1. 丹羽には、にわかに庭が広い。
  2. 振り返ってもハッピーエンドに..
2025-02-02 32:08

振り返ってもハッピーエンドにできない

季節感には追いついている丹羽です。

卒論の発表も終わり、いよいよ大学生の終わりが迫って振り返ってしまいました。

「もっと早く○○していれば」そんなタラレバばかり浮かんでは、また自分が嫌いになることを繰り返しています。

おたよりも、いつもありがとうございます。

自分の土台になってしまったネガティブな人格に聞かせるために、丹羽さんがいる気がしました。


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サマリー

このエピソードでは、2月の到来と共にバレンタインデーが日常生活に与える影響が描かれています。また、卒業論文発表の準備に追われる大学生活を振り返り、過去の経験から学びを考察しています。大学生活の終わりを振り返りつつ、人との関わりや自己評価に関する葛藤が語られます。特にプレゼントを選ぶ体験を通じて、内面的な矛盾や感情の揺れ動きを見つめ直す内容となっています。このエピソードでは、自己反省のプロセスが探求され、ネガティブな感情や思考への対処法が述べられています。また、リスナーからのメッセージを通じて、心のつながりや共感の不思議さにも触れています。

2月の訪れとバレンタインデー
2月2日、第116回目の、丹羽には、にわかに庭が広い。です。
2月になっていました。気づいたら。
いやー、たぶん1月が、なんだか本当にぼっとしているうちに過ぎていって、
だから2月はね、もっと早いんだろうなぁと思います。
毎年この1、2、3月って、その小学校の校長先生が言ってそうな、
1月はイク、2月はニゲル、3月はサルのやつを、たぶん言うことになるよなぁっていうぐらい早いですね。
いつもどの月でも早いんですけど、なんかこの、そのいわゆる三学期みたいな期間って、
一番なんか、気持ち的にすごいそわそわする、次の学年とか次の段階っていうのがあって、
気持ち的にそわそわするのと、なんか終わりっていう気持ちとで、
なんか、いつもこの時期が一番、私はなんかもやーっとしてました。
まあ、気持ち的にそうなる理由も寒いからなのかなぁとは思いますけどね。
なんかここ数日、急にお店屋さん、カルディコーヒーとかで、チョコレート多くなったなぁってなんか思ってて、
で、それ1月31日まではなんかチョコ多いなぁって思うだけだったんですけど、
2月に入って、あ、そうじゃん、バレンタインデーがあるじゃんって思って、
なんか、何なんですかね、多分1月の末ぐらいからチョコレートフェアみたいなのはいろんなお店始まってたのに、
なんか、ただチョコ多いなって感じてただけで、
2月入って、やっとその2月14日のバレンタインデーイベントだっていうスイッチが入りました。
入りましたっていうか、その2月になって急にこう自分の認知がそれになったのが、なんか自分で今不思議で、
なんか多分本当にこう、バレンタインデーを気にかけている人ってきっとその、
1月末ぐらいのチョコレートフェアを見て、あってすぐ1月の時点で気づくんだろうなぁとは思うんですけど、
2月1日になって気づいた私はギリ季節感から遅れてないぞと思っていますね。
いやもう、なんかバレンタインデーってしばらく関わりがないですね。
なんか小学校の頃が一番ピークというか、
その、なんか分かんないですけど、子供が初めてお菓子作りとかそういうのをするタイミングって意外とバレンタインデーなんじゃないのかな?
まぁ女の子はっていう言い方になっちゃいますけど、って思いますね。
カルディコーヒーの今年の売ってるチョコレート見てたら、
いろんな形を模した缶に入っているチョコみたいなのの展開が何となく多く見えて、あれ可愛いなぁって思ってました。
他のそういうバラエティーグッズのところでもそういう缶の形が残るものが残ってて、なんかそういう感じなのかなぁって思ってましたね。
そんなにこうチョコレート売ってたりとか手作りキット売ってたりすると買いたくなったりはしますけど、
買うとしても既製品かなぁって思いながら、すっごい美味しいお店のチョコレートとか食べてみたいなぁっていう気持ちにはなったりしますね。
そんなバレンタインデーに褒美欲をすごくそそられ始めている2月の初めです。
卒業論文の発表準備
2話の養鶏場、このコーナーでは私2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
1月の末に卒業論文についての発表をする場があったんですよ。
大学4年で卒論を出した後で口頭諮問の人もいれば、こうやって発表の人もいるし、何かしら別な形の人もいたりなかったりって色々な形式があると思うんですけど、
自分のところは全員が全員発表だったんで、同じ学科の学年全員で見合うプラス先生とかちょっとだけ下の学年もいるみたいな場なんです。
大体その大学4年で卒業論文は出し終わって、1月末か2月の中旬ぐらいまでに発表なり口頭諮問なりその他何かの形が終わって、いよいよもう卒業だなーって本当に思ってくるようになったんですよ。
なんか自分はその去年の2024年の11月ぐらいが自分のその状態的にしんどかったので、あの休学とかを考えたりもしてたのに、でもなんか書けるは書けるだろうなって思いながら休学も考えてた。
なんかその気持ち的な面なんですけど全部、もっと詳しくとか丁寧にとかはやれないんだなーっていうのがあったりして、まあまあまあそれはそれでいいんだけど、なんかそこだけじゃないものですごくなんかこのままいっていいのかなとかそういうのがずっとあったから、
本当に休学まで、親以外の関わってる人には休学をすごい話してたりしてたんですけど、去年の11月はそうでもね、自分でその卒業のボタンを押しに行くように、なぜか卒論の提出自体は研究室の他の子の中で一番に出しに行ったりしてしまって、
卒論提出しちゃったなーって気持ちがずっとあったんです。
で、その状態で1月末に発表会があるっていうのわかってたのに、なんかそういう気持ちだったから、なんかその卒業論文の発表に向けたこうパワーポイントを作る気になれなくて、
そう、結構ぼやーっとしたまま行ったら、同じデミの子の旅行練習の時の発表のクオリティーがすごい高くて、めちゃくちゃ焦りながらなんとかやったなーって思った。
最初は本当に真っ白なところも多かって、時間配分も全然守らないですごい長々した旅行練習やってたんですけど、本番までになんとかだいぶ綺麗にして、
旅行練習をしている人たちからすごいびっくりされるっていうぐらい。
その旅行練習の時からクオリティー高く入れたらよかったなーって思ったのが、なんか私の大学生活全部みたいで、この最初からそうしておけばよかったみたいなこの気持ち。
最初から丸々しておけばよかった。最初からもうちょっと人に対して心を開いていればよかったなーとか、もっと早くのうちに人を頼れたらよかったなーとか、そういうのが3回生の後半ぐらいになってからやっと芽生えだしてっていう感じだったから、
だからめちゃくちゃその卒論の発表会のスライドのその旅行練習とか本番とか含めて同じことしてて、ああこういう大学生活だったなーって思いましたね。
それでその発表が終わってから5日間ぐらい経つんですけど、終わったその次の日ぐらいから、ああ終わっちゃったなーってなってるというか、結構それまでそのガーってやってたものが抜けていく感じになってて。
まあ燃え尽き、そんなに熱入れてやってないのにさ、だからなんかこう燃え尽きとかじゃなくてさ、単純にその、ああ卒業だーとか次の段階が迫ってるなーみたいなこの焦燥感重たいものがきてますね今。
大学生活の振り返り
その次の段階への焦り不安とか、それもあるんですけど、なんかその感じの一因に多分もっと早く何かできてたらよかったのにっていうのが結構引っかかってる感じは自分であるんですよね。
なんかそれはその、今までこのホットキャストで言ってた高校生までの話とかではもうなくて、自分的には。
まあでもそれもあるのかな。そこがクリアだったら、その大学1年児からもっと明るく入れたのになーっていうのはどうしてもあるから、その高校生の頃の話を全く切れるわけじゃないけど。
なんか大学3年の後半とかから急に人と話せるようになってきたから、やっぱ1年の頃からそうしてたらもっと違った大学生活だっただろうなーって思う自分が1回いてじわっと来るんですよ目元に。
で、でもまあその、例えば大学1年がまあ一番ピークだったんですけど、1年2年ぐらいまでは言ってもまあコロナ禍だったから他の年代に比べたら
まあみんな同じぐらいで、その中の一人だと考えたらまあ納得しないこともないかなーとか思うけど、
大学入学の頃に、そのやっぱり多分高校生の感じを引きずっていたので、まだ既視念度があって、なんかだからあんまり人と接していない方がなんかこう矛盾にならないんですよ。
そういう人生どうでもいいって思う気持ちが人と接さないっていうのってなんか矛盾にならないじゃないですか。
自分みたいなやつが人と接しちゃダメだって思ったり、なんかそういう自分に対するこの信じる力肯定感とかもないし、
なんかそういう状態だからさ、人のこともすごい疑り深く見ちゃうし、なんかそもそもこういう関係の輪を広げるのはしんどいなーって思ったりとかしてた時期だったから、
なんかその大学側も大学側ですごいコロナ禍だからって言って配慮してくれて、その接触の機会はすごい少ないけど、
少人数でなんとか大学行けるみたいなようにする状態になってたりとか、なんかそういう状態でもできるこういう関係をなんかどうにかやろうとしてたりとかがあったり、
結構その教授というか先生たちも柔らかい人が多かったので、
なんか本当にあったかい雰囲気なのに、私は自分の一貫性というかさ矛盾にならないようにするために、
もう誰も信じれないし、自分のことも嫌だし、人も嫌だし、だからこういう関係がなかったんですよ。
冷静に考えたらさ、今思えばわかるんだけど、絶対その学校側はすごいあったかい雰囲気だった。
学校側っていうか周りの学科の同じ学科の子とかは全然あったかい雰囲気だったのに、
私だけがそんな状態だったから、あったかい雰囲気っていうこともなんか変に疑って気持ち悪く感じたりとかしてて、
今卒論の発表会の日に、なんか私そうやって初期の頃過ごしてたからさ、
仲いい友達とか特定のなんか吊るむ人とかいないんで、なんか結構自由に見てもらったんですけど、
会場、教室結構5個ぐらいに分けてやったのを、全教室移動していろんな人の見てて、
大学生活の葛藤
このゼミの先生の生徒はこんな雰囲気かとかみたいなのを味わいながら見てたんですけど、
どこのゼミだって、そんなにこう冷たい感じとかさ、学問一極集中ですみたいな感じとかもないのよ。
本当に初期の大学1年、2年ぐらいまでのこの私が、そういうなんかもう自分のその眼鏡が曇ってただけだったんだなって思うんですよね。
なんか今、自分なんかどうでもいいやっていう状態を保つために、あんなに温かいところだったのに人と接しないみたいな話をしたんですけど、
なんかその裏にも矛盾があって、なんかこう学生団体サークルとかには1年の頃から入ってみたりするし、
学内のバイトも始めてみたり、学外のバイトもちょっとやってみたり、そう学内のイベント班とかにちょっと入ってみたりとかもしてる。
そのキモい矛盾はあって、なんか自分なんかどうでもいいってすごい思ってるのに、なんでそういう感じにはなれたのかなぁ。
でも結局なんかどれもポジティブな感じで関わりにはいけてないから、まぁあれですけどね。
卒業間際、4回生になって、なんかちゃんと1年の頃から入ってたサークル、バイトなどなどに顔を出してはいっぱい喋って、
個人的に会ったりご飯食べたりしてとかって、今になってやっとできるようになって、
なんかそこの変化も感じつつ、なんか前にポッドキャストでも波が怖い、次下がるとしたら高校生の時ぐらいがそれ以上に落ち込むんじゃないかみたいなことを言ってたと思うんですけど、
なんかそういう波もそうだし、そういうんじゃなくて、
純粋にもともと自分が人と接さないを選んでたりとか、喋らないとか、信じない、自分のことも相手のことも信じない、信じられないみたいな状態だったのが強すぎて、
そもそもとしてそのダメな状態がベースにありながら、今のなんか意外と喋れてるなーとか笑えてるなーっていう状態があるから、
なんかそのそのそっち側を貫けなかった自分があんまり好きじゃなかったりもする時もある。
なんかすごい遠曲にしちゃったんですけど、ずっと喋らないなら喋らないキャラでいればよかったのにとか、
いかないならいかないでやめるとかすればよかったのにとかを思ったりする。
その中途半端な時期からさ、そんななったってさ何の意味もないだろうってそのマイナス側の私がずっと言ってる。
なんかあの時のなんだろう、自分のそのマイナスな感じのままいたらどうなってたのかなーみたいなのを考えたりとか。
だってどうせ多分私のことだからさ、もう1回大学1年のあの頃にタイムマシンで戻れたとしてもなんか明るくは振る舞えてないと思うから、
なんかだったらそんな中途半端に途中から喋るようにならずにずっと一貫して喋らない人を頼らないとか、
中途半端にサークルに入らないとかそういうのをしてたらどうなってたかなーみたいなことを考えたりもする。
なんかもっと早く人と話せればよかったなっていうのよりかはどうせそれが無理だっただろうなっていう方に今いる。
どっちかになりたかった。
なんか自分がそういう言葉嫌いなくせに今はすごいそれに頼りたいけど、
陰キャか陽キャかで一貫したかった。
なんか今の自分キモってすごい思う。
だからどっちでもないのがすごい嫌というか、よくは思えなくて。
そう、そもそもそのどっちか一貫したかったとは思うけど、
なんかどうせそうなれないんだったら、なんかもういいやーみたいな気持ちに今なってるなー。
プレゼント選びの心情
いい意味じゃないそのもういいやーの気持ちが。
もうちょっとだけその、なんか最近の自分の感じを話すと、
学内のアルバイトが、授業がもう終わる関係で最後の人も結構いたんですよ。
で、同じ4年生の子がいて、
で、バイトの歴で言うとその子は4年になってから入ったからまあ新人みたいな感じだったんですけど、
なんかこういろいろ日使わせたなーって思ったりしてたし、
オープニングで言ったみたいな、なんかチョコレートのシーズン、
なんかその時は気づかなかったんですけど1月だったから。
なんかチョコレート多いなーと思って、
小さい小包装の結構立派なチョコレートとあとボールペンを買って包んだんですよ。
買って帰る頃まではすごい自分も気持ち的になんかこうハッピーだったんですよ。
ハッピー、なんか人にね物を渡すから、
なんかこうそういうこう文筆が多分あるんだと思うんですけど、
ためになるぞーみたいななんかそういう気持ちにもなってたりして、
結構楽しくお買い物というかなんかこう選んだりしたし、
メッセージもその包む時までなんて書こうかなって思いながらいたんですけど、
なんかそれを包み終わって、
急に何やってんだろうなー、なんか自分のこともままならない、
なんか自分なんかどうせみたいな、なんか自分のこともなんかすごいダメだなーって思ってるやつが、
なんで人にそのなんか気を使わせたからみたいな理由で物を渡そうとしてるんだろう、
なんかすごい傲慢だなぁと思って、めちゃくちゃ自分が嫌いになって、
その買い物して包んでとかやった後で、
なんかそういう行為をしている自分があんまりにも好きじゃないというか、
その瞬間はいいと思っていることもその後でなんか、
なんでこう自分のさ、こともうまくできないのに人には気を使わせたとか、
そういうふうに思うのかな、
めちゃくちゃだなーって思って、すごい嫌な気持ちになってて、
なんかそういうところからちょっとずつ始まってますね、
自分の一貫したかったなーとかしたかったもそうだし、
今も一貫してない自分がいるからさ、
そうやってそのねプレゼント選んでる時はいいけど、
その後でこうなっちゃうみたいな気持ち悪いのもそうだし、
ダメですね。
どうしてもそういうその大学生活終わるなーみたいなのを考える時期だから、
振り返ってみてしまうんですけど、
それはまあしょうがないとしてもさ、
なんかその、それをこうハッピーエンドに解釈しようと自分でできない、
その情けなさとかも考えるし、
その矛盾がどうのこうの言ってそれが嫌とか言ってさ、
ハッピーエンドにできないのも、それも嫌だし、
電話なんか陰キャでも陽キャでもなかったみたいなのとか、
プレゼント買うところまで良かったのに後から傲慢だなとか思って気持ち悪くなるとかさ、
なんか今全部が嫌になってる、
なんか暗い話になってしまったんですけど、
こういう捉え方になっちゃうなって思います。
リスナーからのお便り
2話のやりとり。
このコーナーでは私に2話に頂いたお便りを読んでいくコーナーです。
お便りがいつ届いていたので読んでいきたいと思います。
ふちこさんという方から。
遅ればせながら今年もよろしくお願いします。
お願いします。
バイト先の後輩さんから続々と繰り出される名言に、私も目から鱗が落ちて励まされています。
学生の頃、ポッドキャストや2話さんの番組に出会っていたら、
当時の自分はどう感じたかなと時々考えます。
言葉が声に乗せられて、感情も一緒に耳から心へ届くポッドキャストは、
グラグラと揺らいでいた当時の自分の心を救い上げてくれただろうなと思います。
あの頃の自分にも聞かせたかったな。
とはいえ、今の自分にも荷のつく庭に日々救われているので、
ありふれた言い方だけど出会えてよかったなと思います。
2話さんの言葉には、声には、人を安心させる力があります。
いつも配信ありがとうございます。
今年も2日に開かれる広い庭を楽しみにしています。
寒い日が続きますが、心身ご自愛ください。
ということで、ふちこさんありがとうございます。
自分はさっきのちょっと重ための暗い話の後に、
お便りをくっつけてしまって申し訳ないなと思ってるんですけど、
そのふちこさんのお便りの中でいただいた、
あの頃の自分にも聞かせたかったなっていうのは、
なんか自分で喋ってるのに不思議ですけど、
なんか自分もそういうふうな気持ちになりながら、
喋ってる時はありますね。
気持ち悪い感じしますけど。
なんか自分で喋ってて、
その人を安心させる力とかは感じたことない。
声も言葉も、なんかすごい暗い話もしてしまうから、
いつもどうなんだろうって思ってるし、
それこそさっきのその、
人と接したくないとか、
なんかどうでもいいと思っているところがあるにも関わらず、
サークルに入るとかしてたのもそうだし、
こうやって大学1年の秋ぐらいからこのフォトキャスト始めてるから、
おかしいなって思うんですよ。
庭さんじゃない自分っていうか、
なんかこう、もっとたい人も考えてなくて、
もっと周りが見れないような、
寝る前にぼーっと振り返っちゃう自分みたいなのは、
そういうことを考えるんですよ。
なんでこれやってんだろうとか、
そういうふうに思うんですよ。
自己反省とネガティブな思考
なんかでもフォトキャストで言うと、
キモいじゃないですか。
なんかこんな、
独り語りのが外に向かってるみたいな状況を、
本当は周りの人とも話さないみたいな意志を持っている奴が、
喋ってるみたいな状況って。
でもフォトキャストをやってるのは、
なんかそのなんだろう、
自分が完全にたい人を考えなくなる、
寝る前みたいな状態の自分でいる時間を減らすためというか、
難しいけど、
ある意味でだから、
一番下の方にいるさ、
めっちゃネガティブだったりとか、
どうせ無理みたいな人格と、
なんか一個人を挟むフィルターが入る庭さんっていう人格がいることで、
なんとかチグハグな感じを自分でやりつつ、
なんかこの、そこでそのすごい根底にいるさ、
どうせ無理って思っちゃう人格の私にも聞かせたかったなぁみたいな部分は、
このそのフォトキャストで、
なんか一個フィルター挟んだ人格になることで、
その一番土台の部分にいる、
どうせ無理っていう人格の自分に、
なんか届いたらいいなぁみたいな、
意味わかんないけど、
ちょっとあるんですよそういうのが。
だからもうなんか完全に、
自分のためにやっちゃってるようなものが、
ふちこさんとか聞いてくださってる方に、
こう届いて共感していただけてるのの、
この不思議さもそうだし、
なんかそれにこう、
安心させる力って言っていただけてるのが、
なんか不思議だなって思いつつ、
ちぐはぐな感じを、
こういうお便りとかいただくことで、
自分に、なんだろ、
ちょっとでもいい方に言い聞かせられるようにできてて、
本当ありがたいですね。
ふちこさんお便りありがとうございました。
そろそろ第116回目を終えようとしているところです。
今回は、そろそろ卒業だと思うと、
急に振り返りモードになってしまうから、
自分のネガティブな部分が大爆発してしまい、
一貫してない自分がすごい嫌になる。
リスナーとのつながり
振り返っているくせに、
ハッピーな方に結論付けれないところもすごい嫌、
みたいな重たい話と一緒に、
お便り読んでしまいました。
なんか、いつもこのどうしようって、
重たい話した後に、
すごい申し訳ないなと思いながらいます。
でもなんかタイミング的に、
このいただいた、
ふちこさんからいただいた言葉が、
なんていうかな、しっくりくるものがあったので、
暗い話の後ろですけど、
読ませていただきました。
ああ、その、いただいたお便りでも、
言っていただいてるんですけど、
にわかに開かれる。
にわを楽しみに、みたいな。
私がいつも、
終わり際に適当に言ってるやつ。
意味わかんないですけど、
にのつく日に確実にやるって言ってるのに、
にわかに突然、
開きますって言ってるのって、
なんか意味わかんないなって、
思いながら言ってます。
その、まあ、
心というか、
五感がいいからいいか、みたいな、
気持ちで言ってますね。
全然突然じゃないよね。
必ずにのつく日にやってるものがあった。
まあ、そんな感じで、
どうしても振り返りの感じになると、
後悔とか、
その暗い方に引っ張られちゃう自分がいるのが、
余計暗くさせるような感じに入りつつありますね。
ちょっとずつですね。
そうやってその、なんだ、
ネガティブ人格、じゃない、
人格の時間を増やすために、
もうちょっと出かけなきゃなって思います。
またにのつく日には、
にわかにわかにヒロニャワを開きますので、
お楽しみに。
では。
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