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おはようございます、なっちゃのです。前回ですね、特愛家康という人見つなりの話をしたんですけど、あのちょっと関ヶ原の話をしたくなりましてですね、
なんか、うわーこれ話したいみたいな、もうこの肝沢みたいな感じで、あのいきなり配信を始めてしまって、歴史の話って、なんて言うんでしょう、
いろんな登場人物がいて、特に関ヶ原ぐらい大掛かりな出来事になると、本当にいろんな人の思惑とか、そういうものが、
動きみたいなものが複雑に絡み合っているので、なかなかシンプルにストーリー立てて話すっていうのが、すごい難しいんですよね。
なので何の前触れもなく、頑張って話しますとか言って、話し始めてしまって、めちゃくちゃ肩に力が入った配信をしてしまいました。
それがですね、全然聞かれないことは想定してたっていうか、好きなこと喋るだけだからいいやと思って、私が配信したいんだ、みたいな感じで配信したらですね、
ちょっと異常情流の方々に聞いていただいちゃって、これは困ったな、みたいな感じで困りました。
なのでちょっと頑張って、今続きを撮っています。
ちょっと前回のおさらいから、勝手にさせてもらうと、
豊臣秀吉が、この織田信長が死んだ後に出てきましたねと。
この豊臣秀吉っていうのは、一回天下を治めたんだけれども、朝鮮まで治めなければこの日本の安泰はないということで、朝鮮にまで兵を送る。勝手にですよ。勝手に送るっていうことになるんですけど。
まあこれがね、なかなかうまくいかなくて、李氏朝鮮とかって教科書とかで出てくると思うんですけど、この李氏朝鮮がなかなか結構手強い相手だったんですよね。
それを見くびっていたんです。
で、秀吉はそこがうまくいかない合間に、第一次出兵、第二次出兵っていう朝鮮出兵がある中で、この二次出兵中に体に相当ガタガタが来た状態で亡くなりますということで、そこでですね、秀吉はこの天下大変のためにいろんな約束を諸大名につけてたんですね。
勝手に結婚しちゃいけないとかなんだとかなんだとかっていうふうに、結婚するときは秀吉に許可を得よっていうような約束っていうかルールを作ってたんですけれども、それを破り始めたのが徳川家康で、ちょっと徳川家康お前大丈夫かみたいな感じでザワザワしてきましたというところが前回のところでした。
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でですね、この秀吉亡き後の豊臣政権ですね。一応豊臣政権なんですよ。豊臣の秀吉の60世紀ぐらいに生まれた秀織っていう、豊臣秀織がまだすごい幼子としているので、その秀織をお守りしますぞっていうことの御大老御武行っていう人たちがいるわけですね。
で、この御大老御武行の筆頭が徳川家康だったり、しらみつたりだったりっていう人たちがいるわけなんです。で、その筆頭である徳川家康が勝手なことをし始めたと。これは許せんということで、あの一番最初にそれを起こり出したのは前田利家なんですね。前田利家といえば、この加賀百万国で有名なあの前田利家ですけれども、この時まあかなり恒例なんですね。
ただ、徳川家康がナンバーワンなんですけど、それに続くナンバー2の恒例でもありますし、一目置かれる存在ではあるんですよね、家康とともに。だからお前家康勝手なことしやがってみたいなことで、あのまあちょっとこの家康と前田利家っていうのは若干対立関係になってくるんです。
で、武力衝突まで仕掛けるんですけど、あの結果ことなきを得るんですが、まあその時にあの家康様をお守りするぞとか、前田利家をお守りするぞみたいな感じで、あのワーッと各部省がそこに集まったと、その武力衝突になりそうになった時に、えーと、集まったと言われます。
これは結構ですね、なんて言うんでしょう、関ヶ原の前ぶれみたいな感じですかね。で、そんな時に恒例だった前田利家亡くなってしまいます。はい、で、えーと、この前田利家っていうのは家康にとっての最後のストッパーだったので、もう家康のやりたい放題の道がちょっと見えてきました。
やりたい放題っていうのは具体的にどういうことかって、その戦略結婚を勝手にしてはいけないっていうところをですね、あの仙台の伊達正宗と勝手にあの結婚をさせたりとかですね、そういうことを勝手にしますんですね。で、そういうことがあのいくつもいくつもあったと言われています。で、一旦この徳川家康の動きは置いておきます。一旦置いておきます。
石田光成の話をしますと、石田光成はですね、あのこの朝鮮出片の時に、なんて言うんでしょう、あの日本に残っていろんなこう作戦を立ったりとか、あのこの戦の栽培をしたりとかっていうことをやっていました。で、これは分地派って言われるんですけど、あの文書の文にあの山髄の題を収めるっていううちですね、この分地派と呼ばれるあの派閥でですね、一方この朝鮮出片の現地に行って、現地に行って戦ってた人なんですね。
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これはあの名古屋城に像があったりとか、あとあの熊本の方で有名な加藤清政とか福島雅典、この2人はですね、豊臣秀吉の親戚にあたるわけなんですね。で、この親戚にあたるこの2人がこの現地であの戦っていたと。これはあの武士の部に、あの断ズリン、武断派って言われてたんです。
このえっと机に向かっている系の分地派と現地であの頑張っている系の武断派で対立構造になってしまうわけなんですね。というのはまあなんか絶対こんなの普通によくあるなと思うんですけど、なんかこうやっぱり朝鮮で戦っていることの報告がうまくあの中枢の方に行かずに、あのなんて言うんですか。
この変に報告をされて、あの物語が進んで行ってしまうみたいなことでですね、あのそこの対立がどんどん深まってしまうんですね。この朝鮮出兵っていうのは。
それでも石田三成っていうのは、あのまあなんて言うんでしょう。優秀なんですけれども、非常に不器用で強情なところがある人なんで、多分なかなか折り合いがつかずに、あの結局この加藤清政とかこの福島雅典、この武断派の人たちから石田三成襲撃事件とかって言うんですけど。
あの石田三成の首を跳ねるっていうところまで行ったくらい、まあそこもそこでかなり不穏な感じになっているんですね。
でまぁ結局石田三成の首はその場では取られずに、あの石田三成は引きこもって、じゃあ私はあの元の領地の沢山っていう、あの滋賀のほとりに沢山っていう場所、場所というかお城があるんですけど、そこに帰りますわということで、石成が、三成が帰りました。
はい、この時点でどうでしょう。前田利家が大老としていなくなり、石田三成もいなくなってしまいましたということで、四武行、四大老っていう風にどんどん人が減っていきます。この後も減っていくんですけど、ここで都合がいいのは、徳川家康なんですね。
どんどんどんどん自分の影響力を身につけやすくなってきました。この目が光らせる人たちがいなくなってきました。さらにさらにまだまだ黙ってない人たちがいます。この後大老の一人である植杉陰勝っていう人がいるんですけど、この植杉陰勝っていうのは、あの植杉謙信、かの有名な植杉謙信の実の子ではないと言われてるんですが、
植杉として大老にいるわけなんですね。この植杉陰勝がこの徳川家康の勝手を許さんという感じで、またこれ対立していくわけなんですね。ここであの皆さんあの大河ドラマの天地陣っていう知ってますでしょうか。
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あの妻吹里氏がですね演じていた、あのこれは私は実はこれ見てないんですけど、この主人公の妻吹里氏が演じてた人を直江金次というんですね。でこの直江金次っていうのは植杉陰勝の側近みたいな人なんですけれども、非常に優秀な人だったと言われるんですが、この人がですね、あの
やれ家康のこういうこういうところがばせられるべきだ、こういうことをしていてはいけないとかなんだとかなんだとかってものすごい量の、まあいわゆる家康の財政を突きつけるみたいなことをすごいツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラツラあの憎ったらしく書いたものが直江城って言われて、
それで直江金次が知られているくらい有名な手紙があるんですけど、それを徳川家康につけるんですね。そこが、そこでこの徳川家康としては植杉、筋肉マンみたいな感じで植杉はですね、当時あの福島とか新潟とかあの辺を治めていたもんで、
あの徳川家康はあのこの植杉生発に乗り入れるんですね。だからあの静岡とか江戸とかを領地にしている家康からしたら北条しなくちゃいけないんです。でこのあの植杉けしからんつって北条をするときに、
おやおや大阪でも何やら不穏な動きがあるらしいぞと言ってそこの中心人物にいたのは石田三成でございますということなんですね。はいここでまたあのなんか全然計画性がないんですけど一本でしゃべるつもりが3本ぐらいになりそうですね。
はいであの石田三成が大阪で決起したっていうことであの徳川家康はあのこの大阪の方を対応するために結局植杉生発はせずに大阪の方に向かってきます。
であのこの関原っていう場所はですね中専道だとかなんとか街道とかが入り組むジャンクションみたいになっている場所でそこであの大阪側だと北からまたさらに南に向かってきた家康が勝ちあったこの場所が関原ですということになります。
でですねなんか石田三成がまたパッと出てきたなって感じなんですけどこれ石田三成があの徳川家康と敵対して現れたっていうことの背景ってなんかちゃんと説明されてないんですよね。
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まあでもあのわかりやすく考えればずっとずっと幼少の頃から豊臣秀吉に仕えて豊臣政権を守ってきた人なんでやっぱりこの徳川家康の勝手やっぱり自分がもう天下を取ってしまおうみたいな勝手な雰囲気は許さんっていう
あくまで我々は豊臣秀吉様をお守りするためにいるものであって自分の私服を肥やすためにいるんじゃないっていうことだと思うんですけどねということでいよいよ天下分け目の戦いが始まります。
ということで今日はまたこの辺であの始まってからはまた次にお話ししようと思いますそれではまた