2021-05-13 26:11

【GMV 375】グッドバイブスは大人な方法論

エディプス期まで退行するとグッドバイブスは難しい
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おはようございます、グッドモーニングバイオスです。
だんだんこう収録開始時間が遅くなってきているような気がします。今日は特にですね、
だからザーザー雨が降っていたこともちょっと関係はあるんですけども、 なんかこう
まあなんて言うんですかね、こう これに入っていけるモードになかなかいろんな意味でならないというか
少しずれてるんですね。時間のタイミングみたいなもんですかね。
しかもこうなんとなくふわっと、しかもこの後に及んでふわっと始めているんですけど、まずちょっとお知らせから行こうと思います。
あさって土曜日にJ松崎さんと、J松崎さんとっていうのかな、の株式会社J松崎で主催している
セミナーのゲスト講師としてしゃべります。週刊課がテーマ。 昨日しゃべったようなことの延長戦になると思うんですけども
えふたさんという方がですね、ファシリーやってくださると。僕ファシリーとか全然モチベーションが存在してないんですよね。
ファシリテートするぞみたいな、そういうのがないんで、下手だってよく言われるんですけど、下手とか上手いとかそういうもう次元じゃないんですよ。
ファシリテーションをやろうという気持ちがそもそも欠けているので、ちょうどこの辺がやっぱり役割と個性ってやつなのかなと思います。
えふたさんがファシリーやってくれるということで、多分進行はちゃんとするんじゃないかと思います。
それはお知らせの中に入るのかわかりませんが、週刊課ですね、テーマは。 週刊課は昨日もグッドモーニングバイブスでもしゃべりましたけど、実はすごい簡単だと僕は思ってます。
私たちは週刊の生き物と言ってもいいぐらいで、というか生き物っていうのはそもそも週刊的なところがあって、同じことを繰り返します、普通は。
むしろ毎日全く違うことをやるって、毎日全く違うことをやってますが、毎日全く違うことを毎日全く違うようにやるって、とっても難しいことでして、
多分結構ですね、精神的に混乱するレベルに入ると思うんですね。 だから週刊課が難しいって言ってる時には難しいことを週刊課しようとしてるから難しいんですよ、簡単に言ってしまえば。
簡単なことならばすぐ週刊課できるはずです。 だいたいそういう簡単にできる週刊課のことをですね、私たちは悪癖とか言ってですね、
今度はできている週刊課を取り除こうという話になっちゃうんですね。 非常にややこしいことをやろうとしていると思いません。
簡単にできることはやりたくなくて、難しいことをやろうとするから週刊課自体がテーマになってしまっているわけです。
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そういうことがありますと。 まあでもこの話を土曜日に、この話じゃないですけどね、こういうテーマについて土曜日にお話をするということです。
簡単なことはやりたくなくて、難しいことをしたいんだというのは別に週刊課だけではなくてですね、
ありとあらゆることについて私たちがやろうとしてはしくじるという、しくじるとは限らないんですけれども、
そもそもこれはまあまあ無理はあるじゃないですか。 簡単にできることをせず、
できないかできにくいことに向かっていくと。 時間管理とかもそうですし、
代替計画とかもそうですし、 だからですね、今度はそれを維持する、モチベーションを維持するために
運の勘というようなことになってくるんだと思うんですね。 でもまあだいたい、
例えば望みのゴールを想像するみたいな話になったとしても、 これはもうすごいシンプルな話ですよね。
なんか素晴らしい結果が待っていることをイメージすると。 なんですかね。
メジャーリーガーになれるとかかな。 でも私はそもそもビジュアライズにもと、想像すること自体ができない人間だったんで、
この方法は早々にダメだったんですね。 何か目を閉じてイメージとかって浮かばないんですよ。
鮮明にとかは論外で、そのイメージを浮かべている自分ぐらいなところまで行くのが精一杯なんですね。
そのイメージを浮かべようとしている自分ぐらいのところでイメージが止まってしまうんですね。 基本的には真っ黒なまま。
なんか線画のようなものが少し描けそうになったところで崩壊するって感じなんで、
イメージを描くことによってモチベーションを保つとかいうのは、そもそもどういうことなのかがよくわからないんですね。
実際に絵を見るとかならまだまだだいぶわかるんだけど、 私でもそれを見たからといってですね、なんかイメージからモチベーションに接続されないんですよ。
あの美味しそうなラーメンの テレビとかあるじゃないですか、あれ見てもお腹すくとかは僕は経験したことがないんですね。
なんていうのかな、お腹が空いている時に見ても、お腹空いている時にこういうのを見ると辛くなるとかいう人もいるんですけど、私というのは一切発生しないんですよ。
食べ物の食欲に関しては私はどっちかというとやっぱり匂いというものには弱いですが、
ビジュアルからは来ないんですよね。なんかこう刺激される気が全くしません。
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性的な話になるとだいぶここが違ってくるんですけれども、食欲とかだとダメですね。だからなんかですね、自分がそれをやっているところをビジュアライズにイメージしたからってモチベーションが湧くかなというのは、
いつも大変疑問に思っている部分です。ちなみにその性的な話で言うと自分が入るのはあれは嫌なんですよね。
自分が入っているイメージが多分あったら全く見たくなくなるような気がします。あれは自分がそこにいないからいいっていう部分があって、自分がそこにいないからいいっていうのはすごく私の性的にですね、逸脱している部分だとずっと思っています。
そこに自分が透明であればあるほど良いという感触がどこかにあるんですよね。だからそういう事柄に関している時ほど自分がだんだん透明化していくという、なんていうんですかね、そういう感じがないと両立しないなっていう、そういうニュアンスがあります。
今はなぜこの話から始めたかというとですね、
えっと、
えっとですね、
赤ちゃん帰りって言うんですかね、幼児化するっていう問題っていうのがあると思っているんですね。
幼児化するという問題というか、ある種の人の悩みというのは自分が幼児化、幼児化まではいかないんですけれども、でもやっぱり幼児に近い、4,5歳まで戻っていってしまうというのがその種の人たちの悩みの割と大事な部分にあって、それにも関わらずその自覚は一切ないというのがですね、
えっと、
僕が今日考えていることなんですよ。
で、これは一言で言ってしまえば、いわゆるエリプスなんですよ。
エリプスコンプレックスなんです。
あれは本当にですね、ヨーロッパ初の言葉だからややこしくなるんで、
この番組でも毎度一応こう、構図から解説というか説明してるんですけど、専門的な人に寄せると攻撃され、批判されるかもしれませんけれども、
でもこれをフロイトの本から引用するみたいなのだとつまらなくなるというか、わけわかんなくなりそうなので、やっぱりサクッと行きたいわけですね。
折に触れて喋っているんだけれども、結論は同じだと自分は思っているんですよ。
つまり、男の子がお母さんとすごくいい仲になりたくなった時にお父さんが登場して、虚勢恐怖って言うんですけれども、虚勢されるということを恐れるというのがエリプスで、そこでお母さんを諦めるって言うじゃないですか。
これ、つまり問題になっているのは、日本では虚勢恐怖はないですよね、普通に考えて。
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ただ、お父さんを意識するほどの、つまりお母さんをというものは自分のものだけのものじゃないんだということを意識するほどの年齢になった時に、このコンプレックスにぶつかるよっていう話として理解すれば十分だと思うんです。
そんなことを0歳1歳の時は意識しないはずなんですよ。2歳3歳でも微妙なんだと思うんですね。
もうこの辺は年齢、個人差出てくると思いますが、人によるというのは絶対ありますよね。5歳なのか6歳なのか10歳なのか、本当に人によると思うんです。
その家庭、その家庭の事情も、そこにお父さんいないということもあるしですね。
ただ、お父さんがいてもいなくても関係ないわけですよ。お母さんというのは最初から自分のものだったわけじゃないんだということに気づくということですね。
その時何が起こるのかと。
あのですね、その時、だからこれ男女差もあんまり関係ないのかなと思うんですよね。
女の子であってもお母さんを独り占めにしたいと思うということはあり得ると思うし、というか思った瞬間ぐらいはあると思うんですよ。
ただそれは最初からできなかったんだという、これって結構衝撃じゃないですか。
お母さんは今まで私のものだったんだけれども、実は他に男の人ができちゃったんじゃないんですよね。
お母さんは私のものではなかったんですよね。
ここが自分の出生の秘密と関係があるんですよ。
ここがやっぱり怖い部分なんだと思うんです。
分離不安って言うんですけれども、いざとなったら捨てられるのではないかという不安なわけですよね、分離不安というのは。
だってもともと自分のものじゃないんで、すっかり自分のものだと思い込んでいたのに実は自分のものではなかったんですって怖いことですよね。
もちろん好きな男が他にできちゃったんだっていうのも十分怖いことなんで、
これを非常に子供は恐れますけれども、離婚して捨てられるという、見捨てられる恐怖ってやつですよね。
ただこれは実は見捨てられようが他に好きな男ができようとできないとあるんだっていう話なんですよ、エリプスはきっと。
もうそれは出生のスタートのタイミングからそうだったんだと。
これに対して特に日本ではアジア性コンプレックスって表現をとって、インドの方のやっぱり同じような事件が起こるんで、そっちの話も追ってくるんですけど、
あれは仏教の逸話ですけどね、恨むってことが出てくるわけですよ。
欧米ではこの恨むってのはあんまり出てこないんですけども、お父さん殺すんですよね。
やっぱりその辺が徹底的というか競争的なんですよね。
戦いの世界。
ところが東洋っていうのはやっぱりそこが少し違って、恨むんですよね。
恨むってのは結構甘えが強いじゃないですか。
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だから土井さんは甘えの構造って言ったんでしょうけど、
いやいや、あのお母さんが最初から自分のものじゃなかったのは、それはひどいじゃないかと。
恨むってわけなんですよ。
この恨むっていうのと殺すっていうのは過酷さに差がある感じがします。
お父さんをやっつけに行くっていうのとお母さんを恨むっていうのは、
やっぱり後者の方が断然甘えが強いという感じがするし、
言ってみれば信頼感も強いのかなと。
やっぱりそうであってほしくないっていう方向に心理的に傾いてるわけですね。
だから結局エディプス王ほどアジャセ王はひどい目に遭わずに済みます。
やっぱりいろいろあったけれども、最後はよしとしようみたいなそういう収まる方向に向かっていくんで、
それはやっぱり甘えと信頼というものがあってこそなんだろうと。
ないとやっぱり殺すしかなくなったり、自分の目つぶすしかなくなったり、
大変怖いことになっていくじゃないですか。
それは怖いと感じる段階ですでに甘えなのかもしれないんですけど、そういう話があるわけです。
つまりですね、これは当然自立の話も関係していますが、
自立の話よりもまず分離不安の方を意識しておきたいと思うんですね。
結局見捨てられる不安というか最初からそもそも自分のものではなかったと。
お好みケゴさんはジゾイロ人間と絡めてですね、最初からこの昔の時代は確かに
お母さん自分のものではなくてお父さんのものだったという文脈が強かったかもしれないけど、
今の時代はちょっと違うと。
同じ話になるんだけれども最終的には。
今の時代はちょっと違ってお母さんは子育てなんかよりも大事なことがあるんだという話になってきつつあると。
昔と違って男女とも完全に平等じゃないですけれども、以前としてですね、その実態としては理念としての話ではまた別に。
でもまあ大学行ったり大学院行ったりする女性も普通にどんどん増えているわけじゃないですか。
そして今後どんどんさらに増えていくわけじゃないですか。
そこでお好みさんが書いたのは1970年代の話ですからね。
そこまでまだ行ってない時代だったけどそういう兆しは強烈にあったはずですよね。
いわゆる女性の社会進出というやつで、そうすると子育てなんかよりも私としてはもっと研究に邁進したいとか、
もっと出世する方向に行きたいとか、むしろ首相になりたいとか出てくるわけじゃないですか。
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そこで子供はいやいや待ってくれってことになるわけですよ。
これは子供の側からの抗議なんですね。
この問題が社会問題としてはどちらかというと男女の機会均等とかそっちの問題として取り上げられるけれども、
子供が見捨てられるという心理、これはもともと合理的な心理ではないので、
自分が一番じゃないのかとそういう問題になってくるわけです。
4歳とかですからね。
子供の視点からしてみるとお母さんがお父さんのものであったのもダメなんですけれども、
社会の方に向かっていっちゃいますよというのもやっぱりダメなわけですよ。
それをされると結局のところでは自分は保育園に預け、自分のことはどこか聞いたこともないところに預けられて、
お母さんは会社とかに行ってしまいましたと。
これもですよ。3歳児とかにしてみると意味が全然わかんないですからね。
なぜ今日からこの他の子たちと一緒に見知らぬ人と遊んだりして、
お母さんは全然知らないところに行くのかと。
必ず6時になったら帰ってくるとか言ってるけれども、わかんないじゃないですかという不安が発生すると。
他の男のところに行ってるかもしれないじゃないですか。そんなことは考えないと思います。
つまりこれが分離不安というものになるわけですね。
このことがやっぱりエリプスというものを生むという意味では、
今の子供にとっては恐らくエリプス期はもっと早く来るはずなんですよ。
私たちの頃にはせいぜい4,5歳、6歳ぐらいまで待たれていたかもしれませんけど、
今で言えば2歳、3歳とかまで下がっていく可能性は十分、もしかすれば1歳とかに来ますよね。
事態を把握はできないと思いますよ、子供には。
でもエリプスみたいなものが、このプレエリプスという言い方があるんだけれども、
エリプスみたいなものが早々にやってくるわけですよ。
ところが私たちの時代は、エリプスだけは早々にやってくる構図に間違いなくなってるはずなんですけれども、
それなのにもかかわらず寿命は伸びてるわけですよ。
しかも世の中は平和になってるんで、十死で幻復とかってありえないじゃないですか。
そこで独り立ちして人も殺せるようになりましょうとか、全然いらないんですよね。
だからエリプスだけは、分離不安に耐える力だけは、
えらい早く要求されてくるにもかかわらず、
現実に自立する過酷さとか、自立する必然性はもっとずっと後にくるわけですよね。
多分この現象のことを小野由紀さんはモラトリアムって呼んだんだろうし、
私たちのモラトリアムは長引く一方だと思うんですよ。
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時代が進めば進むほど。
エリプスは1歳から2歳にやってきて、自立は30歳まで待ってもらえるみたいな感じになると。
30年間モラトリアムですよね。
これが多分昔は、昔っていうのはつまり人類は長らく、
6、7歳にエリプスがやってきて遅ければですね。
5歳くらいとしても。
原服が10歳ならば10年ですよね。
9年とかですよね。
この差が私たちのいろんな部分に反映してきてるんだと思うんです。
そのうちの一つに、ある種の幼児大抗が起こるという現象があるんだと思うんですよ。
つまり人間やっぱり追い込まれるとですね。
これは精神分析の考え方ですね。
追い込まれると幼くなっていくっていうものがあります。
追い込まれて追い込まれて追い込まれるということは、
例えば上司はパワハラとかセックハラでひどいと追い込まれますよね。
毎日その上司に会いに行くんだから。
追い込まれて追い込まれていくと幼児時代に戻っていくと。
何が起こるかというとですね、分離不安が起こるんだと思うんですよ。
ある種のケースでは。
見捨てられるという不安。
見捨てられるとしがみつくのが人間ですね。
だからそのパワハラとかをしてくるお父さんかお母さんかもしれませんけれども、
それはすごい厳しくて悪いお母さんなわけですよ。
その時に自分が感じることは、
強い強い強い分離不安だと思うんですね。
この人に見捨てられるんじゃないか。
非常に不思議なんだと思うんですよ、本人にしてみれば。
このパワハラ上司に見捨てられて何が問題なんだと思うじゃないですか。
でも心理的には対抗が始まっちゃうので、
この人に見捨てられたくないという不安が発生するんだと思うんです。
しかもこれ最初から上司がですね、
間違いなくパワハラでモンスターそのものだってんなら、
あまりそんなことは気にしないと思うんですけれども、
好きで入ったとか、ある程度死亡して入った会社の上司にだったら
疲れたいという気持ちも起こるじゃないですか。
そうすると、ちょうど厳しいお父さんとか、
理不尽に起こっている時のお父さんというものと
被ってくる可能性はあると思うんですね。
その時自分はぐっと幼くなっていくという現象が起きるとですね、
非常に繊細な反応になっていても不思議はないと思うんです。
昔から面白いと思ってたんですけど、
昔って本当に僕が幼稚園時代に面白いと思ったこととして、
年中だったと思うんですけど、
先生が一斉に怒ると子供って心が一つになっちゃいません。
私はあれ、当時どうしてなんだろうってずっと考えてたんですね。
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多分僕は4歳とか5歳だった記憶があるんですけれども、
先生がすごい怒る先生だったんですよ、また。
昔の幼稚園の先生ってそうですけど。
なんか妙にカナキに声を上げてすごい怒ってたんですよ。
そうするとピタッと静かになるだけでなく、
なんかここに一体感みたいなものが生まれちゃうんですよね。
怒られてる人は自分なのか隣の子なのか分かんなくなってくるんですよ。
みんなに怒ってるって先生は言うんですけど、
でもそれもそれで変な話じゃないですか。
怒ってる出来事についてはみんながやらかしたことじゃないのに、
一斉に怒られると、みんな一斉に怒られている集団で受け止めてるような感じになると。
あの感じとですね、会社で同僚が怒られていても
まるで自分が怒られているような気になってしまうんですっていう
HSP的な話ってすごい似てるなと思うんですね。
あれなんとなくですね、自分が子供の頃に戻った時の感じ。
私、やっぱり幼稚園時代に何回か経験したんですけれども、
この教室からお前放り出すぞっていう、それが最大の叱責だったんですよね。
あれ小学校でもやってましたね。
私ね、あれ聞くたびに、私はそれを言われたことはない子供なんですが、
聞くたびに、いやこんな教室出ていきたいけどねって思った記憶があるんで覚えてるんですよ。
他の子は違うんだろうかと。
あれも分離不安に訴えてるんですよね。
そういう狙いがあったのかどうか分かりませんけれども、
あれは一種の分離不安で、さっきのパンハラ上司に分離される不安とよく似ていると思うんです。
会社の場合は生活がかかってますからね。
行きたくはないかもしれないけれども、行かざるを得ないという事情はあるのかもしれませんが、
でも幼稚園生だって同じですよね。
結局、そんな教室にいたいわけじゃないけど、そこから放り出されては困るという。
分離不安って凄い理不尽な不安なんですけれども、
家もそうじゃないですか。
親が凄い横暴だという場合、こんな家出ていきたいけど一人じゃ生きていけないわけだから、
そういう分離不安っていうのはあるんですけど、
これ例え上司がパンハラで泣かろうと、幼稚園の先生がさほど横暴で泣かろうと、
親がDVばっかりしなくても同じような心理に入ることはあり得るってことだと思うんです。
エディブスってそういう意味です。
だから私は、だってこんなに優しそうなお母さんがですね、
大丈夫よ、夜夕方にはちゃんと迎えに来るからねって言ったって、
子供は例えば6時過ぎて5分とか経っても来ないとえらい不安になったりするじゃないですか。
私にも記憶がありますが、
怖いお母さんにすごいしがみつく子供ってよく見ますよね。
この種の分離不安というのは、別に相手が親切そうに見えるとかいうことによって
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完全になくなるわけではないわけです。
だから今日の話はグッドバイブスから近いようで遠いような話に終始してるんですけれども、
要するにですね、例えば結婚していてどうも奥さんの前では子供っぽくなってしまうとか、
そういうことで悩む、昔中年の鬱っていうのが話題になったんですけど、
必ずこのテーマ出てきてたんですよ。
中年男性の鬱ですね。
家にいても所在がないと。
お母さんといてもなんだか自分が息子扱いされているようで面白くないみたいな訴えが結構あった時代がありまして、
今はあんまり聞かない話なんですけど、
今は多分それがHSPみたいな形にとって変わってきているんだろうと思うんですけれども、
要するにこの問題って私たちが追い込まれた時に少し対抗していくっていうことなんだと思うんです。
対外の人は、正常な人はエディプス期に対抗するんですよ、最後は。
行き着く先として。
ここより対抗してしまったらもうそれは完全に統合失調とか騒鬱とかそういうレベルに入っていってしまうので、
ここより対抗することはそうはないと思うんですけど、
ここまでの対抗は僕らはよく経験することなんではないかと思うんです。
そしてエディプス期に対抗してしまったらグッドバイブスにはならないですよね。
僕はそれはそう思うんですよ。
これは完全に恐れと不安に巻き込まれて振り回されてしまう時代なので、
そこまで対抗してしまうとグッドバイブスではいられない。
グッドバイブスって大人な方法論だよなっていうのはよく思います。
そういうことも絡めてですね、自分がよく思うのはですね、
今ここまで擁じかしていないだろうかみたいな、そういう話なんですね。
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