2024-01-19 43:15

情緒の未発達が課題【GMV 921】

東京ライフハック研究会は明日開催です。
00:05
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
1月19日、金曜日、朝4時33分になりました。
やっと金曜日が来ました。
まあ今日はですね、曇ってて暗くてどんよりしているんだけど、
暖かいんですね。放射冷却がないってやつですね。
あの、まあ、暖かいとやっぱり動きやすくはありますね。
ここのところ、かなり冷え込みがきつかったんで。
あと全然関係ないんですけど、あの、本当に関係ないんですけど、この番組では初めてこれを言うんじゃないかっていうぐらいですけど、日経平均株価が高いですね。
あの、ちょっと先日、急にニュース見てびっくりしたんですけど、
1万3万3、もっとかな、3万5千円ぐらいまでいってんのかな。
あれを、あの数字って、まあ今、名が、あの、なんていうのかな、
えー、平均を取ってる株価、株そのものが違うと思うんで、
えー、比較の対象になってもしょうがないんじゃないかと思うんですけど、多分、言ってたんですけど、30年以上ぶりですよね。
つまり僕が、あれはいつだ、えー、高校生か老人生ぐらいまでさかのぼると思うんですよね。
あの、そういえばそういう時代もあったなみたいな、えー、一時、1万円を割り込むみたいな状況になってました。
何がそんなに調子いいんだか知りませんけども、あの、懐かしさをちょっと覚えました。
あの、円の安さといい、ああいう、あれより安かったんですよね、僕が子供の時は。
まだ200円を割ったら大変だみたいな、何がどう大変なのかわかんないんだけど、100円台になっちゃダメだみたいな論調もあって、
まあ、物売れなくなるからってことなんだと思うんですけど、日本の風景、今と全然全く違いますから。
もちろん携帯がない時代だし、それどころかデジカメもない時代ですからね。
えーと、なんか映るんですとかいうものが流行っていて、いたりして、あとなんだっけな、あの、まあ何でもいいんですけれども、えー、まだまだそういう時代だったんですよ。
外国人の方も、まず、少なくとも地元なんかじゃ全く見かけませんでしたよ。
あの、ちょっと私の地元から少し、いや、わずか10分北に上がると川越というところがあるんですけど、あそこに行って、外国人の人なんて、まあ、一人見たらびっくりするぐらいな感じだったのに。
今、外国人の人が来るところみたいになってますもんね。ものすごい違うんですけれども、えーと、なんかその、僕が幼かった頃の時代の数字は、あんな感じだったなーっていう、日経平均とかが3万円ぐらいで、
円はもっと安かったって感じがします。もうちょっと高くなっていく、そういう時期が急に来るんですけどね。まだ、あの、あれですよね、消費税ってものがなくて、
えー、小学校高学年の頃にあって3%が導入されて、すげー大騒ぎになっていたっていう感じです。
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はい、えー、全く関係のない話をしてみたりして、
まあ引き続き、明日、いよいよですね、あのうるさく言い続けてきた東京ライファック研究会、ライファック研究会に山崎孝明さんを招きして、
これのメインはですね、山崎さんを囲み、私、べっくさん、北信也さん、えふたさんを、がですね、あの、いろんなことを尋ねていって、
まあ、カナエ団風に、4人だからカナエ団じゃないけど、えー、4人で話をするという、山崎さんに答えていただくというのが趣旨です。
これっちがメインですからね。私が前座的に、ちょっとこの会の、どうしてこういうものを無理して広めているのかという趣旨を、
20分、まあ30分くらいかかるかもですけど、なんとか30分はかけないように収めたいと言って感じて考えておりますが、
えーと、というのは最後にLTが控えたりしますからね、2時間の中に、前座とLTとの間に、その4人団を入れると、結構カツカツなんですよ、なんだかんだ言ってね、余裕しゃくしゃくなようで、そんなことはないんで。
しかも、懇親会は現場ではやりますが、ほとんどの方はオンライン参加だと思うので、当然その後の懇親会にはご参加いただけないと思います。
なので、えーと、なんとかやっぱりね、山崎さんにメインの会の中でお話いただくのが一番好法、そのためにお呼びしているわけだってね、お招きしているわけなので。
はい、8名まで来ました。なんとか12、3名までは来てほしいなと、やる前は私はね、思ってたので、
常識的には20名くらい来ないとダメだろうって感じかもしれないんですけれども、私の感触ではね、13死いったらもう、えーと、なんですかね、
まあ祝賀ムードだなって思ってたので、8、8だとそんなもんかなっていう感じになってしまうので、なんとかこう、つらくとも2桁までいきたいという感じを、私は抱いておりましてね、はい。
で、あの、2桁といえばですね、昨日このPodcastでは物思いというタイトルを、えーと、まあ物思いって一般用語でもありますが、専門用語としての物思いって、まああんまり聞かないですよね。
これで2桁の後半いっていて、私はこの番組はいいなって相変わらず思っているわけですよ。
いや、これ多いと思っている人は多分僕ぐらいのもんだと思うんですけど、3桁いってないのに多いと思うなよって言われるかもしれませんけど、何しろタイトルが物思いですからね、タイトルに物思いが入っちゃってるんで、
しかも僕は精神分析家でもなんでもないときてますからね。これは私は大したことだと思っているわけですね。60名以上の方に半日で聞いていただくというのは物思いというタイトルじゃ、
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だって僕も物思いなんて、えー、45年以上全く知らずにきた一つの言葉ですから、もちろん物思いという言葉は知ってましたよ。
ただそれがカウンセリングの場で、というか精神分析というところで、えー、物思いという長字がみたいな用語の一つとして物思いっていうのが出てくるっていうのはね、やっぱ驚くべきことですよね、ある意味では。
いいおっぱいとかね、どっかで聞いたことがあるっていう人もいらっしゃると思うんですよ。結構そういう本を読まれるといった方の中にはね。
でも物思いはなかなか出てこないんじゃないかというふうに思うわけです。自己愛とかね。自己愛っていうのはもう本当、山崎さんが教えてくださったんですけど、
ナルキッソス病、まあこれは藤山さんの本にもそういえば書いてあったんですけど、ナルキッソス病っていうのがやっぱりそれじゃ通らないのがわかるんですけどね。
なんだろうな、たぶんナルキッソス病ってドイツ人が聞くと、私たちが桃太郎病みたいに聞こえるんだと思うんですよね。
これを自己愛って訳してしまうと、なんか桃太郎病、何でもいいんですけど一寸坊主病みたいなね、それを例えば、
何だろうな、果敢症とかって言うとわけわかんなくなっちゃうじゃないですか。一寸坊主病って呼んでたはずなのに果敢症ですかみたいな感じになるじゃないですか。
ちょっと今のはね、いい例じゃん。いい例でも何でもなかったんですけどね。一寸坊主って結局スーパーアイドルを子供に求めるみたいな感じの部分があると思うんですよ。
なんかこう、今流行ってるのか知りませんけどあるじゃないですか。もうなんかスーパーキッズみたいなね、ギフテッドとかっていうのかな、そういうものを自分の子に求めたいという気持ちはわかる感じがするんですよ。
それはもう平安時代以前からあったってことですよね。ああいう一寸坊主みたいなお話があるということは。
あれは私大好きなお話だったんで、私の中にも当然そういうのもあるんですけどね。
ノートで先日、イズアロンデルスというコミックを紹介したんですけど、あの竹宮圭子さんがよくそういうすごい子供みたいなのを書くんですよね。
だからあるんでしょうね。やっぱりそういうもの、そういう人を求める気持ちというものがですね。
天才少女でバイオリンも弾けて頭も良くて可愛くてみたいなそういうのがテレビに出てって感じがすると、なんかみんなすごい、ある種の人はすごいそれだけで幸福な気持ちになれるみたいな。
そういうものを一寸坊主症候群みたいに名付けた時に、子供に期待しすぎるのを漢字で子供愛みたいなこと、あるいは児童愛みたいなことを言い始めると、そうに違いはないけど意味がわからんってことになると思うんですよね。
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私たちがナルシシズムといった時に、自己愛ってパッと言い起こすと、これが起きてる気がするんですよ。ナルキッソス病っていう風に、ないしはナルキッソス症っていう風にフロイトが名付けた時には、間違いなくそういう現場の人間にはそれで通る何か感触というのがあったんだけど、全滅するという感じがしますよね。自己愛って言った瞬間に。どこがどう自己愛なんだろうみたいな。
日本人がナルシシズムって言って自己愛って言った時は、うぬぼれがひどいみたいな、もはや全く元の意味と関係ない方向に突っ走るんですけど、まずナルシスっていうのは、うぬぼれが強い人じゃ、うぬぼれが強いって日本人はそう考えるかもしれませんけど、日本で人が言ううぬぼれが強いっていうのは、あいつはバカなくせに賢いと信じているぐらいの勢いがあるじゃないですか。
ナルキスっていうのは、自分が美少年だと信じているっていうところが一つのポイントだと思うんですよ。あの人は鏡に映った自分を見て死んじゃうんで、自分がすごいイケてるって思うんだけど、鏡に映った顔がイケてるんだから、彼は別に過剰にうぬぼれてるわけじゃないわけですよね。
いや俺イケてるしっていうのがめちゃくちゃイケてる人が思う分には、日本人的にはそれでもダメかもしれませんけれども、それはアホなのに賢いと思ってるっていうのとは間違いなくズレがあると思うんですよ。
そしてこう、ビドの姿を見て、自分に端的して溺れ死ぬっていうのは非常に病理を感じさせるので、単にうぬぼれの強い人という感じではご機嫌な人みたいな。全然この天末はご機嫌な天末じゃないですもんね。
だからこの辺の話は、すごく訳語も含めてフロイトの話が伝わりにくいところがあるんだなというのを、いろんなエピソードを聞くたびに感じる。
そして明日、だから、そういうだから。このだからを今日ちょっと説明しようと思っているんですね。うまくいくかわかりませんがやってみようと。
つまり単純に一言で言ってしまうと、僕は自分の情緒というものが未発達すぎるというふうに考えたんです。
で、それは自慢にも何にもならないんだけど、頭の発達に比較して情緒の発達が日中しか遅れているというふうに私は思うんです。自分について。
とにかくそれでやってきたんだけど長らく。いいじゃんそれでって思っていた時代もあるんですけど、これじゃヤバくねって思い始めたのが40ジャストぐらいからで、
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もう後半ぐらいからかな、38くらいからそんな感じになり、45ぐらいで完全にこれはまずいなって思ったんだけど手の施しようがなかったっていうのが僕が言うところのミドルクライシスなんですよ。
私にとって。それで、だから、例えば仕事術なりビジネス書なりって私はいろんな意味で社会貢献は大だと思ってるんですね。これはもういろんな反論も異論もあると思うんですけど、私はそう思ってるんですよ。
ああいうものはもともと日本には必要だったし、必要だから出てきたんだし、必要だから広まった。広まればそれが玉石根香になるのは当たり前のことで、
広まってるのに玉だけ残ってないからっていうのは私は大体当たらないなって思うんですね。広がれば広がるほどピンと切り毛の間は広がるに決まってるというふうに思うんですよ。
だから本壇で特にそういう傾向が強いんで、これは当然のほどだと思うんですね。ビジネス書の質がっていうのは、質が低下したっていう話は私はあんまり考慮するには値しない話だとずっと思ってる。
広まることの方が大事で、あれがなくなってしまうと何が起きるかというと、実用書が例えばゴルフで100起きる方法っていうような本ばっかりになっちゃうんですよ。私が子供の時はそうだったんですね。
実用的なものをハウツー本としてまとめるという概念が極めて希薄で、コストがかかったということと、やっぱり出版業というのはどうしても保守的な方向に傾きがちになるので、売れない本は出せないと。
そうするとハウツー本というのは、タバコを3日でやめる方法とゴルフで100起きる方法がメインになる。あとは囲碁将棋の方になっちゃうわけですよ。ここから僕はハウツー本というものは来ていると思うんです。
だからハウツー本が仕事のやり方になったというのはものすごく進歩している話で、それはIT化と関係があるんだけど、ここにゴルフの話ししかなかったというのは、すごく不便だったわけですよ。
あれは絶対出てくると思ったし、僕は子供の時からそう思ってたんで、出てきて当然だったと思うんですね。ところがこのビジネス書はライフハックによったんですね。これも必然的な成り行きなんですけど、IT化と関係があるわけだから。IT化と関係があるというか、IT化と誇張を合わせていますからね。
書いてる人は基本的にはエンジニアさんかそれに近い機質の持ち主で、それもそれで必然だったんだと私は思うんです。この必然性は何を生んでいるかというと、いわゆる昔から繰り返し言われていた地域変調なんですよ。
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頭で勝ちなんですね。俗っぽく言えばね。情緒は置き去りなんですよ。だから今でこそパワハラとかHSPとか傷つきやすいって話は発達障害という文脈も含めてですね。つまりかなりメンタルに寄ってきているんだけれども、そこで書かれていることも相変わらずですね、頭ではわかりましょうねって話で話が主流になりやすいと私は思うんです。
この頭で分かろうという考え方、あるいは行動で自分の心に訴えていこうっていうやり方は、認知行動療法を持って僕はピークに達していると思っております。これはすごいざっくり言ってるし、僕の認識不足であるのも重々あり得るんで、その辺は気になる方は調べていただきたいんですけど、大筋はこうだと思うんですね。
頭で理解する。例えば、上司に厳しいことを言われて、あれはちょっとないんじゃないかって感じて、とにかくそれで悶々として、あんまり仕事もはかどらないし、食欲もなくなってきたしっていう話があるとするじゃないですか。今もあるぐらいだと思うんですよ。
その時に、私のこの番組でもおなじみですが、自分が悪かったのか上司が悪かったのかっていう思考にハマりがちだと思うんですね。気にしなければいいのは、頭では分かってるっていう、ここにしか解決の道がないようになっちゃってると思うんですよ。
そして、ああいうふうに言われなくなるためにも、ここはちょっとぐっと我慢して、仕事の手順書のようなものに粛々と取り組んで、ある意味ではプログラムコードに沿って自分を動かすように、
心を凍らせて頑張ろうみたいな感じにしか解決策が見出されていないように思うんですね。ビジネス書とか仕事術でこれを取り扱っても、この気配が極めて濃厚な感じがするんですよ。
昔、羊たちの沈黙という映画がありましたが、あれの中に、原作の小説の方に、トマス・ハリスの小説ですけれども、クラリスが、クラリスというのはあれですよ、最後に打ち合って頑張って、ジョリ・フォスターが演じていたやつですね。
あの女の人が言われるんですよ。なんかすっごい嫌な、しょうもない上司にですね、足を引っ張られた時に、上司のクロフォード課長というのに言われるんですよ。クラリス、心を凍らせるんだと。フリーズだったのか何なのか忘れたんですけど、心を凍らせておけと。
この復讐はいずれ時が来たら徹底的にやるみたいな。その時のために凍らせておけみたいな。これが非常にビジネスライクと言いますか、私たちが持っているほとんど唯一のメンタルの困難を乗り切る時の態度というか、ハウツーなんですよね。
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私はこれ全然上手くいかなかったんですね。これしか知らなかったから、私にも煮つかわしくもなくこういう方法を取ろうとしてたんですけど、無理、極めて無理っていう感じで、一度もこれで上手くいった試しがない。
だいたい凍らないしなっていう感じ。凍る人もいるんでしょうけど、クロフォード課長みたいな人は凍るのかもしれませんけど、あのクロフォード課長を演じてたのは上手かったのは誰だったんだろうね。まあいいや。全然無理だったわけです。
ちなみにハニバル・レクター博士は、ああダメだ、私俳優の名前とか出てこない、昔ピカソをやってるのを見たことがありますね、の人だったと思うんですけど、とにかく全然ダメだと。私にはこの凍らせる作戦は何の意味もなく、ただこう辛い思いに見て見ぬふりをするというのが精神。
やっぱり戻ってくる考え方っていうのは一つしかなくて、気にしなければいい、頭ではそれはわかって、でも気にしてしまうっていうこの無意味な、無意味なではないんだけど、これでは解決になっているとは思えない堂々巡りが繰り返されているばかりだったわけですね。
でもまあ何とかなったわけですよ。それでも時間が経てば、嫌なことってのはありますよ。Amazonのレビューだったり、あれはそんな大したことないんでね、もっと厳しいことは起こります。メッセージとかで不意にいただくわけですよ。あなたのは大変ひどい話だと思うみたいなのがバッとくるんですよね。関係者であることもあれば、そうでないこともあります。
もう一つ、自分の時間が欲しいっていう話になったときも、やっぱりここには情緒の問題なんだなっていう、私がこの結局急にバッと怒られて心が傷つくなり困るというのは困るんだけど、いろんな意味で仕事がはかどらないだけじゃないですよね。
もう何と言ったって気分が落ち込むんで、やっぱりいいことないわけですよ。僕は食欲がなくなるなんていうのは、僕は食欲で生きているような人間ですから、僕は食欲と睡眠欲で生きているような人間ですから、全く食べる気もしなくなるなどというのは落ち込みすぎにも程があるといったところなんですね。
この情緒的な問題というのがですね、さっき言ったように最初は頭で振り払うっていう、知的に邁進することで情緒は凍らせて、可能なら凍らせて突き進んでいけばいいと思ってた思ってた思想をやってきたんですけど、30代後半になって、やっぱり体力の低下とともにですね、おそらく体力の低下が最初に始まったんだと思うんですけど、これをやると体が持ちこたえられなくなっていく。
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っていうのにまず最初に非常に気が塞ぎ始めたわけですね。体まで来るんだみたいな。
40代に乗っかってきてからそれが明瞭になり始めると、体にそもそも負担がかかるという事態そのものを避けたくなってくるわけですよ。
例えばドキドキするとか、それ昔はドキドキしたところでちょっとドキドキしてるなぐらいな感じだったんだけど、これ心臓に負担を余計に増やすの嫌だなみたいに思うようになった。
そうすると何をするかというと、人と距離を置きたくなりますよね。結局この問題を持ち込んでくるのは人なので、人と距離を置きたくなる。
絶対距離を置けない人っていうのがいくらかはいるわけですよ。これらの人がいなくなるとそもそも仕事ができなくなるっていう人たち。
本の編集さんなんかが一時的な付き合いであっても割とこじれることある。どういう人か分からずに付き合い始めますからね。
そして意外に濃厚につきは本格っていうのはやっぱり自分の心の相当本音の部分をさらけ出すことになるので、考えてみると全然死にもしない人に向かっていきなりそれをやり出すわけですよ。
そしてそれに対して内容がどうのとか、時間がもう締め切り迫ってますとか言われると、もう非常に心理的な重圧になってくるわけですよね。
これがハウツー本で起こるんで、世の小説家とかの書いてる方は大変だって私はよく思うんですよね。
さらけ出す度が違うんで、まあでもそれはどっちにしてもあるわけです。
そしてこういう人間関係があり、でもいざとなれば本なんていうのは切り捨ててしまえばいい。
もう書くのやめたってやればですね、その人と関わらずには済むわけですよ。
これでも済まない人っていう人がやっぱり仕事の関係者にもいて、さらにこれ以上済まないのが家族ですよ。
で私は家族っていうのがやっぱり最大の難関だなと思ってたんです。
ついさっきも読んだんだけど、私のまさに編集さんも言ってたんですけど、一番いいのは家族を持ち結婚してその家族がいない時間帯だって言ってたんです。
まさにこういう心理状態こそ情緒というもののやはり課題を抱えてるってことだなって思ったんですよ。
言うことはよくわかりましたよ、当時も。
でそれがいけないとも思わなかった。
ただこういう風になるってことのその情緒的な、間違いなく僕はその人の頭脳と同じ程度までその人の情緒が成熟していればそんな風には決して感じないって思うんですよ。
これはもう直感的にね。
当時は直感的にでした。
今ならばある程度説明もできますが、当時は直感的にやっぱりこう家族がわざわざ自分が結婚した相手がいない時間帯こそ自分は自由だと感じるというその感じ方は、
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その人の頭脳レベルを考えた時には合ってないなって感じがしたんですよね。
その人の頭脳の発達とっていうのは大変なものがあったから、そこに情緒が到底辿り着いていないっていうのは何かひどくアンバランスなものがある。
私は子供の頃というか違うな大学生の頃、大学の先生がですね、地域変調の害についてすっごいその人も地域変調な人だったんだけど、すっげー頭でっかちな教授だったんだけど、
地域変調の害について割とこう熱弁を振るっていたことがありまして、そんなもんなんだって思ったんだけど、つくづく中年になってその弊害ってものを感じるようになったんですよ。
で、これやっぱりその編集さんの問題じゃないんですよね。僕の問題なんですよ。
あのファン座をやたら見るだとか、これは全く情緒的な問題なんだなということに不意に気づいたんですよね、その頃。
全然これは性的な問題では全くどこもない。これはただ性的な問題にしか見えないし、人もそういうふうにしか見ないから、なかなかそのことに気づかない。
自分が要所的に未成熟すぎるからこういう課題を抱えている。
これはいわゆる行動療法的にですね、見るのをやめればいいっていう話では全くないんだなっていうのがわかるようになったってことですね。
何か報酬刑を作ったり、それこそタスクシュートで時間がいかに時間的にファン座を見るというのは優先順位がどこにも上がってくる理由がないんだということをいくら目の当たりにしたからといって、
そうすることで実は減らすことが簡単にできるんですよ。
僕はしばらくゼロにすることだってできるんだってことがわかったんだけれども、それができるということが何にも僕のいろんな意味でいいものをもたらしてはくれない。
ただただ行動としてその行動を取ってないというだけでしかないんですね。
僕の気持ちがついていってないというのがすごく感じたわけです。
だから例えばなんだけれども、この情緒的な未成熟っていうのは本を原稿を書くっていうのは書けばいいわけではないんですね、やっぱりね。
この辺は倉園圭三さんのほうがはるかに納得感のある説明をしてくださるんだけど、私はこの説明を持ちずにあえてここを頑張るんですけれども、
そうすると何にも説明してない感じで言っちゃうんだけどね。
つまり私はファン座のほうが本音では見たくて、この原稿を書くのはそこまでの情熱が入ってないのをよく知ってたんですね。
これを行動としては240分を原稿に使いファン座をゼロにするってやると、行動としてはライフアタック的に言うと十分それでいいじゃない、満点だよって感じがするんだけど、
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僕は0点に近いってずっと思ってたんですよ。
これじゃダメなんだっていう。
それはなんつうんですかね、こういうのを僕はどうしてもここに本音のところではある種のことを投入しきれないんですよ。
例えば魂を込めるとか、嫌なんですよね。
この嫌だっていうのが何かを、何かのまだ物足りなさがあると思うんですけれども、なかなかそういう気持ちになれない。
でもこれじゃダメなんだっていうのはいつも痛感してます。
なので情緒というものの未発達さが、私に結局は何かを求めさせる。
性ではない。性も含むんだけど何かを求めさせる。
そういう何かについてのものを置き去りにしていくと、仕事については何も今度は入ってないものになってしまう。
あのあれですよね、仏作って魂込めず的なやつですよ。
でもあれもね、どうかと思うんですよね。
仏教に魂という概念はどう位置づけられるのかわかんないので、仏と魂っていうのは僕は合わないなっていつも思ってたんで、
仏教の言葉を聞くために上手いこと言うなとは思うんだけれども、納得感はゼロに近いなっていう、やっぱ私は寺の人間なんだなこの辺は。
仏道と神道っていうのは本当にいろんなところでミックシングされちゃってるんですけど、うちの寺でもやってましたからね。
諸座って言うんですけど、同じ語境を5回唱えるんですよ。
ただし後ろ3回は省略形を唱えるんだけれども、諸座で朝の諸座は東を向くんですね。
日の出の方を向くんです。完全に神道ですよね。
それが嫌いで非常に仏教的じゃないとやるたびに思ってたんですよ。
でもなんとなくそれはありがたい感じはしちゃうんですよね。
そのその辺の気持ちの悪さがあったんですよね。
当時は4,5歳だったと思うんですけど、全然これは仏教的ではないなっていうのは、
ちっちゃい時から感じたから、父が感じてないはずはないと思うんですよ。
結局そういうのって父から来ているはずなんでね、私の場合は。
母はそういうのは全然疑問に思うタイプじゃない人間なんで。
あの方が幸せなんですけどね、ある意味ね。
まあまあ、それはいい年を。
私はいろんな脱線しますよね。とにかく喋ってて思い出しちゃうんですね。
あの情緒的な未発達というものが、ビジネス書ではもっと問題にできるはずだっていうのがあるんですよ。
やっぱりゴルフで100のスコア100を切るっていうところから、
もうタスクシュートをエクセルで実践するという本まで来てるわけだから、
来られないはずはないと思うんですね。
30:01
新聞説がここに入ってきて、悪いはずはないって思う。
ただ入ってきてないだけで、それは書き手の気質がやっぱり大きく地に変調しているせいなんだと思うんです。
気にしなければいいんだよっていう気にしない理屈をいくらも考えつく、そういう頭の良さがある。
だけど気にしないことに頭でして、頭では分かっている人を大量に生み出しても、
心では分かっていないっていう事態がそのままの話になるわけです。
ある程度は行動を変えれば気持ちがついてくるっていう部分があるんだけど、
やっぱりこのやり方をとことんやり続けがちなので、この世界はそうでなくても。
そうすると情緒はいつまで経っても、こういう距離が空いたままなわけだと思うんですよ。
だからこの問題がいつまで経っても、
コテサキノっていう表現をとった時のコテサキノって言ってるのは、ここを指すんだろうと思うんですよね。
私には、情緒的に未発達だなっていうのを教えてくれたのは、
Good5スト精神分析だけだったんですね。
いくらHSP的な本を読んで、繊細なあなたは悪くないんだっていうのを読んでも、
慰めてられているという、気にもなれながら。
僕はね、そういうのがあるんですと。
それは省令主義的なものですよね。
そういう意味では私は、ドンズバで分裂症、要するにジゾイド型っていうのが入ってくるんだけど、
あれだったらドンズバなんだよ。
結局あれも省令を言ってるだけなんですよね。
あなたは孤独を好みますとか、自分一人の時間を大切にしがちですとか、
そういうことを書いてあって、なるほどその通りだと。
表情がちょっと乏しいと言われますとか、そういうのは全部でもそれは症状を指している。
羊飼いがあった職業でしょうっていうのは、冗談みたいに書いてあるけど、
当然羊飼いをやるわけにはいかないわけですよ。
だからとにかく、そんなことがいくら書いてあっても、
なんでそうなのかは分からないと、
結局気持ちや心がそうであるっていうのを多少でも何とかしたいっていうニーズには一切触れてないんですね。
なぜならば省令主義というのは、それはあなたの個性だからそれでいいんですって考え方だから。
で、いいんですで安心できるからいいでしょうっていうのも悪くはないと思うんだけど、
そこだけでは困るケースってあるわけですよ。
あなたは人が怒られているのを見るだけでも心が深く傷つく優しい人でこれでいいんですと言われても、
悶々としているときはそれだけでは困ると思うんですよ。
僕はもっと少なくとも自分に関しては、もっとここには病的な問題が潜んでいるからやっぱり、
33:05
距離を人と置くってのは傷つかないようにするって話ですよね。
イベントによって傷つかないようにするって話ですよね。
傷つきやすさはそのまま温存されてますよね。
ここをどう捉えるかだと思うんですよね。
私はですね、他の人がそうであるべきだとは思いませんが、
私は傷つきやすさの方そのものを何とかしたいと思ったんですよ。
人に迷惑をかけるのが怖いとか、
それは人に迷惑をかけてもいいってことではないんだけど、
人に迷惑をかけるのが怖いようじゃダメだとは思ったんですね。
自分自身について。
程度問題って言うのでもダメだと思うんですよ。
やっぱりここを治療の対象としたいと思うようになったんですよね。
そのぐらい切実なところまで来たということです。
そもそもそういうふうに捉えてない、普通の本は。
認知行動療法も含めてそういうふうに捉えてない感じがする。
世間一般のいわゆる世間知では、やっぱり人と距離を置こうって話にしかなってない。
やっぱり家族がいない自分の時間が一番いいというような感覚が温存されてしまう。
僕これが偏前ではないと思ったんですよ。
少なくとも自分が頭で考える限り、家族と一緒にいて、
そこでなんていうこともなくというのか十分充実感を持って、
不自由感を持たずに仕事ができる方が、
ルスの時にわざわざ狙いすましたように急に自分らしさを発揮し始めるなどというのに比べて、
ベターだと頭では分かっていたんだから、心がこれについてこれるようになりたかったってことですよね。
そこをまっすぐサポートしてくれるよっていう考え方を取っているのがGood Vibesで、
つまりここをまっすぐサポートするという考え方や実現する方法があるんだなというのを考えたわけですね。
考えついたというか思いに至ったわけです。
これを明日トラケンでいくばかかを伝えできればいいかなと思うんですよ。
やっぱりその未発達な情緒は個性だからOKなんです。
というのでこれにダメは出せない。
まさに今の時代これにダメは出せないことになったんです。
だからこれはこれでいいんですよ。
だけれどもこれに違うアプローチ、その個性そのものを何とかしたいという場合もある。
36:01
これに手を当てたい場合は言い方少し違うのかもしれません。
精神分析でもカウンセリングでもGood Vibesでも言い方違うのかもしれないけど、
僕の理解ではこうなる。
これが個性というよりはやはり治療対象であり得るという話ですね。
私がそれを最初に見つけたのは分析ではなかったんですね。
あのひもての品格だったんです。
あの本の中で私という人間が珍しく真正面からえぐり出されていて、
結局著者は対策は考えてくれませんでした。
堪えようぐらいな感じでした。
でもこの堪えようというのが、
私はこれでは十分だと思ったんだけどあの件に関しては、
でも堪えようというのが情緒というものに向かっている、
おそらく初めての展開だったなと僕が読んだ限りですね。
堪えるってことは気持ちを強くする方向じゃないですか。
堪えるというのは彼女を作るというアプローチとは典型的に逆なんですね。
彼女を作るというアプローチがまさにLifehackやHow To本の主流なんですよ、現在でも。
気持ちに手を当ててない。
むしろ外部的な課題としてこれを捉えていて、
その外部的に問題を解決しようとしている。内面で解決しようとしていない。
それほどまでに女性を求めるというのは何なのかというふうに考えていない。
求めるという気持ちを尊重しているようには見えるんですけれども、
そこを何とか外的なテクニックで通そうと頑張っているわけですね。
つまり死ぬのが怖いっていうのは気持ちの問題じゃないですか。
それに対してLifehackっていうのはある意味死なないようにしましょうって話なんですよ。
でも寿命を伸ばすことはできますが、そこは健康ハック的になりますが、
死なずに済ませることはできません。
最終的にはメンタルというものに向かっていく以外ないと思うんですよ。
だからそこが宗教に近づいてきやすくて、人はこれを嫌がる。
嫌がるから健康ハックで頑張るんだけど、
でも健康ハックはいかなる意味でも死ぬのが怖いには一心もまだ触れてないですよね。
死ぬのが先に延期されるに過ぎなくて、死なずに済むようには絶対にならないんですよ、現段階では。
そういう意味ですね、これは。
私にとってはやっぱり死ぬのが怖いんですってことになったとき、
ではこのサプリメントを飲みましょうというのは十分じゃないっていう考え方になったんですよ、最終的にはね。
ずっとサプリメントの方に酔ってましたけれど。
そういうことを明日話題にしたいわけです。
39:01
精神分析ではどういうふうなところが私にヒットしたかというと、
例えばそのハンザーを見まくるみたいなときにですね、
どうしてそもそもポルノっていうのは男性文化で発展したのかというのをそのまんまの言葉で書いていたのが精神分析科の本の中にしかなかった。
非常にある意味知的な方面からアプローチしていたというのが一つ。
あるいはこの番組でも何度かお話ししている20歳年上の女性と結婚したエンジニア。
あれは病気であると心理的には。
こういうふうにアプローチしているというアプローチ自体がこれはオグデンっていう人の本の中にあった事例ですけど、精神分析科の本の中にあった事例ですけど、
やっぱり病気であるっていうふうに認識している。
これが珍しいわけですよね。
いやそれは個性でしょうって言えばそれで済ませれてしまうんですよ。
そのエンジニアさんは20歳上の女の人と結婚した。
それは個性だよねと。
でその人は奥さんがいなくなるとソワソワしてしまう。
それも個性だよねと。
そしてでも一人っきりで作業しているガレージに奥さんが入ってくると嫌がる。
これも個性だよね。それでいいじゃないですかって言われるとそれっきりなんですよ。
だけどその人は精神分析を受けに行くともっと結局はそういう言葉になりますが、
健全で自由な心というものを手に入れることが多分できるんですね。
で私はこの本、この事例を読んだ時に全く私のことだと思った。
全く私のことだと思ったんですよ。
そしてこれは絶対僕は情緒的に子供っぽすぎると思ったんですね。
人のを見ると余計そう感じる。
で多分成功したエンジニアと書いてあるから頭いいわけですよ。
そして社会的にその頭脳を生かす方法も知っていて、
もちろん頭そのものもいいという人なんだ。
だから情緒の発達はまるで成熟した4,50のあるいは60ぐらいの老人ぐらいなんだ。
その人の情緒っていうのは4歳とか3歳時、この落差がおかしいって僕はやっぱ思うんですよね。
この差があって当然だ、個性だ、では私は納得がいかないんですよ。
そしてここをやや奥さんがいないときに自由に発達できるからいいじゃないですかっていう、
それが行動主義的かどうかわからないんですけど、
僕にはややそれが行動主義的な解決法に思える。
そういう解決法もあると思うんだけど、
この解決法だとその人の知的な偏りぶりが一向に是正される感じがしないなという気もする。
そして精神分析というのはこの課題に情緒にまっすぐ手を入れる方法論を既に確立しているので、
絶対こっちを用いることができるなら用いた方がいいと思いますし、
42:05
用いることができないんだとしてもですね、精神分析受けに行ったりはできないんだとしても、
知っておく価値はあると思う。
結局これは地に編集している感じもあるんですけれどもね。
でも知っておく価値は僕はあると思うんですよ。
それで自分の情緒にはこういう部分がとにかくあると、
そしてそれに手を加えていくことができる。
できると自体は必ず進展していく。
その人にとってはですね、これ以上知を伸ばしていくというのは難しい話だと思うんですよ。
社会的に成功したエンジニアがこれ以上頭を良くして問題を解決するというのは困難だと思うんですよね。
しかし3、4歳児並みの情緒の人が10、20まで進展させるのは、
これは十分容易にやろうと思えばできることだという感じがします。
だからそっちに手を入れていった方がいろんな意味でいいのではないだろうかという話を、
明日いいことができるといいかなと思いますね。
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