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おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
昨日もちょっとお話ししたんですが、おとといライフエンジンというコミュニティで喋らせていただいたんですけど、
私がその時に強烈に思ったのは、グッドバイブスを身につけるにあたって、実感するにあたって、
いろんなものがあります。いろんなものと言っても4つぐらいしかないんですけど、
4つぐらいは3つか4つあって、うち1つにイリュージョンがあるんですけど、
これについてもっと真剣に手放すべく努力をするっていうのが必要かなと思うことがありました。
つい先週かな、くらぞのさんに面白い話をいただいてですね、
くらぞのけいぞうさんの、いつもやってるのかどうかわかんないんですけど、
多分でも毎日なのかな、厳密に考えるとこれもちょっと難しいんですけど、
でも簡単な話なんですけど、要するに人についてですね、
人って言っても多分その時に思い浮かべられる人っていう範囲内だと思うんですけど、
について、かすかにでも私たちは不満を持っていると、朝か夜かに、
最初に起きた時か寝る前か、多分最初に起きた時かな、不満を持っていて、
その不満はどんなに小さい不満でも持っているものだから、
それを一つ一つ完全に手放してから一日をスタートするみたいな話を伺ったんですね。
これ私は連日割とその気になったんで忠実にやってみてるんですけど、
まず最初にあった大きな発見がですね、自分は自分の娘にすら持っているということだったんですね。
ただし、このワークをしないと娘に対する不満は自覚はできていなかったですね。
それはすっごい不思議な不満なんですけど、言語化するのは困難な、
だから通常は意識に上がってこないレベルな不満で、
ほんとに他の人だと絶対気づかないであろう、
おそらく私か私の妻にしか分からないような不満を抱くんですね。
これをまず取ると、これは簡単なんですよ、はっきり言って。
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本当にできているのかどうか厳密に考えると一番難しいのかもしれないですけど、
これ簡単なんですね。この時分かるのが、これはイリュージョンなんだってことなんですよ。
ライフエンジンのコミュニティでもそうだったんですけど、
何名かの方がこのグッドモーニングバイブスを聞いてくださっているということで、
あるいはグッドバイブスに読まれているということで、
頭では分かると、イリュージョンなのも分かると、ここだなって思うんですよね。
分かっているはずはないと僕は思うんですよ。
分かっていたら、イリュージョンというのは存在しないってことだから、
分かっているってことは、それが怖いとかそれに不満だということはなくなっちゃうはずなんですよね。
分かっていないから不満なわけですよ。あるいは恐ろしがっているわけですね。
あるいは不安なわけです。
存在しないものに不安になるということ自体が無理なことなので、人間にはですね。
不安というのは対象を持っていますから、漠然とした不安であったとしても、死に対する不安とかね。
遠い将来かもしれませんけど、何にしても何かを意識していますので、
意識できないものに対して不安があるということはできないので、意識できないわけですから。
それは存在しないものですからね。
存在しないんですよ。イリュージョンってそういうことですからね。
存在してないよっていう。存在していないってことが分かっているんだけれども、
それが不安なんですっていうのは、これはダメなんですよ。
存在していると思っている段階で、イリュージョンではないと思っているところがあるわけですよね。
イリュージョンということについて言うと、
つまりそれは、ないものなんだけど、あると誤解しているもの。
でも、なぜあると誤解するかというと、
それについて真剣に考える気はないからだと私は思うんですね。
娘に対する不満というのは、私は非常に受け入れがたいものなので、
つまり意識の上では不満を持っていませんから、受け入れがたいものなので、
あるってことはそれについて真剣に考えるしかなくなるんですね。
真剣に考えると、それはないってことが分かるんですよ。
これがイリュージョンってことなんですね。
真剣に考えないからあるような気がしちゃうんですよ。
お化け屋敷のお化けとか、墓場の幽霊みたいなもので、
その実在が生むについて真剣に考えないからあるような気がして怖いわけじゃないですか。
そこに行って、何でもいいんですけど、X線とか使ったり、物質に反応する何とかとか使って、
真剣に実在を調べてみると何とか救出みたいになるんですけど、
怖くないはずなんですよ、そこまでやる人にしてみれば。
存在しないと思っているわけですから。
存在している証拠を得られないわけですからね。
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例えばですけども、多くの人が言う時間が無くなる、時間を奪われるというイリュージョンですね。
これは分かってるんですがっていうのが筆頭にくるぐらいなんですけど、
分かってないわけですよ。分かってないから時間が奪われる、本当に奪われる、
本当に無くなって本当に損をつるって思うから怖いんですよ。
だから腹が立つわけですね。
そういう怖い話を持ち込んできた相手を爆発させたくなるわけです。
私はそれが一切無くなったから楽になったっていうと、
次に来る問題は、佐々木はこのままでは死ぬに違いないというイリュージョンなんですよ。
いつかは死ぬんですけど、つまり時間をどんどん失っていくうちに、
自分がやるべきことができなくなり収入が途絶え、
もしくはあまりにも人の言いなりになりすぎて発狂して死ぬわけですね。
というイリュージョンなんですよ。
私はそれを持ってたんだけど、無くなったんですよ。
無くなってみるとですね、当然人が頼んできたことは全部やるので、
実はそれ私そんなに難しいタイプじゃなかったんですよ。
割と人の話にいつまでも付き合うというところがあったんで。
これも面白いんですけど、濃くイリュージョンを持っている人はそういう私を見ていて、
昔からですね、結構不安になってたんですよね。
いつまでも付き合っていていいのかという話をされるわけですよ。
一つ、これを聞いていらっしゃる方にだけはある程度、
本当はできないんですけど、エビデンスとして一つ、
これが毎朝この時間にできているということは、
のほうずに人の話に付き合うということによって時間がなくなったりすることはないんです。
私は今のほうずに人の話に付き合ったり、人の求めに応じて行動していますけれども、
これを現実できなくなるということはほぼないじゃないですか。
全くないわけじゃないけど、ほぼないじゃないですか。
つまり時間がそれによってなくなるというのはイリュージョンなんですよ、完全に。
これについてはですね、タスクシュートとかで時間の記録をとっていると、
目に見えて一応わかるというやり方もあるんですけど、
はっきり言って別にそんなことはどうでもいいことです。
イリュージョンというのはないわけですから。
私、時々思うんですよ。
タスクシュートをやっているということはイリュージョンみたいなもんだから、
もうやめちゃってもいいんだけども、やってはいるわけですよ。
いろいろ行きがかりもあるし、この行きがかりというのは私はイリュージョンではないと思っているんですよ。
行きがかりもあるし、さまざまな背景もありますし、
聞かれたときには答えられるようにしたいみたいなのもあります。
ただ、これによって時間がなくならないように頑張ろうと少しでも思ったときは、
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そのときは明らかにイリュージョンを持っているんですよ。
こうやって自分は不満を囲つわけです。
いろんな人に対してね。
それを一つ一つとっていくと。
大概の作業はですね、この不満を確実になくしていく上での大概の作業は、
私にとってはやっぱり時間なんだなというのが大きいです。
時間に対する不満がなくなると、不満はゼロになっていく感じがしますね。
労力とかはあんまり関係ないです。
私は実はですね、これも非常に不思議なんですけど、
私は病弱だというイリュージョンをずっと抱えていたんだけど、
体力はあると思っていたんですね。
これもイリュージョンなんですけど。
体力はあるんですよ。
なので労力かかるとかは苦にならないんですね、それほど。
時給走とかも結構速い方でしたし、
短距離は相当速い方だったので、体力はあるんですよ、病弱だけど。
イリュージョンっていろんな形ですごいいい加減なんですよ。
ちゃんと考えようとしないと、どこにでも発生するものなんですね。
もう一つですね、これは私にはあまりないイリュージョンなんですけど、
モラルに期待するイリュージョンっていうのがあって、
昔、だいぶ前にこれはなるんだけど、
これは倉園刑事さんとTV、何かの収録をしていたときに出した話題なんですけどね。
会社でイチャイチャしている女が許せないっていう女性がいるんですよ。
この話結構聞くんですけれども、
このイリュージョン何なんだろうと。
つまり許せないのはイリュージョンなんで、基本的に。
許せないのは全部イリュージョンなのか議論はここではしないです。
許せないというのは全部イリュージョンだって。
で、なんでこれがイリュージョンなのかという話をしたときに、
倉園さんはモラルじゃないって話をされたんですね。
私はそこが興味深かったんですよ。
私はモラルに期待するイリュージョンだと思ってたんですね。
そうじゃなくて、否記されて自分が不公平に扱われるということによって、
不利益を被るという話なんだと。
これは確かにその方がスッキリするなと思ったんですよ、その時。
ただ私はその後もですね、
人というのは一定程度モラルに期待するというイリュージョンを結構強く抱える人がいる。
そのモラルというものに人はそこまで期待できないという話をされたときの
倉園さんのお話が面白くてですね。
めちゃくちゃ怖そうな、怖もてな、その道の人ですよねが、
同じようなことをやっていたら注意する日が全くしないはずだという話があって、
それはそうなんですよ。
だからそういうふうに私たちはモラルというものにそこまで力を与えられないと。
それもそうなんだと思ったんですけど。
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ただですね、なんかこうモラルというものに、
しかもそれが注意するとかイチャイチャするのに対して何か言うというほど、
イチャイチャでもそうだなぁ、そのぐらいだと思うんですよね。
あまり社会正義って言うほどのことではない時に、
モラルに期待するイリュージョンってよく出るよなぁと思うんですね。
で、そのことを考えてしばらくしていて、
ふと思ったんですが、
繊細さん、HSPみたいな方、
ああいう方ってすごくモラルに期待するよなぁと思ったんですよ。
で、それはですね、深刻な問題ではないと私は思うんですね、いつも。
なんかこう道に捨てられている、
タバコのポイ捨てとか、
ああいうことに妙に過敏に反応するところがある。
そして人のモラルに期待しようとするところもある。
ちょっと前に読んだんですけど、
Twitterでですね、
Twitterじゃなかったかもしれない、
ブログだったかもしれない、忘れましたけど、
HSPですっていう方がですね、
私は朝方なんです。
で、夫は夜方なんです。
で、それが非常に耐え難いと。
ちゃんと夫は別に問題があるわけじゃなく、
それで普通に生活できているのはわかるんだけれども、
自分はHSPなので、
朝とか、朝起きて、
もう相手が寝ていると気になって、
いろいろなことが自然にできなくなって、
とてもストレスだと。
で、なんとか話し合って、
まともにしたいっていう話を読んで、
私は非常に驚いたんですよ。
これは偉くまた不公平じゃないですか。
ところが、この方多分、
全くこの要求は正当な感じを持っていると思うんですね。
私は股間神経症から精神症に渡る橋だなって思うんですよ、よく。
ここを渡っても大丈夫だけど、
こういう橋を渡り続けていると病気になっちゃうんだよなっていう感じを僕は持つんですね。
つまり、完全に自分にアドバンテージのあることが守られていないと、
モラルに反するっていう感情を強めていけばいくほど、
人生辛くなっていくんですよ。
逆だと人はよく思うらしいんですけど、
そうではないはずなんですよ、よく考えてみると。
なぜならば、最終的にはキム・ジョングンとかを目指さなきゃならないじゃないですか。
ああいうところに行ける人はいないわけですよ。
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世界で3人とか4人とかしか。
そうじゃない人はみんな猛烈な不満を囲って、
できれば公開処刑したい人間に怒られるとかいう事態を招くわけじゃないですか。
だからあれをやると辛いんですよね。
これはアンモラルなんだろうか、モラルなんだろうかって考えたんですね。
結局、モラルに期待するっていうのはこういうことであって、
何か強い力というものがですね、自分には力がないから。
自分には力がないので何か強い力というもの、あれですね。
隣の子が僕の鉛筆を取っちゃいました。
先生怒ってくださいっていうあれですね。
あれを期待するんだと思うんですよ。
私はこれはなるほど繊細な人が期待するラインだろうなという感じがとってもしたんですね。
モラルに期待すると。
モラルに期待するっていうのはすごくですね、
言ってみると弱いというイリュージョンなんですね、いろんな意味でね。
特に自分は無力であると。
自分が無力であるというイリュージョンもすごくあるんですけど、
私の病弱だっていうイリュージョンと同じで、
病弱だから寒いところに出ちゃダメだとか、
いろいろとイリュージョンが自分の行動を制約していくんだけど、
弱い、自分は弱いので先生怒ってくださいという、
だから怒ってほしいわけですよね、ある意味。
で、怒ってほしいというのは自分に対してでは無論なくという意味です。
自分の感覚なので、不当に隣の人が怒られていると、
その怒っている上司を誰かが怒ってほしいという、
そういう感じになると思うんですね。
そのような話をちょっと、
コンビニの列の割り込みを見ると許せなくなるみたいなお話を先日いただいたわけですよ、
相談としてですね。
本当にダメなんだっていう、
そういう、でも自分は何も言えない、
あの、精細なのでね。
この問題って、自分は弱いっていうまずイリュージョンが一個あるのと、
もう一つはモラルは、
モラルが強いと思っているのかは分からないんですけれども、
モラルぐらいにしか期待できないというイリュージョンがあると思うんですね。
で、突き詰めていくとっていうわけじゃないんですけど、
精神分析的に言うとですね、
ずっと戻るとですね、やっぱりこう、
最初に戻ってくると思うんですよ。
幼児時代に戻ると思うんです。
幼児ってのは、親に甘えるというところにかけて出てきた人たちですよね。
親に甘えるしかないんで、
親に全てやってもらうしかないんで、
親がですね、いやいや時間ないから君のことはもう捨てますって言ったら、
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それまでじゃないですか。
捕まりますよね、ところがそれをやると。
これがモラルに期待するってことだと思うんですよ。
いやいや、愛さなくてもいいからちゃんとやってくださいと。
ところが私、これは逆だと思うんですよね。
この自分は弱い存在である、1。
2、人は宛にならないからモラルに期待しよう、
2っていうこのイリュージョンのセットは、
極めて、
なんて言うんですかね、
それこそ無力で役に立たないと思うんです。
結局、親ってネグレットとかしてるじゃないですか。
それが法に抵触するってことはある程度認識してるにもかかわらず、
多くのっていうのかな、この種の考え方を取る方は、
技術とかモラルとかに期待しようと。
人の愛情とかそういうやつに、
この話何度してもですね、
こうひっくり返すのに私たちは苦労するんだなっていうのが分かったんですよ。
要するに私たちって最初は、
親の愛に懸けてこの世に登場するしかないわけです。
言葉は通じない。
排泄の何とかすら自分でできない。
それどころか食べ物も自分で手に入れない。
歩くことさえできない。
この状態でやってくるわけですよね。
だから、愛されてなければ、
もう死んでるはずなんですよね。
その愛が十分でなかったとか、
育て方のスキルとしてなってなかったという話はあると思うんだけど、
どうであれ愛されてなければもうとっくに死んでて、
すでにここで喋ったりはできてないはずなんですよ。
ところが、このことについて
頭では分かってるって話になっちゃうんですよね。
でもそういうものは信じられないので、
モラルとかを信じるわけですね。
あるいは技術とかを信じるわけです。
親は全く愛してなかったんだけど、警察が怖いから育ててくれましたとか、
親は全く愛してなかったんだけれども、
なんか相棒みたいなものが背負うしてくれましたとか。
まだ無理ですけどね。
そういう方に期待しちゃうんですよ。
ところが私はこれは全く、
この方が宛になるような気がするぐらい、
今は技術が進んだんだと思います。
社会制度も整備されたんですよね。
でも私は全く逆だと思うんですよ。
何度かお話し出しますけれども、
近しい人にも引きこもりみたいな人がいるわけです。
ああなってしまうと、
打てる手立てってないんですよ、実は。
別に特にこれと言って、
親とかとしてみればですね、
例えば病院に連れて行こうとすると、
行かないって言いますよね。
相手の方が力強いから無理やり引っ張っていくことはできないんですよ。
で、誰かに来てもらうと、会わないって言いますよ。
だから絶対にアクセスすることは、
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非常に絶対的に困難になるんですよ。
時々ですけど、ほとんどそういうことが起きませんけど、
言われている方はテレビとかでは報道されるじゃないですか。
刺しましたとか、殴られちゃいましたとか、
怪談からどうのこうのとかね、あるじゃないですか。
あの時私はここで期待できるものがあるとすれば、
愛情しかないと思うんですよね。
モラルに期待するなんて全然ナンセンスで、
もう時々ですけど、そんなところまでまず行かないんですけど、
時々極限状態みたいになっちゃう時ってあるじゃないですか、人って。
もうこんなんじゃ、この子もお先真っ暗だから、
みんなで一緒に死のうみたいな、
急にそういう考え方に囚われることってありますよね。
その時にモラルとかには全然期待できなくなってしまう。
いやいやでも警察に捕まるかもしれないから
踏みとどまろうってならないんですよ、そういう時には。
ああいう時にはむしろ愛情しか残ってないと思うんですよね。
その時、愛情に期待するという時には、
私たち生まれた時に登場する時の状態と
同じ話になると思うんですよ。
決して、いやこの子ももう60までこうだけど、
これからちゃんとやって結婚できるかもしれない人かって思わないんですよ。
だからここでまだ可能性に賭けようみたいな、
そういう発想にはならないんですね。
で、私はそのライフエンジンのコミュニティの時にも
話題になったんですけれども、
最初は赤ちゃんはそうやって歩けもしない、
食べれもしない、喋れもしない、
福もなく金もないかもしれないけど、
将来頑張ればそのお母さんとかお父さんに
やってもらったことを恩返しできると、
そういうふうに思うから親は世話をしてくれると考える方が
自分には受け入れやすいというようなお話があったんですね。
今言った通りじゃないですけどね。
ここまで説明できるじゃない。
僕は理屈っぽいんでこういう説明になっちゃうんですけどね。
そんなはずはないと思うんですよ。
私だったらそんな約束だったら信用できないと思うんですよね。
これは要するに投資に近い発想なんですよね。
子供に投資しようと。
はっきり言ってですね、私なんかはひどいもんだったんですよ。
生まれてすぐなんだか知らないけど髪の毛全部抜けちゃって、
頭ボシボシボシってなっていきなり発熱すると。
この面倒くさいものが投資だけが全てであるというならば、
当時でさえそうなんですけれども、
どっか他人に里子に出すとかできないわけじゃなかったんですよ、
昭和の40年代は。
ちょっと育てるのに難しいので親戚に預けるとかね。
そして別の子作ったらいいじゃないですか。
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投資が全てであるならば。
私はそうは思わないんですよね。
そういう発想にはなり得ないと思うんですよ。
そういう発想する人がゼロだとは言わないですけれども、
でも基本的にはその発想でいくっていうのは後知恵であって、
最初からそれでいけるとは到底思えないんですね。
つまり愛情に期待できないってそこまで思い込むようになったのは
よほどのことがあったのかもしれないんですけれども、
真っ赤な嘘っていうのは変なんですけど、
真っ赤なイリュージョンっていうのはもっと変なんですけれども、
本当にそれはイリュージョンで
自分が弱いっていうこと
プラスそういうような愛情とか
いったことには一切期待できないという
そういうイリュージョン。
だからモラルに期待しようという
そういう考え方だったと思うんですね。
モラルに期待して強力なポリスが上にいて
みんなを公平に扱う。
不当に怒鳴ったりしない。
会社でイチャイチャとかは許さない。
そこら辺のポリスではさせない。
っていう世界が出現すれば
自分の生きていくその中で
非常にスムーズに心安らかに生きていけるっていう
イリュージョンだと思うんですね。
僕はこれ完全にイリュージョンだと思うんですよ。
そうやって出現した社会みたいなものが
北朝鮮みたいな社会じゃないですか。
あれで心安らかに生きている人は
多分一人もいないと思うんですよね。
それも相当珍しいですよ。
8000万人ぐらい人間、5000万人がいて
一人も心安らかに生きられない国って
そうはないと僕は思うんですよ。
それを出現させるというのは
よほどのイリュージョンを
現実のものに変えていくっていう
壮烈な何かがあったはずで
まずちょっとでもそのイリュージョンを見損ねた人は
みんなすぐ殺されるみたいな世界であるはずですからね。
そういうことは
普通は出現しないので
ですけれど
イリュージョンを捨てるのはこれに比べると
いとも簡単なんですが
それをするためにはやっぱり
イリュージョンであるということを一度
徹底的に見抜かないとダメだと思うんですね。
時間は損をしないとか
自分の価値は人の批判とか
遠くに買い物に行かされるとか
二度デマをやるとか三度デマをやるとか
全く意味のないところまで忘れ物を取りに行くとか
そういうことをやったからといって
一切損なわれないということを
確信しないと
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確信するためには損なわれたって感じるじゃないですか
その時に何が損なわれたのかについて
真剣に考えないといけないと思うんですよ。
これを多分考えないんですよ。
イリュージョンだと分かっているっていう風に考える方々は
このことについて真剣に考えないんですよ。
だって損をしたじゃないかってすぐ考えて
しないようにしないと死ぬと
社会的な不利益を被り、ひどい目に遭うと
この間の説明が欠けてるはずなんですよ。
徹底的に説明して
確かにこういう不利益を確実に被りましたと
いうことをですね
なんて言うんですかね
石を投げたら下に確実に落ちると
誰が見てもそういうことについて異議は唱えない
唱えるのは極めて無理があるっていうところまで
持っていかない限り
それは自分が信じたいということになってしまうので
無理だと思うんですよね。信じるのやめるの
信じてることなんですね。これを
石を投げて下に落ちるんだったら結局信じてることに
違いはないんですけれども
ただ疑いにくいじゃないですか。ものすごく
疑いやすいんですよ。非常に簡単に疑えるんです。
本当はないはずのものです。
1、これがどこまでも行くとですね
他人の例だと分かりやすいからむしろ行けないんですけれども
そのツイッターで朝方と夜方の議論になっちゃうような
話になるんだと僕は思うんですよね。
明らかに流暢を見てるじゃないですか。
本人はそういう気がさらさらないんですよ。
これは現実そのものだと思ってる。
でも他人から見るとそれは分かりやすいんですよ。
なぜ夜方の人は一方的に朝方にさせられなければならないのかと。
朝方の人がストレスを抱えているという
ただそれだけの理由で
反日逆転させられるわけじゃないですか。
なぜそこまでさせられることが
たった一言、自分は繊細だからだという理由で
正当化されちゃうのかと。
いいんですよ、これは。
私だったらすぐに朝方でも夜方でもひっくり返します。
なぜならイリュージョンですからね、どうせ。
ただ相手のイリュージョンの方が
はるかにイリュージョンなんですよ。
あっちこっちでいろんな部分について。
その中でもやっぱり一番簡単に見抜けるのが
時間が失われると言われます。
時間が失われる。
何分何秒がどのような形で失われたのかということなんですよね。
失われたとはどういう意味なのか。
お金がだったら1万3000円がなくなりました。
間違いなく誰もが同意してくれますよね。
1万3000秒が失われました。
まず同意されないと思いますね、自分を取り巻く
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ごく一部の人を除いては。
仮に同意する人が8割いたとしても
イリュージョンであることに違いはない。
このイリュージョンを捨てるということを
なぜそこまでしてやらなきゃならないかというと
苦しまなくて済むからなんですよ。
存在しもしないことによって苦しまなくて済むから。
これ以外は何もないんですよね。
世の中が正しくなるとか
それもイリュージョンなんですけど
イリュージョンな話を持ってきても
無駄だと思うんですよ。
ただ、頭では分かっているという話は成立しない。
なぜならば石を投げて空の彼方に飛んでいかないのは
頭では分かっていますというのはおかしいじゃないですか。
頭で分かっているとか何とかいう話ではないってことですよね。