1. 人のフリ見て我がフリ直せ
  2. 自分の選択、自分の人生を他人..
2024-05-12 10:32

自分の選択、自分の人生を他人に委ねないってどういうことか、考えました。

コンプレックスを刺激された🐰さんに傾倒しないようにしないとw

インスパイアを受けた🐰さんの放送👇
#179 教養を身につけたければ消費より咀嚼!自分の五感で言葉を紡ぐ。
https://stand.fm/episodes/663ea8c8f9400353ee448718

#178 「リスクを取ってリターンを得る」も、ある種のポエムだと思う話。
https://stand.fm/episodes/663dd0b6ffb8dc7154c7779b


寸尺かんなさんのバカ化のお話👇
 
あの地獄のような受験勉強って、全て無駄だったんじゃ‥という話⑤ #67
https://stand.fm/episodes/663e20dacd252872f79b69fd



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サマリー

彼は自分の人生を他人に委ねないことを考えています。ウサギさんの話を通じて、自分軸で生きることの大切さを感じています。自信喪失やプライドを傷つけることに苦手意識を持つなど、自分の軸を持つことの難しさも感じています。

ウサギさんの話
おはようございます、なっちゃのです。えっと今日はですね、あの他人に自分の人生を委ねないっていうことを喋っていこうと思うんですけど、
なんかね、もうこういう当たり前のことを言うの、すっごい自分でも恥ずかしいんですけど、ちょっと頑張って喋っていきます。
で、あのスタイフで、もう私大ファンのパーソナリティーのウサギさんがですね、あの2回連続、なんかもう私の心をナイフで突き刺してくるような話をされてて、
なんかね、2回前の放送は、ハイリスク、ハイリターンはポエムっていう話をされてて、無理に背伸びしすぎると取り返しのつかないことにもなるから、
他人と比較もせず、無理もせず、毎日生きてるってだけでリスクも取ってるんだからそれでいいんだよっていう放送があったのが一つと、
1回前の放送で、教養に尽きるにはっていうテーマで、コスパとかタイパとか、そういうことには先反対なところにあって、何度も何度も咀嚼して味わって、
それでからじゃないと教養なんて身につかないよっていうお話をされてたんですね。
このメッセージ自体もすごく染み入るメッセージなんですけど、それを説明するときに出てくるエピソードエピソードすべてが、
ウサギさんの生き方をすごく表しているのかなって思って、それが突き刺さる話ばっかりだったんですよね。
で、テーマはその2つそれぞれ違うものなんですけど、これらの話の中で両方突き刺さるっていうのは、
突き刺さるっていうかそのウサギさんの生き方の中で見えてきたものっていうのが、他人に自分の生き方っていうのを全く委ねてないですよね。
自分は自分を生きるみたいな、そういう自分軸とか芯みたいなものをこの放送を通してすっごい感じるんですよ。
で、なんでそれが私に突き刺さるのかっていうのは、自分に軸がないからですよね。
ハハハハって感じなんですけど、私はこのスタイルで数々の自分のコンプレックスの話をしているように、
いろいろ迷ってしまって思い切りがないとか、思考力がないとか、他人に流されるとか、これ全部根底にあるのは軸がないってことですよね。
いやそうなんですよ。
で、でもただただとか言っていきなりフォローし始めるんですけど、好きな人にはめっちゃアタックするし、困ってるように見える人には思い切ったことをすることもあるし、
介護業界に入ったのも親の反対を振り切ってしまったし、それは別に振り切ってしまったっていうのは別に今でも良かったと思ってるんですよ。
介護業界っていうのは中学生の頃からずっと自分は気になっていて、その世界のことを知れてよかったなとも思うし、
今は若干お腹いっぱい感はあるんですけど、違う形で介護系のライターをやってみるのもいいかなっていうのも思ってるんですけど、
それは私にとっては良い意味で別の角度からの関わりなんですよね。
というより、書くことが好きで、そんなにスキルのレベルとしても悪くないなら仕事にしてみたいなって思ってたので、
本当はそれこそ左翼的なこととか関心の高いテーマを扱ってみたいなとは思ってたんですけど、
どんな感じ、書くのを仕事にするってどんな感じかなって実感するには、ちょうどいい一歩だなっていうふうに思ってるんですね。
話はめちゃくちゃ逸れたんですけど、全部が全部フニャフニャなわけじゃないよって自分にとってこれから嫌な話をするのでフォローしちゃったんですけど、そういうことなんですね。
どういう時に自分の軸がないかって思うかっていうと、前もスタイフで話したことがあったんですけど、
自分がある程度仕事が好きで信頼されて評価もしてもらってっていう心地良い状態で仕事ができてたところに、
自分が得意だと思ってた分野を2、3段階上の力量でバンバンやってくるような人が年の近い年齢で上司に来た瞬間ですね、
圧倒的敗北感っていうのはこのことかっていう感じなんですけど、もうこの圧倒的敗北感でフニャフニャになって自信喪失、私の意見よりあなたの脳で考えたことの方が絶対正しいです、お願いしますみたいな状態になってしまって、
アーティストとかクリエイターとかだったらそれじゃダメなのかなと思うんですけど、会社という個性が大して必要ないというか、時に大きな邪魔になることもあるような形態なので、
これでいいや、小さく小さくって仕事してたんですね。だから周りからは、なっちゃの最近正気失ってねとか、なっちゃのは方向転換をしたのかとかいろいろ言われたんですね。
でも最初からそうなったわけじゃなくて、最初から自信喪失、もう私ダメですみたいになったわけじゃなくて、
やっぱりこう圧倒的敗北感を味わうと、自分に何が足りなくて、その人と何がこんなに違うんだろうみたいなことを必死に思うんですよね。
だからその時は、もうなっちゃのはその上司になろうとしているように見えるよって何人かにも言われてしまったんですけど、
まあなんか、左翼って言われても発信の仕方を変えもするし、なんか変音動物かよって感じですよね。変音動物なんですけど、なんかそんな風にやっぱり思考停止の流されやすいみたいなことはすごくなんか自分の中でも嫌だったんですよね。
自己意思決定と自信喪失
で、まあただ素晴らしい人みんなに流されるわけじゃないんですよ。なんかまあいろんな素晴らしい人のあり方ってあると思うんですけど、まあ自分の持っているコンプレックスを刺激される人に流されるんですね。
だからこの人みたいに生きたら自分も変われるんじゃないかとか思って、なんかもうそれ言うとヤバめっちゃキラっぽいですね。
めっちゃキラっぽいなんですけど、でもまあもちろんその人になれるとは思ってないので、なんかこう自分なりにその人のいいところを吸収しよう吸収しようってすごくこう、
なんかもう視野がガーッと狭くなるわけなんですよね。で、あとちょっと違うんですけど、あの人のプライドを傷つけてしまう可能性があることを言うっていうのがめちゃくちゃ苦手なんですね。
例えばすんごいどうでもいい例ですけど、まあ昨日なんかあのあんまりに首が詰まってしまったような感覚があってマッサージ屋に行ったんですね。
でなんか私は左の首がなんかすごく詰まってて不快感があるなと思って言ったんですけど、その施術する人がなんか右利きなら右の方が間違いなく凝ってますからねとかって言ってて、あのもう左も左を最初にやってたんで左もこんなに酷いなら右の方がもっと凝ってるよとかって言ってたんですよ。
まあでもあの私的にはまあ左が辛くてマッサージ屋に行ったんですけど、でそしたら案の定右は別に大したことなくて左の方が凝りが強かったんですよ。
であのなんか例が悪くてすいませんなんだけどマッサージ屋の場合は自分が圧倒的にここやってほしいっていうのがあるので言えるんですけど本当すいません。
あのでもまああの大きく言うとプロで自信満々にそういうことを言う人って、あのまあそこにもちろん自信があるわけだからそれ違いますよって言えないんですよ。
そういうことを言うのが死ぬほど苦手なんですね。
でなんかあのプライドを傷つけてしまったショック、ん?私もプライドを傷つけてしまったし向こうもプライドが傷ついたみたいなショックを勝手に感じちゃうんですよね。
だからあとはあのちょっと違うことで言うとなんかあのプロが例えば右の方が絶対凝ってるからとかって言うならプロが言ってるならそうなのかもって。
プロが言ってることなんだから別にど素人の私が思うようなことは間違ってるんだなって自分で納得させるとかね。
まあそういうことはあるんですよね。
まあなんだろうさすがになんかこう大きいこと例えばマッサージ屋なんかは大したことないですけど自分の結婚式とかねあのプランナーがそう言うから間違いないんだとはまあさすがになんかもう規模感が違うのでそれはもう違和感を感じればきちんと言うようにはしてるんですけど
まあまあなんかこうちっちゃいことなら自分を飲み込んでなんかこうちょっと幸福感を削るみたいなことはあるんですよね。
だからそれって結局あの例えばマッサージ屋で自分に言い訳して言いたいことを言えないで満足いくマッサージが受けられなかったとして
まあ自ら自分が幸せになることを放棄してるなって思ったんですよ。
プライドと意見の主張
だから言いたいこと言って気持ちよかったねマッサージだったねって言えた方がなんかもう満足度がめちゃくちゃ違いませんかめっちゃ高いですよね。
だからあのつまり何が言いたいかって自分軸で生きることって他人に自分の感覚や人生を委ねないことで自分のことを人任せにしないことだし
であのなぜ人任せにしてしまいがちかっていうのは人任せにした方がなんかそれぞれの勝手なアドバイスの場合もあるけど本当にありがたいアドバイスもあるんですけど
まあそういうことに乗っかった方が楽じゃないですか。
寸釈迦さんが自分で考えずに目の前にある回答に飛びつくみたいな馬鹿なお話をスタッフでされてますけど
なんかそういうことなんですよね。
自分が迷った時に考える力も筋肉もないからなんかこうどうしたらいいですかって言ってそれの回答にすごく甘んじて満足させるんですよっていうのがなんかあのすごく思ってですね
筋トレせずに美しくなりたいみたいな感じなんですね。
ただ簡単な道ってないっていうことは肝に銘じておかないとそれこそ本当にキラポイに走ることになってしまうと思うんですけど
だからこう自分の意見をきちんと言うとか自分で自分のことをしっかり考えたものを言って
まあ私の場合はこれまでのツケでそういうことをちゃんとやっていくっていうのはちょっと頑張りが必要なんですよね。
言うぞって思わないと言えないことも多々あるとかなんかふわふわ人の話聞いてたら違う方に流されるとかあるので
だからそれがお互いに納得した上で違う方向性に行くっていうのは全然ありだと思うんですけど流されることとはまた全然違いますよね。
だからマッサージ屋で満足感を得るじゃないですけど自分が幸福であると感じることを諦めないことにつながるのかなっていうふうに思った話をしました。
自分のことは自分でしか責任を持てないですねみたいなことを思ったので喋ってみました。
ということでそれではまた。
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