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7月12日、第60回目の、にわにわにわかに庭が広い。です。
7月入ってから、もうずっと暑いですね。
暑いって、なんだっけ?ってなるぐらい、
常に気温高くて、むしむしっとしてるのも続いてて、
夜、私の部屋、全然涼しくならないんですよね。夜なのに。
朝も夜も関係なく、エアコンつけてないとすぐに27℃いってしまう部屋で、ものすごい困ってて、
エアコンないと、本当に全然寝れないなっていうのがありますね。
暑いって寝れないんですね。寒いより寝れないなっていうのはありますね。
多分前回もオープニングで言ってたんですけど、エアコンの羽が壊れてて、
風向きのやつを一番上で固定しても、ダラーンとなってしまうっていう、一応風だけは来るんだけどっていう状態なんですよ。
これ、ちょうど先週にマンションの管理会社の方に、エアコン故障というか、一応付きはするんですけどっていう形で連絡したら、
すぐ駆けつけてくださって、こんな忙しそうな時期なのに結構駆けつけてくれるんだなぁと思って、
いろいろ見ていただいたら、その原因は羽を上に向けるモーター、ネジみたいな部分が破損してたみたいで、
まあこれ経年劣化かなって。で、この部品はちょっとないのでメーカーに頼む形で、
また完全に直すのは違う日、7月中にはできると思うんですけどっていう話が進みまして、
まあ、今はまあ風邪くるから、全然本当の故障の方よりは故障じゃないので、全然まだマシな方ではあるんですけど、
気長にメーカー、担当メーカーさんまで待つっていう風になっても全然問題ないんですけど、
この管理会社管轄の、そういう修理関係の方が一旦来て、次は多分その見ていただいたものを管理会社に連絡して、
管理会社からまた私に連絡が来て、メーカーの方から多分電話が行くのでっていうことで、
またメーカーの方に連絡行って、また私に連絡メーカーの方から来て、みたいな。
で、メーカーからのことで伝え忘れがあったので、もう一回管理会社から電話が来て、みたいな。
うーん、1週間電話祭りで大変でしたね。
なんかタイミングで、管理会社の方からかけてきた電話なのに、
折り返しの電話ができない専用電話番号でかかってきたりとか、なんかよくわかんない電話も何回かあって、
もう、電話ーってなってました。
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どうにかそういう連絡とかがスムーズにね、できるようになっていってほしいですけど、
しょうがないんでしょうね。こういう世の中というか、そういう体制。
大変なんですよね、みんな。こっちのかかってくる側もそうだし、かける側も、
予定の双方向でいろいろしないといけないから、これは大変だなと思っています。
そんなエアコンの羽が下向きになったお部屋からお届けしています。
2話の養鶏場。このコーナーでは、私、2話の最近あった出来事をお話しするコーナーです。
ずーっと、私、おかしいなぁ、おかしいんだろうなぁ、おかしいなぁ、と思ってきたことが、
まあ、いっぱいあるんですけど、なんか、最近こう、マックス値になってきたことがあって、そのおかしいんだろうなぁ、という中で、
それは、何らかの集まり、まあ授業終わりとか、飲み会とか、サークルの終わりとか、そういう時の帰り方、帰るタイミングが異常なんですよ、私。
どういうことかと言いますと、そういう集まりがあって、じゃあ終わります、みたいになった瞬間に、
扉から飛び出して、もう逃げ去るんですよ。なので、そういう終わりまーすっていう合図以外で、
なんだろう、さよならとかまたねーまで言えたことが、大学入ってからじゃなく、高校の頃から、それができなくて、
その、なんていうんだろうな、高校とか、まあ中学校だと思い浮かべやすいと思うんですけど、
帰りの回があるじゃないですか、先生への処分連絡みたいなのをして、帰りですね、気をつけて帰りましょう、さよなら、
さよなら、っていうあの回があって、その後って放課後じゃないですか、だから部活行くなり、
帰るなり、勉強するなり、教室にいるなりすると思うんですけど、なんとなくでも、部活行くにしても帰るにしても、
教室にね、勉強をしに残るにしても、なんか、さよならっていう帰りの回の挨拶した後って、まだあるじゃないですか、
なんていうんだろう、余韻っていうほどでもないんですけど、この放課後になったね、日常会話しようよーみたいな、
伝わるかな、そういう時間が少なからず部活行くにしても、なんかするにしても、起こるじゃないですか、
私はそれが起こる前に、もう扉から出てるというか、その教室の結界を越えてるというか、
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それをもう確実なのは高校の頃からずっとしていて、
まあ高校の頃そうなってしまっていた理由としては、1個あげられるのは、自分があのシバスで通ってて、
そのシバスが田舎だったから、1時間1本しかないんですよね。で、それが例えば5時なら5時6分とか、
4時だったら4時10何分とか、そういう時間の前半戦にあるバスしかないとか、そういう理由で結構ダッシュで帰るみたいなのはあったんですけど、
それを、そのバスの時刻っていうのを抜きにしても、もうなんか終わったっていう感じで、スイッチを学校というもの、人と接するというものへのスイッチを切るじゃないけど、
なんかゼロにしてしまうんですよ。高校を卒業して、まあ社会人になるにしろ、短大行くにしろ、大学生になるにしろ、
帰りの回みたいなものはなくなるじゃないですか。で、放課後みたいな時間も、まあないんじゃないと思うんですけど、
そうなってくると、より帰り方ってわかんないんですね。その、さようならのタイミングがなんかないっていうか、
あるにはあるじゃないですか。その飲み会だったら、なんか一本締めとかそういうのがあって、
サークルだったら、自分が行ってるとこは一旦この時間なのでお開きにしますっていうのがアナウンスされてとか、
まあそういうアナウンスとか、一本締めとかはあると思うんですけど、その後が濃いじゃないですか。
その、高校までの放課後っていうのよりも、なんかその後っていうのが結構濃いかったりするじゃないですか。
だから、よりそのさようならがない分、その自分が高校までにしていたその逃げ方っていうか帰り方、
もう速攻で全部対人関係のスイッチをオフにしてゼロにしてみたいなのを、そういう締めの挨拶がなった時点で、
やってしまう私は多分ヤバい奴なんですよ。
ヤバい奴なんですよ。
スイッチをオフにして、オフにするだけでね、その場に入れるっていうわけじゃなくて、
さっき言ったみたいに本当に速攻で帰ってしまうっていう、さようならとか一本締めとか、もうお開きにしますっていうアナウンスとかでもう帰っちゃうんですよ。
なんか、またねの会話、またねまでいたことがないんですよ。
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わかるかなこの。
その、終わった後のトークして本当に帰るよみたいな感じまでいたことが本当にないです。
やっぱ大学生ってそれをやってるのは多分本当に何回も言ってる通り多分おかしいだろうなと思うんです。
で、しかもなんて言ったらいいのかわかんないですけど、そういう集まりで全く喋ってない人間っていうわけでもないんですよ私。
だし、だからそういう会で日常のどうでもいい話もちょっとしたりするし。
なのに、そうやって帰ることをしてしまうというか、
なんかこうしてしまう。そうやって帰ってしまう。スイッチオフになっちゃうし、もうダッシュで帰ってしまうっていうことで、
してしまうみたいに悩んでるんだったら、行ってみようって努力すればいい話だと。
行動でね、考えるよりも先に行動でちょっと行ってみたらいいっていう話なんじゃないのかなと自分でも思うですけど、
なんだろう、本当にそういうさよならとか締めの挨拶の後でいたことがなさすぎて、
なんかここにいてはいけないんじゃないかという感覚がすごく怖いんですよ。
居場所がないっていう感覚に近いのかもしれないし、全く別なものなのかもしれないんですけど、
そういう会とか授業以外、何を喋ったらいいんだろうというか、そういう会とか授業終わりの会話に、
私の吸える酸素がないなぁとすごい思ってしまうというか、思うだけじゃなくて本当にそうなるんですよ、すごく怖いというか。
だから一刻も早く帰らなければと寄りなってしまうことが何度もなってて、
その会の終わりに一目散に集まりの結界から逃げ出して、
逃げ出した瞬間から自分の家に着くまで偉い力が入ってるんですよ、自分の体中に。
思考がグルグルしたりとか、呼吸が浅いような感じがもうずっと体のこわばりとかがあって、
家に着いて急にほどけるわけじゃなくて、家に着いてもなんか息浅いなっていう感じのまんまいて、
どっかで急に力抜けてとか、逆にそのまま考えすぎる自動思考だけ残ってとか、そんな状態にずっとなるんですよ。
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まあさっき一応授業中とか会の中では、まあ喋れてはいると言ったけど、
普通ではない状態で喋ってるんだろうなっていう自覚は自分にもあって、
その普通っていうのは周りが喋ってるような会話でっていう意味の普通と、
こういうこう、今二羽さんとして一人喋りしてる時は、まあ普通と言えば普通というか、
なんだろう、流れが割と止まらずに喋れたりとか、
割と二羽さんだと考えてることそのまま言っていいというか、言っているのでそのまま喋れるんですけど、
そういういろんな集まりの場になると、ブレーキをもうガッチガチに踏み続けている状態、
その頭の中で考えていることのブレーキをかけながら喋っているから、
なんかこうなだらかに喋れてないだろうし、
こう対話?まあキャッチボール、会話のキャッチボールとしてうまく喋れてないだろうなっていう自覚があるんですよ。
まあだから、きっとその帰り方以外でも対人関係を回避しているような行動っぽくなっていると思うし、
もう結構ひどいんですよ。
こんなに今二羽さん、二羽さんだとね喋ってるんですけど、本当にひどい。
ひどくて、どうしたらいいかわからなくなっちゃって。
でもそれを高校の時はまあナチュラルにというか、
高校の時はね入学時全然喋れなかったけど、3年ずっと同じクラスっていうちょっと特殊なクラスだったから、
3年かけてやっと喋れるようにはなってきてみたいなことが起こったけど、
大学だとさ、点々として集まりみたいなのがあるわけで、
グループワークであったりとか、ゼミであったりとか、サークルもそうだし、
いろいろ全部点々として、それが長い期間入っていても週に1回しか会わなかったりとか、そういう状態じゃないですか。
だともう1回そういうなだらかな会話のキャッチボールができなかった人とか、
喋らない人とか、そうやってすぐ帰っちゃう人とか、ご飯誘ってもなんかつまんなそうにしてるやつっていうのは、
1回そうなるともうね、戻れないんですよ。戻れないと思っているだけかもしれないけど、
基本は戻れない。本当に戻れないんですよ。
自分本当に高校の時からそういう対人関係を本当に逃げ回ってきたタイプな自覚があるから、
そうなるのも自分的には慣れっ子ではないけどね、苦しいから。
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慣れっ子ではないけど、何回もやってることだしなっていうのでなっちゃってるんですけど、
やっぱこう、関係性みたいなことの上で初めての人っていうのは、
ああそういう人なんだって1回なってしまうともう、その慣れとかじゃない接し方でこうやってこういうことねってなってくから、
どんどん。でそれが逆に自分の中でも反映されていて、レッテルもあるだろうなと思いつつ、
もともと持ってるそういう自分の回避的な人間関係にしてしまう行動と、
やっぱ1回、2回、3回目ぐらいで払われていくレッテル等で、
どんどん肥大化していくこの私の回避的な人間関係、人間関係というか、そういう集まりの中のことを、
きっとおかしいんだろうと思ったので、
何も解決しようとか思ってますとかそういうんじゃなく、
庭さんとして喋りたくて撮ってみました。
この、庭さんとして撮りたくてっていう感覚が、
なんかどういうことなのかなって、さっき喋ってるうちに思ったので、
撮ってみようと思って、今からその、庭さんとして喋ることの感覚を喋ろうかなと思うんですけど、
本当についさっき生まれてきたから、ぐちゃぐちゃよりもぐちょぐちょしてるかもしれないんですけど、
まあ喋ってみようかなと思います。
その、さっきさよならからまたねまでの会話がなく、すぐに帰ってしまうとか、もうスイッチ切っちゃうとか、
まあそういう場面じゃなくてもきっと普通の会話ができてないだろうなっていう話をして、
でもそれについて別に変えたいとか変わろうと思ってるわけじゃなくて、
ただ、庭さんとしてそういうことっていうのを撮りたくてっていうふうに喋ったです。
うまく喋れてるかわかんないですけど。
で、この別に解決したい、変わりたくて、変えたくてっていうのがないっていうのが私なんだよなっていうか、
庭さんなんだよなっていうか、そういうのがありまして。
このポッドキャストでは、まあ20歳になりたくない理由をはじめ、
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最近で言うと、大学生らしさが肉づいていくから忘れないうちに死にたいを切り分けて考えたいとか、
初めての居酒屋で離れていく過去と進まなきゃな春の歌の回とか、
大人になりたくなさっていうのを、まあちょくちょく、ちょくちょくというか、かなりの頻度で喋ってきてて、
この大人になりたくないっていうのは、やっぱ変わりたくないっていうことなんですよ。
ことなんですよというか。
自分の中に変わりたくなさっていうものを、
誰よりも持ってると自分で思うし、変わりたくなさっていうのを抱きしめてると思うし、
変わりたくなさっていうのを、変わりたくなさっていうのを自分の中で留めておきたいだけじゃなくて、
もしかしたら、周りの人にも自分が変わりたくないんだよっていうのを示したくて仕方がないのかもしれないなっていうのがあって、
そうなんですよ。
今完全に私、多分自分と喋ってるから意味わかんないと思うんですけど。
そもそも変わらないことって結構難しいんですよね。
精神的な部分を一回取っ払って、生物学的な部分で言うと、
なんか、1週間とかで食べるもの全然違うから、もう代謝が変わってるとか、なんか細胞が変わってるとかよく言うじゃないですか。
28だっけ?21だっけ?そういうので、いろいろ変わってる。全く違う物質になってるとか、なんかそういうのあるじゃないですか。
なんか変わらないって大変で、そういう食べるものとか、全く同じものを取り続けるみたいなのも不可能じゃないですか。
少なからず変化してるし、そもそも水道水だって毎回同じ水が出てるかって言われたらそうじゃないかもしれないしっていうのがあるし、
空気だって天気だって変わってるし、だから自分の体よく雨の日とか頭痛くなるみたいな、だから変化ってすごいすぐ簡単にするんですよ、人間。
で、同じように精神的にもう変わるんですよ、簡単に意外に。変わるのって難しいと言う人も多分多いと思うんですけど、
純化というか慣れが結構簡単に起こるらしい。
私も多分起こってきているんだと思う。3年も大学生やってて、慣れてなかったら絶対続いてない部分っていうのはあるし、
まあ嫌だ嫌だ言いながらも続いてるから、慣れっていうのはあるんだと思う。慣れっていうのは変化、大きな変化を遂げて、
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そういうなだらかな変化にするために慣れっていうのが起こると思うし、そう。だからこう、変化って言うとすごく大きなことのように思うかもしれないんですよ。
ネガティブだった気持ちをポジティブに変えるとか、考えるより行動だっていうのを実践するっていう変化みたいなものってすっごい大きな一歩というか、
もう自分自身が精神的にまるっと現れたとか取り替えられたような感じっていうのが変化だと思うかもしれないけど、
違うと私は思ってて、精神的な意味の変化も、そうやって細胞がすぐに変わるように、食べるものが天気が変わるように、
結構簡単に起こる変化っていうのは簡単に起こるものだと思ってまして、だから変わらないことの方が
難しいんですよ。変わることよりも。よく言うけどね、変わりなさいとか、だから変われないんだとか言うけど、みんな変わってるんですよ。
それが私にとっては良いことだと思えなくて、みんなにとってはきっとこういう気づきが、変化って
変わらないことよりも簡単なんだっていう気づきが少し軽くなる人もいると思うんです。変わらなきゃいけないと思ってた人が、
変化って簡単だよなと思ったら、なんかちょっと気が楽になったみたいな人もきっといると思うんですけど、私はむしろ楽にならなくてっていう状態。
楽にならなくてどういう感情なのかまで今苦しいとか辛いとかまで言おうとしたんですけど、それを感情の言葉で言うのは違うなと思って抑えました。
とにかくそういう状態なんですよ。変わらないことの方が大変なんだけど、変わりたくないをずっと持ってるんです。
変わりたくないを持っている理由としては、変わってしまったら今までの自分がダメだって言ってるみたいじゃないかっていうのがある。
今までの自分を全否定することになるんじゃないかっていうのがある。
自分が今までさっき話したみたいに回避的な行動を取り続けたり、普通の会話ができなかったりとか、
楽しいって何?っていうのを考えちゃったりとか、そういうのを考えるよりも行動だとかって変わってしまったら、
今まで自分が思ってきたものは何だったんだろうとか、今まで自分がそれで留まってたのがまるでやっぱりというか、
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世間一般的にも悪いと言われてるし、自分でも悪いと思っちゃうのかっていう、自分の最後のこの肯定。
周りから否定されても別にいいじゃんって思えなくなるというか、そっち側に自分も変化してしまったら、
その周りからこの人ヤバい奴だとか、ちょっと距離置いとこうとか浮いてるとか思われて普通じゃないっていう、
この普通じゃなさ、正しくないとも言えるのかもしれないけど、そういうものだと思われててっていうのがあるとして、
でも自分が変わらないことによってきっと世間では浮いてると思われている構造を、
自分だけが変わらないことで肯定しているっていう風に思ってたくて。
だから変わってしまったら、私はその世間一般のいわゆる普通の、普通が悪いっていうわけじゃなく、そっち側の変な奴だって今までの自分を言うことになると思ってる。
思い続けてる。だからそういう部分がある。
変わらないことっていうのがすごい大変なんだけど、
なんか自己需要、最後の自己需要ってこの変化しないでいる自分を言ってもいいのかなと思ってて、
でもなんだろうな、ありのままを受け入れなよみたいなのとか、
その、ありのままでいればいいんだよみたいなのって結局、
お前らポジティブ、言葉が悪いでございますね。
あなた方ナチュラルに、それこそ普通に何かものが言えたりとか、
してきた人がありのままでいていいんだよあなたはとか、ありのままでいることの大切さを語るけど、
それって変化しながらっていうのを受け入れるっていうことを言ってるんですよ。
変化してることを受け入れてあげるとか、そういうことを言ってるのにありのままの自分を受け入れてみたいなこと言うじゃないですか。
それは、ありのままの自分じゃないだろ。変化してるんだからっていうのが、そういうふうに思ってます。
なんかちょっと、あれですね。
そういうふうに思ってますって、たぶん自分にとても言い聞かせて、
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それこそ需要、自分で自分を肯定するために言ってるかもしれない。
なんかこの、今回の会話、たぶんよくわかんないと思います。
そういう会でした。
だから、変化することっていうのは実はすごく簡単で当たり前に行っていることで、
だから変化しないことの方がすごくたぶん大変なんだということです。
それをやろうとしてる、とどまろうとしてるっていう自分がここにいます。
そろそろ60回目を終えようとしているところです。
60回目という、かなりな切り番。
60っていう、えとの5年回りとか。
それを回で数える人いるのか果たしてっていうところですけど。
そんな回ですけど、とても私は今日自分と対話したような気がする。
それをポッドキャストとして流していることに意味はあるのかよくわからないけど、
自分がもう一回どっかで電波拾うために流しているのかもしれないって最近思うようになって。
そんな感じで、自分と喋ってた回でしたね。
ちょっと似てるなと思ったことがあって、
この変わってしまったら今までを否定することになるみたいなので、
ちょっと似てるなと思った漫才があって、
かまいたちのタイムマシーンのネタが、
多分有名だと思うんですけど、そういうネタがあって、
お前タイムマシーンあったら過去未来どっち行きたい?
で、どっちも過去行きたいってなって、
山内が浜家に聞くんですよ。
浜家が、俺は中学の時好きだった女の子に告白する。
あとちょっとやってるなーみたいな話で。
で、山内はなんて言うかというと、
そんな絶対無理やで。だから俺はポイントカードを作りに行く。
いつも言ってるコンビニのポイントカード作りに行くね。
このポイントカードっていうのがね、
私のこの今までを否定することになるっていうのとちょっと似てて、
似てるかどうかわかんないけど、
今この現実、現状でポイントカードを作りますかって言われて、
作りますっていうのは、今まで作ってこなかった、
その初回からよく行くコンビニで、
なのに初回のうちに作ってこなかったものを、
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なんか悔しいじゃんって言うんですよ、山内。
それです。そこです。
そこにとても、私はとても共感しています。
なので、さっき言った自分の今までを否定することになるみたいな、
そんな重い話じゃない部分、日常の部分で、
自分無印良品に割と行くんですね。なんですけど、
3年?大学生になってよく行くようになって、
3年ぐらい、結構本当に行ってるのに、
初期の段階で無印のカードというか、
ポイントカードアプリかな?今は。
アプリを作らなかったから、
今も作ってないっていうことが本当に起きてるので、
私もタイムマシンがあるのであれば、
好きな人に告白するとか、
あの時やれなかったことやるとか、
そういう大きいことじゃなくて、
ポイントカード作りたいっていう、
山内側の人間ですっていう話。
そういう話です。
今日の会話。
だから、今日の会話、
かまえたちの山内が言ってたとでも思ってください。
また、二の月日には、
庭がにわかに広い庭を開きますので、
お楽しみに。
では。