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こんにちは、私はるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のバンコツ社に絶望し、1週間会社に行けなくなったラフォーOLの私が、7歳歳下の夫や周りに頼り戻りながら、感情全解放して人生を楽しく生きていく、あれこれを語っていくチャンネルです。
今日はですね、自分とガッツリ向き合ってみて、びっくりするほど変わったなって思うことがあるので、それについて話してみようかなと思います。
私は去年の後半、最後の3ヶ月ぐらい、自分のずっと抱えてきた生きづらさと向き合うために、自分の内面とか、自分がそういう生きづらさを抱えてしまうようになった経緯とか、自分の生育環境とか、そういったものに向き合ってきたんですよね。
自分の価値観に一番影響を与えているのは、やっぱり小さい時からずっと長く一緒にいた母親だなっていうことに気がついたりとかして、母親から何を受け取ったのかということとかも棚卸ししていったんですけど。
その中でいろんな人のセッションとかも受けて、その中でもっとも良かったセッションがいくつかあるんですけど、その中でもすごく良かったセッションで、なり心理学の院庭アドバイザーのバラちゃんっていう方のセッションを受けたんですよね。
これはすごい気づくことが、いろいろ視点の発想の転換になることもたくさんあって、その中の一つのアドバイスに、有意義なアドバイスがいっぱいあったんですけど、その中の一つに、私が、はるかちゃんが家族の中で与えられてた役割みたいなもの。
そのお母さんから課されてた役割みたいなものとか、家族の中で自分がやらなきゃと思ってになってた役割っていうのを小さい時から書き出してみるといいよっていうふうに言われたことがあって、っていうのもぽろっと私がね、家族の中で私はこういうことをしなきゃいけないと思ってたっていう話とかを結構したのかな。
30代とかになっても、両親がすごい不和で仲違いとかして、離婚の危機だみたいなふうになった時とかも、私が放送したりとかして、泣いてなだめたりとかして、みたいないうこともあったりとかして。
泣いてなだめて、そういうことで、母親が翌日に私の話を聞いて、ちょっと仲直りすることにしたみたいなことがあったりとかして、私がこの家族をつなぎ止めなきゃみたいなふうに思ってた不信もすごいあるんですよね。
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なんかそういうところから、私が結構小さい時から家族の中で何かしらそういうやらなきゃいけない役割みたいのを感じ取ってたとか、反強制的に見直されてたっていうところがあるんじゃないか。
だから、本当はそういうのって別に子どもがやることじゃないじゃないですか。たぶん私、高校生の時とかにはそういう役割をやってたんですよね。母親の父親が家庭内別居とかをしてたので、ずっと父親の愚痴、悪口みたいなのを学校から帰ったら聞いて、みたいなこととかもあったりとかしたので。
そういう役割を書き出してみるってなった時に、確かにね、いろいろ小さい時からね、うちの母親もワンオペだったから妹が生まれたりとかしてね、その瞬間から私はお姉ちゃんとして妹にかけなきゃいけない手間があるから、これは一人でやってねみたいなところから始まって、いろいろあったのかなというふうに思ったんですよね。
いざね、役割を書き出そうって思った時に、自分の中ではすごいこれってって思ったことに気がついて、それは何かっていうと、私は本当に母親のお母さんの提示する人生、お母さんの思う人生を生きてきたなっていうこと、自分で何一つ選んでないなっていうことに気がついたんですよね。
私は中学受験をしてるんですけど、中学受験するのにも小学校1年生の時から通信教育とかで勉強してるんですね。
だからもう小学校1年生の時からずっと中学受験に向けて、別に自分が中学受験したいって言ったわけでもないのにずっと勉強してるんですよね。
小6とかの時には朝から晩まで、うちはそこまでお金もなくて塾とかにもほとんど行けなかったので、最後は少し通ってましたけど、基本塾にはいかないスタイルでやってたので、父親が勉強を見てくれてやってたんですけど、
小6の時とかは、最後追い込み7ヶ月間は毎週土日、父親が朝から晩まで10時間くらい勉強を見てくれて、みたいなね。
それで父親もすごいなと今となっては思いますけど、遊びたい盛りで、同級生とも遊びたいみたいなのもあったりしたんですけど、平日帰って受験勉強用の宿題しなきゃとかね、そういうのがあったりとか。
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大学とかも普通、高校受験とかで自分でゼロからどの高校行きたいとか選ぶじゃないですか。私の場合は中高がほとんど一環みたいな学校だったんで、そのまま進学して、大学も普通、自分でどこ行きたいとかリサーチして選ぶと思うんですけど、私の場合は母親からこことこことここ以外はお金払わないからっていう。
しかも学部もこの学部とこの学部みたいなのが決まってて。それは父親としては手に職をつけてほしいしっていうところで優秀な学校にいてほしいとか、いろいろあったんだと思うんですけど。
という感じでね、もうそういうある選択肢の中から選ぶみたいなね。中学校もこの学校どうみたいないくつか候補がある中で多少選ぶぐらいの感じだったんで。
それは私も部活とかサークルとかゼミとかそういうのは自分で選んできましたけど、人生の方針みたいなのを選んだことがないんですね。就職とかで初めてそこをやるわけなんですけど、今まで自分の人生を選ぶってことをしてないからかなり失敗もしたなっていう感じで。
ということでね、なかなか話しちゃったんですけど、やっぱり自分の人生を全く自分で作ってない、切り開いてない、選んでないっていうことに気がついて、母親がいいと思う人生を提示されて、その上を本当にレールを歩いてるだけだったっていうことにすっごい腹打ちしたんですよね。
何にも選んでない。自分がやりたくないと思うことでも、もうその提示されたものはやるしかないと思ってやってたっていうね。だから今の会社の選ぶ基準とかもある程度名前があってみたいな、親が安心するような知名度があって安定しててみたいな、そういう理由で選んでいるので。
でね、業務内容とかも大学で学んだこととちょっと紐付いてるので、別に選択肢で提示されて、別に特段好きでもないことを大学で学び、それをそのスキルがあるからっていう中で、会社の中でそういう部署に就き、それをずっともうかれこれ20年ぐらいやってるっていうね。
なんとも、自分で選んでない人生だなっていうことをしみじみ感じたわけなんですよね。そういうことがわかって、こんなにもうね、私41でもうすぐ42になりますけど、40年も人の提示した人生を選んできたんだから、もうなんていうか、これからは本当に自分のために生きてあげようと思ったんですよね。
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自分がやりたいやりたくないで、例えばこの1年、なんていうのかな、世間的なことも考えたりとか、いろいろ経済的なこととかも考えたりしなきゃいけないけど、1年2年ぐらいは本当に自由に本当にやりたいことだけやってもいいんじゃないかなとか。
そういうのをやって、長い人生を多少、なんていうのかな、修行だみたいなこともあるかもしれないけど、とにかく自分に好きなことをやらせてあげよう、人の何かでレールを乗っかるのをやめようっていうふうに思ったんですよね。
そう思うことで、我慢のキャパシティーがすごい小さくなったなと思って、今までは母親が期待する自分になるために、いろんなことは我慢して目標を達成しなきゃみたいな思考だったんですよね。
会社とかしんどいとか、あと大学で勉強してることが自分に合ってないとか、そういうことがあったとしても、そこは我慢して、世間的に立派であるみたいな表される人物にならねばっていうふうに思ってたんですよね。
それこそ、ある程度有名な会社に勤めて、ある程度お給料もいただいて、みたいなね、そういうふうに思ってたんですけど。
ただもうね、自分の快適さみたいなのを追求しようみたいな、もう嫌なことは今まで散々我慢してやってきたから、仕事だって正直向いてないんですよね。
事務的な部署にいるんですけど、事務作業とか本当に向いてないし、全く楽しくないから。
今までは達成して楽しいなって思うこともあるからいいかなとか思ってたんですけど、最近なんか全く何にも楽しくないんですよね。
今まで楽しいなってちょっと思ってたことも別に何が楽しかったのかなって思うぐらいに、どれ一つとして楽しくなくて、むしろ苦痛なこと多いなみたいな思うようになって。
でもそれってすごい自分の中での快適を追求するがゆえに、ちょっとした不快が見過ごせなくなったみたいな感じになってるんじゃないかなと思って。
最近周りでも結構仕事に対して会社辞める人とかも結構見かけていて、うちの会社のうちの部署も結構人が辞めていくんですけど。
そう思うと、自分もこの苦痛な作業をこの先何十年も続けていくのかなみたいな気持ちになって。
今まで会社とかを辞めるのは危ない、辞めたらもう私一切食っていけないんじゃないかとか、結構やっぱ母親の価値観として、一回仕事を辞めちゃうとそこから転落していくみたいなそういう価値観を持っていて。
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私もずっとそういう話聞いてるから、そういうものなんだみたいな、仕事って辞めちゃいけないみたいな気持ちを持ってたんだけど、1年ぐらい休んでみてもいいんじゃないかみたいな気持ちになったりしている今日この頃って感じです。
なんかすっごいこれがやりたいからとかっていうことではないから、会社辞めてる人とは違うかもしれないけど、自分が本当に不快なことを一切やらないっていう時間をある程度持ってもある一定期間持ってもいいんじゃないかなっていうふうに思ったっていうのは、
めちゃくちゃ自分の中ではびっくりしましたね。こんなにゴロッと気持ち変わるものなのかなと思って。仕事が楽しいところもあるからみたいなのも自分に言い訳してたのかなとか思ったりとかね。
仕事の環境がいろいろ変わったっていうのもあるんだろうと思うんですけどね。
大きな変化だったかな。自分が快適だと思うことを追求しようみたいな。周りがどうとか他の期待がどうとか、そういうことがね、見たら多少気になっちゃうけど、それをやってきてつらかったんでしょうっていう、自分がいかにつらくないかっていう人生を考えてあげよう。
それはすごい怖いこととかもあるかもしれないけど、一回長い人生なんだから、やらなかったらずっとやらないまま何十年終わっていくんだけど、やるなら早いほうがいいんじゃないかなっていうふうに思った。快適を追求しようって思うようになった自分を、それこそ自分を尊重してあげよう、自分を大事にしてあげようっていうことなのかなっていうふうに思いました。
会社をやめたい気持ちがすごい大きくなってきましたみたいなことは、言うかどうかみたいな、一時の悩みかもしれないしと思って。そういう気持ちが起きたばっかりだし、この後どういう気持ちの変化があるかわからないし、言うかどうか迷うなとも思ったんだけど、リアルタイムな気持ちを残しておこうと思って話してみました。
そういう話は今後どうなっていくか話していけたらと思います。それではまた会いましょう。