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2021-01-22 43:45

【GMV303】罪を見つけると赦す以外は選択肢がなくなる

赦すのが難しいなら罪など認めないこと
00:00
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
日に日にですね、視聴者数が減ってるんですね。
このことを真っ先に言ったのはですね、今日はお話しすることと関係がなくもないからなんですが、
私たちってつくづく意味づけが好きだなって思うんですよ。
減るとか少なくなるとかに意味は全くないんですよ。
意味は全くないというか、つけた意味は確実に間違ってるんですよ。
私、昔ブログ書いていました。今も書いてますけど、盛んに頑張って書いてた時代があって、
その頃ってPVが増える減ることに、いろんな法則を言い出す人がいろいろいたんですね。
正直私や大橋哲夫さんも言ってたと思いますね。
僕は全部間違ってたと思うんですよ。
すっごい中には賢い人もいたし、成功した人もいましたけど、正しかった人は多分いないなって思うんですよね。
それは本当にいろんな法則があって、全部間違ってたと思うんですよ。
10年ぐらい経ってみるとね。
ビジネス書会とかもあったんですよ。編集さんもいろんなことをおっしゃるんだけど、
多分僕は全部信用しちゃいけないと思うんですよね。
中には当たってたことはあったと思うんだけど、信じちゃいけないと思うんですよね。
その法則にのっとって出せば売れるのかっていうと、多分そんなことはないんですよ。
長くやればやるほどそんなことはないっていう感じがする。
面白いことに1冊目からすでに法則を唱え出す人っているんですよ。
すごい賢かったりするんですよ、その人がまた。
でも信じちゃいけないことってあるなというのは、あの時思いました。
それを知りながら、ポッドキャストの視聴者数を見ては意味をつけようとする自分がいるんですよね。
縄をかけて縛っておきたい感じがするぐらい、この嘘を作り出す能力は何なのかっていう。
聞く側に立ってみるとすぐ分かるんですけど、自分が100万分の1リスナーだろうと2分の1リスナーだろうと、
僕は同じことだと思うんですよね、聞いている意味っていうのは。
その他に98万人が聞いているとすごい価値あって、
その他に1人しか聞いてないと時間の無駄だったと思う人もいるかもしれませんけど、
僕はその見方には全然立てないんで、
あれじゃないですか、例えばパンケーキとか食べて、まずかったと。
でも98万人が褒めたたえていると。
自分の味覚を疑いたくなりますけど、疑わない方がいいと思うんですよね。
一方で食べてうまかったと褒めている人は誰もいないと。
03:01
うまかったと思っていた方が幸せだと思うんですよね。
これはまずかったと思うべきだというふうに思ってみたところで、
何にもいいことはないような気がします。
そういうようなことですね。
意味ないんですけど、
つまり何人が聞いてくださるとかいうことに意味ないと思うんですが、
とはいえ1月30日のセミナーはまだ空きが結構ありますんで、
最近PTXの方でもお申し込みいただけるようになったので、
まともにセミナーで来ていることは、
クラゾン圭祖さんがお話になったことはまだないと思うので、
ぜひ、類似の話はありますよ。
要するに人工物と元からあったものの違いみたいな。
今日は自分もそういう話をしたいんですけどね。
なのでぜひ30日よろしかったら、
つまり時間の都合があったらお願いします。
直前でもお申し込みできます。
マインがてなければ。
人工物の中でも私が一番奇色の悪い人工物だと、
奇色の悪いは意味づけですけどね。
と思っているものが今日お話しする、
罪と罰と許しなんですね。
私許しもセットで気持ちがいいとは思えないんですよ。
ある意味ではですけど、
許しというこの気持ちの悪い選択が、
残された良い選択だという時代に陥らないためにも、
罪を見出さないというのがいいと思うんですけど、
私にはそれはできていないので、
ほぼ連日他人に勝手な罪を着せては、
それを許さなければならないというですね、
パターンを日々繰り返しておりますが、
これはもうトレーニングだなと本当に思うようになりました。
つい昨日ですね、
東京ライフ研究会の北さんという方と、
私も一緒に本を携わった方がある山尾さんという方が、
自己肯定感を上げる方法みたいなテーマで、
1時間以上にわたって、
YouTubeなりPodcastなりで話されてたんですね。
自己肯定感、根強いなぁと思いながらですね、
この言葉の意味って何なんだろうと、
私はすぐそういうことになっちゃうんで、
フロイトは何て言うだろうとかってなるわけですよ。
なかなか答えが出ないんですけども、
非常に面白いキーワードが多分ね、
間違ってたらすいません、皆さんの方が詳しいと思います。
06:02
NROじさんっていうキーワードが出てきたんですね。
これだと思ったんですよ、私。
NROじさんじゃなかったらすいません。
企業の中にいて、何にもしていないように見えると。
何の生産性も上げてないんだけど、
割と高級鳥であると。偉いんでしょうね。
そういうおじさんがいて、
ムカつくという話なんですよ。
このムカつくが罪なんですよ。
罪ってのはつまり、
そのおじさんは罪ありとみんなしてるわけですよね。
NROじさんっていうの?
そういう人たちがいるらしい。
で、この話、ベックさんっていうの、キターさんがですね、
非常にいい話をされていて、
NROじさんの存在というのは、
必ずしも悪いことばかりじゃないよっていう話をされていて、
この話大変いいなと思ったんですよ。
すでに1時間近くが経過していた気がするんですけども、
そこまで飛ばせって話じゃないですけどね。
この話、いい話だなと思ったんですよ。
でも、にもかかわらずやっぱりムカついているわけですよ。
お二方とも。
僕はですね、これは僕の勝手な考えですが、
グッドバイブス的な勝手な考えですが、
このNROじさんに罪を着せるということをしなければ、
自己肯定感は多分上がるだろうって気がするんですね。
これはですね、それをお勧めしますとかいう話ではないです。
カウンセリングしているわけじゃないんでね。
聞いて勝手な感想を言っているだけなんで、
自己肯定感を人があげようがあげまいが、
まあまあどうでもいいことと言ったら怒られるかもしれませんが、
どうでもいいことだと僕なんかは思っているんですよ、正直。
自己肯定感なんてどうでもいいような気がするんですよね。
自信ならね、まだ分かるんですけど、
自己肯定感という5文字で表現しなければならないようなものを、
僕はあんまり真剣に考えられないんじゃないかな、
人はって思ってたりします。
罪と罰って古典的じゃないですか、ものすごく。
なんかもうそこにまつわる強いイメージもある。
しかも1文字ですよね。
これすらちゃんと扱い兼ねるのに、
自己肯定感とかって難しいと思うんですよね、
日常的に扱うには。
まあそんなわけなんですが、
でもこのNRおじさんに罪を見つけないというのが非常に大事だと思うんですよね。
罪を見るということは不満を抱くわけですよ。
つまりムカつくわけですね。
ムカついてるということは既に罰死にかかってますよね。
たぶんいきなり殴るとかそういうことはできないはずですから、
たぶんそれは警察沙汰ですからね。
09:00
心の中で罰するわけじゃないですか。
だからそれがムカつく。
ムカつくってのは既に罪を見て、
しかも罰死始めてるってことだと思うんですよね。
という構造を心の中で成立させるということが、
私はエディプスだと思ってるんですよ。
お母さんとフォーリンラブになりました。
お父さんがやってきてチンチン切るぞって言ってます。
ムカついて罰死にかかってるわけですよ。
このリビドウが、自分のリビドウがですね、
性欲とか生理的要求とか、
抱っこされたいとか、
そういうごくありがちな動物的な要求に
罰を加えにかかってくるというときに、
私はエディプスってものが成立すると。
人の心の中にだけたぶん成立する。
倉殿さんがね、罪と罰というのは人が作ったものだと。
そういうものを人は作るんですよ。
7000年前から作ってますからね。
だから罪と罰の概念っていうのが、
私たちの心の中ではスッと作り出されるように
たぶんオーガナイズされていると。
言ったのがフロイドですよね。
これを活性化させてしまうとですね、
アクティブにすると、スイッチをオンにするとですね、
自分がNRおじさんっぽくなったときに
罰されるじゃないですか。
これを自己肯定感が下がるっていうことだと
しか思えないんですよね。
俺も気がついてみれば
生産性もなく高級取ってる。
辛いってことになると思うんですよね。
これをしなきゃいいわけじゃないですか。
辛いわけですよね。
でもあそこで話題になっていた、
お二方で話題にしていたのは
楽して儲けたい。
楽して儲けてはいけないのかみたいな。
まさにNRおじさん楽して儲けてますよね。
しかしそこに罰を与える。
ムカつくということは、楽して儲けるたびに
自分も罰を食らうわけですよね。
ここの構造だと思うんですよ。
自己肯定感が下がるというのは。
で、この罪ってやつなんですけど、
そこら中で発生しちゃうんですね。
罪が発生するじゃないですよね。
罪は今言った通りでエディプスなんで
人の心の中だけで発生しているものなんですよ。
昨日だか
オリンピックやるやらないよ国会で
お話になってましたよね。
首相はやるぞって言って
共産党のCさんが
本当にできるのかよって言っていて
まあ最もですよね。
つまりできるかできないか
極めて微妙なところに
あると思うんですけど
彼らが
彼らに罪を見るということが
発生すると思うんですよ。
で、
12:00
この罪を見た時に
私たちは前に
倉園さんが
面白い言葉だなと思ったのを
言われてたんですけど
なりなさい自分という表現を
彼は使ってたんですね。
なりたい自分となりなさい自分。
なりなさい自分というのと
私がよく
セットでイメージするのが
なりなさい世の中ってやつなんですよ。
なりなさい世の中も
なりなさい自分も
いた試しはないんですよ。
NRおじさんの
いない世の中ってないじゃないですか。
すでにいるわけですからね。
いなければどんなにいいだろうって
思うわけじゃないですか。
そんなことはないんだよっていうのが
北さんのお話になってたことなんですけど
そんなことはないんですよ。
そんなことはないんだけど私たちはこの
なりなさい世の中を
見るんですよね。
そして現実の世の中の価値を
下げるんですよ。
それが罪ってことなんだと思うんですよ。
現実の世の中の価値を下げやがったと。
こいつ殺そうみたいな。
極端に言うとそういう話になるじゃないですか。
こいつを殺せば
現実の世の中の価値は
元に戻って清く正しくなる。
これが
罪と罰ですよね。
で、
なりなさい世の中っていうやつは
つまり
そっちじゃない世の中になった
時に
強く打ち出されるんですよ。
オリンピックは結局開催されましたと。
で、なりなさい世の中が
出てくるのは
これを開催して
またコロナがひどくなって
世の中はひどくなっていって
国は滅ぶんだって思う人たちは
五輪のない世の中というものが
正しいわけじゃないですか。
存在しない
五輪のない世の中ってのが正しいんだけど
この存在しない方が
正しいのに
実際には五輪が行われたと。
ひどい現実だと。
このようにしてですね、現実がひどくなるわけですよね。
その人の
見る現実、その人が
生きている現実というものは
ひどい世の中なわけですよ。
で、
逆もありますね。
結局首相が
断念して五輪は
今年はしませんということになると
五輪がある世の中が正しかった
人の目にはですね
五輪が開催されないわけですよね。
これで経済が落ち込んで
コロナではそんなひどいことにはもうなんなくて
ワクチンがあって
収束もするのに
行われなかったひどい世の中に
その人は生きることになるわけじゃないですか。
そして
その人の頭の中には正しい
あるべき
なりなさい世の中があったわけですよ。
五輪が開催されるという
されたというですね
正しい世の中があったと。
で、ないわけですよそれ。
なりなさい世の中のほうは
15:00
なりなさいなので
ない世の中なわけですよね。
ないものが正しくて
現実はその分
悪くなるわけですね。
ないものが正しいから
生きている現実は
悪いということになるわけですよ。
このようにして
わざわざ
現実を黒くするんですよね。
黒くというか
悪くするわけですよね。
で、その世の中に生きている
という自分が
苦しいわけですが
なくせばいいと
思いません。
この構図だったらですね
なりなさい世の中のほうを
正しいと思うことを
やめたら
済む話だと思うんですよ。
そしてやめた時の
現実がよく見えるのは
想像しているレベルを
遥かに超えていいんですよ。
これはグッドバイオスで私が
知ったことですね。
でもこれを言うと
体験していない
人にしてみると
そういう
風なものなんだ。世の中って本当に
むなしいんですねというところに
そこで
頑張るんですよね。
世の中はむなしい。つまり正しい
あるべき世の中のほうが
なきゃいけないんだという
方で
頑張るんですよ。
僕はこれは大変
無理筋だといつも聞いていて
思うんですよ。これはグッドバイオス
を聞く前から無理筋だ。
これをやろうとすると
北朝鮮を作り出すしかなくなると思うんですよね。
ある人の頭の中にある
なりなさい世の中って
極端に言うと
自分が登場すると
みんなが拍手してくれる
世界。なりなさい世の中なんですよ。
これしかないと僕は思うんですよね。
人間の
自己肯定感
云々の話を
推し進めていくと
自分にとって一番
気持ちのいい人たちしかいない
しかも気持ちのいい人たちが
常に気持ちのいいことをやってくれる
世の中っていうことは
つまりは自分が
初期長とか
初期局長とか
原垂とか知りませんがそういうものになって
みんなが拍手をして
出迎えてくれると。ただ
多分その拍手している人の中の
少なからぬ人たちは
こいつ死ねばいいのにってみんな思ってると思うんですけどね。
あんなに笑顔いっぱいですが。
あの
不満を
抱くという話が
ちょっと前にあったと思うん
ですけれども
つまり罪を
見るということなんですが
これは
私が今
言ったような意味でですね
脳内に
いる人
つまり
理想的な
18:01
自分にとっての脳内に
自分が脳内で自然に
作っちゃう人ってだいたい
その人と仲が悪くなければ
ですが
理想的な人なんですよ
うちの
妻とかがいい例で
私の脳内にいる
奥さんがね
理想的な人に近いわけですよ
罪が
発生するときっていうのは
この理想的な
人とは
ずれた振る舞いを
現実の人が行ったときに
そこに罪を見るんですよ
この構図は相当
むちゃくちゃだと思うんですよ
これやってることはですね
例えば私仕事
パートナーの大橋栄総さん
ですけど、僕の脳内にいるわけじゃないですか
脳内の
私の大橋栄総さんがいるわけですよ
そのイメージ通りに
振る舞わない大橋さんを見ると
罪を見つけるわけですよ
こいつは私が
こういう風にイメージしている
正しい大橋栄総であるべきなのに
こういうことをしやがった
罪だってことになるわけです
すごい理屈だと思うんですよね
そんなはずはないじゃないですか
彼が何しようと
自由じゃないですか
ここで私がこうして
こうなりなさい大橋さん
みたいなのがあって
そうならないからって
そこに罪悪を認めると
だから罰しなきゃいけない
ここで罰し出すというのが
僕は病気だと思うんですね
質検討式だと思うんですよ
これは
夢を現実に対して
優先させているので
現実にはない橋を
渡ろうとして川に落ちる
病気ですよねそれはね
疾病ですけれども
質検討式の一歩は
そうやって始まると思うんですよね
だから僕は不満を抱いた段階で
多分これは質検討式に近いと思うんですよね
質検討式というのは
失う検討
認識の式ですね
現実検討の
現実検討力が
落ちるという言い方もするんですけどね
いずれにしても
そういうことが
そこで起こっていると思う
えーと
これも先々日ぐらいに
お話したことですけど
あのー名前が
あやふやなのでNROおじさんと同じで
あやふやなので
名前は出しませんが
これ名前出すのをはばかってるんじゃなくて
名前が間違ってる気がするからなんですけど
えーと
絵本描いて映画化された方
いるじゃないですか
でえーとなんかバッシングされてますよね
で私
バッシングしてる人たちに罪はないと思うんですよ
なぜならば
バッシングしてる人たちは夢を見てるからだと思うんですね
彼らは
えー多分
えー
その有名な人が
いないか
あるいは
21:01
そういう映画化とかをしない
なりなさい世の中に生きてるんですよね
なんだけれども
現実には彼はいるし
映画化もしてしまったと
それが現実なんで
ひどい現実だと
だからせめてこう
罰を与えないと罪を犯しましたから
えーなりなさい世の中
じゃない世の中が
出現しましたので
出現させたやつは
えー犯罪を犯してるわけですよ
だから罰しなければいけないと
がえー
名文化された法律に
そういうことは書いてないかもしれないので
えーと
ツイッターでバッシングするという形で
罰を与えていくわけですね
これが多分罪と罰の構造で
彼らは既に
質検討式だと私は思うんですね
夢を見ていると思うんですよ
で夢を見ている人に
罪はないというのは私は
倉園さんのいい言葉だなと思ってんで
これは結構頻繁に使うんですが
夢を見ている人に罪はないんですよ
だから私は
バッシングしてる人に
罪はないと思うんですね
突き詰めて言えば
これに罪ありとみなすというのは
NRおじさんに
罪ありとみなすというのと
結局同じでというか
完全に同じで
これに罪ありとみなすということは
私が偽装とする
大橋哲夫さん
道理の振る舞いをしなかった大橋さんに
いちいち全部罪を認めるというのとも同じで
狂ってると思うんですよね
それをやり出すということは
だから
その
橋を渡って川に落ちるので
それを続けていると
落ちるんですよね
これがまた面白いことに
面白いことでもないんですけどね
詰めて考えるとそういうことになるんですが
落ちるんですよ
だから
先日ね
滅多にやらないんですよ
ミリ単位どころかナノ単位でも
娘に不満を持つのは嫌なんですね
これをやりたくないじゃないですか
まあ大橋さんにならいいとかいう話じゃないんですよ
大橋さんになろうと
倉田さんになろうと
妻になろうとやべさんになろうと
ダメなんですけど
でも
娘には絶対やりたくないと思っているんですよ
この種のことを
ナノ単位でもやりたくないわけですよ
娘に罰を与えるというのは
もうその後の自分が
苦しむ度合いは半端ないんで
抑鬱症になるんで
必ず
やりたくないんですがやっちゃうんですよね
これでもここまで気を付けてても
あの
西野さんを罰審をしている人に
不満を抱くとかなら簡単じゃないですか
でも同じなんですけどね
絶対やらないほうがいいんです
結局それは自分の抑鬱を招くんですよ
最終的には
ただ娘にだとそれが
あからさまで確実で素早く
しかも深刻になるので
24:01
やりたくないんですがやっちゃうんですよね
前日その
受験の
勉強してた時に不意にね
なんかこうね
きつかったんですよきついことを
言ったどうじゃないんですよ態度がきついんですよね
でねあからさまに
罰するんですよね意味が
全くないんですよこれ
やっててですねやってる最中からもうね
あの意味全くないなと
これをやることによって娘の
耐性力が上がらないのが一つと
これを理解しなくても多分娘は
落ちないんですよね今受けようとしてる学校
だから
50の意味ぐらいで意味ないんですよ
しかもやりたくないと思ってるし
でやっちゃうじゃないですか
であの珍しくね
娘がね
軽くこう抗議してきてね
わーと思ったんですよね
めったにやらないことだから
年に一度もやらないようなことなので
でやってわーって思ってですね
わーって思うと
自分を罰し始めるので
えー
きついんですよねこれが
自己肯定感を低下させるってことなんですけれども
えーと
これであの倉園さんの
よくやるよく話になる
許すワークを一生懸命
頑張るんですけど
あのとはいえ
毎日許すワークを一生懸命
頑張るというのも
なかなか許すって結構
あのやっぱ
罰するとすでに
関係しちゃってるんで気持ちが悪いんでしょうね
で私
最近ちょっとこれもショートカットで
良くないかもなーと思いながらもですね
ショートカットしてやり
やってるんですが
恩謝ってあるじゃないですか
あれをですねちょっとメンタルハック的にやってるんですよね
全員恩謝するんですよ
恩謝しましたということにしちゃうんです
なんか天皇誕生日とかだと簡単なんですけどね
なんでもいいんで
毎日何かの記念日なんで
記念で恩謝するんですよ
真っ先に恩謝するべきは
自分なんですけれども
恩謝って恩に許すと書きますよね
謝は
謝面の謝ですけどね
釈放する感じなんですよ
それにしてもやっぱり
許すという
ですけれどもね
釈放するという感じなんです
要するに
見てる人に罪はないんで
本来罪はないんですけど
もう見てしまって罵し始めちゃったら
今更罪はないとかいう話をしても
自分の中で成立
通りにくくなるので
えーと
だから許しってのがいるんですよね
だから許すのが気持ち悪いなら
罪を見なきゃいいんですけれども
もう見ちゃったじゃないですか
だから
恩謝を出すわけです
全ての人に恩謝を出す
この時に
恩謝を出すっていうのを
イメージするとですね
真っ先に出てくる人が
いるんですよね
27:01
自分以外で
それがつまり僕が不満を持っちゃった人なんですよね
何人か
パパパッと出るんだけど
真っ先に出た人が要注意
僕の場合はほぼほぼ奥さんなんですけどね
真っ先に出てきた人がいたら
その人に対して僕は
そんな意味付けで
罪を見たという証拠なんですよ
だから恩謝の時に
反応するんですよ
僕の内面のイメージの中で
許されましたみたいな感じで
許されてるに決まってるんだけど
許されましたって感じになる
ということは
罪を見たわけですよ
不満を抱き
罰してしまった
そういうことなんですよね
これは結局
今回の
オリンピックとか
NRおじさんのことで
私もつくづく
思ったんですけど
娘のことでもそうですが
気づかないレベル
の場合も
多くなってきたんだけど
いちいちですね
罪・罰みたいに即座に
しかもこれ起きちゃうんで
起こさないように
起こさないように
気を付けちゃいるんですが
娘にこれをやることが
あるっていうだけでも
私からすると理解に苦しむんですよ
私自身がですね
娘にこれをやるって
なんだそれ
って感じなんですよ
だからですね
この感覚がすでにおかしいとは思うんですよね
娘にはやりたくないが奥さんにはやってもいい
というのはナンセンスで
娘にやっちゃダメだとそんなに思ってるなら
奥さんにやってもダメなんですよね
結局
ということは当然
市局長だろうと菅首相だろうとダメなんですよ
だから
絵を描いた人だろうと
映画化した人だろうと
ダメだし
NRおじさんでもダメだし
バッシングしてる人たちでもダメなんですよね
彼らに罪を見るというのは
全部ダメなんですよ
最終的には
苦しむ人って
自分しかいないんですよ
これも大変不思議といえば
不思議なんですが
罰を与えちゃって
相手が一緒になって
この夢に乗っかってきちゃうと
お互いが苦しむので
より悪いですけれども
要するに夢を見ているわけですよ
そこに罪はないんで
犯罪を除くって
話はあるんですけど
犯罪を除くのはしょうがないと思います
今回も
大きな収穫費とかあったじゃないですか
100万円渡して
票を取りまとめてねという
まずいとは思うんですよ
あれを見た時には
大体において社会が
バッシングしてるんですよ
自分がそれにさらに乗っかって
30:00
超バッシングしなきゃっていう感じには
少なくとも私はなんないんで
まあまあ
これはもう
考えないでおこうって感じなんですね
どうせ罰さないから
自分は
あえて追加して
罰を与えたいとか
そういう風にはならないから
この話はどうしても
最終的に
世の中を放置しておいて
いいのか的話になってくるんですね
その発想がすでに
大変イリュージョンなんですけれども
っていうのは
もう話しちゃったことではありますけど
要するにその
見方ってやっぱりですね
なりなさい世の中
というありもしないもの
ないものなんですよね
ないものを
盾に
あるものの価値を下げて
しかもそれに
攻撃を加えようとすると
リアルに
人でそれをやろうとすること
してみると
どんなにそれが変かというか
ほとんど
発狂気味かということで
大体落ち着くと思うんですよね
なりなさい奥さん
みたいなものを見て
そこから逸脱している人に
罪悪を見るっていうのは
おかしいんですよ
どう考えたって
あえ
あまつさえと言って
クラズノさんに笑われたんだけど
罰する
これを罰する
これはやっぱり狂気だよなと思いますね
この
これだけで
なお納得がいかず
世の中がそれでは歪んでいくから
正さねばっていうのであればですね
多分僕は
そこをやっていって
挑戦になるんだと思うんですけれども
カウンセラーとかに
かかった時にですね
説明困難な事項ってのがあるんですよ
あの
さっきの収合の話は
私スラッと喋れてたじゃないですか
100万円渡して
票を取りまとめておいてねっていうのは
まずいだろうと
この種のことの
イリュージョンに
ついてはないんだけれども
罪というものの
問題にしなくて
良さおよび問題に
多少しなければならないかなと
グッドバイブスで言うならば
間違いを修正する
っていうやつですね
修正するっていうことに関しては
心の中にカウンセラーを
置いてですね
その人に説明する時に
淀みなくいけるかどうかで
判断できるというのを一つ
自分は意識してます
33:00
例えば
これは現実にそうだったんですけど
倉園さんに
私は前に
グッドバイブスのセッションみたいなのをやってもらって
相談したことがあるんですよ
その時に
私は当時
二つのことで
つまり実家の肉親の問題と奥さんのことで
悩んでたんで
そこについて
いかに苦しいかということを
説明しようとして
うまくいかないってことに
気づいたんですね
以前
この番組でも長自画の
言い付けに守らない時の
よくあるパターンとして
なんとかして
この問題を
しなければいけない
さもなければ大変なことになるっていう
非常にロジックとしては
飛躍した言い回しによって
でも結構
現実に力を得ちゃうという
話をしたことがあるんですけど
この飛躍を埋められないんですね
ひどいことっていうのは
外視でそうなんですよ
その
ユメジのバッシングでもそうですよ
こんなバッシングを放っておいたらひどいことになる
っていう時に私はものすごく飛躍を感じるんですね
その人の脳内で
はいろいろあるんでしょうけれども
大したことになるとはとても思えない
このきちんと
説明しようとすると失敗する
っていう時の問題は
外視で放っておいていいんですよ
大したことには
なんないんですね
微妙なライン
っていうのは出てくるんですよ
例えば今
私と同じ苗字の佐々木俊男さん
というインフルエンサーがいるんですけど
彼は
なんていうんですかね
あの
ヒステリックな被害者意識というのを
かなり問題にされる方で
前ですと福島原発の
低レベル放射線
というものに対して
ものすごくやっぱり
ネガティブなキャンペーンが動いた時に
これを放置していたら
大変なことになるっていう話をされてたんですね
ここ微妙だと思うんですよね
えっと
今回でいうとワクチンの
接種に対する不思議と
不安地なキャンペーンが動いてるんですけど
それに対しても彼はいろいろ
言及されてるんですよ
この不安はイリュージョンかどうか
っていう感じになってくると
難しいレベルがあるなとは
ちょっと思うんですよね
どっちもイリュージョン
ですけどねはっきり言って
たぶん不安と
恐れが渦巻いてますからそこには
でも
説明するのに
それに向かって説明してひどいよねと言って
共感されるという意味において
共感まで
持っていく説明が
そんなに淀みなくできる
これに対して
例えば私が奥さんにひどい目にあってます
36:00
笑い話になっちゃうんですよ
他の人が聞くと
カウンセラーの人っていうのはですね
このようにして憎まれるんですよ
私の苦しみが
分かってくれないってカウンセラーの人は
必ず思われる日がやってくるはずなんです
ウィニコットはこれを
逆転意による
憎しみっていう本ですごく
ウィニコットって人が
書いてるんですけど
必ず相談にのった人は
この種のことで憎まれなきゃいけない
いろんなことがあるんですけれども
ウィニコットって人は
すごい面白い人で
例えばカウンセラーは
絶対お金を取らなきゃいけない
っていう話をしてるんですよ
お金を取らないと
クライアントはカウンセラーを
憎めなくなってしまう
治療にならないっていう話
つまりお金を取るときに
必ずそこに一定の
憎しみが入ると
これが非常に
必要なことなんだという
精神症を問題にしているから
そうなんですよね
私これに近いことはよくセミナーとか
で思うんですよ
余裕があると
コンサルとかセミナーって
形のないものっていう言い方をしますけど
お金取らずに済ませたくなるじゃないですか
でもお金を払う
ということによって
なんて言うんだろうな
一つの
疑いと言いますか
軽い
怒りと言いますか
そういうものを相手に見ると思うんですね
要するに罪を見るわけですよ
こういうことを
参加者の人が
乗り越えていく
ということを必要とするような
と思う時があります
逆にも起こるんですよ
お金を払ったとき
払うときになって急に
憎まれているって感じをすると
逆に今度
セミナー参加者の方
逆転位ですけど憎みたくなりますよね
これだけやったんだから
このぐらい頂戴よみたいになるじゃないですか
こういうきっかけが
大事だっていう話をよくするんですよね
ウィニコットって人は
あの人はすごい人だなと
よく思うんですけれども
本当にそういうシーンって多いですよね
カウンセラーは
必ず絶対に憎まれる日がやってくると思うんです
私の気持ちが
お前は全然わかってない
それでもカウンセラーなのかって
絶対思われる日が来るし
これがなければですね
治療ってまず成立しないと思うんですよね
この気持ちって
つまりその
クライアントさんが
親に対してかつて抱いた
何度も抱いたであろう
気持ちなんですよ
お前は親なのにこの子供の気持ちが
全然わかってない
この怒りがその人の人生を
こじらせてるはずなので
その怒りを
もう一度カウンセラーの前で
発生させなかったら
治療にならないですよね
フロイトが上手いこと
言ったんですよね
39:00
上手い呪文で
冥界からやっと
幽霊を呼び出しておきながら
その幽霊に対して何にもすることなく
ただ冥界に送り返す
そういうものは治療じゃないと
あれは非常に面白いことを言うな
と思ったんですけど
そうなんですよね
やっとこう引っ張り出して
ああダメだこんなに憎まれたりやってられないって言って
パッと放り出してしまったら
それはもうカウンセリングじゃないですよね
アドバイスにならないと思うんですよ
この
えっと結局
憎しみみたいなもの
不満結局それは罪を相手に
見るんですけれども
あの
僕らってその
NROジさんが一番
今回いい例ですけれども
それを
罰しようとどうしても
するじゃないですか
罪を見た瞬間に罰しようとしますよね
だから
今回いろいろと
首相も言われたりしているわけですけど
罪を見てますからね
これを
結局
気づいた人からっていう話になって
いくだろうし
放置しておいて
社会はどうなるんだみたいな
話になるんだろうけれども
えっと
説明できない
時の問題は
放置するに限るんですよね
というかもうそこに罪はないと
みなすのがベストだと思うんですよ
えー
バッシングに関しても
今私バッシングバッシング言ってますけど
この事情を皆さんご存知だという前提で
喋ってますから
知らない人には多分
これじゃ分かんないと思うんですよ
そうするとこの件について長々と
しかも私の曖昧で粗雑な
知識をベースに喋んなきゃな
それでも伝わるかどうか分かんない
この種のものは罪じゃないと思うんですね
私がこう綿々と
倉園さんに訴えていた
奥さんこんなひどいことするんですよ
あんなひどいことするんですよ
伝わらない
伝わらないとクライアントは
カウンセラーである倉園さんに
憎しみを抱くでしょう
なんで分かってくれないんだこの人
グッドバイブスとか言ってるくせにって思うじゃないですか
こう思うようであれば
それは罪じゃないんですよ奥さんのやったこと
収合は
もっとみんながきちっと説明できますよね
こうなってくると
修正する必要性ってのはきっと
社会的に出てくるんでしょう
だけれども
こうなってこないんだったらば
説明するのにひどく難儀し
結局相手は
分かってくれないレベルのことであるならば
多分そこに罪を認めないことによって
罰する必要が
なくなり
最終的には罰する必要がなくなることで
自分を罰することがなくなるので
欲打つ気味に
傾くことがなくなる
これがどんなに
いいことかということを
体感するしかないんですよね
そういう話なんだろうと
42:00
思うんです
自己肯定感を上げるということはですね
結局何をやってるかというと
多くの場合は
罰してるんですよ
罪を見てなりなさい
大橋さんみたいなものを勝手に心に抱いて
そうじゃないことを
彼はなぜかしたと
それに罪悪を生み出して
罰すると
それをやるとですね
どうしてもパッと一瞬でも
現実に
一生夢見てるしかなくなります
一瞬でも現実に戻ってしまうと
自分のやったことがすっごい狂ってるんで
あーってなるわけです
私が娘に対して
ちょっと冷たくしてあーってなったのと同じで
ぐっと落ち込んで
だーっと自分を罰するから
自分を完全に欲打つにしてしまうんですね
そうすると
ご飯食べてもおいしくないし
仕事をする気も全くありません
つまり今
話題になっていた自己肯定感が
低下した状態を招く
これが嫌だったら
恩謝するしかなくなるわけですよ
自分を釈放しますと
そうしたらみんなを許すしかなくなるじゃないですか
ましてその
自分の勝手なイメージをもとに
不満を抱いた
相手のことなんて論外ですよね
その種の不満を許せないんだったら
自分を許せるはずがなくなるので
こうやって
戻していくしかないんだろう
と思いますね
この過程で多分
それが自力でできないケースというものを
精神分析等では扱うので
分析家は
必ず憎まれるということになるんですよね
そういう
話もついでに出てきたなという
感じでした
43:45

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