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2021-05-28 38:27

【GMV 386】リアルに生きるとリアリティが得られる

未来や過去に生きると失われる
00:04
おはようございます。グッドモーニングボイスです。
昨日ですね、
いいご質問を受けて、
久しぶりに改めて考えたんですけれども、
タスクシュートって、
記録をしない時間帯というものが存在しないんですね。
睡眠時間については、
のみはですね、
どっちでもいいかなと思うんですよ。
なぜならば、覚醒時の全記録が残っていれば、
それ以外の時間は全て睡眠時間と捉えられるので、
そういう考え方で、取っても取らなくても同じかなと。
他は全部取るということになると、
何にもしてない時間というものが実はないんだなという認識に至るはずなんです。
いや、何にもしてない時間あるでしょうって思われるかもしれないんですが、
記録を残してみるとですね、何かしてますよね。
よく何にもしてない時間は何にもしなかったと書きましょうって便義上言うんですが、
そんなことはないんですよ、たぶん。
この中にあれですね、
ツイッターしてたとかは当然ツイッターしてたになるんで、
何にもしてなかったことにはならない。
で、しばしばですね、タスクシュートをつけてない時のライフハック、
つけてない時っていうのは全員つけなきゃならないみたいな話になるんで、
そんなわけでは全くないんですが、
ライフハック系でよく聞くのが、
ここのところ何もしてないっていう言い方があるんですね。
あれは私は内心必ずそんなはずはないって突っ込んでるんですよ。
いちいちそんな話はしませんが、
時々文脈ではしますけどね。
何にもしてない時間がないというのに、
これは実際ないんですよね。
たまにはあると思いますよ。
2分とか何もせずにいると。
それは大事だと思うんですけどね、そういう時間は。
でも2分とか本当に、
大体ですね、タスクシュートで記録を残そうという人が、
1日中何もしないで過ごせるはずないんで、
何かしてます。
何かしてるのに、
大体そういう人たちは会社行ってたりしますからね、
もうすでにそれだけで相当ものすごくいろんなことをしてるんで、
何かしてるんですが、
何にもしてないとそれなのに感じちゃうのは、
何でなのかというとですね、
費用対効果でまず測るという、
習慣が身についているというか、
ここにはもう一つ、
03:00
おっと、めんどくさい心理が働いてるんですけど、
要するに騙されたくないという心理があるんですね。
この騙されたくないというのは、
多分現代人にやっぱり強くなってきている。
というのもですね、
騙そうとしてきたという、
ちょっとしたこう、
何て言うんですかね、
歴史的経緯と言ったら大げさなんですが、
そういうようなのがあって、
例えば何の栄養価もないものが、
やだら美味しく作られているとか、
これが僕は実はですね、
一番重要だったんじゃないかと思うんですけど、
例えば炭酸飲料とかね、
何にもそこに入ってなくても、
すごくこう、やみつきになる。
昔そう言ってたんですよ。
今思うとあれはやみつきになるほどじゃないと思うんだけど、
やみつきになると。
つまりそれは騙されているってことですよね。
自分の感覚が。
それもどうかなって思うんだけれども、
そこにイリュージョンを追加している感じってあるんですよ。
これを飲んでいるとかっこいいみたいなね。
そういうのがあって、
実際には砂糖水に二酸化炭素を入れただけのものなのに、
あるいはそれすら入ってなかったり、
今はしますからね。
人工甘味料で賄ってます。
大量の砂糖やばいんで。
そういうことがありまして、
つまり体に悪いものでしかないのに、
欲しくなる。
それは感覚が騙されているからで。
こういうことを私が子供の時は、
結構徹底的に行われてた感じがするんですよ。
中身のないものをいかに上手に売るかっていう話が、
すごく熱中してたっていうのかな、世の中が。
で、感覚は当てにならないという感覚がですね、
いろんなところで出回った感じがするんですよね、
あの時代には。
感覚は嘘をつくみたいな。
で、なんですよ。
で、私が思うに、
私が思うにではなく、
多分これは世の中的にそうなっていくんですが、
並行して客観的でなきゃいけないっていう感じがですね、
強調されてきたと思うんですね。
例えば、さっきので言うと、
栄養価を測るみたいな感じで。
ここから、なんていうんですかね、
まずいものほど素晴らしいっていうような、
奇妙な感じも出た感じがするんですよ。
やっぱりこうイリュージョンで作り出された、
おいしいものが当てにならないということがあって、
その裏側に行くんですよね。
なんかこう苦くて、味気なくて、
なんか飲むだけでも気分が悪くなるようなものを飲むほど、
その人は偉くなれるみたいな、
そういうニュアンスがちょっとあったと。
まあこの辺は、これはこれで新しいイリュージョンだと思うんですけれども、
そういうのがあって、
結局どっちにせ当てにならないから、
客観的な数字で測りましょうっていうことになってるんだと思うんですね。
06:03
で、時間に対する客観的な指標と考えるとですね、
2つしかないと思うんですね。
まあ本当は1つしかないんですけど、
あえて言うと2つしかないと思うんですよね。
その人がそれで良ければそれでいいっていう言い方があるんですよ。
つまりその人は騙されてるんだけれども、
楽しいんだったらそれでいいでしょうっていう言い方ですよね。
ここには非常に独特の見下してる感じがあるんですよ。
例えばずっと漫画読んでるとかね。
費用対効果で測るといったときに、
これに対抗できるものって基本ないと思うんです。
なぜならば、ある人が主観的にその時間をこう過ごしてて幸せですというのに対して、
外からケチをつける本当の根拠ってほとんどないじゃないですか。
特にこの今のような時代。
基本的に人は何をしても自由な時代に、
たかだか漫画読んでるだけで、
その人をギロ賃代とかに連れてくわけにいかないですよね。
だからそれに対しての嫌悪感っていうのが
拭いがたくどこかにあるんだけれども、
それは本人がいいならそれでいいんじゃないかって言うんですよ。
で、カウンターがあるんだと思うんですね、ここには。
つまり漫画を本当は読んでちゃダメだって言われてるんですよ、これ。
この漫画を読んで過ごすというのは、
砂糖水飲んでるのと同じだよと言いたいわけですよ。
虫歯になって病気になって死ぬんだよと言いたいわけなんだけれども、
それを言いまくるのは感じ悪いんで、
感じ悪くても言いまくる人もいますが、
感じ悪いんで、対抗措置としてですね、
時間対収益って考え方をここに導入してると思うんですね。
これによって食べ物の栄養価だとか、
勉強した時間に対する偏差値の伸びだとか、
そういう指標を人生全体に得られたという、
そういう考え方が流行るようになっている。
流行るようになった時期があるんですね。
今僕そこまで流行ってない感じがするんですが、
これがつまりお金なんですよね。
だから実は、搾取されるとか、
依頼に全力で応えていたら利用されるとかいうのは、
本当に言いたいことはそれじゃなくて、
本当に言われてることは騙されてるってことだと思うんです。
この騙されてるというのは主体に騙してる人が仮にいなかったとしても、
騙され得るっていう考え方があって、
つまり一日をぼーっと過ごすのは騙されてるっていう考え方があると思うんですね。
それは本人がそれでいいという気分に騙されてると。
つまり脳に騙されてるってそういう感じがあると思うんです。
09:02
だから費用対効果でそいつを測ってみろと。
ほらあなたは10時間かけて収益ゼロじゃないですかと。
なんなら支出がありますよ。
電気代とか税金とかね。
それがつまり騙されている状態なんだと。
ここをきっちり算出して収支のバランスを黒にしなさいっていう教えなんだと思うんですよね。
ここを私たちは恐れるようになっているので、みんな騙されたくないんですよ。
だからタスクシュートでは記録をとってみると、
何もしてない時間は確かにゼロですと言っても納得されないわけです。
確かに何かはしている。
けれどもその何かしている時間で儲けが出ていない。
本当はそう言いたいわけじゃないと僕は思うんですよ。
本当は何かがしたいんですよ。
なんならだって儲けが出てればそれでいいならば、
会社に行ってればそれでいいじゃないですか。
理解してそうは言わないですよね。
その上を欲しがると。
でもこれが意外にキリがなくてですね。
私が見ている限りいろんなことをみんな、いろんなことをしているんですけど、
それでもまだ何かしなきゃいけないって言うんですよ。
これは結局何か、何にもしていない感じがするんですね。
何にもしない感じがするものだから、
幸せなことをしていたいってなるんだけど、
ここにさっきの難しさがあって、
幸せなことをしているだけでは騙されてしまうかもしれないと。
よく言うじゃないですか。
私は夫のためにいろんな料理を作ったりしていて幸せです。
いや、本人がいいならそれでいいけどって言うじゃないですか。
言わない人が多いと思うんですけれども、言うと思うんですよね。
つまりそれは騙されているということなんですよね。
そうすると幸せにはあるべき形があるということになるじゃないですか。
主観的に幸せですと感じてはいけないと。
そういうことで感じてはいけないと。
例えばそういう場合に中国語の勉強をして
同じように幸せを感じるべきであると。
だんだん話が無理が出てきている感じがするんですね。
例えばプログラミングの勉強をして
同じように幸せを感じるのなら許されるけれども、
会社の上司に言われたことを一生懸命やって幸せを感じる。
それは搾取であると。
それは騙されているんだという話になってるんですよ。
だんだんどうなっていくかというと、
他人のためにはなっていないことを
しなきゃいけなくなってくるんですよ。
自分のためになっているかどうかって
実は分かんないじゃないですか。
例えば青汁を飲んで美味しいと。
美味しいじゃない。青汁を飲んでまずいと。
でも幸せだというためにはですね、
ここで何かが必要だと思うんですよね。
多分将来のより健康とか。
これはでも将来のだから、
12:03
その時は美味しくないわけですから。
将来のなんて。
将来のっていうのは、つまり今じゃないってことですよね。
これが一つだと思うんです。
結局この話になってると思われるでしょうけど、
結局この話になるんですよ。
私はそういうふうに、
以前と言ってもだいぶ以前、
2006、7年後のタスクシュートつけてて、
このことで考え込んだんですよ。
つまり将来のだということになると、
当然その時は楽しくなくてもいいってことになりますよね。
むしろさっきも言った通り、
楽しくあっちゃダメだってことになりますよね。
楽しくないほど素晴らしいってことになるじゃないですか。
だから朝、
そうですね、
4時ですね。
よじらって言ってたもんね。
4時に起きるとすごくつらいと。
本当につらいと。真っ暗だしね。
夏はまだいいんですよね。
なかなかいい光景が見られたりしますが。
だから夏ダメなんですよ。
騙されますから。冬じゃないと。
凍てつくように寒くて真っ暗で、
外に行くと身が縮むような感じになって、
すっごく嫌な感じになるんですよ。
真夜中ですからね。
それがいいわけですよ。
なぜならその時楽しいのは騙されてますから。
だってお金になってないじゃないですか。
4時に起きただけじゃ。
そこで嫌な気持ちにならないとダメだと思うんですね。
将来のためですから。
今ここで楽しいっていうのはダメだと思うんですよ。
プラスですね。
これが誰かのためになるっていうのも微妙なんですよね。
例えば起きてくる娘や妻のためにご飯を用意すると。
これだと騙されてる感じがするじゃないですか。
これ男がやると意外と大丈夫で、
でもこれ女性がやると結構嫌な感じを抱く方もいらっしゃると思うんですよ。
そこで将来のための勉強か、
筋トレかジョギングかその辺じゃないとダメなんで。
何があるか。
それは将来のためだっていう意味だと思うんですね。
健康が増進されると。
理想的なのはこのジョギングをしている最中に
ポッドキャストなりを喋って。
つまりこのジョギングそれ自体は将来の健康や老化を防ぐのには役立つかもしれないけど
金にはならないので
ポッドキャストかなんかで喋って収益を上げると。
何か誰かがやっていることに似てきちゃうんですけど
これは意識してそう喋っているわけじゃないんですよ。
これしかないような気がするんです。
自動的にだんだんこうなっていくんですよ。
私が2007年、8年の頃はこういうことを一生懸命真剣に考えてやろうとしてたんです。
もちろん誰かの影響もありますよ。
あるんですけど考えてやるとこうなるんですよね。
こうしかなりようがない。
だってジョギングしながらなんか莫大に儲けるって無理じゃないですか。
こういう考えがいくこともありますよね。
ジョギングしながら投資の勉強をオーディオプレイでやると。
15:01
私はそこまではやらなかったけど
これをやっている最中にこれやだなって思うようになったんですよ。
なぜならば後になって気がつくと1日が終わってみるじゃないですか。
何にもした気がしないんですよ。
これだけのことをしているのに。
なぜなのだろうと思ったんですけど
それは実に簡単ですよね。
その時してたことから意識が遠ざかっているからしか考えられない。
今ここというよりは全く今ここじゃない。
その仕方って結構努力をするというか無理があって
だって現実には現在のその場所にしか今ここって言わずに
今現在こここの場所ですよね。
自分のいる場所って常にそうなってますよね。
今現在ここにいると。
どこにいてもいいようなことをやってるわけですよね。
身もかかわらず。
だってオーディオブックを聞くというのは別にどこでも同じじゃないですか。
それがハワイであろうと沖縄であろうと北海道であろうと同じですよね。
実はここにカラクリがあるんですけど
ライフハックってそうなんですよ。
今ここにいながらにしてどこにいても同じ。
いつどこでも同じことをやるんですよ。
オーディオブックを聞くっていうのは結局そういうこと。
いつどこに何をしていてもできることをするのがライフハック的なんです。
こういうカラクリがあって
だからある時間帯に自分のため、人のためじゃなくて
自分の将来に役立つこと、かつそれで収益が得られることをやろうと思うと
必ず今ここじゃなくてもできることをしなきゃいけないんですよ。
そうすると今ここにいることから
また遠いところにいればいるほどいいってことになるはずなんですね。
これをやり続けていると
後になってですね
今日は何もしなかった気がするんですよ。
これが充実した気がするっていう人もいらっしゃるんですよ。
一方で私と全く感じ方が違うんです。
だけれども私はどうしてもこれをやると
何もしなかった気がするんですよ。
なぜならばいつどこにいても同じことをずっとやってるから
一番わかりやすいのはこれがリゾート地でやっていた場合だと思うんですね。
リゾート地に人が行くのは今ここにいたいからだと思うんです。
私はよく沖縄行ってたんですけど
沖縄に行ったら沖縄を実感したいじゃないですか。
沖縄に行ってですね
東志のオーディオブックを聞きながら
夜の暗いうちにジョギングしてたら
全く家にいるのと変わんなくなってしまいますよね。
それがいいっていう考え方もあるんですよ。
でも私はそれだったら家にいてやればいいじゃんと思うんですね。
いつどこにいても同じだっていうことを
わざわざお金かけて
4時間も5時間も飛行機で離れたところに
わざわざ行ってやる理由ないと思うんですよ。
それがつまり今ここといつどこなんですよ。
18:02
いつどこでもいいっていうことをやるんだったらですね
家でやるのが一番合理的ですよ。私が思うには。
わざわざ沖縄に行ってやるってことは
今ここを味わいたくて普通に考えればやるんだから
その時にしかできないことをやったらいいじゃないですか。
オーディオブックを聞く。
それは明らかに世界中どこでもできること。
ジョギングをする。これも同じ。
つまり自分だけのために
いつどこでもできることをするということは
その行為については
そしてその行為をする意味についても
取り替えがいくらでもきくということを意味しますよね。
他人がやったっていいわけですよね。
世界中のいつどこで誰がやっても。
だからいつどこで誰がなんですよね。
これを再現性と言いますよね。
ライフハックっていうのは科学っていう感じがあるから
再現性に非常にこだわるわけです。
今ここっていうのは独自性ですよね。
1回限り非常に具体的ですよね。
だから間に入れないところがあるわけですよ。
これを同時にガッチャンコすると
何が起きるかというと
今ここから最も意識を遠のかせ続けると。
で、なぜそんなことをするのかと。
それはね、つらいからだと僕は思うんですよね。
原則的に最初に始まったことは
満員電車つらいじゃないですか。
今ここにずっといたらもう気分悪くなりますよね。
そして会社に行って会社もつらいですよね。
ずっと会社にいる。
でもその人は意識を飛ばしたいんですよね。
会社にいない自分に出会いたい。
で、会社にいるのは事実だから
今ここにいたら会社にいることになってしまうので
いつどこでもいいような場所に
頭を飛ばすと。
これをずっとやればですね
後になって何もしなかった気がするのは
自然かなと思うんですよ。
何かをしたというのはどう考えても
現在この地点でしかできないので
どんな行為でもそうなんです。
これもタスクシュートをやってると
繰り返し思い出させられることなんですよ。
何をやってても今現在しかできてないなと。
それは当然なんですよね。
今現在の時刻をスタートボタンで
入れるしかないわけです。
未来の時間を入れたり過去の時間を入れたりする
意味がないですよね。
だって未来の時間じゃない時間なんですから。
どんなことをやるときもそうですよね。
これを思い出させられるんですよ。
だけれども意識を飛ばしちゃえばですね
結局のところ今ここじゃないところに行くと。
そしたらその人はその場所、その時間は
何もしなかったんですよ。
手は動いてたかもしれないし
呼吸もしてたんですけどね。
頭も働いてたんだけど
でも何もしなかったんですよ。
その場所、その時刻、その地点では。
だから後になって何もしてない気がするんで
何かをしなければいけないと思うんですよ。
限界ギリギリまで時間が埋まってるにも関わらず
それはもう24時間、365日ですよね。
21:02
何かしてるんで。
ここにさらに何かを追加しなければいけないので
無理が出てくる。
それで未来の時間をリソースとして活用するという
不思議な発想が生まれてくるわけです。
今ここではできないけれども
未来ならできるということで
その行為を未来の時刻に書き込むんですけれども
その時が来た時は
別のことを必ずやることになるんですよね。
会社に行ってたりするわけじゃないですか。
ぶつかると。
これを何とかしましょうっていうことを
ライフハックでは言うものだから
これを何とかするためには
方法は1個しかないですよ。
同時に2つのことをするんですよね。
この絶対できないことなんですけれども
同時に2つのことをすると
会社の仕事をしながら漫画を書くとかね。
これをライフハックと言うんですけど
これは内職ですよね。
この内職をやってる時もそうなんですけど
意識っていうのは
1つのことにしか集中できないようにできているので
2つのことを同時にやるとですね
どっちかのことを完全に意識から飛ばす必要があるんですね。
タスクシュートでは2つのことを同時に記録はできないことになっているので
この方法って進めようがないんですけれども
あえてこれを無理やりやると
ますます面白いことに
最初に望んだこととは全く逆の方法
つまり何にもしていない感じがするわけです。
後になると特にですね
記憶に残りにくいのでマルチタスクは。
こういう問題なのかなと思うんです。
この問題は
ごちょごちょ話してきましたが
一番根底にあるのはやっぱりですね
騙されたくないという恐怖感だと思うんです。
騙されたくないんですよ。
砂糖水を飲んでいて栄養たっぷりだと騙されていたくない。
だから客観的指標が必要だと。
だからその時間でいくら稼いだかを
記録から読み取る仕組みが必要だと。
どんなに辛かろうと
まずかろうと
寒かろうと暗かろうとですね。
1時間あたり1万円という数字が出てきたら
何かをしたことにできる。
だけれどもそこに何かをしたという実感は
あろうとなかろうと関係なくて
何かをしたという実感が得られるためには
客観的な指標が必要だと
そういう話になっているんだと思うんです。
私が喋っているタスクシュートの話というのは
どこか欠けている感じがきっとすると思うんですよ。
なぜならば
そのタスクをしている時間帯に
いくら儲けていくら損したのかの算出という話をしませんからね。
したことがないと思うんです。
そうするとこの時間を
24:00
この使い方をしてよかったという理由が
一個も明確にならないって話になっちゃうと思うんですよ。
私はここを逆に考えるというか
この最初の恐怖感を払拭するしかないと
むしろ思うんですよ。
この恐怖感、騙されたくない恐怖感から
客観的指標へと至る流れを取ってしまったら
私の感じとしてはですね
どうやったってその人は
その時間が幸せだったと言える理由は
なくなるような気がむしろするんです。
子供時代のことを思い出すと
なんとなく実感できると僕は思うんですけれども
子供を見ててもそうですが
将来のためにいっぱい勉強させるという時間を
10時間くらい取らせて
こうすることであなたは将来医者になったり弁護士になったりして
お金が稼げるんだから
この時間がどんなに味気なくてもあなたは幸せなのよというのは
どっか無理があると僕は思うんですよ。
この考え方はマッシュグラで全く問題ないんだという
意見もあるので私が正しいとは
思わないんですが
私はこれをやるのは気の毒でできないんですよ。
これを子供にやるのが気の毒であるならば
自分にやったって気の毒だと思うんですよね。
お金という指標を持ち出さないと
騙されてしまうという恐怖感を
私は捨ててしまった方が早いんじゃないかと
自分を気の毒だと思うようなタイプの人は
思わないならばもういいんだと思うんですよ。
気の毒だと思うと思わないというのは
結局のところは主観なので
お前は騙されているんだということであれば
これはもうしょうがないと思うんですよね。
なぜグッドモーニングバイブスなんかやってるんだと
お前は騙されているんだと言われたら
どうにもならないですよね。
これで1円も儲けられていないのは事実ですし
算出はしませんけれども
この間電気代もかかっているでしょうし
少しですけどね、水も飲みますし
つまり消費にしかなってないんですよ、この時間は。
好きでやってるからいいっていうやつになってしまうんですよ。
本人がいいならばそれでいいんじゃないのと。
この時間帯の使い方なんですけれども
どの時間帯でもそうですが
騙されているかもしれないという恐怖を
払拭するならば
残ってくるのは1個しかないと思うんですよね。
その時間でどれくらい
それをしていたという実感を
その時に手に入れられるかどうかですよね。
もともとの話が
何もしなかった問題だったので
実際の行動としては何かをしているので
あとは実感の問題じゃないですか。
これを実感するのが
27:00
騙されているからダメだという考えで
お金で算出するという考え方に切り替えたんだけど
私はそのお金で算出するという考えに切り替えると
毎日が空虚以下になってしまって
空虚×暗黒みたいになっちゃうんで
僕はあれは無理なんですよ。
お金を儲けるために時間を使ったから
幸せなんだと考えるのは僕には無理なんですよ。
だから騙される方向に行くしかないんですね。
私は騙されているとは思ってないですけども
人によってはそう言うでしょう。
でもそれはもう感受することにしたんですよ。
甘んじることにしたんですよ。
だから騙されているというのは良しとしようと。
問題は騙されているとしたら
この時間が騙されていようといないとは
騙されていないと思うんだけども
実感としてこの時間の使い方これで自分としては十分だと
そのためには
それをしているということを
なんて言うんですかね
それを今で言えばこれですけど
このグッドモーニングバイブスですけど
これをしているということを
夢じゃないんだと思えるというところまで
行くしかないと思うんですよね。
これも不価値論的な話がありますからね。
夢かもしれないじゃんというのとか
マトリックスかもしれないじゃんというのを
僕は完全に否定するのは少なくとも頭では無理だと
思いますが
感じとしてはあるんですよ。
夢かもしれない過ごし方をしちゃったなという時と
これは夢ではないと言い切れる感じ方をする時とか
あるんですよ。これしかないと
僕は思っています。
エポケなんですけども
これはこの時間の使い方は
夢じゃなかったんだと
言い切れる時間が多ければ多いほど空虚ではないし
幸せでもあるんですよね。
これ以外の指標を持ち込まないことだと思うんです。
後になって何もしなかったとか
何とか言い出さないためには
何もしなかったという事実だけは間違いなく間違っていますから
何もしないということだけはないので
残っているのはその時の実感の程度なんですよね。
あと幸福度の程度みたいなもの。
これは他人には測れないというのが私の結論なんですよ。
4時に起きて英語の勉強を
オーディオブックでしようと何しようと
つまり他人がどれほどそれに納得しようと
それにはほぼ意味がないんです。
僕の感じではね。
残っているのはこれしかない。
自分で実感するしかない。
これを騙されていると見なさないようにするしかない。
見なさないような使い方をするしかないんですよ。
その時に依頼というのが出てくるんですよ。
30:01
なぜなら多くの時間を依頼に費やしているのは事実ですから
自分の肉体からの依頼というのを一旦置きに置くにしても
つまり生理的な時間以外の時間の使い方では
依頼が極めて多いんですよね。
そういうふうになっていると思うんです。
よほどの資産化でない限りはね。
依頼に応えるという使い方をする以上は
やっぱりこれも同じなんですよね。
マルチタスクだったり
その時間を使ってないかのように使ってみたり
つまり空想してその時間をずっと過ごしてしまったら
やっぱりダメだと思うんですよ。
少々厳しい感じがあったとしても
ないんですけど本当は。
今ここにいないとどうしようもないんですよね。
現実にその時間を過ごしたと思えるためには。
そうすると依頼に応えるという話になってくる。
騙されるというのはさっき除外したので
一旦騙されるということもないことにする。
そうするとですね。
現実に徹底的に合わせるほど
レターじゃないですか。
つまりこれ現実に合わせる話だったんで。
依頼に応えるというのは現実に合わせる話なんで。
これが嫌だとつまり現実を無視する話になるわけですよね。
現実を無視して空想にすっとると
未来の計画とか将来の自分とか全て現実ではない。
現実ではないところに行っちゃうと
後になってあの現実の時には何を自分はしてたんだろうと
なっちゃうから
現実に戻ってくると。
そうすると合わせる程度が高ければ高いほどレターだと思うんですよ。
大体現実に合わせてるわけですから。
合わされた相手からしても多分そうだと思うんですよ。
相手がどういうつもりでいようともですね。
その依頼に応える焦点というんですかね。
フォーカスというのかな。
それの程度が高ければ高いほどやっぱり結果は良くなると思うんですよね。
これで現実
少なくとも現実の側についてはですね。
大体うまくいって良かろうと思うんですよね。
これを信じられないって話に戻ってくるんですけど
そこに戻ると話が全部戻ってしまうんで
そこにはもう戻らないことにして
一旦そうするしかないかなと
やってきてるんですよ。
2007、8年頃からある程度はこうなんです。
私は感覚の中で8、9割こうなんですよ。
グッドバイブスは私にとっては
これに決定打を与えた感じなんですよね。
時々申し上げますけど。
決定打ってすごい大事なんですけどね。
1割会議みたいな感じで僕はそういうところがありますから
1割会議みたいな感じで長々やってきたんですけど
結構厳しいんですよ。
2008、9年から考えてみると
10年以上1割会議みたいな感じでやってきました。
会議って疑うってやつですね。
33:01
そういうタイプなんですね。
現代人はジゾイド的で
ジゾイドってのは分裂って意味で
分裂ってのは疑ってるってことなので
みんな現代人がジゾイド的であるならば
ありきたりなことではないんですよ、全然。
多分ありきたりなことだと思います。
っていう感じで思うんですよね。
リアルに合わせようと。
これ結局
これもまたグッドバイブスに戻ってきてる感じですけど
受け身ってことになるしかないじゃないですか。
そういうことなんですよね。
受動家、能動家ということは
現実をいかに無視できるかって話になりがちなんです。
常にそうであり続けるわけじゃないですけれども
そうなりがちですね、多くの場合。
特に雑多な日常の中では
能動、能動でいくとものすごく現実を踏み
にじっていくような感じになって
これがまた私はやっぱり
さっきの結果に戻っちゃうと思うんです。
つまり何をしていたのかよく分からないというか
現実無視してますからね、第一に。
そして現実界からのフィードバックが少ない。
当然なんですけどね。
なるべく現実に何かを渡さないように生きてるわけだから
戻ってくるものも減りますよね。
という悪循環から抜け出すために
私は出だしはタスクシュートの
スタートボタンだったわけです。
そこを
決定打を与えてくれたのがグッドワイルスだった。
そういう感じですね。
そしてこのリアルに戻ってきたとき
リアルに戻ってきたときに
別に後継が何か新しくなるわけではないし
昨日とある意味同じだし
つまりタスクシュート以前とも
その後継、それ自体は変わらないわけですが
何か決定的に変わるんです。
この騙される恐怖感というものを
完全に払拭し終えると。
何かが決定的に変わる。何なんでしょう。
これについてよくよく考えてたんですけれども
何かいざとなると
言葉がまだ浮かんでこない感じがします。
何か決定的に変わるんですよ。
グッドワイルスで決定打が入った後は
いよいよ決定的に何か変わった感じってあるんです。
迷いがなくなったといえばそういうことなんですけれども
やっぱり迷いがっていうこの言葉は
なんか幽霊っぽいですよね。
迷いって言うじゃないですか。迷ったみたいな。
道に迷うみたいな感じなんだけど
幽霊っぽさがなくなったっていう感じですか。
私の感じとしては。
ジゾイドでもよく言うんですよね。
現実感が不足していると。
36:01
予想ごとの出来事のような感じがすると。
そういうことなんじゃないかと思います。
特に未来とか空想とかに生きていると。
だって幽霊っぽいじゃないですか。それら自体が。
幽霊ってかすかですけれども
そのかすかですよね。空想とか未来というものは。
消そうと思えば消しゴム使わなくても消えるぐらいかすかですよね。
そういうかすかさみたいなものから
自分がもうちょっと
固形的というのかな。
こんな言葉だから文章に表せたことがないんですよね。
固体的というのかな。
実体感がある。
お金ってそうじゃないですか。
お金自体が大好きって人は本当に少ないと思うんですよ。
今どき。
お金って結局未来の何かと交換するのが楽しいわけですよね。
今ここにある価値とは
ちょっと違うと思うんです。
全部そうなっちゃっていますよね。
ジゾイド的な生き方というのは。
だから何もしていないという変な感じが付きまとって
かすかな感じになっちゃうんじゃないかと思うんです。
あのかすかさから解放されるというものが
多分自分は一番
欲してたんでしょうね。
結局そうですよね。
実感を得るために行くのであって
その逆じゃないと思うんです。
VRでいいならば
まさにVRというのはかすかなものですけれども
VRでいいならばVRでいいじゃないですか。
行くからには何か実感が必要なわけですよね。
その実感というのを今ここでも
どこでも得られるんですよね。
他のところに行っちゃわない限りは。
これを一番得られるのが
多分
利害が関係ない人からの依頼というのが
一番簡単に得られる気がします。
これが実は今私たちが
排除しようとしているものと
同じものなんじゃないでしょうか。
利害が関係しない人からの依頼ですよね。
その人からお金もらえませんからね。
そして対してそういう人からの依頼には
時間がかかりますよね。
38:27

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