1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. Vol. 195 「ふうど」の北越殖..
2022-10-27 15:37

Vol. 195 「ふうど」の北越殖民社特集にインタビューが載りました


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はい、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日は10月27日、木曜日ですね。
今週27日、28日でもう週明け。
来週月曜までで10月が終わりなんですね。
まあね、どんどん外の気温も、新潟市内は少し朝晩ね、冷えてきたかなという感じになってきましたね。
今日はですね、8月に、振り返ってみたら8月なんですけど、
8月にですね、一度こちらのポッドキャストでもお話しした、フリーペーパーのフード、取材していただいていたものが送られてきましたので、そのお話をしたいと思います。
フード、この間8月に一度お話ししているんですが、もう一回おさらいしますと、高吉さんというですね、新潟市内にある印刷会社さんですが、ここが作っているフリーペーパーで、
フリーペーパーといっても、広告を取って商業的にやっているというよりは、ちょっとなんて言うんでしょうね、CSRというか、
でも印刷会社なので、高吉さんのこの印刷の技術を皆さんにアピールするというような意味合いもあって作られているフリーペーパーだと思いますが、
ちょっと紙質も良くて、内容も若干固めというか、ちょっと難しめの内容になっていまして、なかなか硬派なフリーペーパーですね。
こちらの方で、今回私のところに8月にインタビューに来ていただいたんですが、今回の特集は何かというと、タイトルが北海道の苺村ということですよね。
この苺村の話も、たぶんこの番組の初期に1回お話ししていたと思いますし、今年の夏も確か、ちょっとエベツの方に行ったときに、外で苺村のところでちょっと喋りながら録音した記憶があるんですが、
風がバソバソ刺さっていって、あんまりうまく撮れなかった記憶がありますけど、その前だったかな、その時にインタビューしていただいたものも盛り込んでいただいて、苺村特集というので6ページかな、やっています。
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もう一回おさらいすると、苺村というのは何かというと、今回タイトルにも入れましたけども、北越植民者というのが新潟県内に明治中期から立ち上がりまして、
この北越植民者というのが入植者を募集して、北海道にみんなを、新潟県民だけじゃなかったみたいですけど、主に新潟県民を連れて行って、入植した村というのが苺村であるということで、
この苺村の歴史をたどっていくという特集になっています。
通常、北海道の入植の経緯をたどっていくと、大体何ですかね、満州なんかと似てます。文村農民、文村移民みたいな感じになっていることが多くて、
だから、母村というか、母県というか、出身地の地名がついていることが多いんですよね。
北広島とか、新鳥川とか、そういうのがそうですよね。その一つ一つの元の町とのつながりというのも、必ずしも調べたことがないんですが、新潟県に関しては、他にも言ったところがあるみたいなんですけど、
今はっきり残っているのは、北越植民者が募集して、各地の農民が募集に応募する形で、北海道の江別市というところに移住していった場所というのが苺村として残っています。
そこが知られているんですが、この北越植民者というのはどういう経緯で出来上がっていったのかということについて、今回フードの方で特集がされています。
正直、私はBSNのハグクムコラムで一回これのことを書いたんですけど、それを見てフード編集部の方がご連絡をくださって、そういうきっかけのところで少しお話を聞いていただいたかなと思っています。
圧倒的にフード編集部、いろんなライターの渋川さんという方が、私の中よりもっといろんなことを調べていて、結構面白い内容になっていますね。
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この北越植民者の話、改めてすると、大橋一蔵さんという人物がいまして、彼が企画をしまして、北海道に移民を送るというようなことをやる。
これをバックアップした人物として、三島奥二郎という人がもう一人出てくる。
三島奥二郎さんという人は、かわいつぎの助の映画にも出てきましたし、長岡藩の主要な人物の一人なんですが、生き残るんですよね。
かわいつぎの助は亡くなっていますけど、三島奥二郎は生き残って、おそらく多くの長岡藩の若者を死なせてしまったという、食材の気持ちからだったのではないかということが書いてあります。
大橋一蔵が描いた越後村の構想を指示し、村々を回って北海道に行って一旗あげないかというのをみんなに説いてまわったと。
この時、64歳で村々を回って解いてまわったというようなことが書いてありました。
三島さんというのは、母親戦争の生き残りであって、その人の仕事だというふうなことが書いてありました。
コメントをいただいてます。どうもありがとうございます。
札幌の学校ミルクプッキーの記事を見たことがあります。大橋さんの秘密とか。なるほど。これ何の話?フードの話かな。ありがとうございます。
フードは毎回結構力の入った企画があって、お会いした時も渋川さんとお話ししましたけど、
渋川さんは非常にいろいろな歴史文化に関わるところを描かれるライターさんで、
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なかなか新潟県内でそれで仕事を得ていくのもそれ一本では大変なんだろうなと思いますけど、
このフードについては非常に渋川さんらしさが出ている企画じゃないかなと思います。
札幌の学校とかミルクプッキーとかの記事書いてるのかな?今回出てなかったと思います。
今回もう一人人物が出ているのが関山御座文さん。
これは北越植民社の旗振り役であった大橋一蔵さんというのは、結構早くなくなってしまうんですよね。
北越植民社が成功して軌道に乗る前になくなってしまうんですけど、
その後を引き継いで村のまとめ役として江別に移住して、
村長のような役割を果たした人物として関山御座文さんというのがいるということ。
この3人のことをご紹介しています。
昨日見たらまだPDFが出てなかったので、まだ公開されてませんが、
データでもネットで公開されるはずですので、どっかのタイミングでまた見ていただければと思いますし、
おそらく新潟市内は各所、一回前の回でどこに置いてあるか喋ったんですけど、
図書館とか公共施設を中心としていたと思いますが、
いろんなところにフリーペーパーなんで置いてありますので、手に取って見ていただければ、
なんだ、いちなり喋ってるとか大したことないじゃないかって思われると思いますけど、
せっかくお声掛けいただいたので、せっかく私のところに来てくれたので、
載せてくれたという程度だと思いますけど。
まあでも、北越植民社とか越後村ね、越後村、新潟県内ではあまり注目されていないですけど、
北海道旅行のついでに、ついでにっていうか、ついでに行くにはちょっといいかなと思います。
小樽に行くか、小樽に行くか越別に行くかって、やっぱり小樽に行っちゃうんでしょうね。
小樽運河もいいけれど、小樽運河も半日あれば札幌からちょっと行って帰ってくることができるような場所ですけど、
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越別もそんな感じかな。越別もそんなに遠いところではないので、ちょっと行って帰ってくるみたいなことができる場所ですし、
小樽はちょっと小樽と向きが逆なんですけど、でも多分ね、高速で移動すれば、高速道路で移動すればそんなに距離はないと思いますので、
小樽も行って越別も行ってみたいな。越別からそのまま千歳空港で帰るみたいなこともできるので、
いいんじゃないかなと思います。
札幌の学校の初代校長誰でしたっけ?
前に札幌の学校の初代校長って鹿児島の人だったんですね。
前にその話したっけ?
忘れちゃいましたけど、ちょっと今ね検索してみたりしてますが、札幌の学校初代校長誰でしたっけ?
いろんな人出てくるんですね。札幌の学校ね。
教頭がクラークさんですよね。で校長は誰だったの?
校長は誰だったの?だめだ、わからなかった。
わからなかった。誰ですかね、校長先生ね。
あ、この人か。長生寛崎、薩摩藩市。
でも結局開拓市っていう役所のメンバーですよね。
だからそういう養殖は薩長が占めているっていうような意味での長所さんなんじゃないですかね。
こういう北海道とか沖縄とかの場合もやっぱり、沖縄どうしたのかな?
沖縄もやっぱり薩摩を人を送るとちょっといろいろ摩擦がありすぎると考えたのかどうだったかちょっと忘れましたけど、
でもやっぱり要所要所にそういう、結局政府の官軍側の人がこういう養殖に就くっていうのはやっぱりしばらく続いてますからね。
そういうことじゃないかなと思いますけど。
ありがとうございます。ちょっとまたこの札幌の学校のことも調べてみたいと思います。
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フードの方もちょっとまだ誌面の方をきちんと見てないので、もう1回ちゃんと読んだ上でまたもう1回お話しできればと思います。
今日はスタート少し遅くなってしまいましたけれども、またお話しできればと。
ミルククッキー?わかりました。ミルククッキー調べてみてくださいというコメントをいただきました。
調べてみたいと思います。
今日はここまでしたいと思います。ありがとうございました。
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