00:03
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
あのー、どこからかですね、割と最近。
えー、ずっと倉園圭佐さんと一緒にYouTubeでグッドバイブスな人生相談というのをやっていたんですが、
えー、タイトルが変わりまして、グッドバイブスなぶっちゃけ相談というのになったんですよ。
そしたらなんかこう、登録者の人が増えているような気が、私の感じではしていて、
あー、こういう本なのかなと思いました。
えーと、で、まあこれを聞いている方もですね、えーと、特にこれまで相談したことがないよという方は、
何かしら、えー、お寄せいただくとですね、なんかこう、新しいものが出てくるんではないかと思って、
そうするときっと、えー、あの番組も面白くなっていくんじゃないかと、まあ面白いとずっと思うんですけども、
えーと、だんだんやっぱり変化していって、時間の長さも少しずつトレンドとして変わっていくんですよね。
そういうことは何らこう意図していることではないし、そもそも相談ありきだから、
えー、非常に受動的に進んでいくものなんですけど、でも非常にこう、ある種のトレンドがあって、
この辺がやっぱり、連載ものって大体何でもそうですけど、面白いなと思うんです。
で、えーと、その56話だということでですね、えー、タスクシュート話題と、
で、えー、クラウド、タスクシュートクラウドってのがありますね。
で、タスクシュートって言っても、えー、私とJさん、J松崎さんのタスクシュートクラウドを開発したのはJ松崎さんって方なんですけど、
えー、このJ松崎ってちなみに私あの、大変上手いなと思いまして、
えー、名前って、まあ、様々ですけれども、その、何も変哲はないんですよ、この方の本名をね。
えー、でも、こうやってしまえばもうこっちのもので、ブログタイトルから、会社の名前から全部これで統一して、
あの、本屋さんでね、純駆動っていう有名な本屋さんがありますが、あれは駆動純さんだから純駆動なんですよね。
よくここの漢字と似てるんだけれども、えーと、まあ、気づかない人は気づかないし、
えー、このように、なんていうのかな、イニシャルの頭文字のJなんて人は山のようにいるんですけど、やっぱりやっちゃったもん勝ちだなというふうにつくづく思います。
私はちょっとあれなんですよ、イニシャライズって、どうも好きになれない自分、自分のはですね、Sなんですよね。
03:00
えー、だいたいSっけが僕は弱いといつも思っているんで、あの、二つともSっていうのは実にどうかと思うんですよ。
で、えー、Jとかだったらなるほどなと思うんですけど、Sって呼ばれたくないですよね。
そんなようなことを時々考えるんですけれども。で、私とJさんの思想が割と正反対ってこれもよく言われるんですが、
まずあの、あれなんですよね、ライフハックで、まあこれは気難しいと言われてしまえばそれまでですから、全然いいんですが、思想とかないんですよね。
思想も哲学もないですね。あの、正直その思想が嫌だからライフハックに行ったんですよ、私は。っていうのがどうしてもやっぱね、出ちゃうんですよね。
えーと、これは年代にもよるとだと思いますね。私はいわゆるこう、米蘇冷戦時代っていうのに最後のほうを
予想期過ごして、ほんとですね、最後の最後になってくると、なんかもう思想ってうんざりだなって思うようになったわけですね。
えーと、マルキシズムというすごいのがありまして、世界の半分はそれで頑張るみたいなところもあったんだけど、一体あれは何だったんだろうというぐらい、もうその時代の雰囲気って今もう全くある意味ないんですよ。
なんかその残骸みたいなのが感じられる程度で。で、私が生まれた頃にはもっと激しくやってたこともいろいろあったみたいな。さらにその前はね、東大紛争とか、
白黒で見ると不思議な感じがするんですけど、あれが本当にそんなところで行われてたんだろうかみたいな感じのものなんですけど、本当にこう思想って言うともう
ナチスとかね、あの、なんて言えばいいんですかね、その、その
そのなんて蒸気を石たぶりが、蒸気を石すぎていて、なんかなぜそれ、そういうものが素晴らしかった、素晴らしいとそんなに多くの人が思えたんだろうっていうのが、私が子供の時には本当感じられたんですよ。
ちょうど思想後の世代みたいな感じだった。1980年の頃の子供だったんですよね、私は。本当にそのことを感じたんですよ。何にも思想がなくて、本当に幸せだなって思った記憶があるんですよ。
その感じ方は今思えば短絡的なんだけど、短絡的な年頃だったから余計そういうことにね、何にもその疑問がなかったんですよ。本当ようやく人間というのは思想から脱することができたんだっていう、その独特のこうじわじわっとくるものがあの時代はあったんですよね。
1970年に子供だった方とは、多分だいぶ違うと思うんですよね。本当、1983年、84年の頃って、今思えばですけど、世の中すごい落ち着いてたんですよね。日本はって感じなんですけどね。でも落ち着いてたけど、ソ連という国はあったし、すごい思想にかぶれていっちゃってる怖い国っていう、それはイリュージョンなんですけどね。
06:16
で、結構その小学校の先生っていうのは思想が好きで、思想のことばっかり喋ってたんですよ、割と。ああいうことよく公立学校で許されてたなと思うんですけどね。そういう時代だったんですよね。だから本当僕はその、なるべく思想には関わるまいと、小学校1,2年の頃にもうガッツリ入ったんですよね、割と。思想ないっていいなっていう。
で、それがかなり、かなりじゃないんだけど、やっぱ一定程度影響してるんですよね。ライフハックっていいわーっていうのがあるんですよ。思想なくていいじゃないですか。思想も何もないというのがあって、調整理法とかっていうのが有名ですけど、たとえば野口優強さんの、なんですかね、ファイルに、1ファイルに1書類入れて使ったやつを一番前に出す。
思想とかってないですよね。こういうのには思想を言う人もいるけれど、やっぱこう、マルキストだと調整理法やっちゃダメとか、ナチスだったらみんな採用してるとか、ありえないじゃないですか。誰が採用しても調整理法は調整理法ですよね。僕はここがすごい、なんていうんだろう、幸福だなと思った記憶があるんですよ。
やっぱアレルギーみたいなのがあるんですね。ましてうち寺だったから、もうほんとこの時代に宗教かよみたいなのが本当に子供の頃あって、なんていうのか、そうじゃなかったらどんなに良かっただろうみたいなね、あったわけですよ。
それなのにこう、GTDの思想はとか言われると、うわーってちょっとなるんですよね。なんかこう、込み上げてきちゃうんですよね。ここにも思想が来るんだみたいな。そういうのがね、結構、しゃべんないようにはしてたんですけど、そうじゃないからGTDとかタスクシュートはいいんじゃないですかって、つい言いたくなっちゃうわけですよね。
なんていうんですか、共産党の人が使っても自民党の人が使っても極端な話をするならば、極端でもないか、カトリックの人が使っても仏教の人が使っても同じように採用するでしょうと、そこがいいんじゃないですかと言いたかったわけですよ。カント派とかね、ないわけですよ、そういうの。ないと思ってた。
で、思想が正反対ですか。
はい、あのですね、そう言われればそういうこともあるのかなと思うんですけどね。
これただですね、この話から先は真面目にGTD、GTDをしゃべりますけど、最初は僕もそのことわかるような気がしたんですね。
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Jさんのは、運と先の方に目標を置いて、その目標を達成するために、やるべきことを出して、少々間違ってるかもしれませんけど、おおむね大筋の流れということでね。
その目標達成のためのタスクを、ガントチャートみたいなもので割り振って大まかに、その日その日にやるタスクをタスクシュートに入れて、タスクシュートでタスクに日付をつけて、毎日やっていくということ。
これと私の考え方が逆だという話ですよね。
かもしれないと思うんですが、そんなに違わないんじゃないかなという気もするんです。
というのはですね、これは多分、考え方が中心であるという人からすれば納得できないと思うんですけど、多分タスクシュート使ってしまえば結果としては同じことになるだろうなと。
関連に同じじゃないにしても相当似たようなことになるんだろうなと、僕は思うんですよ。
というのは、結局タスクシュートって使っちゃうとそうなるんですけど、今日のリストしか目の前に登場しないんですね。
何をするかっていうのは常に同じで、今やっていることの開始時刻を入れるんですよ。
それをやめたらそこで終了という時刻を入れるんですね。
例えそれによって、どんな情報が表示されたとしても、この流れに変わりはないんですよ。
私にだってやりたいことはありますし、遠い目標とかいうことではないにせよありますし、やりたくないなと感じることもありますね。
Jさんだってそうだと思うんですよ。それが遠い目標なのか近い目標なのかによらずあると思うんですね。
結局やりたいことがあって、できないこともあって、できることもあって、やらなくちゃいけないこともあって、
今やることをやり始めてその記録を取るということをするとですね、すごく似たようなことになっていくと僕は思うんですね。
全人類が原則としてはこういうことをやっているのだと思うんですよ。
タスクシュートユーザーがやっているのは、ただ今やっていることとその時刻を記録をしているという点で違いがあるだけで、
その違いは一定の効果を生みますけれども、結局やっていることは私たちが意識していることとそんなに違わないと思うんですね。
12:00
だからそれでさらにタスクシュートというツールを使って、ここに本日というものをバッと自分の目の前に出させてですね、
しかもそれを一望の下にはできないんですよ、タスクシュートって。
必ず今現在の時刻に近いことがどんどん目に入ってくるようにできているんですよ。
どう使ってもですね、ガンドチャートを引こうと、遠大な目標を立てようと、結局目の前のものが見えてくるんですよ。
そしてその目の前のことというのは、目の前に自分を取り囲んでいる現実とすごく接近しているんですよ。
で、それをやり出すんですよ。そうするとダイナミズムがそこで生まれちゃうんですよ。
記録を取ろうと取る前と同じですよね。
私が朝食を作り始めるというその行為によって家族を巻き込んでいくわけじゃないですか。
ここが大事なんですけど、作り出さないということによっても家族は大きな影響、作り出すことよりも作り出さないことの方がより一層巨大な大きな影響を受けちゃうんですよ。
このダイナミズムから逃れられないんですよ。何にしても。
私たちは地球が回るように、ではないかもしれないけど規模としてはね、地球が回るように生きているわけですよ。
で、私が何かをしてしまえばもう周りはその渦に巻き込まれていく。
もちろん私は他の人たちがその渦に巻き込まれて行動を取ることによって他の人たちの渦にも巻き込まれていくんですよね。
午後の最後の晩年の頃の絵みたいなもので渦巻き状態なわけだと思うんですよ。
お互いがお互いに強い影響を与え合っている中で、今やっていることに着目してしまえばですね、もうその時に起きることがあるんですよ。
思想が遠い目標を置いたところから分割しようと、そうではなかろうと大した違いはないと自分は思うんですよね。
本当にですね、台風と似てるんですよ。
台風の予想進路図って図に書くから台風19号とかいう名前が台とかいうのがあってね、渦巻きいっぱい書いてこう行ってこう行ってこう行くっていう風に書けますけれども、
実際あれ渦をものすごい力で巻いてるわけじゃないですか。
しかも意思があるわけじゃないから、周りの気候やら地形やらどんどん影響されて形はどんどん変わっていって、
少し動くたびに渦自体が変化をして、周りも巻き込んで、周りの変化によって自分自身も変化させられるじゃないですか。
あれと似てるなと思うんですね。
だからどんなに精密なコンピューター使ってAI使っても、正確に進路を描くことはとっても困難ですね。
おおむね不可能ですよね。何かしら間違いますよね。
その間違いは結局全部の影響を完璧に取り入れることができないってことだと思うんですね。
15:08
人間の場合はあれよりも自分の意思というものがあることになっていて、
影響を細かく細かく受けて、しかもその進路だけ予想すればいいってものじゃないので、
どう移動するかの他にもいろんなことがあるから、
実際にはその人間が実際に行っている手にハンドクリームをつけるとか、
その小ささで1時間先を読むことも無理ですよね。
現実的じゃないと思うんですよ。
1時間先をそんなに膨大な計算の結果を読んだとしても、
結局それほどの価値はないですよね。
スーパーコンピューター10台くらい使って、先生母の10分後とか予想したところで、
せいぜいトイレに行くとかいう結論が出るか出ないかっていう程度の話にしかならないじゃないですか。
つまりミクロな予測って私たちはしてないんですよね、実際には。
いらないから、そんなもの。
ミクロな予測って2分後の自分は何をしているだろうとか、
3分後の自分は何をしているだろうとか、
いちいち考えないじゃないですか。
そうすると未来予測ってすごく雑ばくなものというか、
めちゃくちゃ大雑把なものになっていくわけですよね。
いろんな要素は無視することになる。
そんなことは予想しない人はみんなわかっていると思うんですよ、私は。
そんなに細かいところまでは予想しきれていないと。
それを長期計画というやつではやっていると思うんですけれども、
それは本当に大きな計画であり、いろんなことはスルーされていますよね。
自分自身の変化とかはもちろん、自分変化しないことになっているでしょうし、
周りの人との人間関係も現在の人間関係以外のものは、
そこに想定するのは不可能だと思うんですよ。
例えば、本当はどうかわかりませんが、
私と正反対の思想を持っている人たちだってですね、
私の影響とかを受けちゃうんですよ。
私が喋っていることとか書くこととかの影響を、
嫌でも大でも結構近い位置にいるから。
その私という人間が、例えば1年ちょい前で、
倉園圭三さんのグッドバイオスの影響を多大に受ける。
予想できないですよね。
その影響を多大に受けると、自分たちがどういう影響を受けるのかも、
さっぱり予想できないですよね。
しょうがないんですよね、こんなことは。
予想のしようがないですからね。
2年くらい前だったのかな。
ちょっと正確な年月はすいません、言えないんですけれども。
18:02
倉園さんが私の視点からすれば、突然ですね。
ジョン・レノンのイマジンのように生きるっていう本を出すようなことが、
Amazonにパッと上がったのを、なんとなく私はいつも、
8年以上ずっとその動向がなんとなく気になっていたから、
動向全然わからなかったんですけど、
動向なかったですからね、情報としては。
ずっとなんとなく追ってて、パッと目に入ってきて、
即予約したんですよ。
その本はその後、永遠に手に入らなかったんですけど、
非常に驚いたのだけはよく覚えてるんですよ。
昨日たまたま、昨日だったと思いますね。
テレビでジョン・レノンのそのイマジンが流れて、
初めてですね、なんとなくわかった気がしました。
僕、ジョン・レノンのイマジンのように働くっていうことの意味は、
全くわからなかったんですね。
私、あまりにも洋楽というものに対する理解力がないので、
多分日本でジョン・レノンについて一番知らない人間の一人だと思うんですよ。
ジョン・レノンのイマジンのように働くって、僕の中では、
なんて言えばいいのかな、
全く同じようなアナグラムですから、
全く同じ、別の意味がそこに隠されてるんじゃないかと思うぐらいに、
意味の理解に及ばないんですよね。
そう言われるくらいならば、ベートーベンの大工のように働くのほうが、
まだ少しわかるような気がするんですよ。
大工だったら何度も聞いてるし、
ただ、結局意味わからないことに変わりはないんですけどね。
なんとなく昨日、それが、
グッドバイブスという話との中で繋がった感じが少ししたんですね。
こういうようなことになったのかもしれないぐらいの辺りがつくようになったんですよね。
それってNHKの番組を見たからなんですけど、
このような影響の受け方も世の中にあって、
予測のしようがないですよね、こういうことって一つとして。
まさかそういう本をグラゾンさんが書かれると思いもしなかったし、
グラゾンさんがもし本を書くんだとすると、
出てくる本は多分、スーパーライフハック大全とか、
iPadライフハック究極の技とか、そういう本だと思ってましたし、
ジョン・レノンのイマジンのように働く、
もう僕の中ではそういうものの一種としてのタイトルになってるから、
意味不明になっちゃうわけですよ。
しかも私はジョン・レノンのイマジンを通して聞いたことが一回もない人間なんで、
たぶん。
で、ジョン・レノンという人がビートルズだということを知ったのも大学卒業後の話なんで、
たぶん。
そういうことなんですよね。
で、聞いてもビートルズって言っても分かんないですしね。
僕の知識って極端な偏りがあって、別に嫌いしてるとかそういうことじゃないんですよ。
ただ、聞く機会というものを持ったことがないという、
21:01
そういうこと。
たぶんこれって相当変なことなんでしょうけども、
僕の人生は自然の成り行きでそうなっちゃってるんで、
分かんないんですよ、要するに。
分かんないということなんですね。
で、歌詞も英語じゃないですか。
だから分かるはずがないような気がするんですよ。
ちなみに私、英語が分かるということと、
英語の歌詞が分かるということは全然関係がないことというような気が、
今でもしてるんですよね。
歌詞読んでも全然意味分かんないですよね。
歌詞とか、なんていうのかな、歌って不思議なところで区切るじゃないですか。
詩とかってすごい私からすると遠いもので、
全然分かんないんですよね、正直。
良さが分からないとかじゃないですよ。
理解ができない。
アラビア語とかに書いてあるのが理解できないのと、
ほとんど変わらない理由で理解できないんですよ。
英語の歌の歌詞を読むぐらいなら、
ドイツ語の心理学の文章を読むほうがよっぽど理解できるという、
レベルで理解できないんですね。
その話がすごく今日は脱線してるんですけど、
要するに未来というものを読んで計画立ててるわけじゃないから、
皆さん、誰が未来の計画を立てるにしてもですね、
それはもうなんていうんだろう、
本心としてどういう感じでいるということとは別に、
それを一種の占いのようなものになっているんだろうなっていうのが
私の今思っていることなんですね。
占いってするじゃないですか。
占いが絶対当たると思ってみんなやってるわけではないですよね。
で、占いをやると。
吉祥占いでもなんでもいいわけですよ。
1年後あなたは素晴らしい人と結婚していますと。
ああよかったよかったと思うじゃないですか。
で、その人がタスクシュートを使うとして、
で、その人はタスクシュートの中に
婚活みたいなのも入れているかもしれませんけど、
それ占いと別の話ですよね。
私はタスクシュートで長期予定を組み込むというのは
そういうことだと今は理解しているんですよ。
でもそれが占いがその人に何の影響も与えていない
ということではないんですよ。
その人は結婚したいことは違いはないし、
1年後結婚できるだろうな、
素敵な人と結婚できるんだという希望を持つことによって
何か変化が起きるんだと思うんですね。
私は大変な長期予定の結果として
Jさんがベルリンに今行っているとは思わないんですよ。
でも彼はベルリンに行きたかったんだろうなとは思うんですよ。
そこを疑う理由全然ないですよね。
それはタスクシュートとは
実は何の関係もないことだと私は思うんだけれども、
本人の中ではベルリンに行きたいということと
今日のタスクリストということが
何らかの形で影響を与え合っているとは思うんですね。
私にしてもそうだろうなと思うんですよ。
私は1年後の願望とか1年後の希望とかは一切ない。
24:00
明日のもないけれど、
多分無意識のどこかでは何かしらを願望していると思うんですよ。
そのことは今日のタスクリストに反映されていると思うんですよ。
何らかの形で。
私はそれを明らかにしたいとは別に思わないし、
明らかにする価値があるとも思っていないからしませんが、
多分影響していると思うんですよ。
この願望を持ったリストを眺めて何かを実行すると、
それによって明日に対する何かしらの影響みたいなものが
及ぶんだろうなという気はするんですよ。
ただ、ここで大きな大きな誤解を私たちがしていて、
昨日と今日と明日というものが
私という人間において一つの軸の上で連続しているという
大きな間違いを犯しているんですよ、私たちは。
この、この、何て言うんですかね。
ごく簡単に言うと、過去、現在、未来って
平気で線でBって書いて矢印書くじゃないですか。
あれ、あれイリュージョンですよね。完全に。
どう考えてもあれはおかしいですよね。
そんなものないですよね。
あるとみんな思ってるんですよね。
思い始めてるんですよね。
とってもおかしなことだと思うんですね。
あれはないはずなんですよ。
で、あれ、ああいう風になってないと思うんですよね。
同じところで同じ人間が未来に向かって歩いていくみたいな。
それは明らかにおかしいですよね。
台風がそうなってないのと同じですよね。
台風ってどんどんどんどん変わってますよね。
台風19号などという固定したものは存在しないですよね、本当は。
家庭的にそういう名前を付けて浮いている
連続して変化している渦ですよね、あれは。
私たちだってそうのはずなんですよ、本来は。
連続して変化している渦ですよね。
だから同じものがずっとこう
なんかビー玉でも転がるみたいに
過去現在未来みたいになってるはずはないんですよ。
だから明日にどんな影響を及ぼすかとかは
言えるはずはないと思うんだけど
でも明日に何か変化が
及ぶようなことをしていることは確かなと思うんですよね。
現在の私のリストを見ていると
グッドモーニングバイブスをしているわけですけれども
さっきやったのは目高に餌をあげたことで
これからやるのは野菜ジュースを作ることなんですよ。
毎日毎日変わってないんですけど
毎日毎日やってることは違うわけですよ。
野菜ジュースは同じのを一回も作ったことはないですし
少しは絶対違いますよね。
私自身が変化しているし
昨日の地球の緯度の位置と
今日の位置は違うんですよ。
だって今日の方が太陽が出るのは
2分遅くなってるじゃないですか。
沈むの早くなってるじゃないですか。
1分ずつかなどっちも。
とにかく違うんですよ。
だってそれは違うに決まっているじゃないですか。
だからただしそのようなことは
加味されてませんね。
タスクシュートに加味できるわけがないですよね。
そんなのは常識ですよね。
27:01
私はそう思うんですけれども。
そうしてみると
私がやってることとJさんがやってることに
違いはないと思うんですよね。
大きな違いは。
考え方は違うように聞こえると思うんですよ。
でもそれは言葉の上の話なので
すごく私は最近極端な話
私の未来の占いではこうなっているんです。
なぜでタスクシュートを組んでるんですという人がいても
もはや私とそう違いはないような気がするんですね。
つまり未来のことが
私から見ればですけど
はっきり分かるレベルのことでしかない
という点について
私にも何ら違いはないんですよ。
分かると思って組むと全然違って
分からないと思って組むと
全く新しいリストが出てくるかというと
そんなことはないんですよ。
ましてですね
結局これはやった通りの結果が残っていくだけで
私が未来の予測ができると思って行動するのと
できないと思って行動するのと
行動にそんなに変化があるかなと思うと
ないだろうなって思うんですよね。
正直言って。
多分ほとんどないだろうなと。
グッドドレスの影響を受けて
体の健康度も
仕事の着方も
何もかもすごく変わったんですけどね。
奥さんとの関係とか
変わってないのは娘との関係ぐらいなもんだ。
あれだけは最初からグッドバイブスだったんだなと思います。
変わりました。
けど
久しぶりにいろいろ見てみたんですね。
ここ1年ぐらい前のタスクリストと今の比べて
ほとんど変化ないですね。
ほとんど変わらない。
目高に野菜やってるし
野菜ジュース作ってるし
グッドモーニングバイブスが入ったのは
大きな違いと言えば違いですけど
本当にビビたるもんですね。
午前中に原稿書いてるし
午後には大橋さんと大橋絵造さんと
ズームしてるし
全く同じですよね。
寝てる時間は10時台
起きてる時間は6時台
少し違うかも。
10分分ずつぐらい違うかも。
でもそれは娘が大きくなったせいであって
グッドバイブスとかタスクシュートとか
未来予測とは何の関係もないです。
これ未来の予測が少しはできるかも
と思っていた時代のと比べて
多分ほとんど変わらないですね。
私は
私だってベルリンに行くことはできると思うんですよ。
でも私がベルリンに行ってやることは
目高には餌やんないと思いますけれども
野菜ジュースは作りそうですし
朝食準備もしますし
朝食も食べますし
トイレにも行きますしね。
変わるのかなそこって思うんですよね。
場所がベルリンにはなるでしょうから
やらなきゃならないことは増えるでしょうけれども
結局最終的には
極めて似たようなところに
落ち着くんではないかなという気がするんですよ。
それもすごい速さでですね。
いかにも自分がやりそうなことを
30:01
いかにも自分が毎日やるんだろうなと。
ただ同じではないですよね。
それは。
確かに全然違うことです。
でもそれは
未来のことが分かるからとか
逆算思考したからとかではないと思うんですよ。
その逆算するとか
未来の目標をすごく大事にするとか
そこが重要視されているという点では
確かに思想が正反対かもしれないけれども
実際にタスクシュートを使って
反映させてやっていることに
僕は何ら違いはないと思うんですよ。
よく私がリアリストだと言うんですけど
リアリストか理想主義かは
関係ないと思うんですよね。
私は現在の自分の生活状態が
理想的だと思っています。
生活状態なんだからそれはリアルでもあります。
理想的でなきゃいけない
なんて言えばいいんですかね。
理想的であらしめることは
何にも難しいことではなかったというのは
倉園さんに教わったことなんですけれども
理想というようなものが
遠大で遠くになきゃいけないということは
別にないわけで
しかも遠大で遠くに理想を置いてみても
今やることは同じになっちゃうんですよ。
バーニングとかと比較して
そこに決定的で正反対の違いって
どういうことなのかがわからないんですよね。
粛々ととかバーニングとか淡々ととか
というのは形容詞ですよね。
それを本気でと言っても
手を抜かずと言ってもいいんですけれども
それって実態としての違いっていうのは
何かあるんだろうか。
私はJさんのところに
思いっきりで仕入りしてバーニングだってやって
原稿書いても
私たぶん原稿の書き方が変化しないような
気がするんですよね、自分の。
バーニングだという形容の上でやっても
淡々とという形容の上でやっても
だから速度を15倍にするとかってできないですからね。
速度たぶんほとんど変わらないと思います。
もしかするとバーニングという形容の上でやると
タイプの音がうるさくなるかもしれない。
それって実質的な違いはないですよね。
バシャバシャってやったとしても
時間管理に最も役立つなタスクシュートというツールであると書くことに
違いはないような気がするんですよね。
それで私の仕事の本質って
その文章の内容じゃないですか。
そこにたとえ私は
どんなにバーニングをしている心理状態にあっても
たぶんJさんだって同じだと思うんですけど
33:01
熱く燃えるようなタスクシュートかとかって書かないと思うんですよね。
書かないですよ。
同じことをやると思うんですね。
だからそれは単に
なんていうんだろう
ちょっと雰囲気の違いがあるかもしれない。
Jさんと私とでも雰囲気が違いますからね。
でもそれはもともとそうなんですよ。
私がバーニングになったってそうなんですよ。
彼のようにはなれないと思うんですよね。
彼が私のようになるはずないし
それは思想の差ではないですよね。
持って生まれた何かの差ですよ。
もともとそういう違いはあったんで
出会った時からね。
彼とかは音楽とかをやっていたし
1回ぐらいしか見たことがないような気がするんですけど
数回見たことがあるか
ああいうふうに私は
したことないですもん。
たぶん生まれて1回も。
そういうタイプじゃないとしか言いようがないですよね。
それは思想化性反対とかではないですよ。
だってそんなことを言ったら
熱っぽく歌を歌っている人は
みんな私と思想が性反対ということになってしまいます。
私はそもそも
人前でだけではなく
熱くなって歌を歌いたいと思ったことがないですから
でもそれは思想のせいではないですよ。
私は歌を歌って
穏やかに歌を歌わないで生きていかなければならない
とか思っているわけではないですし
単に別にそういうことをしたいと思ったことがない
今日は本当に脱線が多いんですけど
私はライブって言ったことが生まれて1度もないんですよ
なんて言えばいいんでしょうね
ないんですよ
普通にみんな行っているということを知って
衝撃を受けた記憶があるんですよね
私はそういうのに対するコンプレックスがひどいんですよ
バーとかって夜のバーでカクテルを飲むとか
大人がやるみたいな
僕はやったことがないんですよ
だからすごいコンプレックスがあって
やらなければいけない
自分は大人になれなかったからできなかったんだな
みたいなのがあって
ライブってそういうものの1つなんですよ
だからライブで歌っている人ってすごいなとか
つい思っちゃうんですよね
そういうのがあるんですよ
バーのカクテルと似ているんですよね
たぶん何の関係もないと思うんですけれども
今となっては
そういうことをしておくべきだったなみたいなのが
あるとすればそういう後悔みたいなのが
私はあまり後悔をするということはないんですけど
そういうのはあるんですよね
しておかなければいけなかったような気がするんだけど
ついにせずに来てしまったみたいな
そういう意味で
これが思想ではないんじゃないかという気がする
もともとこれは思想ではないと僕は思っているんだけど
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哲学とかでも全くないと思っているんですけれども
そんな気がするんですね
だから長期計画とタスクシュートっていうのは
関係ないと思うんですね
持っても持たなくても
本日のリストに反映される結果は
ほとんど変わらなく
本日のリストとして実行できることには
まして関係なくてですね
そういうのはもっと違うところ
もっと言うと
変えなきゃいけないと思うようなもので
変わるようなことじゃないと思うんですよね
そんなことを思わないところから変わっていくんですよ
これはきっと
多分変えなきゃいけないと思っていても
みんな言うじゃないですか
変わらなきゃいけないって多くの人が言ってるけど
変わらないじゃないですか
こう言ったら怒られるでしょうけどね
変わらないじゃないですか
変わらなければいけませんっていうのは山のように私たち聞いてきたけど
変わらないんだなってことが
なんとなく分かりつつあるじゃないですか
変わらないんじゃないかと私は思うんですよ
もし思想的に反対側のところがあるとすればですね
私は変わらなくて
変わらないのがいいんじゃないかなと
でもそうは言っても私たちは変わっているわけですよね
毎日毎日
変化しない人っていないので
だからそれが反映されていくんですよタスクシュートには
1日たりとも全く同じタスクシュートっていうのはないんですよね
十何年つけてみてもないんですよ
でも遠くから見てしまうと
これをですね聴観的にっていうの
遠くから見てしまうと同じになっているんですよ
ほとんど何にも変わってない
この範囲内でしか物音起こらないなって思うんですよね
それは長期計画を立てても立てなくてもきっと同じだろうなと思うんですよ
だからなるかが正反対かもしれません
気質とかね
でもそれがタスクシュートというところで見てみた場合
何しろ一番大事なのは今日のリス
現在の行為ですからね
何しろ一番大事なのは
その点では多分誰のタスクシュートも同じですよね
それが現在の行為を反映さえしていればですね
それ全員違うでしょうと言われればその通りですよ
全員違います
だからもともと同じものは何もないんですよ
だから同じ方向性とかのものもないと思うんですね
ただ現在のタスクはみんな同じですよ
39:01
あとはもうそこに何を書くかは自由じゃないですか
何書いたっていいわけですよね
書いたことなどというものが実行されるという保証は
どこにもないわけだから
長期計画でも地堕落な生活でも
好きに書けばいいという点で全く同じなんですよ
好きに書いたらいいわけですよ
書きたいことを書いていいんですよ
全く自由なんですよ
ただ現在やってることが反映してればいいわけで
これがですね
反対とかはないと思う
反対がもしあるとするとやらないぐらいしかないと思うんですよね
やらないのとやるのは僕も違うと思います
でもやってる以上は同じだという気がしますね
そんな感じですかね