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2023-03-16 20:32

ながらcast2/248 サブスクになる前の話その2「貸しレコード屋全盛期」

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大学に入学した1982年の夏、山下達郎の「FOR YOU」が出て、達郎好きの友人から過去のレコードを借りたりしてましたね。()1.オープニング()2.大学に入って山下達郎に出会う()3.貸しレコード屋登場()4.CD登場()5.再生機器の変遷
大学時代の音楽愛好とレコードの重要性
(音楽)
はい、笹行です。 永田キャストを始めます。この番組は自分大好き
59歳の私笹行の声のブログ、 声の日記です。
通勤途中に歩きながら収録してますので、 息がハァハァ上がったり、周りの雑音騒音、風切音などが入ったりしますが、
何卒ご容赦ください。
今日は割とポカポカですね。 今朝また北朝鮮からミサイルが発射されて、
本当に日常化してますね。 もうなんかこっちも慣れてきちゃって、
そんな緊張感も出てこないっていう慣れも怖いなとは思うんですが、正直そういう感じですが、
なんかこういう時に政府側のセリフでさ、
国民の生命財産を守るために、みたいなことをよくちょいちょい挟んでくるんですが、
その恩気せがましいのちょっとやめてほしいななんて思うのは俺だけかな。 そんなこと自鳴のりじゃないですか。
そんなこといちいち言わんでもいい。本当に恩気せがましいもんでやめてもらいたい。
おめえの仕事だろうってね。 突っ込んじゃうんだけど。
今日はですね、昨日のよくわかんない音楽絡みの昔話の続きをお話しようと思います。
大学に入って、
寮生活だったんですよね。
4人部屋っていうね。今考えるとすごいんだけどさ。一つの部屋に4人暮らすんですよ。
めちゃくちゃ一人分のスペース狭いんで、
コンポなんかはちょっと持っていけそうもないので、
ラジカセを持って行ったんだよね。 俺のぼんやりした記憶だと、
ダブルラジカセを持って行った気がするんだよな。すごいちっちゃめのタイプですね。 ラジカセもピンキンでさ、
めちゃくちゃでかいやつもあれば、コンパクトなのもあって、
多分、愛話の
ダブルラジカセだった気がするな。シルバーのね。
そんなに大きくない。本当、
スペース狭いんで、
厚みも、カセットの、
カセットテープのケースぐらいの奥行き、高さもそれプラスアルファ、カセットテープぐらいの。
幅はね30センチぐらい。もうちょっとあったかな。 でもカセット2つ分入るぐらい。
両側にスピーカーみたいなのがあった気がするんだけど、ちょっと曖昧だな。
でもまあとにかく大学に入って、
自分は寮生活で、結局寮の他の人の部屋に行くと色々あるんだよね。
特に先輩方は。 それこそ本、漫画、
レコード、色々あって。
友達もできて、そうすると、友達の下宿に行くと、
めちゃくちゃレコード並んでいたりするわけですよ。
最初にめちゃくちゃ仲良くなった友人が、
結構音楽詳しくて、 山下達郎とか大好きだったんだよね。
だから、 彼からLPを借りて、
俺どうやって録音してたんだろう?今それが記憶が曖昧なんだけど、
カセットに入れてたのは間違いないから、 レコードプレイヤーを
持って行ったのかなぁ。 とにかく、
かなり古い時期の山立とかを借りて、
で、俺は結構「It's a Poppin' Time」とか大好きだったんだけど、
まあ「ビッグウェーブ」も当時も出てたかなぁ。
そんな風に友達のレコードを借りるっていうのはね、
本当によく借りさせてもらったね。
だからレコードいっぱい持ってる奴って、 それだけでも、なんていうか、すげーって。
まあリスペクトですよね。 だって俺の感覚では、そんなお金ないっていう中で、
レコードを買い集められるっていうのは、 すげー奴だった。
今思えばね、金銭的に豊かだったってこともあるのかもしれないんだけど、
俺にとっては、すげーありがたい存在であったわけですね。
その後、大学入ってから、 貸しレコード屋っていうのができたんですよね。
貸しレコード屋とウィンダムヒルレーベル
これが本当に福音で、
どうだろう?300円くらいだったかなぁ。 借り鎮が。
レコードが借りられるっていう時代がやってきて、 自分も、
なんていうか、せこせこバイトもしたりして、 そういうのでさ、
貸しレコード屋行っては、レコード借りてましたね。
ちなみにその時期、
俺もすごい流行って聞いてたのが、ウィンダムヒルっていうレーベルですね。
有名なのはジョージ・ウィンストンっていうね、ピアノの人とか、 ギター・リュート・ウィリアム・アッカーマンあたりがすごく有名な人で、
そのレーベル、ジャケットがすごいおしゃれでさ、 白ベースに、ちょっと真ん中に、
自然の風景を入れて、 フォントがさ、ものすごい、
当時としては繊細な細い、 ゴシック系なんだけど、それをさ、
めちゃくちゃライトぐらいのウェイトにして、 ジッセンバーとかね、オータムとかさ、そういう感じで見せるっていう。
ジャケットがめちゃくちゃカッコよくて、 よく聴いてましたね。
大学時代の音楽とジャズ
マイケル・ヘッチスなんていうね、その後天才ギタリストも、 このレーベルから出てきたりするんですけどね。
そんな風にしてレコードを一生懸命借りてたけど、 それでもさ、お金はかかるもんだから、
そんなめちゃくちゃ借りられるわけでもなく、 聴く方もそんなめちゃくちゃ聞けるわけでもない。
時間はいっぱいあったんだけどさ。 でもまあ、学生時代はそうやって自分なりに、
友達の影響とか受けながら、ロックを聴いたり、 ジャズもその時期聴き始めたかな。
サークルでね、やっぱりジャズ系のサークルの人と 縁ができて、その人から音楽理論を教えてもらったりして、
演奏も聴きに行くようになったりして、
そうだよね。 結構ジャズの方も聴くようになった。
そんな時代でしたかね。 だからあくまでこの時代もひたすらレコードを借りたりして、
おはようございます。 カセットに一周録音してということで、やっぱカセット中心だったよね。
だからカセットのライブラリーっていうのが、 これ俺のライブラリーなんだみたいな感覚ってわかりますかね。
で、その、 カセットのさ、あの、
ケースに入れる、あのインデックスの部分の写真っていうか、 そのジャケットみたいなところに凝ったり、
ベタリング使ったりとかさ、 あと曲名なんかも一生懸命その、紙に手書きで書いたりとかね、
そういうことをやたら凝ってましたね。 で、自分で編集したのをね、
自分の好きな曲ばっか入れて、 曲順なんかも考えたりして、っていうね、すごいそういうのが楽しかったよね。
♪~
まあそんな感じで、レコードとかセットっていうのとね、付き合ってた感じで。
CDは就職した後でしたね。
そんな早く飛びついたわけじゃなかったんだけど、 まあ自分の欲しいアーティスト、
あーあれは、トモベ・マサトのね、 ライブ版が出たんだよなぁ、確か。
初め僕は一人だったっていうのが、2枚組のCDで出て、
それが欲しくて、CD買った気がするのは、 それが初めてのCDだったと思うなぁ。
で、プレイヤーはね、すごい小さいやつ。 あの、ポータブルって呼んでもいいと思うんだけど、
CDよりもちょっと大きいサイズで、厚みがね、 3、4センチぐらいかなぁ。
ちょっと分厚いっていう感じのCDプレイヤーを買って、
そこから、あの頃どうしてたんだろうなぁ、 記憶がちょっと曖昧なんだけど、
それをラジカ製にぶっ込んでたかなぁ。
で、それで録音したり、そのラジカ製のスピーカーで再生したりとか、 そんな感じだったかなぁ。
で、その頃僕が入った会社、初めての会社だったんだけど、
あれなんですよ、社販でCDが買えたのよね。 2割引くぐらいだったかなぁ。
それがめちゃくちゃありがたくてさ、 だから給料も入るようになったし、
で、こう、 月1枚、いくかいかないかだと思うんだけど、
CDをね、コツコツ買ってましたね。 なんか注文用紙を書くとさ、
あの、しばらくすると、
来るのね、CDが。 そんな感じで、欲しいCDをね、
コツコツ買ってましたね。
だから、そっからしばらくはもうCD全盛でしたね。
で、レンタルレコード屋が、
レンタルCDになっていくんだよね、その後。
ちょっと時間がかかるんだけど。
で、その時に、
別にレンタルレコード屋がレンタルCD屋になるわけで、
そうするとさ、レコード、それまで、
貸出用に在庫していたレコードを、処分するっていうタイミングが来たんですよ。
で、その時にね、結構レコードを買い漁っちゃったんだよな。
だから、今も俺の持っているレコードには、
レンタルレコード屋さんのレンタル品なんていうね、丸いシールが貼ってあるものが、
まあまあありますね。
レコード全盛期と音響機器の変遷
そういう時に、ちょっと珍しい、
レコードで前から欲しかったなんてのを買ったな。
例えば佐野本春のシングルだけど、
LPサイズの「クリスマスタイムインブルー」とかね、
そういうのを、
そのセールの箱の中から見つけ出して、
買ったりしてましたね。
だから、やっぱりその時点でも、やっぱりCDも持ってるけど、
レコードも持ってるっていう時代が続いたんだよな。
だから俺の自分でも疑問なんだけど、
レコード何で再生してたんだろう?
大学時代もそうなんだけど、やっぱりレコードプレイヤー持ってたんだよな。
なんかそんな気もする。
で、その時に重要なのが、レコードプレイヤーからの出力を、
受けられるかどうかですよね。
だから、フォノ端子があるかどうかっていうあたりで、
なんか、あれだな、
決めてた気がするかな。
だからあれかなぁ、
ラジカセもフォノ端子付きのラジカセがあって、
それを持ってたのかもしれないな。
結構ここは自分でも曖昧ですね。
なんかやっぱ忘れちゃうもんだね。
部屋をシェアし、音楽に熱中する
(レコードの音)
(♪ BGM)
そう、えっと、
最初就職して、すぐに、
あの、会社の、それこそまた寮に入ったんだよね。
今度はさすがに一人部屋だったんだけど、
あの、ほんと小っちゃい部屋だったので、
そんな立派なオーディオ機器を多分、
置かなかった気がするんだよな。必要最小限。
なので、多分CDプレイヤーもポータブル。
多分これはね、リサイクルショップっていうか、
質屋というか、そういう中古品扱ってるお店で、
買った気がするんだよな。
で、その後徐々に、
まあ、オーディオは変わっていったかな。
なんかね、友達と一緒に暮らすようになって、
まあ、今はね、割とそういうの多いけど、
当時は珍しかったんだけど、
大学時代の友人との、
月宿というかアパートに転がり込んで、
で、一緒に住み始めたんだよね。
今考えるとすげーなって思うんだけどさ。
結構音楽も一生懸命やって遊んでただけだけどさ、
あの趣味として。
で、俺はベースとかアコースティックギター弾いたりして、
で、あの頃はTASCAMのさ、PORTA-1だったかな。
あのカセットテープを使った多重録音ができるっていうのが出て、
そんなので遊んだりしたんだよね。
オーディオシステムの変遷と壁掛けオーディオの導入
で、その流れで自分も、
そのオーディオのシステム、
多分実家から、高校時代に買ってもらったスピーカー、
音響のスピーカーを2本持ってきて、
アンプは何にしたかな?ちょっと曖昧だけど。
で、なんかね、あれなんだよな、
ミキサーを1個買ったんだよね。
それこそTASCAMのミキサーで、
フォノ端子、フォノ入力があるようなやつを買って、
なのでそこにカセットデッキからの出力とか、
LINEのね、あとレコードのフォノとかをぶち込んで、
で、アンプをかませて再生するみたいなことをやってて、
で、それはね、結婚した後も、
しばらくはずっとそれで過ごしてたんだよね。
だからなんていうか、配線がめちゃくちゃ多かったんですよ。
なんていうか、まあ普通にコンポ買ったとしても、
裏は配線だらけになるんだけど、
それをもっと複雑というか、ごちゃごちゃにした感じで、
で、俺はそんなに不自由してなかったんだけど、
まあ、カミさんがそれに業を煮やしてというか、
それが嫌になっちゃって、で、あれを買ったんだよな。
バンガー&オルフ船のベオサウンドなんとかっていう、
壁掛け式、バンガー&オルフ船って、
当時も今もめちゃくちゃ高いオーディオなんだけど、
ちょっとね、廉価版の壁掛け式のがあったんですよ。
とは言ってもね、まあまあ高かった。
あれも20万円ぐらいしたかな。
まあ結構不装なものを買っちゃったんだけど、
それにするとCDとカセットテープとラジオが聞ける。
で、一応LINE入力もあったんで、
そこにまた何かくっつけるっていうこともできたんだよね。
で、それによって、
ゴチャゴチャしたオーディオシステムっていうのがなくなって、
もう本当に壁に掛けられる薄い一枚って感じになって、
かなりそれでね、すっきりしたな。
実際ね、住んでた時は、
釈迦住まいだったり、公営住宅、アパートとかに住んでたんで、
壁で釣れたかな?釣れなかった気がするな。
なんか立てかけたりしてた気がします。
そんな感じでね。
で、家を建てた時に晴れてね、壁掛けができたんだよね。
で、その間も結構、DATを買ったりしてたからな。
DATで録音とかもしてたんで、
それもやっぱりLINEで出力してたんだよね。
ちょっと今のところ意味不明だよね。
DATとデジタルオーディオテープ
DATってデジタルオーディオテープっていうのが一時期流行ったんですよ。
カセットの次はこれだぐらいで、
デジタルで録音できるテープなんだよね。
だから劣化がないっていうのが売りだったんだけど、
結局はね、流行らなかったんだけどね。
でもそんなものを買って、
実はライブとかにそれで持ってって、
録音したりもしてたんだよね。
なんか話が途中になっちゃいましたが、
今日はここまでです。
いよいよ次回、最終回かな?
サブスクになるまでの話です。
じゃあまたね。
ちゅーす。
20:32

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