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寝落ちの本ポッドキャスト、こんばんは、Naotaroです。
このポッドキャストは、あなたの寝落ちのお手伝いをする番組です。
タイトルを聞いたことがあったり、実際に読んだこともあるような本、
それから興味深そうな本などを淡々と読んでいきます。
エッセイには面白すぎないツッコミを入れることもあるかもしれません。
作品はすべて青空文庫から選んでおります。
ご意見ご感想、ご依頼は、公式Xまでどうぞ。
寝落ちの本で検索してください。
さて、今日はですね、
三遊亭円朝さんの
塩原多助旅日記
というテキストを読もうかと思います。
大名席ですね。三遊亭円朝
幕末から明治にかけて活躍した落語三遊派の大名席
余りの上手さに嫉妬され師匠から防災を受ける
具体的には、円朝が演じるはずの演目を同日、先回りして演じられ、封じてしまうというやり方
たまりかねて他人が演ずることのできないよう、自作の演目を演じ、多数の新作落語ができたということで
忠孝の祖と呼ばれている人らしいですよ。
これ掛け合いなのかなぁ
落語のネタなのかなぁ。でもなんか、本文中に円朝さんみたいな掛け声とか
呼ばれている場面があるんで、誰かとのやりとりだと思うんですよね。それを
落語調に従ってあるのかな?ん?違うか。
いやーこれ難しい。掛け合いだったら難しいなぁ。 だけどまぁ淡々とやります。はい。
それでは参ります。塩原助 旅日記
いやこれは若林先生。さあこちらへお入りなさい。 どうも久しぶりでお目にかかりました。
浦佐野学長にわんちへ御転授になったということでございますから、 ちょっとお家見舞いにあがるんですが。
どうも何もあなたのお座敷へ出すような話がないので、 つい交付さたいたしました。
時にこういう話があるんです。 これはあなたもご承知の石切り菓子にいた古人の柴田勢親王のところへ私が行って聞いた話ですが、
これはおかしいで、 私がどこへ行っても口慣れておしゃべりするのはご承知の塩原助の伝だが、
この助の伝は勢親王が教えてくれたのが始まりだが、 おかしいじゃありませんか。
どういうわけかというと、その頃私が階段の話の種を調べようと思って、 方々へ行って階段の種を買い出したというのは、
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私の家に百服幽霊の掛物があるから、 百階段というものをこしらえて話したいと思う自分のことで、
その頃はまだ世の中が開けないで、 階段の話の売れる自分だから種を探して歩いた。
ある時勢親王のところへ行くと勢親王が、 お前はこの頃大層階段の種を探しておいてたそうだ。
どうか階段の種を百色買い出してみたいと思います。 八代目ダンジュウロウや市村ウザエモンの階段、
沢村ソウジュウロウの五殿女中の階段、 岩井ハンシュロウの階段、その他聞いたこと見たことを色々集めているんですが、
と言うと勢親王が、 店長さん妙な階段の種がある。
こりゃ面白い階段だが、お前何を知らないか? 塩原タスケという本庄愛宵町2丁目の住居屋の階段を。
知りません。 そうかね。塩原タスケという住居屋の井戸は内井戸であったそうだが、
その家は大した寝台だから、なんとかいう名のある 結構な石でこしらえた立派な井戸だそうだ。
ところがその井戸の中へ嫁が身を投げて死んだり、 2代目と3代目の主人が吉害になったりしたのが、その家の潰れる始まりというので、
それは何とも言えないすごい階段がある。 ええ、それはどういう筋です?
詳しいことは知らないが、何でもその初代のタスケという人は、 常州の方から出てきた人で、同じ国者がタスケを頼ってきて、
わしもお前のような大きな寝台になりたい。 国の家が潰れたから、江戸で稼いで国の家を再興したいと思って出てきたんだから、どうか元でを貸してくれと言うと、
タスケが、そりゃあいけない。人に元でを借りてやるようなことでは仕方がない。 何でも自分で苦しんで、ありがとうを積むようにぼつぼつ寝台をこしらえたのではなくては、
大きな寝台になれるものではないから。 ともかくも細かい空き台をして二宿か三宿の裏棚へ住まって、一生懸命に働き、朝は暗い家から空き台に出、日が暮れてから帰ってくるようにし、
夜は明日の買い出しに出る支度をし、一時か一時半他寝ないで稼いで。 金を貯めなければ本当に金は貯まらない。
わしなどもそのくらいな苦しみをしてようやくこういう身の上になったのだ。 と言われてこの人もタスケの言うことをなるほどと感心したから、
自分も何ぞ空き台をしようというので、これから漬物屋を始めた。 すると、
相応に空き台もあるから、空き台だかのうちより貯めておいて、 これをタスケに預けたのがだんだん積もって二百両ばかりになった。
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その頃の百両二百両というのは大したものだから、もうこれで国へ帰って電池も買えるし、 家も建てられるというので、大いに喜んでタスケに相談の上、国へ帰った。
国へ帰って電池を買う約束をしたり、家を建てる機材を山から切り出すようにしたり、 ちゃんと手筈をつけて江戸へ帰ってくると、塩原タスケが死んでいた。
さあ、大いに驚いて、早速タスケの家へ行って、番頭に掛け合うと。 番頭はずるい奴だから、そんなものはお預かり申した覚えはござりません。
お旦那様お隠れの時、ご異言もございませんから、あげることはできない。 一体お前さんは何を証拠に預けたと言いなさるか、預けたものなら証拠がなければならない。
という、とってもつけない挨拶。 その自分は人間が応用だから、金を預ける通帳をこしらえて、いちいちつけてはおいたが、その帳面はタスケの方へ預けたまま国へ帰ったのを、番頭がちょろまかしてしまったから、何も証拠はない。
さあ、その人は悔しくてたまらないから、預けたに違いない。 タスケさんさえいれば、そのようなことを言うはずはないのだから、返してくれと言っても聞かない。
決して預かった覚えはないと言い張る。 預かった預からないの争いになったところが、出入りの車利器や仕事紙が大勢集まってきて、こいつは語りにちげえねえというのでポカポカ殴って表へ突き出したが、証拠がないから表向き訴えることができない。
頭へ傷をつけられて、泣く泣く帰ったが、国では電子を買い、機材を切り出す約束をして、手金まで売ってやるから、今さら金ができないと言って帰ることはできない。
昔の人で料金が狭いから、土方に暮れてすごすごと家へ帰り、 女房に一部始終を話し、この上は夫婦別れをして、七つばかりになる女の子を女房に預けて、国へに帰るより仕方がない。
と言うと、お前さんのような育児のないものはない。 預けたものを預からないと言われて、はいと言って帰ってくるというのはどういうわけです。
ことに、頭へ傷をつけられて帰ってくるとは、あんまり育児がなさすぎる。 そんな育児のない人と連れ添っているのは嫌だ。
この子はお前さんの子だから、お前さんが育てるがいい。 私はもっと貴重な人のところへ片付くから、という白状の言い分。
この女は国から連れてきたのではない。 江戸で持った女か知れない。
それははっきりわからないが、何しろ白状の女だから、 手首を表へ突き出す。
男は恨めしそうに家の方へ睨んで、 泣く泣く向こうへ行こうとすると、
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お父さん、えーと言って、女の子が追っかけてくるから、 どうかおかっさんのところへ帰ってくれ。
お父さんはないものと思ってくれ、と言い聞かせて、 泣きながら帰る子の後ろ姿を見送り。
ああ悔しい。二代目の助けという奴は恐ろしい奴だ。 親父に金を預けたことを知っていながら、
預かった覚えはないというのはひどい奴だ。 塩原の家へ草を生やさずに置くべきか。
と言って、東橋からどんぶりと身を投げた。 そうすると園長さん、その死骸がどういう塩どきであったか知らないが、
流れ流れて塩原の前の桟橋へ着いたそうだ。 それを店の小僧が見つけて、土財物がついています、土財物がついています、と言って騒ぐ。
若い衆がどれどれと言って、行ってみると、 どうもさっき店へ来て、
番頭さんと争いをして突き出された田舎者に似ています、と言うから、 どれ、と言って番頭が行ってみると、
なるほど、さっき店へ来た田舎者の土財物だから、 悪人ながらも良い心持ちはしない。
身の毛を立つが、土財物を突き出してしまえというので、 仕事師が手かぎを持ってきたり、
軽子が長さを持ってきたりして突き出すと、 またその桟橋へ戻ってくる。
いくら突っ放しても戻ってくるから、 そんなこってはいけないというので、
3人かかってようやく突き出したところが、 桟橋で車輪機が2人即死してしまい、
仕事師が1人気が違ってしまったという騒ぎ。 それからそれが、たたりはしないか、たたりはしないかという極みで、
今言う神経病とか何とか言うのだろうが、 2代目はそれを極みにしてついに気が違った。
それから3代目が嫁をもらったのが、 名前は忘れたが、何でもお旗元のお嬢様とか何とかということだった。
お旗元のお嬢様が嫁に来るような新代になったのだから、 大した新代になった。
するとこの嫁を姉と番等とでいじめたので、 嫁はつらくていられないから里へ帰ると。
親父は昔片木の武士だからなかなか聞かない。 逸られてくるようなものは手討ちにしてしまう。
たとえどんなことがあろうとも、 女はその貸した家を本当の家としなければならん、
ということを言い聞かして返されたから、途方に暮れて、 その嫁が塩原の内井戸へ飛び込んで幽霊に出る。
というのが潰れ始めで。 あの大きな家が潰れてしまったが、
なんとこれは面白い怪談だろう? という話を聞いて、
なるほどこれは面白い話だ。 これを種にして面白い話をこしらえたいと思ったが、
その塩原助というものが本城相生町にいたかいないか、 なさや初めて聞いたくらいだからわからない。
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とにかく本城へ行って探してみようと思って、 勢神王の家へ糸間漕いをしてから、これからすぐに本城へ行きました。
つなで勢神王の宅を糸間漕いして、すぐに本城へ行って、 少し好意の人があったからだんだん聞いてみると、
二つ目の橋のそばに金物屋さんがあるから、 そこへ行って聞いたらわかるだろうという。
それからその金物屋さんで、名前は言えないが、 これこれの炭屋がありましたかと聞くと、
なるほど塩原助という炭屋があったそうだが、 それはよほど古いことだという。
それでは塩原のことを詳しく知っている人がありましょうか、 と言って聞いたところがないという。
どこを探してもわからない。 その時69になる。
仕事主の柏というほどではないが、世話番ぐらいの人に聞くと、 私は塩原の家へ出入りをしていたが、細かいことは知りませんのという。
それでは塩原の寺はどこでしょうと聞いたところが、 浅草の森下の、確か東洋寺という禅宗寺だということでございます、という。
それからすぐに本城を出て、東橋を渡って森下へ行って探すと、 今の発見寺町に創道主の東洋寺という寺があった。
門のところで車から降りてずっと入ると、 玄関のからかみに丸に十の字の印がついている。
はてな、これは薩摩様のお寺ではないか、と思いました。 門番のところで花を買って、
実践散財してお墓を掃除してください。 塩原助の墓はこちらでございましょうか。
私は塩原の縁類の者でございますが、初めて参ったので墓は知りませんから案内してください。 と言うと、
はい、かしこまりました。と言って墓へ案内して掃除してくれましたから、墓の前に向かって、 私は縁類でもなんでもないが、
先祖在来とエコーをしながら、と見ると墓石を取り巻いて皆妙が掘ってやる。 第一に塩原助と深く掘ってやる。
石頭の裏には新しい戸場が立っていて、それに梅の矢と書いてある。
どういうわけで梅の矢が戸場を挙げたか不審に思いながら、 矢立と紙入れの花紙を取り出して皆妙や俗妙を皆移しましたが、
年号月日がはっきりわかりませんから、寺の玄関へかかってお頼み申しますと言うと、 古坊主が出て取り継ぎますから、
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私は本庄亜佑町2丁目の塩原助の縁類のものでございますが、 まだ塩原の墓も知らず、ただ塩原のお寺はこちらだということを聞き伝えて、
今日お墓参りに参りました。 これはほんの心ばかりでございますが、どうか先代助のご栄光を願いたいものでございます。
と言って、 金を1円包んで出すと奥から和尚様が出てきまして、
あなたが塩原助のご縁類の方でございますか。 偶像が盗獣で、ただいまご栄光。
いえ、今日は呼んどころないところで急ぎますから、 ご栄光は後でなすってください。
とばをたてなすって、どうぞご栄光を願います。 かしこまりました。
と茶を入れて金平糖か何かを出します。 すると、お城さんの手元に長谷川町の町合いの梅の矢の内輪が2本ありますから、
はてな、この寺に梅の矢の内輪のあるのはどういうわけか。 ことに塩原の墓にも梅の矢の戸場が建っておりましたから、何か訳のあることと思って、
お城さん、ここにある内輪は長谷川町の町合いの梅の矢の内輪ですか。
さようです。 梅の矢はこちらの段下でございますか。
いえ、段下というわけではありませんが、長い間塩原の付届をしている人は梅の矢ほかありません。
それでこの内輪があるのです。 それはどういうわけです?
と聞くと、梅の矢は五代目の塩原助の女房で、それが邸主が亡くなってから長谷川町へ梅の矢という町合いを出したのです。
えー、そうでございますか。 それじゃあ梅の矢のお袋に聞けば塩原のことは詳しくわかる。
梅の矢に聞くのは造作もないことだ。 というのは梅の矢は落語社会の寄居寺でございますから。
ありがとうございます。どうかご栄光を願います。 またお参りをいたします。
と言って、それからすぐに浜町一丁目の花屋敷の相鉄という料理屋へ行って、お膳をあつらえ、
うちの車をやって、この車ですぐに来てくれと言って梅の矢を迎えにやりました。
梅の矢は前にも申しました通り落語家一等の寄居寺で、ことに当時私は落語家の当取りをしておりましたから、
ためになるお客と思いもしまいが、早速その車で来てくれました。
どうしたんです。何か急にのご用ですか。 いや、改まってお聞き申したいのだが、
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お前は塩原という墨丼屋へ嫁になったことがあるそうだ。 いいえ、墨丼屋は塔につぶれて大馬矢橋へ来た時、私が縁付いたのです。
お前の御邸主は。 ヒデザブローと言って御代目でございます。
早く死んだのかい。 少し気が違って早くに死にました。
と言うから、なるほど、是真妖な話の通り、 たたったのだなと思い当たりました。
お前そのところに何か書き物はありませんか。 ご先祖塩原助の書類か何か残っていませんか。
何にもありません。少しは残っていたものもありましたが、 この前の火事で焼けましたから。
書き付け類はありませんが、ご先祖様の着た黒羽舞台に、 大きな靴輪の紋のついた着物が一枚あります。
それは二代目塩原が体操良い寝台になって、 後目相続をした時。
お父さん、お前様もうこれだけの寝台になったら、 少しはさっぱりした着物をお召しになさるが良い。
いつまでも木綿の筒っぽではおかしいから、 これを着てくださいと言って、
その黒羽舞台の着物を出したところが、 こんなものを着るようでは近度の寝台が上がるものかと言って、 一度も着たことはなかったそうです。
その着物が残っております。
それからご先祖様の木像とカコチョウが残っております。
それではちょいとそれを持ってきてもらいたい。
と言うと、お母はすぐに車に乗って取ってきました。
そのうちにあつらえたご飯ができましたから、 ご飯を食べて、そのカコチョウをみな移してしまった。
そのカコチョウの中に、 塩バラタスケヨウフ、塩バラカクエモン、ジップ、塩バラカクエモンと同じ名前が書いてある。
はてな、同じ名前は変だと思ったから、
お母さん、ここに同じ名前があるが、 これはどういうわけだろう。
と聞くと、
それは私にはわかりません。
そんなものが書物にあったと言いますけれども、 私にはわかりません。
初代のタスケという人は、 常州の人だそうですが、そうかい。
そうでございます。 常州の沼田の在田ということでございます。
どこ村ということはわかりませんか。
どうもわかりません。
それじゃあ、少し聞きたいことがあるから、 私は一つ沼田へ行ってみようと思う。
沼田の森林は、あの五代目が達者の自分は、 折々たずねてきましたが、
亡くなって後は落とさたはありません。
もしお会いになったらどうかよろしく。
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なんという名前です。
お師匠さん、私は年をとって物覚えが悪くなって、 よく覚えておりませんが、
何でも他の字のつく名前でしたが、忘れました。
わかりませんか。
わかりません。
どうもところもわからず、名前もわからず、
ほとんど困りましたけれども、
細かに尋ねたら知れぬこともあるまいと、
これから宅へ帰ってすぐに旅立ちの支度を始めたから、
宅の者は驚いて、どこへ行くという。
少し訳があって旅をするというと、 弟子や何かが一緒に行きたがるが、
弟子では少し都合の悪いことがある。
宅に坂井伝吉という車を引く男がある。
この男は力が九人力ある。
なぜ九人力あるかというと、
大根菓子の新類の山州へ家事の手伝いにやったところが、
一人で畳を一度に九枚持ち出したから、
九人力あると私が考えた。
その伝吉を呼んで、
時に私は今度下月から上州の方へ行くについて、
お前を友へ連れて行こうと思うが、
面白くもなんともない。
ひどい山の中へ行くんだが、行くかい。
それをありがたい。
どんの山の中でも行きます。
私の小国は越中の富山で半御田のりですから、
荷物を背負って、
まだ薬の広まらない山の中ばかり打って歩くのです。
そして翌年その山の中を打って歩くので、
山の中は歩きつけております。
また私は力がありますから、
途中で親はぎが五人や六人出ても大丈夫でございます。
富山の薬屋は風呂敷を前で本当に結んではおりません。
親はぎに出まおうと、
すぐに風呂敷の結び目がずっと抜けてしまって、
後ろへ荷物を放り出し、
すぐと相口を抜いて親はぎと戦うくらいでなければ、
とても薬屋はできません。
私が行けば大丈夫でございます。
ご安心なさい。
そうかい、足は大丈夫かい?
足は大丈夫でございます。
車を引いているくらいでございますから。
というので、これから支度をしまして、
両輪で出かけましたが、
何でも歩かなければ実地は踏めません。
東京のうちはうるさいから車に乗って、
千住下門塾で車より降りて、
それから長州沼田へ探しに行きました。
2001年発行 筑波書房
明治の文学第3巻 三友邸延長
より読み終わりです。
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掛け合いもありましたけど、あれですね。
階段話を作るために取材に行くぜって話でしたね。
これ後に何のお話になるんだろう。
塩原助ってお話があるのかしら。
ちょっと落語好きなんですけど、
そんな言うほど詳しいわけでもないので、
遠目まではわかんないんですけど、
今この彼が旅に出て取材して作り上げた話が
現代に残っているかもしれないですね。
階段話か。
もうすぐ寒いからいいか。
夏に聞きたいですね。
それでは今日のところはこの辺で、また次回お会いしましょう。
おやすみなさい。