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2024-03-26 41:34

タスクシュートでやらざるを得ないリストを作る意味【GMV 954】

食事だのトイレだのお風呂だのに何の意味があるかというと?

サマリー

タスクシュート手帳のセミナーのお知らせがあり、タスクリストの書き出しの意味が考えられています。プロジェクトAを進めるための約束や洗い出したことをやらない自分に嫌気がさす話が展開されています。タスクシュートの効果やリスト化することによる意味について詳しく語られています。タスクシュートは、タスク項目を記録し、開始時刻と終了時刻を書いて、自己観察を通じて新たな発見ができるメソッドです。自責の念や自己嫌悪を避けつつ、日常的に一周する行動を取ることが重要と述べられています。やりもしないリストをたくさん作るとそこで止まってしまうので、必ずやることだけをピックアップすることが重要です。

00:05
おはようございます、グッドモーニングボイスです。
3月26日火曜日、朝8時46分ですね。
昨日はですね、あっさり落としてしまったんですけど、いよいよ春休みというのが始まりまして、
時間が狂うわけですね。そして、その一環でやっぱりやったりやらなくなったりが増える。
これ多分学校が始まると、前もこういう話しましたけれども、規則正しい生活に嫌でも大でもなるので、
ここで取れるといった感じになりますね。
お知らせは今のところちょっと近々ではあまり思いつかないんですけど、
ちょっとこの話を今日はしますけど、先送りゼロが大変好評でですね、
呼ぶように売れてるというふうではないんだけど、好評いただいていまして大変ありがとうございます。
4月にもまた、家松崎さんといろいろ企画を打っていこうと思っているんですけれども、
タスクシュート手帳のセミナー
今ね、タスクシュート手帳のセミナーも控えていて、これがありますね。
4月の7日に、これは割と即ですね、タスクシュート手帳がありますので、
まずこれをですね、できれば何らかの形で皆さんにお披露目したいので、なるべく多くの方にご参加いただけるとすごく嬉しい。
そんなにお高い設定ではないですので、アルファ版の手帳のややアルファセミナー的なところがありますので、
あれですね、タスクシュート手帳というものでも果たしてタスクシュートの効能が出るのかといったところを、
皆さんで参加している方でも交えて検証していただくといった感じの、
だからそのいわゆるアーリーアダプター的な世界でもあるわけですね。
手帳好きの方にお越しいただければと思っています。
タスクシュートというのは私自身は割とものすごい最初期の、早々期のユーザーで、
その効能がですね、1日2日3日のうちに出たというので、普通そういうことってなかなかないじゃないですか。
使ってすぐに効果が発揮される、そういうような。
それがあったから、そしてそういうふうにして広まっていったところがあるんですね。
なんといっても効果が上がるよねっていう。
どうしてなのかっていうことよりもまず先に効果が上がるって実感が早い。
早くその効果が実感できるっていうのが売りだったところがあるんですよ。
これがタスクシュートのExcel版でも出るし、それこそiPhoneのタスクマでもタスクシュートクラウドを
J松崎さんがクラウド版で開発してくださいましたけども、やっぱり出るといったところから広がっていったので、
たぶん神は最後の鳥でなんですよね、なんでしょうねきっとね。
そういうところをみんなで早々期のメンバーになっていただければいいかなと。
そういった催しになります。4月7日ですね。
合わせてですね、合わせてお知らせはないか。
そういうわけで今公表いただいていて、ちょっとね、また改めて僕は何でもかんでもすぐ考えてしまう立ちなんで。
考えさせられているのが、この先送りゼロは所属が良かったということはもちろんあるにせよですね。
ぶっ飛んで所属が良いとかそういうことではないんですよ。
ただ実感させられるのが、レーティングが良い、Amazonレビューとか評価がひどく良いという、
そしてものすごく好意的に受け止められているなっていうのはありがたいことに実感させられているんですけれども、
かつて私が書いた内容とそんなにこれは違うかっていうと、
私がタスクシュートでこれまで書いてきた本がいくつかあるわけですけれども、
ここまで公表いただいたことはかつてはなかったですよね。
で、内容ちょっとちょいちょいチェックしてみているわけですよ最近。
タスクシュートの本じゃないですけど、先送りをテーマとした例のあれですね。
先延ばしを先送りせず、今すぐやる人になる50の方法と見比べてみても、
言ってることがそんなに違うかというとそんなには違わないように見えるんですよ。
でもレーティングはえらい違うんですよね。最初の段階でもう51もレートがついている上に4.6ですからね。
星1は一つもないという、私の本ではなかなかちょっとない光景でして、
これはもう一人のジェームス・サキさんの人読によるものなのかわかりませんが、
ちょっと考えさせられる事象ではあるわけですね。
そして考えているところなんですね。
で、読んでみると、いやそんなに違うことが書かれているように僕には読めないので、
これは一体どうしてこういう違いを生むんだろうというのは、
著者としてやっぱり気になるわけですね。
で、一つまず考えるのはですね、タスクシュートというものの表現の仕方の違いはありますよね。
今回非常にJ3流に表現してもらった。
これは私流に表現するのとは確かに間違いなく違う。
3つだけとか1分着手っていう、割と新しめのコンセプトも効いてるとは思いますが、
そもそもそれ自体が私の発案ではないってこともあるんだけど、
多分それだけじゃないだろうなって感じがするんですね。
リストアップ問題と幻想
で、つくづくですね、リストアップ問題というのかな。
私たちがですね、リストアップというものについて、つまりタスクリストを書き出すってやつですけれども、
これはいわゆるゲッティング・シングス・ダウン、ストレスフリーの仕事術のGTDから永遠に続いてきている、
紙に書き出す、紙じゃなくてもいいんですけど、要するに書き出す、
何らかの形でたとえ1日3つ、1分着手でも書くことはあるわけですよ。
で、書くことに対する私たちの何と言いますか、
ある種の幻想みたいなものがそもそもあるんだなっていうのを、
今回の公表を見ながらですね、考えているところなんですね。
幻想と言いますか、何と言ったらいいんですかね。
まあ難しいんですけれども、あるんですね。
何があるかというと、例えばGTDでも、
これは手法にやや批判的なことを言うようになっちゃうんですけど、そういうわけではなくてね。
GTDだけではないんですけどね、このことを言うのも。
書き出すと頭が空っぽになるってあれあるじゃないですか。
でも私あれ読んだ時から、何を言いたいのかは何となくわかるんだけど、
全くこう、何て言うんですかね、実態と関係のない表現になるっていうのは気にはしてたんですよ。
私自身もそういうことを書いたんで、決してこれでGTDを何回言ったりはできないし、
そういうつもりは全然ないんですが、つまり書き出したからって頭空っぽになったら困るじゃないですか。
書き出したら頭空っぽになっちゃったっていうんじゃ困ると思うんですね。
書き出したからって頭空っぽにはならないわけですよ。
普通に、例えば書いた内容が頭から消えるかっていうと、消えやしないわけですよね。
私がこれからGTDを撮りますって紙に書いてあって、
もうGTDって何だか分かりもしないよってことは起こらないじゃないですか。
起こってもまた良くないですよね。
つまりこれは、単が軽くなるっていう話をしているのであって、
その比喩なんですよね、頭が空っぽになるというのは。
頭空っぽになった絵とかも平気で描いちゃいますけれども、
僕絵描けないから、それはイラストレーターさんに起こしていただくんだけど、
結局そういう絵まで描いちゃうわけですよ。
空っぽになったよ、みたいなね。
空っぽになってしかもみっこりしてるわけですよ。
つまり空っぽにしたいってことなんですよね。
ここはすごく僕はですね、やっぱ考えさせられるんですよ、それこそ。
まず我々はどうして頭の中を、自分で考え出した思考以外にギチギチになる理由何もないじゃないですか。
実際は自分が考え出した思考というものは頭の中にはないんだけれども、
頭の中にあるのは脳みそとか血流とか神経伝達物質とかだけなんですよ。
電気信号とかね。
頭の中にタスクとかがあるわけじゃないんですよね。
あれも比喩なわけですよ。
そういう、あれですね、脳科学者のモギさんがおっしゃったところのクオリアですよね。
このクオリアが負担になるってことなんですよ。
この負担を取り除くとすっきりすると。
ここを刺して頭が空っぽになるとか、武道家の心構えとか、水のように透き通ったなんとかとかね、出てくるわけですね。
あれはあの、なんだっけ。
昔、剣道の流派にありましたよね。
明教止水派とかそういう止水流とか。
そういうやつですよ。
禅的な言い方ですよね。
で、でですね。
まあそれはいいんですよ。
書き出すことと努力の問題
この話とアレゴリーっていうのかな。
比喩は、どこまでも比喩なんですけれども。
書き出すと空っぽになるっていうのは要するに覚えておく、覚えておかなきゃという心理的緊張がいくらか緩和されるという話をしているに過ぎなくて。
それを徹底してやるとずいぶんそれだけでも心の負担は軽くなるよねと。
で、ビットアレンさんが徹底したところは何といってもそこだと思うんですね。
で、我々もリストを作るわけだから、そういう行動が例えば3つだろうと1つだろうと、ゼロにはならないと思うんですね。
ただ、ここで言う話って、私たちはそれだけを望んでるわけじゃないですよね。
もちろんそれ自体を望むっていう場合には、それはそれなりに1つ効果があるんでしょうけど。
ただそれだけを望むのであればですね、2時間もかけて膨大なリストを作り出す必要はないと思うんですよ、やっぱりね。
気になってるちょっといくつかの約束ごとを書いとけばいいわけですよ、手帳にでも。
それでは元の方法に戻っちゃうので、デビットアレンさんはすごくそこを徹底してやるんだっていうことを、
実はどれほどザンムみたいなものが自分たちの心理的負担になっているかということをですね、
だからストレスフリーの仕事実なんだけど、そのことをすごく強調されたわけです。
そしてそれがすごくまたヒットしたところを見ると、やっぱりそういう意識で苦しんでいたっていう人が当時ですね、
だいぶ前ですよあれは、2000年頃なんですよ、にはたくさんいらっしゃったっていうことを意味してるんだと。
そして今もはっきり言って事業は多分そんなに変わらないんだと思うんですね。
私は今回の本で割とヒットしたのがですね、自責っていうキーワードだったと思うんですね。
書き出すのはいいんだけど、そんなに書き出したやつ全部できないじゃないですか。
2時間もかけて膨大に書き出しちゃったらですね、書き出せばいいって問題は本当はないわけで、
書き出せばいい部分っていうのはつまり忘れてすっぽかすとか、そういう不安はこれによって解消されるのは確実。
確実じゃないかもしれないけど、僕に言わせるとね、スマホにも入れといてリマインダーかければ確実になります。
だからここに何時に来いとか言われてるのを忘れないとかいうことであれば、この方法で確実です。
ただそれだったら僕は、人にもよるかもしれませんけど、それだったら2時間もかけることはないかなって感じがするわけですよね。
この次の問題に入ってくるわけです。
どうしても書き出すってことをやってしまったら書き出しただけじゃ終わらない。
書き出したことをやんなきゃならないという、ここで自責って話も出てくるし先送りって話にも見えてくるっていうのかな。
もともとある問題なんですよこれは。
ただ書き出すことによってどうしたってそれに直面させられなければならなくなる。
いうのが2つ目の問題なんですね。
1つ目は忘れてしまうのが怖いって話だったわけですね。
でもこれで書き出してリマインドもセットしましたから忘れなくなりました。
次にその約束を果たす努力をしなければならないっていう問題に移ってくるわけですよ。
約束を覚えてます。
プロジェクトAが4月の30日に締めたのが分かりました。
これで4月の30日のプロジェクトAをすっぽかすのは避けられるようになりましたけど、
その日まで何もしませんでした。ではいけないわけですよ。
タスクシュートの効果と洗い出したことへの取り組み
プロジェクトAを進めなければ今度はいけないという約束を果たさなければいけないっていう話ね。
そっちに移っていくわけですね。
ここで今日も明日も明後日も先送りしますとか、書き出したはいいけれどもやらない自分に嫌気がさします。
これが自的の念ですね。自己嫌悪ってやつですね。
こっちに話が今回の本先送りゼロは当然ほとんどのフォーカスはこっちに当たってます。
これから洗い出す書き出すっていう方のフォーカスはほとんどスルーしているわけですね。
単純に言うと皆さんもすでにリスト持ってますよねってことなんですよ。
何もここにいちいちいろいろ追記していかなくたって問題なのはそのリストの上に残っていて、
やらなきゃいけないことは明らかなんだけどやろうとしないその問題ですよねっていう話を多分したんだと。
私は考えてみると自分がビジネス書で書いてきたことの大半はこれなんですよ。
だから今回の本と今までの本とで何がそんなに違って響くんだろうっていうのは考えさせられる。
こういうことなんですね。
ここから先は面白い話にはなかなかならないんですよね。
1日1分着手っていうのはすごく新しくて、新しくてっていうかそれ自体そんなに新しくないかもしれないけど、
それの位置づけを少し捉え直してる点では新しいと思ってます。
つまりこれは単にハードルを下げたわけではないってことですね。
その辺は本を読んでいただくのが一番いいんですけれども、
1日3つ、1つずつ1分ずつなら最小だな、ミニマム3分で済みますと。
しかもそれで効果が上がるんですっていう話をしているわけですね。
これは毎日コツコツ少しずつっていう、そういう意味合いももちろんありますし、
ハードルを下げると、これ以上ハードル下げられないですよね。
あとは1日1秒とかになっちゃうんだけど、それは多分無理なんですよ。
何かをしようと思った途端に1秒って経っちゃうから、やっぱり1分っていうのがミニマムあたりだと思うんですよね。
1分3つ、私はここ1分1つっていうのがこの下にあるんじゃないかと、
ハードルって意味ではね、あるんじゃないかと思うんだけど、
3つっていうのはね、これこそJ松崎さんの個性なんですよ。
彼は初日は2つだったって言いたいわけですね。
この話したと思うんですけれども、3つだったら初日の私を超えられますって、
彼はそういうことをあそこで込めているわけです。だから3つだね。
3つが良かったんだろうなと思うんですよ、後になってみればね。
私は1つっていうのもアリだとずっと思ってるんだけど、
1つでも3つでも良いんですけれども、要は1分着手ができるかという話ですね。
それで、私はでもここで最初から自責っていう話が出てくると実は思うんですね。
GDDの、GDDじゃなかったんだけど、よくライファクト研究会みたいなところでも洗い出ししましょうっていうのはやりますよね。
私はやったというよりはやらされた口なんだけど、洗い出しとかするわけですよ。
それでグループで島になって話し合いをすると、ここでもう洗い出した途端に自責っていう話は出てくるんですよね。
このリストやってないのを、つまり忘れてるのを思い出すためにリストアップしてるというよりは、
ずっとやってない気になってることをまたしても書き出すっていうフェーズの人の方がライファクトなんかに興味持ってる人には多いわけですよね。
ずっとこれやってないの分かってて今日も書き出していて、やっぱり自己嫌悪ですっていうような話ですね。
自責とライフログの関係について
この話になってきた時に僕よく思ったんですよ。
だからタスクシュートっていうのはちょっと独特なんですね。
皆さんタスクシュートですら自責の根を持ってしまうんでしょうけれども、本来ライフログに自責っておかしいんですよ。
例えば、ハワイに旅行に行きましたと。
写真撮りますって言った時に、いや自責がって言わないじゃないですか。
なんで写真を撮るのに自責があるのか。
でもですね、人によっては写真って嫌なのかもしれないわけじゃないですか。
つまり写真というのはあるがままって言ったら言い過ぎなんですけど、真を写すって言いますからね。
その場に行きました。そのところで楽しんでます。
それを風化させないためと言いますか、この瞬間を切り取るために写真を撮りましょうということなんだけど。
これライフログですよね。
このライフログに自責を持つから。
タスクシュートというのもタスクは扱ってるから自責があるのはわかるんですけど、
あれはやっぱり9割型ログなわけですよ。
ログに自責っていうのは本来おかしな話なわけですよね。
だってあるがままなものに自責の根を抱いてもしようがない。
ただやっぱりね、写真撮る人でも特に思春期なんかでですね、
すごく自分のことが気になって仕方がない人は自分の服どうだろうとか、
自分の笑顔が引きつってるとかね、そもそも顔がイケてないとか、
そういうことで思い悩む年頃ってあるじゃないですか。
僕はログに自責の根を感じるっていうのは少なからずそういう心理だろうと思うんですね。
やってないことを洗い出すときに自責があるのはわかります。
だけれども今ある自分のことをログにとってそこに自責が発生するとすると、
それはずいぶん話がやっぱり違うと思うんです。
本来のあるべき私の姿はこうであっちゃいけないっていう気持ちがよっぽど強く働いてなかったら、
写真撮られるときに自責の根が沸くはずないんですよ。
各優私がまさにそうだったんですよ。
学生時代、写真嫌いだったんですね。
だからすごい写真少ないんですよ、私は。
この顔が嫌みたいなのもあるし、着てる服も嫌みたいなのもあるしね。
いちいち嫌なわけです。
だからログに自責の根が走っちゃうんですね。
ただですね、ただですよ。
どっちの方が楽かといえば、やっぱり私はライフログ系の方が楽だとは思う。
ここが私がいわゆる洗い出し派でないし逆算派でないのが、
ここにあるタスクシュートの効果がでかかったと思うのは、
タスクログだって嫌なのかもしれませんけれども、
でもですね、これくらいイケてる自分になるリストを作り出すよりは、
あるがままの自分の写真撮る方が楽じゃないですか。
まずこっからかなって思うんですよね。
こっちの方がアプローチしやすいとは私は思うんですよ。
つまりここが私とJさんの書くものの違いでもあったんですけど、
今回の本は曲がりなりにもこれからやることについて書いてるわけですよね。
1日3つ、1分でいいって言ったところでなおですね、
それはこれからやることを書くわけですよ。
ここはJさんの個性だと思うんですね。
そこに私はついていって今回強調を書かせてもらったんです。
私だとどうなるかというと、やったことを書こうってことになっていくんですよ。
方向性はほんのちょっとの差なんだけれども、後ろを向くんですね。
彼は前、彼の方が前向きな雰囲気あるよね。
私の方が少し後ろ向きですね。
なんで私が後ろを向くかというと、彼と私の言うことにもはや差はほとんどないんですけど、
現在地点を見て、今やってることを書くっていうのと、今やることを書くっていうのに、
ほとんど何の違いもないじゃないですか。意味ない違いですよね。
これはもう言葉の綾に近い。
Jさんは多分今からやることを書く。
でも結局、私は今やっていることを書くなんですよね。
確かに半歩前を向く、半歩後ろを向く、もう0.1歩ずつぐらいですかね。
そのぐらいの個性の差は出るんだけども、そこに違いがないわけじゃない。
少なくとも今まであった違いなんですよ、これは。
で、私の方が人気がなかったのは多分、やっぱりそこに微妙な夢のなさがあるんでしょうね。
ただ私は、今やってることを書くという方向を取ることで、
実績をさらに薄めようと。Jさんも実績ゼロを目指すって言うんだけど、
私もやっぱり実績ゼロを目指すわけですよ。
結局、今やってることを書く以上、そこに実績はないはずなんですね。
タスクシュートのアプローチとリスト化の重要性
このアリューと言いますか、ここのバリエーションが、
例えばJさんが今日の3つのことっていうのは、ギターの練習とブログっていかにも枯れらしい。
やっぱりこういうところに個性が出るんですね。
で、私はお味噌汁を飲むみたいになるわけですよ。
何が言いたいかというと、ブログを書く、ギターの練習をする。
1分ずつ、絶対やれますよね。
でも、Jさんも書いてましたけど、でもやらないことが起きるんですよね。
発生する。
で、私はそれを発生絶対させないリストを作ろうって話をしたわけです。
今まで延々してきたのはそういう話なんですよ。
いや、味噌汁は飲むだろう。
いや、味噌汁は飲まないかもしれないけど、何か食べるよねってことですよ。
だから絶対僕が書いたことは、僕の言うタスクシュートに書くことは、絶対にやってしまうことなんですよ。
で、Jさんが書くのは、1分だったら絶対にできるでしょう。
ここも差は微小なんですよ。本当に微小なんです。
で、僕もJさんが今回の1日3つって提唱したようなことを、結局リストに盛り込もうねって話を最後はするんで、同じことになります。
だから教書で書けるんですよ。同じことになるから。
しかも彼は1分ずつっていうのを新しく発案することによって、一段とそのハードルが下がったのは確かなんですね。
ここは彼のアイディアなんです。
で、私はとにかくそれをやらないってことができないことを書けって話をしたわけですね。
トイレとか。だからトイレにこだわるわけですよ。
お風呂とかだと、いやいや私お風呂入らないからって言われてしまうんで、お風呂はパス。
トイレと睡眠と何か食べる。これだけはリストにアップしてもしなくても絶対やっちゃうじゃないですか。
そしてリストにアップしておけば、やってしまうのを書くことになるしかないんですよ。
ここに自責とかはないっていうのが私の、だって自責しててもしょうがないじゃないですか。
何か食べてうわぁ食べちゃったよって自責する人もいるんだけど、ダイエットとかで。
でも自責しても自責しなくてもやめるってことはできないわけですよね。
で、それに何の意味があるんだと。今回1分着手でJさんも言われてましたけどね。
それではダメなんじゃないか。意味ありますかねっていうのはJさんのところにも行くと思うんですよ。
で、私のところにますます来ると思うんです。毎日食べるって書いて何になるんだって言われる。
というか言われるんだけど、何になるのかというとですね。
ここが多分僕らがやっていて一番一つの効果を誰でも感じてもらえると思っているところなの。
他にもいろいろタスクシュートありますから。
でもこれは確実だなと思うのが、つまりライフログをタスクリスト化することによって、
ライフログをですよ。つまりやるに決まっているやったことのリスト。これがライフログですよ。
食べました、寝ました、お風呂入りました、トイレ行きました。これがライフログですよ。
これをリスト化することで、嫌でも大でも絶対やるに違いないことを、
グラゾン・ケイゾーさんのグッドバイオス流によって未来のことはわからないんだけど、
でも未来のことがわからなくてもね、のと半島のような大災害が起きても人は物を食べるんですよ。
私はこれはすごく意味深だと思うんですよね。
食べられない時代って来ることがないわけじゃないです。それでも人は物を食べます。
リストを付けられる状況にあって物が食べられないということはあり得ない。
物が食べられないんだったらリストは付けられないと思うんですよ。
タスクシュートの意味と実践方法
とにかく物は食べます。もっと意味深だったのが今回割と話題になった仮説トイレですよね。
これはもう絶対ですよね。だからしないことができないことも人間にはあります。
で、それに何の意味があるのかっていうと、それがまずできるっていう認識ができるんですよ。
私に言わせるとね。ここら辺が受けてないところなんだろうな。
今言っててもですね、ビジネス書にこれ書くとなったら厄介だし、書いたところで身も知らない人がそれを読んで、
なんだこりゃって思うのは当然だなと思うんですけど、でもやっぱりですね、私はリストを書きました。
つまりここで、いつのかな、もっと難しいやつね。すごく難しいやつ。
例えば原稿を今日3500字書きますってタスクに書いてあったら嫌じゃないですか。
僕だって相当嫌ですよ。1日中書いててもそんなにいかないだろうっていうぐらい3500字って思いですよね。
でも今日中にこれやるしかないんだよみたいなタスクリストアップしたら嫌じゃないですか。
自責の念にもなりやすいし、先送りもしやすいですよね。
1分着手じゃどうにもならない感じがいかにもしますよね。
これもこういう時こそ1分着手なんだけど。
でもですね、お味噌汁飲みます。はい飲みました。
これは絶対記録にできますよね。
このようにしてタスクシュートというものはですね。
記録というものがまずそこにタスク項目を置く。
そして開始した時間を書く。
お味噌汁飲み始めました。飲み終わりました。
終了という時刻を書く。
それによって1つの完成を見るんですね。
このプロセスをいちいち1つ1つ踏んでいくということが
タスクシュートというものを前へ進めていくんですよ。
こういうことをしているうちにですね。
自分の観察日記が自分観察記録だな。
なんかやるじゃないですか。必ず生物とか研究とかでね。
こういうものを記録していくんですよ。
そうすることで見えてくるわけですよ。
簡単に言うと猫ちゃんを黒猫ちゃんが家の前にいるんですよ。
頻繁にね。見かけます。
見かけるだけだとわからないわけですよ。
そこに黒猫がいるってことしかわからないわけです。
でもつぶさに彼を、彼だか彼女だか知らんけど。
追って行くとですね。
何時にはここにいた。何時には公園で寝そべっていた。
何時に誰それさん家に入っておやつもらってたとかね。
全部書けた場合の話だけど。
こうやって書いていくとこの黒猫には個性と
成熟するスタイルってものが
実は他の全ての猫と同じようなことをやってるはずなんだけど。
顔を描いたり絵にのったり落ちたり。
同じようなことをやってるんだけど。
やっぱりその猫しかやってないわけですよ。
それら一連のことを。
これがつまり観察ってことだと思う。
それによって単に黒猫を家の前で見ましたというよりは
はるかに多くのその黒猫についての実態が見えてくるわけじゃないですか。
これを自分についてやる結果になるんですね。
だから一つ一つまず追っていくということによってですね。
タスクシュートというものが一つ一つ完成していく。
この一つ一つのプロセスを
全部確実に一回一回完成させていきたいわけです。
お味噌汁飲みました。お味噌汁飲み終わりました。
これで一順するわけですよ。
できれば翌日もということなんですね。
これで一順するわけ。
タスクを洗い出したところで止まると一順できないんですよね。
これからやらなきゃならないというか
気になっている膨大な200項目のリストアップしましたとなると
多分そこでめまいがしてストップしちゃうと思うんですよ。
そういう人は多いと思うんですね。
そこから先へ進める人もいるんだけど。
一順できないと思うんですよ。
今までやってもいなかったようなことをリストアップした。
それによって全部やれたらすごいんだろうけれども。
一体全体全部やれるっていつになるんだろうみたいな
サムデイみたいなリストもあるわけですから。
一順するのが大変なんですよ。
普通に考えても。
まず一順するってことは結構大事なんですね。
一順すればそのタスクシュートというメソッドについて
何をするのかっていうのは一通りわかるわけですから。
お味噌汁飲めば。
飲んで記録すれば。
自己観察を通じた新たな発見
こうして一順は決して無理はない話というか
絶対にやらないわけにはいかないことを使って一順させられるんですね。
一順してしばらく経つと
しばらくと言っても1日2日経っただけで
さっきの黒猫ちゃんの観察日記みたいなものが
自分について残るわけです。
自分の観察日記みたいなものが残り
多分どんな人でも自分について割と知らなかったことが
これによって明らかになるんですよ。
見えてくることが絶対あるはずなんですね。
それは当然今まで知らなかったことってことはほとんどないはずですよ。
自分がやってきたことなんだから。
でもやっぱり何か自分について新しい発見があるはずなんです。
ここで2つのものが並行して手に入るんですね。
1つはマスクシュートというメソッドそのものが手に入っていき
もう1つは自分自身についての実態というものが
ある種の形で客観的なログっていうのが明らかになる。
ここからじゃあどうしましょうかっていう問いがようやく立つんですね。
僕が思うにここから立つんですよ。
じゃあブログ書きましょうかとか
じゃあギターやってみましょうかっていうのはここから立つんですよ。
で1分着手ですね。
今までやってきたことに加えてやってないことを1分やるっていうのは大きなことなんで
決して小さなことではないので簡単なことでもないんだけど
新しいことですね。
だから黒猫ちゃんはそういうこと絶対しないですよね。
観察記録も絶対つけられませんけどそもそもそんなことしようとしないですよ。
で人はできるんですよそういうことをするから。
で何か新しいものを付け加えるといった時には
いきなりはできないと私は思うんです。
いきなりやろうとしても多分なかなかうまくいかない。
今みたいなものが2つ手に入った上でやると
どういう風にそれを組み込んだ方が
つまり黒猫ちゃんに何か芸を仕込もうと思ったら
やっぱりいくらかその猫のことを知っていた方がいいと思うんです。
ってことなんですよね。
自分について何か新しいことやってもらうんだけど
そもそもあなたはどういう風に過ごして暮らしているんですかっていうのは
やっぱり本当は分かってた方がいいと思うんです。
悪意がなければ。
新入社員さんとかそうじゃないですか。
いきなり全く新しい生活をさせるわけだから
本当はその人がどういう人でどうすればなじめていくのか
っていうのが分かっていた方がいいんですよ。
タスクシュートっていうのはそういうことを可能にする方法とツールなんですよ。
だから何についてだったら絶対にこれ一巡させられるのかというと
絶対毎日自分がやることなんですね。
ここで自責を持つっていうのを避けないと
多分記録を取らなくなっちゃうんだと思うんですよね。
だって記録を取るたびに写真撮られるたびに
自分の顔イケてないからもう嫌だみたいになると
写真撮られるのが嫌になるじゃないですか。
ここで僕の考える自責っていうものを廃する必要が出てくるんですよね。
ここでも人は自責の念を持つんだっていうことです。
だから本来何をするかっていうのを書くのを
当面は控えるっていうのが大事だと思うんですよ。
本来○○をするべきだと。
本来今日は大雨降ってるんですけど外は。
本来外を走ってくるべきだと考えると
ここでグッドモーニングボイスを喋ってる自分に
自己嫌悪の念が発生するじゃないですか。
タスクシュートの効果的な活用
そういうことだと思うんですよね。
何らかの形での本来あるべき自分ってものと対比しなければ
自責の念とか自己嫌悪ってものが出てくるはずはないと
私はやっぱり思うんですよ。
結局写真に撮られて自分の顔がイケてないとか
ふうがなってないとか思うのが嫌だというのは
こういう顔であるべきだとか
こういう服を着てるべきだっていうのがあるからですよね。
全くそういうのがないのに
自分のあるがままの姿に嫌悪する理由はないと思うんです。
だから全く何にも評価の基準がないのに
マリオのゲームを2時間やってしまって
自己嫌悪だってことは起こらないと思うんですよ。
4歳時にあれをやらせて2時間やったからって
絶対自己嫌悪しないと僕は思うんですよね。
自己嫌悪するのはこの2時間は英語の勉強するべきだったとか
そういうやっていない何かの架空の何かと
要するに照らし合わせて比較するから
そういう気持ちになるわけじゃないですか。
これを最初にやんない。
そのためにもやっぱり僕はですね
お風呂とトイレと睡眠と食事がいいと思う。
これをやって自己嫌悪になる理由ないから。
これをやるだけでもタスク集団は一巡するんですよね。
これがいわゆるプロジェクト管理とか
逆算といったものとは全然話が違うということです。
目標設定して逆算するという話になってくると
そこに書かれていることは
今日一つもやらないで済むっていう話になるじゃないですか。
でもトイレだったら
今日一回も行かずに済むってことは多分できないんですよ。
だからどうしたってそのメソッドについて
一周回らざるを得ないんですよね。
チュートリアルに沿った行動を取ってみるってことが
割と大事だってことです。
最近スーパーマリオRPGにハマってて
その先から左肩が痛いんですよね。
なんでかというと
これに2時間半も大画面でもないんだけど
普通の30インチくらいのテレビにつないでやったら
めちゃくちゃ面白くてですね。
グラフィックもすごくてですね。
あとスーパーマリオのRPGの話になっちゃってますけど
何がいいって知ってるってことなんですよねキャラをね。
マリオとかクッパとかノコノコとか
だいたい知ってるキャラがどんどん出てくるから
やってて親近感が湧きやすくて楽しいわけですよ。
なんかこう昔やってたウィザードリーとか
よく知らない魔物がゾロゾロ出てくるって
ゾロゾロは出てこないんだけどゲームは。
知らない世界に行くよりは
なんか知ってる気がする世界の方がやりやすいんですね。
しかもゲームシステムはドラクエそのものに近いんで
非常に楽しい。
2時間半もやっててですね。
肩が痛いんですよ。
アホなんですけどね。
すごいアホくさいことやってるなと思うんですけれども。
こういうことで自己嫌悪に陥るのであればですね。
こういうのは書かなきゃいいんですよ。
はっきり言って。
とにかく毎日絶対やるに違いないことだけ書いておけば
それだけでもタスクシュートというものは
一周することができるんですね。
で、つくづくやっぱ思うんですよね。
この最近のゲームはよくできていて
操作方法の紙とかで印刷したもの読めっていう
ああいう親切な昭和の設計はもう影を潜めていて
ここでAを押しましょうみたいな
ここでBを押しましょうとかですね。
ボタンをいちいち押させながら
タスクシュートの使い方
自分のアクションコマンドをどうすると
どういう魔法が出るとかを
実地でチュートリアルしてくれるわけです。
すごい親切ですね。
今の子は恵まれていると思います。
あれやると一発なんですよ。
これと同じですよ、タスクシュートも。
タスクシュートは一周するのが確実なんです。
確実なものを選べば。
やりもしないリストをたくさん作ると
そこで止まってしまうので
必ずやることだけをピックアップしているうちに
自分がタスクシュートの
チュートリアルに沿った使い方というものを
実践できるんです。
しかもそれをするだけで
さっき言った通り
自分の生態観察ができる。
ここからなんですよ、すべての話は。
なので私はそういうふうに考えているわけですね。
項目数もいいんだけど
1分着手は
これはもう私は明暗だと思います。
だけどそれはそれとして
絶対やること。
これ多分つまらないんですよね。
しかも役に立つのが見えてこないんです。
今言った通りです、事情は。
必ずやる。
絶対にそれはやらないということがあり得ない。
というリストだけを置いてみる。
そしてそれをやる。
私は今回もうそれはやめることになったので
忘れることとリマインド
言わないことにはしてますけれども
このポッドキャストは私の
かなりプライベート発信なので
言いますが
なんで間を開けないのか。
例えば何もしなかったら何もしないと書いていいから
間を開けないようにしようというのも
ずっとそれをやっていることによって
記録を取るという
通常自分には全く馴染みのないことを
割と早い段階で
解読してしまうためです。
結局チュートリアル
スーパーマリオの話が続いてますが
チュートリアルのいいのは
解読すぐできることなんですよ。
指を実地に動かすということによって
どんなアクションコマンドで何ができるかが
すぐに体感できる。
目でも見られるし
震えもくるし
指でも覚える。
そうすることによって
AとBを連打するとかしないわけじゃないですか。
普段やってないことなので
そんなことは紙で書かれたのを
読んだだけだと
そのコマンドがあること自体を忘れてしまう。
スクシュートも同じなんですよね。
そういうツールを使っているということを
忘れてしまう。
これが私は実は
GTDでも何でもそうだと思うんですよね。
GTDは挫折するというよりは
多分忘れるんですよ。
そしてそれは
発案者の責任ではないと思うんだけど
GTDやってるってことを
忘れるよねって話ですよ。
オムニフォーカスとかもそうですが
自分がオムニフォーカスに
書いたことを忘れちゃうんですよね。
使ってるという事実を忘れる。
で、見なくなるわけです。
だから一周するのに
時間がかかるんですよ。
忘れるから。
思い出すためには
やっぱりしばらくの間はGTDなり
オムニフォーカスだとしても
ずっとオムニフォーカスのGTDが
何か見つけて飛び出してくる。
ポップアップしてくるとか
リマインドかけてくるとか
その必要性があろうとなかろうと
そういう風にしてこないと
人は多分
意味のあるリスト
昨日から使い始めました
などというツールは
それまで使ってなかった関係上
無い流れの中で生きてきたんだから
忘れるんですよ。
そんなのを使ってたなんてことはですね。
ということで
絶対にやらない
っていうことが
できないリストを
作るのは
意味ない感じがするんだけど
そういう意味があるんです。
ってお話でしたね。
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