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2020-12-10 26:30

【GMV 271】何か嫌なことが起きると迷信を作り出す

迷信に取り囲まれると生きるのがとてもつらくなる
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おはようございます、グッドモーニングボイスです。
今日はですね、ちょっとややこしい、いつもややこしいか。
ややこしいことを試みたいんですけど、
行動科学に迷信行動っていうのが、そういう考え方があるんですよ。
わかりやすいので言うと、キツツキがですね、
木をコンコンコンってやるあれですが、
あれって、木に穴を開けてるんですけれども、
たまたまその木にコンコンコンとやる回数とか、
例えば3回とかやった時に、よく穴が開いたとか、
ちょうど虫が出てきて食べれたとか、そういう報酬を得るとですね、
3回つつく癖がついたりするんですね。
3回つつくことと、穴がよく開くことの関係性はないんですけれども、
そこを結びつけてしまうわけですよね。
これを迷信行動というわけです。
つまり、そこにはない因果関係を見出してしまうから、
鳥はそんなこと考えませんけど、
私たちだとすると、そういうことを当然考えてしまう可能性はありますよね。
たぶん、昨日テレビでやってたんですけど、
今みたいにコロナみたいな得体の知れない病気が、
もし平安時代とかに流行るとですね、
いろんなそういう類の行動が発生すると思うんですよ。
どこそこの川で体を洗うと病気にならないとかね、
そういうのが出てくると思うんですけど、
結局、行動と報酬が結びついたときに、
その行動を繰り返す、あるいはその行動が広まるんですよね、
同じ社会のグループの中に。
そうすると、必ずしもそこの行動には因果関係はなかったりするわけじゃないですか。
例えば、ネズミのレバー倒しだって、
レバーを倒したらチーズが出るという仕組みを作っているのは好きなんですよね。
そのような因果関係が自然法則みたいにあるわけじゃなくて、
チーズをセットしておかなければ出てこないわけですよね。
だから、ネズミが倒したりすれば何かが出ると思っているのは大きな間違いなんですけれども、
でも倒すたびに出てきて食べられれば当然倒します。
倒す行動が習慣化すると。
これが迷信行動なわけです。
たぶん私はですね、
ギャンブルをやる人はおなじみなんじゃないかと思うんですよ。
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結局、ギャンブルというのは結果が全てじゃないですか。
結果が良ければいいわけですよね。
それが迷信であろうとなんだろうと、
科学的に証明されているとか保証があるとかいうことはどうでもよくて、
例えば1の台に木すうびに座れば出たということが何回か続けばですね、
そしてそれによって何かを報酬なんですけど、得られればそれでいいわけですよね。
そこにそれが迷信であっても、
何か因果関係が本当にあるのだとしてもどっちでもいいわけですよね。
ということがですね、まずあるわけです。
私たちはしかもですね、
グッドバイブスというところに弓付けというものを好んでというか、
もう不可否的にやるわけですよ。
特に悪いことについてはやるんですけれども、
会社で嫌なことがあったと。
これだとちょっと複雑になるからもっとすごく簡単にして、
今日お腹の具合が悪いと。
昨日何食べたっけって思うじゃないですか。
これはご不自然の思考だと思うんですけど、
これは一種の弓付けですよね。
精神分析でいうとこの投影の一種だと思うんですよ。
原因を外に出しましたよね。
お腹が悪い、お腹の具合が悪い、何ならお腹が痛いでいいですよね。
痛いというのは悪いことじゃないですか。
それ自分の中にありますよね。
自分の中にあるんだけど、
その原因を外に見つけようとするわけですよ。
昨日食べた鮭のムニエルが少し脂が古くなっていたんじゃないですか。
脂のせいにしていますよね。
脂は外部にあるものですよね。
この思考がいけないというのではないですよ。
この思考によってお腹が痛いとかは、大体の場合は当たりなんですよ。
当たりなんですけど、
これは倉田の平素さんがよくおっしゃる話ですが、
本当のことはわからないですよね。
違う原因かもしれないですよね。
胃に何か出来物ができているのかもしれないじゃないですか。
よくあるのとして、空気が溜まると胃腸が痛むんですよ。
それはおならが出れば治っちゃうんですけど、
それかもしれないですよね。
でもその空気を作り出した原因が古くなった脂にあるのかもしれないですよね。
何にしても、
私たちは自分の中に何か悪いものを直感したときに感じ取ったところを、
それを突然に外の原因に持ち出すんですよ。
それを投影と精神分析であれば、
投影と精神分析では言います。
この投影なんですけれども、
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これは精神分析で発見したわけじゃないけれども、
発明したものとも違うから発見が近いんだと思うんですけど、
絶対にこの外側に出したものは自分に戻ってくるという、
馬鹿げているくらい当たり前なんですが、
非常に自明な法則があるわけですよ。
ところがみんなこれで大騒ぎするんですよ。
外に出したじゃないですか、今脂が悪いと。
でもそれでは済まされませんよね。
悪い脂が外にあった以上ってわけにいかないですよね。
悪いのは自分のお腹なんで、
自分のお腹を悪くした脂がすでに外から自分の中に入ってきちゃったんで、
外に一旦出された悪いものは再び自分に帰ってくるんですよ。
このことを精神分析ではすごく言っているんだと私はよく思うんですよ。
これは神秘的な話でもなんでもなくて、
もともと悪いものは自分の中にだけあったんだから、
外にそれを出そうと何をしようと自分にまた戻ってくるのは当たり前なんですよね。
このことがよくわからなくなってくるというのは、
すごく赤ちゃんぽくなっているということで、
これを対抗とか幼児対抗とか、
シリ族に行くですね、幼児対抗とか、
ないしは対英という言葉を私は当ててたんですよ。
対英の英は英字の英ですね。
要するに幼児に戻るということです。
幼児に戻るということなんですよ。
この投影によって被害を受けるという考え方はですね、
だからどんなにこれが複雑そうなことを言っていたとしても、
もっと今のよりもずっと込み入ったことを言っているとしてもですね、
精神分析的に見ればですけれども、
あくまでもそれは投影したものが自分に襲いかかってくるような、
そういう解釈を自分の頭の中で成立させたに過ぎず、
実際には外から何も襲いかかってきていないんです。
そのことを考えられるようになればですね、
病気は良くなるというふうに考えるんですよ。
最初の迷信行動というのがお話ししましたが、
私はこの投影と迷信行動がすぐにくっつくんだとよく思うんですよ。
迷信行動の話は行動科学だし、投影の話は精神分析なのでめちゃくちゃ相性悪いんですけど、
実はすごく近い話しするんだよなとよく思うんですね。
こうやって酒の油が古くなっていたのがいけなかった。
だから自分のお腹が悪くなった。それを食べて。
ということを一度や二度体験すると、
さっきのギャンブラーの奇数美に一の台に座るとよく出るみたいなのと同じでですね、
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あ、酒のムニエルを私は食べちゃいけないんだなって思い始めるじゃないですか。
でもそれは事実そうじゃなかったとしたら迷信行動ですよね。
だってそこはその因果関係が正しくなかったのだとか、
正しいと自分は思い込んだのだとか、
今酒のムニエルというものは悪いものとして認識されるわけですよ。
この迷信が一旦成立すれば。
最初はお腹が痛いことが全ての始まりだったんですけど、
気がつくとですね、お腹が痛くなくても酒のムニエルを見ると嫌な気分になったりするわけですよ。
こうなってしまったらもう完全に迷信行動と言ってもいいし、東映と言ってもいいんですが、
成立してしまったので一段とややこしいことが起こるわけじゃないですか。
それまでは好きだったかもしれないものが嫌いになったりするわけですよね。
そしてこれは倉山さんが昔指摘していて面白いなと思ったんですけれども、
この種のことは増えるんですよ。減ることはほとんどないですよね。
記憶として認識されれば増え続ける一方ですよね。
何ならライフログとかにとっておいて酒のムニエルを食べるのは危険だみたいなのを書いておくとですね、
この種の迷信はどんどん増えていくわけですよ。
だってこれを科学的に常に絶対正しい証拠だけ立てるのは物凄い大変なことなので、
とてもじゃないですけれども、ただ記録をしたり記憶を蓄積するだけの苦労とは比較にならないほどレベルが高いことをやることになります。
そしてどんなにそれを繰り返したとしても迷信ってのはなくならないので、
なぜならば投影ということを私たちはしないことができないので、ずっとこれが増え続けていくのは、
投影というものを認める限りは避けられないわけですよ。
酒のムニエルもダメだし、古い油もダメだし、あれもダメだし、これもダメだしという食べ物だけとってもですね、
どんどん食べられるものが減っていくんですね。
これが私はたぶん、だんだん生きていくのが辛くなっていく一つの要因かなと思うんですね。
例えば、うちの会社は本当に能力のある人は認めないで会社の言うことをやたら聞くイエスマンだけを出世させる、
ひどいところだという投影があるわけじゃないですか。
これはさっきのムニエルと同じで事実かもしれませんが、ムニエルに比べると事実度が低いとは思いますよね。
ムニエルのほうがまだよっぽど本当だと思いますよ。
気をつける価値があると。
会社のこれに関しては相当頭の中で作り上げた感が強いと思うんですよ。
でもこれが事実だと思える人には絶対的な事実になっているんですよ。
やっぱりムニエルと似ててですね。
というのも、例えば自分がよくわからない理由で失跡されたと。
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それは自分がイエスマンではないからだというような、複雑じゃないですか、この話。
お腹が痛くなったことに対してムニエルに原因を求めたのよりは、
自分にでも多分女子の失跡とかがすごい嫌だったんだと思うんですよ。
これはお腹が痛いなんかよりもはるかに精神的には苦痛だったりするわけじゃないですか。
この苦痛を得た時に直ちに会社に返しましたよね。
その会社が例えば能力主義を謳ってるんだけど嘘ばかりついているとか、
他のどんな理由でもいいんですよ。
とにかく会社に返したってところがポイントだと思うんですよね。
非常に単純に見れば自分の気分が悪くなったわけですよね。
それは自分の中にあるわけですが、
これを外に出すわけですね。
その出した時に、
その悪い会社は悪い会社であります、以上。
というわけにはいかないんですよ。
N生児は悪だ、みたいな。
自分と関係がなければそれでいいんだけど、
自分と関係があるわけだから、
直ちにそれは戻ってきますよね、自分に。
だって自分の気分は悪いんですからね。
骨壇は自分の気分が悪いことであり、
その原因をN社に求めたとしても、
実はN社が悪いか良いかはどうでもよくて、
自分の気分は依然として悪いわけですよ。
さっきの話と同じです。
昨日食べたものが何であってもですね、
お腹が痛いわけですよ。
最初にお腹が痛かった。
昨日のあれかなと思った。
何が思おうと思わなかろうと、
お腹は痛いままだわけじゃないですか。
そうするとその二つは結びつくしかないですよね。
こうして外に自分に向かって襲いかかってくる悪いやつが
発生するわけですよね。
これを投影というわけで、
しかもこれが迷信であった場合、
迷信でなくてもいいんだけれども、
迷信であった場合、
繰り返しこれを、
多分私たちの脳は賢いので、
キツツキとかとは違ってですね、
二度三度検証をして、
二度三度検証をかける可能性はありますよね。
直ちに信じるほどアホじゃないので、
二回か三回ぐらいはチェックして、
やっぱりN社は悪かったということになると、
気分が悪いたびにN社が悪いことを確信することになるわけですよ。
お腹が痛いたびに何か外のものを見つけに行くわけですよ。
実はそれは腸に原因があったとしても、
やっぱり外なんですけれどもね、
実は自分の外に自分の肉体ってあるわけですよ。
自分の外に自分の肉体ってあると思うので、
何に原因を求めても実はそれは投影なんだと私は思うんですが、
だから私たちは原因を見出す限り投影をやめられないし、
人間の脳は因果関係を見つけ出すようにできているので、
投影をやめるのってすごい難しいとは思いますけれども、
この投影のからくりを考えておかないとですね、
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必ずどんどんどんどん世の中の悪いものが自分に、
しかもなぜか自分を標的にしてバンバン打ってくるような日がするわけですよ。
多分、この行動科学の人が迷信行動と名付けた通りで、
宗教的なあるいは超自然的な出来事はますます自分に向かって攻撃してくるんですよ。
天罰とかですね、呪いとかですね、
神の怒りとか全て自分に向かってくるんですよ。
なぜならとても嫌なことが起きたときだけそれについて考えるわけだから、
当然そういうことになるしかないんですよね。
他の理由はいらないわけですよ、非常に極端に言うと。
例えば私たちは遠く離れた、どこでもいいんですけれども、
アルメニアとか、親戚がいますとかいう方はすいません、
対外の日本人にとってやや遠く離れたアルメニアで地震が起きました。
天罰だとかって絶対考えないんですよね。
なぜならば自分に降りかかってないからなんですよ。
ありましたよね、そういう発言が問題になったことがあった。
東北震災の時に天罰発言みたいな。
あれは自分が日本人だと思っているからああいう発言になるわけですよね。
私たちは自分にまず嫌な気持ちが発生し、次にその原因を外に求めて、
その瞬間に外に悪があり、自分の中に気持ちの悪さがあるから、
その2つがリンクした格好をとって迷信というものが発生するわけです。
何度も言いますが、全部が迷信とは限らないです。
事実がその中に含まれている可能性もありますけれども、
それのみが唯一の事実であるというケースは多分よっぽど少ないと思うんですね。
原因はだいたい複合的だし、外している可能性の方が十分高いと思います。
関連アレルギーとか低気圧とか全部同じだと思うんですよ。
頭痛がしましたと。
そういえば今日低気圧が来ている。
1回で十分じゃないですか。
1回これがあってですね、
なんとか週刊オンラインなんとかとかに
低気圧アレルギーとかいうのがありますとかそういうのが書いてあれば
もう一発だと思うんですよね。
脳じゃないや、頭が痛いですと。
低気圧が来ています。
なんか低気圧なんとかというのがあるらしいですと。
それなんだ自分はということなんですよね。
迷信かどうかは分からないですけれども、
それ以外の原因が一切見えなくなるというところは
大変面白い部分だし、
投影の構造から全く一歩も踏み出していないというところも
大変興味深いと思う価値はあると思うんですよね。
自分の頭が痛いのは低気圧が来ていよう高気圧が来ていようと
消えていないわけじゃないですか。
だから一旦低気圧のせいにしたとしても
それはすぐ自分に戻ってくるわけですよね。
頭依然として痛い。
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だから低気圧が存在して今近づいてきている
頭が痛いということがパッとリンクしてですね。
あとは2回ほど検証すればバッチリなわけですね。
以後はですね、頭が痛くなかったとしても
低気圧が近づいてくると痛くなるんですよ。
そのくらいのことは人間はヘッチャラですからね。
ヘッチャラというのは変ですけど
容易にそのくらいのことはやれます。
だって自分の頭が痛いような気がする
あるいは実際に痛いということと
低気圧が来る。低気圧が頻繁に来ますからね。
などということはいくらでも起こせるじゃないですか。
こういう話をしているときに
私は決まって余儀るのがですね
台湾では注射をしないと病気が治らないという話なんですよ。
台湾の人たちというのは何か注射進行みたいなのがあって
とにかく注射すると治るみたいなところがあって
何でもいいから、つまりその病気には何の薬もいらなくても
とりあえずブドウ糖でも注射すると治ると。
これぐらいのことができる人間というものがですね
低気圧が来たときに頭痛の一つぐらい起こせないという
頭痛が来たときに頭痛の一つぐらい起こせないはずがないですよね。
だから2回ぐらいで十分だと思うんですよ。
低気圧が来ました。頭痛がしてました。
たまたまそういうことが2回あれば
以後は100%低気圧が来るたびに頭痛がするわけですよ。
これが投影ということであり
迷信行動というものだと思うんです。
キツツキはわけがわかって3回ずつ気をついているはずはないと思うんですよね。
あの脳の大きさから考えて。
あれはやっぱり迷信行動というものは
本能的に可能なものであって
そこが多分行動科学で発見した大事なポイントだったと思うんですけれども
同時に私たちの人間というのは
投影というものをするものであって
投影するのは大体悪いことなので
その悪いことを投影するということを
2度ほど成功してしまえば
以後はもう低気圧が来るたびに頭痛がするし
N症時に行くたびに
自分は酷い目に遭うし
不公平な扱いを受けるし
何かこう洪水が起きるたびに
天罰が下るわけですよ。
そうするとですね
世の中は自分の気分が悪くなる回数に比例して
悪い場所になっていくので
10年ほど生きると生き地獄になりますよね。
という病気の一つがやっぱり
妄想燃料という病気なんだろうなという気がするんですよね。
妄想燃料の人というのはとても大変なんですよ。
迫害妄想と言うんですけど
常に英語で言うならばパージされている。
パージされ続けている。
そして見張られていて
大体火星人とかに見張られていて
次の攻撃目標になるわけですね。
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これは非常に他の人がパッと聞くと奇妙なんですけど
私はこれは全然人間の脳内にとって奇妙な考えではないので
まさにこう酒飲むに得るで下痢をしたっていうのは
全く同じような思考回路でできること
成り立つことだという気がするんですよ。
特に曖昧なものほど
これは成立しやすいと思いますね。
注射で病気が治る話と似ていてですね
肩こりとか腰痛とか頭痛とか
曖昧なんですよね。
どこからそれが始まったのかがはっきりしない。
また低気圧が近づくとかは曖昧じゃないですか。
低気圧が500キロ圏内に近づいた時なのか
低気圧というのは980mV以下なのかとか
そういう定義が一切ないんですよ。
近づいたということ
それだけで十分なんですよね。
これだったら私は
やりようによっては高気圧でも
全く同じ事態を引き起こせるだろうなと
つくつく思うんです。
つまり
これを避けるために
私たちは投影というからくりがあるんだということを
多分精神分析では教えるんだし
グッドバイブスで言えば
移民づけやめましょうねという話になるんだと思うんですよ。
何よりも大事なのが
本当のことは分からないということが
悪い意味にしか捉えられないという
その心理状態というのか
心理構造みたいなものから
解放されるといいという話だと思うんですね。
本当のことが分からない
先のことが分からないというのは
間違いなくそうなんだけど
私たちはそうじゃない、そうじゃないと
一生懸命頑張るんですよ。
それでも因果律を見つけ出して
事態を正確に把握して
先のことが読めるようであったほうがいいと思うんだけど
そうじゃないと思うんですよね。
本当のことが分からないほうが
明らかにいいわけですよ。
本当のことが分かっちゃうということは
低気圧が来たら絶対頭が痛くなるとか
そういう話になってしまうんですよ。
本当のことになってしまったら。
それは嘘かもしれないからこそ
低気圧が3度目に来たときは
頭痛にならないかもしれないわけですよ。
つまり原因を特定できないということは
いいことなんだと思うんですよ。
これ、他人のことだと大変分かりやすいと思うんですよね。
隣人がいつもいつも私が
本当に普通にこういう話になるんですよね。
隣人はいつもいつも私が起きると
なんならマンションの2階の住人でもいいですけどね。
必ず私の頭の上で
すごい嫌な音を鳴らす。
必ずである。
私、これにこういう人を知ってるんですけど
何と反論しても受け付けてはもらえません。
東映と明信行動の完璧な成立っていうのは
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ああいうものを言うんですけれども
会社でそれに似たようなことを言う方も
いらっしゃりますよね。
それも100人で200人じゃないですよね。
もう世界中にいると思うんですけれども
他人のは分かりやすいんですよ。
非常にね。
私はいつもこう
ムニエルに胸焼けしましたかっていう感じがするんだけれども
これに反論すること
関係が壊れることが大半なので
安易には何も言いません。
というか、大概の場合
その成立度が高ければ高いほど
基本的には何も言わないようにはしています。
ただ、キツツキの話を時々するので
とどめますね。
とにかく
この因果律が分かった方がいい
っていう考え方は
怖い考え方なんですよ。
で、予知ができた方がいいっていうのも
同じくらい怖い考え方だと思うんですね。
で、どこかにできる人がいるっていう明信も
この世の中にはすごく熱力ありますよね。
そして、私には無理でも
ちゃんと分かる人はいるんだみたいな
私はそうも考えない方がいいと思うんですよね。
自分で完璧に把握できないのであれば
世の中のどこかにできる人がいるだろうと思っていない方が
多分
幸せに生きられるんじゃないかと
つくづく思うんですよ。
現に私はお腹痛くなっても
原因とか特定しないことにしてるんですよ。
よほど事態が深刻になれば
だいたいそんなことは分かるわけですよね。
事態が深刻かどうかってことは。
で、そうでないならば
基本的には原因などというものは
知ったことじゃなくてですね
放っておいたらいいと思うんです。
そうするとですね
これもそうするのが恐ろしいので
食い下がられるケースが
この話をすると多いんで
だからこういうふうに
人がいないところで喋る方がいいんですけれども
放置しておけば治っちゃうというか
こういうケースの方が
多いんだなと思うようになりました。
コロチゾールの話をここで持ち出してもいいんですけど
多分これはやっぱり
投影ということなんだろうなと。
だって
自分の身の回りに悪がない方が
過ごしやすいに決まっていますよね。
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