1. 寝落ちの本ポッドキャスト
  2. 040若杉鳥子「職業の苦痛」
2024-06-25 23:20

040若杉鳥子「職業の苦痛」

040若杉鳥子「職業の苦痛」

今も昔も女性が一人で生きていくのは大変ですね。今回も寝落ちしてくれたら幸いです。


ご意見・ご感想は公式X(旧Twitter)まで。寝落ちの本で検索してください。

00:04
寝落ちの本ポッドキャスト
こんばんは、Naotaroです。 このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、 それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。 作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想は、公式Xまでどうぞ。 さて今日はですね
若杉鳥子さんの 「職業の苦痛」
というテキストを読もうかと思います。 若杉鳥子さん
小説家であり、佳人。 茨城県小賀の豪商の女家家の子として生まれ、12歳から女子文壇、文章世界に登校を始め、
プロレタリア作家同盟に加盟、45歳の若さで亡くなっていったということでそうです。
若杉鳥子さんって地面がもう、ね、なんか本当に?みたいな地面ですけど、多分本当の人です。
それでは参りましょう。 「職業の苦痛」
理想は女弁護士。 幼少の頃
今にお前は何になるの?とよく聞かれたものでした。 すると私は男の子のように肩そびやかして女弁護士
と答えました。 それが14後の自分には激変して
鎮屈な少女になってしまいましたが、今は果たしてたがわず、女弁護士とまでならずとも、女新聞記者というおてんばものになりました。
最初は、女権拡張論ぐらい唱え出す意気込みがあったかもしれませんが、 どうしてどうして社会は私たちに
そんな自由を与えてくれません。 自分の素養の足りないことをもかえりみず、
めくら蛇におじず的に逆まく濁流の河中に飛び込んだのでございました。 今思い出すと恐ろしさと恥ずかしさとに戦慄を覚えます。
幾多の人の親切も誠も、年老いた父母の涙をも、ただただ自らの個性を葬る圧迫とのみ思いました。
03:08
自由とか解放とかそうした世界に象径して、 煙のような夢のごとくな天地を創建して、
ついに温かい父母の逝家を去ったのです。 果たして自由の世界を発見することを得ましたでしょうか。
不人気者となる。社会に出てから仕事は私にとって案外困難なことでもございませんでした。
しかし自分の純白であった感情を欺くまで損なわれることとは思いもよらなかったのでした。
最初に与えられた仕事というのは、名士や婦人を訪問することであまり難しいこととも思われませんが、なかなかそうでないのです。
しかし初めの2、3日は何の経験もないので、黙ってテーブルの前にあって雑誌の切り抜き等をさせられていました。
編集長や主任に対しては、 ただただ満身経緯の念を持って御意のままに働きました。
しかし想像した新聞社というものは、目の回るほど忙しい活気の満ち満ちたものだと思っておりましたにもかかわらず、
毎日じっとしているので苦痛で苦痛で耐えられません。 するとバツバツ主任もそれを察して下すって、
そうしているのも苦しいでしょうから、どこか訪問してごらんなさい。 と
喜んで話しそうな人を皆で列挙してくれました。 日野一番に伺ったのは確か、
岡田八代女子のオタクだと覚えています。 訪問難。
東京の地理さえも詳しく知らず、何でも渋谷の伊達という屋敷の鳩と聞いたので、青山の終点で電車を降りました。
今思えば割合に大胆でしたね。 そして伊達屋と伊達屋とと尋ね回ったけれども、一向わかりません。
酒屋で聞いても牧屋で聞いても知れません。 およそ2時間も渋谷の野をうろついて、
06:08
ようやく茶葉をしている駄菓子屋さんのおじいさんに尋ねますと、 その岡田さんというのは何を商売にしていなさるんです?
と言った。 美術家、あの絵をお書きになるのです。
おじいさんはこの界隈で有名な物知りだそうですが、 なお首を傾けて考え込んでいまして、
それではわしの命にあたるのですが、 その邸主が絵描きですからそこへ行ってお聞きなさい。
なあに、すぐ向うの小さい家です。 と親切に教えてくれました。
日当りの悪いかやぶき屋根の家です。 ごめんください。とお唱えば、
若い病み上がりらしい妻君が、 青い顔をして出てきました。
その妻君も、 岡田さん、
美術家としばらく考え込んでいましたが、 その方の奥さんでしょう?小説をお書きになるのは。
それならば小説にいつか天源寺橋のあたりとありましたよ。 とその端を教えてくれました。
天源寺橋なんて名前すらも初めて聞くのでございます。 洋々にしてそのお玄関にたどり着いたときは、
何しろ二時間も足を引きずったのでしたから、 足は痛む。
なれないので全身綿のように疲れていました。 問いたいと思うことも口に出ず、
思い切って問題を提出すれば、八千代女子は謙虚に、 私たちにはわかりませんでございます。
と、おにげえあそばす。 それを突っ込む勇気もなければ、すべも知らず、
ただ話の途絶えめ途絶えめを、どこからか カンナの音が響いてきます。
その間の悪かったことはお話になりません。 談話は断片的で、社へ帰ったとて記事になりそうもなく、
その勝慮と恥ずかしさが込み上げて、 座に至えないようでございました。
それでも日頃尊敬していた人にまみえた、 一種の満足を得て私は社へ帰ってまいりました。
09:09
初めてのことで非常に印象強く、 どうにかこうにかまとめて書きました。
自分を殺してかかる。 男の方を訪問するのは割合に楽で、
問題さえ提出すれば、大抵の方はお話くださるので、 別に呼吸も何もいりませんが、
不尽にして訪問記者に応ずる方は、 よほどわかった方でしょう。
会うにはあってくださるが、 ご謙遜が過ぎて皮肉なように受け取れます。
もっともこちらが神経過敏になっているせいで、 先でも責任を重んぜられるがゆえに、
無安にお口をお開きにならんのでしょう。 しかし、いつお目にかかっても気持ちの良いのは、芸術家、 もしくは芸術を介された方でございましょう。
広い世間を歩いてみると、いろいろな人に出会いますから、 自分というものを全然殺してかからないと、こちらの商売はできません。
ある旧家族でしたが、御礼状にお目にかかりたいと申し出ました。 すると、
当家の姫気味は新聞のネタには相鳴らせられぬ。とある。 今時こんなことを聞いて、お芝居のようだと編集室の一堂で笑いました。
こういうものは、執事の老人が時勢を知らぬので、 夫人なり礼状なりは当代の教育も受けられているし、 決してそんなことはあるまいと存じます。
それから、桜井近子女子を訪問したことがございましたが、 それも大きに失敗だん。
女子がタイプライターをせらるる間、 30分ばかり応接までお待ち申すと、やがて女子は入ってこられた。
まず、氷のように冷たい視線に若い胸をいられて、 ジロジロと見られるのがつらくて答えられませんでしたが、
自分は今、訪問記者であるという自覚を強くして問題を提出すると、 自分の答うべき問題ではないとある。
12:10
それでは何でもお考えつきのことを、というと、 私は学校の長としても、一家の主婦としても多忙並で、新聞の種など考えている暇はなかった。
という情けない言葉。 全く女子のおっしゃるごとく、問題の適不適を考えて持っていくべきでしょうが、
この問題なら、あの人は熱を持って話すだろうと思っても、 決してそうはゆかぬ場合もあるのですもの。
わがまま者もついに服従。 あまりの侮辱にこらえかねて、
いっそ新聞記者なんかやめて、再び夫婦の懐中へ帰って、 服従の日を贈ろうとまで思ったのは、この時ばかりではございませんでした。
今になってみれば、女子に感謝すべきところが多いにあります。 初めのほどは、虚栄心にからるることもなく、
ごく真面目に仕事のことにのみ追われて、 一日の中に何ものをか得なければ、
たちまち日刊新聞のことだから、後から後からと追われますのみか、 編集上の都合が悪くなるのですが、
ちょうど留守のところへ行ったり、 居ても会えなかったり、
引っ越しの後をもってみても知れなかったりして、 短い冬の日は、とろーに終わることもありました。
そんな時はいつも正然とした姿をして、小石川の宿に帰って行くのでした。 帰れば何を勉強する気にもなれず、筆をとる気にもなれず、
ただ疲れた体を投げ出して、心よい眠りに入ることより他に何の欲望もありません。
労働者の上も忍ばれて、気の毒で絶えませんでした。
しかし私も一個の労働者です。 終日パンを得るためにのみ、隠して過ごします。
どう思っても、いくら高く買っても、 これが転職の使命のとは思われません。
社内のことよりも何よりも、反抗する答えのない大自然の圧迫は実に苦しく、
15:03
家庭や町上の人より浮くるもののように余裕がありません。 さすがのわがまま者の私も、これには服従せざるを得ませんでした。
生活費の不足。 早稲田出身の文学士様さえ、最初の月給は20円から25円と
相談を定まった新聞社のことですから、 私は初め、見習いとして15円を与えられました。
電車代は別です。 自給するようになって、生まれて初めて月給を懐にしたときは、
嬉しい気持ちよりも、帰り見て、 1ヶ月の自分の労力があまりに安価に変われ、
あまりに、また小さなる自らの力であることを心細く思いました。 15円の中、
10円、 食料及び炭、油、
60銭が油税に、60銭が郵便、 2円70銭が電車券使用分、
1円10銭が小遣い、 と計算立ててみましたが、
この中から英語の月謝を出そうと思っても出ません。
すでに郵便の60銭は不足。 1円10銭の小遣いで旅が切れても、下駄が悪くなっても買えません。
それに襟が汚れるとか化粧品を買うとか、 臨時の費用が多く出ますから足りるはずがありません。
書物も買えず勉強もできない。 これではしようがないと思って知り合いの西君に相談しますと、
東京の生活は100円でもできれば5円でもできるという。
食料の方から月謝くらい出そうなものですねと言いました。 それからすぐその素人下宿を退いて、
神田の浦永や道全の家へ行きました。 元国の家にいた下男が独身で世帯を持っているのです。
そこへ同居してから自炊もしてみました。 その男はかなり忠実な人で、夜の中に水を汲み込んだり、
18:00
薪の用意もしてくれまして、夜の明けの中に労働に出てしまいます。 雪の日にも風の日にも、私は車から疲れて帰って、
かじかんだ手で鍵を開けて、 真っ暗い家の中に入り、ランプを灯して、今度は火を起こしにかかるのです。
慣れないためにいくら起こしても消えてしまう。 しまいにはやけになって石油をかけて火をつける。
ずいぶん危険な乱暴なことをしたものです。 そんなにまでしましたが、ついに勉強の暇は得られませんでした。
下男は口癖のように、お嬢さんはおかわいそうだと言っていましたが、 ついに見かねてか私の生活の状態を国の家知らせてやったと見えて、
それから十分に金も送ってくれましたし、 衣服等も汚れればすぐ国へ送り返すと、新しい着替えを送ってくれるというようになりました。
衣服の汚れること、痛むことは、それはそれははなはだしいので、 母に始末を頼むのが気の毒のようでございます。
そうなってくると、ちょうど空腹の人が食を得て眠くなるように、かえって身のためになりません。 その後、とうとう打尺に流れ、虚栄は募る。
物質欲が増長して、安逸ばかりを求めて、自己の収容などはとんと忘れてしまいました。 洗濯物すら素人の手では気持ち悪く、
貴婦人たちにはお友達ができる。 高価、月給の1割もするクリームが塗りたく、
男のお友達もできたりして、一時、私は全く虚栄を夢みて、 慶長不博な日を送りましたね。
けれどもその後、育変戦。 私という女はまた当時の人と変わりました。
要するに新聞記者、雑誌記者はいくら文明になってきたといっても、 今の日本では婦人に困難な仕事でございます。
第一、服装からして不便なことはお話になりません。 米国あたりは知らぬこと、
21:08
今の日本の社会は幾十年、 婦人が新聞界で奮闘してみたところで、
苦しい経験を山のように積んだところで、 相当の地位を与えてくれる見込みは到底ありません。
私の初めの大理想はどこへやら消滅して、 元気なくちょうど、
一旦泥水に沈みた女が、 足を洗えずにもがいているようなもので、
やっぱり相変わらずの日を過ごしております。 それでも、
婦人は実力以上に変われるという余得があるためでございましょう。 しかし、実力以上に変われるとは何たる侮辱された言葉でしょう。
決してそれを潔しとは致しません。 要するに、婦人の職業ということは、まだまだ範囲が狭いのみならず、
ことさらに筆を持って立とうとなさる方は、 なおさら生活の戸の苦しいということを覚悟して人道に立たれたいと思います。
2001年発行 武蔵野書房 空に向かいて
より 読み終わりです。
社会で女性が一人で生きていくのは、 今も昔も大変ですね、きっと。
まあ昔の方が大変なのかなぁ。 まあ何も持ってない男も
大変ですけどね、年取るとおじさんのニーズのなさみたいなの。 考えたくもない。
寝てしまいましょう。 それでは今日はこのへんで、また次回お会いしましょう。おやすみなさい。
23:20

コメント

スクロール