03:03
検討式がなくなるまでは行かないですよ。
やるかやられるかみたいなところまでは当然行かないんですけれども、
いつまでも乾かない心の小さな傷みたいな問題。
そう小さくもないだろうという。
こういう時にグッドワイブスで蔵園圭祖さんがおっしゃっていた、
悩みに程度はないということを思い出すんですけどね。
そういうのを私はやっていきたいと思って、
それを第1弾に今回になります。
10月13日発売ということになっていますが、
もうちょっと早く入手できるんじゃないかと思いますので、
よろしければ予約とかしていただいてもとてもありがたいです。
今日考えているのはですね、
もっと僕、グッドワイブスの中でも、
ここを徹底しようと最近反省はしないんだけど、
反省したことがありまして、
イリュージョンというのはもっとですね、
もっともっと廃していかなきゃダメだって思っております。
人を指摘するのは本当に良いで、
どこからどう見てもそれはイリュージョンだと。
昨日もそういう話をしましたけどね。
この番組で言うところの妄想分裂ポジションですよ。
ユニコットの表現をとると、
直接コミュニケーションという言い方をするケースが、
特に私たちの日常生活ではありふれているかなと思いますね。
何を言われているのかわかんないけど、
どうも気分が悪くなるっていうような感じになった時には、
だいたい直接コミュニケーションが図られている。
言われている内容ではわからないんですね。
ただし伝えられている内容っていうのがそこにはあるわけです。
例えば、この人の話を聞いているとどうも眠くなると。
なんか非常に退屈だという時に起こっている現象です。
あなた眠くなりますよっていう、
催眠術みたいなのを相手は喋っているわけじゃないですよね。
場合によっては気色満面で聞きとして喋っているんだけど、
こっちは眠くなる。
だいたい向こうもこの話に興味がないんですよね。
これが直接コミュニケーションです。
向こうも退屈している。
そういうのって伝わるってことですね。
東映ドイツ化と言ってもいいですけれども、
もっと幅広い内容を含みます。
こういう時は必ずと言っていいから、
必ずですね、イリュージョンがそこには大量にあるんですよ。
しかもですね、喋っている人はイリュージョンが入っているとは全く思っていないんですよ。
06:05
こういう時こそ、受け手がそのことにイリュージョンが喋られているってわかると、
もうイライラするか退屈になるか、
何にしても言葉でコミュニケートされていることとは関係ないことが伝わってくるんですね。
で、私自身もそれをやっちゃうと、
これをやめなきゃなって思うわけです。
一番今ではありがちなのがですね、
万が一何々になったらどうするのというイリュージョンですね。
これ、そう思っていない時に畳みかけられると、
大概イラっとするじゃないですか。
つまり伝えられている内容と伝わってきているコミュニケートは違ってますよね。
伝えられている内容は万が一、
例えばうちの子が学校に行っている間にコロナがうつっちゃったらどうするのと、
これが伝えられている内容ですけど、
そういうものは伝わらない。
伝わるのはイライラが伝わります。
これはもうかなりわかりやすい方で、
精神病的では決してありませんが、
やっぱり直接コミュニケーションですね。
問題なのが、このイライラ伝われって相手は思っているわけですよ。
無意識にいてもね。
こっちにもちゃんとイライラが伝わっちゃうわけです。
だからこの種の話をすると、
何らイライラする理由はないはずなのに、ないですよね。
どうするのって言われても困るけれども、
この内容それ自体にそれほど腹が立つ要素はないんですが、
実際にこれをやられると結構腹が立つということが多いと思うんですよ。
これが直接コミュニケーションですね。
これもオンパレードになりかねないくらい、
私たちの会話って実は直接コミュニケーションっていうのは、
溢れているんですよ。
だから喋っている方は大体そうは思っていないんです。
それにしてもね。
喋っている方は大体そうは思っていないんです。
この万が一っていうやつは、
大体直接コミュニケーションです。
伝えようとしている内容はそれではありません。
伝えようとしている内容は恐怖だったり不安だったり、
今のもそうでした。
怒りだったり。
例えばそんなにワクチン2回目打つ日に仕事たくさん入れちゃって、
熱が出たらどうするの?
これもそうですよね。
不安を伝えてきて、
熱が出たらどうするのかに対する回答を聞くつもりはないんですよ。
直接コミュニケーションなんです。
で、大丈夫だよとか言う時も少々度性をはらみますよね。
多くの場合。
パッと答えるとそうなります。
こういう時に蔵殿さんがですね、
ゆっくりとか時間をかけるっていうことの意味がですね、
09:00
グッとくるんですよ。
そっか、サッと答えようとするからイラッとしたものが含まれちゃうんだと。
やっているとツクツクと思うんですよね。
サッと答えるのってダメだなと。
時間かけないと。
で、時間かけようとするとそんなことのために時間かけたくないっていう思いが
大概必ず出てくるんですよね。
時間がもったいないとかね。
これもイリュージョンです。
そういうイリュージョンがイリュージョンを投げかけられると
こっち側から上がっていくんですよ。
このやりとりは完全にですね、
直接コミュニケーションのやりとりになっちゃうんです。
基本的に人間であれば避けたいんだけど
とっても多いんですよね、これは。
で、反省させられるわけです。
反省ってのは自分にはもっとやれるなって意味なんだと思います。
自分はもっと現実的に万能なんだと。
万能じゃなくなるのはイリュージョンのせいなんですよ。
万能じゃなくなるのはつまり時間がもったいないというイリュージョンのせいで
時間を使えなくなる。
時間がもったいないんだから
これをじっくりやるわけにはいかない。
つまりじっくりやる自分の能力が封じ込められるんです。
あるいは早くこいつを黙らせたいとかね。
これはちょっと時間の問題とはまた別に
このやりとりに巻き込まれたくない。
巻き込まれずにやりとりすることは可能なんですよ。
巻き込まれたくないというのは一つの恐怖とイリュージョンであって
それによって自分が直接コミュニケーションを受けても
これを要するに精神分析から頑張るわけですけど
直接コミュニケーションを受けても
直接コミュニケーションでは返さないという選択が取れる。
つまり自分の万能が維持できるんです。
万能感ではないですよ。
万能が維持できるんですよね。
自分が必要あるいは自由に
対応できるっていうので対応すればいいわけです。
その対処能力というものを使えばいいわけですね。
しかし封じ込められると
スパッと馬声を相手に浴びせる。
うるさい黙れみたいなね。
これがつまり万能を失った時の
私たちの一段と、なんていうんですかね。
価値マックスであるんだけれども
価値マックスじゃない自分で
その場を乗り切ろうとする。
必ず出てくるのがイリュージョンであって
でも一つが思考が万能だという
その間違った感覚なんですよ。
思考が万能になっちゃうんですね。
例えばどういう思考かというと
これイリュージョンと全く同じなんですが
これで時間を節約できるという思考ですよね。
そんなことはできないように現実には。
つまり万能である現実には
もっと違うやり方ができるんですけれども
思考の万能感を使うんですね。
時間を節約するという
12:00
脳内だけでできることをやりだすんですね。
あるいは相手を黙らせると
自分がスッキリするという思考です。
そういう思考絶対働いてますよね。
これも実際にはそういう風にはならないのに
頭の中ではそう確実になるような感じがすると。
そう確実になるような感じが
頭の中でするということは
それは妄想なんですよ。
思考が万能だというのはまさに妄想なんで。
私たちはその妄想に捉えられるとき
必ずやっていることが
多少不安になっている。少なくとも。
恐怖に襲われているケースも
場合によってはあって
思考は万能であるという
信念に基づいて
現実の自分はそうではないという
考え方にはまっていて
そしてこの解釈以外はありえないという
解釈を思考が自分に共有している感じがするんです。
こいつを黙らせるに限る
時間がもったいないから
完全に思考だけの話なんですけれども
現実はそうなってないんですけれども
現実がそうなっていると
思い込んでしまうと。
これ、昨日、おとといあたりに
お話していたのと
実は全く同じことなんですよ。
万が一
コロナになったらと
言っているときにはすでに
コロナになることになっているんですよね。
思考の中で。パーセンテージとともに。
そんな現実はないわけじゃないですか。
なってないんだから。
この言い方通らないですよね。
この議論が始まったときには。
もう、なったらという話をしているんだ
ということを投げかけられてきますよね。
つまり
この議論がなされているのではないんですよね。
一緒に同じ気持ちになれと
そう言われているわけです。
直接コミュニケーションをさせられているわけですよね。
こういうことは
ありとあらゆる
ケースについて当てはまると思うんですね。
このクレームメールには
お前の家を爆破すると書いてあると。
これ聞くとね
これを信じる奴は
頭がおかしいと思うんですが
そういう人でも平気で
万が一コロナにかかったらって
言うんですよ。
同じことをやるんですよね。
その確率の改善性が高いとか低いって話じゃないですよ。
起きてないことが起きてることにしちゃうんですよね。
言葉ってそういう機能を持っちゃうんで
起きていない段階で
起きたらの話をしているんだ
ということに現実性を持たせるなら
どんな言葉だって
成り立つんですよ。
このメールには爆破予告があるんだと。
それはされないことは私も分かっているが
万が一されたらどうするんだ
これを言う人の頭の中は
少しおかしい感じがするのに
これがコロナになると
全然おかしくないと
私たちは思うんですよね。
でも私は全く同じだと思うんです。
えーと
15:00
別に
私は政治の話に察さる興味はありませんけど
今怒られている
辞めなきゃなんなくなった
政治家が怒られているケースも
いくつかはこれですよね。
想定できていなかったということは
問題だと。
あれはですね
メールに書いてある爆破予告を
真に受けなかったら問題だと
考えているのと大して変わらないと思うんですよ。
読めるっていう
思い込みがあるんですよね。
読めるっていうのは頭で読むんでしょう。
現実にそれが起きているかどうかは
問題じゃないということですよね。
で、最悪の事態よ
って言った時に最悪ってのは
人の数だけあるはずですよ。
こっちが最悪
っていうことをどこかの線を
決めたとしても
それより悪いことを想定することは
誰にだってできるわけですから。
非常に極端な
ケースを取ればですね、相当
悪いものを想定していなければ
最悪とは言えないはずですが
人が考える最悪なら
そういう意味じゃないですよね。
で、この想定ってのは
必ず自分ならできるっていう
思いがどこかにある分
ある分だけね
妄想というものがその人の中で
ちゃんと働くっていう意味になる
はずなんです。
これがどれほど確率が
高いことであったとしても
起きてない段階から起きてることだ
って思うっていうことは
思考を現実よりも
強いものだと思ってるってことです。
思考が現実と
ほぼ同じ意味になるとか
思考が現実と
ほとんど同じリアリティを持つとか
全部同じです。
精神病的部分の働きだと
言ってもいいと思うんですよね。
思考の万能感とか
もうちょっと表現を強めると
魔術的思考っていう言い方を
精神分析ではとるんですけど
全くそうだと思うんですよ。
魔術的思考なんですよ。
いずれにしても
確率の高さみたいなものを
確率を
測ってるわけではないと思うんです。
確率を正確に測ってるって言うなら
まだ少しは違ってくると思うんですけど
多分万が一
コロナにかかったらと言ってる人が
言ってるのはテレビで
そういう光景を見たとかね
ほとんどそれだと思うんですよ。
爆破予告みたいなの
そうですよ。多分ですが
イスラエルとか分かりませんけれども
中東とかアメリカとかの
昔の歴史の
爆破のシーンを見た後だと
爆破のメールを
持つ
リアリティというものが
その人の中で上がるんですよね。
これっておかしな話ですよね。どう考えたって
確率は全く変わってないですよね。
ただその人が
そのような光景を見たと
あるいは新聞の
なんでしょうね
昔の新聞って
でっかい事件でも
基本的に白黒だったんですけれども
たまーに
あまりにもでかい事件の場合カラーになるんですよ。
カラーで見たとかね
18:00
私カラーで見たことを
今でもはっきり覚えてるのはチャレンジャー号が
爆発しちゃったとき
なんですよね。あれカラーだったんですよ。
ああいうことによって
その人の中でそれが起こる可能性
これは
必ずしも精神分析の話じゃなくて
認知心理学に
利用可能性ヒューリスティックという言葉があるんですが
頭の中は
利用しやすい光景が
思い浮かべられるほど
それが実現する確率が高いと思い込むという
これ全くおかしな話ですよね。
この人が何を思い出しやすいかによって
そのことが起きる可能性が
高かったり低かったり
するように思えるんですよ。
しないはずですよね。そのようなことは。
いずれにしても想定する
ということをやると
それがイリュージョンなんですよね。
想定ってイリュージョンです。
起きてないことを頭に思い浮かべるわけですから。
これを一般的にどう言うかも
わかんないし
私はそれを一般的にどうするべきかも
言わないつもりですけど
自分自身の習慣としては
これがさっきの反省点なんですけど
3時間で線を引こうと
最近は思ってやってます。
3時間以降のことは
絶対想定しない。
だから万が一コロナにかかったら
絶対できないんですよ。
3時間よりは先の話ですから。
これを想定する
ということに
多分何の得もない。
私たちはこれを想定しないことが
怖いとでも思うんですよね。
私はかなり長いこと
そう思ってました。怖いんだと。
でもことを
夫婦に関する限り
脳内で想定することは一切やめてみて
わかったのは
これをやめるということと
これをやるということの間に
少なくとも私が
不利益をこむる可能性については
何にも変わらない。
全く変わってないんですよ。
考えてみれば
脳内で想定したからといって
不利益を減らすことが
できるはずはないんですよね。
脳内で想定を
することによって
相手が不機嫌になるだろう
不機嫌になったらこう言おう
やった通りのことが起きたとしても
私にとっては
それは不利益ですよ。
やった通りのことが起きたかったとしたら
想定した分だけ損ですよね。
どうしてもそういう行動になっているんだけれども
それでも私たちは
これをやるほうが安心だ
って思う変な癖が
ついている。
変な癖というのは
思考が万能だという
多分これはですね
学校とか
小学生とか親とかに
教わったことの相対なんで
人生の中で
逆転させていかない
行くしかないんだろうなと思います。
これに気づいてすぐやめる
という習慣を
習慣化ってのは
以前に比べると
非常に弱いものだと思うようになっているんですけど
21:00
それでも
習慣化ということによってですね
思考が万能なんじゃなくて
思考は全然万能じゃなくて
リアルに自分が万能なんだ
って思って生きていかないと
永遠にこれを繰り返させられなきゃ
ならない。
ずっと想定して
全部悪いことですよ。
それが起きなかったら想定した分損をして
それが起きたら
起きた通りに損をすると
これをずっと繰り返して
しかも自分ができることを
封じられていくっていうのを
一心に引き受けなきゃならない。
このことをやっぱり
思い出さないといけないなと
他人のだと本当に分かりやすい。
精神分析とかカウンセリングでは
実例って出てくるんですね。
ケーススタリーって言いますが
妄想ばっかり当然じゃないですか。
当然のように
自分自身は妄想している。
先日も
書いたんですけれども
グッドバイオスファクトリーという
オンラインコミュニティの方に書いたんですけど
昨日かな
やっぱり強い
妄想なんですね。
セッションというべきか
精神分析
連続して
患者さんを見るという場合に
3分遅刻したと
なんで3分遅刻したのか
ということについて
相手の患者さんが言うには
私には確信があると
あなたは前の方の人を気に入っているんだと
こういうことは
ものすごく頻繁に起こることなんですよ。
あなたが遅刻したのは
前の人の話が好きなんでしょうと
私のことは嫌なんでしょうと
間違いなく妄想だって
本人以外には分かるんですけど
本人は絶対に
信じてなんですよ。
これがイリュージョンなんだけど
私たちは何かを想定するとき
これと多分同じ思考回路に
入ってるんですよね
メールが来たと
このクレームメールの人が
何か私に害を加えようとしていると
爆破予告でいいですよ
はっきり言って
で、爆破予告をされたらどうしようって
考えるのと何にも変わらない
構造があるんですよ
そうは思わないんですよね
自分の妄想のときは
もっと遥かに真っ当なことを
喋ってるつもりになっております
全くどれも同じのはずですよね
特に万が一と想定
って言葉が出てきたときは
私は国中で今やってるのだって
妄想まみれのような感じが
します。でも
誰もそうは言わないし
極めて真っ当じゃないですか。感じとしては
記者会見が
行われて、新聞に書いていかれて
指揮者というところで
テレビで
喋ると。全部すごく
仕事って感じですよね。全部
妄想っていう感じがしないではない
ですけどね。構造上から考えれば
ぱっと見はそういう感じは
しませんよ。さすがに
24:00
3分遅れてきたのは
あなたが前の人を気に入ってて私のことが
嫌だからだっていうのと
私はレベルは大して変わらない
と思うんだけど、なぜかそうは
見えませんけどね。ちゃんと背広を着て
肩書きを持ってる人が
喋ってる。でもあれば
構造は変わらないと思います。
現実に
起こってもいないことについて
推定に推定に推定を
重ねて何々をしなければならない
それができてないのはこうだ
そうするとこういうことが起こる
っていうのは全部
確率とは関係のないところで
喋られているという
気がしますね。で
こういう話が別にしたい
わけではないんですよ。私が言いたいのは
ただ一見
それらしい妄想と一見それらしくない
妄想とがありますが
多分どっちも全く変わらないし
見る人が見ると
どっちも同じように見えるっていうことです
ただその人
喋ってる人だけは絶対そうは思わない
というのもこの種の
話の
一つの共通した特徴
だとは思います
だから
その3分遅れてきたと
5分でも1分でも
もういいと思います。その人にとっては
それは事実なんですね
そこには当然
恐怖があります
会いたくもないなと思われていながら
私のところにやや
会いに来て先生はいると
思うのは大変屈辱的だ
という恐怖感があって
その恐怖感に耐えるぐらい
ならばこの先生は
前の人が
本当に好きなんだと思いたい
だからこのような
もうカウンセリングは意味がないからやめる
と至って本人の中では
真っ当な判断なんですよ
これは
だけれどもイリュージョンなんですよ
なぜならば
恐怖によって推定したことで
しかないですからね
という想定が成り立つならば
こういう解釈も成り立つ
っていう話のはずなんですよ
事実はただ3分遅れてきた
というただそれだけなんだけど
これを自分の解釈と
切り離すことができない
つまり見えている部分と
見えてない部分とか本当はあるはずで
見えてない部分は
イリュージョンが埋めてくれているんですが
そこを無視する
あるいは全く違う
解釈も可能だということも
無視する
そうしないと耐えられなくなるから
無視するっていうそういう流れなんだ
と思います
そしてその時に必ず私たちのやり取りは
直接コミュニケーション的になると
相手が
相手を
自分と全く同じ気持ちにするまでは
やめない
そうすると相手はいつか全く
自分と同じとっても嫌な気持ちになります
これが
直接コミュニケーション
タスクシュートという話
27:01
いきなりになりますが
私タスクシュートで
一番今避けようとしているのが
想定なんです
3時間までは自分に許容しています
3時間および
区切りまでの許容
っていうのを作っています
例えば午前中とか
午前中まで3時間まで
ないし午前中が1時間で終わるなら
1時間しかも許容は許さない
だから最大延長が
3時間であり
ないしは区切りできる
だから午後の想定は絶対しないということです
何が起きるか分からないんですからね
何が起きるか分からないということを
僕らは定欲無視するんですよ
定欲と言うべきなのかな
とにかく無視するんですよ
何が起きるか分かっている
ってことにしちゃうんですね
さっきのもそうですよね
3分間先生が遅刻してきたのは
相手のことが気に入っているということを
私は分かっているって言ってるんですよ
これについての時は
私たちは必ずと言っていいぐらい
この人はちょっと状況変えてる
って言うんだけど
自分が分かっている時は
自分は全く正気だって言うんですよ
これを狂気って言うんだと
やっぱ思うんですよね
私は
書き上げ宿というのを
プラズノケイゾさんとやってるんですけど
野で殻を封じる
っていうのは
つまりそういうことだと思うんですよね
先生は3分間遅刻してきたから
私を嫌っている
って本人の中では
完璧なんですよ
これで
万が一子供が
コロナにかかってはいけないから
給食は食べさせずに早退させる
完璧じゃないですか
妄想なんですよ
想定している
万が一のことを喋っている
未来のことを喋っている
勝手に因果で結んでいる
この4つは完全に妄想です
これを取ってしまうと
自分が言っていることは成り立たなくなるんですよ
他人に対しては
私たちが
それをやるんですよね
タスク修道を使っていると
つくづくやるなと思います
確実にこうなる気がする
5、6時間後に平気でやります
でもそうはならなかったことは
ありますからね
地震が来た日もそうでしたし
ありますよ
いっぱいあるんです
100%こうなる
これも何度も繰り返し
思っていますが渋谷で
地震に遭遇した時
間違いなく夕方の3時
夕方ではないかな
3時には打ち合わせ
すごい大事な打ち合わせだったんです
当時としてはね
だから3時までには
尾橋さんとお話ししていたんですけれども
切り上げて
いかなければいけない
仕方がない高縄にいかなければいけない
亡くなっちゃいましたからね
100%だと思っていました
ないですよね考えてみれば
でも100%だと思っていました
だから
2時30分には切り上げて
30:01
3時には白金高縄に
行くだろう
それを思っていたのは2時
ちょっと前ぐらいの話ですからね
1時ぐらいかな
2時間ぐらいの先の話じゃないですか
その想定すらデタラメなんですよ
デタラメですもんね
亡くなっちゃったんだから
それは特殊事情じゃないかと言われるかもしれませんけれども
そんなことは関係ないですよね
特殊かどうかなどということは
私は関係ないと思うんですよね
この場合
自分が100%これが現実になると
思っていたその現実が
ならなかったんだから
それはやっぱり空想なんですよ
そしてそのような空想はなぜできたか
思考が万能だと思い込んでいるからですよね
3時間以降のことというのを
想定しないという習慣を
身につけるというか
いかに自分が
想定している
現実というものに
よっかかってしまって
それと現実
リアルに起きていることを
比較するということを頻繁にやるか
この時間はこれをやっていた方が
得だったとか
これをやってしまったから損をしたとか
嘘ばっかりですよ
私もやっていることは何ら
3分間先生が遅刻したのはと言っている人と
変わらないんですよ
1コロナにかかったらと言うのと変わらないんですよね
同じことをやってしまう
これをやっている限りは
いつまで経っても
自分はこの妄想をしては
その分損をするか
妄想をした通りになって損をするか
というパターンから抜け出せないんだな
という風に
反省したんです
これをやっている限り時間が惜しいとか
訳の分からないことを言っては
それを理由に
自分の能力を
封じ込めようとする
非常に不思議な面があるんですけどね
自分で自分の手足を縛って
何が嬉しいのかというのが
難しいんですけど
そういうことがあるんです
脳内で考えている方が
気持ちよくて優秀だと
思い込んじゃっているせいなんですよね
これは
ので
のでじゃないんですけれども
こういうことを
やめていくためには
2つしかない
2つがまず何よりもかなと思って
3時間までは許容しようと
あるいは午前中いっぱいぐらいまで
そこまでは許容しようと
これが1点ですよね
2点目が来週
これは倉園さんにトップダウンを
僕が言うのはよくないって話だと
つまり予告したことをしゃべらないで
平気で言いますからね
でも2つ目が
記録したことに
勝手に評価をつけないという
もう1回したいかなという風に
思っています
タスクマというツールを僕が使っていて
丸か×かがつけられるんですけど
基本丸しかつけない
丸しかつけるべきではないと思うから
丸しかつけないんですが
そもそも丸×があるべきではやっぱり
ないだろうなとは思っていますけれども
逆にですね
33:01
逆に言ってもいいんですが
ここにあるタスクは大事なことが書いたよ
っていう印として×つけるんですけどね
×僕めったにつけないんで
×を抽出できるように×つけていくんですけれども
まあでも
去年1年間×ゼロだったんで
これも同じ意味なんですよ
自分の行動に満足が
いってるとかいってないという話を
しているわけでは
僕はないつもりなんですよね
比較できるはずがないという
ただそれだけなんです
比較できると思っているわけですよ
コロナにかかった
場合と
死ななかった場合の比較ができ
これをしているわけじゃないですか
皆さん
この首相じゃなければ
死なずに済んだのに
だからこの首相は許せない
みたいなそういう論点が
成立しちゃってますよね
私はそういうのが
政治だと言われれば
私に反論は難しいんですが
そんな
仮定は少なくとも
仮定でしかないと思うんですよね
そしてそれについて
本当に
良し悪しをそんなに明瞭に
言えるのかどうかっていうのが
どうしても引っかかります
これは
もちろん常識的に
少なくともそういう
想定は私はしないですけど
常識的に例えば病気と
病気じゃなければ病気じゃない方が
いいという風には思います
ただこれは言うほど
簡単に判断できる話ではないんです
私は
アトピー持ちだったので
よくわかります
アトピーにかかることを想定しておくことと
想定せずにおくことは
かかるんだったとしても
想定しない方がいい
かかんないんだったら
絶対想定しない方がいいです
こういうことが病気には
あると思うんですね
だから当然
なれば
社会常識的に
病気の毒だというのは
当然なんですけれども
何であってもですね
でも
この話って
それになるということは
大変
ネガティブなことだと
いう風に
かかってもいない段階で
決めてしまうと
すごくそういう
状態になってもならなくても
ネガティブなことになります
こういう
心身症の一種なんですよ
私の皮膚病は完全に心身症の一種です
こういうものというのは
例えば
全く肌に
問題がないとしても
自分がアトピーだと思っていたらアトピーなんです
このことは
すごく伝えにくい部分が
ありますけれども
さっきの妄想と同じなんですよ
病気みたいなところがある病気って
一部あるんですよ
36:01
もしかするとそれは
かなり広範囲なんじゃないかという気も
しなくはないんですよ
因果関係というものは
多分この種のことには
まず言えないので
本当にやめておいた方がいいと思うんですよね
僕はこれをやめただけで
治ったんですから
だってよく
考えてみればそうなると思うんですよね
肌が
どこが痒くなるのか
いつ痒くなるのか
いつどういう風に荒れてくるのかは
想定できないんですから結局
ってことは
自分はアトピーなんだと思っている限り
一箇所もアトピーじゃなくたって
アトピーだと思うしかないじゃないですか
怖いでしょ
次の瞬間にはもう出てくるかもしれないんですから
潜在的なアトピーってのは
自分がアトピーだっていうのと同じことですよね
だから
想定するっていうことは
変なことなんですよね
想定した段階で
それになってるようなもの
結局だからどんなに恐ろしいと思えても
想定しない
想定しないということが
治るってことなんでこの場合
想定したらなっちゃうって
変だと思われるかもしれないんですけど
それは客観的に
これが決まると思われてるからなんですよ
なってる人間にしてみれば
主観的にしか決まらないんです
だって痒いかどうか
主観的にしかわからないわけですからね
赤くなってるから痒いんじゃないんですよ
37:32

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