2020-12-18 33:27

【GMV 277】未来予測できない不安とホラー

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads
現実ならなんとかなる
00:05
おはようございます、グッドモーニングバイブスです。
グッドバイブスの中で、
倉座の圭三さんがですね、
よく、現実ならなんとかなるっていうのと、
これと、私いつもセットに考えることが多いんですけど、
そう来たかと思うっていうのがあるんですよ。
これは、意識すると本当にそうだなと思うことの
一つのセットでして、
しかも大変、割とグッドバイブスの話っていうのは
全部とても具体的なケースばっかり扱うんだけど、
それにしてもこの2つはいろいろと役に立つなと思うんですね。
私、タスクシュートユーザーなんで、
大橋泰三さん開発の、
仕事の大橋泰三さんなんですけどね、
仕事の読んでいただくとよく分かるんですが、
あれ、どうしてもスケジュールするための予定や計画を
かっちり立てるためのツールに見えてしまいますが、
だからすごく細かすぎて役に立たないって思われるんだと思うんですよ。
1分以上かかることは全部そこに書くっていうことがあるので、
実際にはどちらかというと1分以上かかったことは
全部記録に残しておくっていう方が正確なんですが、
1分以上かかることを全部書くということは、
1分単位で計画を立てるみたいな風に計画側から見ると見えるので、
それはあまりにも細かくて、そんなことをやるのは
せいぜい最大1日分だと、実際最大1日分ぐらいにしておくのが
一番私は有効だと思うんですけれども、
これを3ヶ月分とかとてもできないっていう言われ方を
よくしまして、実際とてもできないんですが、
する意味がやっぱりないと。
最近は本当に普通に思うようになって、
それでも5、6年は経つ気がするんですけどね、
する意味はないと。
ちょっと脱線しちゃうんですけど、
未来の予知ができるくらいなら計画なんて立てないんですよ。
だってよく聞かれるんですよね。
3ヶ月後にこの仕事が終わっているかどうかを
知らなければいけないんですと。
それは未来予知ですよね。
計画を立てればそのことがわかるというのはおかしくて、
例えば私が本の原稿を4ヶ月後にこの本が書き上がるかどうかを
知りたいとしても知りようがないですよね。
4ヶ月後にその本が書けるかどうかがはっきりわかるとすれば
03:01
それは完全に未来予知なので、
私にはその能力はないですから、
4ヶ月後に本が書けているかどうかについて
完璧に正しい答えは出せないんですよ。
そうすると、4ヶ月後に本が書けていることが
明らかにわかるのに計画立てる必要はないですよね。
計画立てなくたって4ヶ月後には書けるわけじゃないですか。
書けないということが、仮に100%書けませんということが
わかったときに、やっぱり計画を立てる意味はないですよね。
100%書けないことが予知できているのに、
なんで4ヶ月後に本が書き上がる計画を立てる意味があるのかと
全くないと思うんですね。
この話はいくらやってもこういうことになると思うので、
私は未来計画を立てる気は、計画って大体未来のものなんだけど、
そんなに時間に関してきっちり合わせた計画を立てようというのは
意味が全くないことだと思うんですよ。
ここから派生して、現実ならなんとかなる、
そうきたかというのは何がいいかというとですね、
現実を予想しようとするのはダメなんだと思うんですね。
昨日も、今日もかな、
エチゴユーザーの方で、
ダチ王子をしている車が数百台という話がありました。
十何時間も雪の中に閉ざされると。
あれ起こるんですよ。
私も2度経験したことがあります。
私、しょっちゅうスキー行くんで、行ってたんで。
あれ大変なんですよ、本当に。
生死に関わるという話なんですよ。
あれ予知できるくらいならあそこ行ってないですよ、ほとんど誰も。
予知できないんですよ、ああいうことは。
予知できないからあそこに行っちゃうわけですよね。
私だってそうです。私のようにスキーで行く人間なんて特にそうですよ。
予知できるくらいだったら行かないんですよ。
ところがですね、これは未来予測の話でよく出るギャグですが、
みんなが予知できてみんなが行かなかったらそれは起こらないんですよ。
あれ渋滞と関係があるので、
スキーの時なんか本当そうで東京から越後湯沢まで繋がってたりしますから、
だからこそそうなる現象なんであって、
みんなが行かないということが予知できるならば自分だけ行ったらいいんですよ。
ガラガラですからね。
つまり予知できないから起こる現象であって、
予知できるならああいう現象がそもそも起こらない可能性が高いですよね。
というように未来予測って意味ないんです。
あれなんていうのは天気予報を見ればなんとなく予感はできるくらいのレベルなんですよ。
1日後とかに起こる現象ですからね。
巻き込まれて1日経っちゃったらもうどうにもなりませんけれども、
06:00
何を予知しようと車動かないって。
というわけで未来予知って私たち多分できないんですよ。
できるくらいならああいう現象起こらないんですよね、最初から。
このことと関係して私たちにできることは、
受動的に対応するということだと思うんですね。
そうきたかっていうのはそういう意味ですよね。
こういうことに自分は今巻き込まれたんだ、ここからスタートだと思うんですよ。
巻き込まれないとすると、
巻き込まれないとするっていうのは、
多分引きこもるってことに最後結論がついちゃうような気がします。
何かすればその時にはもう予測できない何かに巻き込まれる。
しかもそれはみんなが何かをするから起こることだったりするんで、
事前に防ぐ方法がないんですよね。
せいぜいたくさん食料積んどくとか、
緊急用の電源を用意しとくとか、
それだってそれがつかなかったとか、
使えない状況だったとか、
そういうことは起こるんですけどね、絶対に。
つまり何かが起きた時にそうきたかと思うというのは、
そこから対処するっていうことですよね。
この対処能力はあるということなんですよ。
ここを余地で乗り切ろうとするのは逆に捉えてるんですよね。
自分には対処能力はないが、
事前に備えておくことは可能だと。
ここにものすごく無理があって、
どういうわけなのかわからないけど、
事前の予測の方が優しいって捉えてるんでしょうね、ある意味では。
事前に予測することはできるが、
事態が起きてしまったからでは遅いって、
よくそういう言い方をするじゃないですか。
それって、つまり予測の方が簡単で対処は難しいってことですよね。
あるいは予測は簡単ながら対処はほぼ不可能だって話ですよね。
ところが、ああいう立ち往生の巻き込まれに遭遇した経験からすると、
対処はできるけど、予測は無理なんですよ。
全部が全部そうじゃないかもしれませんが、
そういうことって世の中いっぱいあります。
第一、あの立ち往生多分、雪だけじゃないですよね。
事故と関係がある。
事故が起きるかどうかって誰も予測できないじゃないですか。
起こす人が起こすつもりでやってることじゃないですからね。
これだけ雪で多くて、これだけ車があれば事故るだろうみたいな、
そんなことはないんですよ。
事故起こらない日の方が多いんで、そんなことは言えないか。
でもあれほどの事態になる事故が絶対に起こるというような、
ことはないんで別に。
数百台どころではない車が走ってますからね。
簡易通路などでいうのは。
透明度かもそうですけど。
この予測が優しいと考えるのは、
09:05
私後ろですね、タスク修道に限らないと思うんですけど、
ライフハックとかやっている人が予測がいかに無理があるかは、
もうとっくに知ってると思うんですけどね。
予測取りに行ったこと、本当に何度も何度もないと思いますよ。
タスク修道なんて、相当それこそよく批判の的になるように、
細かいんで予測しやすいんですよ。
目の中に餌をやる、その次はお湯を沸かす、
このぐらいは予測できますよ。
これをですね、1日2日とか1週間とかで、
この日に原稿を書いて、金曜日にお湯を沸かす、
私たちから、私のようなタスク修道ユーザーからすると、
そんな計画が予想通りに行くはずがないですよ。
1日後の渋滞が予測できない私たちに、
それが予測できるはずはないと思うんですよね、
そのレベルのマクロな、
時々長官的と言うんですけど、
取り組み持ってませんからね。
取り組み持ってませんからね。
取り組みってのは時空を超えた目ですよね、この場合は。
長官的ってあれですよね、
上空から地上を眺めるって話ですよね。
大体それできないんじゃないですか。
私たち空飛べないんで、
たまに飛行機乗れますけど、
そんな目的のために頻繁に上空に上がったりできないんで、
これもできればですね、
今日渋滞してるから行くのやめようとかできると思うんですよね。
そのうちこれに関しては衛星とか、
できるようになるかもしれないけど、
時空を超えられないですよね。
ここ数ヶ月の一望の下に見渡して、
今後予測されるコロナの感染者を予想しながら商売するとか、
それができるぐらいなら、
計画とか出る人は誰もいないと思うんですよ、本当に。
それができるんだって完璧じゃないですか。
ただ、それができるってことは多分、
自分がいつ死ぬかとかも分かるって話なんで、
果たしてどういう風な人生かになるかは全く違うと思うんですけど、
何にしてもですね、これは無理ですよね。
聴観と言ってるのは嘘なわけです。
この予測によって避けるというのは無理なんですが、
そこに恐怖感を覚える理由は、
不安でもいいんですけど、
不安を覚える理由はやっぱりないんだろうと思うんですよね。
私はそういうので不安を覚えることは久しくないんですけど、
例えばクレームメールとかって、
私は2通や3通ではない、結構もらうんですよ。
売れるほどもらうんで、
昔は良かったなと思わなくもないんですけどもらうんですよね。
メールだけじゃなくて、
エゴサーチしてるとクレームって来るんですよ。
クレームというのか、誹謗中傷というのか、
12:02
今誹謗中傷も話題になってますしね。
あれなんですが、
あれが恐ろしいというのが私には、
どこかで全く理解できなくなったことがあるんですね。
なぜあれが恐ろしいのかというと、
予測に近いものを感じるんですよね。
予測は簡単だが対処は無理だという。
クレームってもう来ちゃうものですよね。
クレームが来ることを事前に予測するというのは、
まあ不可能ですよ、これは。
出す人の、かなり気まぐれな人が出してるんで、
まず非常に計画的にクレーム書いてくる人って、
いないんですよね、見てると。
クレームというのは、私の視点ではホラーとよく似ていて、
ホラーというのは、
私の視点ではギャグによく似ているんですよ。
すごくクレームってギャグと似てるなって思うことが多いんですよね。
まず突発的に見えるんですよ。
ギャグって、まあ出す人はそうじゃないんだけど、
突発的に見えるんですよね、見てる方からすると。
すごい古典的なところで言うと、
パイをいきなりぶつけるみたいな、
あれいきなり感がすごいある感じがするんですよね。
なんかいきなりぶつけるような、
すごいある感じがするんですよね。
なんかいきなり起こる。
クレームっていきなり起きて、
しかもよーく見るとギャグっぽいんですよ。
スパルメールってギャグっぽくないですか?
あれ、引っかかった深刻な事態に陥るという人には申し訳ないんだけど、
いつ読んでもギャグみたいだなと思うんですよね。
あなたのパソコンに侵入して、
エッチなサイトがいっぱいあるのを見て驚きました。
お金を払ってくださいとか書いてあるのって、
ギャグっぽく私には見えるんですよ。
あれを間に受けるという方がいるんだとすると、
それは予測をすることで危機を回避できる。
それは難しいことではないっていうニュアンスを感じるんですよね。
来ちゃうものは来ちゃうじゃないですか。
予測をしようと何しようと。
予測しないですけどね、そんなことは。
予測しないですけど、予測をすることによって回避できると考えると、
あの種のものは大変無理だと思うんですよね。
非法中傷というのは予測できないので。
だけど、ホラーって何でもそうなんですけど、
計画性が全然ないので、とてつもなくギャグっぽいところがあるわけです。
この話ね、なんかみんながあんまり言わないのが不思議でしょうがないんですよね。
私、梅津和夫さんってすごく好きで、
ホラー漫画家の古典みたいな人ですよね。
あの人の漫画読んでると1ページごとに笑いが止まらなくなってしまって、
ダメなんですよ。
ダメって何がいけないかというと電車の中で読めないんですよね。
本当に電車の中で読んでると辛くなってくるんで。
涙出てくるんですよ、おかしくて。
で、あれなんで子供の頃、私は子供の頃からおかしくて肌がよじれそうだったんですけど、
15:05
怖がる子が本当にいて、
どういう視点を取ればこれが本当に怖いと思えるのかっていうのがすごく不思議だったんですよね。
あの、なんだっけな。
すぐ忘れる。
幽聖から昇ったXっていうホラー映画があってですね、
あれがすごい恐ろしいぞということで、
なんか小学校の先生が変わった先生でみんなで一緒に見ようみたいな。
それも今思うと問題になるんじゃないかって感じがするんですけど、
視聴角質を真っ暗にしてですね、みんなで見たわけですよ。
で、私全然怖さがわからなくて、なんかやっぱり笑い出したんですよね。
その時すごいこう、不思議から先生ちょっと不愉快になった感じだったんですけど、
私ああいうのがね、なんであれが怖いのかがわからないんですよね。
あの、あれが本当にあったら怖いですよ、そりゃ。
だけどあれ、どう考えても、あの、なんて言えばいいのかな。
見え見えすぎて、子供が作ったお化け屋敷のお化けみたいなんですよね。
笑うしかないっていうか、子供に悪いから笑わないんですけど大人は。
そのホラー映画っていうのは、別に作、制作者に悪いとか思わないから笑っちゃうんですよね。
梅津和夫さんには申し訳ないかな。
例えばだけれども、古典的な、一番最初に作った作品に蛇おばさんとかってあるじゃないですか。
タイトルからして笑えると思いません?
私はタイトルからして蛇おばさんって、絶対にそれによって恐怖を感じさせるのは無理だと思うんですけれども。
で、何が言いたいかというと、私にとっては、たとえ自分宛に来ても、
クレームってやっぱりどうしても笑えるところが多すぎるんですよ。
で、きっとこういうものなんだろうなと思うんですよね、恐怖っていうものは。
恐怖ってのは、真に受けない限り滑稽なんですよ。
真に受けて初めて何か深刻になれる何かみたいな。
みんなでお約束、お約束っていうのが近いと思うんですよね。
お約束で怖いんですよ。
私、あのー、最近真剣に大人の女の人でも、
ゴキブリとかが出るとすごい恐れてるということを知って、
結構ね、あれ、私20歳くらいに衝撃を受けたんですよね。
私あれが怖いと思ったことはないんですよ。
汚いと思うのは分かるんですよ。
でも怖いと思ったことはないんで、
本当はみんなが怖がってないんだと思ってたところがあるんですよ。
みんながキャーとかっていうのはあれはお約束じゃないんですよ。
みんながキャーとかっていうのはあれはお約束で、
女子としてはあれを見たら悲鳴を上げなければいけないというお約束が、
多分僕はそれはあると思ってるんですよね。
えーと、何て言えばいいんですかね、これはね。
あるじゃないですか、そういうことって。
でも、ここで笑わなければいけない。
18:01
笑うのが一種のマナーであるみたいな。
私セミナーやっててよく思いますよ。
大した笑いを取る話でも大した面白いわけじゃないんだけど、
みんな笑ってくれてありがたいなみたいな、
そういうのがあるわけですよ。
ここで笑おうねみたいな、
そういう間の取り方とかそういうのってあるじゃないですか。
本当は大して面白くないんだけど、
まあその、佐々木のファンということでもあるし、
ここに来てるんだから、
このタイミングでこいつを笑わせようとしてるんだから、
笑ってあげなきゃみたいな、
そういうものを感じてみんなで笑うみたいな。
でもそうやってみんなで笑ってみると
意外と面白い感じがすると。
あとで夜じっくりしっかりと批判的に見ると
少しも面白くないみたいなこと、
多々あると思うんですよね。
クレームって、
そういう意味ですっごくお約束にのっとって書かれてるんで、
おかしいんですよ。
ここで怖がれみたいな文面がすごく、
なんて言えばいいんですかね、
あまりに明らさまで、
もうちょっと上手いんだけど、
もうちょっと上手い書き方があるだろうにって、
これは僕が物書きだからなのかもしれないんですけども、
お約束にしたって、
つまりはいみなさん笑いましょうっていうのじゃ
ダメじゃないですか。
でもそういう感じがしちゃうんで、
それがおかしいんですよね。
おかしみがある。
で、あれで悲劇が、
誹謗中傷とかもするんですけど、
悲劇が起こるっていうのが、
すごい私は大変なことだなとむしろ思うんですよね。
なんかアメリカで、
昔あまりにもホラー映画が恐ろしくて、
それを見た人が救急車で担ぎ込まれたっていう話があるんですよね、時々。
私そういうのを見ると、それを見るんだけど、
どうしてもそこまでになるということの意味がよくわからんと思うことのほうがほとんどなんですよ。
多分僕何かの感覚が抜けてるのかもしれないなと思うんですけど、
でもやっぱりお約束感ってのがですね、
以前なんだっけな、ストリームとかいう叫び声っていうのかな、
ギャグホラーがあったんですよね。
このタイトルじゃないかもしれないんで申し訳ないんですけど、
要するにパロってるんですよね、他のサスペンスホラーみたいな作品。
羊たちの沈黙のパロディみたいなのでもあって、
その場面を知ってるとおかしいんですけれども、
実に一応恐怖のフリをしてるんだけれども、
例えば何でもいいんですけどね、レクター博士みたいな人が出てきて、
それっぽくやるんだけれども、それがおかしみがあるので、
私あれはギャグホラーだと思ったんですけど、
ああいう感情を抱くんですよね、ホラーには全部に対して。
さあここで怖がりなさいねみたいな、
そういう声が聞こえてくるようになっているのかな。
このことがですね、むしろ予測をしすぎていて、
21:08
その効果を壊してしまうという感じがあるんですよね。
さっきの予測の不可能性と逆で、
要するにホラーというようなもの、恐怖というものは
予測不可能な怖さなわけじゃないですか。
予測不可能なのは怖いんだよということに
これほど強化されているということは、
私たちは突然襲われる、突然何かが起こるということを
ものすごく良くないことだと思っているはずだと思うんですよ。
絶対ですね、漫画家でもそうだと思うんですけど、
書いている方は怖くないはずなんですよ。
なぜなら全部自分が予測して書いていることだし、
作り事だって全部わかっているわけだから。
私クレームメールとかもしょっちゅうそれについて思うんですよね。
書いている人が怖いはずはないんですよ。
書いている人は怒っているだろうけど、
書いている人は怖いはずはないんですよね。
怖いと思うのは、受け手が突然これを受けるからなんですよ。
ところが、そこにさあここで怖がらせるぞという文章を
僕が読んじゃうと、少なくとも怖くはないんですよね。
不愉快に思うことはあっても。
それは要するに私が不意を打たれることが決してありえないことだから。
私は多分雷恐怖症というやつがずっとつきまとっていたんですけど、
あれ不意じゃないですか。
どうしても予測しきれないから、
あれが鳴り出すとずっと身構えるんですよね。
身構える意味は全くないですよね。
昔この話ここでもしましたけど、身構える価値ゼロなんですよ。
いくら身構えたところで、それが飛来心としての効果は呼ばないので。
だから話がすごく大幅に言い切っているんですよ。
話がすごく大幅に一周してきたんですけど、
だからそうきたかなんですよ。
来てから対処するしかないはずなんで、
来る前に対処しようという方がよっぽど無理があるということが何か、
何かですね、理解できると、
この無理をしようとすることから生じる不安というものが解放される感じがします。
ダスクシュートって2面見えるんですよね。
一応先のことも書いてある。過去のことも書いてある。
だから記録を取るためのツールにも見えるし、
予定通りに行動するためのツールのようにも見えるんだけど、
予定通りに行動するということは今言ったように不可能なので、
24:01
記録を取るためのツールとして使うしかなくて、
記録を見るとつくつく思うことがあったんですよね、昔。
俺の現実対処能力は大したものだと思うんですよ。
俺、みんな思うんじゃないかと思ってるんですよね。
だから記録を見直しましょうって言うんだけど、
わからないんですよね。
悪いことが起きたら未来に備えましょうという、
逆転するんですよ、ここで話が。
私はそれがすごく、いつもモニョモニョってするんですよね。
僕の話がひっくり返されたって感じがするんですよ。
チャブ台を返された感じなんですよね。
この対処能力を自分が持っているということに、
一番いいのはですね、
この言葉も自己嫌いっぽくて嫌なんですけれども、
自己嫌いだからしょうがないんだけど、
自分の対処能力がこれほど高いことに感謝しましょうみたいな感じなんですよ。
一日いいことに三つ感謝しましょうみたいな。
気持ち悪いって言われれば僕もそう思うんだけど。
でもこの能力を授けてくれた人がいたりするわけじゃないですか。
親もそうだし。
持っているってことはすでにありがたいことじゃないですか。
私はログを見るとなんとなく拝みたくなる感じってあるんですよね。
自分のログを見ると。
ありがたいことだみたいな。
そういう、なんかじいさんくさいんですけどね。
あるんですよ。
だって対処しきれてこなければ、現在はないと思うんですよ。
現在違った形になっているか、倒れているか、担ぎ込まれているか、最悪死んでいるか。
私、国会につくづくいくつかボンボンと思い出したんですけど、
電柱が倒れたせいで閉ざされた方もいらっしゃいましたよね。
和歌山だか兵庫だか。
あれもノートに書きましたけど、カンザスで私が経験したんですよ。
もっと大規模に。
カンザスごと閉ざされたんです。
アメリカっていうのはなかなかえぐい国で、
白人のアッパークラスの方から電気が入っていくんですよ。
だいぶ時間差ありましたからね。
いつまで経ってもこの地区だけは電気入ってこねえみたいな。
分かるんですよ。広いところの遠くから電気が入っていくんですよ。
本当にこれがこの国なんだなっていうのを痛感しましたね。
隣町もね。
隣町って言ったって車で15分くらいはかかる。
隣町。同じ町なんだけど隣の地区ね。
本当にそこから道路は良くなるし、何もかも立派になって、
しかも電気そっちから先に入っていくわけですよね。
本当に嫌だなと思いました。
こっちの地区は真っ暗で、零下10度くらいで、お湯は出ないし、
27:00
ガスコンロってないんですよね。電気コンロなんですよね、アメリカは。
どんなに古い建物でもだいたいオール電化だったりするので電気コンロつかないし、
本当にもう部屋が凍りそうな状態で太にくる割ってガチガチやってるしかねえみたいな。
そこまで悲惨じゃないですけども、本当にそういう感じで死にそうだったな、
あの時はと思うんですよ。
そういうことを思う度にですね、自分の現実対処能力高いなって思う。
だって死んでるかもしれないじゃないですか。
あの時死者出てませんけど。
私は今回の立ち往生みたいなのを、大体で17、18時間っていうのは私は、
完全に溜まってたわけじゃないですけど、あれに近い状態で経験したことがあるんですけども、
死んでる可能性がなくはないですよね。そういうことっていくつかありますよね。
死ななくてよかったなと思うと同時に、なんとかやってきてるんだよなという。
あれ予測によって対処したわけでは決してないですからね。
さっきも言った通り予測ができてるぐらいなら行ってないですから、そこには。
で、ホラーとは全然違うと思うんですよね。
要するにその不安とかその恐怖というものっていうのは、
なんて言えばいいんだろうな。
あれって結局予測的な不安を醸し出させてるって感じ。
そこにすごい強い恐怖感がある。
梅塚堂さんの、これはだいぶ良い線行ってると思う。
多くの子供が怖がってたんだ、私の友達が。
虫っていうようなタイトルだったかと思うんですけど、
小さな虫が遠くからやってきて、やってきてやってきて、
ついに子供が骨になるまで食われるみたいなのを予測させるような描写があって、
これはうまいなと思った記憶があるんですよ。
やっぱり笑っちゃったんですけどね。
なぜ虫がそこへ向かっていくんだみたいな。
そのなんて言うんだろうな、思わせぶりすぎるところがおかしいんだけど、
でも恐怖って思わせぶりなんだよなっていうのは本当に思うんですよね。
氷に閉ざされた時とか、思わせぶりもヘッタクレもないですからね。
もう対処するしかないじゃないですか。
対処するために私がやったのは、いっぱいガスコンロ、
アメリカでガスコンロはないんで、
ガスボンベみたいなの、ちっちゃいやつありますよね。
テーブルのガステーブル。
あれを、あれ高かった。
しかも値段吊り上げられなかったんですけどね。
持ってきてガンガンお湯沸かせたんですよ。
金かかりましたけど、でも何とかなりましたから。
それで食事も作れるじゃないですか。
これ対処能力っていうと思うんですよね。
考えつくかどうかが、ものを言いますよね、割と。
ガステーブルなんてアジアのものなんで、
アメリカ人は使わないところが多いんで、
30:00
アジア人ショップに行かないと、
手に入らないんですよ。
ああいう時に韓国人の人と仲良くしててよかったとか、
いろいろあるんですよ、そういうことって。
そういうことででも遠くから虫がやってきて、
襲いにやってきますみたいな、
そういう思わせぶりな恐怖と関係ないんですよね、全然。
スパムに近いと思うんだけど、
クレームだのなんだのっていうのは、
思わせぶり感がすごくあって、
未来予測ができない時の怖さっていうのは、
ホラーっぽいなと思います。
すごく思わせぶりで、
3ヶ月後の締め切りに間に合わなかったら
お前どうなるか分かってるんだろうなみたいな、
そういう感じがあるんですよ。
ある意味、くだらないなとも思います、すごく。
なんていうんだろう、
実態がない不安感で、
人を脅かすみたいな、
そういうものを感じるんですよね。
私が多分、雷に見てるものは、
他の人が見てるものとちょっと違うんだと思うんですよ。
雷にホラーを見ちゃってる気がするんですよ。
なんか私の中では、
疑惑化された何かがあって、
それが怖いんだと思うんですよね。
そんなようなことを思っていて、
いつも思うことがあって、
そういう疑惑化があるんですよ。
ある意味、現実というのは、
そういう疑惑化されてないので、
タスクシュートの記録って、
僕見てていつも思うんですよ。
予定とか、先の計画というものと、
すごく雰囲気が違う。
すごくある意味では、
書体いじめていて、
お湯を沸かすとか、そういう風になってる。
もっと違ったものを書けよって思われてるのは、
重々承知してるんですけど、
そうじゃないと思ってるんですよ。
現実の良さも、陳腐さも、
書体いじめた感じも、
実は一番大事なのって、
その辺の感覚で、
計画表っぽくなければ、
ホラーっぽくもなくて、
サスペンスっぽくもないんですよ。
映画の中の。
無駄に格好つけていて、
中身は全然ないみたいな。
それが恐怖感を伴ってやってくるのが、
例のホラーっぽい、
クレームみたいなものなんじゃないかな、
と思うんですよね。
乗ってあげてもいいんだけど、
っていうぐらいのものにしか見えないんですよね。
なんていうんですかね、
ドラマっぽいんですよね。
33:01
現実らしさが全然見えてこないみたいな。
それと計画って、
僕の目には似たものに見えるんですよね。
子供がギャング手帳みたいなものを、
持って楽しんでいる。
それはそれでいいと思うんですけれども、
自分には立たないなって感じがどうしてもします。
33:27

コメント

スクロール