2022-08-29 27:50

誕生日おめでとう🎊㊗️あなたの生まれる前後の思い出話。⚠️長尺です

母は強いなぁ。。。って思い出話です💭💓
またまた長尺💦2倍速でどうぞ‼️

そして何年経ってもきっと
出産時の事は忘れないんだろうなぁ〜。

産まれてくる命は
何をどうしても産まれてくる。

産まれてくる生命
命を産み落とす母たちの物語は
一つ一つが奇跡
一つ一つがドラマ
どれ1つとして同じ物はなく
どれ1つとして簡単なものは無いでしょう☺️

あなたがここに生まれてきてくれて
笑顔で照らしてくれること
それは奇跡の連続だと
お誕生日毎に胸にきざみます😉

サムネはお誕生日プレゼント🎁の
プリキュアメイクセット💄👄✨とヘアブラシ✨
あとは自転車と、ポケモンぬいぐるみ
電動歯ブラシと…

まさに女王様のように
貢物に満足そうな娘っ子👧

これからも、明るく光り輝く人生を🥰

🍀巫女ねぇさんの配信はこちら

https://stand.fm/episodes/63005b1494f333d9f126db6a

#子育て
#お誕生日おめでとう
#誕生日
#出産
#帝王切開
#思い出話
#巫女ねぇさん







---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レターができます。
犬のトレーニングの実践🐕話、犬業界の裏話、アニマルコミュニケーション等は、《メンバーシップ限定》でお話しています❣️

https://stand.fm/channels/5fd49189dd3aea937b455b50
00:06
こんにちは、横浜で15年以上、犬の保育園の先生を行っている、なおちゃん先生と申します。
はい、本日8月29日は、私の娘の4回目のお誕生日になります。
お誕生日の配信するつもりはなかったんですけれども、
少し前にですね、巫女姉さんが、自身のお子さんの誕生日にまつわる、出産のね、誕生のエピソードとお話をされていて、
それにね、すごく私も、なんて言うんですかね、親心というか感動してしまって、
自分の子供の誕生日の時には、私もやってみようかなと、ひそかに思っておりましたので、
私も、彼女の誕生に際して、その時の思い出などをお話をしてみたいと思います。
8月29日、4年前の8月29日に娘は誕生しました。
娘は、息子と娘は年齢差が5歳あります。
その間にね、一度私は、竜山をしているんですね。
その時のことも、とてもよく覚えています。
女性にとってはね、婦人化というのは、すごくなじみがある場所というよりは、避けて通れるなら避けて通りたい場所だと思います。
あの日もね、とても屈辱的なM字開脚室に座らされまして、
いつもの通り検診を行う予定だったのが、心音が聞こえないとお医者さんに言われて、
その途端に目の前が真っ暗になったのを覚えています。
遺伝子の異常での先天的なね、遺伝子の異常、そして体内で育たない命があるんだということを、
その時私は初めて知ったんですね。
話だけというのはね、聞いていたことはあるんですけれども、
実際知っているのと体験するのというのは、どんなことでも違いますよね。
その日は、その検診の後、仕事に戻るつもりでいました。
その当時私は、自分の会社をやっていて、ホテルと幼稚園とペットのワンちゃんの犬のホテルと幼稚園をやっていました。
03:01
スタッフも何人もいたので、ちょっと行ってくるねぐらいの軽いノリでした。
けれどその事実を伝えられて、そのまま戻ることができなくなってしまったんですね。
しばらく病院の隣にある公園で泣いていたことを覚えています。
その後ですね、誓ったんですね。
もし再び私の中にまた命が宿ることがあったら、
その時はその命を何よりも一番に大切にしようと思いました。
ですけれどその後、何年もできませんでした。
相変わらずお仕事のことはとても忙しくしていたので、一人っ子でも私は構わないなと思っていたんですね。
そして諦めかけた頃に娘がやってきてくれたわけです。
私は娘の名前を自分がつけました。
というのも夫婦の取り決めというかね、男の子だったら旦那が名前をつけて、女の子だったら私が名前をつけるという風に最初から決めていたんですね。
なので息子の名前は旦那がつけました。
娘の名前は私がつけることになった時にどんな名前にしようかなと思ったんですけれど、
この時の気持ちがとても強くその後もあったので、
私はあなたが私の最後の光であるということで光という名前をつけました。
他にもいくつか意味があって、光に満ちあふれた人生を送りますようにという祝福と、
周りの人たちを明るく照らす光のような女性になりますようにということでこの名前をつけました。
あまり迷いはしなかったですね。
他に2つぐらい候補はあったかなと思うんですけれど、やはりこの名前が一番しっくりきたなと思っています。
彼女がお腹に宿ってくれた後、私の仕事上でいろいろな転機が訪れました。
ああ、もう今までと同じような働き方はできないと強く思いました。
これ2人目あるあるかもしれないんですけれど、
1人目は3級を取ったり職場で3級を取ったりしても何とか早く戻らなくちゃっていうふうに思うママさんが多いみたいなんです。
06:03
これは私の知っているママ様さんからの情報なんですけれども、
でも2人目になると途端に2人は回らないかもしれない。
1人目は何とか頑張れたけど、2人目は頑張れないかもしれないというふうにやっぱり思うらしいんですね。
私もご多分に漏れず、2人目を産んだら1人目と同じような仕事の仕方はできないかもしれないというふうにその時思いました。
そして結果的に法人を縮小して個人事業主というふうになっていくんですけれども、娘の妊娠は順調に進みました。
転機が訪れたのは何週くらいだったかな、29週、27週くらいだったかな。
その時に酒子であるということが発覚したんですね。
実はちょうど同じ時に息子も酒子だったんですね。
酒子体操っていうのがあるんですけど、酒様になった子供を治す体操っていうのがあるんですけど、酒子体操をやったり。
1人目の時はそれで治ったんですけど、お給ですね。
新旧治療院に、マタニティ新旧治療院というところに行ってお給を据えていただきました。
このマタニティ新旧治療院の先生、男性の方なんですけれども、1人目の時にもお世話になったんですけれど、その先生がね、とってもいいことを言ってくださったので、
もしね、今後出産する身近な方やご自身が出産する方、そしてもしくはお孫さんが生まれる方がいらっしゃったら、ぜひ実践してみるといいかもしれないなと思うんですが、
その時にね、何回かお給の治療に通うんですけれども、先生が、ママさん、自分用のプレゼントは用意した?って言われたんですよ。
え?って思ったんですね。それは1人目の時だったんですけど。
自分用のプレゼントですか?って聞いたら、そうだよって。
ママさんには、必ず2つプレゼントを自分に用意しなさいって言うんだよって言われたんです。
どういうタイミングの2つなんだろうと聞いたら、1つ目は出産をした時、2つ目は卒入した時、この2つのプレゼントを自分のために買っておきなさいって先生がおっしゃったんです。
赤ちゃんが生まれるとね、周りの方はとても喜んで赤ちゃんにたくさんお祝いをしてくれますよね。赤ちゃんはたくさんお祝いをもらえるけど、一番頑張るのはママなんだよ。
09:12
でも、ママのためにプレゼントをくれる人は少ないから、自分のために先にプレゼントを用意しておきなさい。
それから卒入、もし母乳をあげるようであれば、母乳をあげることっていうのはとても大変なことだと。
命を削って、母乳を出すわけです。母乳は血液から作られますからね。
その大変な時期が終わった時に、自分に、そして自分のおっぱいにね、お疲れ様、よく頑張ったね、という意味を込めてプレゼントを用意しておきなさい。
子供が生まれてね、バタバタしていると、ゆっくり自分のものを選ぶ時間もないだろうから、今のうちに用意をしておくといいよって言われたんですね。
私はその言葉をすごくよく覚えていて、実際自分にも用意しましたし、友達や親戚に子供が生まれた時には必ず2つプレゼントを差し上げています。
1つは赤ちゃん用、1つはママさん自身だけが楽しめるものですね。
例えば、スタバのギフトカードでもいいんですよ。そういったものをプレゼントするようにしています。
そして、その新給院に行った時に先生に、2人目もサカゴになってしまったのでよろしくお願いします。
そして先生にね、私、自分のために2つプレゼントを用意して、とても先生に教わってよかったですよということもお伝えして、先生となごよかな治療をさせていただきました。
ですけどね、この娘、お姫様と呼ばれているんですけど、我が家ではね。
お姫様はとても頑固者で、なかなかひっくり返ってくれなかったんですね。
息子はお給の治療を3、4回行ったらある日突然ぐるんとひっくり返ってくれて、最終的には普通分娩ができたんですけど。
なかなか娘はひっくり返ってくれませんでした。
そして、参院でね、見てもらっても、ひっくり返る余裕は十分にあるんだけど、きっとこの位置が気持ちいいんでしょうねということで、生まれる前からこの頑固な性格というのは変わらなかったみたいですね。
あったみたいですね。
そして、そのままあるよあるよといううちに、34週の時ですね。
この時に、ちょっと赤ちゃんが手術よりも大きすぎるというふうに言われたんです。
12:02
それまでも少し大きめですね、ちょっと大きめですねと言われていたんですけど、この時にね、とてもちょっと大きいので検査をしましょうと言われたんです。
何の検査かと思ったら、糖代謝の検査でした。
これ、私初めてだったんですが、甘い甘い甘ーい糖分がたっぷりのぶどう糖の液体をですね、空腹時に飲むんですね。
空腹時で飲んで、その飲んだ直後と、それから30分ごと、1時間ごとだったかなに、糖がどれだけ代謝されているか。
血糖値がどれだけ下がっているかっていうのを見るテストです。
それで、これで引っかかると糖代謝異常となりまして、妊娠糖尿病という判断がつくんですね。
私は見事に、その妊娠糖尿病に引っかかってしまいました。
そしてこの妊娠糖尿病に引っかかるとですね、糖質制限をしないといけないんです。
もちろんレベルにもよるんですけれども。
で、これ難しいことを省いておきますが、いろいろな原因があります。
家族に糖尿病がいたり、もともと治病を持っていたり、もともとどちらかというと、その服用かな、体型の妊婦さんだったりね。
ですけど、私はあまり当てはまっていなかったですね。
それでも考えられることは華麗ですと。悲しい現実ですね。
この時、息子はそうではなかったんですが、息子から5年の月日を経ちまして、私は見事に高齢出産になっていたんですね。
自分的にはね、体的にも自分的にも、そんなに5年間の月日で何かが衰えたっていう感覚はなかったんですけれども、体は正直ですね。
自分の代謝がちょっとしにくくなっていたんです。
それで、治ってくる場合もあるらしいんですけれども、私の場合はどんどんと血糖値が上がってしまいました。
で、妊娠糖尿病になると何が良くないかというと、赤ちゃんに糖分が行き過ぎてしまって、赤ちゃんが巨大化してしまうんですね。
その結果、難産になりやすい。
それから、お腹にいる時には母親からのインシュリンが赤ちゃんに行くんですけれども、生まれた瞬間に突然、今まで与えられていた糖分が与えられなくなるので、
15:06
急激な低血糖を起こして赤ちゃんが突然死亡することがあるということだったと思います。
今はちょっとよく覚えてないんですけど。
それで、とても危険な状況に陥ることがあるということで、糖分を下げなければいけないということで、
妊娠後期ですね。もう10ヶ月に、9ヶ月の最後の方、そして10ヶ月目に入ってから、私は糖質制限をすることになりました。
かなり制限をした生活をしていました。
おかげで妊婦なのに、人月に体重が減るという珍しい現象がね、起こるぐらいだったんですけど。
ですけれども、努力も虚しく、投胎者以上は治ることがなく、採血を毎食して、糖質を測る機会を借りましてですね。
採血を毎食前にして、食べる前と食べた後の血糖値を測って記録をするんですけれども、それはとても憂鬱でしたね。
食べるのも少し怖くなりますし、食べた後測るのもとても憂鬱になりました。
この採血はね、自分の指に針を突き刺してやるんですけれども、両手の指が血まみれだらけになるのもちょっと嫌な感じもしましたね。
それも努力も虚しく、最後2週間ぐらいはインシュリンを自分で打つということをしました。
これはインシュリン注射。糖尿病の方もいらっしゃると思うんですけれども、
インシュリンが糖を分解するインシュリンというのが分泌が少なくなっているために、それを食前に補うんですね。
なのでどうだったかな、まず血糖値を測るために針を刺して、その後自分の太ももにインシュリンを打つために針を刺します。
それでインシュリンを打ってからご飯を食べて、その後に30分後にまた血糖値を測るというようなことを2、3週間の間繰り返していたと思います。
これ一人だったらいいんですけど、息子がいるので、ちょうど夏ですよね。
なのでいろんなところにやっぱり夏祭りに行きたいとか、友達とバーベキューに誘われるとかっていうのがあったですね。
そういった時に夏祭りって本当に食べるもんないんですよ。
トウモロコシもダメだし、みたいな感じでね。
18:00
しょうがないので、いつもミニトマトを持ち歩いてました。
トイレとか車の中とかに一人でちょっと待っててねって入って、採血して血糖値測ってインシュリン打ってからミニトマトを食べて、よしじゃあみんなでご飯食べようかっていう感じでしたね。
そんな感じで娘の方の大きさっていうのは制限できたのかというと、なかなか制限もできなくてですね、スクスクスクスクと鯖子のまま育っていきました。
なので結局私は自然分娩ではなくて、帝王切開になったんですね。
38週目、腎痛が来る前に帝王切開をしましょうということで、もう予定分娩、予定出産ということでですね。
本当は自然分娩がいいかなと思っていたんですけれども、
1期1人目が自然分娩だったので、2人目は帝王切開でもいいかということで、両方経験できるなんてラッキーということで帝王切開を決めました。
帝王切開のいいところは予定がつくので、手術ですからね、予定がつくので周りの親戚などには伝えやすいですね。この日時に産みますよということで伝えられますので。
38週の日に入院をして、いざ手術ということになりました。
帝王切開の手術というのは部分麻酔なんですね。なので自分でも感覚が少し残っているわけです。
お腹の中から取り出す感覚っていうのは、そんなに鮮明にもちろん覚えているわけではないんですけれども、
なんかね、すごくゴリゴリゴリゴリ音はするんですよ。ギュッギュッって押されたりとか、なんか揺られたり左右にお腹を揺さぶられたりとかね。
なんだか不思議な感覚でした。私は麻酔が効きすぎる体質らしくて、目を開けてられなかったんですね。
それから炉熱も回らなくなってしまって、耳で聞く、それから感覚を確かめるだけで精一杯でした。
それで生まれた瞬間、取り出された瞬間ですね。取り出された瞬間に、なんかお腹がスカッとしたことはよく覚えています。
とりあえずそうですよね。それで取り出された時に、看護師さんがですね、「お母さん、すっごい、すっごいバッチリ二重の、めっちゃまつ毛長い男の子よ。」って言われたんですよね。
それは今でも覚えてて、「え、女の子って聞いてたのに、男の子だったの?」って。
で、炉熱が回らないながらも、「え、えっと、女の子って聞いてたんですけど。」って言ったんですよ。
21:04
そしたら、その看護師さんが、「あ、ごめん、女の子だった。」
えー良かったと思って、男の子だったら名前変えなきゃって、すごくその時に朦朧とした頭の中で思ったことを今でも覚えています。
男の子で良かったと思って、それでその後、ほっとして、また私は意識を失いました。
で、麻酔がね、効きすぎてしまうので、まともにね、会話がその後病室に戻ったんですけど、できなくて、
デジタル時計をね、見ようと思ったんだけど、デジタル時計の何時何分という時計の表示がぐるぐるぐるぐる回ってしまって見えないので、
病室に先にいた母親と旦那に、「今何時?」って聞いたことを覚えています。
確か病室に戻ったのが1時ぐらいだったかなと思うんですけれどね。
赤ちゃんは、コットっていう小さなガラガラのついたガラスケースみたいに入れられて、病室に一緒に行きましたけれど、
私はね、いまいち目も開かないし、力も入らないし、抱くことができなかったんですね。
私も意識朦朧としているし、赤ちゃんも一応見終わったし、なんとね、大人たちは帰ってきましたね。
ついててもね、しょうがないですからね。
あまりにも私がそんな状況だったので、うちの病院はですね、母乳育児を推奨しているので、そんな状態でも母乳をあげなきゃいけないんですね。
私立てないし、目も開かないし、手も痺れているので、どうしたかというと、
看護師さんたちが、助産医さんたちがね、来て、バッと私の服を脱がせまして、赤ちゃんをね、おっぱいにね、ガガガってこすりつけるわけですよ。
すると赤ちゃんが飲むという、なんだこの頭っていうふうに思いましたけど。
で、一日経って、その後、そんな状態が続いてしまってはあまり良くないということでですね、
その状態で麻酔の点滴をずっと入れられてたんですけど、麻酔の点滴を抜きましょうということになりました。
麻酔の点滴を抜くと、やっぱり傷口がね、痛いわけですよ。
なんだけど、あまりにヘロヘロしているので、抜きましょうという話になって、
痛み止めはいくら飲んでもいいですと、ロキソン人の一番容量の強いやつを、箱ごと渡されるぐらいの勢いで渡されまして、
痛かったらどれだけ飲んでもいいので、麻酔の注射は抜きますと言われて、
24:01
一日目の夜だったかな、たぶん日付が変わる頃に抜きましょうということになったと思います。
麻酔の点滴が抜かれるとやっぱり痛いんですよね。
言っても、大幅に切腹しておりますので。
お腹を先に切った友達が、もう初日は動けない。
2日目ぐらいから、もちろんトイレもですね、カルテルを入れられてますので、自分で排泄することはないんですよね。
2日目か3日目に自分で排泄をするということなんですけど、これがまた痛い。お腹に力を入れると痛い。
でもなんとかトイレまで張っていくような感覚で、点滴の棒につかまりながらみんな歩くんだそうですけど、
私はもう点滴ないので、自力でその辺をヨロヨロしながら行ったことを覚えています。
それでもだんだん遠人類から人類に近づいていくわけですね。歩いてね。
たくましいなと思います。そんな合間も3時間おきにおっぱいをあげるわけなんですけれども、母にあげるわけなんですけど、
基本うちの病室は赤ちゃんと同室、カンガルーケアなので、ずっと娘はね、私の体にくっついていましたね。
なので3時間おきなんてもんじゃないですね。1日中胸はさらけ出してましたね。
良かったら飲んでくださいと、それ以外は寝ててくださいという感じで、夏で良かったなという感じですね。
人が来たらようやく前開きの胸の前を合わせるぐらいの感じでしたね。
そんな記憶、今もしかしたら聞いてくださっている方、あったあった懐かしいなと思われている方もいらっしゃるかもしれませんね。
そんな感じで、1週間かな、入院をしまして、めちゃくちゃ退院をしました。
その後ね、乳性炎をやったり、2人の慣れない育児にてんてこまになったりしましたけれども、
娘はスクスクと4歳まで、本当に丈夫に育ってくれました。
とてもとても偏色な娘で、とてもとても頑固な娘で、だけど本当に周りの人たちを明るく照らすような光の存在です。
何よりも丈夫で、ここまで何一つ大きな事故や怪我もなく育ってきてくれたことが、親としては嬉しい限りです。
かなり強い性格だと思うので、この先どんな風になっていくのかが恐ろしいばかりの母ですが、
それもこれもなお子に似ていると言われながら、
27:01
これからどんどん大きくなって、もっともっとたくさんの光を与えられる、そして光り輝く人生を送る女性になってほしいなと思っています。
長くなってしまいましたが、ひかりちゃん、4歳のお誕生日おめでとうございます。
あなたに生まれてきてもらって、本当に私は感謝しております。
これからも母と家族と大切な楽しい時間をいっぱいいっぱい過ごしましょう。
そして光り輝く女性になっていってください。
27:50

コメント

スクロール