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こんばんは、漫画家のなおくんです。ということで、夕食を作りながら雑談をしていきたいと思います。
いやー、今日ね寒かったですよねー。すごい、もう12月だなっていう感じで。
ほんとね、体調を気をつけていきましょう。ということで、
まあなんか話したいことね、たくさんあるんですけど、なかなかこうラジオトークで話すのを1日1回限られているので、限られてるわけじゃないんですけど、
なかなか時間を作れないので、せっかくなんで夕食を作っている間に話そうかなと思います。
で、今日はね、まあいろいろ話したいことあるんですけども、雑談チックにね、あんまりテーマを決めずに話したいんですが、
スーパーマリオクラブっていう番組についてね、今日は話そうかなと思います。
スーパーマリオクラブってね、知ってますか?
もうね、1990年代の番組なんで30年ぐらい前の番組だと思うんですけれども、
あのー、テレビ東京でやっていた、あのー、ゲーム系の情報番組みたいな感じなんですけども、情報バラエティ番組って感じですかね。
で、僕ね、その番組をよく見てたんですよ。
で、どうしてこの話を今しているのかっていうとですね、そのスーパーマリオクラブっていう番組の司会をしていたのが、俳優の渡辺徹さんだったんですよ。
昨日ね、渡辺徹さんがお亡くなりになったというニュースが流れてきてね、すごくびっくりしたんですけど、
まだ61歳ということでね、ほんとまだ若かったんだなと思って、ほんとご冥福をお祈りしますっていう感じなんですが。
そう、で、渡辺徹さんといえば、僕はね、個人的にスーパーマリオクラブの人っていう感じなんですよね。
あのー、ツイッターでね、検索したら同じようにね、僕と同じぐらいの世代の人で、スーパーマリオクラブの人という印象で渡辺徹さんのことを覚えてるっていう人も多くてですね、
なんか僕と同じなんだなっていう、そういう人もね、やっぱりいるみたいで。
だからこのぐらいの僕の世代で、その当時ゲームにハマってた子供っていうのは、結構ね、スーパーマリオクラブを見てた人もね、多かったんじゃないかなと思います。
テレビ東京なので、もしかしたら関東ローカルとかそういう番組だったのかわかんないですけど、全国的にやってたのかどうかちょっとわからないですが、僕は少なくとも見てたんでね、あの話になるけど。
まあね、1990年から93年、スーパーファミコンが出たぐらいの年に始まって、そこから10年近く続いたのかな。
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なんですけど、僕はね、初めの90年から93年ぐらいまで結構見てた記憶がありますね。
その時はね、パートナーの女性で加藤則子さんっていうね、アイドル女優の方がやってたと思います。
もうほんと毎週のように見てましたね。楽しみにして。
もうほんと当時マリオにすごいハマって、あのスーパーファミコンでスーパーマリオワールドっていうね、ゲームにものすごいハマってて、
で、スーパーマリオくんっていうね、コロコロコミックの漫画も連載してて、で、スーパーマリオクラブっていうね、両方バラエティ番組がやってて、もうなんか、
当時はね、マリオ一色、マリオ一色ってことではないですけど、結構ね、あのマリオ付けな日々を送ってたなって今思いますけどね。
で、スーパーマリオクラブはね、夕方の6時半ぐらいとかになってたんですかね、週に1回。
で、渡辺徹さんが司会で、で、子供たち、視聴者参加型のなんかクイズ番組みたいな感じで、昔そういうのよくありましたよね。
普通の一般人の視聴者が参加するクイズ番組で、なんかこう、で勝つとなんかゲームソフトがもらえるとか、そんなような感じのやつだったかな。
あとは勝ち抜きゲームバトルじゃないけど、なんかこうゲームでこう対戦するみたいな、そういうノリの番組的かね。
でね、渡辺徹さんが当時今思えば、だから今61歳で亡くなられたっていうことは、その僕が見てた当時はまだ30代前半だったんですね。
もうその当時の渡辺徹さんの年齢を超えてるって思うと、なんかちょっと複雑な気持ちになりますけど。
なんかそう、僕にとってはなんか学校の先生っていう感じのイメージですよね。その当時の僕が10歳、11歳、12歳ぐらいの当時の渡辺徹さんが30歳、31歳、32歳ぐらいなんで、なんかあの
そういう、学校の先生みたいな立ち位置ぐらいな感じの年齢差というかね、そういう感じで毎週見てましたね。
すごく子供たちに対するね、いじりというか、そういう対応がすごく優しいっていうかね、本当に学校の先生みたいな感じの印象でしたね。
当時ね、ほんとゲーム番組とかもうなかなかなかったんですよ。 今みたいにインターネットとかYouTubeとかでね、気軽にこう情報検索できる時代でもないんで。
ゲームの情報を得るためにはテレビとかね、雑誌ぐらいしか情報源がないから、ネット検索、インターネットそのものがないですからね、YouTubeどころか、ネット自体がない時代ですから、
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そうやってね、情報を得るっていうかね、もう雑誌かテレビかっていう中で、テレビもね、そういうゲームを扱うテレビ番組なんてもうまだ全然なかったですし、まだっていうかまぁ今もないですけど、全然なかったしね、もっとゲームってね、今以上にアンダーグラウンドというかオタクがやるものみたいな、そういう扱いを受けてた時代だったと思うんでね。
すごく貴重な番組だったんですかね。
っていうね、まぁ
ほんと、当時の
10代前半の僕の非常にこう大切な思い出の一つなんですよね、スーパーマリオクラブっていう番組が。
YouTubeに違法アップロードみたいなそういうのがたまに上がっていることがあって、この間っていうか、見たことあるんですけれどもね、やっぱね、
結構その覚えてますよね。見れば、あーなんかやってたなぁみたいな感じで、ドクターマリオとかね、あのドクターマリオを対戦するとかそういうコーナーとかあったりとかね、
当時ヨッシーのクッキーとかヨッシーの卵とかそういうなんか任天堂が出しているパズルアクションゲームみたいなのがあって、それを対戦で勝ち抜きをする、で一般の視聴者の子供たちが出てみたいな感じで
っていうのもやってましたね。なんかそういうのもちょっと出てみたいなって、まあ思わなかったか、思ってはないんですけどね。
でも本当自分と同じぐらいの年の子供たちがね、テレビに出てね、ゲームを対戦してるっていうのはすごくね、面白かったですよね。
まあ今思えばそれがね、もう今、eスポーツといってね、こう、なってる時代というふうに思うとすごくね、感慨深いですよね。
当時はそんなゲームなんてね、やったって、ゲームが上手くたって何の価値もないっていう時代でしたけど、今はそうやってね、対戦、ゲームを対戦してそれがお金になっちゃう可能性があるっていうのはね、すごく面白いですよね。
って考えると本当ね、もう30年の時が経ったんだなぁなんて思ったりしましたね。
ということで、スーパーマリオクラブというね、番組の思い出話をしつつ今ウインナーを切っております。
今日はね、ウインナーとですね、もやしを炒めたものを作ろうかなと思ってます。
ウインナーに切れ目を入れて、焼いていきますけども。
えーっと、で、えっと、お炊物を作ろう。
一旦ちょっとね、あの、今ご飯を炊いてるので、土鍋でご飯を炊いてるので、ちょっとね、コンロが埋まっちゃってるので、
空いてるほうのコンロで、一旦ちょっとお炊物を作っておきます。
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いやいやいや、よし。
まあね、スーパーマリオクラブとね、あとね、当時やってたゲーム番組、ゲーム系の情報番組って言ったらね、あの、ザ・ゲームパワーっていうね、あの番組があって、
落語家の江戸屋子猫さん。 確かのうちに江戸屋猫八才になったのかな。
で、その方がやってた、えー、司会、司会をされてたですね、ゲーム系の情報番組があってですね、
それも結構好きでね、よく見てましたね。それは確か朝の時間にやってたのかな。 記憶が曖昧ですけど、なんかね、当時ありましたよね、なんか、日曜の朝とかに、日曜の朝早い時間に子供向けの番組でやってるっていうのがありましたよね。
なんかアニメがやってたりとか、その仮面ライダー的なやつとか、そういうのがなんか朝に、日曜とか同様の朝、日曜か日曜の朝とかにやってるみたいな、そういうノリで、確かね、日曜の朝に、
えー、ゲーム系の情報番組で、ザ・ゲームパワーっていうのがあって、それはね、なんかね、ゲームの開発者が、
その番組に出てきて、新作ゲームを紹介するっていう番組でしたね。それも結構好きで、よく見てました。
はい、ということで、今日はですね、スーパーマリオクラブの思い出話をしましたけれども、
いざ話を見ると、そんなになんか具体的なエピソードが出てこなかったんですけど、こうやって今1回話したので、話したことによって、
多分ね、僕の脳内で、あの、また検索を始めるので、もしかしたら、何日かしたら、あ、こういうことがあったわっていうことがね、こう出てくるかもしれないですね。
なのでね、やっぱこう、雑談ってすごい大事で、なんかこういうこと話そうかなって思って、とりあえず話してみる。
で、その時にネタが出てこなくても、なんかそれはそれでいいんですよね。とりあえず1回話してみることによって、脳内でこう、Google検索が始まるんですよね。
脳内の、そのGoogle検索に、こう、かかるので、それが何日かしたらまたふっと、こう、出てくるかもしれないので、とりあえず今日はこんなところで、またなんか面白いネタが出てきたら話してみようかななんて思ったりしております。
はい、ということで、今回は以上になります。 じゃあ一旦、
聞きます。