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2024-09-25 11:16

最初に一人暮らしを始めたところ

キマグレエフエムの「上京、最初に住んだ街」に触発されて、滋賀県草津市で一人暮らしを始めた時の話をします。

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こんにちは、ninjinkunです。
オッサンFMのクリスさんがやっている 一人Botsを聞いていたら、
気まぐれFMの状況を最初に済んだ街の エピソードに触発されて、
クリスさんも済んだ街を振り返る ってのをやっていて、
私も前回の声日記でこのエピソードに 触れていたんですけど、
結局自分が済んだ街について話していなかったな と思ったので、
ちょっと自分が済んだ街の話を しようかなと思います。
状況となると、私が東京に来たのは 結構後の方で、
2社目に転職した時にその会社が 東京にあったんで、そのタイミングで状況をしているので、
えーっとですね、その時もね、 エピソードもいろいろあるんですけど、
どっちかっていうとですね、やっぱ最初にね、 大学に入って一人暮らしをした時の方が、
自分としては強い印象に残ってるんで、 まずそっちの方の話をしようかなと思います。
で、私が愛知県名古屋市からですね、 大学に入って、
滋賀県草津市というですね、 ところに引っ越してきました。
で、住んだところがですね、 かなり半坊の真ん中にマンションがドカーンとあるという物件で、
これは大学生協の… まあね、最初はよくありますよね。
物件を発展してくれるサービスがあるので、 まあその学生マンションってやつですね、いわゆる。
まあ提携してるんでしょうね。 そこで紹介された中で、
ただ私が多分ね、家を決めに行ったのが ちょっと遅かったので、
えーっと結構良さそうなやつは埋まってて、
で、安い中で、まあこれなら良いかなっていうので選んで、
そこはですね、物件はめちゃめちゃ綺麗で、
新築かわかんないですけど、 まだ築数年いないぐらいの物件で、
すごい綺麗で、で、コンクリートかな、 軽量鉄骨かな、
あのアパートというよりはちゃんとしたマンション。 私の周りは全部田んぼっていうですね。
大学に近い、もうちょっといろんな人が 住んでるエリアが別にあって、
そっちの物件はもうちょっと高いんですよね。
で、ただいきなり一人暮らしで、
まあ私立大学で親に負担もかけたくないということで、
まあちょっと安いところにしようと思って、 そこに行ったんですけど、
まあ、友達が住む、とりあえず大学に入って友達とね、 友達というか、まあ友達ですかね、
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最初に仲良くなる人たちが住んでるエリアとは、
自転車で15分ぐらいか20分ぐらい離れているし、
周りは田んぼで、スーパーはあるんですけど、 帰り道に寄れる範囲にはスーパーがなくて、
もう少しまた足を伸ばして、
自転車で15分ぐらい行ってスーパーに行く みたいな生活だったので、
まあなんていうか、結構寂しいというか、
あの、なんでこんなとこ住んじゃったんだろうな っていう風に最初は思ってましたね。
ただ、まあその同じマンションの中に 結構大きなマンションだったんで、
同じクラスの人が住んでたりして、
まあそういう人たちと一緒にご飯を食べたりとか、 飲み会したりとか、
あとは友達、他に仲良くなった人に 遊びに来てもらったりして、
まあそれなりに楽しくやってたような気がしますね。
で、まあまずですね、ただ、
私がですね、その当時、今もなんですけど、 車を持ってなかったので、
すべて自転車に頼って生活していたせいで、 どこに出るにもですね、遠くてですね、
それが結構応えたかなっていうのはありますね。
もともと、まあどっかでも話しましたけど、
家が、実家は割と町の方だったので、
地下鉄と自転車でまあどこでも行ける という感じだったんですけど、
まあ結構自転車で駅まで行って、 京都まで行くのにもまあ1時間近くかかっちゃうし、
なかなか、そうですね、 町へのアクセスが厳しかったですね、あそこは。
まあ大きなスーパーとか、あとは駅前に、 まあ多少ショッピングモールまで行かないけど、
あのいろいろ、モンベルとかは入ってた気がするな、 というとこまでは行けば、
物はある程度手に入るけどっていう感じでしたね。
ただ当時すでにね、もうアマゾン使い倒してましたんで、
まあアマゾンあればまあいいかなっていう感じだったんで、
あの輸入CDとかをアマゾンでよく買ってましたね。
まあそんな感じかな。
あの自分がその田舎に慣れてないわけじゃないんですけど、
例えば母の実家なんかは三重県の割と田舎の方にあって、
そこに夏休みとかに遊びに行くと、 まあ普通に田舎ですねっていう感じで。
田んぼもあるし、川で遊んだり海で遊んだり。
まあそれで移動は車。
まあ一応歩いてもね、歩きやチャリでも移動できますけど、
まあどっか行くのは基本車みたいな、 そういう生活知らないわけじゃなかったんですけど、
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自分でやってみると、 まあやっぱね車なかったのが大きいと思うんですけど、
ちょっとこれは自分に合ってないなっていうふうに、
あのなんとなく思ってしまって、
その時はちょっと早く都会の方に住みたいなというふうに思ってましたね。
で、その中で一つ今でも覚えてるエピソードがあるんですけど、
あの夏がね近づいてきて、
あの帰る時にチャリであのカットバしてたらですね、
あのボンボンって音がして、
何だろうと思って、
わーやっぱ田舎は暴走族もおるんやな、
まあもちろん街中に暴走族はいたんですけど、
えっと暴走族嫌だなと思ったんですけど、
まあ見てもですね暴走族らしきものは見えなくてですね、
何だろうと思ったんですけど、
あのライトとかね見えなかったんで、
で家帰って部屋にいてもなんかボンボン聞こえて、
うるさいなと思って、
でも田んぼしか見えないんですよね。
でまあ翌日になってもなんかボンボン言ってるし、
なんかうるさいなと思ってて、
である時、
どれぐらい経ったんだろう、
しばらくねそのまま暴走族うるさいなって思ってたんですよね。
である時多分同じマンションの人と帰る時か喋った時に、
いやカエルうるさいよねって言われて、
えって思って、
あれカエルだったんだと思って、
結構それは衝撃でしたね。
自分がてっきり、
気づかずにですね暴走族だとずっと思い込んでて、
多分1週間ぐらいそれで過ごしたんじゃないかな。
人にねそれを言った記憶はないんで、
なんか変な恥をかかずには済んだんですけど、
なんかいや言ったのかな、
ちょっとね覚えてないですけど、
とにかく自分がカエルを暴走族と間違えてたことに、
衝撃を受けましたね。
というのが私の滋賀県時代エピソードです。
そこは結局2年ぐらい住んで、
その後で京都の方で友達とシェアハウスを始めるんですけど、
まあこれは楽しかったですね。
なので滋賀2年、京都2年、
その後大学院で奈良の小山田山奥で2年、
で就職して京都に戻ってきて、
その後は京都で結構長い間過ごしましたねという感じで、
まあその後東京か、
という感じでまあいろんな町を点々としては、
町だったり町じゃないところだったり点々としてますけど、
最初のねその滋賀県はすごい印象的でしたね。
あとはこれもね割と覚えてますけど、
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名古屋にいるとですね、
関西弁っていうのは吉本新慶記の中にしかないんですよね。
テレビの中で使われている言語なんで、
関西から引っ越してきた人とかいたと思うんですけどね、
あんまり関西弁っての聞いたことがなかったので、
最初にその引っ越し屋のお兄ちゃんが荷物を取り出してくれて、
こんにちはって言った時にその兄ちゃんがめっちゃ関西弁だったんで、
お、吉本が来たみたいな感じになって、
これは関西かと思って結構正直だった気がします。
うん、なんか印象に残ってますね。
まあ今では大阪出身の妻と暮らしてますんで、
関西弁というのは割とめちゃめちゃ身近にあるものですけど、
あれが初関西弁話者とのファーストコンタクトだったと思いますね。
その後関西弁もいろんなバリエーションがあるというのが分かっていって、
京都弁もあるし、大阪弁も大阪のエリアの中でも結構北と南でも違うし、
それなりにバリエーションがあるというのが分かってきて、
兵庫の方もね多分ちょっと違いますよね。
解像度が上がっていくんですけど、
あれはなんかそうですね、なんかこう言って関西弁話者の人が気を悪くしないでもらえてるんですけど、
あのなんですかね異文化ファーストコンタクトみたいな感じでした。
なので別にね言ってることは分かるんですけど、
おーみたいな感じで、でもなんかワクワクしたのを覚えてますね。
はい、そんな感じで、今では関西弁を使って美容な顔をされるという感じで生活しております。
はい、では今日は私が最初に一人暮らしを始めた町、滋賀県の話をしました。
ありがとうございました。
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