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こんにちは、横浜で15年以上犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
本日は8月14日、月曜日になりますね。
お盆も明けて、まだお休みの方もいらっしゃるのかな?
私はですね、3連休は南坊主祖で過ごして、昨日の夜に横浜に帰ってきました。
昨日もそうだったんですけれども、今日もこちら横浜はですね
非常に不安定な空模様で、時折目の前が霞むほどの強い雨が降ったり
かと思うと、雨が止んでパーッと青空が広がって、もう本当に蒸し暑くなったり、というね
これで熱帯地方の、熱帯の国のスコール降ってるのかな?というぐらいの感じの
おそらく台風の影響だと思うんですけれども、そういったお天気の一日でした。
そしてですね、今日は子どもたち2人とも自宅におりますので、
今日午後からね、少しお出かけをしました。
私と私の子どもたち、そして桐の妹と美子ちゃんというメンバーでお出かけをしたんですね。
空模様が不安定だったので、お買い物と、そしてそのお買い物の後、
美琴さんのお墓参りに行ってきました。お盆ということもありますしね。
美琴さんはね、5月10日に亡くなった我が家の愛犬でしたけれども、
8月3ヶ月ね、経ちまして、お盆、2盆をね、迎えることになりました。
濃骨をしたのは先月だったんですけれども、子どもたちは濃骨の現場、お墓をまだ見ていなかったので、
あ、これはいい機会だなということもあって、美琴ちゃんのお墓参りに行こうと言って、お墓参りに行ってきました。
もちろんね、人間の霊園とは違って、お盆だから非常に混んでいるということは全然なくて、スムーズにね、
そのペットの葬儀屋さんの敷地内にある墓地というか、本当にちょっとしたスペースにある墓地なんですけれども、
そこに手合わせに行くことになりました。
娘や息子もね、幼いながらに美琴がいなくなってしまったということはしっかりとわかっているようでして、
特にね、長男はもう小学4年生なのでね、そして美琴との思い出もたくさんありますから、
檻に触れて美琴の話を突然し始めたりとかね、
あとはお出かけをした時に、小さい白い耳が垂れているワンちゃんを見ると、
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なんかあの子って美琴みたいじゃない?というふうにね、私に話しかけたり。
そんな長男、そして娘、こと今月末に5歳になる娘ですね。
彼女も幼いながらも美琴は死んじゃったんだっていうことを時々言うんですよね、ぽつりと。
美琴死んじゃったねーとか、美琴可愛かったねーとか、美琴お利口さんだったよねーとかね、そんな感じでぽつりぽつりと話をしてくれます。
ですが、子どもたちというのはですね、私はいつも思うんですけれども、
常に未来、明日のこと、未来のことしか見ないで生きてるんですね。
今と明日ぐらいのスパンしか見ないで生きてるわけです。
だから、もちろん生きてきた時間が短いっていうのもあるんですけれども、
過去を振り返ったり、後悔をしながら生きているっていうことはないんですよね。
まあうちの子どもたちに限ったことかもしれないですけれども。
なので、非常に悲しいお別れがあったとしても、普段はそこまで多分思い出さないで、
もちろん時々ふっと思い出して、ああもう美琴はいないんだっていうふうに思うんでしょうけど、
そこはね、大人と過去を振り返る、過ぎていった時間や出来事を振り返るっていう瞬間が、
大人よりも拡大に子どもたちって少ないんだと思います。
だから楽しいことがあったり、ワクワクする明日、何かイベントがあったりとかね、すると、
悲しかった思い出っていうのはね、全然頭に昇ってこないわけですよね。
それが良いとか悪いとかではなくて、子どもというのはそうやって未来を見つめて、未来に生きていく生き物だなというふうに私は近くで観察しているんですけれども、
大人になって、それこそ老人になっていくとですね、うちの母親とかもそうなんですけれども、
やっぱりどちらかというと、未来のことを考えるよりも過去のことを振り返る時間がやはり多くなるような気がしています。
けれども、美琴さんのお墓に一緒に行くことで、みんながそういった毎日未来を、今と未来だけ見ている子どもたちと、
今私は半々ですよね、おそらく未来と過去と両方を見ながら生きている、
そういった私と、そういった家族でも、見ているものっていうのは日々違うと思うんですけれども、
そういった家族が一つの場所に集うことで、同じ時間に同じ思いを共有することができる。
同じ思いというか、同じ美琴の創出ということに関しての時間を共有できる。
お墓参りってそういう意味があるんだなということに、なんだか私はふと気づかされました。
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おじいちゃんおばあちゃんのお墓参りにはよく行くし、子どもたちも連れて行ったことはあるんですけれども、
おじいちゃんおばあちゃんとかって、やっぱり子どもたちにとっては、うちは近くに住んでいたりはしたんですけれどもね、
交流もあったんですけれども、どこかしらちょっと遠い存在だったりとか、
やっぱり一緒に過ごした時間が長かった美琴さんというのは、創出の体験ということに関してはきっとおじいちゃんおばあちゃんよりも非常に大きいんですよね。
私の両親や、私の旦那さんのお父さんはまだ健在ですので、孫から見たおじいちゃんおばあちゃんはまだ健在ですしね。
私のおじいちゃんおばあちゃんは子どもたちにとっては見たことのない方の方が多いですから、お墓参りに行って手を合わせてもなんだかなっていう感じだと思うんですよね。
なんですけど、美琴さんのお墓というのは、やっぱり共に家族として一時を過ごしたメンバーがここに埋まっているんだ、その骨が埋まっているんだ。
そして美琴さんに関しては納骨はしてないですけれども、お葬式に行って一緒に骨を拾ったという体験もありますので、子どもたちにとってはね、すごく親しみがあるお墓というのは変ですけれども、
正体がわかるというかね、そこに美琴さんの骨があるんだということがしっかりとわかった上で、そういった時間を家族で共有できたというのは、
何か今までとは、今までのお墓参りとはちょっと違うような感じがしました。ちょっとうまく説明ができなくて、言葉にできなくてすみません。
けれども、そのお墓に行って、美琴さんの墓石を、子どもたちは初めて見たんですよね。初めて見て、墓石に美琴の写真が刻まれているんですけど、
すごく綺麗に彫ってもらったねとか、お花を備えて、お水をお墓の墓石にかけて、お線香を火をつけて、手を合わせる。
ここまでの行為というのはね、今までのお墓参りよりもすごく真剣にやっていたような気がします。
そして美琴さんのお墓の隣には仙台県のルーちゃんのお墓もあるんですけれども、子どもたちもね、ルーちゃんにもしっかりと手を合わせてくれて、すごく私はなんとなく嬉しい気分になりました。
そして私自身もね、美琴に挨拶をして、もちろんね、美琴さんには毎日のように写真に向かって挨拶をしているんですけれども、
美琴さんのお骨ですね、お骨に向かって挨拶をして、いつでも遊びにおいでというふうに伝えました。
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そして私たちは元気に毎日暮らしているよということをね、伝えていました。
ということで、今日はね、お墓参り、美琴さんのお墓参りをしたよというお話をしました。
なんとなくお墓参りって、失った人、うちの場合は犬でしたけれども、失った大切な存在への思いを、
普段はバラバラにね、違う場所、違う空間で違う思い出を思い出している家族がお墓というところに行った時には、
共通の認識としてね、共通の思い出として、その亡くなった存在への思いをみんなが同じ空間で共有できる。
そういった意味もあるんだなっていうのをね、改めて思って、お墓参りね、時々は子どもたちも一緒にしていこうと思っています。
はい、それではね、本日も最後まで聞いていただきありがとうございました。
明日はね、台風が来るとか来ないとかっていう感じなんですけれども、台風の進路、暴風域などに入っていらっしゃる皆さんは、本当にね、お気をつけてご安全にお過ごしください。