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2024-08-22 26:05

ながらcast3/280 フォークシンガー高石ともやさん他界

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高校時代から30代くらいまで非常によく聴いたし、コンサートにも行ったし、楽器で演奏もしたし、何かと影響を受けた人でした。明るさや軽やかさ、ポジティブなエネルギーをもらった気がします。【有森裕子さん 高石ともやさん追悼 「自分で自分をほめたい」名言誕生のきっかけに…感謝つづる】https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2024/08/19/kiji/20240819s00041000223000c.html?amp=1

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はい、sasayukiです。
ながらcastを始めます。 この番組は自分大好き
60歳の私、sasayukiの声のブログ、声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、息がハーハー上がったり、周りの雑音・騒音、風切音などが入ったりしますが
何卒ご容赦ください。 今日は、今晴れてますけど、曇ってますが
雨なんだよね、今日はね。 だから最高気温も30度です。
まあちょっとね、 普通に雨降って涼しくなってくれたらいいなと思います。
今朝、朝一の再放送みたいな感じで
東京スカパラダイスオーケストラのゲスト会をやってました。
通称スカパラですけど、 ちゃんと聴いたことがなかったんですよね。
今日は、 結構たくさん曲を演奏してくれて
聴いたんですが、なかなかいいですね。 今まで本当にちゃんと聴いたことがなかったので、
こうやってきちっと聴くとすごく良かったです。
スカって僕はちゃんと知らなかったんですけど、 ジャマイカの音楽で
レゲエの元になった音楽らしいです。 結構リズムがスチャッチャスチャスチャスチャスチャスチャスチャって感じの
短い、速いリズムの裏打ちが特徴かなと思うんですけど、
なんか暑い年があって、60年代、1900年代。 ちょっと暑くてこのスピード大変だっていうことで、
ゆっくりなリズムになったのがレゲエらしいですよ。
あれだと、ウンチャウンチャって言うね。 かなり
ゆっくりめのスピードですからね。 確かにありそうな話ですよね。
この狩深い周辺の音楽っていうことで、
結構僕も トリニラード・トバゴのソカとかが好きなんで、
ちょっと 親近感を
覚えますね。
あの辺りの音楽が ズンバではよくかかるので、さすがに
レゲエとか
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スカはかかんないんだけど、レゲトンとかね、 メレンゲ、サルサ
なんていう感じの音楽はしょっちゅう聴いているので、
なんとなくね、 親近感をわきながら、スカも気持ちいいなって
今日は聞いてて思いました。 しかもスカパラダイスですからね。
僕のやっている ズンバの音楽番組も、ズンバパラダイスっていうことで、奇妙な一致をしております。
奇妙というか、嬉しいですけどね。 まあそんな感じで、今まで聴いてなかったんですが、ちょっとね
聴いてみようかなと思っております。 さて今日は音楽絡みで
お話しするんですけども、 フォークシンガーの高石友也さんが
亡くなられましたね。 ちょっと僕は知ったのは
昨日かな。 ちょっと遅かったんですけど2日3日。
この人は結構僕にも影響を与えた人なので、 ちょっとお話ししようかなと思います。
じゃあ行ってみよう。 ちなみに高石友也さんは1960年代に
関西フォークの奇手というか有名人として 名を馳せるわけなんですね。
当時で言うと、 受験生ブルースっていうのが一番
有名な曲で、僕は別に聴いたことがあんまなくて、 そこまで思い入れはないんですが、
その後ね、ナターシャセブンっていうグループを作って、 僕はこのナターシャセブンの音楽に
もう一時期ゾッコンだったので、 大きな影響を
受けたアーティストだなと思います。 世間的にはこの
受験生ブルースと、あとね、有森優子さんだっけ? あのマラソンの
高石友也さんってずっとホノルルマラソンとかに参加していて、 すごく走るの大好きな人だったんですよね。
トライアスロンなんかもやってて、
有森さんがメダルを取った時に、 初めて自分で自分を褒めてあげたいっていう
名言を残したんですが、 その元になったのが実は高石友也さんの話だったっていうのを
僕は今日知りました。 このエピソードを最初に話しますけども、
有森さんは多分高校時代とかで京都の駅伝の大会に出た時に、 高石さんは走ることをすごく熱心にされていた
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おかげだと思うんですけども、審査員として参加していて、 壇上で挨拶したらしいですね。
自分を褒めなさい、自分を褒めてあげようみたいな詩を読んだらしいです。
その時に高石さんが挨拶の中で、 この駅伝大会に出られたっていうことだけで自分を褒めてやってください
みたいなことを言ったらしいんですね。 その言葉を有森さんはずっとメモして取っておいたらしいです。
そのメダルを取った時に、あの名言が生まれたっていうことらしいんですね。
さて高石友也さんの話なんですけども、
出会ったのは多分、 中学の終わりから高校時代にかけてのどこかだと思うんですけど、
中学時代の友人のお姉さんがアルバムを持っていて、それが
イコマイカっていうね、 コンサートのライブ版2枚組のLPだったんですよね。
そこで 高石友也とナタシャセブンとか
あとダウンタウンブギウギバンド それからジキルハイドとヒューマンズ
そして杉田二郎っていうね、早々たるってこともねえか。 まあそういったメンバーが
岐阜県の中津川よりももうちょっと先に行ったところにある花の子っていう人工の湖なんですけど
そこのほとりでやるコンサート、ピクニックコンサートっていうね、花の子ピクニックなんて言ってたんで
そのコンサートのライブ版を持っていて
それを愛称することになったんですよ、結果的に。 当時仲の良い4人組がいて
よく聴いてたんですね。
それで高石友也とナタシャセブンっていうのに出会ったんですね。
結構ブルーグラスをベースにした音楽、あるいはカントリーですね。 カーターファミリーとかそういった音楽を
アメリカの曲を主に翻訳して歌っていたりしたんだよね。 当時は多分
107ソングブックっていうプロジェクトを彼らはやっていて、いろんなテーマでアルバムを1枚ずつ作っていたんですね。
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最初、私を待つ人がいるっていうのが確か1枚目で、ニューロストシティランブラーズ編だったと思うんですけどね。
で、ブルーグラス編とかね、アメリカの古い歌とかテーマを設けて、
ある種彼らの研究心だと思うんだけど、そのスタイルを
もう勘コピするっていうレベルまで持っていって、 例えばカーターファミリーだとブンチャンブンチャンブンチャンブンチャンっていう
ベースがオルタネイトっていって、 バンバンバンバンみたいな
ベースの上に裏を見て、 チャラチャンチャっていうようなのを乗っけていくんですけども、それはギターでもやるんだけど、
オートハープって呼ばれる、
胸に抱えて、座って抱えて、弦がいっぱい並んだハープみたいな楽器があって、それをピックでシャラーンと鳴らすと、すごい軽やかな和音が出るんですよ。
それをチャン、シャン、シャン、チャン、シャンっていうのを
やったりするとすごいカーターファミリーっぽくなるみたいな話だったり、 ちょっとうろ覚えなんでね間違ってるかもしれないんだけど、彼らはそれを
いかにそれっぽく聞こえるか、ただやるんじゃなくて、それを極限まで
似せていくっていうことを追求したりしてたんだよね。 アルバムごとに結構面白い取り組みをしていたなぁと思うんですが、
当時たぶんアメリカの古い歌、オースザンナっていうタイトルのアルバムが出た頃だったのかなぁ。
それに入っている曲なんかをやってて、あれが良かったんだよね。好きで。
で、そのアルバムめちゃくちゃ聴き込んだ結果、やっぱり行きたいってことになって、 当時僕は名古屋で生まれ育っているので、名古屋に住んでたんですけども、
名古屋から岐阜の花の子まで悪友達、友達たちと行って、テント張って、泊まって、
キャンプ楽しみながら、野外コンサートもたっぷり楽しむっていうすごい貴重な経験を したんですね。それも高橋友也とナタアシャセブンのおかげでしたね。
この花の子の行こまいかっていうイベントに参加した話だけでも、ちょっと思い出せるかなーっていうぐらいなんですけども、
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思い出深くて。ちなみにこの中津川花の子って、 坂下駅から歩いて行くんだけど、
かつては中津川フォークジャンボリーっていう、 歴史に残るイベントが開催された場所でもあります。
まあそれは余分な話なんですが、
影響をかなり受けていて、 実際のところ当時、
そんな中高生、高校生かな。 ナタアシャセブンを聴いているなんていうのは、超少数派でした。間違いなく。
僕らが高校時代に流行っていた音楽って、 今のJ-POPになる前のニューミュージックって呼ばれている時代。
そしてフォークでもないっていう時代だったんですよね。 例えば、アリスとか松山千春、
佐田雅史もいたし、
そういうフォーク系の人たちが、従来の四畳半フォーク的なものからは脱皮しようとしていて、
中島美雪もいたし、
そういう時代で、 カントリーとかブルーブラスなんていうのは、もうちょっとかなりマイナーだったんですが、
僕は元々、その仲間の間で流行ったっていうこともあって、 サイモンとガーファンクルがすごく好きになって、
ギターを始めて、結構ギター一生懸命やってたんですが、
友達たちとナターシャセブンの真似事をしようとして、
友達はバンジョウを買って、もう一人は フラットマンドリンを買って、で僕はギターを弾いて、
一生懸命音楽をやったりもしていました。
本当にただの趣味なんですけどね。 楽しくやってましたね。
で、ナターシャのコンサートに初めて行ったのは、
花の子に2回ぐらい行ったかな。
大学に入ってからも、それ系の音楽をやってるサークルがあったので、僕はそこに入って、
ギターを弾きたくて入ったんだけど、もう一人ギターがいたので、 僕はベースをやることになったりしてね。
ベースって重要だなぁってね。 その時、やっとベースの意味を知りましたけどね。
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さっき言った、中学時代からの友達とやってた時は、
ベースなくても平気だったんだよね。 そこまで重要性を感じてなかったんだけどさ。
まあそんなこともあって。でも大学入ってからも、
ナターシャの音楽とはずっと、
密接な関係を続けてましたね。
特に大学に入った年だったかな。 ナターシャセブンがその107ソングブックっていう、さっき触れた、
11枚ぐらいかな?アルバムを完成させて、
新たに出したアルバムが、HIT&RUNっていうアルバムを出して、
まあそれが当時、僕にとっては感動というか、すげーっていう感じで、
割とトラディショナルな音楽を やってた彼らだったんですけども、
このアルバム、HIT&RUNでは、もう全面的に、 今風のっていうとちょっとおこがましいし、
ちょっとずれてる気もするんですが、 ちゃんとアレンジされた。
まあこれは、
この時まだいたのかな?メンバーの木田孝介さんっていう、 イルカのアレンジとかもやってて、
非常に有名なアレンジャーで、 ナターシャの一員でもあった人なんですが、
彼はね、あの日光機の事故で、 確か亡くなっちゃったんですけども、
そんな才能を、多分木田さんまだ生きてたんじゃないかな? そんなこともあって、とにかくめちゃくちゃ凄いのが、
大学に入ってから出て、 その勢いでね、
ナターシャの本拠地が、 京都府の日本海側若狭湾の方に、ナタショウ村っていうね。
それがナターシャセブンの、 名前の由来でもあるんですけども、ナタショウ村まで
原付で、 名古屋からみなして行きましたね。4人で。
で、夜コンサートやってくれて、 花火なんかを見ましたね。
非常に良い思い出なんですけども、
まあそんな風に、 なんだかんだで、大学に出てからも、
大学に出てからかな、むしろ。 代々山コンサートに行ったり、
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あと夏の時代っていうね、コンサートに行ったり していましたね。
だから本当、 結構長くお付き合いがあった。
そんな、 高橋智也とナターシャセブンなんですね。
はい、そんなわけで今日は、 先日亡くなった高橋智也さん。
フォークシンガー、ミュージシャンですね。
思い出をザーッと話してきました。
好きな歌もいっぱいありますけども、 その前にね、
結構僕が高校生の頃、 イコマイカをやってた時代。
代々山コンサートもやってたし、 活動がすごい精力的だった時代だと思うんですけどもね。
あの、ニューサーティーズっていう名前で、 ちょっとコンサートやスタジオライブをやってたかな。
あの頃ってさ、 民放のFMでスタジオライブってよくやってたんですよね。
ナターシャセブンが出たりしたこともあって、 よくエアチェック。
テープに録音したりしてました。 カセットテープにね。
ニューサーティーズって、 当時の彼ら、
高橋智也やナターシャセブン、 ジキルハイドとか、
杉田二郎さんもそうだったのかな。 というか、30代って、あの頃の時代から言うと、
もう中年っていう感じで、 なんだろう、しょぼくれていくみたいなイメージで捉えられてた。
まあこれ今とは全然違うよ。 今の30代ってめちゃくちゃ若いんだけど、
当時ってもっとオッサンだった。 60で定年っていう時代。
もっともしかしたら早かったかもしれないんだけど。 っていう時代に抗って、
もっと楽しく元気にやりたい、 みたいなメッセージだったと思うんですよね。
その明るさとか、
軽やかさ、 みたいなものって、
今俺60なんだけど、 もう本当に失われてしまっているものなので、
もう一度ね、そういうものって、 取り戻すって言うとちょっと語弊があるんだけど、
そのエッセンスは必要だなっていう気が今してますね。
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特に高橋智也さんってすごく明るくて楽天的で、 今風に言えばポジティブなオーラを走っている人だったんだよね。
そのホノルルマラソンなんかも多分、 智也さんが引っ張っていった。
那田社のメンバーとか、いろんな人を巻き込んで、 ホノルル楽しいよ、行こうよ、みたいな感じできっとね、
引っ張っていって、周りは付き合わされていたみたいなところがあるかもしれないんだけどね。
でもそういうポジティブなエネルギーみたいなものが、
智也さんにはずっとあったなって思うんですね。
行こまいかって、花の子っていうところで泊まった時も、
朝、みんなで花の子を一周するような、
本当に当時から流行りだしていたジョギングとかをね、
その参加者とミュージシャンなんかと一緒に走るみたいなこともやってて、
僕らはさ、高校生でそんなみんなが泊まっているようなキャンプ場に行ってさ、
テント張って飯食って、多分なんか飲んじゃったりして、
大騒ぎしてたんじゃないかなと思うんだけど、朝なんか到底起きれなくて、
健康的にランニングする人たちの仲間入りはできなかったんだけどね。
でもやっぱりその曲の中、曲からもそういう、なんだろうな、
明るさ、陽気さみたいなものがあって、オリジナル曲もいっぱいあったんだけど、
もちろんしっとりした曲もあったんですが、全体的にはやっぱり、
元気づけてくれるような明るい曲が多かったですね。
最初の有森さんの話に戻っていくんですけど、
初めて自分で自分を褒めてあげたいっていう名言があったんですけど、
自分を褒めてあげようっていう、 そのメッセージっていうのがなんだろうな、
高石智也さんらしいメッセージだなって本当に思うんだよね。
この駅伝の大会に参加する選手たちを前にして、
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頑張れと言ったかどうかはわかんないんだけど、
緊張もしてるかもしれないし、いろんな思いでそこに集まってきてるんだけど、
もうここに来たっていうだけで、すごいんだよっていうね。
よく言われる言葉を言えば、自己肯定感ってやつかもしれないんだけど、
それをあの時代に言ってたっていうのはすごいなと思いますね。
僕もこのポッドキャスト、一番最初のオープニングの時に、
自分大好きって言ってるんですが、半分おまじないとして言ってるんだけど、
改めてそういう高石智也さんの、自分を褒めてあげたいっていう、自分を褒めてやろうっていう考え方。
本当に改めて自分にインストールしたいっていうのかな、そういう気持ちになりました。
トモヤさんの歌を歌うこともいいなと思うし、曲に改めて触れたいなっていう気もしてるんだけど、
やっぱりその考え方を自分の中に入れていくっていうことを改めてやってみたいなっていう気持ちになって、
それはもしかしたら供養になるのかもしれないなと思ったりしました。
ということで今日は終わりにしようと思います。 最後までお付き合いいただきましてありがとうございました。
ではまたねー!
ちゅーうーす!
アディオース!
さいちーん!
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