2023-01-13 47:52

【728】ひとつ意識と役割

お葬式に行ってきました

00:05
おはようございます。キクセラピー第728回かな。
間違ってるかもしれませんけど、とりあえずお久しぶり。
でも一回飛ばしただけのような気もするんですけど、今1月13日金曜日の9時ですね。
これを取って出ししようと思っています。
ほとんどの方は多分ご存知ないはずですが、
でも知ってる人は知ってるんでな。
義母がね、つまり奥さんのお母さんですけど、
突然お亡くなりになって葬儀に行ってきたんだけど、その葬儀というのが秋田県で非常に遠いのでですね、
こんなんなっちゃったと。いつ戻ったんだかな。
とにかく1月の8時ぐらいには戻ってきて、昨日帰ってきたわけですね。
その間にでもやっとようやくおつやとお葬式ができたというわけなんですよ。
私考えてみると、自分の内寺なんだけど、
宗派ではないお葬式というものに参列したのが初めての経験で、
葬式にちょっと参加したとかはあるんですけどね、
おつやからずっとというのは宗派違うのは初めてで、やり方が違うんですよね、微妙に。
だから想定していたのとは違うため、思った以上に長かったわけですよ。
僕が思った以上にね。
こういう風になるだろうという予測が微妙なんですけどね、めちゃくちゃ狂うわけじゃないんだけど、微妙に狂って、
後から振り返ると、別にそうした方が良かったってわけじゃないんですけど、
一日遅くても良かったし、帰ってくるのも頑張れば一日早くすることはできたんですよね。
もっともただ娘との兼ね合いもあるから、私の仕事都合だけで動くわけにはどっちにしてもいかなかったんですけど。
そんなこんなで、時間が思った以上にかかったというのとですね、
そんな話をずっとしててもしゃあないのですが、
今日はどうしても葬式話に。
記憶が全部葬式の記憶になっちゃってますから。
葬式のっていうか、行って戻ってくるまでの活動に全てが意識が回ってますからね。
03:04
飽きたじゃないですか。
当然雪国なわけで、これは大変だなと。
つくづく久しぶりに。
私も青森県に住んでいた時期が数年だけはあったんで、
全く知らないわけではないんですけど、ほとんど知らないも同然なんですよね。
幼い頃でしたから。
昨日帰ってきてみて、久しぶりに雪がないって楽だなって思いました。
本当に。また豪雪なんですよね。
北海道にも実感だけど、北海道はああいう光景になる場所ももちろんあるんでしょうけど、
都市部はああはならないんですよ。
札幌と旭川はもちろんどっかり降ったときはああなるんでしょうけど、
私の経験しているレベルではああはならない。
カンザスシティも結構雪が降って、隣場草木も降るんで、
結構怖い面にもあったりもしたんですけど、
ああはならないんですよね、カンザスシティとかでは決して。
だからもう本当にこれはやばいわっていうふうにつくづく思った次第ですね。
だから雪がないって楽だなと帰ってきてみて感じたわけです。
葬式でですね、いろいろと思うところもあって、
非常に勉強になるなと思ったというか、その話をしたいと思うんですけどね。
何だかんだ3泊4日かな?
4泊5日になるのか。
でも最初はですね、3泊4日だったか4泊5日だったかその辺りなんですが、
まず結論から言うと、奥さんとなぜ私が今まで家で結構喧嘩をしては勝手に落ち込んでいたのかと。
というのがまずよくわかりました。
なぜなのかというのがですね、大体そうなんだろうと思っていたんだけど、
やっぱり頭で想像するのとリアルに体験するのがめちゃくちゃ違いますよね。
今回は奥さんがどういうタイミングでなぜ起こるのかが文脈から全て可視化されたと言いますか、
これも変な言い方だけど見える化されたらやっぱり変だな。
でも見える化されたんですよ。
そうか、この親戚の中にいてこういう心理状態にさせられてこういう気持ちになった時に、
当たれそうな人間に怒りの穂先がむくんだなというのがね、わかったんですよ。
これが奥さんの心の中ではですね、家に来てもつまり二宮でも再現されているんだなというのがですね、
06:09
よくよくわかりました。
家だとやっぱりこれが見えないから、見えませんからね、想像はできますよ。
想像はできるんだけれども見えはしないから、
なんでここでこんなに切れちゃうんだろうとかっていう、
切れるっていうこともないんだけどこんなに怒り出しちゃうんだろうっていうのが全然わからなかったんですよね。
いきなりボーンって来るって感じだったんだけど、
奥さんの実家だから、そこにしかも心霊筋がわっと集まってきていて、
最大の時は結構多かったんですよね。
この家ではこの人数ダメだろうって思うぐらい多くいらっしゃっていて、
そこは広くないので、全部筒抜けなわけですよ。
そうするとボルテージが上がっていく様というのがよくよく見えるんですよ。
もう目の前で繰り広げられてますから。
そして私がそこでヘマをすると、
ヘマをするって言ったって別になんてことはないんだけど、切れられる。
なんなら別にヘマだとしなくても目の前にいれば切れられる。
目の前にいるってことがヘマなんですよ。
これの回避策は実はすごい簡単で、
どっか行っちゃえばいいわけですよ、トイレとかに。
でもですね、私はこれの展開をつぶさに確認したかったんで、
目の前にいるとさすがに邪魔なんだろうということで、
常に近くにはいるんだけど目の前にはいないっていう、
そういう作戦を取ってデータを収集してきたわけですね。
どうしてこうなるのかをより詳しく知りたいと。
でもどうしてこうなるのかは本当につくづくよく分かりました。
ここに一人いない方がいらっしゃる、そのための葬式でしたけど、
ここにもし生きていらっしゃれば、
さぞ怒りのパワーは増えただろうなっていうのがよく分かりました。
だからですね、お母さん、僕は妻のお母さんと妻が一体になっているイメージだったんですよね。
そういうところから僕に対する怒りがどうしても抑えられないっていうのはあるんだろうとは思ったんだけど、
そうじゃないんだなと。
家なんですよね、やっぱりね。
家丸ごと相手にしているようなものであって、
この家の式たりではないんですけどね、
パワーバランスみたいなものとか、独特のルールとか、
それが式たりって言うんでしょうけど、文脈とかコンテクストとか、
それこそ空気を読めって盛んに言われたんだけど、
僕には見えない空気の流れとかね、あるわけですよ。
そういったものが佐々木家とは全く違うわけですね。
09:04
佐々木家にもあるんですよ、そういうのはもちろんどんな家にもあるんですよ。
ただ佐々木家とは違うわけです。
しかも佐々木家は総合的に見て緩いんですよ。
みんなそうなんですよね。
性格が丸いというか、
ああいうふうにはなかなかならないんですよね。
ある種いい争いが絶えないというか、そうはならないんですよ。
とにかく違うんですね。
その違いがあるから、私には見えないわけですよ、当然のことなのに。
なぜなら私は佐々木家文脈でしか育ったことが基本ないから、みんなそうですよね。
自分の家にいたんでは、あれはわからないんですよね。
王女帯だとしても、王女帯の人の方がわかるでしょうけど、各家族とかよりはね。
でも王女帯だとしても、やっぱり自分の佐々木家世界の中では、
その人たちはみんなわかっているからわからないんですよ。
みんながわかっているイリュージョンをみんなで共有しているからわからないんですよ。
なんか共同幻想みたいな話ですけど、そういうことなんですよね。
ところが奥さんの実家に行くと、みんなが共有できているイリュージョンが
私にだけは全く共有できていないからわかるんですよ。
ここで何が起きているかというのが観察しているとよくわかるんですよね。
で、そういう時に、あ、なるほど、ここでボルテージが上がって、
もうこれは、いわばこの怒りを回避しようという発想自体がダメなんだと。
ここはもう怒る場面みたいな。
あれですよ、倉園さんのグッドバイブスをみんな一人残らず指導を受ければ
ちょっと状況変わってくるでしょうけど、
一人残らずそんなことは知らないわけですから、
ここはもう怒る場面なんですよね。
ここでキレるだろうという予測は驚くほどピッタリ的中しちゃうんですよ。
ここでキレるだろうと。
なんならそこに私が顔を出せば必ず怒られるだろうというのは、
数度実験したんだけど必ずなんですよ、100%。
つまりヘマは関係ない意味ですよね。
私がそこに顔を出すということがそもそものミスであって、
なんならば私の顔がその時見えるということがすでにミスであって、
もう何をするとか関係ないんですよね。
こうなってくると、怖くはないよね。
なんかこう、あれみたいなもんですから、
スイッチ入れるとボンっていう何かみたいなもんなんで、
そのスイッチ入れるのは僕なんで、
あれですよ、パワーが上がってくるというのは私の預かり知らないところなんですけど、
パワーが上がってきてメモリを超えたらですね、
何度も爆発するより他はないんですよね。
他の何らかの手法によってそれを提示して、
でも少なくとも確実に言えるのは、
グッドバイオスを2,3度読んだぐらいでは無理な話だし、
読みそうもない人が少なくとも全体の9割以上だったし、
12:04
もう一つはアサーティブネスとかも論外だなっていう、
ああなってしまえばね、
アサーティブネスどころかですね、
もっともっとずっと簡単な、
怒る前に6秒とかも論外でして、
怒るんですよ、0.6秒以内に確実に。
これがただ家の中でもそれこそイリュージョンでね、
いないおばさんとか、
このおばさんは一般的に言うおばさんじゃないですよ。
私のおばって言うんです。
義おばが何名もいらっしゃるわけですけど、
そういう方がいろいろと喋ってるというか叫んでいる。
で、みんなそれに対して怒ってはいないんですよ。
みんな笑ったりしてるんですよ。
内心ではボルテージが上がってるんですよ。
これね、怒ってるっていうのもまた違うんですよね。
興奮状態にあるんですよ、一瞬。
常に時間に追われている感じがして、
実際時間に追われてるんですけれども、
時間というか状況に追われてるんですよね。
今回特に良くなかったというか、
シチュエーションがまずかったんですよ。
亡くなったのがあまりにも急で、
あまりにも唐突で、
全然誰も予期していなかったので、
病院で静かに少しずつとかでは全くなかったから、
亡くなったのが朝の何時頃に、
気分が悪いということで病院に運ばれました。
という一方が電話に入ったんですね。
うちの方に朝10時ぐらいに。
亡くなりましたという知らせを受けたのは、
我々が出かける準備をしている佐中でしたからね。
しかもこの方はとてもうちの義母ですが、
健康な方で入院とかも一切されたことがないというぐらいの人で、
ほとんど病院にもかかったことがないみたいな方で、
そういう方の方が危ないとか、
こういうことが起こると言うんだけれども、
そんなこと言ってもですね。
しかも私の義父ですね、
夫の人はいろいろと事故ったり倒れたりもしていて、
誰もが内心では義父が先になくなるだろうと思い込んで、
義父の方が年もやや上ですから、
当然そうなるだろうみたいに思ってしまっていたために、
逆のことが起こるとは誰も想像しなかったわけですよ。
だから最初一歩を受けたときは、
反応がうちの奥さんも鈍くてですね、
向こうは興奮しているからなんですよね。
話がよくわからないわけですよ。
倒れたと言われた段階でも誰も亡くなると思っていなかったわけですけど、
そういう流れであっという間の出来事だったために、
それをまた田舎なので、
あっという間に近所の方が知ることになってですね、
15:01
次から次へと人がやってきちゃうわけですけれども、
何も準備もしていないわけですよ。
何ならそのお母様がですね、
前の晩に用意していた買い物袋がそのままになっているところに、
そういう事態が発生しているわけですよね。
だから本人もそんな風になるなんて少しも思っていないわけですよ。
そういう状態だったためにですね、
ボルテージがもう最高潮になっていたわけですね、私が着いた頃には。
何ならその早く来いって、
僕はもうずっと電話口で電話口とかLINEで怒られていたんですけど、
行けば行ったですぐ怒られると。
要するにもうこのタイミングで来るとは何事だってことなんだよ。
どのタイミングで行っても同じなわけですよ。
こういうことがですね、今回ものすごくなるほどというのがまずありました。
つまり、なんつうんですか。
まずボルテージ、興奮状態にみんながあるのは、
ある種様々な罪悪感があるからなんですね。
これ罪悪感という言葉では説明が難しいんですけど、
要するになんつうんですかね。
この番組でおなじみの言葉を使うならば、
ニードが満たされていない状態なわけですよ。
みんなが泣いている赤ちゃんみたいになっていると。
大人なんでどうすればいいのかをみんな分かっているんだけど、
そのどうすればいいのどうに手が回らないのに、
次から次へと用事だけが降ってくるので、
しかもその用事を果たして誰がやるのかということが決まってないんですよね。
あそこに強いリーダーシップを取る人がいてね、
指揮官みたいになって、
その人の指揮にひたすら一心乱れぬ動きを見せると言うならば、
また別なんでしょうけど、
誰が指揮者なのかが分かんないわけですよ。
極端に言うと、うちの奥さんなんかは中核に近い存在だから、
指揮者になればいいんでしょうけど、
なんとなく見ている限り、
あの空間ではですね、やっぱり亡くなったお母さんとお姉さん、
この方が指揮を取るようになっていくんですね。
こういう方って必ずどこにでもいらっしゃると思うんですけど、
でもこの方の指揮をみんなが納得しているとは到底言い難いんですよ。
何しろ後期高齢者ですから。
元気ではあるけれども、
うちの奥さんなんかまだ40代ですから、
意見が全部合うはずはないし、
なんならばうちの奥さんの方が頭が回ってるわけですよね。
でも指揮を取る人は結局うちの奥さんの方にも遠慮がある。
この遠慮にも当然罪悪感も伴っているわけですね。
お母さんの言う通りにしなきゃというのと、
その通りにはできないということ、
その通りにできないというのは納得感の問題もありますけれども、
そもそもその通りにすることは不可能なわけですよ。
例えば買い物袋片付けてっていう話になるんだけど、
18:02
どこにどう片付ければいいかを知っている人は実は誰もいませんよね。
その家は自分家である人はその中にはいないわけですから。
誰かがそこに片付けろって結局言うことになるんだけど、
そこにやっぱり遠慮があるでしょう、誰でもね。
誰であってもそこに確信はないわけですから。
しかもその片付ける場所を言うっていうことに
相手が納得しなかったらどうしようっていう、
これもある種の罪悪感なんだけれども、
そういうものがあるんですよ。
そのためにありとあらゆることを一気にやらなければいけないのに、
全部がゴテゴテに回っていくわけです。
結局割と声の大きい人がどんどん指示を出すんだけれども、
その指示がことごとく間違っていることもあるわけですよ。
優先注意的にね。
そうすると全てを元に戻さなきゃならないような事態も発生して、
その時みんなの怒りのボルテージが上がりますよね。
指示を出した人の怒りのボルテージも上がるんですよ。
そんなところに私がノコノコと何の役にも立たないように顔を出すと、
めちゃくちゃ怒られるわけですよね。
こういう流れなんですね、言ってみれば。
そういうことが1から10までいちいちあるわけですよ。
例えば、これもまた非常に象徴的だなと思った。
象徴的っていうのもこの場合合わないけど、
象徴的だなと思ったのが、お膳ね。
お膳が上がっているわけですよ、まだ松の内だから。
これが当然その場にふさわしいお膳ではないので避ける必要があり、
代わりに個人のためのお膳を用意するっていう流れになってますね。
こういうのはうちの宗派にはない発想なんで、
ない発想っていうのはもちろんそういう発想はあるんだけど、
亡くなったからすぐにお膳を出すっていう、
これは宗教じゃなくて単なる風習のような気もするんですけど、
そういうことに非常にこだわるわけですよね、ある種の方は。
その場合のこだわりとして箸の向きはどっちだとか、
ご飯どのくらい盛るだとか、ご飯とお水の場所の関係は、
こういうことになるとまた、
こうだという答えがあるってみんな信じきるんですよね。
年配の方はとがくそういう傾向があるんだけど、
そこに正解はないわけなんですよ、実際には。
私はそれはもう家が寺なんでよく知ってるんですよ。
ここに正解を求めるのはすげえ粉毛だと思うんですよ。
いろんな理由がありますが、要は正解がないんです。
もちろん寺だったらありますよ、
だけどその寺の正解というのは寺が作ったものですから、
風習が混ざっていて、しかも親戚筋全員が同じ宗教であるというのならまだしも、
そうでない場合にはそこに正解は絶対ないんですよ。
その家の人がやるしかないんだけど、
ここでさっきの親類筋との戦いが始まっちゃって、
ボルテージがすぐ沸騰するわけですよ。
ご飯は少ないんじゃないかとか、ご飯は右なんじゃないかとか、
21:02
この議論は永遠に続くわけですよ、やろうと思えばね。
でも打ち切られるわけですよ。
正解を出そうと頑張っているし、正解あるって信じてるから、
永遠に続きそうなんだけれども、来客がその間に来るわけで、
終わっちゃうわけですよね。
一旦そこで、お膳のことはみんなが忘れて、
お客様にお茶を出したり、
お茶もね、急須にはお茶っ葉が入っていたりして、
なかなかスムーズには出ない。
その度にみんなの罪悪感がまた少し上がって興奮して、
僕が怒られると。
この繰り返しなわけだけれども、
そうしている間にですね、みんなが忘れるだろうなと思っていると、
お膳のことは忘れると。
僕がそんなことに口出しするのは論外なので、
僕はそもそも知らないですからね。
手法は違うし、風習も違いますから。
正解がないことだけは知ってるんですけど、
僕が何か喋ればすぐ怒られるはずなので、
それについては何も口出しはしていないんだけど、
お膳のことは忘れると。
そしてお客さんが帰って、やれやれとなると、
誰かがお膳のことを思い出して、また議論が始まるわけですよ。
こういうことがですね、永遠に続く感じなわけですね。
こうした流れの中で、
どうして自分が怒られるのかは分かったんだけど、
どうするのか、どうしたらいいかなっていうのがありました。
当然どうしても僕の頭はそう働いちゃうところがありますので、
どうしたもんかなと。
怒られるのはこの際諦めてたんですけど、
怒られないようにするとかいうのは、
この空間に来た以上は意味なさないなと思ったので、
怒られるのはよかったんだけど、
し、今後何をどういうふうに考えれば、
感じればいいのかっていうのも変だけどね、
考えたんで、そこもよかったんですけど、
この場ではどうしようっていうのが残りまして、
どうもしなくてもよかったんですけどね。
2つありまして、1つがですね、
まずここはグッドワイブス役に立つなと思いました。
みんなのボルテージ下げるのは全然不可能ですけれども、
この何ができて何ができないかというのが
はっきり分かるというのもいいんですけどね。
こういうところはやっぱり3つあるなと。
全部グッドワイブス的にいけるなっていう感じがしたんですよ。
いつものカウンセリング的なのじゃなくて、
あれはカウンセラーの専門家とかなら何とかなるのかな。
でもグループカウンセリングみたいな世界になるでしょうね。
もし何とかなるとしても。
1対他ですよね。
1対1っていう状態は望むべくもないので、
1対他だし、ちょっとそういう状況でもないような気がしたんですけど、
1つは1つ意識なんですよね。
ここの1つはみんなこうめちゃくちゃ時々
怒りあってディスカッションしちゃいますけど、
24:00
1つであることは確実。
これを意識するのは比較的簡単ですよね。
親戚しか原則にいないんで。
何らかの関係者ですからね、そこにいるのは。
ここにいる人たちはみんな1つって思うのは、
非常に私の心理として楽にしてくれるんですよ。
自分も含めてですけどね。
1つだから。
とにかく1つで何とかするというふうに考えればいいんだなと。
ここでちょっと精神分析っぽいのが出てくるか。
考えというのは頭の中から出てくるものではないという、
例のビオンの考え方ですね。
考えというのは中空に漂っているようなもので、
そこに何か問題というのがあってですね、
みんなが泣いているというか怒っているというか、
ニードが満たされていないというのも、
それの連続ですから。
それを誰かが考えて、それについて考えて、
ニーズに変えると。
何ならば例えば、
当然に正解はないですというのがニーズなんだけど、
そういうことですよね。
1つ意識。
これは非常にこういう場面では有効ですね。
みんながそう思えれば一番いいんでしょうけど、
みんなが仮にそうは思えなかったとしても、
誰かがそう思えるだけでもずいぶん違う。
ということがはっきりと可視化されてありました。
今一つがですね、
これもグッドバイブスでもおなじみの、
ゆっくりやる。
無理なんですけど、
自分だけでもゆっくりやる。
急がないということですね。
急いでも早くはならないんですよ。
みんなはそうは思わないからめちゃくちゃ急ぐんですけど、
急いでも早くはならないんですよ。
だから急がない。
とにかくじっくりやる。
これはですね、
徐々に葬儀のおつやが終わって、
落ち着いていけばいくほど効果を発揮し始めるんですね。
もうカオスで沸騰状態にあるときは、
僕だけがゆっくり動いているという理由で怒られるんで、
なかなか難しいんですけれども、ゆっくりやる。
ゆっくりやることによってですね、
この事態というものは、
誰かが大努力を払って終わらせるとか、
そういう話ではないですよね。
いずれは終わるんですよ。
その間、やれることを一個一個ゆっくりやっていくより他なくて、
急いでやろうと、何をしようと無駄で、
例えば非常に不思議なことなんですけど、
こんなに混沌としているのに、
ただひたすら待つしかない時間というのもあるわけですよね。
意外に長いんですよ、そういうのが。
私、これは子供の時から非常に不服で、
あんなに慌ただしかったのに、
27:02
たちまちみんながピタッと止まって、
なんかこう、漫談をしている。
しかもその時間も漫談以外のことは許されない。
子供の時だったんで、これがめちゃくちゃ退屈で、
ああやって慌ただしいところで意味もなく陰ずり回っていたんだけど、
そういうことをやっている方がよっぽど楽しいなと思っていた時期もあったぐらい、
何にもすることがなくなる時間というのが不意に訪れるんですね。
そういうところって、面白いことに、
本を読むことすらダメなんで、
もはや本当に何もしない時間になっていくんですね。
それはそれで良かったんだけど、今の私は、
当時は苦痛でしたね。
本当に一歩間違えたのに、あんなに慌ただしいのに、
ある時間が来ると2時間ぐらい何もできなくて、
例えばただひたすら坊さんが来るのを待つとか、
そういうような、あるいは仮想場に行ってただ待つみたいな、
そういうような時間が、
だからこういうところでみんな意外に酒を飲んで酔っ払っていくのかっていうのを納得しましたね。
それは今回初めて納得したってことでもないんだけど。
つまりそうです。ゆっくりやる。
これは非常に大事だなと思いました。
そういうふうにボルテージが上がってしまうので、
ゆっくりやれば別にボルテージは上がらないんですよ、そんなにまで。
どうせ急いでもお茶がすぐ出せるかどうか問題でしかなくて、
そしてすぐ出せる道理はどこにもないんでね。
だからなんですけどね、だからみんなすぐ罪悪感の興奮状態になっちゃうんですけど、
罪悪感を持つことによってこの事態が少しも良い方向には向かっていかない。
だから無駄なんですよね。
そういう無駄に焚き木をくべていくような状況をやめようと思えばやめられる。
誰もやめようと思っていないのでやみませんが、
やめようと思えばやめられるんですよねっていうのを意識するだけでも非常に楽になります。
そしてどうせ全部は終わらない。
今回もそうだったんだけど、ちょっと未練は残りましたけれども、
でもこれどうやったって絶対全部は終わるはずがないので、
例えばですね、口座が凍結されるという問題が発生しますね、個人の。
そうするとこれは非常にシリアスな問題でして、
家には実は金が全然なかったりします。
これは皆さんもご実家については、ご実家がある方でこういう家の場合は気をつけたら良いかと思うんですけど、
奥様が金銭管理を全部一任されていて、
30:00
旦那さん何も知らないといったときに、お金がない。
引き出すこともできなくなる。
そもそもカードがどこにあるかがわからない。
クソだったんですけどね、今回は。
しかも暗証番号がわかるはずはない。
そして現金が家にない。大変ですよ。
なのにお坊さんにお包みをしなければならない。
これクレジットカードで払いますというよりにいかないですからね。
どこからどうやって現金を出してくるんだよと。
自分の口座もあるんだけど、それは奥様がご存知であると。
きちっとしまわれている場合なんかは特に困ると思うんですよね。
どこにあるんだそれっていう。
そもそも今回なんかお茶っ葉がどこにあるのかで、
1時間ぐらい探してましたからね。
そういうわけなんですよ。
だからこの現金問題っていうのはすごい深刻だなって思いました。
口座はですね、亡くなったということが、
これまた地方だからってこともあるんですけど、
新聞とかに載せちゃうんですよね。
亡くなりましたよっていう。
それを銀行の方でチェックすると口座凍結しちゃうんだそうですよ。
そんなもんだから出すのをもうちょっと後にすればいいのにと思ったんだけど、
余計なことを言うとまた何を言われるかわからないといいますか、
何か必ず怒られてしまいますので、
どうせ載っちゃってますからね、新聞にね。
そういうわけでお金を下ろせなくなるわけです。
1円もですよね。
そして家になんかもう830円とかしかないわけですよ。
本当にそれなのにお坊さんに包むとかできるはずがないじゃないですか。
なるほど、だから高電というものがあるのかと思ったんだけど、
この高電というのもまた、
高電が入ったからすぐこれを包めばいいやっていうわけにはいかないものなんですよね、なかなか。
その辺の話を後日またしたいと思うんですけれども。
というわけで大変です。
なので一つぐらいはですね、
やっぱり自分の口座を自分で管理するということをしておく必要があるんじゃないかという感じがするのと、
奥様に一任されるというのであればですね、
カードと暗証番号ぐらいは認識しておかないと。
ただ亡くなった直後にこの金を下ろさなきゃいけないっていう風に頭が回るかどうかはまた別の問題ですよね。
すなわち口座が凍結される前にですね、
下ろすっていう意識が回るかどうかはまた別の問題です。
ですけれども、意識しておいたほうがいいケースはあるよなとは思いました。
まさに今回がそういうケースでしたね。
それでですよ。つまりじっくりやる。
どうせ全部は終わらないんでね。
そんな10日や20日で全部は終わらないです。
私が今回ざっくり勘算した感じでは、
今年1年全部やるんだら今年1年は丸々かかるだろうなという感じがしました。
33:01
あのお家の場合には。
まだそもそもあれですからね。
最後まで分別するためのゴミ袋とかが見つからないまま僕は帰ってきましたから。
これもずいぶん矢探ししたんですけど不思議なことですよね。
そんなのそこらへんに絶対ありそうなものなんですけど、これがないんですよ。
物の見事。
買ってもいいと思うんですけど、そもそもどこに何を買いに行けばいいのかがよくわからないわけですよね。
部外者なんで。
非常に難しいというか、難しいというか、
すっげーしょぼい探偵業をやっているような感覚になりましたね。
そんなゴミ袋を探しばかりやっているわけにはいかないですからね。
保険の問題とか年金の問題とか。
問題山のようにありますね。
ゆっくり。
もう一つがですね、
ここで私の中ではタスクシュートとグッドバイブスになっていくんだけど、
グッドバイブスを先に今日は言っておしまいにしますと、役割っていうことなんですよね。
個性はもうこの際、個性はあるんだけど、
個性って言葉とこの場合合ってるかどうかなって感じで、役割なんですよ。
とにかくやることは山ほどあります。
一年プロジェクトですね。
大きいものまで全部入れれば不動産問題みたいなのが出てくるからね。
で、私のポジションというのは大変微妙で、
例えばカードが見つかりました、暗証番号も聞いて卸しに行きますっていうのが、
やっぱり私が単独でやりに行くのはまずい。
少なくともまずいと奥さんは思いますよね。
だから人手が一人でも多く欲しいのに、こういう場合に誰かと一緒に行くといったことが起こるわけですよ。
ところがですね、これも不思議な話だったんですけど、
雪道なわけですよね。これはたまたま北だからってことなんだけど、
大豪雪地帯ですから、私は雪道の運転というのはできればやりたくないんだけど、
奥様も同様に全くやりたくなく、他にできる人はなんと誰もいないと。
高期高齢者が多いからね。
プライバシーなんでこれ以上は言いませんが、若い人もいっぱいいるんだけど、
結局誰もいないんですよ、私を除いて。奥さんが過労死でできるかな、ぐらいな感じで。
例えばお金を卸す一つ取っても、私が単独で行くわけにはいかない。
今言ったような事情でやっぱり、私の口座からはちょっと遠いですもんね。
しかもですね、どこに行けば卸せるのかというのが、つまり地方なのでね、
コンビニなのかといっても、コンビニがどこにあるのかすらも結構微妙なわけですよ。
カナビ使えばわかるんですけどね。
36:04
しかも暗くて、夜で雪道で、どこにコンビニがあるのかもよくわからない私が、
ふらふらと一人で行くわけにはいかないんだけど、
さっき言ったように混沌とカオスの状態の中で、
二人で金を卸しに行くというのも実に馬鹿げてるんだけど、結局そうなるわけですよ。
これが役割ってことだったなと思いましたね。
私の役割はそういう方向にあるわけですよ。
台所でふらふらしてても怒鳴られる役割になっちゃうので、
ちょっと違う役割をやっていく必要がありまして、
これはだんだん日が経つにつれて、
おじいちゃんと役場に行くとか、年金課に行くとか、保険会社に電話するとか、
ことごとく実は僕がやったんですよ。
これもどうかなと思いながらやったんですけど、
でも相手は対応してくれるんですよね。
私はまずそれが心配だったんですよ。
血のつながりがないからね、直接は。
ギリの息子さんではダメですとか、
勇者とかに言われるんじゃないかなと思ったんだけど、
対応してくれるんですよ、やっぱり。
今は後期高齢者さんの口座の問題とか、
いわゆるアカウントですよね。
アカウントを持ちの人が、
例えば自分でうちの父は義符は書けますけど、
字も書けませんみたいな方が結構いらっしゃるわけですよね。
なんなら亡くなった奥様の成年月日なんて知りませんみたいな、
この問題は起きたんですけどね。
そういうことがあるので、ギリの息子ですみたいな、
そして個人情報をなぜか全部教えてもらいましたみたいな感じで
やりに行くんですが、
これは役割だなと思います。
こういうのを役割って言うんですよね、結局。
なんならですよ。
これが、例えば私じゃなくてですね、
結構悪い人とかだったら、
何とでもできちゃいかねないようなところもあるわけですよ。
いろんな意味で。
だから結局こういうのって、
さっきの一つ意識というのと、
ゆっくりやるというのと、
これが犯罪的なことであればゆっくりやってる場合じゃないんでね、
ゆっくりやるというのと、
役割を果たすというのは完全につながっていて、
こういうことをやっていくのが平安なんですよ。
逆を逆を逆をいけばよくわかるんですよ。
あれの混沌とした興奮状態が、
完全にバラバラ意識だと思っていて、
つまりこれは私には関係ないことですからね、
異様によってはね。
もちろん関係はあるんだけれども、
異なる家のことなので、
これを完全に突き放してみるということもできますし、
バラバラ意識ね。
ものすごくここの人たちと同じように、
大急ぎでこれを済ませる。
2拍減らして超高速に行って戻ってくるということももちろんできます。
39:06
そしてその場合の役割は、
全く違った役割しか果たさないということもできます。
ただその状態になると、
この出来事全体がどう見えるかというと、
めちゃくちゃどうしようもないものに多分見えます。
だからすっごく心は荒ぶりますよね。
今回これはウッドワイブスって知ってよかったなって、
これほど思ったのは久しぶりです。
状態が混沌としているので、
都市部の生活が全く違った独特のカオスぶりがありますので、
私はこれは知ってはいたんですよ。
私の実家も遠くなって。
ただ途中言った通り、
うちの実家の空気はあれよりもはるかにマイルドなので、
わかってはいなかったんですよね。
ああいうものがどういうものでもあり得るのかといったことが。
これはウッドワイブス知らなかったらきつかったわと。
なんで俺こんなに怒鳴られてるんだよとかね。
わざわざ大橋さんとの打ち合わせとかの日も、
こんなに一生懸命ずらしてもらったのに、
逆の果てに何にもさせてもらえないのに怒られてばっかりいるじゃんとかね。
いいように言ってはいくらでもあるんですよ。
でもそれは今の3つが全部逆転して見えていれば必然的にそうなりますよね。
つまり意識はバラバラでとても急いでいて、
そして自分の役割というものはここでは全く見つからないという風に考えた場合は、
そうなりますよ。早く家に帰って100日チャレンジの方の役割に没頭したいのにとかって思うと思うんですよ。
これを思わずに全く思うことなくですね、できるようになったっていうのは、
やっぱり私の中ではね、ウッドワイブスを置いて他に何もないなっていう感じが少ししましたね。
あそこでやっぱりカウンセリングではないですからね、あそこでは。
あそこでカウンセリングをやってる場合ではないし、なんかやっぱりそれも文脈が全然違いますよね。
家族療法的な側面はあるんですけど、たとえ治療はしなくてもあるんですよ。
そういう側面はあったと思うんだけれども、それだけではできなかったろうだとは何にも。
そして何よりも平安が保てないよねと。
ずっと平安になったわけではないですよ、事態が事態ですし。
一つ一つはしょうもないディスカッションばっかりなんで、
水を右に置くかご飯を左に置くかみたいな話、本当にいらない議論なんですよ。
そしてこの種の議論しかないんですよね。
42:02
ネットにはマナーとしてこっちに置くべきだとか平気で書いてありますけれども、
あんなの全部嘘ですからね。
これはちょっとさすがに語弊がありますけれども、
あれは何らかのところに論拠を求めているだけで、その論拠に絶対というものはないんですよ。
宗教に絶対がないようにですね。
何宗こそが最終的に正しいと言えるんだったら、宗教論争とは全く無意味なものになるじゃないですか。
だからああいうものに絶対はないんで、何を言っても無駄なんですけど、
例えばこのやはり沸騰した議論の一つに、
お耕田返し、耕田の金額以下によって耕田のグレードを変えるべきなのかと、
でもこれも変えるべきだという結論が出たところでですね、
高めの耕田、中くらいの耕田返し、低めの耕田返しにするのか、
それを4段階にするのかとか、永遠にできるじゃないですか。
きりがないですよね。
耕田の金額というものがいくらなのかは事前にはわからないわけですから、
統一もされていないし、しかもこれもなかなか面白くてですね、
中の内訳が書いてある耕田とかもあったりするんですよ。
これは何台に使ってください。
こちらは何台に使ってください。
あるんですよ。
そういうのもあることを考えると、
耕田返しの種類をどうグレードつけるかというのは結論絶対出ないですよね。
でもこういう議論というのは平気で3、40分やっちゃうんですよ。
そして結構みんなボルテージが上がっていくわけですね。
そういう時に言わなかったですけど、僕がどっちでもいいんじゃないですかとか言うと、
まためちゃくちゃ怒鳴られるわけですよ、奥さんに。
あんた黙ってなさいみたいな感じで怒られるわけですよ。
こんなもんでは済まないんですけどね。
そういうことで、一つ意識っていうのはですね、
こういう時は非常に有効だなと。
有効という風に言っちゃいますよね。有効だなと感じますね。
ほぼずっとこれで平安でいられると。
そして寒い中、冷凍庫みたいですよ、家の中なんて寝てると。
電気毛布とかは用意してもらってるんですけど、
だから非常にありがたいんですけど、
そうは言っても布団もどっから出してきたんだろうみたいな布団が無理矢理出てきて、
枕も無理矢理な枕が出てきて寝違えそうだし、
ハウス出すとアレルギーになりそうだし、
心が平安である理由はなかったんですけど、
不思議とですね、若干の腰痛があったかなぐらいな感じで、
でもこれは自宅にでもあるレベルですからね。
特にアレルギーな反応も私は出なかったし、
汚染痕アレルギーでずっとくしゃみをかけていたかわいそうな方がいらっしゃったんだけど、
私はやっぱり家が寺田だけあって汚染痕アレルギーとかにはならないんですよね。
そんなに吸い込まない術も知ってますから。
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そんな感じで平安に過ごせてたんですよね。
そしてそれなりに結構動いてやれたなと。
駅道もかなり運転できたなと。
結局そういうことなんだなと。
駅道が運転できたのは昔スキーにいっぱいいてたからなんですよね。
決して雪国育ちだからとかではないんです。
あとカンザスシティでちょっと苦労したと。
そういうようなことはありました。
役割ってのはそういうもんなんですよね。
無駄にならないっていう言い方をするのかもしれないんですけど、
そういう言い方をするよりは、
一つ意識といったものの中では役割というのがあって、
あるものであって、
そしてその時平安である人というのに
役割は必ず回ってくるものなんですよ。
状況が混沌としていればしているほど、
状況が混沌としてくるとだんだん機能不全になりやすいので、
そうでなくても機能は不全しやすいんですよ、
条件によってはですね。
自分が何もしなくていい状況だということであれば、
他の人もそうなんですよ。
だから非常にうまくできているものですね。
うまくできていると思えればそういうことなんだなと。
うまくできないと思ったら本当にひどいものですよね。
いくらでも言いたくなることはあるし、
何を言っても多分ただひたすら怒られるという状態だったと思います。
これがですね、今回長くなっちゃいましたけどね、
今日は久しぶりなんで。
不幸中の幸いとしか言いようがないんですけれども、
まさかこうなるとは私も思いませんでしたし、
これもまた非常にグッドバイをしているんですね。
一寸先は闇ですよね。
みんなこれは、今回集まった人は全員同じように言ってました。
もうまさにそうなんですよ。
みんなが勝手に想定していたことがおそらく逆だったと。
本人目の前にしてね、それも申し訳ないんだけど、
本人が一番それを口にしてましたからね。
まさか俺が残されることになるとはっても、こればっかりでしたからね。
でもそういうことはやっぱりあり得ることなんですよね。
人間の頭が想像したことと現実は結局違うので、
現実が想像したもの通りになるはずだと深く思い込んでいれば思い込んでいるほど、
やっぱりそれが盲点になってしまうんだなと。
私も今回、またそれを思い知らされた感じで、
本当に未来のことはわかんないんだなと、
倉園さんの言う通りですね、と思いましたね。
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