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2021-04-27 09:32

一戸信哉の新潟のへラジオ LIVE Vol.24 蒸気船交通と大河津分水

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みなさん、おはようございます。新潟のへラジオ、一戸信哉です。
今日はですね、この背景に入れましたのは、河川蒸気というお菓子ですね。
新潟代表するお菓子の一つですけど、これに関連するお話をしたいと思います。
と言っても、これに関連する、これが何なのかっていうね、お菓子はお菓子ですけど、
河川蒸気って何の話なのかっていうのは、実はあまり深く追求しないままずっと生きてきたんですが、
昨日、白根方面のことをいろいろ調べていたら、
あ、そういう話ねっていうことが、初めてなんです。分かりまして、
それでお話をしたいと思います。今、河川蒸気ってコメントいただきましたけど、
お菓子の話は全然出てこないんですね。
昨日調べていたのは、白根のあたりの交通に関する話で、
新潟交通電車線、白山のあたりからつばめまでずっと走っていた電車ですよね。
それがなくなって、現在、白根とか、その沿線ですね、
南区あたりはバス路線しか今、新潟中心部に出てくる交通手段がなくて、
それがまた数年前にBRTの導入に伴って、途中で乗り換えをしなきゃいけなくてと、
いろんなことがあったんですけど、依然として青山の乗り換えですよね。
というようなところで、南区はなかなか交通機関が厳しいですよねという話を、
白根出身の学生と少し話をしていまして、
それで鉄道のことを少し調べてみようということで、
鉄道のことを探っていた鉄道の前に、実は船があったという話が出てきて、
今日のこのテーマなんですけど、中野口川の沿いに、
ずっと川沿いに、今もあれですよね、
ふるさと村あたりに新潟市内から船が行ったり来たり、遊覧船の運行はしてますけど、
遊覧船じゃないんですよ、本気の交通用の船が津波目あたりからだったでしょうか、
とにかく白根あたりの人は船に乗って2時間とか帰ってたような気がしますけど、
最初は蒸気船なのかな、とにかく船で新潟まで出ると、
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それが一番効率のいい交通手段だったんだと思います。
船で新潟市内まで出ていたという時代があったんだそうです。
いろいろ調べていくと、大正の初めに安心舎の安神丸と安く進むという船の名前が出てきて、
ちょっと皆さん検索していただくとわかりますが、
実は白根だけじゃなくて、この間お話しした酒屋とか小須堂とか、
あっちの方も船が行っているし、同じ路線なのかな。
あと、靴塚、今の豊坂の方ですね。
豊坂の方にも安心丸が運行していた時代があって、
その蒸気船が新潟市内から各地へ川沿いに出ていて、
それは当然人が乗るだけじゃなくて、物の流通においても重要な役割を果たしていたんだと思います。
石垣島に行くと、石垣島を中心に八重山各島に、石垣島のフェリーターミナルから船が出てきて、
そこにアマゾンの箱とかがいっぱい乗っていて、
アマゾンの物流を支えているのもこの船なんだなということが乗るとわかるんですが、
そういう状態におそらくなっていて、それを支えていたのが蒸気船と言われていたものです。
川蒸気とかって言ってたんです。
それが新潟の農村部の人たちから新潟の中心部に出てくる時の交通手段になっていたということなんですね。
この間白心船の話をしましたが、その後に鉄道に取って変わるというか、
2時間とか言ってましたからね、結構大変な時間が移動するのにかかっていますから、
それに比べて鉄道ができれば全然違いますから、鉄道ができるとそれに打って変わるということなんだろうと思いますね。
ただ一つポイントになった白の矢あたりで鉄道を作っていこうという話になるきっかけの一つは、
黄鉱水分水なんだろうですね。
黄鉱水分水は大正11年ですね。
大正11年に黄鉱水分水ができると何が起きるかって、
これはいつも新潟のいろんな事象の中で必ず起きるんですが、
こっち側に水を流すとあっち側に水が行かないってやつですよね。
その結果、つまり黄鉱水分水で水を通したことによって、
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新潟側の水位、新潟側じゃないな、ここ直接的には中野口側ですね。
中野口側の水位が下がっちゃって、
結果河川交通を蒸気船が行き来するには水位が下がっちゃったということなんだそうで、
今はどうなのか分かりませんけど、当時はそういう問題が発生して、
多分船の行き来がうまくいかなくなったということから、
河沿いを同じように鉄道を通そうというので、
簡易な軽便鉄道というやつなんだと思うんですけど、
中野口の方から新潟の方へ鉄道を引くと。
これも結構大変だったみたいなんだけど、
それで出来上がるのが新潟交通電車線ということになります。
それが1999年まで新潟市内まで走っていたということで、
これもまたなくなってしまうというのが、
船の時代から来ると2段階減って、今はバスになっちゃっているという状況なんだろうと思います。
昨日ちょっと分かったのはそこまでで、
いろいろ調べていたら、船は実はそっち側だけじゃなくて、
いろいろ分かってきて、
ふと思い出したのはこの背景にあるお菓子で、
あ、そうか、お菓子、ただね、何のことやらよく分からないで、
ただおいしいなと思って河川蒸気を食べていましたけど、
そういうことかと、すみません、不勉強で、
あっという意味が分かりましたということなんですね。
ということで、河川蒸気を食べる機会がございましたら、
食べながら安心丸がいいかな、安く進むみたいな、
安く進む丸とかって調べると、
いろいろ新潟の河川交通の時代っていうのが見えてくるかなと思います。
今年またちょっとね、白根とかその辺に行った時に、
またこういうのを少し調べてみようかなと思っています。
また新潟交通電車線もですね、もうすでに廃止されて、
もうね、当然鉄路はもうないんですけど、
おそらく20年ぐらいですので、
おそらく駅舎自体はもうないかもしれないけど、
駅があった時代の跡とかね、そういうのも残っているのではないかなと思います。
今日タイミング良かったですから、たくさんコメントいただきましてありがとうございます。
すずりんさんと、りょうさんと、あやさんと、コメントありがとうございます。
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あ、そららさん。そららさんが河川蒸気に反応した。
はい、ありがとうございます。
はい、また新しい話題で次回お送りしたいと思います。
はい、今朝は河川交通について少しお話をいたしました。
はい、じゃあこれで終わりたいと思います。ありがとうございました。
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