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はい、お疲れ様です。なおくんです。ということで、今回のテーマは、ジェスドロをやってみて感じた楽しいという感覚を分解してみる。
はい、このようなテーマで話していきたいと思います。よろしくお願いします。
はい、ということで、タイトルの通りなんですけれども、このタイトルだけ聞いても、「は?」っていう感じですよね。
なので、ちょっと順を追って説明していきたいと思うんですけれども、
ジェスチャードローイングという絵の描き方をやってですね、ここ3、4日くらいですかね、収録投稿にもあげたりしておりますけれども、
このジェスチャードローイングというものをやってみて、なんかめちゃくちゃ楽しいなというふうに思ったんですよ。
この楽しいという感覚は一体どういうことなんだろうということを、ちょっと自分の感覚をね、
分解して言語化してみたいなというふうに思うんですね。
これをすることによって、この物事が最初楽しいんだけど、だんだんつまらなくなっていく現象というものを、ちょっと改善していきたいと思うんですよ。
例えばね、僕このラジオ投稿の収録投稿をね、もう2千何百本あげてるんですけども、最初は楽しいなというふうに思ってやってたんだけど、
だんだんなんかしんどくなってくるんですよね。なんかこう、自分の中で勝手にルールみたいなものができてきて、
なんかちゃんと話さなきゃとか、そういうふうに思うとね、途端に苦しくなるんですよ。
で、そのために自分の中でそういう、なんか変な枠みたいなものを取っ払って、
なんか楽しく話そうというふうに思ってきて、そういうことを繰り返してやってるんですけども、この最初楽しいと思ってるんだけど、だんだんつまらなくなってくる現象っていうものが、
なんかちょっと分かってきた気がするので、それはね、ちょっと話してみたいなというふうに思います。
で、このジェスチャードローイングっていうのはですね、1分ぐらいでですね、60秒ぐらいでですね、1人の人体のモデルをですね、
パッパッパッと早書きしていくという、サッと書いていくという、いわゆるクロッキーみたいな感じのスケッチなんですけどもね、
これが何で楽しいのかっていうことを解析することによって、人生における楽しさって何なのか、
物事を楽しむためのコツみたいなものが分かってくると思うんです。
で、最初に結論から言うとですね、このジェスチャードローイングで感じた楽しさっていうのはですね、一言で言うと非常にね、右脳的な感じなんですよ。
あの、なんか右脳が解放された感じの楽しさみたいなものがあるんですね。
で、この右脳的な楽しさっていうのは何かっていうとね、
あんまりごちゃごちゃと考えずに直感でパッと動ける感じなんですよ。
これがなんかね、僕にとっての楽しいっていう感覚にすごい近い感じがしますね。
どうしても人間ってこう左脳的に、普通に現代社会を生きていると左脳が優位になってしまうというのはよく聞く話だと思うんですけれども、
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この左脳が優位になってしまうっていうのは、なんかね、うじゅうじ考えたりとかして、なかなか行動ができなくなるっていう感じに近いんですよね。
パッパとやればいいじゃんっていうことでも、いやでも、いやだけどみたいな感じで、こういろんななんか悪い方向に考えてしまって、なかなか腰が重くて動けないみたいな、そういうことあるじゃないですか。
だけどその右脳が解放されると、もうそういうなんか思考とかを介せずに、介さずにパッパッパッと動けるんですよ。
で、それを強制的にやるのがジェスチャードローイングだと僕は思ってまして、ジェスチャードローイングっていうのはもう60秒で人体をざっくりと描くっていう、そういう感じなので、余計なこと考えてらんないんですよ。
考えてる暇がない。考える前に手を動かせっていうことが強制的にこうできるんですよね。
で、これはなんかね、そのドローイングっていうか、絵を描くということのみなら人生においてすごく大事なことなんじゃないかなって思うんですよ。
もう考える前にとにかく手を動かせるという、そんな感じなんですね。
で、それがなんかすごく動的というか直感的に描ける、直感的に動ける感じ。
これがね、なんかね、人間の感じる楽しいっていう感覚にすごい近いのかなって思いました。
なので、このなんか極めて短い時間に強制的に何かをやると、余計なこと考えずに済むからすごくね、なんかこう、体が軽く感じるんですよね。
で、これはね、なんかこの1分以内に何かをするっていうのは、ゼロ秒思考っていうね、その思考メソッド、ノート術が何年か前に流行ったんですよ。
自己啓発書とかビジネス書が好きな人はね、ご存知かもしれないですけれども、ゼロ秒思考っていうね、思考メソッド、思考ノート術みたいなものが流行って、
オリラジの中田さんがYouTube大学でもね、取り上げてましたけど、結構昔に出た本だったと思うんですけども、
割とロングセラーでね、書店さんにも長いこと置かれてたりするんですけども、ゼロ秒思考っていうのも同じような感じで、ジェスチャードローイングの思考版みたいな感じで、
ゼロ秒思考っていうのは何かっていうと、A4サイズの紙に思ったこと、自分の考えていることをテーマを最初に1行書いて、
その後にそのテーマに関することを箇条書きでパンパンパンと書いていくっていう、そういうやつなんですよ。
で、それを1テーマ1分でA4用紙の紙1枚に1分以内に自分が思っていることをバーッと書いていくっていう、そういう思考法なんですね。
それを1日10枚やれって言うんですよ。
つまり、10分かけて1テーマ1分でA4用紙1枚、それを10x10セットやると、わずか10分なんですけども、10分の間にA4用紙10枚分の思考ができるっていうことでね、
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これもなんかね、すごいジェスチャードローイングにすごい近い感じだなって思うんですね。
で、こうすることによって、考えていることを瞬時にアウトプットする筋力が鍛えられるんですよね。
僕も一時期ね、ゼロ秒思考をね、結構集中的にやってた時期があるんですよ。
これはなんかね、すごい楽しかったですね。
今はもう続けてないですけど、あの感覚はね、めちゃめちゃジェスチャードローイングに似てるなって思いました。
ジェスチャードローイングっていうのはその人体のポーズは、絵を描くことに関して余計な思考を働かせずにバーッと絵を描くってことなんですけども、
それを言語の単位でやるのが、ゼロ秒思考なんですよね。
自分が思っていることを、もうとにかく余計なことを考えずに、1分でバーッととにかく描き出す。
だからその間に、こんなこと描いたらまずいかなとか、こんなこと描いても意味わかんないんじゃないかなっていう、
そういう余計な思考を働かせてたら、1分以内に何も描けなくなっちゃうんですよ。
だからとりあえずバーッと1分で描くんですよね。
その感覚が、ゼロ秒思考とジェスチャードローイングの共通点ですよね。
1分以内に何かとりあえず描けっていう風に制限されると、人間の作能的な思考が外れるのかなっていう風に思いましたね。
だからこのラジオトークの収録トークもある意味で言うと、割と作能を働かせずに右脳で喋るようにすると心地がいいのかもしれないですね。
あんまり余計なことをごちゃごちゃ考えずに、今思っていることを瞬時に話すっていう風にすると楽になるんですね。
だけど、これを言っていると段々と作能的な思考が働いて、ちょっと良いことを言わないととか、論理的に破綻しないように喋らないととか、そういうことを考えだすと途端につまらなくなるんですよね。
作能が働くと、物事を真面目に考えすぎちゃうっていう傾向があるのかもしれないですね。
楽しさよりも正しさを求めてしまうみたいな、そういうところがありますよね。
作能っていうのはすごく真面目で正しさを求める大人の感じなんですよね。
右脳が子供の、子供のような柔軟性を発揮してみたいな。
こういう風に言うと、右脳が良くて作能がダメみたいに聞こえてしまうんですけど、決してそんなことはなくて、作能は作能ですごく大事な役割があるんですよね。
全部を自由にしてしまったら、社会生活的にうまくいかなかったりしますし、意味不明みたいになっちゃうので、意味不明な自分の思考をロジカルに伝えるために補助するのが作能なんですよね。
だから、本来そういうふうにお互いを助け合うみたいな、そういうところがあるんだけど、それをどっちかだけが優位になってしまうと、やっぱり生きづらくなっちゃうんですよね。
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なんだけど、現代社会においてどうしても作能が優先的になってしまうので、そういった意味で右脳をもっと開放することによって、50-50というか、もっと右脳の活躍する場を設けることによって、すごくクリエイティビティが発揮しやすくなるみたいな、そんなニュアンスなんですよね。
このジェッチャードローイングをやった時に思い出した感覚っていうのがもう一つあって、ゼロ秒試行の時の感覚に似てるなっていうふうに思ったこと以外にもう一つあって、それは何かっていうと、
あのね、去年だったと思うんですけど、僕ね、絵を描くことがしんどくなってしまって、もう一回も自由に絵を描きたいってなんかふと思って、クレヨンで、子供が使うようなクレヨンで、本当に落書き調に自由に、もう本当に丸三角四角みたいな図形を適当に描いてた時期があったんですよね。
で、それがね、なんかすごい楽しかったんですよ。なんかいろんなルールとか、そういうなんか上手に描かなきゃとか、そういう思い込みから解放されて、もう本当に自由に描いて、その時になんか絵を描く楽しさをね、久しぶりに思い出したんですよね。
で、それも多分ね、そのなんていうか、作能的な思考を外して、右脳的な直感で何かを描くっていう、そういうモードになれたので、なんかそれがね、すごい楽しかったですね。
それもなんかジェスチャードロイングを描いてる時の感覚にすごい近いですね。なんか正解とかそういう正しさを求めずに、自分の直感で思いのままに描いてるこの瞬間、めっちゃ楽しいなみたいな。なんかそういう時間を人生の中で増やしていくと、なんか人生の楽しさみたいなものが増えていくような気がしましたね。
で、多分ね、ジェスチャードロイングをね、今は楽しいんですけど、続けていくとね、だんだん上手く描けるようになってきちゃうと思うんですね。そうすると上手く描くためにはどうすればいいんだっていう、そういうなんかルールみたいなものが自分にできてしまって、だんだんね、多分ね、つまんなくなってくるような気がしますね。
そしたら多分やめちゃうと思うんですけど、なんかそういうことの繰り返しなのかなって思いますね。やめてもいいけど、なんかこう常に楽しいことを見つけるっていうのはそういうことなのかもしれないわけですね。あんまりルールに縛られずに楽しくやるっていうね。
それだけだとやっぱり本当にただただ描き方やってるだけになってしまうので、そこをうまく作能的な思考とどう折り合いをつけるかっていうところがまた一つ課題なんですけどね。なんかそんなふうに思いましたね。ちょっと全然まとまりのない話かもしれないですけれども、これも右脳的にしゃべったのでね、そんな感じでご容赦ください。ということで、ジェストの楽しさを言語化してみました。