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こんにちは、わたしはるかです。このチャンネルでは、36歳で自分のポンコトさんに絶望し、1週間会社に行けなくなったカラフォーOLの私が、7歳歳下の夫や周りに頼りまくりながら、感情全解放して人生を楽しく生きていくあれこれを語っていくチャンネルです。
私は昨日、自分がずっと抱えてきた生きづらさと向き合う中で、すごい大事なこととして、自分の中に分かってほしいという気持ちがあることに気づくというのが、すごい大きいですという話をしたんですけど。
自分の生きづらさと向き合うにしろ、いろんな人間関係の中でのイライラとか悲しみとか、そういうのに向き合うにしろ、やっぱり奥底に、自分の奥底に自分の気持ちを分かってほしいとか、分かってほしかったっていう。
分かってほしかったんだけど、分かってもらえないと感じたっていう怒りとか悲しみっていうのが、自分のモヤモヤとか、あとはね、生きづらさとかも、そういう分かってもらえなかったなっていう悲しみの積み重ねとかだったりするので。
そういう気持ちがあったこととか、現状もしモヤモヤしてることがあったりすると、自分は自分のこの気持ちを分かってほしかったのに、分かってもらえなかったっていうことが多い。
そのことに気が付くと、物事を気持ちと事実と切り離して考えていけるので、すごい良いよっていう話をしたんですけど。
この分かってほしい気持ちっていうのに気が付いた後、この気持ちをどう処理すればいいかっていうこともすごい大事だなっていうふうに思ったので、ちょっとその話をしたいなっていうふうに思います。
やっぱりここってすごい大事なことだけど、肯定的に身につけるのがすごい難しいなって感じているところでもあって、それはタイトルにもつけさせてもらった、自分の気持ちを本当に分かってあげられるのって、自分だけっていう腹落ちだと思うんですよね。
生きづらさを抱えてたりとか、肯定感が低かったりすると、自分が自分を認めてあげるっていうのがすごく苦手なケースが多いのかなと思っていて。
私自身もそうなんですけど、自分でこれできてすごいとか、これだけ頑張って自分偉かったなとかって、自分を認めてあげる、自分がやったことを自分で褒めてあげるとかっていうのがすごい苦手だなって思うんですよね。
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全然、ちょっと頑張ったかもっていうふうに思ったりしても、でも言うてそんなに結果出したわけでもないしとか、周りの人でもっと頑張ってる人もあちこちにいるし、私なんてそんな言うて対して頑張ってないんじゃないかなとか、頑張ったって言っても時間だけかけただけで、もっと効率的に頑張ることとかもできたんじゃないかなって思ったりとか。
そういうふうに結局人と比べたりとかして、自分がやったことっていうのは大したことないなっていうふうに思っちゃう。
それは本当に心からそう思っちゃうので、手放しに自分を認めてあげられないとかあるんですよね。
気持ちとかも同じで、分かってほしい気持ちがあって、でも分かってほしいっていう気持ちが強かったりするので、自分で自分を分かってあげたところで、それが何になるのかなみたいな。
自分で自分を認めてもしょうがなくって、結局周りに認められないと意味ないんじゃないかなって思う。
自分だけ認めてても、じゃあそれ結局周りが認めてくれなかったら、なかったのと同じことじゃんっていうふうに思ってしまうので、自分がどう思うかっていうことよりも、
外側の周りの人って言っても、じゃあ誰がっていうのはすごい難しいんですけど。
でも他の誰でもいいから、第三者の目で見て、自分が頑張ったとか、これだけやって偉いねとか、これができてすごいねとか、そういう評価がないと認められたとは言えないというか、
それは事実とは言えないんじゃないかっていうふうに、うまく言えば客観的事実がないとみたいなふうに思ってたんですよね。
でも自分と向き合う中で気がついたのは、自分が認めてないのに周りから認められても、それはすごい不一致感がすごいんですよね。
自分はできないと思ってるけど、周りが認めてくれたから、じゃあ私は大丈夫だみたいな、そういう自己評価の仕方を自己肯定感が低いとしがちだなって思うんですけど、
でも周りの評価って自分の評価と一致してるから、じゃあこれは味いたと思うに認めてそうですねっていうふうになるわけで、
自分が認めてないのに、じゃあ周りが認めてくれたからっていうふうになると、それはすごくチグハグになると思うんですよね。
だからまず自分がどう思うのかっていうところを前提に、自分が周りに良いっていうふうに思われたいとか評価されたいっていうのがあったら、
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自分がまず評価をしてあげないと、自分が良いと思ってないものを周りに良いと思ってくださいっていうのも変な話だなっていうふうに思うんですよね。
特に頑張ったとか何かができたとか、そういう評価もそうなんですけど、特に分かってほしい、こういう気持ちを分かってほしいっていうのは、
何かができたとかそういうことではなく、気持ちの問題なので、これだけ辛かったとか、これだけしんどかったとかっていう気持ち、分かってほしい気持ちってそういう気持ちが多いと思うんですよね。
こんなに頑張ったのに分かってもらえないとか、こんなに私はやったと思ってるのに認めてもらえないとか、そういう気持ちが多い。
あとは悲しいとか、すごく腹立たしいとか、そういうことがあったのにその気持ちを分かってもらえない。
私こんなに怒ってるのに理解されない、怒ってる認識してないんじゃないのとか、そういうことだと思うんですけど、
そういう気持ちも分かってほしいが強すぎて、外にこの気持ち分かってよ、だって私こういう気持ちなんだよみたいなのをすごい豪速球でぶつけようとするんですけど、
でもぶつける前にまず自分が、自分すごい悲しかったんだなとか、すごい辛かったんだなっていうのを自分の中で認めてあげて、
すごい辛かったよねって自分に声かけてあげるっていうのはすごい大事だなって思って。
っていうのも、ある時は自分と向き合っていく中で、やっぱり自分がまず認めてあげなきゃいけないなっていうことはすごい感じてたんですけど、
一番思ったのが、これもやっぱり会社でだったんですけど、会社で私も自分も頑張ってるんですよって上司に言いたいことがあったんですよね。
私はもう残業とかしないようにしてるんですけど、残業しないために効率的にやるとか、いらないものを省くとか、そういった方向性に頑張るようにしていて、
だけども、私の所属している組織は結構、残業してなんぼみたいな考え方も結構あるところで、人数とかも少ないけども少数制で回すのが大事だみたいな考え方なんですよ。
だから結構ね、以前は2人とか3人でやってた業務を1人で回すようにするとか、そういう方針を取っていて、残業してない人がどれぐらいいくかというのを調べられたりとか、そういうこともあったんですけど、
そういう中でね、私も自分と向き合ったりとか、母親との関係を見直しているときに情緒不安定になったりとかっていうこともすごくあって、そういう仕事の話とかも頑張ってるし、プライベートも頑張ってるし、結構しんどいしみたいなときに、
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上司と話したときに結構自分のしんどい気持ちを分かってほしいみたいな気持ちになったんですよね。こんなに結構大変なんですよみたいなアピールをしようと、意図的にじゃなくて無意識に私もこんなに大変なんですみたいな、ちょっと分かってほしいんですみたいなニュアンスを出そうとしてたときがあって、
そのときにあって思ったのが、それで上司もすごいいろんなことが大変なことも分かるみたいな話もしてくれたんですけど、そのときに思ったのは、自分が求めてる分かってほしい、分かるよみたいなって何なんだろうと思って、どういうふうに自分に寄り添ってくれたら自分は満足するのかなって思ったときに、
人にどれだけ寄り添いを求めても限界があるなっていうふうにすごい思ったんですよね。じゃあどういうふうに寄り添ってくれたら自分は満足なの?誰にどういうふうに寄り添ってもらったら満足で、どういうふうに分かってもらったら満足なのっていうところで考えたときに、
それって別に具体的な指標ないなって思ったんですよね。誰々さんにこういうふうに分かってほしいとかっていうのはあんまりなくて、周りにふわっとみんなに自分の気持ちを理解してほしいみたいな、自分が大変なんだって分かってほしいみたいな感じだなって思ったんですよね。
実際問題、例えば誰かにこれだけすごい分かってほしいっていうのがあったとしても、それを相手がやってくれるかっていうと、多分難しいなって思ったんですよね。自分が分かってほしいって気持ちって結構根深いものがあったりとか、すごい分かってほしいみたいなのがあったりするなって思って。
そうした場合に、相手の人がすごい自分にリソースを割いて、めちゃくちゃ話聞いて、それは本当に大変だったね、すごい分かるみたいな感じで言ってくれるかっていうと、そんなに自分にリソースを割けないじゃないですか、相手も物理的に。
それをずっと付き合わせるっていうこともできないじゃないですか。そうすると、自分が満足する、分かってほしいっていうのって、なかなか実現できないんじゃないかな、分かってほしい気持ちって別に1個じゃないじゃないですか、いろいろ日々生活していく中で沸き上がってきたりするものなので。
そうした時に、これは外側に対処を求めるのはすごい難しいなって、すごい納得したんですよね。
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結局、やっぱり自分が一番どういうふうに分かってほしいかっていうことも分かってるじゃないですか。自分がどういうふうに声をかけてほしいのかとか、どういうふうに分かってほしいのか、どういうふうに扱ってほしいのかっていうのは、自分が一番よく分かってるんだから、やっぱりそれっていうのは自分でやってあげないと自分を満たしてあげることはできないんだなっていうふうにすごい思ったんですよね。
結構 この腹落ちって大きくって 今まで自分でどんなに認めてあげ
たって周りの評価がなきゃ意味 がないって思ってたんですけど
でもやっぱり自分を一番満たして あげられるのはやっぱり自分しか
いない 自分の気持ちを一番聞いて あげられるリソースを避けるのも
自分だけだし どうしてほしいか っていうのを分かってあげられる
のも自分だけなので やっぱり自分 が一番最初 その後で人に私はこういう
気持ちを分かってほしかったんですよ こういう気持ちを尊重してほしい
んですよっていうふうに もうライト にした 自分の中である程度処理
してライトにしたことを相手に 伝えることで 相手もそれは大変
だねって分かるよとかっていう その評価っていうんですか 分かる
よっていう気持ちっていうのは 人間 やっぱり優しいからみんな
持ってるじゃないですか そういう のを後から伝えていくとかいうこと
は それは自分のためにもいいと思 うんですけど 自分がある程度満た
されてないとか 自分がワーって 混乱して 自分もただただ分かって
ほしいっていう気持ちが強い中で 人にそれを求めていくっていう
のは結構なかなかの苦業だなっていう ふうに思って まず自分が認めて
あげて その上で 人にどういう ふうにしてほしいのかなっていう
のが ある程度分かった上で ライト な感じで こういうふうに尊重して
ほしいんですっていうふうに伝える っていうのが すごい大事かなっていう
ふうに思って 結構伝えるのも難しい というか やっぱりどうしても
自己肯定感が低いと 自分への信用 も低いから 自分がどう思ったところ
で意味ないんじゃないかって思 っちゃうと思うんですけど やっぱり
粒差に分かってあげられるのは 自分だけっていうのが すごい大事な
考え方だなっていうふうにすごく 思います すごいつい暑くなって
長くなってしまったんですけど 自分が自分をどう処理してあげる
かっていうのは すごい大事なこと だなって思うので これからも話
していけたらといいなというふう に思います それでは また会いましょう