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2024-04-11 11:18

あ〜、堺雅人(真田丸)が好きすぎる

堺雅人のジェネリックお清め回です

#堺雅人
#真田丸
#三谷幸喜
#服部隆之
#真田幸村
#坂の上の雲
#中村淳彦
#悪魔の傾聴ライティング
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おはようございます、なっちゃのです。
今日はですね、昨日、坂井雅人)とジェネリックの話で、いろいろ毛割れがついてしまったので、坂井雅人)ご本人にお極めしてもらおうと、坂井雅人)関連というか、大河野ドラマの話とか、とにかく好きなものを語るという回にしようと思います。
坂井雅人)はですね、売買士だがめちゃくちゃ流行ったじゃないですか、ハンズアナウンキーですね。
で、あれ見てなくてですね、いまだに見てないんですけど、その後リーガル俳優も見ていなくて、何が大好きだって感じですよね。
で、真田幸村の大河ドラマの、真田丸っていうのが、どんぐらい前、89年前とかですかね、ありまして、あれが本当に大好きで、今思い出してもハーハーしちゃうぐらい好きなんですけど、その主演俳優が坂井雅人さんなんですね。
で、なんかもう、真田丸なのに、真田丸になのか坂井雅人なのか、その辺の境界は曖昧なんですけど、恋してるみたいなね、ちょっと今血圧上がっちゃってる感じなんですけど、
真田丸は、真田幸村の父の真田雅之という人がいて、その真田雅之の代の話から始まるんですね。
で、真田は今あまりにも有名なんですけど、当時というか、正幸の時代っていうのは、今でいう長野とか群馬のあたりの上代、大名から城を守れって言われてるだけの身分なんですよね。
全然大名とかでもないし、全国で流せられてるわけじゃないんです。
で、正幸のさらにお父さん、つまり幸村のおじいちゃんがですね、武田信玄に仕えてたんですね。
で、そういうことで真田を築いていったんですけど、武田信玄に仕えてたんですけど、武田信玄が亡くなってしまって、その後ですね、武田家は二代目、信玄の後で徳川と小田の連合軍に滅ぼされるわけなんですね。
武田に仕えてた真田からしたら、ご主人様がいなくなっちゃったどうしようっていうところから、じゃあ小田信玄についてみようと思ったら本能寺があったりとかして、
幸村だけ上杉家に送ろうとか、今度は豊臣についてみようとか、豊臣についたけど幸村のお兄ちゃんだけ徳川に送って、豊臣が残っても徳川が残っても真田家は残せるようにしようとかね。
目まぐるしい戦国の波にいろいろ翻弄されるんですよね。っていうところから、もうその時点でだいぶ進んじゃったんですけど、幸村が名前を轟かせることになった大阪夏の陣までのお話なんですね。
真田はなぜ人気があるかって、何かと因縁の徳川家とすごく因縁が深いんですよね。そこに人気が隠されているというか、人気があると思っていて、
第1次上田合戦というのは真田の2倍以上の軍勢ですね。人数が徳川軍がいたのに圧勝なんですよ。徳川は1000人単位で犠牲者も出しているのに対して真田は30人前後とかっていうふうに言われるんですよね。
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もうその最初の徳川との戦いは圧勝で、第2次上田合戦というのもあって、これは関ヶ原の裏でやってるわけですね。裏でやっているので、徳川秀忠が関ヶ原に地産したっていうポンコツエピソードがあるんですけど、その地産した理由っていうのが第2次上田合戦に手こずってたからっていうふうにも言われるみたいです。
これも圧倒的に徳川の軍勢の方が多いんですよ。それでもやっぱり徳川は撤退しちゃうんですよねっていうくらい少数勢で真田はお届けしてるんですね。
さらにこれもまた徳川絡みっていうかあれなんですけど、真田の名を轟かせることになった大阪夏の次元では、もうね徳川は江戸幕開いちゃってるわけですよ。その当時はがっつり。
豊臣が憎き徳川に挑むとか、ワンチャン徳川の時代じゃなくて豊臣を奪回するとかっていうよりも、ワンチャンはあったかもしれないですけど、というより豊臣が若干豊臣政権の名残がまだある時代なんですね。
この秀吉の息子の2代目もちゃっかりいるもんなんで、徳川が徹底的に豊臣を潰そうとする戦いなんですよね。
もう世の中は徳川だし圧倒的に徳川が優勢なんだけど、豊臣は秀吉にお世話になった人たちみたいな微妙な勢力が残っていて、真田もその一人なわけなんです。
という中で徳川家康のいる本陣、だから本陣というんで奥の奥の奥ぐらいに構えられていると思うんですけど、その本陣に幸村の舞台が突っ込んでいくっていう逸話があるからもう大人気なんですよね。ロマンがありますよね。
この時顔に傷つくりながら、狙うは徳川家康の首、ただ一つっていう名言とともに一本槍持って馬乗るんですよ。
ここでですね、さらに追い打ちをかけるように、服部隆之という作曲家がいるんですけど、
キムタクのドラマのヒーローとかのテーマとかを作曲している人が真田丸もテーマを作曲してるんですけど、このかっこいいテーマ曲が挿入されるんですよね。
本当にかっこよくてもう涙が出ちゃうんですけど、徳川家康役っていうのは宇治の西洋という俳優さんで、
私はもうダメだ死ぬ死ぬとか、上子と言ってヘッピリ腰でなんとか逃げ切るみたいなシーンがあるんですけど、
この広本一の強者とか言われるシーンになっているわけなんですよね。
真田丸のいいところっていうか好きなところは、戦国ってお互いの正義と正義のぶつかり合いみたいなことじゃないですか、それがちゃんと書かれていて、
坂井雅人が徳川家康に、最後徳川家康に拳銃を向けるんですね。向ける時に、もう戦争の時代は終わったとか、そんなの特にわかってる。
でも愛する人たちのために、俺はお前の首を打たなくちゃいけないんだ、みたいなこと言うんですね。
一貫してそうなんですけど、この真田丸っていうのは、戦国のいろんな人が出てきて激闘の時代を生き抜くわけなんですけど、結局は家族の物語なんですよね。
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私がここでこんなところを言ったってチンプ以外の何者でもないんですけど、満身創痍という体の真田幸村の坂井雅人の白心の演技の中であれを言われると、すごいとにかくグッとくるわけなんですね。
もうちょっとデリンリックのことはどうでもいいですね。血圧も心拍数も上がって頬も上吹きしてきました。
真田丸が好きなのか坂井雅人が好きなのか、両方好きすぎて何でもいいんですけど、私の追っかけ具合っていうのはですね、長野県の上田城が真田のお城だったんですよね。
この上田城にも行ったし、大阪城はもちろんこの豊臣秀吉がいたね。豊臣に真田幸村はついてたわけなんで、大阪城もゆかりがすごく深いんですけど、
大阪城はもちろん幸村が最後の地とされる神社みたいな、ちょっとした神社みたいなのがあってそこにも行ったし、東京博物館でやってた真田の企画展も行ったし、あとサントラも買って、
DVDボックスは何度も見ないのに買うには高すぎたんですねっていうことで買ってないんですけど、それぐらいのハマり具合で、ハマりまくって今思い出しても体が熱くなってしまうという感じなんですよね。
思い出しちゃったんですけど、真田みたいな感じで弱気が勝つみたいなの結構好きなんですよ。応援のしがいがあるじゃないですか。サッカーとかスポーツとかもそうですけど。
その関連で言うと、弱気が勝つって大阪夏の陣は勝ってないでしょ。真田幸村が亡くなって、豊臣の軍勢はもう周知の事実の通り負けてるんですけど、
その関連とか弱気が勝つっていう関連でいくと、日露戦争というか日露戦争を扱った柴梁太郎の坂上の雲も大好きなんですね。江戸が終わって明治の初期ですよね。柴梁太郎の言葉を借りればですね、その当時の時代感っていうのが読みますね。
実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のない国家の連中は、ヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。財政の成り立つはずがない。が、ともかくも近代国家を作り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民の少年のような希望であった。
この物語は、その小さな国がヨーロッパにおける最も古い大国の一つ、ロシアと対決し、どのように振る舞ったかという物語である。
中学生の時、歴史の授業で先生が弱小のうちのサッカー部、中学のなんてことない普通のどこにでもあるサッカー部と日本代表が戦ったっていう比喩をしてたんですね。
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なんかそれをずっと覚えてて、それが勝っちゃうんですよ。日本代表に勝てるわけがないだろうと。ヨーロッパでいろんな、だから久保くんとかもいるんですよ。久保くんとか、あと誰ですか。長友はもういないかな。わからないですけど。
ドア立とかもいて、でもなんてことない地元のサッカー部が勝っちゃうんですよっていうのが日露戦争だって言うんですよね。日露戦争は本当に勝っちゃって、その坂の上の雲っていうのは愛媛松山の出身の海軍の軍人と陸軍の軍人の秋山兄弟っていうのがいるんですけど、
あと俳人、俳句のですね、正岡式の3人の物語なんですね。これもおっかけのようにですね、松山の坂の上の雲ミュージアムに行ったり、この坂の上の雲ミュージアムっていうのは安藤忠夫が設計しているミュージアムなんですね。
大阪にあるしわりお太郎記念館に行ったりですね。これも安藤忠夫が設計しているんですよね。このしわりお太郎記念館っていうのは、しわりお太郎ってもちろんこの日露戦争絡みのことじゃなくて、あらゆる時代のことを書くじゃないですか。坂本龍馬のことも書くし、あといっぱいあると思うけど、いろいろ書くじゃないですか。
その膨大な文献とか歴史の資料っていうのが、一つの空間に、もう本当に高い天井までずらーって並べられた空間があってですね、安藤忠夫曰く、しわりお太郎、この空間はしわりお太郎の頭の中だっていう説明がされるような空間があるんですけど、そんな風にしわりお太郎記念館に行ったりとかですね。
あと、この記念館にはしわりお太郎の書斎も公開されているんですね。
そんな風にいろいろお書きをしているわけなんでございます。
はい、ということで、今日は好きなことを語り尽くしたので、これで終わりにしようと思います。お清めお清め。
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