1. 一戸信哉の新潟のへラジオ
  2. 一戸信哉の新潟のへラジオ ラ..
2021-12-08 10:34

一戸信哉の新潟のへラジオ ライブ Vol. 60 プロペラ髭の長岡師団長

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads

---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/6025d15185b142d0d8d931c2
00:02
みなさん、こんばんは。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日は、あまり天気が良くなかったんですけど、仕事で上越市の高田の方に行く仕事がありまして、行ってきました。
学校の方で公演の仕事、高校で公演する仕事だったんですが、ちょっと早く着いて時間があったので、
途中、行こうと思っていけなかったところをどこか行ってみようと思いまして、学校の近くに、アイコンに入れたひげの方ですね。
プロペラひげって言うんだそうです。この方の銅像がある、旧四段長官舎っていうところに行ってきました。
ここは、上越市の高田というところは、柴田と並んで軍隊が置かれていたところなんですよね。
高田は十三四段というですね。四段っていうのは、大きい部隊ですよね。大きい塊になって、格が非常に高いんだそうですが、この十三四段というのが置かれていたところで、
置かれたのが日露戦争の時期ですかね。明治40年に決定してということなんだそうですが、そのトップですよね。
要するに、四段のトップ、四段長という人が住んでいた官舎というのが四段長官舎ということになるんだと思いますが、その建物が保存されているということです。
この四段長官舎は、移築されて今の場所にあるんですよね。初代の四段長が住んでたところではなくて、この三代目の長岡さんという人が住んだところなんですよね。
長岡さんの胸像が置かれていました。全然知らないと言ったんですけどね。その前に二代いたんですよね。三代目の長岡さんが自分で計画して建てたっていう話なんですけど、
03:06
権限が強い人だったのか、自分の住むところを自分で作ったみたいな話なんですかね。設計は陸軍の加藤英太郎って書いてますね。
施工は現在糸井川の高取組だそうです。政治家の高取さんですかね。ちょっとごめんなさい、そこはわからない。陸軍の加藤英太郎さんが設計しました。
長岡さんという人は、この新潟に来る前に、長岡って書いてるけどもともと山口県の人ですね。山口県の人なんだけど、長生阪市です。阪市じゃないな。生まれた年からすると阪市ではないですけど、山口県の人でして。
高田に来るんですが、高田に来る前にヨーロッパに派遣されてるんですね。ヨーロッパでスキーを見てきたんですね。スキー文化なのか、スキーの軍事的な重要性を見てきたんですかね。
なので、スキーを導入しようということを考えて、スキーの普及を進めたという方としても知られているそうです。新潟ではゆるキャラとして知られているレルヒさんという人を連れてきたわけじゃないと思うんですけど、レルヒさんという人がオーストリアの軍人ですね。
オーストリア・ハンガリー帝国の軍人のレルヒがここに来て、長岡さんと一緒になってスキーの指導をしたということなのかな。指導したのは多分レルヒさんなんでしょうね。長岡さんがよっしゃよっしゃって言ったんでしょうか。
ちょっとその辺のところはよくわからないんですが、インパクトの強いこのひげがすごいですよね。立派で。私もひげがあるので、ひげ親父対決をしようと思って写真撮ってみたんですけど、全然ひげの角が違いますね。このひげ、どうやってこんなふうに整えるんでしょうね。
この旧四段町監視社は和洋設中ですね。建物としては。全部見てきましたけど、下の方、建物全体としては洋風建築と言っていいと思うんですけど、1階が洋間になっていて、2階に上がってみると2階はですね、昔ながらの和室という感じに、
06:09
なってました。戦後は自衛隊の高田駐屯地の中にあったんですけど、平成5年、平成6年、1994年に文化財指定になり、その前の年に移築したんですかね。
移築したということだそうです。ここはもともとこの建物が建っていたところではなくて、元は高田市町校舎だったというふうに書かれています。
庭もあったりして結構綺麗なところでしたけど、庭も復元したんですかね。ちょっとそこはわかりませんでした。とっても綺麗なところでした。中にはレストランもあって、
レストランの食事をするところも自由に見学できるみたいになっていて、今日は私以外お客さんいなかったのでいいですけど、みんなご飯食べてるところを見学するのもちょっと見学しづらいなみたいな感じでしたけど、レストランも中に入っていたということです。
高田もですね、上越市も結構その高田城市公園なんかに戦争の遺霊碑なんかがあったりして、やっぱり軍統としての足跡も残されていますよね。
柴田も高田も多分共通すると思うんですが、いずれも城下町で、やっぱり城下町で発展した町なんだけど、やっぱり戦後、母親戦争の後はやっぱりなかなか明治の時代に城下町がそのまま発展していくのはやっぱり難しくて、多分柴田のほうが先だと思うんですけど、
結局軍隊に要するにそのお城の周りのまとまった土地を提供することによって軍統として再び再興を果たすというストーリーですよね。
多分高田も今日見た資料の感じでは、やっぱり高田城跡を中心に第十三支隊、そこのまとまった土地を使って第十三支隊が日露戦争の後で作られた。
その前はお城の跡が多分うまく活用できてないというか、お城の跡そのまま打ち捨てられたというか、あまりちゃんと整備されてなかったんじゃないかなと思うんですけど、そこは綺麗に整備されて、そこが戦争の深淵地区における戦争の拠点の一つとなっていったと。
09:20
まあこの辺がいろいろ見方によって評価が分かれてくるんではないかなと思いますね。
はい、ということで今日はですね、高田の方に行ってきましたので、一個だけね、救急救出団長官舎だけ見てくることができたので、この立派なプロペラヒゲと言うんですけど、このプロペラヒゲの長岡さん。
これ何て読むんですかね。外踏みって書くんですけど、長岡さんのことを、長岡さんのことっていうか救急団長官舎についてご紹介しました。
中に入っているレストランもちょっと良さそうでしたね。あ、名前できました。長岡外志というんですかね。長岡外志さんのことも少し調べてみようかなと思いました。
はい、というわけで今日はここまでということにしたいと思います。はい、どうもありがとうございました。
10:34

コメント

スクロール